さて、三日目、夜帰りますが、一日霧島観光です。
霧島に温泉と神宮以外何があるのかわかっていませんでした。
霧島神宮は以前行った。実はそのときは、愛甲さん、栗本さんと三人でした。
気のいい場所でした。そしてこの後三人で治そう街道をばく進しました。
この三人が手を組んでいたからたくさんの人が治ったので、縁起のいい場所には違いありません。
でもいざ観光してみると、たくさんたくさん見るところがあったのでした。
空港で鹿児島についた方は空港近くで大きな西郷さんを見たことがあると思います。
西郷公園。
ここは麹の会社が管理していて、午前中から焼酎の試飲。
かかっていた音楽が里アンナさん。
っていうわけで焼酎と大島紬のシュシュを買いましたよ。
それから西郷さんが霧島で逗留していたおうち(を復元したもの)を見に行きました。
横浜から来た、っていったら坂本龍馬の妻おりょうさん終焉の地ですねといわれました。そうそう。たしか東神奈川のあたりの料亭に勤めていらしたようですよね、晩年。
そういえば霧島は龍馬とおりょうさんの日本初新婚旅行の地なのですね。
二人が逗留したという温泉にも行きました。
縁結びの坂がありましたが、結構こわいから自然にかばいあい、確かに縁結びかも。
上ると小さな祠があり、二人並んで手を合わせました。
それからなんか無人駅に行った。
木造で百年くらい建ってて猫がいるのが特徴らしいですが、猫駅長は病気療養中。
すっかり観光スポットらしく、お弁当も売ってました。
お昼は黒豚と地ビール。
それからこんなリフトに乗って山に登りました。
上からの眺めがどこを見ても神々しかった。
やはり自然の中に、神を感じますね~。
連なる霧島の山々も、海にそびえる火山も、人間が作ったものじゃない。
こんな美しいものを作れるのはやはり神様しかいらっしゃらないのでは。
そして霧島神宮へ。
以前きたときより上りがきつくないのは高タンパクと筋トレで脂肪が減って筋肉が増えたからかな。あ、ついでに髪も増えて、びっくりしたのはまつげが増えた! あとツメが伸びるのが速くなった! すごいですよ高タンパク。
なんかあっけなくするすると本殿へ。そしてお詣りします。
ここが今回のハイライト。
感謝の念を捧げに来たのです。
「いつもありがとうございます。鹿児島とのご縁をありがとうございます。鹿児島の地が育んだ神田橋先生と私がご縁を得て、たくさんの人が鹿児島にやってくることになりました。そして治っていきました。
そしてこのたび、どこでも治そう発達障害 を立ち上げられたのもまた鹿児島とのご縁です。
ありがとうございます。
治そう山脈を広げるのに力をお貸しください」
こう祈りました。
夫がおそろいのお守りを買ってくれました。
お財布に入れるのと、根付けになってるの、二つ。
いい旅だったね~といいながら桜島に最後のご挨拶。
ゆっくりとお茶とお菓子で直会。
空港まで送ってもらいます。
そして空港のレストランで、この三日間でどれだけ食べたかわからないキビナゴのダメ押し。
一杯目は薩摩のお酒、二杯目は奄美のお酒にしました。奄美のお酒については、私が選んであげました。
そこで私が霧島神宮で何をお祈りしたのか話します。
ちょうど私たちが鹿児島に出かける同じ日に、読者の親子の方が、思い立って神田橋先生のところに来られました。
目的は何かというと、神田橋先生からの卒業。
なぜか?
お子さん自身に変化があり、「あ、これはもう卒業かも」とピンときたそうです。
元々は発達遅滞の診断があった方。
自分で選んだ中学校をお受験し、ごく普通の中学生活を楽しんでいます。
感覚過敏やアレルギー弱視等、あらゆるものが治りました。
そして自分でわかったようです。「あ、これは最終段階だ」と。
それで試験休みを利用して、先生に卒業証書をもらいに行ったようです。
旅費を出してもらうご両親に、一生懸命プレゼンしたそうです。
アンチは花風社の売り上げの桁を間違えていたようですが、神田橋先生本は当然五桁を売り上げています。
そのうちどれくらいの人が鹿児島につながったかわかりません。読むだけでかなりよくなった人もいたと思います。そして、あの本がきっかけに生まれた命さえある。
すごいな、と思うのです。
この流れはあの本が花風社から出たから作れたのだから。
他の出版社だったら、無理だったと思います。
だって「治そう」って最初に思ったのは私だから。
それを呼びかけ、どれだけ非難されようと十年間叫び続けたのは私だけだから。
その呼びかけに人が集まり、クラスタと言われるほどの勢力になったのだから。
あの本が出たとき、浅見が出しゃばりすぎとずいぶん言われたけど
それでよかったのです。
なぜか?
