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我が家の治った自慢

発達障害の診断がついたり、グレーゾーンと疑われたお子さんだけど

・こんな風に治ったよ
・こんなことしたら治ったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

874 COMMENTS

智ママ

8歳息子が、だんだんと、母親の言動にツッコミを入れて、口答えのようなことを言うようになってきました。

どうやら、小学校というオフィシャルと、家庭というプライベートとの区別が、はっきりしてきたようなのです。

小学校では、小3として、できることを増やすために生活訓練も含めた、字を書く・数を数える・数を書くなどの授業に勤しむ。
給食の時間も、ごはんをきれいに食べる、配膳と下膳をきちんとするなどの作業に取り組む。など、徐々に難度が上がってきて、「障害のある子だから」と免除されていた幅が、だんだん狭くなってきたようです。
それとともに、負荷がかかると感じているのか、自宅では、母親のポカにツッコむことで、自分の攻撃性を少しガス抜きしているようです。

「息子。そこは『〇〇しないでください』だよ。年上の人や、立場の上の人には、してほしくないことは、丁寧に言うんだよ」とゆとりがあるときは優しくたしなめていますが、ゆとりがないときは「こら!そんな言い方をしたらいかん!丁寧に言いなさい」とぴしっと注意しています。
もっとゆとりがなくて究極にイライラしているときは、知らず識らずのうちに、九州方式で「親や上の言うことは、きかんばいかん!」「男が泣くな!口答えするな!」とゴリゴリに息子に教え込む部分が出てくるので、厳しすぎないように、できるだけゆとりをもって、加減を調整しています。

上や親に逆らわないことは大切ですが、それでストレスを貯めて、目下にいびりで憂さ晴らしするようでは困ります。
頭が小さく、順位性の奴隷になっている、ニワトリと同じことだからです。

息子の様子を何となく見ていると、「この人(お母さん)は、僕が反発して自己主張をしても、ある程度は受け止めてくれる。自分の内心を話しても、ちゃんと対応してくれる」という信頼感が生まれたのか、「おかあさん、僕ね・・・」と、学校であったことや、自分の内心を寝る前に、布団に寝転がりながら話すようになってきました。家庭でのガス抜きは、単なる反発ではなく、親の対応を試す、一種の試し行為でもあったようです。

だんだん、3歳〜5歳の頃のように、困ったら言い聞かせて、ダメなら実力行使で小脇に抱えて持ち運ぶ、という荒業と、言い聞かせるだけで言うことを聞いてもらうことが難しくなってきました。

息子を「何かと通院や服薬などの、面倒を見ないといけない多発奇形系の知的障害児」としてではなく「理解は拙くてゆっくりだけれど、それなりに考えて自己主張もある8歳児」として取り扱うようにしたら、意外とあっさり「いいよ?」とこちらからの申し出を聞き入れるので、息子の応答にはまだ上から目線が残っているので頭がいたいですが、自分の立場・立ち位置が理解できるようになるには、まだ時間がかかるかな?と思って、見守りながら対応していっています。

家庭以外と家庭との、オフィシャル⇔プライベートの使い分けができるようになって、それぞれの態度が微妙に違ってくるのは、かなり世間知ができて、何より家庭の人間関係に安心感がないと見られないことですので、
たまにある小3の『小学生の主張』をこちらも楽しみながら応対し、単身赴任先から帰宅してくる夫が、これは生意気すぎると判断したら、ガツンと締める。という形で修正していっています。

第二次性徴期特有とされる反抗期が、今から楽しみです。

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智ママ

本日、入院中に約束していた、ぶぶ漬け府立植物園に紅葉を見せに連れていきました。

ここ2週間の冷え込みが効いていて、府立植物園では、鮮やかな紅葉が楽しめました。

九州から自宅の留守番、兼、物品運び、兼、観光のバカンスに来ていた、息子の母方祖父母も、植物園の広大な敷地に野趣あふれる配置の紅葉に、大喜びで孫と一緒の写真と動画を撮っていました。
動画を撮りすぎて電池がなくなるほどでした。

その後、新幹線の止まる駅で遅い昼ごはんを食べて、地下鉄と私鉄で伏見の大手筋商店街界隈の、昔の伏見の街並みと30石船の船着き場や寺田屋を歩いて見せて回って、歩きくたびれた頃に、バスで竹田駅に出てから帰りました。

