ホーム全て会議室いま会議室で話していること 就活のお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE 就活について現実を語り合いましょう 330 COMMENTS 味噌ぴ 2026年3月11日 ようやく今回で終われそうです。 8時間勤務から6時間へ、当然お給料も減るし仕事の中身としても本人的には少し物足りない。その事実に少しばかり気落ちもしていましたが、帰宅が早い分を試験勉強に充てるのだからむしろ都合が良いでしょう?と伝えたらそれもそうだねと気持ちを切り替えて次の職場である市役所の任期雇用職員として、勤めた始めました。 その一方で一時間に及んだ面接の内容を検証し、次回に向けて足りないモノが何かを話し合いました。思い至ったのは暮らしでした。当時二十代後半だった彼の、生まれてからずっと続く親元での何不自由ない生活、おそらくそれが面接試験のネックだったのでは?もし彼が独り暮らしをしていたなら、面接時に転勤は可能かと聞かれても多少の動揺はあったとしても崩れなかっただろうし自治体職員を目指すなら転勤はつきもの、障害者枠だからが通用しないなら対策あるのみです。今の職場の任期は一年毎の更新で五年、その間に準備するなら急がねば。秋頃に次年度更新のお話しを頂いたので社会人下宿を探し、移る準備をしました。一挙に部屋を借りて自炊の独り暮らしは彼にはハードルが高いと思われ。高校生用の下宿も別棟で経営している大家さんと面談し、障害の話には触れず手の掛かる息子を自立させたいので先ずは下宿を、どんな風に手が掛かるかは追々と彼自身を知って欲しいと伝えました。大家さんは彼に「社会人下宿なので働いてる事が条件、無職になったら親の金銭支援あっても出て貰う」と言い彼は「大丈夫です、今は任期付きの職場ですが任期が終わっても無職にはなりませんから」と応えました。この言葉にとても嬉しくなったのを覚えています。既に8年途絶える事なく働いて来た自信がその言葉なのだと思えました。 五年の間毎年、市と道の二つ障害者枠正規雇用試験を受け続けました。当然かも知れませんが本人は年々問題を解く精度は上がって手応えを感じたらしく、けれど市の方が難しくて全く歯が立たなかったと言い、道の方はそれなりに出来たけれど結果は一年毎に合格不合格を繰り返しました。なので彼は三度目の面接試験でようやく採用された事になります。ちなみに一度目だけでなく二度目の面接試験も一時間に及びました。やはり最後は転勤の話しになり、前回の面接を踏まえて独り暮らしを始めたので、対応出来ると思いますと応えました。遠い地でも平気か親元に戻れない事も考えているかと畳み掛けられ彼なりにそこも応じたようでした。それでも、二回目もまた駄目でした。その翌年は筆記試験で敗退。五度目の挑戦でようやく彼の望みは叶いました。 全くの推察でしかありませんが、彼が採用に至るまでに必要なもの、もちろん色々あったのでしょうが彼の成長と言うか積み重ねだったのでは?と思うのです。これは今の配属先からもそれを感じていて、自治体はもう長く障害者を雇用してはいますが知的或いは精神での雇用となるとまだまだ浅いようで、彼の配属先に至っては初めての試み、失敗したくないんだろうなぁと。お役所は何事も○○白書とか○○策定計画とかに基づいて色んな事を進めているので、彼の今迄の経歴とか努力して来た姿勢とかも含まれているのではないか、要は仕事を続けられるかどうか、を見られて来たのではないかと考えています。任期付きではなく、正規雇用に値するかどうかを見るのは難しい事でしょう。なので、一時間に及ぶ面接を一年置きに三度を乗り越えての現在。 四年間お世話になった市にも感謝、皆さん応援してくださって、殊に筆記試験を通った時など次年度の契約更新時期をギリギリまで待って頂きました。彼は本当に職場に恵まれた中で働いて来られました。それゆえに頑張れたのだとも思います。もうすぐ勤めて一年が経とうとしています。まだまだ仕事もおぼつかずこれから、の彼です。先月、下宿を出てとうとうマンション独り暮らしを始めました。その話はまたの機会に別のお部屋で。長々とまとまらない話しでしたが何かの参考になればと思います。 返信する 座波 2026年3月12日 味噌ぴさん 貴重なお話ありがとうございます。 企業でメンタルヘルスサポートをしている心理士ですが、お話を伺って、新入社員、若手のみなさんに一番大切だとお伝えしていることを思い浮かべました。 それが味噌ぴさんもおっしゃっている暮らしです。 特に就職と一人暮らしが同じタイミングになったみなさんは、人生最大級の変化を2つ同時に体験しているわけですから、どちらか、もしくはどちらもうまく行かなくて当たり前なわけです。 心身反応はもちろんですが、業務パフォーマンスの低下、勤怠不良、対人関係の問題などを呈することにもなります。 そんな時にお伝えしているのは、まずは暮らしの安定が優先ということです。特に食事です。 仕事帰りにコンビニで買う、カップ麺やインスタントは当たり前、夜勤の時はお菓子で済ませている、なんて話はざらです。 なので、ここをどう安定させていくかが、暮らしはもちろん、仕事の安定にもつながることを理解してもらっています。数年経つと自炊が楽しくなっている人も少なくなかったりします。 もちろん上司、同僚といった職場との調整も必要となってきます。 就職と一人暮らしはできれば別のタイミングで取り組めるようにすることが社会適応のための適切な対処法の1つとなったりもします。 実家住まいの時と同じ業務パフォーマンスが発揮できるようになれば、それはご本人の成長の証にもなるわけです。 なお、民間企業ではお約束事として障碍者雇用率が経営課題の1つだったりもするわけですが、何かしらの診断があることで雇用率確保に貢献しながらも、障碍者枠でなく一般枠として仕事をしている方々も少なくありません。 ご本人の最大のメリットは言うまでもなく給与面です。 企業としては戦力としても、雇用率確保としても貢献してもらっている貴重な人材ということにもなります。 仕事・一人暮らしの両立とその先が楽しみですね。 よかったらまたお話を聴かせて下さい。 返信する 味噌ぴ 2026年3月12日 座波さん コメントありがとうございます。ご著書「発達障害でも働けますか?」を拝読した時、既に長男は働いておりましたので色々と参考にさせて頂きました。こだわりのコントロールやストレスについて等は彼にとって特に必読な部分でしたし、コミュニケーションは勝手に難しく捉え過ぎていて、肩の力を抜く事も出来ました。障害者だけに限らず今時の若者が読むと助かる事がたくさん書いてあるご本でした。 暮らしの事色々と参考になるお話しをありがとうございます。成長に従って問題点から抜け落ちてしまうものだと後から気づき、今一度ゆっくりですが取り組んでおります。下宿させてこのままでもとは思いましたが、本人は不自由だったようです。なので今、独り暮らしの色々な問題に直面してもおおらかに対処の相談を電話して来ます。もし転勤が念頭になかったら?果たして独り暮らしさせていたのかの答えは出せません。 実は入職時に勤務地希望届けを提出するに辺り、職場と居住地の二つがいっぺんに変わってしまうのは障害の特性上難しい、と書いて引っ越しは免れました。せめてそのくらいの配慮はあっても良いのでは?と厚かましくも願い出て受け入れられました。また今回、過去の職場において仕事内容はもちろんその他においても、保護者として口出しした事は(求人票と契約内容に齟齬があった時を除き)ありませんでしたし、今後も無いかと思っていましたが、どうしても立ち入らざるを得ない状況となり、初めて連絡を入れる事態となりました。結果として問題は解決の方向に向かうと共に今後も何かあったら必ず連絡が欲しいと言われました。当たり前ですがまだまだ発達障害は一般社会には知られておらず、お互い手探りで働き方を模索している事がよく分かりました。そして保護者の介入を良しとしてくれる寛容さに感謝しています。座波さんのようなカウンセラーは稀有な存在でしょうが、国が障害者雇用率を高めるのなら、大手企業だけでも専任アドバイザーが居てくれたらと思ってしまうのが親です。どうぞ今後とも彼らへのご支援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 返信する 味噌ぴ 2026年3月5日 初めての8時間労働は、インフルエンザで丸5日間39℃の高熱がようやく下がった翌日、年明けの正に仕事始めからでした。求人は3カ月の任期雇用で、問題なければ更新あり、との事で多少の不安もありました。けれど一月足らずで春から二年の更新を言い渡され安堵しました。8時間勤務なので仕事内容も雑務だけでなく、こなせるようになるまで随分大変そうでしたが、めげる事なく前向きに毎日ハツラツと出勤していたのを憶えています。随分と配慮をして頂いたようで、新しい仕事の前には上司が本人のやる気を確認してから教えて貰えたようで、何度かその難しさに出来ない自分を卑下した電話が、私の母に向けられていました。私に心配掛けたくないからと祖母に愚痴っていた事を、半年ほど経ってから母と暮らす姉から教えて貰いました。励ます事しか出来なかったけど、と聞かされて社会人になると親なんて何も出来ないもんだと感じました。 彼はこの職場に勤めた事で、仕事内容や環境が自分に合っていると思ったようで、公務員試験を受けると決めました。6年越しの挑戦の始まりでした。 専門学校卒の学歴はありますが、紛うことなき知的障害者でもあります。二十歳以降何度かの療育手帳更新は三十歳を前に無期限となりました。けれど、それが試験を諦める理由にはなりませんでした。障害者雇用枠と言えど筆記試験は身体も知的も一緒に高卒程度の内容とされていました。特別支援級に身を置いた中学時代の勉強の穴を埋めないと試験に挑めません。てらっこ塾の大久保さんに連絡を入れました。事情を話すと快諾して頂き、半年ほど問題集の解き方を習い、本人なりに頑張っておりました。が、そう簡単には行かずその年は筆記試験に敗退、この時に彼はもう一度大久保さんに頼ろうとしました。けれど大久保さんからは本人にやる気さえあればもう一人で出来るからとお断りされました。これが大久保さんのやり方なのだと納得しました。大久保さんは彼に勉強を教えに来てくださっただけでなく、彼に大切な事を示唆して貰えたと親子共々感謝しています。 