「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

智くんの成長をみんなで見守るお部屋

『発達障害、治った自慢大会!』の殿(しんがり)を務めた智くん一家のお話。
重度の障害があってもどんどん治っています。
日々楽しいエピソードがたくさん!
みんなで見守りましょう。

329 COMMENTS

智ママ

息子、ほぼ毎日小学校に登校して小6生活を楽しんでいます。

最近の課題として出てきたのが、「自分が疲れたことに気づいて休む」ことの徹底です。
最近の支援級・支援学校は「就労で作業所にいけても、疲労が溜まってダウンしてしまうと、そのままドロップアウトしてしまって、社会生活が続かなくなる」という、治してないまま就労した先輩方の失敗例を活かして、『まだ言うことが聞ける小学生のうちから、【自己管理の習慣をつけて、疲れたら休む。】という自己メンテナンスの習得を目指す』という方向にシフトしていっています。

不登校の症状が出てしまった子に対しては特に、不快の感情の表出と、自己管理を徹底できるようにすることで、再発を防ぐ。という方向にもっていっています。

話が脱線しましたが、続けます。
息子の場合、生育歴が1歳11ヶ月で心内修復を行うまで、よくて血中酸素濃度85
(健常人だとほぼ瀕死の値。この値が続くとほぼ100%、一日二日で死亡します)
の世界線で暮らすのが当たり前だったため、「苦しい」という認識が危篤レベルでしかわからず、「まだ、これ、『苦しい』じゃない(これ危篤の苦しさじゃない)」と思ってドンドンいった結果、心臓が悲鳴を上げて体が動かなくなったり(頻脈)、筋肉疲労の度合いで『疲れた』の体感が少しわかる。という、心疾患児特有の、自己認識の薄さがあります。
このため、当人の『疲れた』の感覚が薄すぎて、限界を簡単に突破してしまうので、付添が、息子の動きや応答を観察してタオルを投げる形でセーブさせていました。

しかし、いつまでも親や教師が見張っているわけにはいきませんので、当人に「疲れた」の自覚症状の認識が薄くても、自己管理をできるようなコツを、息子バージョンで教えて会得しておいてもらう必要があります。

・心臓がパカパカしていたら止まって休む(頻脈の自覚を利用して管理)
・体の動きが悪くなってきたら休む(体の動きの自己観察を利用した健康管理)
・汗が止まらなくなったら水をマメに飲んで、天然塩で味つけした料理をしっかり食べる(家庭内での塩分補給での心臓管理)
・外気の気温をチェックして、気温に合わせた服装で登校する
という、将来仕事をする上で必要不可欠な、自覚できる感覚に頼らなくても、知的中度でも簡単にできる自己管理を今からコツコツ教えていくことになりました。

病院も小学校も「息子さんは心臓の配慮も必要なんですから、B型しかないですよ!」と『とにかく何が何でもB型!(今は週2・週2・週1の3箇所への細切れ所属での作業従事しかなくて、それでも作業所に就ければ御の字とされています)』となっているので、
最初の心臓弁交換後、半年から10ヶ月たったらだいたい普通の動きはできるようになってくることを考慮すると、二回目の心臓弁交換までの12−15年でキャリアを築くことは可能なため、「その間に就ける仕事で経験値を上げておけば、手術前後の生活も立て直すことは可能だよね?」と攻めの人生設計プランを立てていこうと思っています。

知的発達が改善してこなかったら、18歳からの攻めの人生プランを建てるなんてことは到底できなかったので、知的発達の改善のきっかけを下さった花風社に、感謝しても感謝しきれない感情があります。
息子に発達のチャンスを下さって、ありがとうございます。

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智ママ

支援学校の中学部と高等部の授業風景を実際に見学してきました。

申し込みの際に障害の種類・程度・手帳の種類・手帳の区分を聞き取りで申告するのですが、
・19箇所の多発奇形(最近、また1つ奇形が見つかり、合計19箇所になりました)
・心疾患で内服あり、頭胸部強打は避けること、手術目前と術後には行動制限がかかる予定
・脳梁全欠損と脳出血系脳室拡大あり
・口唇口蓋裂あり
・手帳は身体と療育B
・両側性口唇口蓋裂
・遺伝子異常で筋肉が細くて緊張が弱いため、力が少ない

