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ハイスペ層について考えたこと

先日の座波さんの講演会で、質疑応答コーナーでハイスペ層の課題が明るみに出ました。
かつてのギョーカイはアインシュタインやエジソンが大好きでしたが、たしかに研究職やなんかについている人で発達凸凹の傾向がある人がいることは否定しません。そういう方たちからの質問が座波さんに寄せられたのです。
学ぶところが多く、これは一度記事にしないといけないなあと思いました。

個人情報をそぎ落として書きますが、私が理解したこと。
突出した能力があるがゆえに、発達障害が治っていなくてもきちんと仕事につけた人たちがいる。
突出した能力が障害特性をカバーしていた面もあると思います。
でも責任が重くなってくるとだんだんカバーしきれなくなって、壁に突き当たる。
それは人間関係のこともあるし、実行機能の面での苦労であることもあります。

特別支援教育の黎明期は、こうした層が苦しまないような支援、この人たちの能力を活かせるような支援をしようというかけ声が盛んでした。私も特別支援教育をこの頃は応援していた。国益と特別支援教育の方向が一致していたと私が誤解していた頃です。
それがだんだん考えが変わってきたのは、はっきりと「国滅びてギョーカイ栄える」をギョーカイが目指していることがわかってきたから。自立なんかさせる気ない。才能を伸ばすより生涯にわたる福祉の固定資産として育てる。建前上は「苦しませない」ことに重きを置く。その結果、支援が纏足めいてきたからです。

凸凹があると、優れた能力があっても、自立は苦しい。
だから凸凹なりに自分の足で立つ練習をしよう、というのではなく、歩かなくてよくするための環境調整をする。なんなら足を縛って立てないようにしてしまえばもう歩かなくてすむ。そうやって早期診断早期介入のもと福祉のめんどりコースに載せる。無理させない無理させない頑張らせない。そうやって持っていたかもしれない才能を伸ばす機会さえ与えられない世代が出てきてしまいました。

今大人として働いているハイスペ層は幸運にもこの特別支援教育を逃れた世代なので、普通の子として育てられ、できないことも多く、苦労もあったわけですが、きちんと学力を伸ばす機会も得られ、それなりの賃金とやりがいの得られる仕事にはたどりついた。
そしてそこで課題に突き当たる。
もしかしたら才能が課題を先送りにしてくれた、という言い方をしてもいいかもしれません。
子どもの時は順調でも、大人になって壁に直面する。

事ここに至ったとき「ほら言わんこっちゃない。だからありのまま路線で」が今のギョーカイの流れですね。
それは間違っていると座波さんは言った。
苦労したからこそ今にたどりつけたのだと。
私もそれは同意です。
ギョーカイが介入した結果はどうでしょう。もしかしたら実は能力も高く志もある人がルーティン的な低賃金労働に終始させられるかもしれません。
その状況でメンタルは別の打撃を受けたかもしれません。
そういう危険もはらんでいるのが特別支援教育の現状です。

あ、でも現行の特別支援教育の結果、カサンドラはいなくなるかもしれません。
才能を、そして賃金を伸ばせなかった凸凹の人たちは婚活市場にあまり出てくることなく、ゆえにカサンドラの悩みを抱えた妻はいなくなるかもしれません。
これはかなりブラックですがありえることです。
かつては特別支援教育がなかったがゆえに生まれた命があるかもしれません。
ブラックですが、可能性はあります。

こうしたハイスペ層の相談に対し座波さんの答えは「それがあなたの課題です。だれでも課題にぶち当たります。たとえ障害がなくても。それを乗り越えましょう」というスタンスで、かなり具体的にアドバイスしていたと思います。
「障害を治すことよりも仕事ができるようになることを目指す」というスタンス。
そしてその中でヌケが埋まってしまう=障害が治ってしまう
なんだと思います。

そうなんですよね。
仕事をすれば誰だって壁にぶち当たる。
そのときの乗り越え方が、ちょっと特性入っているだけの話なんです。
それはそうなんだけれど、私は発達凸凹があるハイスペ層の悩みはやはり「発達のヌケ」から来ているんだなあと思いました。そしてヌケだから埋めればいい。でも能力が高いとそれが後から出てくるんだなあというのが実感でした。

