「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

やりきった「どこでも治そう発達障害」創立記念講演会 毒舌浅見編

当日雨の上がった博多。
講演の日はあんまり昼食を取らない私は、駅に出かけていってブランチにがつんと牛タン定食を食べました。明太子と生卵も付けた。最近には珍しく麦ご飯も完食。

今日は糖質の力も借りてATP回路を回します。
ねこ母さん、ちゅん平さんと合流して会場へ。
結局半分以上の方がzoom視聴となり、来場は35名となったそうです。
定員80名の会場にかなりばらばらに離れて座ることが可能になりました。
加湿器がもくもく。それと行ってみたら窓が開くことを発見。思っていたよりいい環境が確保できそうです。

講師席にパソコンを持ち込みzoomのホストを務める方がセットアップをしています。
後ろからのぞき込んでみました。
ホストの後ろにマスクをした自分が映ります。そうかこういう風に映るのか。
「浅見です。zoomの向こうのおともだち、こんにちは~」と手を振ってみました。
窓窓から手を振りかえしてくださる人たち。
これは楽しい!

結局有料の方がなぜかつながらず、無料版でいくことになりました。
40分に一度途切れることを前提に構成します。
まず皆様にご挨拶。
二週間早く一斉休校が決まっていたら、おそらくこの会はなかったこと。
少しでも会場の環境をよくするために、急遽zoomを導入したこと。
そしてその中で「どこでも治そう」の概念が広がったこと。
福岡は最初からあきらめていた人たちも昨日から今日にかけてたくさん参加表明してくださったこと
これから全国を巡回し、環境が許せばそれを配信することによってもっともっと「どこでも治そう」を広げることができるとわかりました。

一斉休校によって急遽出勤となりこられないメンバーもいたので、今日は私も講師が終わったら売り子をします。
みるさんも本当はお客さんなんだけど、受付を担当してくれました。
そう。リアル来場者数は減ったけど、最北からの参加者があまちゃん県、は変わらない。最南の沖縄からはなんと六名ご来場(+zoom1名)。驚異のうちなー率。沖縄でやってもよかったですかね。

マスクの似合わないうちなーの皆さんもマスクをしています。
バラバラに座っている来場者の中でただ一組だけぴったりくっついて座っている大阪から来た津田ご夫妻。
コロナウイルスもご新婚のLOVEには勝てませんね。
そんな中で私は講演を始めました。

最初はコロナ対策の話でした。
おそらく一斉休校が二週間前に決まっていたらこの会もなかったかもしれない。
でもぎりぎりまで粘ったから配信を思いついた。
そして今後ますます「治そう」とする手段を手に入れた。
ていうか、今回の一斉休校、イベント自粛、それが本当に実効性があったかどうか、判断するのは後世の人たちです。

全部そう。
日本は水際作戦に失敗したのでしょうおそらく。でもだからといって、すぐに中国人の入国を拒否していたら、ダイヤモンド・プリンセスを追い出していたら、あるいは乗客をすぐに降ろしていたら防げたかというと、もはやそれは誰にもわかりません。
何も確かなエビデンスはない中で、未曾有の事態に手探りで立ち向かうしかない。
もしかしたら今回の措置だって、後世「役に立たなかったね~」と言われるかもしれないし「あそこで一斉休校にしたのが正解だったね!」と言われるかもしれない。
それは過ぎてみないとわからないのです。

そして過ぎてみないと「正しかったかどうかわからない」のは発達障害者支援だって同じ。
そしておそらく、発達障害者支援は15年前に採用した仮説が正しくなかったのです。
いい加減負けを認めようよ。

今、この部屋に来場する人を減らし、皆さんにマスクをしていただき、加湿器を何台ももくもく炊き、化粧室を消毒し(これはみるさんがやってくれました)消毒用のアルコールジェルを置き、できるだけの換気をしているこの環境。
これは少なくとも、奈良時代より進歩しました。
奈良時代はね、疫病が起きると何をしていたか?
大仏を作ったんですよ。
このあたりは浅見のKindleオリジナル著作『発達障害者支援法は誰を救ったか?』に書きましたけど。

