さて、本日はいぬこ家の治った自慢から。
いぬこ家については、実は『NEURO』にも登場していただいています。
P74から75にかけて。
弱視もアレルギーも発達遅滞も治ってしまったおうち。
そしてお子さんは志望校を中学お受験して合格。楽しく中学生活を送っていらっしゃいます。
いぬこ家の治ったは大河物語で、治った自慢コーナーでも二回に分かれているんだけど、その一回分を貼らせていただきます。
【治った我が家のざっくり経緯】
花風社本の理解と実践。
週に一度の民間のお教室。
おいしいごはんと日々の暮らし。
腕まくりで応援してくれた周囲の人々
に助けられ、中学生の今、治ってます。
↓↓
7ヶ月検診経由で低緊張と股関節開排制限
大学病院小児科、整形外科へ紹介状。
ハイハイが1歳3ヶ月。2歳時には診断、療育センターへとストレートに流れついてしまいました。
(センターは試して断りました。療育手帳も。我が家には要らなかった)
歩けないかもしれない。
何か手立てはないか。
自分の足で必死に病院を探し、
ごく近くのクリニックでいいDr.に
出会えました。
「歩けないかも?どこの医者?この子は歩く。人間も動物。
寝返りがしっかりできること。
おすわりはどうでもいい。
四足歩行をちゃんと経由した暁に、
二足歩行は出る。ハイハイ期を長く持って」
白衣を翻し、自らベットに仰向け、寝返り、四つん這いで説明してくれた女医さん。この原点を理解できて先ずすっきり。
2歳半に初歩が。
そして
「知的には『遅れる』。精神発達を丁寧に見てあげること。お母さん、貴女ならできる」ズバッと励ましを込めて。
関東に来たばかり、右も左も解らず、知人もいない私にとって、初めての友人とも言えるDr.でした。
重度のアレルギーも判り
「薬を使っても、ある時期食べるべきタンパク質はある。栄養面も勿論だけど大きくなって食べれないじゃ可哀想でしょ、親の人生じゃないからさ」
少量のアレルギー剤とタンパク質量を丁寧に見て、怖がらなくていい食卓ができました。
「みんな違ってみんないい。支援級なんて
要らないと思うんだ、私は」
こんなDr.もいるのです、足と勘で探せば。小学生で卒業。
人間も動物。
この素地と、学生時代に学んだ人体と看護、薬学、メンタルケア知識(養護教諭免許所持。自分には烏滸がましいと教師の道は歩まなかった)があったので、花風社本は全て素直に入り合点がいきました。
【幼少〜小学卒業まで】と【☆今】
◎味覚以外の感覚過敏
・触られたら拭く、手を繋げない
・短調、長調のBGM変化で泣く程、聴覚過敏
運動会は卒倒パニック→イヤーマフ
先生と皆のおしゃべりと机の音が全部聞こえる
集中できない
指示がとおらない→皆と同じに動けない
・匂いと音で外食不可
・とにかく全てが怖い
・感覚全てを使うから極めて疲れやすい
等。
◎身体と精神発達と勉学
・重度のアレルギー
皮膚、季節や天候で標高で喘息発作
・弱視
・完全反対咬合
・体育の全てが厳しい
・止めどなく喋る、難しい言葉を使う
・人の気持ちがわかりにくい等、いわゆる
典型的な特性、物語が理解できない
・漢字が書けない、ノートが取れない
・筆算がずれて解けない
【今】
☆小学中学年で感覚過敏がラクに。
乗っかるように度胸、学力全てに治りが。
(神経発達障害なので当然である)
難しい言葉は美しい言葉に。
物語に泣き、人の気持ちを思いやれる
子に育ちました。
分厚い眼鏡も、歯科矯正も卒業し、毎日キリッと制服を着て重たいリュックで元気に
いってきまーすと登校。
お金も使わず、療育も行かず、内服はアレルギー剤と陳皮だけでした。
幸せ以外の何もない今です。
含んで超えて、治っていきますよ!