帰りの地下鉄の中で、列車のガラス窓に映った自分の顔をじっと見て、息子が一言。
息子「僕、ハンサムになった」
私「…そう(笑)」
主観的に見ても、自分が他の子どもと違う鼻ぺちゃな顔立ちなのは、息子自身が気になっていたらしく、時々、鏡を片手に、ゴリラみたいにぺたんこの鼻の頭を指で摘んで、高さが出ないか弄っていたのは知っていました。

今回受けた修整手術で、明らかに鼻の高さが出て、顔立ちの印象が一気に変わったので、自宅に帰ってきてからも、ずっと前から『なんちゃってスマホ』にして遊んでいる、壊れたファンデーションのパクトの鏡の部分を手にして、しげしげと顔の手術跡を見ていた息子。

外出して、他の人と比べて、自分なりの美意識で、「自分が、ハンサムになれた」とわかったようなのです。

帰宅してラインで夫に伝えると、3分間で、wマークが25個繋がった回答が出てきました。
「美男子になれた、とわかったんやな(笑)」
「長谷川一夫みたいに、鏡をずっと手放さずに、飽きずに自分の顔を見てるよ」
「トム・クルーズじゃなくて、トモ・クルーズやな(笑)」
と、ぶぶ漬け人の夫がラインで盛んに茶化していますが、重度の口唇口蓋裂(両側性口唇口蓋裂)の子にとって、『普通の顔になりたい』というのは、本当に一種の悲願なので、夢が早くに叶って良かったね!ではあります。

ひょっとしたら、形成外科医は、小3あたりからイジメが起きやすいことを逆にとって、息子の鼻を成長する自前の組織で高くしたのかもしれません。

そして、自分がハンサムになった。と呟くくらいは、息子に美醜の概念ができていて、自分の顔について葛藤があったことと、それが手術で解消されて、戸惑っていることがわかりました。

まだ切開した部位が瘡蓋と糸がついているので、ぱっと見はかなりおどろおどろしいのですが、当人は鼻筋のラインが修整手術でスッとなったことが、たいそう満足なようです。

明日の登校での反応が楽しみです。

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智ママ

本日、リハビリ専門病院での小児科受診とPTでした。
小児科受診で、
・自力でお風呂の蓋を開けて湯船に浸かって、温まったら出てくるようになった(身体洗いと頭洗いは解除が少し必要)
・転びかかったときに体勢を立て直して転ばなくすることができるようなった
・朝6時半から夜8時半までほとんど喋っている
・会話に深さと広がりが出てきて語彙も増えたと心臓医師より指摘あり
・喉が乾いたら自分で冷蔵庫からザバスを取り出してきて蓋を開けて注いで飲むようになった
・80m走の練習のときはゆるく走っていたのに本番で50m走に変更されると、観客にいいところを見せようと全力疾走したので担任が青ざめていた
(状況の変化を理解して振る舞いを変えて振る舞えるようになった)
・片足立ちが以前の受診時は両足とも3秒未満だったのが、右足4秒、左足8秒に伸びた
・階段の交互足使い降りをマスターした、飛び降りもできるようになった
・文字はカタカナを、足し算は+2までできるようになった

と、伸びが著しいことがわかったので、小児科医のおばあさん先生は大喜びで、「まだ伸びてますから、PTは続けましょう」とPTが継続になりました。

PTでは、「智くんは腹筋が弱いので、それを補うために猫背になって、肩を丸めて肩甲骨を開いて、それらのカーブで腹筋の弱さをカバーして歩いています」
「これは意欲の有る無しではなくて、身体の作りの問題です。腹筋を簡単な刺激込みのゆるい筋トレで刺激を与えて鍛えることで、幾分かは姿勢維持に働きかけて、姿勢をよくして視界をよくすることはできます」と言って、腹筋を鍛えてというより、刺激を入れていました。
すると、姿勢がしゃんとして歩きやすくなっていきました。
これまで、息子の姿勢が悪いのは、発達障害特有の偏った興味だからではなく、身体の筋肉の仕様が遺伝子異常で柔らかく低緊張にできているので、身体全体で背骨を曲げて肩を丸めて肩甲骨も開き。腹筋が弱弱でも何とかして歩いて、情報や刺激を得られるようにカバーして、それで生存に必要な情報を得ていたことがわかりました。

