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学びのお部屋

発達障害があっても学力は大事。
こんな風にお勉強工夫してます、という情報お待ちしております。

153 COMMENTS

シア

最近思うのは自分は人よりお勉強を頑張っていなかったわけでもないんだなと言うことです。

大学に進学しましたが偏差値は自分の知能指数と同じくらいでしたから。
もしこれが非常に解離していたらきっと勉強不足だったんでしょう。

不登校の児童生徒だと頭がよくてもいい学校に行けない人がいるようです。
もしそうだったらやはりやり方と頑張りが足りないとみなされてしまいますよね。

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シア

もうすぐ入試の季節も終わります。
みなさん進路を決めていく時期だと思います。

http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=NARU

どういう仕事がありどんな職業を選びたいかと言う本は結構ありますね。
理系に進んでいた同級生の話を聞くと「高校生の時は医者・薬剤師・教師くらいしか選択肢を知らなかった」と言ったのを覚えているのです。
それくらい将来を考えられないし社会科の少ない理系ではそれが普通だと思っていたそうですよ。
「そんなことはないだろう」と思っていましたがそう思っていたという人は実は多いようです。

意表をついていろいろな職業を知らないティーンエイジャーは多いです。
そういう人は上記の「なるにはシリーズ」でもほかの会社の本でもよいですし職業を紹介した記事やブログを見てみるとイメージがしやすいと思うんです。
YAと言う本棚に行けば思春期から進路を考える本がたくさんあるのに閑散としています。
別に「将来は○○」と決めてかかることもないですが知らなすぎるというのも考えものと思った次第です。

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浅見淳子

年長者として思うのは、これからの世の中にどんな仕事が必要とされるのか、きっともう常識が変わっていくだろうから、「これじゃあ社会に通用しない」とかやたら悲観的になるのはやめるのが前世代の人間の役割かなあ、と。
大事なのは基礎学力と基礎体力ですね。この二つはあっても邪魔になりません。

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シア

思い付きで、ちょっと書いておこうと思います。

自分は、今模型を打ってお金を稼いでいますが、離職期間中「ニート」だったのかと言うことです。
NEETと言うのは、引きこもりを指すのではなく、職業及び教育を受けていない状態だと言います。

私自身は、模型の師匠に付いて、通信教育から始めていて、それが模型道場だったのでした。

だから、純粋なニートではなかったのでした。
学校に通うなり、通信教育を受けるなり、スクーリングでもリモートでもいいと思います。
ある一定の年齢になっているのなら、「教育を受ける」ことが、手掛かりになると思うんですよ。
コロナで不登校になっている人も増えているし、特別支援教育でほかの生徒と同水準の教育が受けられていない人もいるかもしれません。

それでも、「教育を受ける」ことができたら、全然違うと思うんです。
漫画が好きで、学校に通いながら、机でノートに絵を描いていたという人は、たくさんいます。
彼らは普通の学校に通えたので、普通の仕事をしていることが多いです。
他方で、不登校になってしまっても、デザインの専門学校の門をたたいたために、漫画の道(やそれに類するもの)に進めた人がいるのですよ。

そのように考えると、独学よりも教えてもらって学ぶことが有効で、近道なのだと思います。
そういう意味で、私も「登校原理主義」と言うか、教育を尊重する立場です。

教育と言う素晴らしい文化があるので、それを使っていくのはお勧めします。

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浅見淳子

シアさん

NEETのEの一つはeducationなので、修行中の人はNEETではないですね。ただ一般的に模型修行中でもそれがお金を稼ぐことと結びつかなかったかもしれませんね。もうこれからの人たちにあの職業が向いているとかいうのは我々年長者は遠慮した方がよさそうです。全く違う時代を生きていきますからね。

自閉の人とその周りの人にありがちな発想だと、資格試験に走ってしまったりしますね。でも資格をとってもそれからの営業力という点で、自閉の人は不利だったりします。シアさんの場合には模型作りに適性があっていてそれがお金を稼ぐことに結びついていて本当に素晴らしいと思います。私などはあの繊細な作品群を梱包するだけでキャパオーバーしそうですよ。