なるほど。そして受験して合格した運動会の日はこんな感じで過ごされたそうです。
・朝5時出発他県(ルートは前日自分で検索、これでいいかなぁと見せる)→テント、衛生係→イヤーマフ不要で競技、綱引きで勝ち、皆とハイタッチ。泣く
→都内繁華街に一人で電車移動→待ち合わせて焼肉を腹一杯→足マッサージ、身体アプローチ→翌日の英検勉強
→実力発揮→昨日、合格が判り素直に
ひゃぁぁぁと喜ぶ。
全てを自主的にこなした
この一日だけで治りの全てが判ると思います。
感覚過敏や発達遅滞があった頃には考えられない生活をしているのですね。
親も子も。
本当に、治るって幸せ以外のないものでもないのがよくわかります。
そして改めて気づかされるのは、いぬこ家の取り組みの正しさ。
家庭生活を大事にした。身体作りを大事にした。療育は避けた。
その結果、障害児ではなく人として育てることになった。
それと、幸運でした。
いい医療者と出会いましたね。
こういう先生もいるんだなあ(ギョーカイの外には)という安心感。
いぬこ家の出会った先生は、まず、全身の障害だと理解していた。
だから発達のやり直しが効果的だとわかっていた。
そして親にきちんと正しくプレッシャーをかけた。
あなた次第よ、と。
療育行くとこれが、「お母さん頑張りすぎ」とか支援者に言われて親心に冷や水をかけられ結局治らない街道を歩まざるを得なかったりする。
昨日の私の連絡コーナーに、檸檬さんがつけてくださったレスを思い出します。
「生まれつきの脳の機能障害で治らない」から「ありのまま受け入れて生きるのが最善」と断言する人は、DSM-5も厚労省の見解も私は読んだことがありませんが、なんとなく私はそう思っているので、みんなもそう思うようにして!とやってるだけですよね。
そうそう。そう断言する人は不勉強な人。
それに加え、治したことのない人でしょうね。
おそらくいぬこ家のドクターは治った人を見てきたんじゃないかな。
そしていぬこ家の快進撃が始まります。
私が初めてお嬢さんにお会いしたときには、もうめがねはかけていらっしゃらなかった。
お母様から分厚いめがねの写真を見せられていたので、「コンタクトにしたのかな?」と思ったのですけど、視力は正常になったということ。
素晴らしい。
私はこよりさんちを思い出しました。
やはり知的に伸びると同時に弱視が治ったおうち。
そして治った自慢を見ていると、ふうりんさんのおうちもそうみたいですね。
発達援助は全身が治ります。
だって当たり前。
NEUROだもの。
どうして家庭で治るのか、その仕組みが知りたい人にお勧めの本は
NEURO
脳みそラクラクセラピー
感覚過敏は治りますか?
人間脳の根っこを育てる
ですかね。
とくに『感覚過敏は治りますか?』は「家で治るってこういうこと」ってよくわかります。
成人が自分で治すのにも役立ちますよ。
そうです。先生は治るを見てます。
後に知ったご経歴、話して下さったご自身の体験からわかります。
うちが療育センターを辞め、手帳を断ったことも勿論承知。
だけど?だから?
「家庭で頑張る熱意」にいつも真っ向から。
親次第。おうちでの大切さ。
アレルギーを持ちながらの栄養対策。
何より身体の基本。
充足するまで待てと教えてもらいました。
2歳半の初歩となると、身長体重は年齢相応の大きさに対し、支える足の関節や筋力が弱く、
本人なりにバランスを取るためか
膝から下を足裏代わりに歩く時期があって
(1関節をはしょる?)
膝は擦り剥けぱなし、痛い、でも進みたい、立ちたい、胸を詰まらせながら待ったものでした。
この時期の娘の姿は、
今でも、人生や子育ての原点というか、
他人と違う発達を経ても
なんとか身体が歩を進めた
行きたい所へ
自分の足でいける事の尊さを知りました。
大切に見届けてよかったです。
喜び勇む娘を満面の笑みで診て
先生はお勧めのハイカットの靴、シューフィッターを紹介して下さいました。
混雑中も、しょっ中待合室まで出て、急患の辛そうなお子さんを診る。先生の気迫に
お母さん同士譲り合う。
一流の地域医療ってこういうことだと思います。
ふと思い出したのが爪切り。苦労しましたが、実家に帰省時、父がむんずと手を掴み
「じいちゃんがすれば怖くなーい!
ほい!ほいの!ほいっっ!」と
一瞬でクリアさせました。
意外と、愛ある祖父母は医療者より
凄い治りをもたらすかもしれない。もっと甘えたらよかった。
浅見社長との出会いも本当に幸運でした。
思えば長いお付き合いになりました(^^)
いつも我が家の治りを応援してくださり
心から感謝申し上げます。
治そう!どっとこむができ、
忘れてた育ちを思い返す機会となり、
時折メモしながら、今のしっかり娘を見て
涙ぐむことも。
親子で身体を使う時間は一つも無駄がない。今も試験中の娘と相撲を取ってきました(^^)
と、花風社クラスタさんの料理レベルの
高さが凄い!食卓がみんな楽しそう(^^)