息子の場合は『興味が狭くて内向性だから猫背』ではなくて、『腹筋が弱くても歩くために猫背』だったようです。

元々、外好きでよく話しかけるので、私よりもかなり外交的なのに猫背でおかしいなあ?と思っていましたが、本日謎が解けてホッとしました。

入院中も、PTのメモノートを使ってトレーニングさせようかと思っています。

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智ママ

遺伝子異常からの多発奇形の8歳息子。
3日前から『○+2』(○は20までの数が入る)を一日1ページだけ、一日のノルマ国語5ページ・算数3ページの中に混ぜ込んでさせていると、
今日に、やっと「+2は、隣の隣の数」という法則に気づいたらしく、口頭での計算の正答率が上がって8割くらいになりました。
(数字はへにゃ字で読みにくいので)

脳室拡大で脳が1/6なくても(右脳後ろ1/3がありません)、法則を自力で見つけることができる頭になってきたようなのが嬉しいです。

遺伝子異常由来の多発奇形児で、さらに器質的障害と知的障害があるのに、一桁の足し算(5歳向けレベル)にトライできているレベルの子が、まだ息子だけなので、全くの前人未到領域ですが。これからもそこそこさせてみようかと思います。

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智ママ

毎日、朝一番か帰宅一番に国語5ページ、算数3ページしている息子ですが、とうとう数字の書き取りを脱出して、足し算の『+1』のページに突入し、延々「+1」の問題を一日50問くらい解いているうちに、一週間ほどで「+1は、隣の数になる」という法則に気づいたようです。問題を解くスピードが上がりました。

カタカナも「『ヤ』がカーブしたら、『セ』」というように、僅かながらも、丸暗記では処理しきれない両の情報量なので、関連付けて覚えるやりかたを会得し始めました。

人間の脳は、丸暗記のような単調作業を、毎回するのを嫌って、創造性を膨らませたり、法則を見つけたりするようにできていることを、8歳息子の頭の使い方で教わったことでした。

生後2ヶ月で「寝たきりになるかも。計算なんて、とんでもない!文字が書けるようになった多発奇形を、僕はまだ知らない!」と断言して宣告したNICUの若手医師に「先生。うちの子、ようやく8歳で、足し算の法則を見つけるようになりましたけど??」と報告したい気持ちでいっぱいです。
(ぶぶ漬け流では、上記の物言いで、標準語圏で言う『あなたは、とんでもないヤブ医者ですなあ。うちの子、これだけできるようになりましたよ?あなたのかつてした宣告がひっくり返りましたよ?』という甚だしい嫌味の意味となります。)

遺伝子異常で、遺伝子発現が相当ブロックされていても、そこから来る頑固な知的障害があっても、計算をラクにしたり、カタカナをラクに覚えようとしたりするために、脳の使い方に目覚める行動は、人間共通なんだな、と感心したことでした。

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智ママ

息子が習字の作品を書きました。
毛筆でもひらがながきちんと書けるようになりました。

かつて生後2ヶ月で「文字がかける多発奇形なんて、聞いたことない!」と断言したNICU医師に、この作品を見せてみたいです。

8歳でここまでできるようになりました。
本日も習字なので、汚れてもいい格好をさせて育成級の教室に送り出してきました。

毎日が楽しそうです。

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智ママ

前回、金曜日のSTで。
心理士と言語聴覚士のダブルホルダーの60代のSTいわく、
「これは、これまでいろいろ症例をみてきた、私の勘ですけどね。」
「智くんは、たぶん重度には戻りません。これだけお話ができて、文字が書けるようになった子ですから、ずっと中度のままでいると思います。」
それは、息子がそのまま伸び続けて、発達検査で、中度判定を維持することを意味します。
重度心身障害者福祉受給者証ホルダーには、二度と戻らないことを意味します。

え?医療費の家計の負担はそこそこだけど、暮らせないわけじゃないし。
気分転換の県外ゆきも、たまにできるくらいだし。
(多くは県外への通院とセットにしてますが)