と告げると、「…!!(それなら、支援学校のウチ以外ありえませんね!)」となる空気が伝わってきました。
「いえ…実は、息子は公立中支援級を強く希望しておりまして…」と告げると、
「…(は?これだけ重い障害の子が公立中?それは、ちょっと…支援学校の存在意義が…)」という不服そうな反応の空気が返ってきました。

実際に見てみて、息子が支援学校を気に入るなら、進路を考え直そうと思って二人でいきました。

支援学校に辿り着くと、聞き取り担当とメモ担当の教諭が二人いました。
指導室で聞き取りをしていると、想定外に息子の応対がしっかりしていて、初見の先生にも緊張せずにハキハキと質問に答えるので、教諭二人が仰天していました。

その後、校内で行われている授業を直接見せていただきました。
授業を受けている子が全員こちらを見て、授業が完全に中断されたり、
したいこと優先で教室から脱走して、教諭から連れ戻される子がいたり。と、支援学校あるあるな光景も、息子は淡々と見ていて、質問を聞き取り担当の教諭にどんどんしていました。

メモ担当の教諭が
「息子さんのメンタルは完璧です。何処の作業所に行っても、この安定度と快活さ、穏やかさ、積極性ならやっていけます。」
「あとは身体の配慮(心疾患配慮)と、知的発達の配慮が少しあれば大丈夫ですね!」
「学校での取り組みとしては、メンタル指導は必要ないので、指先の巧緻性をどれだけ高めて、制作物の質を上げていくかにかかってきますね。」
とB型作業所への太鼓判を押されました。
(支援学校側の一見でのアセスメント結果です)

息子自身は「みんな(普通級の仲良しメンバー)と同じところに行きたい」と、公立中支援級に進学を強く希望しているので、何かあれば支援学校中学部に転出も想定はしますが、原則、通いやすさとカリキュラムから、職業訓練は高等部からでも間に合いそうだったので、当初の方針でいくことにしました。

帰りがけ、息子が、
「お母さん。支援学校って、『やさしい』ですね」「本当、『やさしい』ですよ」
としみじみとコメントしていました。
私としては息子の「やさしい」が『優しい(支援が手厚くて皆が穏やか)』ならいいんですが、
『易しい(指導と指導内容が公立小支援級と比べて簡単で緩すぎるので、ヒマになりそう)』だと、せっかくの中学生時代の息子の学びが足りないので、うーん…となってしまいました。

試験的に、公立中支援級で皆と制服を着て中学生生活をどんどん体験させてみて、
どうしてもダメだったら支援学校中学部に転入、そのまま卒業までいけたら、高等支援と支援学校高等部を受けさせる予定でいます。

親の欲目で、息子の能力を過剰に上方修正してしまいがちなところは両親ともに自覚しています。
いけるなら、そのままの状態でも入れそうという、単純作業B型と制作物のある工房系B型より、
コツコツ作業従事が通るA型か障害枠をとりあえず目指させて、各種作業派遣や契約社員扱いの単純作業アルバイトも視野に入れて、家庭でできる家事能力を伸ばしていくようにしていこうかな?と思っています。

既に二桁の多発奇形で小6の時点で『B型内定』までいけそう?というレベルにいけた事例がこれまでなく、公立中支援級進学なんて初めてもいいとこなので、先達者の後を追いかけることができません。

そのまま支援学校中学部と自宅でゆったりさせていてもかまわないのですが、遊ばせたままでいても、息子の、心疾患により確実に人より短くなる人生の質と時間がもったいないので、公立中支援級での公立中の人間観察と家庭での訓練でコツコツいく予定です。

