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我が家の治った自慢

発達障害の診断がついたり、グレーゾーンと疑われたお子さんだけど

・こんな風に治ったよ
・こんなことしたら治ったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

1,086 COMMENTS

デイジー

今年度普通級に転籍した小学3年生の娘が、無事に1年を終えました。
3学期はグループ学習の発表会で司会進行役を務めたり、自主学習ノートの提出冊数が学年最多賞として表彰されたりと成長ぶりを見せてくれました。

一番驚いたのは、卒業式で在校生からの贈る言葉を発表するメンバーとして立候補したことです。
「私は声が大きいから、これならできると思った」とのこと。
1年前は集団の中で状況が理解できず泣いてた子が、いつの間にか積極性と自分の強みを見極める力を身につけてくれました。

娘がまだ2歳だった時、臨床心理士の先生に言われました。
「この子は霞の中で生きてるようなもの。
周りのことが全然理解できません。
小学校でも普通級に入れるかどうか…」

思い出すだけで涙が出てくるくらい、絶望の日々でした。
でも諦めなくて良かったです。
治るって素晴らしい。

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ブルー

デイジー 様

成人のブルーと申します。

娘さんの健やかな成長のご様子を拝読させて頂き、
私まで心が温かくなりました。
また、デイジーさんの今日までのご努力に敬意を表します。

>絶望の日々でした。
>でも諦めなくて良かったです。治るって素晴らしい。

体験的にも思いますが、
絶望の後には(今回の治った自慢のように)希望が来ますよね。
確かに治るのは素晴らしいことだと、私も身を持って感じます。

素敵な記事をありがとうございました。

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yasu

本日、小学校卒業式がありました。無事卒業です昨年はコロナ禍の影響を受け、卒業式は卒業生と保護者のみでしたが、今年は正常に戻ってサポーター(5年生)の参加もあり、なかなか充実した卒業式でした。

娘は、クラス代表として門出の言葉を発表しました。クラス代表に「選ばれた」のではなく「立候補」したとのこと。クラスで代表を決める際に誰も手を挙げず、PTAの役員決めのような雰囲気になったのでそれに耐えきれずに立候補したとのことでした(笑)

これには背景があり、広域子ども会で100人近い人数の前でトップバッターで意見を言うのを始め、この1年間で人前で話をする機会がたくさんあったので慣れがあり、できると踏んで立候補したとのことでした。思い起こすと、水族館の飼育員トークの催しではいつも最前列に座り、質問タイムには(とりあえず)必ず手を挙げ、ダメ元でもとにかく申し込むということをやっていたので、こういう積極姿勢は今後もずっとチャンスや幸運をもたらしてくれるものと思います。

その他、給食で人気の無いおかずのときに積極的におかわりをして給食が残らないよう配慮する(好き嫌いが無いから出来る技です)、グループや班決めの際に我が儘を言わない(本人は特定の組み合わせへの拘りが無いので)と、特技と個性を発揮してクラス運営に貢献できたようで、担任の先生からは良い評価を貰ったようです。(こういうとことはよく見ている先生でした)

ちなみに好き嫌いが無いというの特技の一つで、広域子ども会の宿泊イベントでも好き嫌いして残している子のおかずを食べてあげてとても感謝された(学校とは異なり、テーブル(班)単位で残さないようにと言われるので)と、WIN-WINの取引を実体験しています(笑)。

ところで先日、縦割り活動(=低学年~高学年でグループを作って様々な活動をすること)のメンバーが卒業生に対して手紙を書いてくれて、文集のような形で渡されのですが、それを見ると「新しい遊びを教えてくれて楽しかった」のことが書いてあったんです。娘に聞いてみると、広域子ども会で教えてもらったものを下級生に披露したようでした。広域子ども会での宿泊を伴う縦割り活動で、大人や中高生もいる中で話し合って決めていく体験をしたのが活きたようで、学校での縦割り活動は上手くこなせていたようです。従来、人間関係やコミュニケーションにはあまり関心を示していませんでしたが、5年生後半から急激に関心が高まり、この時期にちょうど運良く学校以外のマス苦圧が無い活動の場に参加できる機会が得られたのが大きくプラスに働きました。

保育園や低学年の頃、大多数の子どもがセミの抜け殻や木の実を夢中になって集め、昆虫採集をしたりしていました。がしかし虫が好きだった子も今はスマホゲームに夢中だし、本が好きだった子もネットゲームにはまったりと、デジタル機器の威力(毒性?)にはすざまじいものがあります。我が家は子どもにはスマホやタブレットやゲーム機は買わなかったので、娘はクラスメートからは変わり者と思われていたようですが、その分、幼い頃の自然に対する感覚がそのまま残っています。こういうものが自身の心的な財産となり、将来の職業や生き方を決定付けるものになっていくのではと思っています。

