「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

発達障害だけ治すのは無理

「発達障害だけ治すのは無理」

というタイトルですが、別に宗旨替えして「治らない」と言っているわけではありません。
たしかに花風社クラスタの間では発達障害治っているんですけど、治ってしまう人は、どうしても発達障害じゃないところも治ってしまうということ。
つまり、全身治るということ。
つまり、発達障害は全身の障害だからこそ、医療現場ではなく生活の場で治っていくということ
を言いたいわけです。

ふうりんさんの治った自慢です。
URLはこちら。

我が家の治った自慢

 

感覚過敏、目が回らない、会話が続かない、食物アレルギーが治りました。見る力も上がりました。

公園通い、回転するタイヤブランコ、アスレチック、寝る前のマッサージ、吹き戻し、シャボン玉遊び、草履ブーム、帯ブーム、水遊び、青竹踏み、高いところから飛び降りブーム、うんてい、トランポリン、バランスボール椅子、紙ふうせん、だるま落とし、立体パズル、折り紙でコップや細い巻き棒を大量生産、トランプ、ボードゲーム、兄弟喧嘩、近所の子と外遊び、アイロンビーズ、オリケシ、スイミング、ボルダリングなどなど生活の中で治りました。
黄本芋本の内容を取り入れてからは体調の波の対処に強くなりました。

食物アレルギーはアナフィラキシーショック歴があり3歳までの完全除去後経口免疫療法を受けました。現在は制限なく抗ヒスタミン剤も飲まずに過ごせています。結果的に8年ほどほぼグルテンカゼイン抜きでした。オリゴ糖を含むてんさい糖にしてトランス脂肪酸をなるべく取らないようにはしていました。ファーストフードが食べられなかったのも良かったかも知れない。

網膜由来の弱視がありサングラスをかけて登園していた時期もありましたが眩しく無くなりました。動く物を捉えるのが難しく鳥と蝶を見間違えるほどでしたが、テニスができるようになりました。幅3センチの中に線が引けなかったり読み分け困難で物を探せないなどは視知覚のワークをするなどしました。機能に問題があり神経発達がすんなりいかなかったのならなおさらアプローチしないと伸びないと実感しています。

いぬこさん、こよりさんのおうちと同様、ふうりんさんのおうちも目が治ったようですね。
そしてアレルギーが治ったのもいぬこさんのおうちと同じ。

最初こよりさんが「うちの子は弱視が治った」と言ったとき、私は「なんで知的障害と一緒に弱視が治るのだ?」と不思議だったのですが、栗本さんはきっぱりと「弱視は治りますよね」と言っていました。栗本さんの中には人体のつながりがあったからでしょうね。過敏が治り、知的にも発達するとどうしても目も見えるようになるようです。

これが理解できないと、私たちがなぜ「発達障害って治るよね」って考えているのかわからないでしょうね。
発達障害が治るということは、神経が整うということ。
なぜなら、NEUROだから。

NEUROだから、治るときは全身治ってしまうんですね。

それが

発達障害だけ治すのは無理
っていうことです。
どうしても、他のところも治ってしまうのですよ。
治りやすいところから。
そして実は、目って意外と治りやすいのかもしれませんね。

11 COMMENTS

ふうりん

取り上げて下さってありがとうございます。幼児期に知的障害が疑われた子のなかには視知覚の未発達が原因の場合もあるのではというのはもし今診断を受けたばっかりで情報を求めている人は頭に置いておくといいかも知れません。弱視に限らず。
過敏がなくなったのは周辺症状が治っただけと言う人もいますが中枢神経だけ別なはずがありません。
最後にパニックを起こしたのは小3だったかよくおぼえていないけど今困っていません。楽しく高校生活を送っています。体調が整うと勝手に発達して自分で環境に対応できるようになるのが治っただと思います。その程度で治るのなら専門家はいらないというのはホントで言いなりになって生涯支援コースに乗らなくていいと思います。こだわりで食べられるものが少なくても必要な栄養は取らないと丈夫になれません。障害があろうがなかろうが人に迷惑かけてはいけないという躾をすることも社会に送り出す準備です。パニックを起こされた日は夜な夜な花風社の本を読み返し見落としてることはないか今注目して育てるべきところはどこか対策を講じていました。受容しましょうなんてこれから未発達なところをどんどん伸ばそうというときに気を削ぐようなことをして支援したつもりになるなと思います。調べてもわからないぐらいの欠損なり変成なりがあって機能障害を起こしているとするならば尚更働きかけと本人の試行錯誤がないと発達しないと思います。配慮のある支援が害になってないか親がしっかり見極める必要があります。

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浅見淳子

ふうりんさん、コメントありがとうございます。知的障害があるとされたお子さんに他の機能障害があり知性がそれに隠されていた、というお話はよく聞きますね。そこで知的障害として育てると機会を逸失することもあるようですから親のカンって大事です。

これからもふうりんさんの治った自慢をお待ちしていますね!