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智ママ

浅見社長
コメントありがとうございます。
周囲の支援者(放課後デイサービス・担任・大学病院系の看護師・保健師)は皆、口を揃えて『B型作業所と入所したグループホームとの往復』しか想定していない未来像を持ってくるので、
「え?短期の食品工場とか、印刷工場とか、軽度作業の工場とか、清掃・軽作業専門の派遣や障害枠だと、ダウンの人が入ったり普通にしているから、息子レベルでもいけるんと違う?」
と思って、『障害のある労働者のB型作業書への囲い込みと、福祉の利用の予約塩漬け』が息子にも普通に適応されているような気がして、
「やってみてあかんかったら、スライドダウンしてみればいいわけで、最初から低レベルにスライドダウンしてどうする!」と内心思い、それでも面と向かっては言い返せなくて「うーん」と黙っていたのですが、

とうとう息子も発達の塩漬けコースが適応になるほど、知的と発達の状態が良くなってきているようなので、『ある意味ステップアップしている』ということととらえるようにしています。

心疾患で発達だけだと、心疾患由来のASDで、大学進学して引率して身体枠でサラリーマンして、心臓の状態が悪苦痛金が無理になってきたので在宅勤務している、SNSでの知人がいます。実家ぐらしでも一人で経費をまかなえて、治療のための貯蓄もして、心臓がとうとう悪くなって在宅になるまでは、軽く通学や、通勤や、軽い自転車乗りを楽しんでいたそうです。
いま、20代後半から少しでも長く生きるために、心機能の改善について息子にしたことを教えてほしい。と、必死で質問が入ってきます。よくディスカッションしています。

息子とその人の障害レベルは最初から違いますが、だんだん障害程度が近づいてきているのがわかって、嬉しいです。心機能改善のための意見交換も、新たな視点を得られて、助かっています。

浅見社長のご指摘も嬉しいです。
ありがとうございます。障害枠目指してできることを増やしていこうと思います。

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智ママ

発達検査にいってきました。

前回9歳   発達年齢(DQ) 今回11歳 発達年齢(DQ)  
運動        (32)  なし(計測せず)   
認知・適応 3歳9ヶ月(38)→ 4歳2ヶ月(36)
言語・社会 4歳6ヶ月(46)→ 5歳3ヶ月(46)
全領域   4歳2ヶ月(43)→ 4歳9ヶ月(42)

となっていて、心理士の指摘・振り返りだと、
息子の応答力は前回よりも増加しており、問題を確認して取り組むのに、概論だけだと戸惑って固まってしまうのですが、区分ごとに区切って質問すると、ほぼ綺麗に正答していたそうです。
単独の指示だと、すぐにスッと課題に取り組むことができたのですが、
ひらがなで見本を見せて書き写すとか、積み木で見本を見せて、見たとおりに模型を作るなどの複合動作が必要な課題になると、視覚と脳梁を使って、複数の脳を使って情報処理をしなければならないため、全くお手上げ。という特性がハッキリと見られたそうです。

課題に辛抱強く取り組むという美点が強く見られるので、
・指示を細かく位置操作ごとに区切って指示をする
・具体的に作るなどの指導の工夫を付け加える
ことが、息子の作業や、仕事の成功に至るまでの指導の鍵を握ることになるということでした。

女性心理師「通常、当人が伸びていなければ(発達年齢に変化がなければ)、周囲が伸びるので、相対的に発達指数は下がるのですが、息子さんの場合、息子さんなりに伸びているため、珍しく発達指数に変化がない、という結果が出ました。これは、すごいことです!区分はBです。」
報告を受けた担任教諭「そこは、(支援級の)教師の腕の見せ所で、いかに(発達を)伸ばして発達指数を下げないように指導して伸ばしていくかが、ポイントなんですよ。大抵、どれだけ頑張って指導していても、下がっていくときが多いのですが、息子さんの場合は、まあまあですね」

支援学校勤務歴のある支援級担任教諭の分析によると、STで言語が7歳相当と出ているのに、言語・社会になると5歳3ヶ月と出ているのは、言語の伸びを、社会部分が低い方に引っ張って、トータルで5歳3ヶ月なわけで、社会単体だと3歳後半から4歳前半くらいだったのではないか?とのことでした。
遺伝子異常からくる知的からの認知の低さが、適応の点数の良さを引っ張って、4歳2ヶ月という成績ということは、認知自体だと3歳後半から4歳スレスレの可能性がありますね。とも指摘していました。