学力面の話は、陰山先生に感謝を申し上げる形でちょこっとXに書きました。後日もう少し詳しい話をアップロードさせていただく予定です。

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さくら咲く

yasuさん
お嬢さんのご卒業おめでとうございます。
小学校の大切な6年間を楽しく過ごせて、
その締めくくりの卒業式で活躍されたのですね。
読んでいて幸せな気持ちになりました。
中学生活も充実したものになるよう、心からお祈りしています。

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yasu

さくら咲くさん、ありがとうございます。
中学生になったら、是非生徒会役員に立候補してもらいたいです(笑)

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ブルー

yasuさん

お嬢様の小学校ご卒業、おめでとうございます。
そして、yasuさんのこれまでのご努力に敬意を表します。

特に刮目したのは

>子どもにはスマホやタブレットやゲーム機は買わなかった
>その分、幼い頃の自然に対する感覚がそのまま残っています。こういうものが自身の心的な財産となり、将来の職業や生き方を決定付けるものになっていくのでは

のくだりです。

yasuさんの卓見により、お嬢様は他の子たちとは違って身体性(=「幼い頃の自然に対する感覚」)を保持しているように見受けられます。デジタル情報を制限した結果、自然や生体のもたらすアナログ情報に対するアンテナ(=身体性)が死ななかったように思います。

これからの日本では「身体性がある人」というだけで、抜きんでた存在です。
そういう意味でもお嬢様の明るい未来を確信するところです。

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yasu

ブルーさん、どうもありがとうございます。
うちの娘はインドに一人で行けるタイプです、たぶん(笑)

低年齢の子にデジタル機器を与えることの是非はかなり前から議論されていますが、決定的な結論は出ていないと思います。まあ「悪」とはっきり証明されたら大騒ぎになるんでわざと曖昧にしているのかもしれませんけど。

子どもに与えるデジタル情報や器機で一番まずい(と私が思うのは)、AIBOのようなロボット動物ですね。リセットしたら生き返る、自分の思うようにプログラムできる生き物”もどき”を与えるのは極めて有害だと思っています。たまごっち程度であれば、まあ許せますが(笑)

未就学~小学校低学年くらいまでは、大多数の子が虫や植物に興味を持っていたように思いますし、名も無き遊びをやっていました。前に私が見たのは、「水たまりを飛び越える」遊びで、大きな水たまりを飛び越えられた子が偉いという、ただそれだけ(笑)でも子どもたちは楽しそうにやっていましたね。コロナ禍の自粛やマス苦強制の雰囲気がこういう遊びを破壊してしまい、そして、スマホやゲームやネットでの遊びがますます跋扈するようになってしまいました。

ただ、自然に対する感覚がそのまま残っているのは、どうやら女子力(ガールズトーク含む)との相性は良くないようです。男の子だったら話が合う子がいるのではと思ったのですがそういう子も見当たらなかったのは少々残念でした。どうやらデジタル機器に触れる時間が長いと男の子も女の子も同じようになっていくようです。

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ブルー

yasuさん

お嬢様はもはや、他の子達からは違う生き物としてみなされている感すらあります。でも、真に「生き物らしい」そして「人間らしい」のは間違いなくお嬢様の方です。

お嬢様は地球上のどこでも生存できそうですし、だからなおさら、これから衰退していく日本に最適化しても仕方がないですし、よって日本人というよりは「地球人」という印象です。次の時代に早くも適応しているようにも思います。

お嬢様は明るい未来ですが、他の子たちの身体性の喪失を考えると暗澹たる気もします。衰退国家の象徴みたいな感じです。

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yasu

ブルーさん、ありがとうございます。

>他の子達からは違う生き物としてみなされている

これは面白いですね、思わず爆笑してしましました(笑)

まぁでもこれは言えてるかもしれないです。コロナ禍で任意のマス苦が強制される雰囲気になった時に、従順とは反対の態度だったのもあります。

身体性の喪失ですが、ゲーム漬けになって身体を動かす機会が減っているというよりは(もちろんこれもありますが)、自然の中に身を置く(必ずしも身体を動かす必要はない)機会が減っていることの方が大きいように思います。ここら辺の捉え方が間違っていると、子どもをスポーツクラブに放り込んで運動やらせれば解決、みたいにズレたことをやってしまうのかもしれません。

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ブルー

yasuさん

>爆笑

娘さんをネタにしたつもりはございません、すみません・・・。(平身低頭)

