「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

IQが上がると素直に喜ぶ理由

皆さんの中でお手元に『脳みそラクラクセラピー』の紙の本を持っている方、P55~56で愛甲さんのセラピーを受けた人のビフォアアフターの変化を見てください。

これ「治った」って言いませんかね?
『知的障害は治りますか?』が出なくても『脳みそラクラクセラピー』の段階でもうこれだけ知的障害治っていた人がいたんですね。

っていうか、なんで知的障害は治らないことになっていたんでしたっけ。
それがわからなくなってしまうほど、実は治っている人多いですよね。

こよりさんは「治りません詐欺」って言ってました。
この「治りません詐欺」はやる医者とやらない医者がいますが。

やる医者は「この子なりに伸びるけど健常児との差は開いていくばかり」とか言って医原性暗黒時代を作り出すらしい。けっ。それが嘘だということは花風社クラスタの皆さんが証明しているとおり。

ドミノさんのおうちはこう言われたそうです。

「DQやIQはその日の状態で、上がったりも下がったりもする」と病院でドクターに言われました。
「治らない」(一生そのまま?)といわれちゃうんですか…?

ちなみに、
上の子DQ58(2歳)→IQ108(6歳)
下の子IQ(だった気がする)73(3歳)→IQ103(5歳)

昨日はアルパカさんに「各種アプローチでDQ50伸びてしまった坊やのママ」という長い称号?を着けましたがドミノさんも「上のお子さんがDQ50下のお子さんがIQ30上がったママ」という長い称号を着けなくてはなりませんね。

というか、花風社クラスタくらい一般的に知的に伸びることがよくあることなら、巷で信じられている「知的障害は一生治らない」の方を返上しなくちゃいけないんじゃないですかね。

こんなこと言うと必ず「DQやIQが上がったってそんなの喜ぶべきことではない」勢力が沸いてきます。たしかにDSMでも知的障害の重度中度軽度はIQで見ていない。そんなのは『NEURO』を書いた私が一番知っています。

測定されない能力、っていうのがあるのも知っています。
たとえば先日久しぶりに出会った一応行政的には重度と言われる青年。
文字は読めないことになっている。
言葉もしゃべれないことになっている。
でも会ったとき満面の笑みで「いえい!」とハイタッチして挨拶してくれました。
お母様によると「今日は浅見さんに会うよ」と書いて伝えたらしい。
何を書いたかというと「浅見さん」と字で書いたそうです。そうしたらわかった。読めてるんじゃん。

素晴らしく気がきいて一緒にいると楽しい青年です。
明らかにIQに反映されていない人間力がある。

そんなのはわかりつつも私は読者の方から「IQ上がりました」と聴くと素直に喜びます。

なぜか?

『発達障害でも働けますか?』で座波さんが、ワーク・ライフ・バランスを政府が進める上でなぜ労働時間を取り沙汰するのか教えてくれましたね。

私はそれまでなぜか知らなかった。
でも座波さんの説明に納得し、行政の仕組みを知った。
そしてそのときに思ったのは「おそらくDSMやICDがどうなろうとしばらく行政がIQ偏重主義でいくのはやまないだろう」ということですね。
行政はきっとこの後も何かとIQを指標として使い続ける。

そして実際にIQ70以下だと教科書さえ配布しないふざけた現場もあるらしい。
だったら高くなれば次につながる道が開けるだろう。

という意味でIQが上がるのはめでたいです。
IQは能力を測るには不十分ですが行政を動かすのに使えるから。

それと、測定できない能力もあるけど、測定できる能力が上がっていれば測定できない能力もちょっとは上がっているかもしれない、とも思う。

なんていうことこの前から考えていたんですが
昨日のなお先生のブログ

これ、面白い。
IQ検査をこういう風に使うんだ。

・病気の子どもの知能を測るのにIQ検査を用いるべきではないと思っている。入院時のIQが25だったという、13年間慢性期病棟に入院していた女性は、ビタミンB3で正常に戻り、その後30年間王立大学病院で清掃スタッフとして納税者として自活し、生産的な生活を送った。

・IQ検査は健康な人の知能を測るために作られ、病気だとその人本来の知能をあらわさないのだとしたら、繰り返し測定すると病気が回復していればIQも改善するはずで、IQが高くなることは治療の進み具合を反映したものということになる。

たしかに改善をみることはできますね。

それにしても

知的障害もやはり、治る時代になってきたんじゃないのかな~。

8 COMMENTS

pandem

最初「治らない」と言われて、花風社の本に出会い、赤十字に怒りや恨みがわきましたが、どんな時代にも医療は必ず必用で、どんなやり方だろうと存続してもらわないといけないところだな、と今は思います。

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ドミノ

赤飯炊きそこねたドミノです。
だって「知的に高いけど自閉度が高い子は中学校を卒業した後は行き場が無い」と聞いていたから。
今は当たり前に高校目指してますが。
根拠の無い噂話より、目の前の子供を見なきゃいけませんね。(自立登校、着席しての授業出来てますよ)
子供の体(身長・体重)が大きくなるのが喜ばれるように、DQ・IQが伸びることも喜びです。

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浅見淳子

ドミノさん
おめでとうございます!
本当に、根拠のない噂話を信じてはいけませんね。
「一生治らない」がその最たるものだと思いますが。
これからも応援しています! どんどん治った自慢してくださいね!

