「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

医療に失望し、自分に希望を抱く

さて、今日は「私の治った自慢」
すなわち成人当事者の方からの治った自慢です。
全文引用したいんですけど長いので、ごらんになりたい方は「私の治った自慢」のお部屋に、6月17日うず巻き模様さんが書いてくださったコメントを見に行ってください。

こんにちは。
30代でADHDと診断され、現在は40代です。
花風社の本と出会ってから7年くらいでしょうか。
何度かセミナーにも参加させていただきました。

身体アプローチに出会う前は、身体の不調に翻弄され、どう「健康管理」しようともどうにもならず、やる気も出ず、自分を責め苛む日々でした。

花風社の本を読み、まず自分を責めなくなり頭の負荷が減りました。
金魚体操などを始めて、以前より良く眠れるようになり、朝の目覚めに違いがでてきました。
以前は、朝どうにも起きる事ができず、そのどうしようもなさが自分でも理解できず非常に情けない思いをしていたのです。
朝起きれないから当日欠勤というのを、週に1〜2回はしていましたが、欠勤自体あまりしなくなりました。

それに、調子が良くなってきてからは、興味の対象が自分の不調や発達障害一辺倒でなくなり、もともと興味のある事にエネルギーを使えるようになってきています。
そうなってくると、雑談の幅も広がるので人と話す事への億劫さが減りますね。

治ってできるようになった事は一見地味なんですが、頭に乗っかっていた重い漬物石を取っ払ったかのようなすっきり感があります。

30代半ばくらいまで、原因も打開策も分からず迷走していた分、何か周囲の人より出遅れた感は正直あります。
でも、やっぱり、それでも自分自身の人生を自分でコントロールできる術があれば、以前感じていたような悲愴感は皆無です。
この先、どう自分を律してどう生きて行ったらいいんだ?と悩んでいた頃、「この重たいどうにも言う事を聞かない身体さえ何とかなれば…!」と常々思っていました。
だから、花風社の本に出会った時は、宝物を見つけたみたいに感じたし、身体だけでなく他の事も芋づる式に治っていくと知って嬉しかったのを覚えています。

「自分のやりたいことをできる身体」
これが花風社の身体づくりの目標です。
そしてうず巻き模様さんは「遅刻・欠勤しない身体」になりたかった。
それを実現したのがコンディショニングなのですね。

そして、花風社の本をきっかけに「自責の念がなくなった」ということがどういうことかもっと詳しく知りたかったのでお聞きしてみました。

そうしたらこういうお答えをいただきました。

自責の念についてですが、自分がADHDだと知らない時に、朝起きて行動に移る気力と体力が不足していた為、人並みにできない事〝だらけ〟に思えていました。
覇気のない状態でしたから、周囲の評価も「できるはずなのにやろうとしない」という感じで。
また、無意識のうちに比較される感じもありました。

他者の評価がどうであろうと、「自分は精一杯頑張っている」という自負心があれば跳ね返せるけれど、とてもそうは思えない状況でした。
自分も他人も自分のマイナス面にばかり注目しているような悪循環に陥っていたように思います。

それで、できない「理由」と「解決策」が欲しかったんです。

まずは身体の不調をなんとかしたいと病院へ行くも異常なし。
原因がないなら気持ちが足りないんだろうと、気合いを入れても全くダメ。
自分はよっぽどダメ人間なんだろうと思うしかない感じに追い込まれました。

その後、ひょんな事からADHDだと分かり、まずは理由が分かってホッとしました。
自分は「頑張ろうともしない人間なんかじゃなかった」と安心したわけです。
ところが、クリニック等には解決策らしい解決策がない。
確かリフレックスとベタナミンってお薬出してもらいましたが、返って朝起きられなくなり出勤率が悪くなりました。
意味ないじゃん、と思って半年でクリニックに行くのをやめ勝手にお薬もやめた(勝手にやめるのは良くないけど)その後に、赤い本(編注:『自閉っ子、こういう風にできてます!』)を読んだ気がします。