息子の指導に発達検査を活かすとしたら、言語の伸びは置いておいて、社会の常識や慣習の知識を増やすこと、認知の弱さをカバーできるように、1操作ごとの入れ込み(指導)で記憶保持とルーティン化を促すこと、どんなコンディションであっても、一定の仕事率が提供できるように指導をしていくこと。
ということでした。

息子の場合、一見言語が高くて応答もハキハキしているため、上方修正されて『これぐらい喋れる人なら、これぐらいできるだろう』と仕事をふると、全然作業が進んでいない。(実際は、程度を噛み砕いて教え込んでいかないと、実際には動けない)というアンバランスさが教師からよく指摘されていましたが、今回はそれが際立った結果になりました。

次回の発達検査は4年後です。
それまで、息子特有の特徴と、思考の癖をうまく活かす形で、家庭で家事手伝いをさせて、仕事の上でできること、就業要素を増やして、家庭でも養育していこうと思います。

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智ママ

息子が一人登下校を始めて、3ヶ月になりますが、最近、帰宅時間が10分、15分遅れて自宅に着くのが普通になりました。道草をしているか、帰りがけに他の子と、お喋りをして帰っていると思われます。

「そうですか!4月から一人登下校していますか。お母さん、少し時間が遅れてカエルコtがあったって、『遅いやないの!』と智くんを怒ってはいけませんよ!それは成長の証です!途中で道草したり、お喋りしたり、観察したりすることが、発達にはとても重要ですからね!」
と金曜日のSTが、いつのまにか進んでいた息子の発達に喜びながら、断言していました。

ルーティンから外れた行動をとっても、また軌道修正できるようになることが、発達の進歩の目安となるのでそうです。また、将来就労先から自力で帰れることで、自動車の送迎がない作業所も選べるようになるから、いいですよ!ということでした。

私は、自分の小学校高学年のときが、道草がないと家庭と小学校がどちらも地獄だった時期が長いので、
「道草バンザイ!でも、帰宅予定時間を30分以上過ぎても戻らなかったら、小学校に確認の連絡を入れるよ?」と思っています。
たいてい、帰宅を待ちながら、家事や出かける準備をしているので、気がつくと35分オーバーは普通です。

気長に、息子の成長を見守りたいと思います。

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智ママ

息子が朝食を作っていて皿が足りないので、「お皿持ってきて!」と言ったところ、
「目玉焼きのお皿の他に、パンのお皿も2枚一緒に持っていっていいですか?」
とお伺いを立ててからお皿を運んできました。

今までは置いてあるお皿を言われるがままに運んでくるだけだったのが、
母親からお皿のオーダーが入った→料理のパターンから必要な皿を数える→机の上にそれを置くスペースがあるか見て判断する→とりあえず疑問点が浮かんだら、上役に聞いて確認してみる
という、仕事の上で必要な判断と提案または確認が、できるようになってきていることがわかりました。

私は、ただ調理をして盛りつけていくだけで済むので助かっています。

毎日、ちょっとしたことですが、頭がよくなる方向に変化が出てきているためか、
小学校の担任も息子に教えていて、教師として張り合いがあるらしく、喜んでいます。

今週、地域の総合支援学校の中学部・高等部の授業見学(とりあえず授業のレベルと作品の完成度を確認して、息子にも見せておく)のあとに、担任の研究授業があるのですが、
「息子さん、抜群にノリがいいし、いつも張り切ってくれるから、ぜひ、研究授業の発表に、参加してほしいです!」
と午後からの出席依頼が強く出たので、
片道はタクシー利用で行ってきます。