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シア

こんにちは。
私も、土台からのアプローチで、ますます治ってきました。
確かに、完全に健康体ではないですが、要介助→全生活自立となっております。
・食事
・移動
・整容
・トイレ
・入浴
・歩行
・階段
・更衣

全てできます。
重度重複障害と言われても、ADLを立て直すことも不可能ではないはずなのです。

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浅見淳子

シアさん、ようこそ。
全生活自立、よかったですね。
完全な健康体ではないとしても、要介助→全生活自立 となったことはシアさんご自身の、そしてご家族のQOLを上げたはすです。
それを「完全に治らないのなら身体アプローチはムダ」と切り捨てる人たちもいます。
本当の意味で本人の立場に立っていない心ない人たちだと思っています。
でもきっと、シアさんのご家族はお喜びでしょうね。

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シア

こんにちは。
やっぱり、若いのに、生活に介助が必要。
ADLが不完全って言う、それが当たり前な障害。。。それが、どれだけ私に重くのしかかり、家族ともども辛い思いをしたかを考えると、身体アプローチや、少しでも楽になることを、考える術があっていいと思いますね。

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浅見淳子

よかったですね。
シアさんやご家族のように
「少しでもラクになって喜んでいる人がいる」。
それを批判的に見る匿名の医療従事者が守りたいのは人々の健康ではなく「医療従事者である」という自分のちっぽけなプライドなのでしょう。
つまり、自分が認めない方法でQOLを上げていく人の存在が許せないほどの人でなしだということですね。
本当に人々を守りたくて医療従事者になったのなら介助の必要性が減っていくことを寿ぐはずですから。
とうてい匿名でしか言えないほどひどい発言です。
そういう人が入ってこられない場を作ってよかったです。
これからもますます治るといいですね。

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シア

社会の理解がー!って、そのことだと思うんですよね。 階段があるから、それが障壁となって、障害が生じる!だから社会のせいだ!と言う人がいます。 しかし、階段を上り下りできるような、車いすを作ったっていいし、リハビリでその能力をつけてもいい。 そもそも、階段は、崖を登れるように、健常者にとっての障壁をなくすために作られた。 それをスロープにしてもいいけど、そうではなくて、障害者自身がそれを克服できると言ったアプローチを考えていいんですよね。 装具を使えるためには、車いすからPTを受けて、筋力をつける必要がありました。 筋力が付いたら、身体アプローチで足のコンディションを整えて、歩けるようになりました。 その視点が欠けてますね、「社会の理解がー!」には。

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浅見淳子

なるほど。
脚力も芋づる式。
そして正座までできるようになった。
素晴らしい。
でもPTが愛着の問題を抱えていたり、装具屋さんの利権を守ってたりすると、歩けるようになることを面白く思わないですよね。
やはり、オペレーション置き去りですな。

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シア

なるほど! 私は、「社会モデル」の行き過ぎを、問題視しています。 「医療モデル」だと、「治る!」ですね。 そして、「医療モデル」は、もっと推進して、「個人モデル」になればいいなと思ってるんです。 それは、歩けないのが、個人の責任!社会は関係ない!ではなくて、個人の歩けない原因を突き止めて、今すぐ歩けない人でも、何とか動けるようにして、いい方向に向いて、ラクになる方向を模索すると言うコトです。 例えば、痙性麻痺や壊死で、足が動かない人がいる。→その原因を手術で取り除く。→筋力が足りないことがわかり、PTや装具でその原因を取り除く。→筋力が戻っても、歩けない理由が足のコンディショニングや使い方ができていないと言うコトがわかる。→身体アプローチでそれを取り除く。 つまり、外部に問題を求めていては、本人自身のの力が付かないと言うコトなんだろうと思うんです。

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シア

ありていに言えば、「支援モデル」から、「自立モデル」に変わらないといけない。 そういう方向に向かった方がいいと思うんです。 支援にお金を使うのではなく、自立にお金を使えばいい。 つまり、福祉にばかりお金を入れるより、不必要な支援を減らして、ベーシックインカムを入れたほうがいい。 福祉予算でスロープや支援者を増やすのではなく、階段を登れる車いすを作って、そのお金を助成したほうがいい。 そうすれば、本人が動ける喜びを知り、社会のせいではなく、自分の力で何とかしようとする気になるのでは。 他力本願ではなく、自力本願になってほしいのです。 少しずつ、そういう方向に向かってほしいのです。

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