でも、やっぱりマス苦強要の雰囲気で「従順とは反対の態度」の時点で、他の子と、さらに言えば多くの日本人とは違う雰囲気の人になっていたのだろうな、とは思います。

>身体性
>ここら辺の捉え方が間違っていると、子どもをスポーツクラブに放り込んで運動やらせれば解決、みたいにズレたことをやってしまう

あ、これは言語化をしていただいてありがとうございます。スポーツができるかどうかと、身体性は関係ないですね。例えば頭脳労働の人でも、「身を持って考えて」いるかが重要です。

そもそも身体は自然物ですから、身体性は自然性とも言えます。だから仰る通り、自然の中に身を置いて、全身でアナログ情報を吸収する機会があった方がいいですね。

他方、スポーツクラブは人工物だらけの環境です。その環境下では自然物は人間の身体しかありません。

そのような状況で自分の身体との対話を深められるか否かは、まさに各人のセンスに依存する状態になってしまいます。だから身体性を取り戻すにあたっては、最大かつ無限のアナログ情報供給源である自然環境の力を借りるのが一番いいとは思います。

そういえば、浅見さんはいつも海に浮かんでいますね。

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たんぽぽ

息子が中学生の頃から参加していたボランティア団体が、先般解散しました。主要メンバーの方々の高齢化も一因なのですが、何より支援先の地域が自走できるようになった土壌がすっかり築かれたゆえに迎えた終焉です。実行力に秀でた方々で、いつも温かくて活気に溢れた気のいい空間でした。素敵な方々に囲まれて過ごした経験は、息子にとって何よりの宝となっています。

ボランティアは、途上国にボールや本を送る活動でした。初めは金銭を送っていたけどどこかで盗まれてしまってうまく届かない、そこで運動面や教育面で寄与できるようにと物資を送る活動に切り替えたとのことです(それでもうまく届かないこともたびたびだったようですが)。現地の人々が皆でスポーツを楽しむようになったら離職率も減ったとのこと。息子は、日本からの物資の箱詰め等、輸送手続きを主に手伝っていました。そのうち、農業支援や教育支援も行うようになり、それらの活動も地域に根づいたとのことです。息子もいつか現地に行けたら、と思っていたようですが、その前に解散となりました。でも、この活動参加がきっかけで、高校生の時にアフリカに1ヶ月ボランティアに行く体験ができました。

最後の会報に息子も寄稿していいよと言っていただき、留学先から寄越した文の一部です。

「◯◯の皆様は知識がなくても、なかなか活動に参加できなくても、いつも温かく受け入れてくださいました。大学のゼミの先生から、「あなたの長所は、何事にも興味を持ち、問題と向き合おうとするところだ」と仰っていただいたことがあったのですが、こうした姿勢は、互いの個性を尊重し、楽しく活動することをなによりも大切にする皆様の影響が大きかったのではないかと思っています。英語の成績も特別良くはなかったのですが、それでも外国語や国際系の分野や交流に興味を持てたのも、◯◯のお陰だと感じています。」

これはどこに書いたらいいだろう?雑談のお部屋かな?と思ったのですが、いいこと書くなあと思ったので「自慢」とさせてください。(現在、留学も楽しんで奮闘中です。そのうちまたご報告したいです)

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yoyoyo

秋に判定上は中度→重度知的障害になった娘ですが、最近ぐんぐん伸びています。

「◯◯だから今日はこっちを先にしようか」という説明で日常生活のルチンを変更したり、「今日のおやつはお終い。また明日食べようね」で楽しみを先送りしたり、話を理解して自分なりに納得して行動できるようになりました。

また、字が綺麗に(当社比)なりました。画数の多い漢字でも線を等間隔で引き、バランスよく書けるようになりました。

算数では繰り上がり、繰り下がりの計算に苦戦していましたが、本人が理解しやすい方法を模索して丁寧に教えたところ、できるようになってきました。

時間の概念が身について未来の予測ができるようになったり、「後でやれるから今やらなくても大丈夫」と思えるようになったり。
目の見え方や細かい身体の使い方も変わってきたのでしょう。
計算する様子を見ていると、ワーキングメモリも向上しているようです。

できることが少しずつ増えると好循環にはまり、どんどん伸びていくのだなと感じます。

親がやったこと。
美味しいご飯を作って、質のよい睡眠が取れるようにする(お風呂でマッサージしたり、身体が硬い部分をさすったり)。
本人が楽しみにしている活動を一緒に楽しむ。
「障害があるからやっても仕方ない」と思わずに何でも経験させる(健常者と同じことはできなくても、できる範囲で)。
一日一度はギューっと抱きしめる。

普通の子育ての中にちょっとだけわが子専用のサポートを組み込むこと。「そんなのじゃなくて何か特別な方法が知りたい」という考えを親が捨てることが、子を治そう(変えよう)と躍起になるよりも先なのだと思います。

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