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智ママ

中川先生の指示で、小脳にPBM装置を当てて20分You Tubeを見せ続ける。という実験を行っています。

昨日、6月5日に片足立ちをさせてみたところ、
2025年3月19日→2025年6月5日
片足立ち
右6秒→7秒
左10秒→20秒
ケンケンは
右10回→10回
左10回→10回
でした。左半身は右の右半球ですが、先に右脳が発達して、次に左脳が追いかけるそうなので、いまの息子は右能がぐんぐん伸びているということで、あとからもう半身も追いつきそうです。

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智ママ

実験の訓練をし始めて2週間が経過した息子、明らかに行動が変わってきました。

もともとの息子の朝は、
朝起きる→椅子に座って少しボーッとする→トイレに行く→手を洗う→朝食→ゴミ捨てのバイト→手を洗う→お皿を下げるバイト→身支度と準備→水筒を持ってランドセル背負って登校。という流れだったのですが、
ここ最近は、
朝起きる→トイレに行く→ゴミ捨てに行く→手を洗う→朝食を食べる→お皿を下げる→登校準備と身だしなみを整える→帰宅時間を宣言して登校。
と、起きてすぐボーッとする時間がなくなり、ゴミ捨てとトイレを重ねて、手を洗う手間を一回だけにしてしまい、何度も居間と洗面所を往復しなくてもよいように、効率よく考えて動くようになりました。

小学校の算数は、いま単位の単元に入って、10㎜=1cm、100cm=1mということをしています。桁が一つずれるのと、二つずれるのが理解できたら簡単なのですが、
『まずは自分の身長をcmとmで表してみよう』
(小数点の概念がまだ入っていないので、身長はcmだけの利用ですね)
となっています。

小6の夏になりましたが、まだ知的が伸びているので驚きです。

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智ママ

実験を毎日、指示通りに続けております。

バイオ・ニューロ・フィードバックの頻度を、週に一度程度にして、実験である、装置を毎日20分つける(当人はその時間は大手を振ってYou Tubeが見られるので、喜んで協力する)ことを続けて2週間経ちました。
バランスが取れるようになってきていることを報告すると、小脳に装置をあてて変化をみるようにしてみましょう。と指示がありました。

体調が優れないときの母親は、たいてい体力気力的にゆとりがなくてイライラしていますが、それをケアするために
「お母さん、寝室に行きますか?」
「抹茶ミルクのみますか?」(声をかけて気づかせるだけ、作らない)
「シーッ、刺激しないように、話しかけないようにしますね」
と母親の状態を読み取って、的確にケアしようとする取り組みが優れてきました。
多発奇形系のヤングケアラー(見守りと声かけ)の誕生です。

普段、支援級で支援学校勤務歴のある担任から、優しい面と、厳しい面、どちらも支援を受けながら小学校で学んでいます。息子は、令和の小学校支援級での支援を、自分がされたように学んで、
「大変な人には、こう接するものだ」と思っているらしく、母親へのケアのしかたが、令和の公立小支援級そのものとなっております。

「・・・この子、中度知的発達の支援員になるつもり?いやスタッフとしてではなく、この子の場合、まず利用者になるはずなんだけど・・いいんかな?それで・・・」
と母親は、誤推測しながら慌てております。

小学校での学業では、「3+2=□」のように、そのまま足すだけの計算式から、
1.「3+□=5」として、そのまま暗記した計算式を脳内からコピペするのではなく、ブロックを1個、2個・・・と足していって「□=2」を順算で導き出すか、
2.「3+□=5 5−3=2→□=2」で、頭の中で視点をグルンっと回して、逆算させて導き出すか、
どちらかを行わないと解けない、ます埋め算を、順算形式で解くようになりました。

木曜日の時点では、更に発展形として、「3+□=10」を出されて、「10→3と7となるので、□=7」が引き出せず、四苦八苦していたそうです。
(さくらんぼ算の考えかたを含める、10を分解して的確な数字と、足して10になる数字との組み合わせで、相補的な数字を求め、それが答えとなる。というしくみの計算式。頭を最低2回はひねらないと解けない)