まずは発達障害と身体の不調の関係について知って、自分について理解がひとつ進みました。
それから、黄色い本(編注:『自閉っ子の心身をラクにしよう!』)と芋本(編注:『芋づる式に治そう!』)で「解決策」が見つかった、頑張るとっかかりが見えた!と思いました。


セミナーにも参加して、コンディショニングを実践するとちゃんと効果があって、手応えを感じて嬉しかったです。
後は脳みそらくらくセラピーと長沼先生の本も分かり良かった記憶があります。

朝起きられない身体だった場合、「あなたはそれでいいんだ。社会が理解すればいいんだ」と言われて気の済む人もいるのかもしれません(花風社の読者にはあまりいませんが)。
でもこの社会が「朝起きて、通勤できること」を要求している限り、それが可能な身体になりたい、ともがく人もまた多いのです。
そしてそういうとき、人はまず、素朴に医療を頼ります。
ところがその医療が提供できるものがないと知ったとき、失望します。
一方で黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』や芋本こと『芋づる式に治そう!』を読み、実践し、まさに自分で自分の身体を健康にすることができる体験をすると、それこそが本物の自己肯定感につながります。
「自分でできるんだ」という有能感と健康体が一挙に得られるのです。

医療者は、医療を否定されることが面白くないかもしれない。
けれども現状の発達障害医療においては、医療への失望が、自分への希望と表裏一体になっている現実を、優秀な医療者ほどわかっているようです。

発達障害は家庭で治す時代。
そして成人当事者は、自分で治す時代です。
明日6月22日、東京目黒でそういうテーマで講演をさせていただきます。
あっという間に満員札止めになったということで、ありがたいことです。
お目にかかれる皆さん、よろしくお願いいたします。

4 COMMENTS

みる@こねこ

小児科、こどもの心外来に限らず正直な所、医療ができることって、
・薬ほか何らかの医療行為する
・検査する
・診断書を書く事
くらいですよね。発達に関わる場合はこれにテキトーにどっか紹介するが加わる場合がありますけど、これ以上の事を私も求めていた時期がありましたね。
医者だから、支援者だから発達障害の事はなんでもできるという俺ルールがありました。

その頃は本当に生きづらかったです。

医者も専門家も支援者も1人の人のために時間をかけられるほど暇ではないので、多くを求めない方がいいのは今は理解出来ますけど、どうも、
「医者、専門家にかかればなんとかなる」
という俺ルールに囚われている人がこの世界には多いように思います。
そうでないですよね。
自分の養生は自分でさがすことが親たち、当事者たちに求められている課題ですよね。当たり前の事ですけど、それをここ数年、数ヶ月で学んだことです。

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浅見淳子

みるさん、ようこそ。
医者は治療。
患者は養生。
神田橋先生のお言葉です。

だから養生に取り組んでいる人の中に、治っていく人がいる。
それを私たちは目撃していると思います。

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うず巻き模様

不調を感じた時に医療に頼るのは自然の成り行きと思いますが、医者に治す気がなければ縁を切るしかないですね。

正直、お医者さまが皆んな神田橋先生のようであったらなぁ、とは思います。

当事者も医者、専門家というだけで盲目的にしたがうのではなく、誰が本当に希望の持てる解決策を持っているかを見分ける力が必要ですよね。

治してくれないなぁ、と思った時に医者に見切りがつけられて良かった(笑)

そして、治ってほしいという思いにあふれている&養生の取組み方を教えてくれる花風社の本に出会えて本当に良かったと思います。

返信する
浅見淳子

うず巻き模様さん、ありがとうございます。
そうなのですよね。今、医療に見切りをつけた人でも最初は医療を頼ったと思うのです。
何もできなかったから他の手段を探したのですよね。
医療の方々がそれをどこまで重く受け止めるつもりがあるのかは未知数ですが。
また治った自慢あったら書き込んでください!

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