「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

何ができたのか?

さて、元事務次官のおうちの事件に関しての浅見淳子公式見解です。

とは言っても、言いたいことは結構、てらっこ塾の大久保さんに先を越されてしまった感じです。
大久保さんのブログ、貼っておきますね。

題して「診断と投薬」の限界。

http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/12/blog-post_18.html

一部大久保さんのブログを引用させていただきます。

発達障害に関する専門家、支援者は、「診断があれば」「支援があれば」「理解があれば」と言います。
でも、本当にそうなのでしょうか。
この3つがあれば、こういった悲しい事件は起きなかったのでしょうか。

この息子さんは、診断を受けており、発達障害を自覚していたといいます。
しかも、服薬も受けていた。
つまり、『診断と投薬』という医療者のみに認められた専門的な援助を受けていたということ。
それなのに、息子さんの症状や生きづらさ、そして家族を心身共に追い詰めてしまう行為がなくならかったのです。
ということは、『診断と投薬』で問題は解決しない、限界があるという意味ではないでしょうか。

一昔前は、不幸な事件が起きると「診断がついていなかった」「支援が入っていなかった」の声が高かったです。
そのころは、診断がついて支援さえ入ればこのような悲劇は避けられた、とある意味夢を見ていられた時代でした。
ギョーカイはそう主張していたし、当時ギョーカイと仲良かった私もそう思っていた。

でもさすがにギョーカイは最近、こういうときおとなしいですね。
診断がつこうと、支援が入ろうと、だめなものはだめ、とわかってしまっている。
それが令和元年の暮れにおける発達障害の世界の現実。

私も、自分の事件のころから、気がつき始めたのです。
もしかして支援は役に立っていない?
というかひょっとすると逆効果?
とさえ思ってきました。

今回の不幸に関すると、少なくとも医療は入っていた。
被害者ご本人は服薬していたし、加害者である父親の方も服薬していたという情報も。
ご本人が崩れ出したのは中学の時のいじめがきっかけになったそうですが(報道による)
そのトラウマにも家庭内暴力にも薬は効かなかったことになります。

トラウマは誰でも抱えるものですが
私はいつも、自閉脳の不思議さに突き当たります。
普通、中学のときのいじめを40過ぎるまで引きずるでしょうか。

あるいは
自分が完璧な人間でないように
この世に完璧な親はいないのだから、定型の人たちだって親にされたあれこれを思い出すこともあるでしょうが
40過ぎても恨めるものでしょうか。

とっくに忘れると思うのです。
ところが自閉の人は、つらい記憶を引きずるのですね。

自閉脳はこびりつき脳。
それがいいところもあるのです。
たとえば藤家寛子さんは、『他の誰かになりたかった』に書いてあるとおり、愛着の土台をおじいさまとの心の交流で培いました。

私はそれに感動しながら読んでいました。
藤家さんは大人になったあともおじいさまとの思い出をありありと語ってくれました。
そのおじいさまが、藤家さん4歳の時に亡くなったと知ったのはずいぶんあとになってからです。

私は祖父を、そこそこ尊敬していて
その祖父は私が大学生の時亡くなりましたが、正直もうあまり細部まで思い出せません。
いやなこともあったけど、どちらかというといいことばかり覚えているかもしれない。
だけど二十代の藤家さんが語る4歳までのおじいさまへの愛はとてもリアルでした。
記憶の仕方が違うんだなあ、とびっくりしました。
藤家さんもそれを自覚していて
そこが自閉の好きなところだと書いていますね。

でもそれがつらい記憶だとしたらどうでしょう。
40を過ぎてもつらさを引きずり、それが転じて家族への暴力に出ていたとしたら。

つらい体験から来る長期のひきこもり→家庭内暴力を避けるには、つらい記憶の処理
つまりトラウマ処理がとても大切だと思います。
そして神田橋先生や愛甲さんは、医者に頼らなくても、何か物質を入れなくても
数分でトラウマを処理できる方法を教えてくれます。
それでよみがえったらまた自分でトラウマ処理をする。
それでどんどん目詰まりが取れていきます。
花風社クラスタの方には実感できる方が多いと思います。