今まで、5マスの、単純に足すだけの計算式はやらせていましたが、ます埋め算はやらせたことがなかったので、単純に丸暗記→コピペだけで正答を導き出していました。
小6に至って、頭を回転させないと解けない、ます埋め算がでてきたので、これまでのやり方が通じなくて、困りながらお手上げとなっているのを、担任教師から、辛抱強く取り組むように促されて、正答探しにあれこれやろうとしているところのようです。

単なる式の上での数字遊びのように見えますが、これは、将来難題にぶつかったときに、あれこれ試行錯誤するための基本的な思考の訓練ともつながっているので、重要な要素を学んでいるな。将来働くときに、難題にぶつかったときに、自力で試行錯誤せずに上役にそのまま報告して指示を仰ぐのも一つの道だけれども、指示を仰ぐ前にできることを全部試してみる能力をここで築いておくのもいいかも。と思って、自宅でゆっくりさせ気味にしています。

「足し算なんて、暗記だけでもできるじゃないですか!ます埋め算ができるようになったら、本物ですけど」と低学年時の担任が、小1で足し算を家庭学習でさせていることを告げると、そう揶揄して笑っていましたが、
いまやっと、その段階まで、遺伝子異常由来の重度の多発奇形が追いついてきたようです。
NICU医師からは、『足し算?この子のレベルだと、数の概念すら、捉えるのは難しいでしょう!』『行けて支援学校です!下手すると学校にさえも行けないかもしれません』と生後2ヶ月で宣言されていました。そこからのスタートだとすると、相当な進歩です。

順算の足し算と、ます埋め算は、算数のなかでも難度の質が違うので、これが少しでも苦戦しつつも解けるようになってきていることは、多発奇形ではありえない進歩です。

「この子には到底無理」とされていたます埋め算にとりかかれるくらいは、知的が上がってきているので(たぶん大学病院と遺伝科がひっくり返ると思います)、これからもこつこつ実験してみます。

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智ママ

小学校にリハビリ病院小児科のOTPTへの指示書と、PTメモのコピー2回の計3枚を持参して、PT推しの担任に、説明・話し合いをしてきました。

息子は小6の年度末まではPTを続けるので、それを自宅で行うことで発達の促しと姿勢の補助をし(セルフメンテナンスができるとなおよい)、
・小学校での活動がより有意義になるように家庭でももっていく方針でいること、
・中学ではPTは中止になりそうなので(子ども医療の区分が変わり、親の負担分が増加することと、中学の授業を中断してまで行う必要のある訓練かどうかが疑問視された)、
今はPTの45分の半分の時間が、『体幹の整え+自宅でも素人の母親が補助するか、自力で行える、簡単で基本的なPTとストレッチ』に特化し、
いずれは息子一人でも行えるレベルも含めて、今から教えてできるように、家庭でも促しておく。という方針にシフトしていること
を告げました。

私が手術することがなければ、ひたすら発達の促しに特化して、ガンガンいっていたのでしょうが、入院期間中、一切の発達援助がストップしたままで、息子の一週間が終わってしまったので、
「これではいけない!息子の自活要素を上げねば、今のままのように周囲の人頼みでは、セルフメンテナンスもおぼつかなくて、一人になったときに、就労・就業の維持も困難になる!今から準備しよう!」となった次第です。

親側の想像力貧困で、実際、当事者が就労する時期になったときに、
基本的な生活習慣・身だしなみを整える習慣・考え方も含めて立て直す訓練をつける習慣づけが一切なされていなかったために、身についてなくて、
支援者が基本のきか、あまりのことに頭を抱える。という話は、よくXのポストで支援者の愚痴として見かけます。

その防止のための自分から情報を取りに行く活動も、本来ならば、親が心身ともに元気でないとできないので、
・まずは親が元気でいられるようセルフメンテナンスを習慣づける
・それの転用で、息子にも教えてセルフメンテナンスを一緒に行ってスキルアップ
・最終的に、親が倒れたとか当人が入所したとかで、突然いなくなっても、セルフメンテナンスの習慣ができていれば、息子の場合、姿勢の維持や歩きの確実さを保証できるので、就業の労働の質・就労の継続が保全される
という最終的な効果を狙って、小6からコツコツ、約一年間、小学校でも教え込むことになりました。
家庭では、寝る前に、セルフストレッチとセルフ療育整体を教えて毎日二人で行い、ゆくゆくは一人でもできるようになっておく予定です。