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シア

昨日、ラジオの深夜放送で気鋭の作家さんがインタビューを受けていました。
文学部を出て、消費者金融で働き、燃え尽きて、芝生に寝そべるような仕事をしたくて、ゴルフ場の仕事に就き、そこで効率よくゴルフ場を管理する会社を興し、しばらくそれで成功したものの、震災があり土木事業で福島の土壌汚染と闘い、疲弊して何もかも失って、東京に出てきて漫画喫茶でこれまでのいきさつを原稿に書き、賞を取ったと言う方でした。

その人にあるのは、才能とそれから「体力」だと思いました。
体力があったら、いろいろなことができるのだと思います。

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浅見淳子

シアさん

その作家さん知ってます。
すごい作品を書く人です。
メンヘラのご自分の娘さんも題材にしています。
福祉の闇を書いています。

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智ママ

1年前から音読と、2年前から平仮名カタカナと、+1と+2までの計算ドリルをこつこつやらせていましたが、とうとう、遺伝子異常由来の多発奇形で器質的障害もある、中度知的の小4息子が、8までの解答なら、+2の計算を暗算でするようになってきました。計算の繰り返しを2年近く続けた結果、ようやく覚えたようです。

数唱は半年かかって小1でできるようになる
→+1が数唱と同じだと理解できるようになり、+1が簡単に計算できるようになる
→+1と、+2=+1+1、と言うことが理解できるようになる
→ひたすら計算ドリルを飽きないレベルで毎日2ページ行う(認知3歳レベルに合わせて、楽しめるうちでやめておいていた)
→ある日突然、+2の計算が頭の中でできるようになる(半分くらいは数直線を使っている)
→数直線に頼らなくても、+2の計算が答えが8までなら、正答率8割でできるようになる
というステップを踏んで、道行く車の数が5までなら数えられるレベルで小学校に入学した子が、自宅で+2ができるようになってきました。

音読に関しては、もともと弱視で聴覚優位でいることも手伝って、3−4歳向けの音読ドリルは3回もすればほぼ完全に覚えてしまって、記憶を頼りに読み上げようとするので、「それでは困る!」と、わざと対象年齢を5−6歳に上げて、比較的長めの中くらいの文章(主に古典やことわざや現代詩まで、ジャンルは幅広い)を、毎回3階繰り返し読ませるのを1回のレッスンとして、3回のレッスンまでするつもりで、毎日読み勧めていっていますが、音韻や古典文学の響きも、不思議そうに読み上げて楽しむようになってきました。

生後2ヶ月で、「文字が読めるようになった事例が、ない」「数字を書けるようになった事例も、聞いたことがない」「机について座れているだけで御の字、勉強なんて、この器質的障害では、理解できない」と断言されて徹底的に小学校育成級進学すらも否定されましたが、蓋を開けてみれば、9歳で、出来の良い4歳児くらいの勉強はできるようになりました。
遺伝子異常由来でも、染色体異常由来でも、勉強らしいことができる多発奇形児は、息子が初めての事例です。

遺伝子異常由来でない発達障害だけのお子さんと比べたら、月とスッポンで、全然出来ていない部類なのは重々承知していますが、それでも、完全に不可能レベルとされていた多発奇形児が、ここまでは勉強に取り組んで進歩を見せたことは、医学的に見ても大進歩の初事例だと思います。

勉強が進むにつれ、健常児との差はとにかく開いてはいきますが、それに腐らずにコツコツできるレベルから始めて、毎日続けることが、こういう子達にはとても大切なんだな。とわかるようになってきました。