これで彼が勉強を諦めるのなら、障害者雇用枠を受ける資格はないのです。少し気落ちしたものの独学での勉強が始まりました。勤めながらの勉強は大変だったと思います。 雇用率水増し報道の火消しに国家公務員の障害者雇用枠試験を全国一斉に各自治体で受けられたのはわずか二年(2回)だけでその後は各省庁毎に任期付き雇用が増えた程度でした。けれども地方公務員に関しては毎年続けられています。詳細は当然各自治体で違うわけですがチャンスがあるのは有り難い事でした。そこからは自治体の障害者雇用枠を二つ、即ち都道府県と市の試験を受けて行きました。任期が半年を残した時、初めて筆記試験に合格し面接へと漕ぎ着けました。勤めていた官庁の上司もとても喜んでくれて応援してくれました。 バスの便が悪く帰り迎えに行く約束をして待つ時間の長いこと。面接時間はゆうに1時間を超えました。終えて待ち合わせ場所に現れた彼の顔は真っ赤で、その後涙目になりました。???彼の言葉を待って聞いたやりとりに少し気落ちし、また来年受けようと励ましつつ反省、下調べが足りませんでした。国家公務員の障害者雇用枠求人要項には転勤なしと書かれており、私はそれを当然と受け止めましたが、よくよく考えると当然ではないわけです。彼は面接で転勤は可能かと聞かれ言葉に詰まり、ようやく頑張りますと一言をひねり出しました。北海道は広いよ、実家に日帰り出来ない地域がたくさんある大丈夫かな?と畳まれると思ってもみない質問に返答がしどろもどろになって終了。一時間以上に及んだ面接試験は完敗でした。 余談ですが、この時勤め先の上司に報告すると大丈夫じゃないかそれ、と言われたようで、ダメなら1時間も面接しないよ転勤だって直ぐじゃないでしょ?と。実は私も少しだけそれを思いました。 落とすなら1時間も面接しないでよね〜!と今もあの時をそんなふうに思い出します。 年が明けて市の臨時職員に応募、かつて1次試験合格を辞退していたので難しいかと思いましたが、幸い採用となり、1年更新で最長5年の契約、そして6時間勤務でした。 返信する 味噌ぴ 2026年3月2日 次は年明けと書きながらもうすぐ北の地にも春がやって来そうです。年末彼の仕事においてなかなかの状況が発生しその対応に年明けまで掛かりまして・・・以上、遅くなった理由いえ言い訳でした。今は前向きに落ち着いております。郵便局に勤めて一年が過ぎ転職に向けて動き出しました。当初は前回の求職時と状況は変わらず、職安に足を運び大手企業の当地支店の障害者枠求人に手当たり次第履歴書を送っては送り返される日々が続いておりました。就労支援センターも一つ話を持って来て数日研修という名のタダ働きをしてみたものの採用にはならず。そうしてしばらく見守っては来たものの、ある日(私が)耐えきれず(多少)ぶちギレて一緒に職安へ行き、採用する気の無い求人票に応募するのは疲れたから何とかして欲しいと障害者枠の窓口でゴネました、はい私が。その数日前、彼が喜び勇んで某大手銀行の当地支店で求人が出て紹介状を貰った、職安が本店に連絡を入れザックリと経歴を伝えたらとても乗り気で至急書類を送るようにと、追って面接の連絡を入れるからとの事、張り切って動いたけれど結果は面接を受ける事も叶わず書類だけが却って来ました。要は当地が田舎ゆえまだ障害者雇用が受け入れられておらず、本部の要請に従って求人票は出すが採用はしていなかった、という事でした。職安はおおっぴらには言えないらしく、表面的な業務をこなしていたようです。そして私がゴネたからではないと思いますが、重い腰を上げてここから動いてくれました。雇用率を満たしていない某大手病院に働き掛けてくれ、面接を受けさせて貰いました。が、採用した事がないからどう働いて貰うか決めかねているので、しばらく待って欲しいと言われました。もう求人が無い八方手詰まりかと思った時、障害者枠雇用の流れが変わる事件が大々的に報道されました。まだこのギョーカイにおいては記憶に新しい官庁の障害者雇用を水増ししていたという報道。これは正直私達にとって好都合な転機を迎えたという事で、田舎にもそれなりに存在している国の行政機関がこぞって障害者雇用の求人を出したのです。ちなみに面接を受けた大手病院は見本となる官庁ですら雇用していなかった事実に満足したようで、そちらでの障害者雇用は立ち消えとなりました。職安はここが自分たちの出番というように連日(財務省・法務省等の)行政機関の障害者雇用求人票を片手に連絡をくれ、面接までのあれこれを調整してくれました。療育手帳持ちに難色を示されたり、面接の場に突然就労支援センターの職員が同席し、頼んでない支援者側の意見を述べるハプニングにも見舞われ(必ずしもそのせいではないでしょうがそこは落ちました。)、4ヵ所目(国土交通省)の行政機関を受けた時の事、面接の終わりに「実はもう既に採用しようと考えている人が居て、でも君も採用したい、なのでもし今回見送らせて欲しい旨の連絡が届いたら、少し待って欲しい。もう一人別の課で求人の予定があります。今回採用出来なくても、是非次回また受けて欲しい。」と言われたんだよ。面接から帰った彼の言葉に、少しの期待が持てました。ありがたいお話しは続くもので、その日彼の元にメールが一通、初めて勤めた某行政機関の上司からのものでした。報道で知ってると思いますが求人をするので受けて欲しい、一次が筆記試験なので難しいだろうけれど、受ける準備等も助力しますから一緒に働きませんか、という内容でした。お母さんはどう思う?と問われ、働くのは自分だから自分で決めて欲しい事、筆記試験を受けるのなら準備を手伝うよと応えました。そのメールの翌日、諦めていた4ヵ所目の行政機関から採用通知が届いたのです。彼は少し考えて他の人が採用されると思っていたのに自分を採用してくれるという気持ちがありがたいので、ここに行きたいと言いました。だから今回連絡を頂いた以前の上司にその旨を返信する、と。自分で決めたのだから頑張りなさいと言うと、一生懸命にメールでお礼とお断りの返信をしていました。新たに採用となったこちらの行政機関には二年と三ヶ月お世話になりました。三ヶ月の試用期間を経て二年の臨時職員の契約、そして初めての8時間労働のスタートでもありました。 返信する 味噌ぴ 2025年12月28日 今回はちゃんと就活のお話しです。最初のは社長とお話しした治った自慢のご本の通りですので、二回目の就活からとなります。 初めての就労から三年目の夏、次の就労に向けて動き出しました。勤めていたのは財務省管轄の官庁で向こうにとっても初めての障害者雇用でもあり、当地の障害者就労支援事業所がバックアップする形での雇用でしたので、当初は1ヶ月~3ヶ月毎に相談支援という時間が設けられていたようでした。その夏の相談時、当然彼は来春からの働き先の話を出しました。そうして信じられない返答を貰って帰宅しました。曰く、次の就活は三月の雇用任期を終え失業保険を全て貰い終えた後にするもので、今そんな事をしては勤めている官庁に大変失礼である、というものでした。まぁ前回の就活の段階から当てにしてはいなかったもののさすがにこれには呆れ果て、雇用契約を結ぶ最初の段階で、いつでも就活して構わないし、より良い所があれば途中で辞めても構わない、と言われていた旨を再度(当然最初に言われた際にも)伝えると、全く憶えていなかったようでそうだったんですね~でも失業保険を貰わないなんて勿体なくないですかと言われて、どこまでも認識が食い違うのになぜここを利用しなくてはならないのかと思ったものでした。 そんなわけで普通に職安を利用し勝手に動いてみたものの、当初から田舎故か大手企業の障害者枠求人しかなく、応募するも書類審査のみで立て続けに不採用のお手紙の山を築く日々でした。そうしたある日、ダメ元で受けた(筆記試験の勉強をしていなかった)市の障害者雇用枠での一次試験合格の通知が届いたきました。そしてそれより先に受けていた郵便局の採用通知もまた同じ日に届いたのでした。郵便局の求人票には8時間雇用で半年、問題なければその後も半年毎に契約とあり、昇給ありで仕事内容は郵便物の仕分けが主でした。市は一年契約の最長五年まで、6時間雇用でした。そして今の段階はまだ一次試験に合格しただけで、採用されるかどうかは二次での面接を終えないと結果は当然分からない状態です。私たちは充分に話し合った末、郵便局勤務を選択し彼はここで二年弱を勤め、次の職場に移る事となりました。理由は二つ、8時間雇用ではなく4時間だった事と、勤務が夕方4時~8時迄なのが本人には辛かったようでした。求人票の記載と違っていた4時間雇用については勤めて一年後に保護者同伴での面談を申し入れて叶い、向こうの手違いを謝罪された上で何とかあと2時間、6時間雇用を考えたいし半年毎の契約ではなく無期でもと申し出て貰えましたが、夕方の勤務時間は変えられないとの事で、彼の意思で就活を始めなければなりませんでした。 そして次の就活を始めた際、世の中の障害者雇用はたぶん転機を迎えました。2018年の事です。長くなりましたので、また次回、年明け過ぎにお話しさせて下さい。 余談ですが、市の一次試験合格を辞退する旨を連絡した際、電話の向こうは「障害者枠の二次試験辞退」にとても驚き、後に明らかにムッとしていて、辞退するならその旨明記して提出しろとの事、様式は?と訪ねると早口で記載内容を述べて様式なんてないから早急にと電話を切られました。まぁ田舎の官庁の人事課なんてそんなもんか~と思った次第。もう一つ、次の職場が決まったからと辞める旨を伝えた郵便局の上司の方々は次の職場を尋ね皆さんとても喜んでくれて良かったねと送り出してくれました。辞める直前にインフルエンザに罹患したため最後のご挨拶に伺えず私が代わって返却物など持参した際にも同じく好対応でしたし、その後町で偶然出会った時にも温かい言葉を掛けて貰ったようでした。最初に勤めた官庁も同じくで、彼はずっと職場に恵まれました。 返信する 味噌󠄀ぴ 2025年12月15日 凄く為になるブルーさんの後に載せるのは気が引けるのですが、親の視点から少し報告させて下さい。 今年ようやく、ひとまず就活を終えた長男は今春から障害者枠の正職員として官庁勤めとなりました。 4月の第一週を終えて直ぐ、入職者全員を対象とした研修で、当地から少し離れた札幌市で1ヶ月を過ごしました。ちなみに長男の職場は専門職をサポートする行政職と言う立ち位置で、専門職の研修は半年あるのだとか。 