ホーム全て会議室いま会議室で話していること 雑談のお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE なんでも雑談コーナーです。 発達障害に関係あってもなくても可。 楽しくおしゃべりしましょう! 1,563 COMMENTS yasu 2021年4月3日 東京は、桜の花はピークを越えましたね。 今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。 桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。 その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。 今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。 先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。 そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。 返信する シア 2021年3月31日 病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。 「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。 脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。 無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。 情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。 返信する シア 2021年3月31日 私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。 1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。 管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。 9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。 いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。 返信する 智ママ 2021年3月31日 ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。 早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。 成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、 普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。 昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。 息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。 うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。 社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。 今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。 普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。 混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。 少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。 返信する 智ママ 2021年3月31日 NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」 と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。 息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。 神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。 そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。 「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが 暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。 まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。 先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。 子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。 我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。 返信する まろん 2021年4月6日 今まさに、小学校入学にあたり智ママさんが言われてることに直面しています。 これを覆していくには、何よりも本人が育つことだとも感じています。 返信する 智ママ 2021年4月6日 まろんさん コメントありがとうございます。 そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。 息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。 いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。 返信する シア 2021年3月19日 今日はハイキングに行ってきました。 お天気も良くとても気持ちがよかったですよ。 返信する シア 2021年3月19日 追加です。 下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。 もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。 あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。 でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。 それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。 もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。 スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。 返信する 浅見淳子 2021年3月20日 シアさん 3万歩はすごいよ! それは治った自慢だよ! 返信する シア 2021年3月17日 昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。 テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。 でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。 北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。 検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。 返信する 浅見淳子 2021年3月18日 私は傷という傷があっという間に治ります。 トカゲみたいです。 外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。 傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。 返信する 過去のコメントを表示 ブルー へ返信する コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目ですコメント 名前 * メール * サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
yasu 2021年4月3日 東京は、桜の花はピークを越えましたね。 今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。 桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。 その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。 今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。 先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。 そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。 返信する
シア 2021年3月31日 病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。 「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。 脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。 無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。 情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。 返信する
シア 2021年3月31日 私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。 1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。 管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。 9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。 いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。 返信する
智ママ 2021年3月31日 ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。 早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。 成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、 普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。 昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。 息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。 うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。 社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。 今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。 普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。 混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。 少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。 返信する
智ママ 2021年3月31日 NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」 と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。 息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。 神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。 そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。 「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが 暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。 まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。 先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。 子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。 我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。 返信する
智ママ 2021年4月6日 まろんさん コメントありがとうございます。 そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。 息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。 いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。 返信する
シア 2021年3月19日 追加です。 下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。 もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。 あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。 でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。 それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。 もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。 スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。 返信する
シア 2021年3月17日 昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。 テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。 でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。 北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。 検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。 返信する
浅見淳子 2021年3月18日 私は傷という傷があっという間に治ります。 トカゲみたいです。 外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。 傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。 返信する
東京は、桜の花はピークを越えましたね。
今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。
桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。
その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。
今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。
先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。
そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。
病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。
「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。
脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。
無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。
情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。
私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。
1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。
管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。
9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。
いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。
ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。
早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。
成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、
普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。
昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。
息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。
うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。
社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。
今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。
普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。
混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。
少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。
NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」
と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。
息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。
神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。
そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。
「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが
暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。
まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。
先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。
子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。
我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。
今まさに、小学校入学にあたり智ママさんが言われてることに直面しています。
これを覆していくには、何よりも本人が育つことだとも感じています。
まろんさん
コメントありがとうございます。
そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。
息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。
いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。
今日はハイキングに行ってきました。
お天気も良くとても気持ちがよかったですよ。
追加です。
下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。
もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。
あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。
でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。
それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。
もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。
スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。
シアさん
3万歩はすごいよ!
それは治った自慢だよ!
昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。
テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。
でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。
北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。
検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。
私は傷という傷があっという間に治ります。
トカゲみたいです。
外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。
傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。