これからも、毎日課題量を徐々に増やして、息子が行けるところまで行こうと思っています。

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智ママ

9歳息子は6歳での入学時は言葉は2語文が言えるだけ、(会話は1語文)描画はできず、なぐり書きしかできない状態でした。
毎日の『その日の振り返り』(育成級での習わしで、その日あったことで楽しかったことを一言述べてから、『終わりの会』を終わる)の毎日続けることで、毎日少しずつの言葉で表現しようとする訓練を積んでいきました。
途中でいろいろな働きかけの結果もあり、半年で言葉が増えて、オウム返しが消え、会話でも2語文が出るようになり、授業を見に来た校長先生が「あ!喋ってる!オウム返しが消えてる!」と驚くようになり、2年後は普通に短い会話ができるようになりました。

それとともに、会話の際に聞き手の母親側から質問をして、表現を掘り下げる
(「昨日、電車のったの」「何色の電車に乗ったの?」「銀色と赤の電車に乗ったの。あと、緑と銀色の新しい電車にものったの」と言った具合に、こちらからうまく表現を増やす手法で、あれこれ簡単な質問をして、使える語彙と表現を深めるための機械を増やす)ことで、オフィシャルな学校での発表や口頭での連絡などを、当人ができるだけ細かく言えるように、母親側が工夫していました。
ですので、聴覚優位で交流が好きな息子の表現は、遺伝子異常と器質的障害がある、非常に頑固な知的障害があるケースとはいえ、どんどん伸びていきました。

それとともに描画も成長を見せ、3年生で顔に目ができて口も出てきました。
4年生の最近は、先週あった、宿泊訓練での楽しかったことを、みんなに発表するために、絵と文章で表現するのに、絵画はぎりぎり3歳児くらい、文章は4歳児くらいまでかけるようになりました。

作文の訓練はまだ平仮名が単語レベルでしか書けるところにいっていないと思ったので、一切させず、どちらかというと口頭での文章表現の多彩さを誘導していたのですが、実際に『作文を書きましょう』となったときには、頭の中で話す文章を文字に起こすだけでよくなったので、比較的、作文の壁をあっさり突破したらしいのです。

日頃からの地道な表現の訓練の積み重ねが、コミュニケーションの練習となって、作文に花開いたという結果を生みました。
短い文章の羅列とはいえ、作文ができるようになった多発奇形児は、息子が初めてです。

作文力を伸ばしたいママさんの参考になれれば、幸いです。

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智ママ

追記
息子の宿泊訓練からの発表の資料を載せてないことに気づいて、小学校で撮影してきました。

作文は、口頭で息子が言ったことを先生が下書きに黄色いペンで表記し、それをなぞり書きしています。
普段、帰りに息子が話す内容とほぼ一緒です。

絵画は自力でフリースタイルで描いたそうです。

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智ママ

息子の勉強を教えていて、『花』という字を見本で書いておいて真似させるのはサッパリなのに、「『草冠』に『イ』に『ヒ』で、花!」と指示するとあっさり書ける。
カタカナのドリルはイマイチだけれど、そこそこ、なぞり書きだと書ける。という現象は、どういうことだ?
これ、圧倒的に聴覚優位なんじゃないのか?
数字の『8』を書くのにも言葉で指示を出したら途中まで書けてるし。
と思ったので、夕方に、支援学校指導歴5年超えの担任の男性教諭に電話して、訊いてみました。

「?ああ〜、そう言えば木・金と休んでた間、聴覚優位とかメモが付箋にしてパソコンに貼ってあったな〜。あのですね。」と始まった担任教諭の熱い系の説明によると、

息子の場合、縦だけ・横だけの動きは1動作なのでできるのだけれど、ナナメは同時に縦・横の動きを混ぜないとなので、そこで引っかかっているということと、
元々、脳出血系の脳室拡大で、視覚に関わる部分が大きく空洞になっているので、ナナメをナナメと認識できているかどうかが非常に怪しい。認識できてないと、概念が生まれないので書けない。
運動機能的理由と、視覚処理的な機能的由、ダブルの引っかかりでナナメが書けないし、手首を返す動きも拙いので、8が書けてない。なので、カタカナはあれれ?な出来なのに、漢字が書ける。という現象が出来上がっている。と、分析が出されました。