ですから正職員としてのお勤めの準備はこの研修へ向かうため、ホームセンターで1ヶ月の荷造りをする段ボール箱を用意する事からスタートでした。 詳細は省いて、研修を終えてしばらくは、恐らく上司の方も彼にどんな仕事が出来るかを探っていたようで、決まった仕事がないと愚痴ったりもしていました。ようやく最近、仕事が忙しいと笑顔で伝えるようになり、少しだけ安堵しています。もちろん、覚える事がたくさんあるようで、また失敗もたくさんしているようで、前向きに努力しているであろう事も感じられます。 夏頃迄はずっと、割り当てられた仕事にひたすら取組む事に不安だった姿も見られ、実は一度だけ彼に言ってしまいました。「辛かったらさ、別に良いんだよ?また元に戻って任期付きの職員を受け直して勤めても」と。そうしたら彼は目を丸くして「何言ってるの?本気で言ってる?辞めるなんてそんなわけないでしょ?あり得ないよここまでどんなに長かったか。大丈夫心配しないで、仕事覚えて働けるよ大丈夫」と。 馬鹿な事を言ったなぁと反省しました。そして感心もしました、えらいな〜と。親バカです。 今のところは順調です、と報告させて下さい。先週、たくさん賞与も頂いて、私にもいつもの食費プラスアルファ、お正月とかに使ってね、と賞与を貰いました!すみませんこの部分は自慢です笑笑 正職員として勤めたのは、彼にとって5か所目の職場です。また時間をおいて、この職場に行き着く迄の経過など、お伝え出来たらと思っています。 返信する ブルー 2024年12月2日 【追記】 >障害者への企業の理解が進んだ帰結 →言うまでもなく、法定雇用率も原動力ではあります。他にも、厚労省は様々な施策を打ち出してきました。 ・定期的な法定雇用率の引き上げ ・障害者雇用の義務対象に精神障害者を追加 (※これは精神の手帳を持つ人なので、ハッタツには朗報) ・義務対象となる企業規模の拡大(小規模企業も対象) ・法定雇用率が未達の企業名を公開する、などのペナルティの作成 厚労省はこの件については随分と頑張りました。そして今後も頑張り続けるはずです。 その結果、企業社会も選別を頑張っただけの話です。そして、選別をより精緻にするために理解を深めました。 それは外から啓発する人のいう事を鵜呑みにするのではなく、実際に自社で働く障害者たちを人事評価し、また自社で働く障害者たちの声を直接聴くことによって理解を深めてきたのです。 次回からの章はそういうことを掘り下げていきます。 返信する ブルー 2024年12月2日 <人材市場サバイバル> 連載第94回 第2部分析編 第1章:社会階層 その6:民間における支援機関 (5)中学受験塾と障害者エージェントの社会的構造の相似③ 前回はこちら 就活のお部屋 ・ 今回も、中学受験塾と障害者人材エージェントの構造上の共通点を観ていきます。とはいえ前回と同じ内容なのですが、角度を変えて観てみます。 それと補足なのですが、中学受験塾と障害者人材エージェントを比較する際は規模を揃える必要があることに気が付きました。どちらの業態も大手と中小では体質が異なります。この連載では、大手の中学受験塾と、大手のエージェントを比較していることが前提になります。 ・ ■社会的選別システムの確立 この連載をお読みの方はもはやお気づきの通り、特に大都市圏の企業を中心とした障害者の社会的選別システムは確立されています。その社会的構造はこれからの時代において精緻になることはあっても、崩れることはありません。それは障害者への企業の理解が進んだ帰結です。 よって、花風社では懐かしの「社会の理解ガー」や、その現代形である「ダイバーシティガー」「多様性ガー」の言い分が企業社会に通ることは未来永劫ありません。この連載の第一部でも述べたように、これらの言い分は企業社会に対して「要求水準を下げろ」と言っているからです。つまり選別をザルにしろと言っているので、時代に逆行しています。 さらに言えば、こういう事を言う人達を弾くために、特に優良企業群における選別システムが確立したのです。 ・ ■上澄みを拾うシステム そして中学受験もまた、限定的ですが、しかし確実に児童に対する社会的選別システムとなっています。 中学受験であれ、エージェントを経由した障害者採用であれ、それぞれのフィールドで主に最上位層から上位層の人材を拾います。そのため下位層は弾かれます。 例えば、中学受験の難関校の入試問題は算数を中心としてとても難しく、かつ小学生の2割くらいしか参戦しないので、偏差値50というのが平均的な能力を表しません。すでにそれが難関です。上位2割のそのまた平均だからです。勝負の土俵に上がるだけですでに選抜されているのです。 また障害者採用において、「OpenWork 総合評点3.0以上」の企業は求人票のレベルが高いです。エージェントにカネを払えるレベルの企業だからです。そしてそういう企業は受験すると基本的に落ちます。 私も、今の勤務先以外には受かりませんでした。落ちてばかりいました。しかしそれは私が選り好みしすぎたからです。良くも悪くもやりたい仕事がはっきりと定まっていたからです。 こういった精緻かつ市場競争的な社会的選別に挑む人を支援するのが中学受験塾であり、障害者を扱う人材エージェントです。 ・ ■機会と選別がワンセット 確かに都市部には障害者雇用の仕事があります。地方では、そもそも障害者雇用以前に仕事がない地域も多くあります。その点で都市部と地方には機会の差があります。都市部に生まれた私は、生まれ地域のガチャで当たりを引いたことも確かです。 しかし都市部には障害者雇用がそれなりに数多くありますが、応募する当事者も多いです。つまり競争的な市場が形成されます。結果、障害者採用でもそれなりの待遇の求人には厳格な選抜が行われます。 つまり障害者採用というのも健常者の採用と同じで、この世に楽な道がありません。よって絶望している当事者もいます。一方、自分自身をなんとかしようとしている当事者もいます。 中学受験であれ、障害者採用であれ、機会と選別はワンセットです。これもまた、世の中のありふれた日常です。 ・ ■中学受験の経験から 私は手帳を使って転職活動をするにあたり、絶対にエージェントを使おうと思っていました。一つは人材市場に入るためですが、もう一つは、エージェントを進学塾みたいに捉えていたからです。 塾を使わずして難関校に受かる人は稀です。難関校の合格者は、ほとんどが進学塾を使っています。同様に、都市部において障害者に対してある程度の待遇を用意できる企業に入社するには、どうしてもエージェントの力が必要だと思いました。そういう発想に至ったのも、私が都市部で中学受験をしていたからです。 今回でこの話題は以上です。そして次回から章が変わります。特に今回言及した「障害者の社会的選別システム」や「ダイバーシティ」などを掘り下げます。 返信する 過去のコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 添付ファイル アップロードファイルの最大サイズ: 32 MB。 画像, 音声, 動画, 文書, スプレッドシート, 対話型, テキスト, アーカイブ, コード, その他 をアップロードできます。 Youtube、Facebook、Twitter および他サービスへのリンクは自動的にコメント内に埋め込まれます。 ここにファイルをドロップ
味噌ぴ 2026年3月11日 ようやく今回で終われそうです。 8時間勤務から6時間へ、当然お給料も減るし仕事の中身としても本人的には少し物足りない。その事実に少しばかり気落ちもしていましたが、帰宅が早い分を試験勉強に充てるのだからむしろ都合が良いでしょう?と伝えたらそれもそうだねと気持ちを切り替えて次の職場である市役所の任期雇用職員として、勤めた始めました。 その一方で一時間に及んだ面接の内容を検証し、次回に向けて足りないモノが何かを話し合いました。思い至ったのは暮らしでした。当時二十代後半だった彼の、生まれてからずっと続く親元での何不自由ない生活、おそらくそれが面接試験のネックだったのでは?もし彼が独り暮らしをしていたなら、面接時に転勤は可能かと聞かれても多少の動揺はあったとしても崩れなかっただろうし自治体職員を目指すなら転勤はつきもの、障害者枠だからが通用しないなら対策あるのみです。今の職場の任期は一年毎の更新で五年、その間に準備するなら急がねば。秋頃に次年度更新のお話しを頂いたので社会人下宿を探し、移る準備をしました。一挙に部屋を借りて自炊の独り暮らしは彼にはハードルが高いと思われ。高校生用の下宿も別棟で経営している大家さんと面談し、障害の話には触れず手の掛かる息子を自立させたいので先ずは下宿を、どんな風に手が掛かるかは追々と彼自身を知って欲しいと伝えました。大家さんは彼に「社会人下宿なので働いてる事が条件、無職になったら親の金銭支援あっても出て貰う」と言い彼は「大丈夫です、今は任期付きの職場ですが任期が終わっても無職にはなりませんから」と応えました。この言葉にとても嬉しくなったのを覚えています。既に8年途絶える事なく働いて来た自信がその言葉なのだと思えました。 五年の間毎年、市と道の二つ障害者枠正規雇用試験を受け続けました。当然かも知れませんが本人は年々問題を解く精度は上がって手応えを感じたらしく、けれど市の方が難しくて全く歯が立たなかったと言い、道の方はそれなりに出来たけれど結果は一年毎に合格不合格を繰り返しました。なので彼は三度目の面接試験でようやく採用された事になります。ちなみに一度目だけでなく二度目の面接試験も一時間に及びました。やはり最後は転勤の話しになり、前回の面接を踏まえて独り暮らしを始めたので、対応出来ると思いますと応えました。遠い地でも平気か親元に戻れない事も考えているかと畳み掛けられ彼なりにそこも応じたようでした。それでも、二回目もまた駄目でした。その翌年は筆記試験で敗退。五度目の挑戦でようやく彼の望みは叶いました。 全くの推察でしかありませんが、彼が採用に至るまでに必要なもの、もちろん色々あったのでしょうが彼の成長と言うか積み重ねだったのでは?と思うのです。これは今の配属先からもそれを感じていて、自治体はもう長く障害者を雇用してはいますが知的或いは精神での雇用となるとまだまだ浅いようで、彼の配属先に至っては初めての試み、失敗したくないんだろうなぁと。お役所は何事も○○白書とか○○策定計画とかに基づいて色んな事を進めているので、彼の今迄の経歴とか努力して来た姿勢とかも含まれているのではないか、要は仕事を続けられるかどうか、を見られて来たのではないかと考えています。任期付きではなく、正規雇用に値するかどうかを見るのは難しい事でしょう。なので、一時間に及ぶ面接を一年置きに三度を乗り越えての現在。 四年間お世話になった市にも感謝、皆さん応援してくださって、殊に筆記試験を通った時など次年度の契約更新時期をギリギリまで待って頂きました。彼は本当に職場に恵まれた中で働いて来られました。それゆえに頑張れたのだとも思います。もうすぐ勤めて一年が経とうとしています。まだまだ仕事もおぼつかずこれから、の彼です。先月、下宿を出てとうとうマンション独り暮らしを始めました。その話はまたの機会に別のお部屋で。長々とまとまらない話しでしたが何かの参考になればと思います。 返信する
