さて、昨日の夜ものすごい治った自慢が寄せられました。
これは、もう
治った界の東の横綱です。
たらこ家の治った自慢を皆さん読んでください。
URLはこちら。
全文引用させていただきます。
卒業をご報告させて下さい。
3才半に高機能自閉症と診断された息子。
幼児期に色々申請しましたが、まっさきに特児、次に療育手帳の非該当判定を受けました。
現在彼が唯一所持しているのが、私と同じ精神手帳3級。
それももうすぐ更新なので、継続申請するかどうかの相談に。
小学生の頃は私の後ろで姿勢を崩してばかりだったのが嘘のように、学校や日常生活のあれこれを聞かれて、受け答えする息子。
服薬なし、closedで通っている現在の中学の担任の面談での印象、本人の手応え、特に問題なし。
これだと、精神3級も非該当で返ってくる可能性が高いと思うとドクターは言いました。
非該当通知見てお祝いしたいという失礼な理由で、診断書をお願いしたものの、ややあって再度呼ばれ。
「診断書の書きようがないから、やっぱり今回で卒業としませんか」と言われました。
特性あるが故、生活していく上で何等かの不具合が起きている、或いは本人や周囲が不具合を感じている、その状態を「障害」と言うなら、少なくとも息子君はもう、「障害者」の範疇から外れた、そう言っていいと僕は思いますと。
3才半の息子を、自閉度限りなく黒に近い高機能自閉症、そう診断したのはドクターです。
以降、ずっと息子とのドタバタ二人三脚を側面から支援して下さいました。
そのドクターに、卒業、障害者の範疇から外れたと言って頂ける日が来るとは…。
長かったのか。いや、それとも思ったよりこの日来るの早かったのか。
過去の色んなことが去来して、しみじみして、ちょっと泣きそうになりました。
息子は部屋を出る時、ドクターの方を向いて改まって、「これまでありがとうございました」と頭さげてました。
ドクターが診断書を書かないと言った意味を、彼はきちんと受け止めていると思います。
彼はすべての公的支援を卒業して、15才の誕生日を迎える事になりました。
巣立ちの日はまだ先ですが、目指して、これからも歩み続けたいです。
特性が緩和しただけではなく
公的にも障害者じゃなくなった。
医療がそれを認めた。
これはもう、どこから見ても文句のつけようのない「完治」です。
しかも診断したときと同じドクターが自らそれを認めている。
きっとドクターにとっても、感慨深いものがあったでしょう。
そして今後このドクターは、いったん診断しても、障害者ではなくなる人が存在するのだと知りつつ次世代に向き合ってくださるでしょう。
大きな、大きな、社会貢献です。
そして、気づきました。
おとといから予約の始まった『発達障害でも働けますか?』
真っ先に予約してくださった方のお一人がたらこさんだと。
たらこさんは十年来の熱心な花風社読者です。
愛情を持って、しかもありのままを許さず、お子さんに向き合ってきた方です。
その結果保育園のころには言葉のなかったお子さんがその当時には想像もつかなかった前途洋々の道を歩まれています。
ご家庭の力は大きいな、と思わされるご家族です。
『発達障害でも働けますか?』の「あとがきに代えて」に書いてありますが
この本づくりを通じて、私自身が著者の座波淳さんにキャリアカウンセリングしてもらったようなところがありました。
皆さんが読んでもどこが浅見に役立ったかわからないかもしれないし、わかるかもしれませんが。
私自身が今後トラブルに巻き込まれたら、どう振る舞うか、指針を得ました。
そうなのです。
『発達障害でも働けますか?』は別に発達障害ではなくても、職業生活を送るあらゆる人に役立ちます。
たらこさんご自身にも
そしてかつては特性があった人としてやがて才能を活かし社会に歩み出て行くご子息にも
きっと役に立つ一冊です。
だからサブタイトルをこうしたのです。
「経済的自立とその先を目指すための成長戦略」。
そう。
自立の先まで考えて作った本です。
経済的自立が当面の目標。
そしてその先にも職業生活は続きますからね。
花風社の本は、あくまで「一般社会で生きるのに役立つように」作ってあります。
それをずっと理解してくださってきたたらこ家のうれしい卒業のニュース。
皆さんの希望の星ですね。
あとに続く人がいっぱいいますように。
それこそが花風社の目標です。
『発達障害でも働けますか?』
絶賛予約受付中です。
花風社サイトはこちら。
http://kafusha.com/products/detail/51
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当時市内の特学(特別支援級ではなく特殊学級)を全て見学した私の目に映ったのは「教育」ではなく「託児」でした。22年前なのでさすがに今はたぶん教育だと思いますが。周りからの大反対の中で普通級に通わせた6年間、困難が無かったと言えば嘘になりますが、後悔はありませんでした。中学を支援級にしたのも正解だったと思いますが、支援級に進んだゆえの困難さはありました。
長男に関して言えば特別支援級の弊害は「誤学習」と「本人の卑屈」でした。ちなみに本人の卑屈を嘆いた私に周りの支援者は、小学校を普通級に入れたあなたの誤りだと責めましたが、そこは全然平気でした(笑)。
私が周りに「離席と他害がなければ普通級に」と主張したのは、この経緯からです。教師の伸ばす視点が、普通級と支援級では明らかに違う事、そして支援級の教師は「障害児→障害者」という道程しか見ていないという事です。