とりあえず、カタカナのなぞり書きでナナメの感覚を身体に入れ込んでみて、脳内にナナメを書くために必要な回路ができるまで、待ってみましょうか。とのことでした。

OTで肩・腕・手首の粗大運動を促すのに、
ジャングルジムに、絵カードをマスキングテープであちこちに貼って、それを指示通りに取りに行かせる。という動きと、ブランコで肩・肘・手首・胴体全部を動かして遊ぶ。という動きはしていたのですが(ほかは指先を動かす訓練ばかりだった)、
最近の公園では、危険回避のためにブランコが撤去されていて、ぎりぎり歩いていける距離の公園にブランコはありますが、いつも健常児のお兄さんお姉さんが占めていて、順番に並んでも少ししか遊べなくて、『これはどうしたもんかなぁ』と思っているうちに一年のOTが終わってしまったので、そのままになっていました。

雲梯にぶら下がるのも、身体が健常児ならば、とてもよさそうですが、息子は筋力が弱すぎてぶら下がれません。鉄棒もぶら下がれません。私が補助しようにも、23kgの9歳児を抱え続けて支えるのは、私の肘と肩と腰が悲鳴を上げます。

支援学校指導歴5年ではあるものの、どちらかというと公的機関の支援者側の立場な男性担任教諭なので、息子の腕・肩・手首の動きを良くする動きには一切言及せず、今の状態を楽しむように指導されました。

そこはかなり不服ですが、工夫の余地はあるよね!と思ってあれこれ考えています。

今のところ、1歳児向けの1単語で1ページが成り立ってる絵本は喜んで読んでいて、3歳児向けのひらがなでカタカナにふりがなが振ってある列車のミニ図鑑も、喜んで読みながら覚えていっています。
全国初の多発奇形で生まれたのに本が読める児童が誕生しました。

そこに留まっても面白くないので、『実年齢9歳児、頭の中身は3歳児』から、さらに先に行けるように、また身体発達の促し方を考えていこうと思いました。

5歳未満の就学前のお子さんに、平仮名カタカナ漢字数字を入れるのに、参考になる情報になるかな?と思い、ここに書き込みしてます。

遺伝子異常系の多発奇形で生まれてきた子は、たいてい学習を投げられていて、何も習得せずに支援学校を卒業することがこれまでの医学的な常識でしたが、
息子は、それよりは、まだかなり見込みがありそうなので、歩みは遅くても、学習の進度が先に進めるようにいこうかな?と思っています。

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智ママ

多発奇形で生まれてきた、遺伝子異常と軽くはない器質的障害もある9歳息子に、6歳から鉛筆を持たせて、自宅で3歳の100均で買ったドリルで教え始め、家庭教育を続けて約4年。

ひらがなでのしりとりができないわけではなくなってきたので、小1で習う漢字に踏み出してみました。

陰山英男さんの学研から出されている、『朝から5分でできる小1漢字』を、夕方に一日1ページたまげ書かせて、ついでに国語ノートに、1日五文字の小1漢字の書き取りをさせていっています。

認知が3歳レベルで集中力は健常児ほどドリルに向かい続けるのは長くは続かない。ということで、しりとり2ページ、計算2ページ、音読2ページ、書き取り1ページ。というラインナップで、書き取りは最後の難関に位置してさせています。

小学校教師は進度を遅らせるために「ひらがな、カタカナがカンペキに書けてからじゃないと!漢字に進んでも行き詰まります!」とあくまで現状維持にこだわりますが、そこはサクッと無視して先に進めてみています。
(急に勉強の進度が進むと息子は恐がるので、徐々にさせるために、朝5分のドリルを国語教材に選びました)

利き手の左手を右手で保定してやると、何とか書き順を口で言いながら、書くことができないわけじゃないところまでは、できるようになりました。
列車マニアなので、駅名とリンクするとよく覚えるようです。

漢字が書ける多発奇形児が初めて誕生したので、そのことを著者である陰山英男先生にTwitterで報告したら、直々に漢字をかけるようにするための消しゴムかけのテクニックを本日教えていただいたので、息子にさっそく試してみるつもりで、帰宅を待ち構えています。