座波 2026年3月12日 味噌ぴさん 貴重なお話ありがとうございます。 企業でメンタルヘルスサポートをしている心理士ですが、お話を伺って、新入社員、若手のみなさんに一番大切だとお伝えしていることを思い浮かべました。 それが味噌ぴさんもおっしゃっている暮らしです。 特に就職と一人暮らしが同じタイミングになったみなさんは、人生最大級の変化を2つ同時に体験しているわけですから、どちらか、もしくはどちらもうまく行かなくて当たり前なわけです。 心身反応はもちろんですが、業務パフォーマンスの低下、勤怠不良、対人関係の問題などを呈することにもなります。 そんな時にお伝えしているのは、まずは暮らしの安定が優先ということです。特に食事です。 仕事帰りにコンビニで買う、カップ麺やインスタントは当たり前、夜勤の時はお菓子で済ませている、なんて話はざらです。 なので、ここをどう安定させていくかが、暮らしはもちろん、仕事の安定にもつながることを理解してもらっています。数年経つと自炊が楽しくなっている人も少なくなかったりします。 もちろん上司、同僚といった職場との調整も必要となってきます。 就職と一人暮らしはできれば別のタイミングで取り組めるようにすることが社会適応のための適切な対処法の1つとなったりもします。 実家住まいの時と同じ業務パフォーマンスが発揮できるようになれば、それはご本人の成長の証にもなるわけです。 なお、民間企業ではお約束事として障碍者雇用率が経営課題の1つだったりもするわけですが、何かしらの診断があることで雇用率確保に貢献しながらも、障碍者枠でなく一般枠として仕事をしている方々も少なくありません。 ご本人の最大のメリットは言うまでもなく給与面です。 企業としては戦力としても、雇用率確保としても貢献してもらっている貴重な人材ということにもなります。 仕事・一人暮らしの両立とその先が楽しみですね。 よかったらまたお話を聴かせて下さい。 返信する
味噌ぴ 2026年3月12日 座波さん コメントありがとうございます。ご著書「発達障害でも働けますか?」を拝読した時、既に長男は働いておりましたので色々と参考にさせて頂きました。こだわりのコントロールやストレスについて等は彼にとって特に必読な部分でしたし、コミュニケーションは勝手に難しく捉え過ぎていて、肩の力を抜く事も出来ました。障害者だけに限らず今時の若者が読むと助かる事がたくさん書いてあるご本でした。 暮らしの事色々と参考になるお話しをありがとうございます。成長に従って問題点から抜け落ちてしまうものだと後から気づき、今一度ゆっくりですが取り組んでおります。下宿させてこのままでもとは思いましたが、本人は不自由だったようです。なので今、独り暮らしの色々な問題に直面してもおおらかに対処の相談を電話して来ます。もし転勤が念頭になかったら?果たして独り暮らしさせていたのかの答えは出せません。 実は入職時に勤務地希望届けを提出するに辺り、職場と居住地の二つがいっぺんに変わってしまうのは障害の特性上難しい、と書いて引っ越しは免れました。せめてそのくらいの配慮はあっても良いのでは?と厚かましくも願い出て受け入れられました。また今回、過去の職場において仕事内容はもちろんその他においても、保護者として口出しした事は(求人票と契約内容に齟齬があった時を除き)ありませんでしたし、今後も無いかと思っていましたが、どうしても立ち入らざるを得ない状況となり、初めて連絡を入れる事態となりました。結果として問題は解決の方向に向かうと共に今後も何かあったら必ず連絡が欲しいと言われました。当たり前ですがまだまだ発達障害は一般社会には知られておらず、お互い手探りで働き方を模索している事がよく分かりました。そして保護者の介入を良しとしてくれる寛容さに感謝しています。座波さんのようなカウンセラーは稀有な存在でしょうが、国が障害者雇用率を高めるのなら、大手企業だけでも専任アドバイザーが居てくれたらと思ってしまうのが親です。どうぞ今後とも彼らへのご支援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 返信する
味噌ぴ 2026年3月5日 初めての8時間労働は、インフルエンザで丸5日間39℃の高熱がようやく下がった翌日、年明けの正に仕事始めからでした。求人は3カ月の任期雇用で、問題なければ更新あり、との事で多少の不安もありました。けれど一月足らずで春から二年の更新を言い渡され安堵しました。8時間勤務なので仕事内容も雑務だけでなく、こなせるようになるまで随分大変そうでしたが、めげる事なく前向きに毎日ハツラツと出勤していたのを憶えています。随分と配慮をして頂いたようで、新しい仕事の前には上司が本人のやる気を確認してから教えて貰えたようで、何度かその難しさに出来ない自分を卑下した電話が、私の母に向けられていました。私に心配掛けたくないからと祖母に愚痴っていた事を、半年ほど経ってから母と暮らす姉から教えて貰いました。励ます事しか出来なかったけど、と聞かされて社会人になると親なんて何も出来ないもんだと感じました。 彼はこの職場に勤めた事で、仕事内容や環境が自分に合っていると思ったようで、公務員試験を受けると決めました。6年越しの挑戦の始まりでした。 専門学校卒の学歴はありますが、紛うことなき知的障害者でもあります。二十歳以降何度かの療育手帳更新は三十歳を前に無期限となりました。けれど、それが試験を諦める理由にはなりませんでした。障害者雇用枠と言えど筆記試験は身体も知的も一緒に高卒程度の内容とされていました。特別支援級に身を置いた中学時代の勉強の穴を埋めないと試験に挑めません。てらっこ塾の大久保さんに連絡を入れました。事情を話すと快諾して頂き、半年ほど問題集の解き方を習い、本人なりに頑張っておりました。が、そう簡単には行かずその年は筆記試験に敗退、この時に彼はもう一度大久保さんに頼ろうとしました。けれど大久保さんからは本人にやる気さえあればもう一人で出来るからとお断りされました。これが大久保さんのやり方なのだと納得しました。大久保さんは彼に勉強を教えに来てくださっただけでなく、彼に大切な事を示唆して貰えたと親子共々感謝しています。 これで彼が勉強を諦めるのなら、障害者雇用枠を受ける資格はないのです。少し気落ちしたものの独学での勉強が始まりました。勤めながらの勉強は大変だったと思います。 雇用率水増し報道の火消しに国家公務員の障害者雇用枠試験を全国一斉に各自治体で受けられたのはわずか二年(2回)だけでその後は各省庁毎に任期付き雇用が増えた程度でした。けれども地方公務員に関しては毎年続けられています。詳細は当然各自治体で違うわけですがチャンスがあるのは有り難い事でした。そこからは自治体の障害者雇用枠を二つ、即ち都道府県と市の試験を受けて行きました。任期が半年を残した時、初めて筆記試験に合格し面接へと漕ぎ着けました。勤めていた官庁の上司もとても喜んでくれて応援してくれました。 バスの便が悪く帰り迎えに行く約束をして待つ時間の長いこと。面接時間はゆうに1時間を超えました。終えて待ち合わせ場所に現れた彼の顔は真っ赤で、その後涙目になりました。???彼の言葉を待って聞いたやりとりに少し気落ちし、また来年受けようと励ましつつ反省、下調べが足りませんでした。国家公務員の障害者雇用枠求人要項には転勤なしと書かれており、私はそれを当然と受け止めましたが、よくよく考えると当然ではないわけです。彼は面接で転勤は可能かと聞かれ言葉に詰まり、ようやく頑張りますと一言をひねり出しました。北海道は広いよ、実家に日帰り出来ない地域がたくさんある大丈夫かな?と畳まれると思ってもみない質問に返答がしどろもどろになって終了。一時間以上に及んだ面接試験は完敗でした。 余談ですが、この時勤め先の上司に報告すると大丈夫じゃないかそれ、と言われたようで、ダメなら1時間も面接しないよ転勤だって直ぐじゃないでしょ?と。実は私も少しだけそれを思いました。 落とすなら1時間も面接しないでよね〜!と今もあの時をそんなふうに思い出します。 年が明けて市の臨時職員に応募、かつて1次試験合格を辞退していたので難しいかと思いましたが、幸い採用となり、1年更新で最長5年の契約、そして6時間勤務でした。 返信する