息子だけ、支援級の特別枠にいるわけにはいきません。
担任の一存で、息子の所属するクラスの子全体が、ゆくゆくは一人で就労維持するために、施設またはご家庭で、老いてきて日常の世話だけでもようやっとになってきた親が手をかけられなくても、セルフで身体メンテナンスをできて、発達の促しの他に、セルフメンテナンスの習慣をつけておく。とすることで、各人の人生レベルでの補助を行う。ということになりました。

公立小学校の子どものいる家庭は、は、意欲のある、しっかりしたご家庭ばかりではありません。
運悪く親御さんがそうでない家庭でも、セルフで発達や労働の質がよくなるチャンスは、少しだけだけれども、授業で受けられて、学べる。ということが、たまたま息子の小学校でかなったので、発達の促しがなされていないご家庭のお子さんにも、恵みが届くようになりました。

そのため、生活の時間の半分の時間は、ねこちゃん体操と発達を伸ばすためのストレッチ、半分は各人にセルフストレッチのやりかたを教えて、各自でさせる習慣づけを行うことで、中学からの就労を想定した訓練だけの生活でも、家庭でメンテナンスして自身の健康を保つことができるようにしておくことになりました。

以上、息子の通う支援級の方針についての報告でした。

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智ママ

息子の所属する公立小学校支援級では、4年前から、発達の改善のために、『ねこちゃん体操』を、最低でも週に2回、普通は週に5回、マットを引いて行わせて、どんな家庭環境の子でも、発達の促しになる刺激が得られるようにしています。

我が家では、それに加える形で、勝手に独自で試みを行い、データをとっていっているのですが、形質発現能が健常人の半分しかないケースでも、それなりに伸びてきているので、データを提供していっています。

本日、図書ボランティアのために小学校に出向き、ボランティア後に小学校内を散歩して、息子の作品や、音楽での合同授業などを教室のドアに付いている窓越しに眺めたり、作品の写真を撮ったりしていました。

私の姿を見つけた支援級担任が、書類書きの手を止めて、話をしに廊下へ出てきてくれました。
「聞いてくださいよ、智ママさん!息子さん、とうとう『ねこちゃん体操』のブリッジするところで、片足をあげられるようになったんですよ!!」
え?生まれつきの遺伝子異常で、形質発現能は人の半分しかなくて、その影響で筋肉の緊張も柔らかくて、なかなか筋肉がつきにくい息子が?ブリッジして、さらに片足を上げた?

最近、体感が強くなるだけでなく、バランスを取るのも一気に上手になってきて、コップに八割入れた水を、こぼさずに運んで、自力で服薬に使うようになったよね!うん、進歩!と思っていたら、ブリッジで方足あげられるようになったんだ・・・

しているのはミトコンドリアの活性アップのはずですが、どうやら、
ミトコンドリアの活性アップ→酸素消費量・糖質消費量が上がる→エネルギー産生率アップ→脳細胞の活性度も上がる→神経のシナプス強化(刈り込みも進む)→効率よく体を動かせるようになる→運動機能が上がる→いままで小脳が人より小さいので、バランスが取れなくて上げられなかった片足が、筋力アップも手伝って、上げられるようになる

ということらしいのです。

最近、私が風呂から上がってきて、椅子にどかっと座ると、すぐエアコンを点けて母親を涼ませようとしたり、お茶を継いだコップをもって息子に差し出していたら、配膳のバイトができる!とすぐに気づいて、私が「運んでくれへん?」と声をかけるのと同時に立ち上がってやってきて運んでくれたり。と、知能も上がって、気働きの利く男になってきたのが観察されます。

この部分は発達検査で検査されないところなので、たぶん客観的医学データに反映されにくいとは思うのですが、日常生活で気の利く男は、近畿ではとても評価が高いので、就業した際に、働く仲間とのコミュニケーションで躓きにくい男に育ってくれているようで、何よりです。