彼らは周りから学びます。普通級でもし悪いことを学んだ時は親が正せば良いだけなんです。けれど支援級での学びは社会の中で自分たちは許される存在だと学びます。曰く、毎日遅刻しても、自分の役割をサボっても、周りに暴力をふるっても、障害があるから仕方がないよ、許してあげようと。
ここを正すのは難しいです。A君は許されてどうして僕はダメなの?となります。
長男の場合は知的障害もあるためおそらく普通級に居た6年の下地がなければここを理解させるのは無理だったと思っています。
長男は入学前の1年、(転園し)適切な教育をする幼稚園で大きく伸びました。就学には5歳から6歳の伸び幅を見極める事も大切だと思います。
余談ですが10歳当時初めて某有名支援者に会った際のエピソード、長男を支援級に移すべきかの判断がとても面白かったので紹介を。支援者は“はじめまして○○です”と名乗って長男に握手の手を差し出しました。その一瞬で私に「このまま普通級に。そして中学は支援級に」と言いました。理由は差し出された手に直ぐ彼も手を差し出し握ろうとした事での社会性は普通級相当、けれど残念ながら述べた手が左右逆だったので中学は無理、と言うものでした。
長くなりました。ご参考までに。
味噌ぴさん、ていねいなお返事ありがとうございます。とても参考になります。
泣きました。うれしくてうれしくて泣けました。
自閉っこのお母さんには、濃い方・診断出るよね、また実際手帳をお持ちの方もおられます。百数十人のお母さま方とそれなりにお付き合いしていた15年ほどの中で、たらこさんが際立って熱心だった事は言うまでもありません。
実は息子君の幼児期、就学前の姿を親の会のレクでお見掛けした事がありました。正直、決して軽くはないと失礼ながら感じました。その二年後に迷いながらも普通級に入学されたと聞いて、あっぱれ!と思ったのを覚えています。長男入学時よりも更に特別支援が進み、知的に問題なくとも支援級・支援校が当たり前の流れになっていました。先進地域ゆえの弊害はそこかしこにありました。離席と他害がなければ普通級へ!という私の意見は声高な支援者にかき消されることも多々あったので。
手厚い支援の弊害を乗り越え普通級そして中学は進学校受験という難関を乗り越え日々治るに向けて歩まれて来た親子なので、この日が来たのは当然なのかもしれません。たらこさん親子のこれまでの軌跡に心から敬意を。私たちも頑張って歩んでいきたいと思いました。素敵なご報告をありがとうございます。
味噌ぴさん、ようこそ。
お近くで見守っていらしただけに感慨ひとしおでしょうね。
私ももうたらこさんとのコンタクトは十年に及びますが、若いお母様たちに強調しておきたいのは、間近で見ていらした味噌ぴさんがおっしゃるように決して軽い方でもなければ、たらこさんご自身決してありあまる時間の中で子育てした方ではないということです。こよりさんのように、介護等あれこれ背負った中での子育て。それでもお子さんを慈しんで、心づくしの料理を並べ、お弁当をもたせ、しかもならぬものはならぬで、育てていらした。自閉っ子にありがちな誤学習は徹底的に教育した。今も自営のヘルプとお勤めの二足のわらじで親御さんの世話もある。その中での完治達成。神様はよく見ているのだなあと思います。
味噌ぴさんにおたずねしたいことがあります。先輩お母様から見て、たらこさんの熱心さはどういうところに見られたのでしょうか?
お時間のあるときにでも教えていただけましたら若いお母様方の参考になると思います。
よろしければお願いいたします。
親の会に集まる多くの親は当然自分の子育てに自信がなく他者の意見を求めてやって来ます。かく言う私もその一人でした。そうして多くの親が「特別な子育てをしているのだ」という思いで「専門家」や「先輩」の声に耳を傾けます。
たらこさんが際立っていたのは社長もご存じの通り、周りの誰よりも多忙を極めながら一切の手抜きをしませんでした。そして特別なではなく、真っ当な子育てに軸を置いていました。特に食を大事にされていて、偏食肯定派に疑問を呈していたのも印象的でした。専門家の言葉であっても「真っ当な子育て」から外れていたら切り捨てる強さを初めから持っていたのだと思います。
正直、口先だけ達者で周りに動いて貰う事に長けている親が多い中、常に自身で動かれていました。どんな場面も面倒がらずに誠実に我が子と向かい合っている様子が彼女の話からいつもうかがえました。彼女が正直に生きる分、疎まれて陰口を言う民度の低い親もたくさん居ましたが、味方もたくさんいましたし空気の読めなさが功を奏した場面も多かったように思います。たらこさんはよく、自分のように遠回りしないよう誤学習は一つでも少ない方がと言われます。私も日々もぐら叩きの様に誤学習と戦って来ましたが、ここを面倒くさがったり特性を言い訳にしたりする親が圧倒的に多いのだと感じます。
なので、たらこさんは極めて丁寧な子育てをして来たように思えます。
息子とのこれまでの二人三脚を振り返ると、いくつかの重要な分岐点があったと思っていて、その中でも大きな分岐点の一つ、味噌ぴさんに「離席と他害ないなら普通級を射程に入れて」と、早い段階から言って頂いた事だったと思っています。
診断時は、知的にも自閉のしんどさ的にも、明らかに支援級相当だった息子です。
今の息子があるのは、味噌ぴさんの言葉の力あってこそだと思うんです。
ありがとうございます。
お会いする機会がもしあったらお礼きちんと言いなさいよって。息子にも言っときます。^^;。
味噌ぴさん、たらこさん、リアルでも関わってきたお二人の貴重な会話を見せてくださりありがとうございます。
味噌ぴさんはなぜ、「他害と離席がなければ普通級」を主張していらしたのでしょう? やはり、学びの機会が多いとお考えだったのでしょうか?
当時の空気の中では、レアな意見だったと思います。