からだメンタルラボさん主催の講演会「発達障害の自立と未来」当日。
関東から関西まで、青い空が広がりっぱなしでした。
小田原の手前から見えていた富士山が、ずーっと見えていました。
私はほとんど文字を読まないまま新幹線で景色を楽しんでいました。
東海道新幹線の車窓からの眺めは大好きなのです。
浜松を過ぎた。大きな静岡もそろそろ終わり。ようやく私は本日のレジュメと赤ペンを取り出し、ぽつぽつと書き込みを始めました。
今回の講演は、からだメンタルラボの若い(当社比)心理士津田さんが主催。
私が一時間しゃべり、メインの座波さんが三時間の長丁場。
すでに座波さん作のパワポが送られてきていました。
超大作です。
私に与えられたお題は「治ってほしいと思っていいんですよ 神経発達障害という突破口」ですが
「15年を1時間で語る」内容になりました。
15年の始まりは2004年。
どんな年だったかというと、赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』が出た年です。
そしてそれから15年目に『NEURO 神経発達障害という突破口』が出ました。
『NEURO』のテーマは、発達障害の解放です。
何からの解放か?
そう。
・頭蓋骨から
・治せない医療から
の解放ですね。
そして開けて2020年、「どこでも治そう発達障害」という任意団体を読者の皆様と作ったわけですね。
その都度、問題意識に答える。
それでやってきた15年でした。
間に理不尽な目にも遭いました。裁判。炎上。でも座波さんが本の中で言っているように「仕事をしていれば理不尽な目に遭うのはデフォルト」「その都度立ち直れる心身が必要」。まさにそれを体現してきた15年なので、「なぜ発達障害は治ってほしいと思っていいのか」を語ることが、私のキャリア語りみたいになりそうな感じでした。今度はそれでいいと思いました。何しろ座波さんを迎えての講演会なのですから。ずっと「働く場のメンタルヘルス」にこだわってきた座波さんとの講演会なのですから。
けれども浜松を過ぎて赤ペンを持った私は、気づいたのです。
なぜ私が「治そうよ」というか。
それは発達障害と出会う前からのキャリアもまたかかわっている、と。
なぜなら、ニキさん、藤家さんに会ったとき、私が彼女たちに見いだしたものは、好ましい属性であり
私はそれを共有していると感じたからです。
すなわち「頑張れること」です。
そしてFBを見ると、栗本さんも同じ富士山を見ていたのに気づきました。
栗本さんも西に向かっている。
愛知県にお客さんたちがいて、一般募集はしていませんが、栗本さんの指導を受ける機会を定期的に持っているのです。
今日はその人たちに指導するために、栗本さんもまた西に向かっていたのです。
愛知県と言えば。
栗本さんが名古屋の法人に呼ばれて仕事をしたとき、アスペエルデ辻井氏の手下と思われる謎の人物から主催者様に横やりが入ったそうです。
それでも法人は主体的に栗本さんの講座を開き、愛知県内にもちゃんと存在する花風社クラスタの皆様も喜んでいましたね。
私は大阪の講演で、「治る」という言葉の定義をするつもりでした。
その際に、ニキさんや藤家さんのように「いい子」の自閉っ子と、「悪い子」の自閉っ子がいるって花風社は認めてしまっている、という話をするつもりでいました。「いい子」と「悪い子」では「治る」の意味が違いますし。
「悪い子」とは、他人の主体性を認められない、他人の主体性を毀損しようとする自閉症者たちです。
『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』で取り上げた事件の加害者がそれ。迷惑自閉症者。今も同類がネットにうようよしていますね。
そしてギョーカイはそれを治せない。
なぜならギョーカイ自ら、自分とこの縄張り(と彼らが感じるところ)に気に入らない相手(気に入らない出版社から本を出し気に入らない身体アプローチをやっているおっさん)が来るとなるとなんの権利も無く横やりを入れてくるような社会人未満の行いを平気でする人たちだからです。
自分たちでやっている迷惑行為を行う迷惑当事者を治せるわけがないじゃないですか。
同じように愛知県に住んでいても、治りたい人もいる。
治りたいと思うのは、完全に個人の自由。
その人たちに自分たちはサービスを提供できない。だって「治りません」って宣言して歩いているんだから。
でも日本は自由な国。治りたい人は治る手段を探している。
それを自分と同じ県に住んでいるというだけで邪魔しようとする。
そういう人たちが「この国のトップ支援者」(彼らの自称)なのです。
けれども今日新大阪に集まる人たちはそうではない。
きちんと社会人を育てたい支援者たち。
発達障害でも働きたい人たち。
経済的自立、のみならずその先の成長戦略を練りたい人たち。
出版前、横浜で行った講演に津田さんが来てくれたのが始まりでした。
私は座波さんの声は広く届けたかった。座波さんはまず大阪だ、と思いました。そのときには花風社で主催して、津田さんに現地で色々お手伝いしていただくつもりでした。
ところが津田さんはご自分で主催してくれるというのです。そして「浅見さんも来てください」とおっしゃってくださった。関東から関西に二人呼んで大きな会場を借りる。リスキーです。それでもなんとかたくさんの人が来てくださりご迷惑をかけずに済んだ。ほっとしました。津田さんご新婚ですし。
そしてこれから「どこでも治そう」ができれば、あまりはらはらどきどきせずどこでも会が開ける。
黒字ならそれは主催者利益。赤字なら補填。
そしてもちろん赤字だったか黒字だったか寄付もしない第三者に開示する必要はない。それが「どこでも治そう発達障害」の方針です。
座波さんも民間人です。私より一足先に新大阪に着いていた座波さんは「今日は赤字出ませんでしたか?」と真っ先にきいたそうです。そう。民間人は赤字か黒字かを気にする。だからこそ、内容を高める努力をする。リピーターも多い中で、リピーターと新規のお客様のどちらも満足していただけるよう内容を練る。これがえらくもなんともなく当たり前の民間クオリティです。
そしてその民間人の視点を欠いているから、たにしさんがコメントでおっしゃったように、公的機関の用意する講演会は役に立たずしかも退屈なのですね。
私は以前こういう講演会を「金太郎飴」と呼んでいました。金太郎飴的な就労支援講演なんか、10年前とレジュメが一緒。もっとも、最近は金太郎飴も開かれませんね。そりゃそうでしょ。もうおなかいっぱいだしアルパカ世代は役に立つ情報に敏感でいらないものはいらないですから。そんなとこ行くより子どもと遊んでいた方が治りますし。
まあともかく、ギョーカイは税金に、社会保障費にあぐらをかいたふざけた講演会を開き続け、その結果人がこなくなる。それでいて民間人がこれはよいと思った知見を持っている人を呼ぼうとすると邪魔をする。
こういう人たちには「発達障害者の社会との共存」など実現できるわけがないですよ。
それを覚えておきましょう。
さて
今日の会は違います。
成り立ちからして、さわやかな会。
若い津田さんがリスクを取り、近隣のみならず北は岩手南は沖縄から参加者が集まってくれて、みんなで「発達障害者はどうやったら働けるか」を真剣に考える会です。
津田さんの新妻が受付を守り、盛岡→仙台→関空→新大阪と長旅をしてやってきたみるさんが東北のお菓子を持ってきてくれた。
さあ、始まりです。
続く(何回連載になるか、予定は未定です)。