味噌ぴ 2026年3月2日 次は年明けと書きながらもうすぐ北の地にも春がやって来そうです。年末彼の仕事においてなかなかの状況が発生しその対応に年明けまで掛かりまして・・・以上、遅くなった理由いえ言い訳でした。今は前向きに落ち着いております。郵便局に勤めて一年が過ぎ転職に向けて動き出しました。当初は前回の求職時と状況は変わらず、職安に足を運び大手企業の当地支店の障害者枠求人に手当たり次第履歴書を送っては送り返される日々が続いておりました。就労支援センターも一つ話を持って来て数日研修という名のタダ働きをしてみたものの採用にはならず。そうしてしばらく見守っては来たものの、ある日(私が)耐えきれず(多少)ぶちギレて一緒に職安へ行き、採用する気の無い求人票に応募するのは疲れたから何とかして欲しいと障害者枠の窓口でゴネました、はい私が。その数日前、彼が喜び勇んで某大手銀行の当地支店で求人が出て紹介状を貰った、職安が本店に連絡を入れザックリと経歴を伝えたらとても乗り気で至急書類を送るようにと、追って面接の連絡を入れるからとの事、張り切って動いたけれど結果は面接を受ける事も叶わず書類だけが却って来ました。要は当地が田舎ゆえまだ障害者雇用が受け入れられておらず、本部の要請に従って求人票は出すが採用はしていなかった、という事でした。職安はおおっぴらには言えないらしく、表面的な業務をこなしていたようです。そして私がゴネたからではないと思いますが、重い腰を上げてここから動いてくれました。雇用率を満たしていない某大手病院に働き掛けてくれ、面接を受けさせて貰いました。が、採用した事がないからどう働いて貰うか決めかねているので、しばらく待って欲しいと言われました。もう求人が無い八方手詰まりかと思った時、障害者枠雇用の流れが変わる事件が大々的に報道されました。まだこのギョーカイにおいては記憶に新しい官庁の障害者雇用を水増ししていたという報道。これは正直私達にとって好都合な転機を迎えたという事で、田舎にもそれなりに存在している国の行政機関がこぞって障害者雇用の求人を出したのです。ちなみに面接を受けた大手病院は見本となる官庁ですら雇用していなかった事実に満足したようで、そちらでの障害者雇用は立ち消えとなりました。職安はここが自分たちの出番というように連日(財務省・法務省等の)行政機関の障害者雇用求人票を片手に連絡をくれ、面接までのあれこれを調整してくれました。療育手帳持ちに難色を示されたり、面接の場に突然就労支援センターの職員が同席し、頼んでない支援者側の意見を述べるハプニングにも見舞われ(必ずしもそのせいではないでしょうがそこは落ちました。)、4ヵ所目(国土交通省)の行政機関を受けた時の事、面接の終わりに「実はもう既に採用しようと考えている人が居て、でも君も採用したい、なのでもし今回見送らせて欲しい旨の連絡が届いたら、少し待って欲しい。もう一人別の課で求人の予定があります。今回採用出来なくても、是非次回また受けて欲しい。」と言われたんだよ。面接から帰った彼の言葉に、少しの期待が持てました。ありがたいお話しは続くもので、その日彼の元にメールが一通、初めて勤めた某行政機関の上司からのものでした。報道で知ってると思いますが求人をするので受けて欲しい、一次が筆記試験なので難しいだろうけれど、受ける準備等も助力しますから一緒に働きませんか、という内容でした。お母さんはどう思う?と問われ、働くのは自分だから自分で決めて欲しい事、筆記試験を受けるのなら準備を手伝うよと応えました。そのメールの翌日、諦めていた4ヵ所目の行政機関から採用通知が届いたのです。彼は少し考えて他の人が採用されると思っていたのに自分を採用してくれるという気持ちがありがたいので、ここに行きたいと言いました。だから今回連絡を頂いた以前の上司にその旨を返信する、と。自分で決めたのだから頑張りなさいと言うと、一生懸命にメールでお礼とお断りの返信をしていました。新たに採用となったこちらの行政機関には二年と三ヶ月お世話になりました。三ヶ月の試用期間を経て二年の臨時職員の契約、そして初めての8時間労働のスタートでもありました。 返信する
味噌ぴ 2025年12月28日 今回はちゃんと就活のお話しです。最初のは社長とお話しした治った自慢のご本の通りですので、二回目の就活からとなります。 初めての就労から三年目の夏、次の就労に向けて動き出しました。勤めていたのは財務省管轄の官庁で向こうにとっても初めての障害者雇用でもあり、当地の障害者就労支援事業所がバックアップする形での雇用でしたので、当初は1ヶ月~3ヶ月毎に相談支援という時間が設けられていたようでした。その夏の相談時、当然彼は来春からの働き先の話を出しました。そうして信じられない返答を貰って帰宅しました。曰く、次の就活は三月の雇用任期を終え失業保険を全て貰い終えた後にするもので、今そんな事をしては勤めている官庁に大変失礼である、というものでした。まぁ前回の就活の段階から当てにしてはいなかったもののさすがにこれには呆れ果て、雇用契約を結ぶ最初の段階で、いつでも就活して構わないし、より良い所があれば途中で辞めても構わない、と言われていた旨を再度(当然最初に言われた際にも)伝えると、全く憶えていなかったようでそうだったんですね~でも失業保険を貰わないなんて勿体なくないですかと言われて、どこまでも認識が食い違うのになぜここを利用しなくてはならないのかと思ったものでした。 そんなわけで普通に職安を利用し勝手に動いてみたものの、当初から田舎故か大手企業の障害者枠求人しかなく、応募するも書類審査のみで立て続けに不採用のお手紙の山を築く日々でした。そうしたある日、ダメ元で受けた(筆記試験の勉強をしていなかった)市の障害者雇用枠での一次試験合格の通知が届いたきました。そしてそれより先に受けていた郵便局の採用通知もまた同じ日に届いたのでした。郵便局の求人票には8時間雇用で半年、問題なければその後も半年毎に契約とあり、昇給ありで仕事内容は郵便物の仕分けが主でした。市は一年契約の最長五年まで、6時間雇用でした。そして今の段階はまだ一次試験に合格しただけで、採用されるかどうかは二次での面接を終えないと結果は当然分からない状態です。私たちは充分に話し合った末、郵便局勤務を選択し彼はここで二年弱を勤め、次の職場に移る事となりました。理由は二つ、8時間雇用ではなく4時間だった事と、勤務が夕方4時~8時迄なのが本人には辛かったようでした。求人票の記載と違っていた4時間雇用については勤めて一年後に保護者同伴での面談を申し入れて叶い、向こうの手違いを謝罪された上で何とかあと2時間、6時間雇用を考えたいし半年毎の契約ではなく無期でもと申し出て貰えましたが、夕方の勤務時間は変えられないとの事で、彼の意思で就活を始めなければなりませんでした。 そして次の就活を始めた際、世の中の障害者雇用はたぶん転機を迎えました。2018年の事です。長くなりましたので、また次回、年明け過ぎにお話しさせて下さい。 余談ですが、市の一次試験合格を辞退する旨を連絡した際、電話の向こうは「障害者枠の二次試験辞退」にとても驚き、後に明らかにムッとしていて、辞退するならその旨明記して提出しろとの事、様式は?と訪ねると早口で記載内容を述べて様式なんてないから早急にと電話を切られました。まぁ田舎の官庁の人事課なんてそんなもんか~と思った次第。もう一つ、次の職場が決まったからと辞める旨を伝えた郵便局の上司の方々は次の職場を尋ね皆さんとても喜んでくれて良かったねと送り出してくれました。辞める直前にインフルエンザに罹患したため最後のご挨拶に伺えず私が代わって返却物など持参した際にも同じく好対応でしたし、その後町で偶然出会った時にも温かい言葉を掛けて貰ったようでした。最初に勤めた官庁も同じくで、彼はずっと職場に恵まれました。 返信する
味噌󠄀ぴ 2025年12月15日 凄く為になるブルーさんの後に載せるのは気が引けるのですが、親の視点から少し報告させて下さい。 今年ようやく、ひとまず就活を終えた長男は今春から障害者枠の正職員として官庁勤めとなりました。 4月の第一週を終えて直ぐ、入職者全員を対象とした研修で、当地から少し離れた札幌市で1ヶ月を過ごしました。ちなみに長男の職場は専門職をサポートする行政職と言う立ち位置で、専門職の研修は半年あるのだとか。 ですから正職員としてのお勤めの準備はこの研修へ向かうため、ホームセンターで1ヶ月の荷造りをする段ボール箱を用意する事からスタートでした。 詳細は省いて、研修を終えてしばらくは、恐らく上司の方も彼にどんな仕事が出来るかを探っていたようで、決まった仕事がないと愚痴ったりもしていました。ようやく最近、仕事が忙しいと笑顔で伝えるようになり、少しだけ安堵しています。もちろん、覚える事がたくさんあるようで、また失敗もたくさんしているようで、前向きに努力しているであろう事も感じられます。 夏頃迄はずっと、割り当てられた仕事にひたすら取組む事に不安だった姿も見られ、実は一度だけ彼に言ってしまいました。「辛かったらさ、別に良いんだよ?また元に戻って任期付きの職員を受け直して勤めても」と。そうしたら彼は目を丸くして「何言ってるの?本気で言ってる?辞めるなんてそんなわけないでしょ?あり得ないよここまでどんなに長かったか。大丈夫心配しないで、仕事覚えて働けるよ大丈夫」と。 馬鹿な事を言ったなぁと反省しました。そして感心もしました、えらいな〜と。親バカです。 今のところは順調です、と報告させて下さい。先週、たくさん賞与も頂いて、私にもいつもの食費プラスアルファ、お正月とかに使ってね、と賞与を貰いました!すみませんこの部分は自慢です笑笑 正職員として勤めたのは、彼にとって5か所目の職場です。また時間をおいて、この職場に行き着く迄の経過など、お伝え出来たらと思っています。 返信する
ブルー 2024年12月2日 【追記】 >障害者への企業の理解が進んだ帰結 →言うまでもなく、法定雇用率も原動力ではあります。他にも、厚労省は様々な施策を打ち出してきました。 ・定期的な法定雇用率の引き上げ ・障害者雇用の義務対象に精神障害者を追加 (※これは精神の手帳を持つ人なので、ハッタツには朗報) ・義務対象となる企業規模の拡大(小規模企業も対象) ・法定雇用率が未達の企業名を公開する、などのペナルティの作成 厚労省はこの件については随分と頑張りました。そして今後も頑張り続けるはずです。 その結果、企業社会も選別を頑張っただけの話です。そして、選別をより精緻にするために理解を深めました。 それは外から啓発する人のいう事を鵜呑みにするのではなく、実際に自社で働く障害者たちを人事評価し、また自社で働く障害者たちの声を直接聴くことによって理解を深めてきたのです。 次回からの章はそういうことを掘り下げていきます。 返信する