何より、息子が6年間、公立小学校の授業を体験できる(音楽と体育は、普通級に混ぜてもらって、体育は息子だけ特別のカリキュラムでしています)だけでも、嬉しくて夢のようなのに。いいのかなあ??
と、驚いて椅子に座ったままでいました。
「智ママさん。私ね、諦めが悪いんですよ。智くんみたいに、伸びる余地のある子がそのままなんて、到底、我慢できないんです♡意地でも、伸ばしますから!」
STが、『私も隠れキリシタンでしてね』とこっそり明かしてくれたかのような心強さを感じました。

「やることやってダメなら、諦めもつくさ!」
「やってみないと、わからないじゃない??」
のノリで、そのままこの歳(8歳から9歳にかけて)まで育ててしまいましたが、まだリハビリ病院でのPTの効果もあるらしく、
エレベーターに乗る他のお客などへの、周囲への配慮や、登校やお出かけ前のドリル9−10ページをすることなど、するべきことへの認識が確実にできてきているので、「まだもう少し伸びるのでは?」と思って、病院への付添で、私が疲労困憊してひっくり返ったときはできませんが、できそうな時には、真面目にコツコツしています。

生まれて退院してきてからずっと続けてきていた訪問看護師の訪問も、今年度限りで終わりになり、健康に一歩、進めたことが、このことではっきりわかりました。

息子が良くなるきっかけをくださって、ありがとうございます。

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ハピネス

発達障がいのアラサー女子2人を持つ母親のハビネスです。

次女(27歳)がここで変わったので報告します。

離乳食から偏食、3歳近くなっても言葉がない、保育園での散歩は次女用にベテランの先生がつくほど多動、病院では3歳時IQ60で医師に「将来小学2年までの知能しか望めない、養護学校です」と宣告される、小学校では夜驚、相貌失認で親しい友達以外はわからない等数々の問題を持っていました。

私が大学で障がい児教育を専攻していた為、脳の別の場所で補おうと遊戯療法を取り入れた所、小学校は通常級、中学高校は私立女子校に進み、大学も出ました。

しかし、働きたくないと言い、就活したがことごとく落ち、親はまずいと焦りました。
神田橋先生に3回、栗本先生に1回、道心先生に1回、大久保先生に1回指導していただきました。
それでも就活は結果出ず。

父親が病欠で6ヵ月家で療養、給料が減って初めて「就職しなきゃ」と本気で職を探し出すようになりました。
50歳になっても母親にご飯を作ってもらうと言ってた娘ですが、母親も日々歳をとってきたのを肌身で感じ、お手伝いをするようになりました。

ここまで来て、やっと介護施設に受かり、週4で働くようになりました。腰を痛めて、1年で辞めましたが。

今は失業保険をもらって、ぶらぶらしています。
時間が出来たので、大学時代に免許を取ったがほとんど乗らなかった車を乗り回しています。
1人で沖縄に行き、スキューバダイビングを楽しんだり、友達と旅行に何回も行くようになりました。
神田橋先生に最初に勧められた絵をコツコツ描いていたので、小暮画伯にもメッセージで指導を受け、多少うまくなりました。その延長で自作のアクリルキーホルダーを大田区まで行ってお店を開いたり、残りをネット販売して小遣い稼ぎをしています。

ここまで来れたのも、花風社さんのおかげです。成人になっても発達します❗️

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智ママ

怒涛のように予定が詰まっていた9月もやっと終わろうとしています。
昨日朝、寝汗をかいたので朝からシャワーを浴びて出てきたら、息子が「もう、空腹でたまらん!」と言った様子で、前日夜に買ってきたハンバーガーをぱくついていました。
そして、私がいつも座っているパソコンの前には、私の分のハンバーガーの包みが、中身が入った状態で置いてありました。

親の腹具合まで配慮してきちんと準備したのは、初めてのことです。
思わず感動してしまった一瞬でした。

その後は、いつものように『今日も、学校から帰ってきたら、外出するかもしれないから!』と、国語ドリル5ページに算数ドリル4ページをして、You Tubeも少し見て、小学校にでかけていきました。

学校が終わってからの児童館で、『1歳9ヶ月児が8歳児(息子)のマネをして、羊のカートに乗って、ライオンのカートを室内で追いかけ、それを双方の母親が見守る』というほのぼのしたシチュエーションに、満更でもないような表情の息子でした。
お兄ちゃんとしての自覚は、小学校で担任の先生から「もう、お兄さんやからな〜!」と促されてはいるようなのですが、ようやっと彼の中にもじわじわと生まれてきたようです。

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