大仏なんか作っても、疫病は食い止められない。食い止められるはずがない。
でもそのときの知識では、他になす術がなかった。
「祈るしか方法がない」時代だったんです。
だからたいそうな祈りの対象を作るしかなかった。
「大仏作って祈ればどうにかなるだろう」という大いなる仮説にすがるしかなかった。
そしてそれがまさに発達障害者支援法なんです。
あれはただの祈りなんです。
「社会が発達障害者を理解すればよくなる」なんていうエビデンスはひとつもない。
その中で「そうだったらいいな」という勝手な仮説を立てた。それがギョーカイのやってきたこと。
そしてその仮説は失敗したんです。不正解だとわかったのです。
敗れ去ったのです。
真実ではない、とわかったのです。

だからもう
敗退した仮説にすがりつくのはもうやめようよ。「社会が発達障害を理解すれば当事者は生きやすくなる」というのはただの仮説。ただの祈り。その祈りを捧げる場としてお上は全国に護国寺を設置した。それが発達障害者支援センターです。でも役に立たないでしょ? 誰か、発達障害者支援センターがあって助かったっていう人いますか? いないでしょ? それは当たり前です。ただの祈りの場に過ぎないのですから、役に立つわけがないのです。
それなのにえらいギョーカイ人たちはまだ困ったことがあれば発達障害者支援センターに行けとしか言えない。
何も有効な手段をギョーカイが提供できない証拠です。

いい加減「社会が理解すればよくなる」というとっくに敗れ去った仮説を捨てようよ、と私は言いました。
おそらく大仏建立よりうがいや手洗いの方が役に立つ。
それが身体アプローチなんです。
社会の理解を促すより、身体への働きかけが社会との共存の近道である。
それは当然のことなんです。
ただの祈りなら実効性に限界があるのは当たり前です。
そしてそれが、ギョーカイが熱心に勧めてきた「社会の理解ガー」なんです。

かたや、花風社がやってきたことをみてみましょう。
発達障害は、治ることがわかりました。
それは神経の発達の遅れの問題だったから。
そしてどこでも治ることがわかりました。
それは、治すのに医者も支援者もいらなかったから。
発達は診察室ではなく、生活の中で起きるのだから。
そしてアセスメントの方法も、私たちはひとつひとつ手に入れたから。
それをまとめたのが自閉っ子通信第12号であり、本で言えば『発達障害でも働けますか?』です。

これまでは支援を増やすのが当事者の幸せに結びつくという仮説を追求してきた。
でも全然そうなってはいません。なぜならそれは当たっていなかったから、ウソだったからです。
支援を増やすこと=当事者が生きやすくなる、というウソをきれいさっぱり捨てましょう。

ではどうやって「神経発達を促せば治る」とわかったか?
それは『NEURO』の冒頭漫画にあるとおり
自閉っ子が持つ身体的な苦しみがどうやったら取れるか、諦めず追求し続けた人がいたからです。
それが私です。浅見淳子です。
なぜ追求したか?
それは自閉っ子たちの中に可能性を見いだしたから。
そして私自身がとてもこの社会で幸せに暮らしていて、その幸せの多くが「仕事だけではなく遊びにも回せる体力があること」に由来していると思っているから。
ここのところ、ちょっと声が詰まったのを、会場の皆様は、あるいはzoomの向こうのお友だちはわかったでしょうか。

40分で終わるつもりだったんだけど
zoomから「ギフトがあります」とか言われ、時間が延長されました。
そのせいでちょっと構成的にはぶれたものの、思っていたよりたくさん話すことができました。

これにて「どこでも治そう発達障害」創立基調講演終わり。
私は売り子業務へ。
そして本日のメインイベント、藤家さんの講演です。

続く

1 COMMENT

浅見淳子

こんにちは。浅見です。
自分突っ込みにきました。
ねこ母さんのブログみて気づいたんですけど
護国寺じゃなく国分寺でした。ていうか国分寺のつもりで護国寺って当日もしゃべってしまいました。本にはちゃんと国分寺にしてますね。護国寺は有楽町線かなんかで行くんですよねたしか。

まあこのくらいはみんなわかっていることだろうし重大ではないと思うのですが歴史上のことですのでお詫びして訂正いたします。てへぺろ。まだ歴史の試験受ける可能性のある人は覚えておいてね。大仏のついでに各地に作られたのは国分寺です。

ねこ母さんのブログも必見です。
ねこ母さんもすごい有能だったですよ。

https://blog.goo.ne.jp/annon-okiraku/e/9b0205b36647fee407e951cf7997b06e

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