さて、シアさんが国家中枢の病院に行ってお医者さんとこんな話をしてきたと披露してくれました。
こんにちは。
久しぶり国立精神神経医療研究センターに来ています。
来院すると、医師は名前が掲示されます。
医長先生、総長も院長も元気にされているようでした。
血液検査をしてみて、私が数値のここが高いとか、あそこが低いとか気にしていたら、「コレからは、健康は標的的な絶対評価ではない。」と言われました。
…基準と言われるものは、平均的な体質の人を参考にしていて、しかも古いから、もし数値が少し「基準」から外れていても、医師はその人が元気で健康で健やかかどうか、訴える症状や、顔やしぐさで判断するから、パソコンが全てではない。
もし、患者が数値を気にし過ぎるなら、それは却って神経質で不健康。
もし、患者が過剰に数値を気にしたら、それだけで自ら気を付けて行こうと思うだろうから、強く求めない限り細かい指導は無用。
また、昨今はネットの普及で、個人の健康には多くの人はアクセスできる。…
栄養法については、「自分が元気でいられることが大事だから、身体の声を聞きながらでかまわない。」
…合わないと思ったら、止めればいい。
サプリメントでも、栄養補助食品でも、おいしい食事から食べられると、一番自然で無理がなく健康的だと思う。
民間でも標準でも、数値にこだわりその通りに模倣するのではなく、合わないと思ったら、医師も変えて当たり前。
その人からいい影響があるといい。
コレは私の考えだから、コレも自分で吟味すればいい。…
これは神田橋先生の「気持ちいい」を羅針盤に、とか『発達障害は治りますか?』で展開していた「小さなEBM」の考え方に通じるものがありますね。
お互いに本名も知らないままネット上でのみ匿名で海老踊りしている凡とか底辺とかじゃない医療だとこういう考えが当たり前らしい。ところでこういう学会あったの知っています? 医学と哲学倫理学の人が一緒にやっている学会らしい。私は知らなかったけど家族が現在学会長をしている関係で知りました。
そしてその会長にきいたところ、シアさんの主治医の方の考え方の方が当たり前だと言うことでした。
身体アプローチや栄養アプローチを原理主義的にとらえている人は、少なくとも花風社クラスタにはいませんね。栄養アプローチのゴリゴリの人とか、身体アプローチでも別の方面とかにはいるかもしれませんが。とくにライセンスがらみの人たち。
アレルギーあるからサプリはちょっと、と言って食事で工夫している人もいるし、思い出したようにお子さんから「金魚やって」と言われてやったりする。それでも治っていく。
ふうりんさんみたいに。
秋は行事の多い季節です。高校生の娘はコンクールや学祭に向けて部活に励んだり、ボランティア(若い衆仕事?)を頼まれて休みに出て行ったりと充実した日々を送っています。
私が夜に用事がある日は以前なら夕飯の支度をしておかないといけなかったけど、こないだは娘が唐揚げ定食を作ってくれていて楽でした。料理しながら前よりかは手の感覚でできるようになったんだからと言っています。
高校入学にあたっては配慮を求めなかったので診断歴など伝えていません。今困ってないのだから10年以上前に医師に言われたことを情報として出すの意味ないと思って。それで問題ありません。
小さい時にパニックがあって理解力怪しくても大きくなるにつれて周りに追いついてくることはあります。
たしかに高校入学時点では配慮を必要としてもいなかったし現に学校にも言わず、それでもなんにも困っていないのですからわざわざ十年以上前に医者に下された診断をはぎとりに病院に行く必要もないんですよね。こういうのは反医療とは言わないと思います。単純に「(発達領域においては)医療がいらなくなった」ということだと思います。
というわけで花風社は反医療ではなく反凡医療なんですけど、じゃあなんで凡とか底辺とかの人は花風社を反医療にしておきたいのか138字以内で述べよ(10点)。
っていう問題を昨日ツイッターで出しました。近日当治そう発達障害どっとこむにて答えを発表しますけど、皆さん思いついたら書き込んでくださいね!
彼らから見れば、花風社さんと医療が近づき、重なり始めたように見えているのかもしれません。
(実際は、身体に注目し、その知見を集めていった結果、治るに辿りついた花風社さんと、医学を深めていった結果、治るに辿りついた著名なドクター達ではありますが)
私には、(凡ではない)医療と花風社さんが重なりあっていくのを、必死に引き離そうとするために、やみくもに「反医療」と言っているだけのように感じます。
彼らが本当に恐れているのは、花風社さんの存在以上に、治せる医師とそうではない医師の分断だと思います。
育ちの悪さ(土台がない)
↓
身体からの情報をキチンと脳に伝えて判断材料に出来ないので、極度に知性化する
↓
・後付けの反射が身に付き、それで対応しようとする(自己正当化)
※自身の安定を図る為、自分が優位であるかのように位置付ける防衛機制(知性化)が自動化・パターン化される
・後付けの反射が防衛に関わることで他罰的になり、過度に攻撃されていると思いこみ被害的になっていく
※自分に都合の良い言論で身を守るようになる
ようするに、凡や底辺は花風社という存在自体が怖いし不安。「自分は被害者だから自己正当化してもいい」となり、「花風社反医療モデル」を組み立て自分の都合の良い言論や理論で身を守り、必死になって自分自身の安定を図っている。
これまで医療に不満がある人には治りませんと言えば済んでいたのに自力で治そうとして症状がなくなり健常域に達する人の情報が発信されるようになりごまかせなくなってきた。
反医療と印象づければ社会悪を叩くという名目で自分たちが非難しているように映り賛同を得られると思っているが反医療と言えば調べもせずに攻撃できるという身勝手な発想かつ反医療は嘘。自分たちのどうしようもなさを宣伝してるだけ。
反医療。医療に反するということですよね。
考えてみました。
自分の立場が不安定になるから。
自分の仕事上の意見まで、不確かなものになるから。
仕事としての意見と個人の意見を完全に一致させないと、落ち着かないから。
自分の意見を否定させると不安になるから。
箇条書きになってしまいました。
絶対、がないことに対して、仮想敵をたてるのは、自分にそうすることによって利がある時にすることだと思います。
都合のよいときにだけ、個人差(スペクトラム)をもちだす。それ以外は、標準(自身のなかの基準と一致)でないと、自身の影響の及ばないところになるからでは?
お題とずれてしまいすみません。(文字数オーバー)
答えを考えてみました!
↓答え↓
自身が腕の無い凡医療従事者にも関わらず医療従事者としての地位に甘んじているので、花風社の発信により、家庭で治るという事が、また、ほかの凡でない医療従事者により治ってしまうという事が知れてしまうと体裁が保てなくなるから。
自己保身ですね。
花風社が反医療と言うことにしておかないと、自分たち医療従事者(凡)に反対していると言う事実が容認できない。 自分たちが標準で優越だと言う知性化による防衛。