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あすか

うちの娘も4歳の時にIQ74→94に上がり、現在120です。療育仲間の18人のうち、4人は同じようにIQが上がり、愛の手帳を行政に返納しました。
でも、この「脳みそセラピー」やっていません。皆さん行政の療育を受けただけです。
ちなみに娘はIQ 120(WISK Ⅳ)ですが、偏差値の低い私立中で定期テストは頑張って平均点くらいです。
IQ 120って東大生の平均らしいんですけど、娘には東大なんて到底無理です。
IQって面白いですね。

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浅見淳子

あすかさん

返上する人がそれほど多いのなら「一生治らない」は嘘ですね。
ラクラクセラピーやってないつもりでやっているご家庭はとても多いと思います。家庭での子育てですから自然にやっているおうちもあります。本が出る前にも治っていた人はいますから。
また、120あるならもう一段脳みそラクラクになれば学力のびるかもしれませんが全てはそのご家庭で決めることです。中くらいで悪いわけではないし。

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あすか

私は『知的障害が治る」という捉え方ではなく、「本来のその子の知的能力がIQに現れた」と思っています。
私はそのセラピーを知りませんし、知らず知らずのうちにやっているかはわかりませんが、療育仲間の療育はTEECHだし、その中にそのセラピーがあったんですかね。
その上で上がる子と上がらない子がいる以上、私には上の捉え方しか出来ないです。
うちの娘にしたことは構造化とソーシャルスキルトレーニングです。
娘は行きたかった学校に行って入りたかった部活に入り、友達付き合いは下手ですがそれなりに楽しく過ごしているのでこのままでいいと思っています。

すみません、知的障害が治る治らないについてはブログ主さんとは考え方が違うようなので多分お互いに受け入れられないので、その辺の議論はご勘弁願います。

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浅見淳子

あすかさん

TEACCHのTはなんだかご存じですか?
Treatmentですよ。
だから
TEACCHで知的に伸びる人がいたのは否定しません。
ただまどろっこしいと思っているだけです。
伸び率も低いし、伸びる子も限られているからです。

お子さんが伸びられ、このままでいいと思っているのなら、結構な話です。

あすかさんのおうち、またその他の知的に伸びたおうちで脳みそラクラクセラピーをなさっていたかは知りませんし別にこちがら知る必要もありません。
ただ「うちはやっていない」と言い切るのなら、本はお読みにならないと説得力がないです。
これは読んでくれというわけではありませんよ。
ただ「うちはやっていない」と断言するのなら読んでから断言してください、ということです。官の提供する療育と脳みそラクラクセラピーは両立可能だからです。
本が出る前にやっていたおうちはたくさんあり、そういうおうちは読んでみて「ああだからうちは治ったんだ」と納得したのです。

議論もしたくないのにやってきたのは、官の療育を守りたいからかもしれませんが、巷の噂と違い、花風社は療育を全否定していませんよ。読んだことのない人が勝手にデマを言っているだけです。
現にここに集う多くの仲間が療育を受けています。
ただ主体的に選んでいるし、抜ける時期がきたら主体的に抜けていますが。

議論がいやならもう来ないでくださいね。

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シア

私が、花風社の本が好きなのは、読んでいて、明るくなれるからです。
よかった!よかった!って言うふうに、思えるからなんですよ。
エビデンスの本は、統計だとか取ったりするようだけど、科学に例外はあってはならない!って言うスタンスじゃないですか。
知的障害が、治った人って実際にいるでしょう。
レナードの朝とかにもあるけど、治療で治る人だっている…だって、原因は多様なんだろうから。
逆に言えば、「け!私ら(うちの子)は治らないよ!」って言う、斜に構えた見方が嫌いなんです。
よくなるかもしれないとか、明日は治っているかもしれないとか、考えちゃいけない理由が分からないんですよ。
病気とか、障害って言うのは、その親御さんや、当事者が、何か責任があるものじゃないじゃないですか。
だったら、よくなったり、さらに、治ったりするような、努力が報われたり、そう言う人を祝福したりするほうが、全然健全に思えるんですよ。
だって、(エビデンスでだって)例外がいるならば、いつか、私の壊死だって、再生医療だとか、いろんな技術や手段や、いろんな可能性だとか、意表を突いた発見で、治るかもしれないじゃないですか。
いつか、意識を失っても、その人が回復するかもしれないし、脳死(脳が壊死)になった人とも、また、機械につながれていたって、また会話ができるかもしれないじゃないですか?
そう言うことを、不幸に見舞われた人だって、希望を持っていて悪いはずがないと思うんです。
私は、物事よい方向に見させてくれるから、悪い方向には向く理由がないし、だから花風社の本が好きなんです。
こう言う話をすると、「夢見てる」「治る治る詐欺」言う人が必ずいますが、そう言う人は治らなくていいと思うんです。

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