「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

智くんの成長をみんなで見守るお部屋

『発達障害、治った自慢大会!』の殿(しんがり)を務めた智くん一家のお話。
重度の障害があってもどんどん治っています。
日々楽しいエピソードがたくさん!
みんなで見守りましょう。

121 COMMENTS

智ママ

昨日、大学病院でSTでした。
訓練中に心理士としての一環で、小1向けの言葉を音声にぶんかいして、その数を言わせる問題を解きました。(例:『きかい』は「き・か・い」の3音に分解されるので、答えは「3」)
言葉を音声に分解して数える、ということはしたことがなかったので、混乱していましたが、それに慣れてくると、言葉をいったん平仮名で書いて、それを数える形ならばほぼ正答できることがわかり、自分で書いて答えようとしていました。

認知の問題?泣く様子・笑う様子・怒る様子・楽しむ様子をそれぞれ4枚絵で見せて、「智くん!泣いてるのはどれや?」と指定して、画面を叩かせるという、小1レベルの問題は、7〜8割正答していたので、「これは、なかなか進歩していますね」ということになり、STが喜ぶ。という一幕が見られました。

発達年齢4歳2ヶ月とでていますが、実年齢が10歳なので、それなりに認知力が上がってきていて、小1の問題も解けるようになってきているのが、心強いです。

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智ママ

STのため、大学病院に向かう地下鉄を待っていた息子が、「お母さん、今日〇〇さんが、算数のとき足し算を『しない!』って言って泣いてたの」「担任の△△先生が、〇〇さんのことを、怒ったの」と、突然、クラスメイトのことを報告してくれました。
さらに「僕は、全然悪くないんですけどね!」と担任教師そっくりの口調で一言付け加えることで、自分へのとばっちりの叱られを、回避する予防線を張っていました。

入学時は一語文がほぼ標準装備で、観察はあるものの、他者に積極的に関わっていこうとする行動は見られず、ぽつんと静かに教室の机に座っているだけが普通だった息子でした。
しかし、5年生になった今は、始業までの空き時間に〇〇さん(知的障害なしの軽度発達、ややこだわりと多動あり)と一緒に、育成急教室に設けられたクールダウンのためのコーナーで、一緒にビー玉を積み木で作った回路に載せて転がす遊びを、会話しながら、チャイムが鳴るまで延々と続けています。

小5にして、発達気味?の普通クラスの小1くらいには、行動や言動が普通に近づいてきました。

自宅でも、スキを見ると、息子がイケてると思って憧れている、ちょいワルな言動をする男児の口真似や、強者だと信じ込んでいる、担任の男性教諭の口調や口癖を完全コピーに近く真似して、母親に悪ぶってみたり、お笑いのツッコミもどきの鋭い攻撃を仕掛けては、もと九州人だった母親からたまに手厳しく指摘と叱責をされて、しゅんとする。という返り討ちにあっています。

それなりに、PTで習った体幹ストレッチとゆるい筋トレを続けることで、姿勢が良くなって、周りの情報が入るようになり、3年間その情報のシャワーを浴びながら療育整体を続けた結果、
息子の対人関係や他者への認知・認識力が上がって、また発達が進んで対人交流力がついてきたのだと思います。

今は、育成級で、B型作業所に確実に入れるようにするか、またはA型作業所に入ってもやっていけるように、お店での接遇を学んで、お客様に丁寧な接し方をするように指導されています。

夫は、息子に関しては本当に親バカなので、
「これ、A型いけるんとちゃうか?うまくいけたら障害者枠も狙えるかもな。多発奇形で障害者枠に入れた人はおらんで?もし入れたら、大学病院が上への下への大騒ぎやな!」と笑顔で指摘しています。

どっちみち、就労・就業中の人間関係を構築したり、助けを求めたりする人間関係力は、無いよりあったほうが仕事が捗るし、社内での人間関係も良くなるので、今は登校途中までの付添で校内では一人で登校する訓練を続けながら、家庭ではできるだけの家事や言いつけをさせて、「自分で試してみて、どうしてもできなかったら、お母さんを呼びなさいね」と、同じ空間に入るけれども、ぱっと見た目は知らんふりして放置する。声がかかったときだけヘルプに入る。という関わり方をしながら、息子が自分でする自発性を養っていこうかな?と思っているところです。