ハイスペ層について一度記事にしようと思いながらあれから日が経ち、『発達障害でも働けますか?』が入荷してきました(書店販売は10月です。日にちが決まったらまたお知らせいたします)。

直販のリストを見ながら気がついたこと。
それはもう一つのハイスペ層の方たちが買ってくださっているなあ、ということでした。

知的障害があり、高等特別支援学校等をお受験し、職業訓練と実習を経て内定、企業内就労して数年経った方たちです。
そういえば安定した雇用を継続されています。
思えばこの方たちは、第一次猿烏賊(現発達負け組)騒動のとき「修行なんて残酷~」と騒ぎ立てたあっち側に対しがんとして「修行は大事」と言い続け、実行し続けた方たちでした。
別に威張ってないけど、この十年修行を続け、それを実らせてきた方たち。
この方たちも花風社の確固たる支持層でした。
ずっと本を買い続けてくださっているし、ご自分のところはすでに雇用安定しているけれども『発達障害でも働けますか?』という新刊も買ってくださる。

これも花風社クラスタの特徴ですが、読み物として花風社の本を評価してくださるので、自分のところがすでに乗り越えた課題がテーマの本でも買ってくださるんですよね。

とにかく、この人たちもまたハイスペ層です。
高等特別支援学校について、心ないことを言う人たちもいた。
それでも親子でそこをめざし、訓練と実習を乗り越え、企業就労して続いている。
誰もが続くわけではないです。
誰もが続くわけではない、という理由で高等特別支援学校自体に対し無用論を掲げる人さえいます。
でも座波さんだったら仕事が続かなかった人にもきっと的確な方向付けのヒントをあげるだろうなあ、と思いました。
たとえ入った企業で続かなくても、それまでの経験は無駄ではなかったのだから。

そして久々にこのハイスペ層の方たちのことを思い出し、私が皆さんに言いたいなあと思ったことは
修行は報われる、ということ。
修行した人は結果を出しています。
その間の十年間、毎日毎日花風社の悪口を言っていた負け組もいるのです。
けれどもその十年間、親子で修行しつづけ、時々出る花風社の本を読んで来た人たちもいるのです。
十年経ったから自信を持って言えます。
修行は報われますよ、と。

知的障害のあるハイスペ層の人たちのバックには、修行を応援し続けた親御さんたちがいます。
雑音に惑わされることなく。
もうあまりに安定しているので治った自慢を今更する気になれないのかもしれませんが
この方たちも長年の花風社の支持層なのですよ。

5 COMMENTS

かつおまぐろ

こんにちは。
皆さんの報を見て早く届かないかなとワクワクしながら待っています。

息子(高二)は、数年前、支援者に将来の夢を伝えたらその場で直接「キミは良い大学には行けるけど働けないよ」と言われました。息子もわたしも色んな意味でかなりのショックを受けました。それが決定打となり支援団体を辞めました。
進学予定だった地元公立中には高校進学は(不登校のため)厳しいと言われたので私立中高一貫校へ進学した結果、支援ファイルは焼却処分になりました。
だからという訳ではありませんが、やはりなりたいようになるには自分なりに努力するしかありません。努力している過程で花風社に出会いました。
そして、息子は良くなりながら、できるようになればなるほど出来ないことが増えて辛いと泣いて打ちひしがれました。思春期もあり荒れました。この期間が結構長かったです。

3ヶ月前、家の事情で引越し、公立高へ転校しました。家族全員で行こうと息子が決めました。公立校は雑然として騒がしいとあんなに苦手だったので気を揉みましたが、蓋を開けてみれば難なく馴染みました。もちろん半端な時期の転居と編入で葛藤はあったと思います、でもいま毎日楽しい!って通っています。
毎日登校できたらいいな、感覚過敏治ったらいいな、夜眠ってほしいな、ご飯食べられるようになって欲しい…などなど4~5年前のあの頃に夢だったこと、目指していたことは気が付いたら既に全部叶っていました。

