「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

場の持つ力 四国初上陸高松講演ご報告 その3

さて、当日。
たにしジュニアは会場のお城で朝早くから栗本さんの指導を受けるそうです。その前にたにしさん親子と栗本さんたちはおうどんに行くらしい。
私はゆっくり起きて、屋島ビューのお風呂に入り、ひとりでうどん屋さんで朝ご飯を食べました(3うどん目)。

うどん屋さんから出てきたら雲一つない青空に。
いい日になりそうです。

私に与えられていたお題は「四国の皆様、発達障害者は発達します。大人でも子どもでも」ですが、これは主催者さんからの要望です。「治る」はまだ刺激が強いだろうということですね。「治る」はまだ早すぎるとしても「なんとか発達障害者も発達するということを四国の人にもわかってもらいたい」と主催者サイドは思われたわけですね。

でも発達障害者が発達するのは当然のことなのです。
なのになぜそれをことさらに言わなくてはならないのか。
私はこういうレジュメを作りました。

発達障害者は発達する。
このことをギョーカイもまた伝えている「つもり」かもしれません。
でも全然伝わっていません。
ギョーカイは悲観的な展望しか与えていません。
なぜならいつも余計な一言がつきまとうからです。

「適応はできるようになりますが、治るわけではありません」
「適応はできるようになりますが、生涯支援を必要とします」

ギョーカイが放つこの保険のような、責任回避のような言葉。これがついている限り、未来は限定的なものとしか受け取れていないのです。
だからこそ主催者さんはこの題を選んだ。
「治るものではない」という通念に一石を投じるために。

つまり「発達障害者は発達する」という言葉を使うとき、ギョーカイと花風社ではベクトルが違うのですね。

「治る」という言葉が時期尚早だと言われ「そうですねそうですね」と言いつつももちろん最後はそこに持って行くのは私の突破力です。

そもそも
・発達障害者は発達する
・発達障害はスペクトラムである
のなら、発達障害が治る人がいるのは当たり前でしょ。

それと、「神経発達障害」と言ったとき、ささっとペンが走る音が周囲でしたとたにしさんがおっしゃっていました。
「神経発達障害だから治ります」。
ギョーカイやギョーカイに洗脳された支援者当事者保護者にはどうしても理解できないこの論理が、参加者にも取材陣にもご臨席いただいた議員さんたちにもすっと通りました。普通の日本語を使っている人なら(洗脳されていない限り)わかるからです。

結果的には「治る」に時間を割きました。
ギョーカイの悪口もかなり言ったのですが、あとで録画を見たら私の語る顔は意外と穏やかで(当社比)、ああ私はやはり神田橋先生に言われたとおりギョーカイトラウマを脱したのだなと思いました。
なぜギョーカイが発達障害者は発達しないと信じているとわかったか。
それは私が事件の被害者として、ギョーカイのダメさ加減をよく知ったからです。
でも今の私はそのトラウマを脱し、純粋に「注意喚起」として「行政とギョーカイには乖離があり、その結果支援は玉石石石石石石混淆になっているので、たいていの支援者は石なので、本当にお子さんを思うのなら見極めが必要だという話をしました。

そして最後
「今日かなりはっきり物を言ったと思いますがこれは親譲りなんです。うちの母は栗本さんになんで結婚できないの? とかきくんですよ」と。
そしてあの重大発表をしました。

これは後からわかったことですが、今回の主催者であるM・G・P・の藤沢所長が今回花風社を呼ぶことに手を上げてくださったのは、事業所として支援者、保護者、そしてご本人の継続的な取り組みが大事だと思っていらっしゃるからでした。
そのためには事業所でも家庭でも同じように取り組めるものがあるといい。それもお金がかからないものがいい。そこにはまったのが花風社だったのです。

栗本さんは日本全国でたくさんの人の笑顔を実現しました。
そろそろ自分が幸せになっていいころです。

こうやって私の講演(理念論)は終わり、午後は栗本さんによる実践講座です。
私はほっとして、たにしさん、ねこ母さんとうどんを食べに行きました(4うどん目)。

そしてホテルに戻って運動できる服に着替えてまた会場へ。
栗本さんの講座。盛り上がっていましたね。
百四十畳の大広間が活きました。

それと最後に現地ミュージシャンピーチパインパラダイスの皆様によるミニコンサート。

お子さんがいっぱいいたから、トトロの威力がすごいなと思いました。みんなノリノリでした。
花風社の普段の講座にはコンサートとか入ったことないですが、これもいいもんだなあと思いました。

そして最後に栗本さんへの歌のプレゼント。
MISIAのEverythingです。
お祝いにレイまでかけてもらっていましたよ。幸せそうでした。

何もかも完璧な一日でした。

私はその日のうちに岡山から一気に鹿児島中央に戻るというねこ母さんを駅まで送り、途中お茶をしました。
「発達障害が治るのにはもう驚かないけど、栗本さんが結婚するのには驚いたわ。50までに独身の人が生涯未婚である確率は90パーセント?とかいう統計を読んでもうすぐ50の栗本さんはもう一生独身だな、と思っていたから。でもわからないもんだねえ。小暮画伯の結婚報告以来のびっくりだわ。あのときには2回目が数年前に実は終わってたという話と3回目の結婚式をするから来てくださいという話を同時にされてびっくりしたんだけど花風社周辺の男性陣はびっくりさせるねえ」みたいなおばさんトークをしました。

小暮画伯は結婚するとき、浅見家のように結婚30周年を目指すと言っていました。
そして寿命が伸びた今、アラフィフで結婚したってそれは可能なんです。
いい時代になったもんです。

ねこ母さんはいりこだしやらうどんやらをぎっしり鞄に詰め込んで帰ります。
遠くから来てくれてありがとう。

そして私はまた屋島ビューのお風呂に入り、打ち上げの讃岐料理へと出かけたのでした。

後日編に続きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)