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智ママ

朝から寝起きが悪くて、起きられてもボーッとしがちな母親に
「お母さん、6:30です」「お母さん、01274です」と声かけをして、
「僕は薬を飲みます」と自分の担当を宣言して、母親に朝食を作るように促し、
母親が朝食を作っている間に、放課後デイサービスで使う算数と国語のドリル・放課後デイサービスの連絡帳入れファイルを、ランドセルに入れて、

「お母さん、(小学校の)連絡帳がまだ書けていませんよ!」
「僕が洗面所に行っている間に、連絡帳を書いておいてくださいね」
と指示を出し、手間を省くために最初にトイレに行って、それから手と顔を洗って、
「お母さん、連絡帳は書けましたか?」
と声かけをして、それから仕上がった連絡帳(小学校ぶん)を回収してランドセルに入れて
(一連の声かけと作業の結果を回収するさまが、ドラマで見た昭和の出版社の若手の担当さんみたいです。11歳はあまりに若すぎますが。)
「それでは、行ってきます!帰りは◯時になります!」
と宣言して登校する息子。

・・・私担当のヤングケアラー(見守りと声かけ)、兼、出版社の若手担当さん(やり方が昭和っぽいけれど)みたい・・・
とラ◯ンでぼやいたら、出勤中の夫が「『多発奇形の編集さん』やな」と笑いながらツッコミを入れていたので、「親の立場がないー!!」と朝からツッコミ返しをしていました。

私よりしっかりしてきたので、タジタジです。
今後が楽しみです。

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智ママ

昨日、STでした。
12:00からの訓練に11:37に大学病院入りしたので、地下の売店でほか弁を20分でかきこんで、訓練室に向かいました。

ひと通り発音訓練をしたあと、プリントに載ってある絵を見て、言葉で表現するテストを行いました。両手を30度に組んで頭を下げている絵を「痛い」と表現したり(腹痛でしゃがみ込む寸前の姿に見えたらしい)、遊具をで遊んでいる子どもの絵を見て「総合遊具(そごゆぐ)」と表記したりしていました。
耳を押さえている人の絵に「うるさい」と書くのではなくて「耳を押さえる」とそのまんま書くなど、息子の個性が出る回答が半分を占めることになり、STが喜んでいました。

会計後、スーパーで買い物をしたあとで、地下鉄東西線で烏丸御池まで移動しました。
スーパーの最寄り駅から烏丸御池まで、息子の担当だった訪問看護師がたまたま一緒になったので、報告のやりとりをしていました。

「いやー!智くん、大きくならはって!」
「これだけしっかり受け答えできて喋れるなら、支援学校中学部はもったいない!コレなら公立中支援級は普通にいけますよ!」
と目を細めて太鼓判を押していました。
彼女は職業柄、心疾患の手術後の赤ちゃんを受け持って訪問看護するので、多くの事例を知っていますが、息子の心臓レベルに重い子で、5歳までに帰天する子はまだまだ多く、その中でも、息子レベルにその後の経過と知的発達がよくなるケースは、まだないそうです。
目を細めて成長を喜んでくれました。

烏丸御池駅から烏丸線を見て、また東西線に乗って帰ろうとするとき、
“〇〇station?”
とニヤニヤ顔で訊いてきたので、
“I hope to go to 〇〇station.”
と答えると、
“OK!”「こちらです」
と会話が成立したので、英会話ができる二桁の多発奇形が、京都府に初めて、誕生したことになりました。
(息子は、小学校の英語の授業だけしか英会話は体験しておりませんが、母親が片言の英語でも、困ってる外国人観光客を見つけるとどんどん話しかけるので、『英文法を気にするよりどんどん話して慣れろ!』という方法でガンガンいっています)
報告を聞いた父親は「アルファベットが書けたら、英語マスターも夢ではないな!」と喜んでおりました。

ある日突然に、伸びてる結果をポロッと生む息子なので、まだ一緒に暮らしていると、変化が出るかもしれません。
またエピソードが起きたら、ここに報告いたします。

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