昨夜、 息子がお昼ご飯の弁当箱を洗いながら(たまに洗います)、ボソッと「お母さんいま幸せ?」と聞いたんです。何かあったのかと聞いてみると「俺さ、こっちに来て公立高に入って、みんながそれぞれ出来ることや得意なことがあって、協力するんさ。こういうの良いなと思って。こういうの幸せなんちゃうかなって。俺いま幸せなんちゃうかなって思ってさ」と照れた感じで。
小さい時からずっと身体が辛い、心が辛い、出来ないことが辛い、出来すぎることが辛いって泣いて苦しんできた子が、初めて自分から幸せって言いました。
幸せと感じるって、日本に生まれて恵まれていることを言葉にして並べてみたら確かにそうなんだけど、実感として今自分は生きてきる、幸せなんだ、命から湧き上がってくるものは誰かに教えられて理解できることではありません。嬉しかったです。
オフがオンになったこと、0が1になったこと、治っていく過程は辛いこともありますが、いつか分からないけれどピョンっと階段を上がるように変化します。

話は前後しますが、発達障害でも働けますか?を注文した日あたりから、息子がアルバイトをしてみたい、近くのコンビニに応募してみようかなと言います。お母さんは賛成だけど、お父さん(出張中)と学校にまず相談しなさいと言いました。
ついこの前まで身体が弱くて泣いた子が、色々思うことがあるようで自分からアルバイトしたいと言い出す、信じられますか?
実際うまくいくかはまだ分かりませんが、課題は乗り越えていかなきゃ、そう思います。やらないと次のことが出てこないから。
高二の今の時期、勉強が疎かになっていることを快く思われない方もいるでしょうし、受験に向けて大事な時期に差し掛かります。
でも今この子は自分で幸せを感じられるようになり新しい挑戦をしようとしている。「ヌケ」を埋めて伸びようとしているんだ、自分の力で立とうとしているんだと思うと応援せずにいられません。
新刊が私たちにとってもベストな時期に発刊されますことに感謝いたします。

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かつおまぐろ

先ほど到着しました、ギリギリに注文したのにこんなに早く送ってくださってありがとうございました。急ぎ郵便局へ走りました。同封のハガキもありがとうございます。これから拝読します。

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みる

自分はまさに特別支援教育、ありのまま教育世代のど真ん中にいる世代ですけど、本当、害でしかないです。

語弊なくいえば、花風社クラスタとして見ても、社会の側として見ても私は「失敗作」です。
自分の場合、発達障害も精神疾患も重度だったというのが大きいですが、それでも、もっと早くに治っていれば、普通高校や大学に通えていたと思いますし、きっと就職もしていた。もしかしたら結婚して、子どももいたかもしれない。
ありのままで特別支援教育を信じたからこそ、当たり前の幸せを諦めなければいけない人生に本当悔いしか残っていないです。

それでも何とか1人前の大人になりたいので、今は浅見さんのもとで、1人前の大人になるために、気合と根性と努力で何事も成し遂げられるように修行中です。
こんな自分でも、いずれ、藤家寛子さんのような礼儀作法がしっかりあり、チャーミングで誰がどう見ても定型発達の健康な大人になりたい、そういう日を目指して日々修行に励んでいますし、何より他のお子さんたちも日々熱心に過ごしている方ばかりで人として尊敬しています。
将来、花風社クラスタのお子さんたちのような大人になりたいですので、これからも気合をいれて頑張っていきたいです。

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ブルー

浅見さん

昨日新刊の「働けますか?」が手元に届きました。これから読みます。ただ、巻末の提案資料は痺れました。最高です。花風社の知見が凝縮されていて、凄かったです。就労の本にこれが載るのがまた2重に凄い所ですね。

さて、徒然ですがコメントします。このブログの件については、私は別にハイスペでもないのですが、年代的に同意ですね。私の人生そのものです。

>発達障害が治っていなくてもきちんと仕事につけた人たちがいる。突出した能力が障害特性をカバーしていた面もあると思います。でも責任が重くなってくるとだんだんカバーしきれなくなって、壁に突き当たる。それは人間関係のこともあるし、実行機能の面での苦労であることもあります。