『息子のTweet報告をしたら、直々に教えていただけて、しかも、陰山英男さんのアンチ(勉強をどんどん先取りでやらせたり、繰り返し反復練習をさせたりすることで理解力を高める方針に反対する人達)が、息子のことを報告してから、かなり減ってきたみたいに見えるよ?よほどの学習障害児でない限り、ハンディがあっても、できるとこから反復練習してさせて進歩していけば、できることは増えて、読み書きで得られる利益も享受できて、いいことづくめだと当人は喜んでいるよ?社会的には、【たいがいの子は、反復練習をやればできるようになる】ということを、息子が立証してしまったよ』
と夫に告げると
『元はオートファジー階段訓練やな』
とラインで返事が返ってきました。

多発奇形で生まれた息子に指導方法で悩むとか、できる子どもの指導に力を入れている指導者から、直接アドバイスいただけるようになるまで、学習が進められるようになるなんて、息子を産んだ直後は考えもしなかったです。

これも花風社のおかげだと思います。
ありがとうございます。

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シア

学ぶ上で休むポイントって言うのも大事だと思います。
精神科に入院せざるを得なくなった時病棟に冊子があって不登校や会社に行けなくなった人がリカバリーしていく様子が描かれているものがありました。
その本の中では「学校に行きたくない!」と言うお子さんと「会社に行きたくない!」と言う親御さんが一緒に一日お休みを取って息抜きをするという内容でした。

精神科でもうつ病や社会不適応をできれば未然に防ぎたいという思いもあるようです。
また自殺の問題は日本では深刻でもあります。
いまは五月病の季節で仕事や学業が嫌になる季節だと思います。

「おなかが痛くても…何が何でも学校に行きなさい!」とか「気分が悪く吐きそうだけど…会社に行きなさい!」と言うのは間違った対応だと思うんですね。

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シア

花風社クラスタの早くからの方はお子さんがもう大学生。
また学校を卒業されて社会人をもう幾年月…と言う方もいらっしゃいますね。
森口奈緒美さんの「変光星」など一連の本で「体育実技ができなくて大学に入れなかった」と言うくだりがあります。
そういうご事情もあったのかもしれないけどその後の支援者とのいざこざの本とかを読んでどうもこじらせたんじゃないかなと思うんですよ。

と言うのも現代の大学と言うのはいろんな人が入ってきます。
外国から・高齢者の方・障害を持った人・老若男女問わずいろんな人が来ています。
私は私学の商学部を卒業しましたがここはビジネスカレッジでしたからいろんな方が来てました。

私は障害があったのでまず入試の段階で「選抜試験」を突破してそれはそれで狭き門でしたが入試のスタイルとして「実力テスト」ではなく「高校三年間の勉強が全般に身についているか」を振り返る性質の試験でした。
だから三年間分の定期試験を濃縮したようなのが一気に出されたようなものでした。
これはこれでむつかしい人もいるのかもしれません。
ただ私は実力試験は応用力を問うものとされていたのでこちらになりました。

入学してからは「ゼミ」が免除になりました。
それから「体育実技」が免除になりました。
それから「卒業論文」が免除になりました。
これ聴いて驚く人いるかもしれませんけど外国人や高齢者や障碍者が普通に混じっているんです。
だから大学っていろんな人が来てるんだねって言う理解のできている人ならそこまでの驚きはないかもしれません。

ゼミの代わりにそれ以外の科目から勉強をしなければなりませんでした。
体育実技も同様だったんです。
また障害者を援助するサークルに出て交流するという特別な単元をこなす必要がありました。
でもおかげで大学の学びを広げることができたと自負しています。

もちろんこれらは正式な手続きを経てそれでも大学で勉強したいという意思があったから通ったことだと思っています。
そして留年もなく欠席もほとんどなく自分で勉強したことをまとめて提出したりもやってきたので大学生活にはやり残したということはありません。

だから病気や障害があって大学を諦めようか…というのはちょっと早すぎる結論だとは申し上げておきたいです。

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