令和元年9月29日、稀勢の里引退荒磯襲名披露大相撲
すなわち断髪式に行ってきました。
すごい人でした。
国技館から両国駅までぎっしり行列でした。
というわけで入場に時間がかかりました。
中に入っても、土産物コーナー等黒山の人だかり。
いかに愛されたお相撲さんだったかがわかります。
お土産セットの中にはこんな本が。
最後の稀勢の里弁当。
各界有名人によるハサミ入れ。
私がぐっと胸が詰まったのは
横綱のお父上のとき、弟弟子の大関高安関のとき
そして何よりも共に闘った琴奬菊関のときでした。
17年間の土俵生活。
強いか弱いかわからないお相撲さんでした。
でも空前絶後に華があるお相撲さんでした。
弱いときもあったけど、ずいぶん気をもんだけど、それでも横綱になったのは当たり前のことだった。
そういうお相撲さんでした。
ケガがないお相撲さんでした。
そういう人だからこそ
最初の大ケガを乗り越えられなかったのかもしれなかったと思います。
もっと活躍する姿を見たかったのは本心ですが
断髪式を迎え新たな人生に乗り出す33歳という年齢はちょうど私が花風社を作った年でもあります。
ありがとう稀勢の里。
そして私の旧ブログを読む内に自然に相撲を見るようになり稀勢の里を応援するようになってしまった読者の皆さん
応援ありがとうございました。
ハラハラドキドキし通しだったと思います。
巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。
でも皆さんが応援したくなるようなお相撲さんでした。
努力家はどこの世界でも応援されますものね。
あのハラハラドキドキの日々は、もう来ないかもしれません。
いつか懐かしく思う日があるかもしれません。
皆さんの代表として、なんとかプラチナチケットを手に入れ、最後まで見届けてきました。
最後に国技館で叫びました。
稀勢の里、ありがとう。
日本一!
私にとって、稀勢の里は思い出深いお相撲さんでした。彼は、17年間も相撲を続けたのですね。とても頑張ってくれたと思います。決して強いお相撲さんではありませんでしたが、どことなく華のあるお相撲さんだったことを覚えています。
浅見さんが謝ることはないと思います。
むしろ、お相撲に全く興味が無かったけれど、興味を持つようになった読者の方もいると思います。
浅見さんの意外なところを知って、読者になった方もいるでしょう。
私も高安関何回か部屋を飛び出したことがあるのを、初めて知りましたから。
夕方はお相撲いれてましたが、家事する手を止め、正座して手を握りしめて見るようになったのは、まさしく、浅見さんがお相撲の季節になるとブログで一喜一憂されているのとFBでのコメントで「そんなに?」と思い影響を受け、気になるようになったのでした。ありがとうございます。お陰で小学生の頃、お相撲見ていたのも思い出し楽しみな夕方の習慣になりました。また正座して手を握りしめて応援したくなるようなお相撲さんが出るといいなぁ。稀勢の里関ありがとうございました!