あの本は花風社の本だから。
「治そう山脈」の始まりの本だから。
なぜならこの十年、「治そう」という流れを作ってきたのは、花風社だからです。
神田橋先生は苦しんでやってくる人を癒やした。自分で自分を癒やす方法を伝授した。
でもそこへの参道を敷いたのは花風社だったのです。
花風社色がついていない神田橋先生の本が読みたければ、他の出版社からいくらでも出ています。
そういうのを読めばいい。
でも読んで、「行ってみよう」「先生にみてもらおう」とたくさんの人が思い立ったのは、ああいう本だったからなのです。
花風社だからできたのだし、さらに言えば本というメディアだからできたのだと思っています。
だって他に誰も治したいと思わなかったじゃない。
私ほどは。
「たしかにそうです」とその思い立って行かれた読者の方もおっしゃっていました。豪華な対談。そこから導き出される先生のお人柄。画伯の絵。すべてが合わさって「偉い先生だけど怖くないかもしれない」と思って出かけられたのだと。
そして何度かみていただき、今回お子さんが自分で卒業を悟ったのです。
親子で旅をし、神田橋先生にさよならして
帰宅後、すぐに花風社の本を再読し始めた。
なぜか?
これからはセルフケアでやれる、とお子さん自身がわかったからです。
手に取ったのは栗本さんの本と灰谷さんの本だということ。
これからもきっと、折に触れ、自分にふさわしい情報をチョイスされることでしょう。
それができるようになった。これも「治った」です。
自分で障害を乗り越えた経験は、生涯の財産となるでしょう。
そしてこの流れを作ったのは花風社なのです。
座波さんのコメントをお借りします。
最後に、浅見さん、「花風社がすごい」って知りませんでしたか(笑)?
感謝されようと思ってなさっていないからこそだと思いますが、花風社の作ってきた一大ムーブメントってすごいですよ。専門家、支援者も含めた結果を出したい人たちの忖度なしの相互成長関係なんだと思っています。=====
そう。感謝されようとは全く思っていなかった。
とりあえず周囲の愛情を当たり前だと思って育った私には、そういう意味での承認欲求はないのです。
ただただ治ってほしかった。
だってあまりにも不便そうだから。
治りたくない人は治らなくていいと本心から思っていた。
それが通じない場面もあった。
わけのわからないいちゃもんをつけられることもあった。
それとは闘ってきた。
匿名での非難は卑怯ですからね。
だからこそ実名が手に入ったら暴いたし、これからもきっと手に入りさえすれば暴く。
当然のことですが匿名に身を隠している人たちにとっては怖いこと。
だからまた騒ぐ。悪意に取る。
けれども、
座波さんと本を作り、悪意に取る人は反射で騒いでいるだけなのだからほっておけばよいと学んだ。
私がやったことは完全に善意からだし、それをわかってくれる人もこんなにたくさんいる。
何よりも家族がずーっと応援してくれている。
大大大博士祭り以来十年経って
私はこの自分が過ごしてきた十年をまるごと肯定していることに気づきました。
鹿児島は、縁もゆかりもない土地でした。
でも偶然、神田橋先生と知り合う寸前に、夫婦で出かけたことがありました。
それから何度も何度も足を運ぶことになりました。
ついには県内の離島まで行くことになりました。
そして今、この鹿児島の地で「どこでも治そう発達障害」が発足しました。
なぜ鹿児島で生まれたか。
それは本当に偶然の産物でした。
そのすべてを、私は感謝してきました。
感謝、感謝の旅。
鹿児島、ありがとうございます。
神様、ありがとうございます。
「治そう山脈」を広げるのに
一人でも(そう望む人が)ギョーカイの呪縛から多くの人を解き放つのに
消化試合を押しつけられるのではなく、自分自身の道を歩めるようになるために
どうぞお力をお貸しください。
完