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智ママ

いま、支援級私教育の現場では、B型作業所に週5で入れることはない。週2と週3に分けて、別々の作業所で就労するしか無い。という現状を受けて、それに対応させるために、昔なら頑張ってA型に行かせていた素材の小学生にも単純作業と上役の指示に従えるように訓練の手立てをつけて、sちょっとでも進路に不安のある小学生はB型に送るよう指導し、就労先にあぶれてニート化しないよう(それでも週2の就労だけしか、支援学校でさえも保証されていませんが)安全パイを狙わせる。という動きが、2年前から顕著になっています。

公立高校も、進学率をあげるために、わざとその子のランクを落とした国立・公立大学を狙わせて受験させるという動きがありましたが、それの小学校育成級版といったところでしょうか。

それでも、発達して、できることを増やしてしまえば、進路にあれこれ囁かれることはなくなり、行きたいところに行けるようにはなるので、できることを増やして、より自立できる場所に息子を送り出してやりたいと思っております。

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智ママ

発達の受診自体はつつがなく終わり、医師がクラス委員長の話に大喜びしてうなずいていました。

待合室で待っている間にコーヒーをペットボトル一本飲んでいたので、トイレにいきたくなり、会計寸前に、息子に保険証とヘルペス薬の処方箋と診察券をもたせ、自分は会計処理のために並んでいる列から抜けて、一人行きました。

トイレから出てきて戻ってみると、息子一人で会計(会計処理手続き)を済ませて、会計所にある待合室のベンチに座って、誇らしげに「お母さん!ぼく、一人で会計できました!」「お姉さんが、親切に教えてくれました!」と言って、こちらに手を振っていました。

いま、一人で登校するための訓練として、校内での独り歩きの手立てをつけていますが、それより先に一人で会計を体験することになった、月曜日の夕方でした。

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智ママ

本日、発達の受診でした。

待合室でいつも遊んでいる、ゴム製の列車のおもちゃにも、5分で飽きてしまったので、手持ち無沙汰だった息子。
暇なのをいいことに、気切(気管切開:呼吸機能が低いために気管を切開してチューブをつけ、空気を人工呼吸器で送り込むことで生命維持をする処置)している、寝台に乗ったり、座椅子型車椅子に乗っている、寝たきりのお兄さん・若い男性の、付添の母親と思しきおばちゃん・おばあちゃんに話しかけて、相手をしてもらっていました。

いつもは、寝たきりの患者さんは、付添さんごと、『寝たきりで反応がないから』『なにかトラブルがあって死んだら、うっかりすると、自分たちのせいにされるから』『単に気味が悪いから』という偏見的理由で、人外扱いされて、一般患者である患児とその付添の母親のペアに、徹底的に疎外されることがもっぱらです。

そこに、ちょっと話をすると、明らかに少し知的障害だとはわかるけれど、人懐こい小学生(息子)がパラパラピーチクと偏見もへったくれもなく話しかけてきて、会話を楽しんでくれるので、付添として、寝たきりさんのおまけ扱いされて、一緒に疎外されている、おばちゃんもおばあちゃんも、たいそう喜んで、「ボクは、お話が上手ねえ!」と可愛がってくださいました。

いや、ねえ。
私も重度系発達の、多発奇形系の寝たきり心疾患児の母親だったから、わかるんですけど。ギャラリーから人外扱い(まともに反応する対象の人間として見られていない)されるときの空気、あれ、耐えられないほど惨めなんですよねえ。
自分の立ち位置がまったくないっていうか。それでも、気を取り直してそこにいないといけないっていうか。ただ病院にいるだけでも、いらないエネルギーを使うんですよね。

彼らの受診が終わって、寝台を運びながら「ありがとうございました!」とおばちゃんやおばあちゃんから、満面の笑顔でお礼を述べられて「こちらこそです!バイバーイ!」と手をふる息子が、人間的に本当に誇らしかったです。

一歩間違ったら、息子もあの路線を歩んでいて、付添で人生に疲れた顔をして待合室に座っていたのは、自分だったかもしれないわけですから。
自分たちは、たまたま、運が良かっただけ。
そのことを時折言い聞かせて、重度心身障害者にも、付添の母親にも、普通に接していた母親の態度が、息子にも根づいたようです。
(単に待つのに飽きていて、誰かにかまってほしかっただけかもしれませんが・・)

自分の教育は間違ってなかったな。と思えて、ほっこりした月曜日の昼でした。

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