杉山登志郎先生も、トラウマ処理の重要性は著作で繰り返し強調されていて
その手法を「ルビコン川のこちら」と「ルビコン川の向こう側」に分けていますね。
そして神田橋愛甲師弟が主に採り入れているのはルビコン川を堂々と渡ってるやつです(杉山先生方面から見て)。
でもこれが効くのです。
薬より効く。
しかも副作用がない。

根深いトラウマは薬では取れないのですね。
なぜなら言葉以前の領域にあるのだから。

なのになぜ効果のない薬をのみつづけるのでしょう。

こういう不幸なケースが起きたとき、誰も
「何をのんでいたか」を追求しないんですね。
なんでなんだろう。
私は自分の事件の加害者には薬の影響があったとはっきり思っています。
私は「彼」に未だに一度も会ったことがない。
でも薬の副作用で歩くのも覚束ない姿だったということは人づてにきいています。
薬で生産性が上がらず、気に入らない他人を中傷することを本業にする。
そういう自閉症者が減るといいと思っています。
それが社会との共存の必要条件だと考えています。

つい最近も、命が失われた悲劇を聴く機会がありました。
戦犯となる支援者は多数。
そのうちの誰一人もお線香を上げにこないことを、ご遺族は悲しんでいました。

たぶんそういうところも
支援者が治せない理由だと思います。

ご冥福を祈ります。

そして

私も大久保さんと同じように
こういう悲劇を減らすために何ができるのか、考えたいと思います。

そしてアクションを始めました。

2 COMMENTS

藤家寛子

私も、かつてはひどい「こびりつき脳」を抱えていました。
祖父との思い出も、学校時代のいじめの記憶も、フルカラーの映画のように覚えていました。
一度上映が始まってしまうと、自分の力で再生を止めたり、早送りしたりするのが不可能な状態に陥りました。
特に、嫌な記憶のフラッシュバックは止まらないのです。
それを、薬でどうにかしようとしていた時もあります。
どうにもならなくて、結局はのたうち回り、自分に噛みついたり、壁に顔をぶつけて鼻血を出したりしていました。
まだ、神田橋先生や愛甲さんの存在を知る前のことです。
私の場合は、記憶を上書きすることで、トラウマをなんとか乗り越えようとしました。
支援者は、トラウマに関連する場所に近づかないことや、当時を思い出させるものをすべて処分することをすすめました。
正直、そうなると地元で生きていくのは不可能に思えました。
どの景色を見てもフラッシュバックが起こっていました。
でも、永遠に引きこもっているわけにもいきません。
だから、乗り越えることを選びました。
トラウマを抱え続ける気はなかったし、一時的に見えない状態にしても、もとからなくさない限り、生活の困難さは消えないと考えたからです。
その頃、神田橋先生や愛甲さんのトラウマ処理の方法を知っていたらどんなによかっただろうと思います。
時間はかかりましたが、トラウマはなくなり、フラッシュバックも起こさなくなりました。
それは、薬のおかげではないと思っています。
こびりつき脳が完全になくなったとは思いません。
今も、嫌なことは映像で鮮明に残りやすいし、ふとした時に思い出されて、感情が一瞬ブレたりします。
でも、記憶の処理がうまくなったので、トラウマになりません。
仮にこの先、またトラウマを抱えることになっても、処理すればいいのだ、という思いでいます。

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yasu

はい、診療も投薬も受けており支援はきちんと受けていたように思います。報道記事から推察するにベストを尽くしていたのではないかと。適切な支援を受けていれば、せめてこういう不幸な結末にはならなかっただろうというような臨床心理士のコメントがありましたけど、私はそれには懐疑的です。

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