今日は身体アプローチを三者三様でどうとらえているかをまとめます。
三者っていうのは誰かって言うと
・浅見(言い出しっぺ)
・栗本さん(ひっそり知見を溜めてた人)
・座波さん(現場で使った人)
です。
まず浅見がどうやって身体アプローチと出会ったかというと、自閉症の著者たちと一緒の仕事を通してですね。
いい子たちなのに、頑張り屋でもあるのに、どこか身体が変。それで社会生活大変そう。
ていうか、情緒障害とかいうけどそれは濡れ衣で、身体感覚どうにかなればかなりラクになるのではないの?
これだけ身体感覚ズレていたら、世界観ヘンテコになって当たり前ではないの?
そう思ってまず作ったのが赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』です。
なんと出版後15年ですよ。
このときに私が何を治してあげたいと思ったかは『NEURO』に書きました。
1 感覚過敏 2 睡眠障害 3 ボディイメージ 4 季節の変動に弱いこと
をどうにかしてあげたかった。
たとえば3のボディイメージの問題。自分の身体がどこからどこまでかわからないのなら、外に出るのが怖くて当たり前だと思った。それでひきこもっている人もいるんじゃないかと。だったらそれをどうにかしてあげたかった。
最初は療育の世界で唯一身体に興味がある感覚統合と組んだ。
あれだけでもかなり治った人はいた。犬の曲芸方面で治らなかった人たちが。
そしてそういう試みをやっているうちに神田橋先生がやってきた。
神田橋先生との出会いでわかったのは「東洋的な手法に効果があるかもしれない」ということ。
私は一貫して「治ればいいな」という赤心で仕事をしてきた。
それを素直に受け取らず他の意味を見いだそうと頑張っているのがアンチ。見いだせるわけがない。ないんだから。だからアンチはいつまでも浅見の行動の背景がわからなくて苦しくて当たらない想像を巡らしている。
一方で私の赤心をわかって本を読み実践して治った治ったと喜んでいるのが花風社クラスタ。
何度も炎上があったけど、そのたびに「え? 治るの?」と思ってこっちに来る人もいる。
これは炎上商法じゃない。炎上を起こすのはつねにアンチ。こっちは赤心を発信しているだけ。つねに。ギョーカイの悪口を言うのも、ギョーカイの正体がわかったからこそ「あ~彼らに身を委ねていると治らないね。でも彼らは依存させたがるね。何しろ治さない方が彼らが儲かる仕組みになっているし」という情報発信。赤心からの。
さて。
治す医者である神田橋先生と出会って「東洋的なもの、いいかも」と思ったあとに出会ったのが栗本さん。
そして栗本さんにとっては、発達障害の人は発達障害の人である前に
・力の出し入れができない人
だった。だから眠れる身体になっていない。これは力の出し入れができる身体にしてあげれば眠れるし眠れると学べるし出せるし色々いい! ってことで金魚体操を勧めた。
花風社が栗本さんを見つけるまでには花風社の提言でよくなった人が多かったからみんな無名のおっさんの本にも飛びついた。そしてますます治った。栗本さんは全国でひっぱりだこ。が続いている。今はなかなか小田原にいる週末がなくなってしまったほど。このきっかけを作ったのが黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』です。
浅見的には、眠れる、学べる、情緒が安定する人が増えたのがうれしかった。でももう一つ課題があった。それは発達障害の人たちが季節の変動に弱すぎること。この疑問を栗本さんにぶつけ、四季の身体の変化、水分の変化を学んだ。それでできたのが芋本こと『芋づる式に治そう!』です。
栗本さんにとっての発達援助は「刺激」だった。
末梢神経と中枢神経のつながりをつねに意識していた。
なんとなくみんな「中枢神経の障害」とかいうけど、中枢神経が頭蓋骨の外にもあると『人間脳の根っこを育てる』で指摘してくれた。
あの有名なP64の図ね。中枢神経が頭蓋骨の外にあると考えると、できるアプローチが増える。それでますますみんな治っていった。
そして座波淳さん。