⇒ハイスペでなくても、成人当事者あるあるですね。ライフステージが変わると、凸だけでは凹をカバーしきれなくなります。働きだしてから診断された人々はこの類です。

>私も特別支援教育をこの頃は応援していた。国益と特別支援教育の方向が一致していたと私が誤解していた頃です。

⇒私も誤解して、特別支援教育を最初は歓迎していました。「この国もやっと北欧においついた」とか思って。「僕みたいな人生を、後続世代はもう送らないで済む。ヨカッタヨカッタ」とか思っていました。「若い当事者はウラヤマシイ」とかも思っていました。

壮大な誤解だったのですが。

>凸凹があると、優れた能力があっても、自立は苦しい。
⇒確かに、凹が確実に足を引っ張ります。

>幸運にもこの特別支援教育を逃れた世代なので、普通の子として育てられ、できないことも多く、苦労もあったわけですが、きちんと学力を伸ばす機会も得られ、それなりの賃金とやりがいの得られる仕事にはたどりついた。

⇒ロスジェネ当事者に幸運があるとすればこれです。そもそも発達障害を対象にした特別支援がなかったので、それに絡み取られなかったことです。後になって「自分は幸運だったのだ」と自覚しました。

>苦労したからこそ今にたどりつけたのだと。
>私もそれは同意です。

⇒私も同意です。無闇に苦労しろというより「定型の世界」で戦い抜くと、「定型軸」の自己認識と社会認識ができます。それに従ってゆっくりと、正しい型を丁寧になぞるように努力をすれば、きちんと道が開けていきますね。

>発達凸凹があるハイスペ層の悩みはやはり「発達のヌケ」から来ているんだなあと思いました。そしてヌケだから埋めればいい。でも能力が高いとそれが後から出てくるんだなあというのが実感でした。

⇒私ハイスペでもないですが、成人で働いている当事者の足を引っ張っているのはやっぱり「ヌケ」ですね。後から、もう少し言えばライフステージの変化によってヌケが露呈するのもまた同意です。

この「ヌケ」という知見は就労の世界、あるいは成人当事者の間でもなかなか広まってないですね・・・。

私が花風社の読者となった要因の一つがこの「ヌケ」「ヌケは何歳からでも埋められる」という知見に救われたからです。

「よっしゃ埋めればいいんだ、ヒャッハー!(狂喜乱舞)」ってなりましたよ。成人当事者にとって、大変な希望のある知見です。

また、これはまた別投稿で詳しく書こうと思っていますが、成人で、私のようにそれなりに安定している人のヌケは「代償機能」の蓋を開けないと特定できません。ヌケのある成人の身体は、「代償機能の塊」になっています。

(※ただ、灰谷さんの言うとおり、それだとちょっと疲れやすくもなります。)

その代償機能を停止させる状態にして、その後ヌケを特定する、という考え方になります。ここはちょっと専門家の力を借りた方がいいかもです。

ちなみに、栗本さんとお会いした際に、この「代償機能を停止させて成人のヌケを発見する」に関して「純化」という単語をあてておられたように記憶しています。まあ、おかげ様で栗本さんにはヌケを発見してもらいましたが、それはセッションの後半部でしたね、やはり。

徒手系の先生には、私の代償機能だらけの身体を解析してもらったりしました。

いずれこのへんの話もサイトでできたら。

以上徒然に。「働けますか?」全部読んだら、また感想書きますね。

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みならい怪獣

現在息子は小6です。
小学校の途中からフリースクールとの所属の小学校とのダブルスクールをしています。

小学校に入るときには診断がついていたので学校へも伝え入学したのですが、診断があるせいか、腫れ物に触るような扱いで、息子の気力、体力的に満ちてきて実生活での社会での勉強をさせたいと思っても、学校側が何が怖いのか、待ったをかけられる状態です。

浅見さんが書かれている通り、やる気やチャンスさえもがんじがらめに固めて纏足のようになって、最も大変な時期のままで固められそうな扱いをされていると感じる事が多いです。

息子は知的に遅れがないため、出来るだけ社会参加できるようななってもらいたいと思っているので、これからも親だけでも子供の能力を過小評価せずに、本人の意思を確認しながら、状況を見ながら挑戦させて働ける大人になるように修行しようと思います。

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