ブルー 2024年12月2日 <人材市場サバイバル> 連載第94回 第2部分析編 第1章:社会階層 その6:民間における支援機関 (5)中学受験塾と障害者エージェントの社会的構造の相似③ 前回はこちら 就活のお部屋 ・ 今回も、中学受験塾と障害者人材エージェントの構造上の共通点を観ていきます。とはいえ前回と同じ内容なのですが、角度を変えて観てみます。 それと補足なのですが、中学受験塾と障害者人材エージェントを比較する際は規模を揃える必要があることに気が付きました。どちらの業態も大手と中小では体質が異なります。この連載では、大手の中学受験塾と、大手のエージェントを比較していることが前提になります。 ・ ■社会的選別システムの確立 この連載をお読みの方はもはやお気づきの通り、特に大都市圏の企業を中心とした障害者の社会的選別システムは確立されています。その社会的構造はこれからの時代において精緻になることはあっても、崩れることはありません。それは障害者への企業の理解が進んだ帰結です。 よって、花風社では懐かしの「社会の理解ガー」や、その現代形である「ダイバーシティガー」「多様性ガー」の言い分が企業社会に通ることは未来永劫ありません。この連載の第一部でも述べたように、これらの言い分は企業社会に対して「要求水準を下げろ」と言っているからです。つまり選別をザルにしろと言っているので、時代に逆行しています。 さらに言えば、こういう事を言う人達を弾くために、特に優良企業群における選別システムが確立したのです。 ・ ■上澄みを拾うシステム そして中学受験もまた、限定的ですが、しかし確実に児童に対する社会的選別システムとなっています。 中学受験であれ、エージェントを経由した障害者採用であれ、それぞれのフィールドで主に最上位層から上位層の人材を拾います。そのため下位層は弾かれます。 例えば、中学受験の難関校の入試問題は算数を中心としてとても難しく、かつ小学生の2割くらいしか参戦しないので、偏差値50というのが平均的な能力を表しません。すでにそれが難関です。上位2割のそのまた平均だからです。勝負の土俵に上がるだけですでに選抜されているのです。 また障害者採用において、「OpenWork 総合評点3.0以上」の企業は求人票のレベルが高いです。エージェントにカネを払えるレベルの企業だからです。そしてそういう企業は受験すると基本的に落ちます。 私も、今の勤務先以外には受かりませんでした。落ちてばかりいました。しかしそれは私が選り好みしすぎたからです。良くも悪くもやりたい仕事がはっきりと定まっていたからです。 こういった精緻かつ市場競争的な社会的選別に挑む人を支援するのが中学受験塾であり、障害者を扱う人材エージェントです。 ・ ■機会と選別がワンセット 確かに都市部には障害者雇用の仕事があります。地方では、そもそも障害者雇用以前に仕事がない地域も多くあります。その点で都市部と地方には機会の差があります。都市部に生まれた私は、生まれ地域のガチャで当たりを引いたことも確かです。 しかし都市部には障害者雇用がそれなりに数多くありますが、応募する当事者も多いです。つまり競争的な市場が形成されます。結果、障害者採用でもそれなりの待遇の求人には厳格な選抜が行われます。 つまり障害者採用というのも健常者の採用と同じで、この世に楽な道がありません。よって絶望している当事者もいます。一方、自分自身をなんとかしようとしている当事者もいます。 中学受験であれ、障害者採用であれ、機会と選別はワンセットです。これもまた、世の中のありふれた日常です。 ・ ■中学受験の経験から 私は手帳を使って転職活動をするにあたり、絶対にエージェントを使おうと思っていました。一つは人材市場に入るためですが、もう一つは、エージェントを進学塾みたいに捉えていたからです。 塾を使わずして難関校に受かる人は稀です。難関校の合格者は、ほとんどが進学塾を使っています。同様に、都市部において障害者に対してある程度の待遇を用意できる企業に入社するには、どうしてもエージェントの力が必要だと思いました。そういう発想に至ったのも、私が都市部で中学受験をしていたからです。 今回でこの話題は以上です。そして次回から章が変わります。特に今回言及した「障害者の社会的選別システム」や「ダイバーシティ」などを掘り下げます。 返信する
ようやく今回で終われそうです。
8時間勤務から6時間へ、当然お給料も減るし仕事の中身としても本人的には少し物足りない。その事実に少しばかり気落ちもしていましたが、帰宅が早い分を試験勉強に充てるのだからむしろ都合が良いでしょう?と伝えたらそれもそうだねと気持ちを切り替えて次の職場である市役所の任期雇用職員として、勤めた始めました。
その一方で一時間に及んだ面接の内容を検証し、次回に向けて足りないモノが何かを話し合いました。思い至ったのは暮らしでした。当時二十代後半だった彼の、生まれてからずっと続く親元での何不自由ない生活、おそらくそれが面接試験のネックだったのでは?もし彼が独り暮らしをしていたなら、面接時に転勤は可能かと聞かれても多少の動揺はあったとしても崩れなかっただろうし自治体職員を目指すなら転勤はつきもの、障害者枠だからが通用しないなら対策あるのみです。今の職場の任期は一年毎の更新で五年、その間に準備するなら急がねば。秋頃に次年度更新のお話しを頂いたので社会人下宿を探し、移る準備をしました。一挙に部屋を借りて自炊の独り暮らしは彼にはハードルが高いと思われ。高校生用の下宿も別棟で経営している大家さんと面談し、障害の話には触れず手の掛かる息子を自立させたいので先ずは下宿を、どんな風に手が掛かるかは追々と彼自身を知って欲しいと伝えました。大家さんは彼に「社会人下宿なので働いてる事が条件、無職になったら親の金銭支援あっても出て貰う」と言い彼は「大丈夫です、今は任期付きの職場ですが任期が終わっても無職にはなりませんから」と応えました。この言葉にとても嬉しくなったのを覚えています。既に8年途絶える事なく働いて来た自信がその言葉なのだと思えました。
五年の間毎年、市と道の二つ障害者枠正規雇用試験を受け続けました。当然かも知れませんが本人は年々問題を解く精度は上がって手応えを感じたらしく、けれど市の方が難しくて全く歯が立たなかったと言い、道の方はそれなりに出来たけれど結果は一年毎に合格不合格を繰り返しました。なので彼は三度目の面接試験でようやく採用された事になります。ちなみに一度目だけでなく二度目の面接試験も一時間に及びました。やはり最後は転勤の話しになり、前回の面接を踏まえて独り暮らしを始めたので、対応出来ると思いますと応えました。遠い地でも平気か親元に戻れない事も考えているかと畳み掛けられ彼なりにそこも応じたようでした。それでも、二回目もまた駄目でした。その翌年は筆記試験で敗退。五度目の挑戦でようやく彼の望みは叶いました。
全くの推察でしかありませんが、彼が採用に至るまでに必要なもの、もちろん色々あったのでしょうが彼の成長と言うか積み重ねだったのでは?と思うのです。これは今の配属先からもそれを感じていて、自治体はもう長く障害者を雇用してはいますが知的或いは精神での雇用となるとまだまだ浅いようで、彼の配属先に至っては初めての試み、失敗したくないんだろうなぁと。お役所は何事も○○白書とか○○策定計画とかに基づいて色んな事を進めているので、彼の今迄の経歴とか努力して来た姿勢とかも含まれているのではないか、要は仕事を続けられるかどうか、を見られて来たのではないかと考えています。任期付きではなく、正規雇用に値するかどうかを見るのは難しい事でしょう。なので、一時間に及ぶ面接を一年置きに三度を乗り越えての現在。
四年間お世話になった市にも感謝、皆さん応援してくださって、殊に筆記試験を通った時など次年度の契約更新時期をギリギリまで待って頂きました。彼は本当に職場に恵まれた中で働いて来られました。それゆえに頑張れたのだとも思います。もうすぐ勤めて一年が経とうとしています。まだまだ仕事もおぼつかずこれから、の彼です。先月、下宿を出てとうとうマンション独り暮らしを始めました。その話はまたの機会に別のお部屋で。長々とまとまらない話しでしたが何かの参考になればと思います。
味噌ぴさん
貴重なお話ありがとうございます。
企業でメンタルヘルスサポートをしている心理士ですが、お話を伺って、新入社員、若手のみなさんに一番大切だとお伝えしていることを思い浮かべました。
それが味噌ぴさんもおっしゃっている暮らしです。
特に就職と一人暮らしが同じタイミングになったみなさんは、人生最大級の変化を2つ同時に体験しているわけですから、どちらか、もしくはどちらもうまく行かなくて当たり前なわけです。
心身反応はもちろんですが、業務パフォーマンスの低下、勤怠不良、対人関係の問題などを呈することにもなります。
そんな時にお伝えしているのは、まずは暮らしの安定が優先ということです。特に食事です。
仕事帰りにコンビニで買う、カップ麺やインスタントは当たり前、夜勤の時はお菓子で済ませている、なんて話はざらです。
なので、ここをどう安定させていくかが、暮らしはもちろん、仕事の安定にもつながることを理解してもらっています。数年経つと自炊が楽しくなっている人も少なくなかったりします。
もちろん上司、同僚といった職場との調整も必要となってきます。
就職と一人暮らしはできれば別のタイミングで取り組めるようにすることが社会適応のための適切な対処法の1つとなったりもします。
実家住まいの時と同じ業務パフォーマンスが発揮できるようになれば、それはご本人の成長の証にもなるわけです。
なお、民間企業ではお約束事として障碍者雇用率が経営課題の1つだったりもするわけですが、何かしらの診断があることで雇用率確保に貢献しながらも、障碍者枠でなく一般枠として仕事をしている方々も少なくありません。
ご本人の最大のメリットは言うまでもなく給与面です。
企業としては戦力としても、雇用率確保としても貢献してもらっている貴重な人材ということにもなります。
仕事・一人暮らしの両立とその先が楽しみですね。
よかったらまたお話を聴かせて下さい。
座波さん
コメントありがとうございます。ご著書「発達障害でも働けますか?」を拝読した時、既に長男は働いておりましたので色々と参考にさせて頂きました。こだわりのコントロールやストレスについて等は彼にとって特に必読な部分でしたし、コミュニケーションは勝手に難しく捉え過ぎていて、肩の力を抜く事も出来ました。障害者だけに限らず今時の若者が読むと助かる事がたくさん書いてあるご本でした。
暮らしの事色々と参考になるお話しをありがとうございます。成長に従って問題点から抜け落ちてしまうものだと後から気づき、今一度ゆっくりですが取り組んでおります。下宿させてこのままでもとは思いましたが、本人は不自由だったようです。なので今、独り暮らしの色々な問題に直面してもおおらかに対処の相談を電話して来ます。もし転勤が念頭になかったら?果たして独り暮らしさせていたのかの答えは出せません。