元(売れない)営業マン、から心理士へ。自分がサラリーマン時代苦労したことから一貫して会社員のメンタルヘルスに関わる現場で仕事をしてきた。師匠に神田橋先生を選んだ。そして花風社の本を読んで神田橋先生に勧めたりしていたところ、なんと師匠の本を花風社が出すようになった。ずーっと花風社がやることを追いかけていて、栗本さんが出てきたらもちろん読んだ。自分も実践した。小田原にも行った。
そして座波さんにとっての身体アプローチは『発達障害でも働けますか?』
にも書いてあるとおり
「脳と身体を首を通してつなげるアプローチ」。
座波さんの観察では、仕事場でうまくいかないハッタツ系の人は脳と身体がつながっていない。
これを最初きいたとき、否定はしなかったけどピンとこなかった。でもそのうち、首上げで言葉が出てくる花風社クラスタの皆さんのご報告など上がってくるうちに、わかってきた。
思えば私が勤め人だった頃のボスがよく私に言ってくれていた。
「浅見の持っている嗅覚、動物的なカン。それがすごい。それは持って生まれたもので培えるものではない」
このカンに従っているうちに私はニキさん藤家さん、愛甲さん神田橋先生、栗本さん、座波さんたちと出会った。
頭でうんと考えて身体感覚で決める。それが私の仕事のやり方。
そしてボスが言っていたのは一部正しくない。これは、培えるものだと思う。
どうすればいいかというと、首の下からでも情報が拾えるようにすればいい。
そしてそれが座波さんの言う「首を通じて脳と身体がつながる」ことではないでしょうかね。
これができないと「仕事ができない人」になる。
仕事ができない人は、職場で生きづらい。
身体アプローチはそれを解決する、というのが座波さんの考え方のようだ。
花風社の著者たちは何かと「頭でっかち」の状態をよくないものとする。
私もそれはわかる。
でも頭でっかちの人たちって、結構自分たちでは「頭いい」つもりでしょ。
違うんだよな~と思った。
頭でっかちじゃない人にも頭のいい人はいるしね。
神田橋先生なんかそうでしょ。
愛甲さんは親が頭でっかちだと子どもの障害は治らないという。
そして『知的障害は治りますか?』では頭でっかちの治し方も教えてくれている。
それを聴いて私は
頭でっかちとは「頭がいい」ということではなく、「サバイバルのために使える情報を首から下で拾えない」ということ。
と定義した。
座波さん、どうでしょ。
年末のせいか、なんか集大成みたいなブログになりました。
今後も何度か更新はすると思います。
とくに、体操と身体アプローチがどう違うのかは今年中に書いておきたいな~。
休暇先から書くかもしれません。
座波さんと浅見の講演会@大阪。
お申し込みたくさんいただいているようで、ありがとうございます。
ご希望の方はこちらにどうぞ!
意外と知られていない大前提が、頭が身体をコントロールしているわけではない、ということです。あくまで、吸収・循環・排出の植物性が土台となり、感覚・伝達(神経・脳)・運動の双方向プロセスが動物性の基本、ヒトの脳は後付けでそこに介入できるようになっただけ、という事実を知っておく必要があります。
で「頭でっかち」ですが、サバイバルどころか、こうした命のありよう自体を否定し流れを妨げるありようと捉えています。
つながっていない、つながっているけど使えない、使わない、に分けることができます。
命は疲弊し力を失うしかありません。ますます頭だけで何とかしようと悪循環に陥ることになります。不健康極まりないありようとなります。
頭の適切なあり方についてはまた別の機会に。
座波さん、ありがとうございます。
そうですね。それが愛甲さんが「快食・快眠・快便」を重視される理由でもありますね。
ヒトとして当たり前のことなんだけれどそこをすっ飛ばす支援が多かった。
そしてその「快食・快眠・快便」もここ数年で進歩した気がします。今の花風社クラスタのお母さんたちはお子さんが「出しているか」だけではなく便のかたちや色まで気をつけていますから。そのあたりのことは新刊に入れました。
頭でっかちについてそこまで分析していらっしゃるのですね。
今年は頭でっかちの人が呼んでもいないのにたくさん押しかけてきて、そして結論としては「だめだね、あの人たち」と思った一年でもありました。来年も頭でっかちのひととは無縁でありたいです。
大変お世話になりました。
また来年も(まず大阪から)よろしくお願いいたします。
新刊からまた勉強させていただきます。
こちらこそお世話になりました。引き続き、よろしくお願いします。