実は入職時に勤務地希望届けを提出するに辺り、職場と居住地の二つがいっぺんに変わってしまうのは障害の特性上難しい、と書いて引っ越しは免れました。せめてそのくらいの配慮はあっても良いのでは?と厚かましくも願い出て受け入れられました。また今回、過去の職場において仕事内容はもちろんその他においても、保護者として口出しした事は(求人票と契約内容に齟齬があった時を除き)ありませんでしたし、今後も無いかと思っていましたが、どうしても立ち入らざるを得ない状況となり、初めて連絡を入れる事態となりました。結果として問題は解決の方向に向かうと共に今後も何かあったら必ず連絡が欲しいと言われました。当たり前ですがまだまだ発達障害は一般社会には知られておらず、お互い手探りで働き方を模索している事がよく分かりました。そして保護者の介入を良しとしてくれる寛容さに感謝しています。座波さんのようなカウンセラーは稀有な存在でしょうが、国が障害者雇用率を高めるのなら、大手企業だけでも専任アドバイザーが居てくれたらと思ってしまうのが親です。どうぞ今後とも彼らへのご支援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
初めての8時間労働は、インフルエンザで丸5日間39℃の高熱がようやく下がった翌日、年明けの正に仕事始めからでした。求人は3カ月の任期雇用で、問題なければ更新あり、との事で多少の不安もありました。けれど一月足らずで春から二年の更新を言い渡され安堵しました。8時間勤務なので仕事内容も雑務だけでなく、こなせるようになるまで随分大変そうでしたが、めげる事なく前向きに毎日ハツラツと出勤していたのを憶えています。随分と配慮をして頂いたようで、新しい仕事の前には上司が本人のやる気を確認してから教えて貰えたようで、何度かその難しさに出来ない自分を卑下した電話が、私の母に向けられていました。私に心配掛けたくないからと祖母に愚痴っていた事を、半年ほど経ってから母と暮らす姉から教えて貰いました。励ます事しか出来なかったけど、と聞かされて社会人になると親なんて何も出来ないもんだと感じました。
彼はこの職場に勤めた事で、仕事内容や環境が自分に合っていると思ったようで、公務員試験を受けると決めました。6年越しの挑戦の始まりでした。
専門学校卒の学歴はありますが、紛うことなき知的障害者でもあります。二十歳以降何度かの療育手帳更新は三十歳を前に無期限となりました。けれど、それが試験を諦める理由にはなりませんでした。障害者雇用枠と言えど筆記試験は身体も知的も一緒に高卒程度の内容とされていました。特別支援級に身を置いた中学時代の勉強の穴を埋めないと試験に挑めません。てらっこ塾の大久保さんに連絡を入れました。事情を話すと快諾して頂き、半年ほど問題集の解き方を習い、本人なりに頑張っておりました。が、そう簡単には行かずその年は筆記試験に敗退、この時に彼はもう一度大久保さんに頼ろうとしました。けれど大久保さんからは本人にやる気さえあればもう一人で出来るからとお断りされました。これが大久保さんのやり方なのだと納得しました。大久保さんは彼に勉強を教えに来てくださっただけでなく、彼に大切な事を示唆して貰えたと親子共々感謝しています。
これで彼が勉強を諦めるのなら、障害者雇用枠を受ける資格はないのです。少し気落ちしたものの独学での勉強が始まりました。勤めながらの勉強は大変だったと思います。
雇用率水増し報道の火消しに国家公務員の障害者雇用枠試験を全国一斉に各自治体で受けられたのはわずか二年(2回)だけでその後は各省庁毎に任期付き雇用が増えた程度でした。けれども地方公務員に関しては毎年続けられています。詳細は当然各自治体で違うわけですがチャンスがあるのは有り難い事でした。そこからは自治体の障害者雇用枠を二つ、即ち都道府県と市の試験を受けて行きました。任期が半年を残した時、初めて筆記試験に合格し面接へと漕ぎ着けました。勤めていた官庁の上司もとても喜んでくれて応援してくれました。
バスの便が悪く帰り迎えに行く約束をして待つ時間の長いこと。面接時間はゆうに1時間を超えました。終えて待ち合わせ場所に現れた彼の顔は真っ赤で、その後涙目になりました。???彼の言葉を待って聞いたやりとりに少し気落ちし、また来年受けようと励ましつつ反省、下調べが足りませんでした。国家公務員の障害者雇用枠求人要項には転勤なしと書かれており、私はそれを当然と受け止めましたが、よくよく考えると当然ではないわけです。彼は面接で転勤は可能かと聞かれ言葉に詰まり、ようやく頑張りますと一言をひねり出しました。北海道は広いよ、実家に日帰り出来ない地域がたくさんある大丈夫かな?と畳まれると思ってもみない質問に返答がしどろもどろになって終了。一時間以上に及んだ面接試験は完敗でした。
余談ですが、この時勤め先の上司に報告すると大丈夫じゃないかそれ、と言われたようで、ダメなら1時間も面接しないよ転勤だって直ぐじゃないでしょ?と。実は私も少しだけそれを思いました。
落とすなら1時間も面接しないでよね〜!と今もあの時をそんなふうに思い出します。
年が明けて市の臨時職員に応募、かつて1次試験合格を辞退していたので難しいかと思いましたが、幸い採用となり、1年更新で最長5年の契約、そして6時間勤務でした。
次は年明けと書きながらもうすぐ北の地にも春がやって来そうです。年末彼の仕事においてなかなかの状況が発生しその対応に年明けまで掛かりまして・・・以上、遅くなった理由いえ言い訳でした。今は前向きに落ち着いております。郵便局に勤めて一年が過ぎ転職に向けて動き出しました。当初は前回の求職時と状況は変わらず、職安に足を運び大手企業の当地支店の障害者枠求人に手当たり次第履歴書を送っては送り返される日々が続いておりました。就労支援センターも一つ話を持って来て数日研修という名のタダ働きをしてみたものの採用にはならず。そうしてしばらく見守っては来たものの、ある日(私が)耐えきれず(多少)ぶちギレて一緒に職安へ行き、採用する気の無い求人票に応募するのは疲れたから何とかして欲しいと障害者枠の窓口でゴネました、はい私が。その数日前、彼が喜び勇んで某大手銀行の当地支店で求人が出て紹介状を貰った、職安が本店に連絡を入れザックリと経歴を伝えたらとても乗り気で至急書類を送るようにと、追って面接の連絡を入れるからとの事、張り切って動いたけれど結果は面接を受ける事も叶わず書類だけが却って来ました。要は当地が田舎ゆえまだ障害者雇用が受け入れられておらず、本部の要請に従って求人票は出すが採用はしていなかった、という事でした。職安はおおっぴらには言えないらしく、表面的な業務をこなしていたようです。そして私がゴネたからではないと思いますが、重い腰を上げてここから動いてくれました。雇用率を満たしていない某大手病院に働き掛けてくれ、面接を受けさせて貰いました。が、採用した事がないからどう働いて貰うか決めかねているので、しばらく待って欲しいと言われました。もう求人が無い八方手詰まりかと思った時、障害者枠雇用の流れが変わる事件が大々的に報道されました。まだこのギョーカイにおいては記憶に新しい官庁の障害者雇用を水増ししていたという報道。これは正直私達にとって好都合な転機を迎えたという事で、田舎にもそれなりに存在している国の行政機関がこぞって障害者雇用の求人を出したのです。ちなみに面接を受けた大手病院は見本となる官庁ですら雇用していなかった事実に満足したようで、そちらでの障害者雇用は立ち消えとなりました。職安はここが自分たちの出番というように連日(財務省・法務省等の)行政機関の障害者雇用求人票を片手に連絡をくれ、面接までのあれこれを調整してくれました。療育手帳持ちに難色を示されたり、面接の場に突然就労支援センターの職員が同席し、頼んでない支援者側の意見を述べるハプニングにも見舞われ(必ずしもそのせいではないでしょうがそこは落ちました。)、4ヵ所目(国土交通省)の行政機関を受けた時の事、面接の終わりに「実はもう既に採用しようと考えている人が居て、でも君も採用したい、なのでもし今回見送らせて欲しい旨の連絡が届いたら、少し待って欲しい。もう一人別の課で求人の予定があります。今回採用出来なくても、是非次回また受けて欲しい。」と言われたんだよ。面接から帰った彼の言葉に、少しの期待が持てました。ありがたいお話しは続くもので、その日彼の元にメールが一通、初めて勤めた某行政機関の上司からのものでした。報道で知ってると思いますが求人をするので受けて欲しい、一次が筆記試験なので難しいだろうけれど、受ける準備等も助力しますから一緒に働きませんか、という内容でした。お母さんはどう思う?と問われ、働くのは自分だから自分で決めて欲しい事、筆記試験を受けるのなら準備を手伝うよと応えました。そのメールの翌日、諦めていた4ヵ所目の行政機関から採用通知が届いたのです。彼は少し考えて他の人が採用されると思っていたのに自分を採用してくれるという気持ちがありがたいので、ここに行きたいと言いました。だから今回連絡を頂いた以前の上司にその旨を返信する、と。自分で決めたのだから頑張りなさいと言うと、一生懸命にメールでお礼とお断りの返信をしていました。新たに採用となったこちらの行政機関には二年と三ヶ月お世話になりました。三ヶ月の試用期間を経て二年の臨時職員の契約、そして初めての8時間労働のスタートでもありました。
今回はちゃんと就活のお話しです。最初のは社長とお話しした治った自慢のご本の通りですので、二回目の就活からとなります。
初めての就労から三年目の夏、次の就労に向けて動き出しました。勤めていたのは財務省管轄の官庁で向こうにとっても初めての障害者雇用でもあり、当地の障害者就労支援事業所がバックアップする形での雇用でしたので、当初は1ヶ月~3ヶ月毎に相談支援という時間が設けられていたようでした。その夏の相談時、当然彼は来春からの働き先の話を出しました。そうして信じられない返答を貰って帰宅しました。曰く、次の就活は三月の雇用任期を終え失業保険を全て貰い終えた後にするもので、今そんな事をしては勤めている官庁に大変失礼である、というものでした。まぁ前回の就活の段階から当てにしてはいなかったもののさすがにこれには呆れ果て、雇用契約を結ぶ最初の段階で、いつでも就活して構わないし、より良い所があれば途中で辞めても構わない、と言われていた旨を再度(当然最初に言われた際にも)伝えると、全く憶えていなかったようでそうだったんですね~でも失業保険を貰わないなんて勿体なくないですかと言われて、どこまでも認識が食い違うのになぜここを利用しなくてはならないのかと思ったものでした。
そんなわけで普通に職安を利用し勝手に動いてみたものの、当初から田舎故か大手企業の障害者枠求人しかなく、応募するも書類審査のみで立て続けに不採用のお手紙の山を築く日々でした。そうしたある日、ダメ元で受けた(筆記試験の勉強をしていなかった)市の障害者雇用枠での一次試験合格の通知が届いたきました。そしてそれより先に受けていた郵便局の採用通知もまた同じ日に届いたのでした。郵便局の求人票には8時間雇用で半年、問題なければその後も半年毎に契約とあり、昇給ありで仕事内容は郵便物の仕分けが主でした。市は一年契約の最長五年まで、6時間雇用でした。そして今の段階はまだ一次試験に合格しただけで、採用されるかどうかは二次での面接を終えないと結果は当然分からない状態です。私たちは充分に話し合った末、郵便局勤務を選択し彼はここで二年弱を勤め、次の職場に移る事となりました。理由は二つ、8時間雇用ではなく4時間だった事と、勤務が夕方4時~8時迄なのが本人には辛かったようでした。求人票の記載と違っていた4時間雇用については勤めて一年後に保護者同伴での面談を申し入れて叶い、向こうの手違いを謝罪された上で何とかあと2時間、6時間雇用を考えたいし半年毎の契約ではなく無期でもと申し出て貰えましたが、夕方の勤務時間は変えられないとの事で、彼の意思で就活を始めなければなりませんでした。
そして次の就活を始めた際、世の中の障害者雇用はたぶん転機を迎えました。2018年の事です。長くなりましたので、また次回、年明け過ぎにお話しさせて下さい。
余談ですが、市の一次試験合格を辞退する旨を連絡した際、電話の向こうは「障害者枠の二次試験辞退」にとても驚き、後に明らかにムッとしていて、辞退するならその旨明記して提出しろとの事、様式は?と訪ねると早口で記載内容を述べて様式なんてないから早急にと電話を切られました。まぁ田舎の官庁の人事課なんてそんなもんか~と思った次第。もう一つ、次の職場が決まったからと辞める旨を伝えた郵便局の上司の方々は次の職場を尋ね皆さんとても喜んでくれて良かったねと送り出してくれました。辞める直前にインフルエンザに罹患したため最後のご挨拶に伺えず私が代わって返却物など持参した際にも同じく好対応でしたし、その後町で偶然出会った時にも温かい言葉を掛けて貰ったようでした。最初に勤めた官庁も同じくで、彼はずっと職場に恵まれました。
凄く為になるブルーさんの後に載せるのは気が引けるのですが、親の視点から少し報告させて下さい。
今年ようやく、ひとまず就活を終えた長男は今春から障害者枠の正職員として官庁勤めとなりました。
4月の第一週を終えて直ぐ、入職者全員を対象とした研修で、当地から少し離れた札幌市で1ヶ月を過ごしました。ちなみに長男の職場は専門職をサポートする行政職と言う立ち位置で、専門職の研修は半年あるのだとか。
ですから正職員としてのお勤めの準備はこの研修へ向かうため、ホームセンターで1ヶ月の荷造りをする段ボール箱を用意する事からスタートでした。
詳細は省いて、研修を終えてしばらくは、恐らく上司の方も彼にどんな仕事が出来るかを探っていたようで、決まった仕事がないと愚痴ったりもしていました。ようやく最近、仕事が忙しいと笑顔で伝えるようになり、少しだけ安堵しています。もちろん、覚える事がたくさんあるようで、また失敗もたくさんしているようで、前向きに努力しているであろう事も感じられます。
夏頃迄はずっと、割り当てられた仕事にひたすら取組む事に不安だった姿も見られ、実は一度だけ彼に言ってしまいました。「辛かったらさ、別に良いんだよ?また元に戻って任期付きの職員を受け直して勤めても」と。そうしたら彼は目を丸くして「何言ってるの?本気で言ってる?辞めるなんてそんなわけないでしょ?あり得ないよここまでどんなに長かったか。大丈夫心配しないで、仕事覚えて働けるよ大丈夫」と。
馬鹿な事を言ったなぁと反省しました。そして感心もしました、えらいな〜と。親バカです。
今のところは順調です、と報告させて下さい。先週、たくさん賞与も頂いて、私にもいつもの食費プラスアルファ、お正月とかに使ってね、と賞与を貰いました!すみませんこの部分は自慢です笑笑
正職員として勤めたのは、彼にとって5か所目の職場です。また時間をおいて、この職場に行き着く迄の経過など、お伝え出来たらと思っています。
【追記】
>障害者への企業の理解が進んだ帰結
→言うまでもなく、法定雇用率も原動力ではあります。他にも、厚労省は様々な施策を打ち出してきました。
・定期的な法定雇用率の引き上げ
・障害者雇用の義務対象に精神障害者を追加
(※これは精神の手帳を持つ人なので、ハッタツには朗報)
・義務対象となる企業規模の拡大(小規模企業も対象)
・法定雇用率が未達の企業名を公開する、などのペナルティの作成
厚労省はこの件については随分と頑張りました。そして今後も頑張り続けるはずです。
その結果、企業社会も選別を頑張っただけの話です。そして、選別をより精緻にするために理解を深めました。
それは外から啓発する人のいう事を鵜呑みにするのではなく、実際に自社で働く障害者たちを人事評価し、また自社で働く障害者たちの声を直接聴くことによって理解を深めてきたのです。
次回からの章はそういうことを掘り下げていきます。
<人材市場サバイバル>
連載第94回
第2部分析編
第1章:社会階層
その6:民間における支援機関
(5)中学受験塾と障害者エージェントの社会的構造の相似③
前回はこちら
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今回も、中学受験塾と障害者人材エージェントの構造上の共通点を観ていきます。とはいえ前回と同じ内容なのですが、角度を変えて観てみます。
それと補足なのですが、中学受験塾と障害者人材エージェントを比較する際は規模を揃える必要があることに気が付きました。どちらの業態も大手と中小では体質が異なります。この連載では、大手の中学受験塾と、大手のエージェントを比較していることが前提になります。
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■社会的選別システムの確立
この連載をお読みの方はもはやお気づきの通り、特に大都市圏の企業を中心とした障害者の社会的選別システムは確立されています。その社会的構造はこれからの時代において精緻になることはあっても、崩れることはありません。それは障害者への企業の理解が進んだ帰結です。
よって、花風社では懐かしの「社会の理解ガー」や、その現代形である「ダイバーシティガー」「多様性ガー」の言い分が企業社会に通ることは未来永劫ありません。この連載の第一部でも述べたように、これらの言い分は企業社会に対して「要求水準を下げろ」と言っているからです。つまり選別をザルにしろと言っているので、時代に逆行しています。
さらに言えば、こういう事を言う人達を弾くために、特に優良企業群における選別システムが確立したのです。
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■上澄みを拾うシステム
そして中学受験もまた、限定的ですが、しかし確実に児童に対する社会的選別システムとなっています。
中学受験であれ、エージェントを経由した障害者採用であれ、それぞれのフィールドで主に最上位層から上位層の人材を拾います。そのため下位層は弾かれます。
例えば、中学受験の難関校の入試問題は算数を中心としてとても難しく、かつ小学生の2割くらいしか参戦しないので、偏差値50というのが平均的な能力を表しません。すでにそれが難関です。上位2割のそのまた平均だからです。勝負の土俵に上がるだけですでに選抜されているのです。
また障害者採用において、「OpenWork 総合評点3.0以上」の企業は求人票のレベルが高いです。エージェントにカネを払えるレベルの企業だからです。そしてそういう企業は受験すると基本的に落ちます。
私も、今の勤務先以外には受かりませんでした。落ちてばかりいました。しかしそれは私が選り好みしすぎたからです。良くも悪くもやりたい仕事がはっきりと定まっていたからです。
こういった精緻かつ市場競争的な社会的選別に挑む人を支援するのが中学受験塾であり、障害者を扱う人材エージェントです。
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■機会と選別がワンセット
確かに都市部には障害者雇用の仕事があります。地方では、そもそも障害者雇用以前に仕事がない地域も多くあります。その点で都市部と地方には機会の差があります。都市部に生まれた私は、生まれ地域のガチャで当たりを引いたことも確かです。
しかし都市部には障害者雇用がそれなりに数多くありますが、応募する当事者も多いです。つまり競争的な市場が形成されます。結果、障害者採用でもそれなりの待遇の求人には厳格な選抜が行われます。
つまり障害者採用というのも健常者の採用と同じで、この世に楽な道がありません。よって絶望している当事者もいます。一方、自分自身をなんとかしようとしている当事者もいます。
中学受験であれ、障害者採用であれ、機会と選別はワンセットです。これもまた、世の中のありふれた日常です。
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■中学受験の経験から
私は手帳を使って転職活動をするにあたり、絶対にエージェントを使おうと思っていました。一つは人材市場に入るためですが、もう一つは、エージェントを進学塾みたいに捉えていたからです。
塾を使わずして難関校に受かる人は稀です。難関校の合格者は、ほとんどが進学塾を使っています。同様に、都市部において障害者に対してある程度の待遇を用意できる企業に入社するには、どうしてもエージェントの力が必要だと思いました。そういう発想に至ったのも、私が都市部で中学受験をしていたからです。
今回でこの話題は以上です。そして次回から章が変わります。特に今回言及した「障害者の社会的選別システム」や「ダイバーシティ」などを掘り下げます。