「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

我が家の治った自慢

発達障害の診断がついたり、グレーゾーンと疑われたお子さんだけど

・こんな風に治ったよ
・こんなことしたら治ったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

1,111 COMMENTS

つこじょう

娘も髪を切るのは「痛いからイヤ派」でした。

陣痛3日目の子宮破裂早産でしたから、胎児期、出産時ともに問題があったのは確かです。湯船で体を硬くする癖がずっとあったので、トラウマがあるのは感じていました。

娘が長い髪に憧れたので「とかして結ぶと長くなるよ」と納得させて少しずつ慣れさせ、お人形の髪をとかして遊び、自分の毛先をとかせるようになりました。
夫がアトピーだったので、肌の保水保護は手作り化粧品で小さな頃から行っていました。

上の子が通うスイミングを見るうちに「やりたい」と言い出し、3歳の前月に水泳を始めました。オムツはすでに夜もとれていました。最初の2回は良かったものの3回目以降は着替えからずっと大泣き。コーチにしがみつき、足先や背中に水がかかるだけの期間は長かったけれど休まず通いました。プールから帰宅後は娘の大好きな抱っこでのお芋ゴロゴロ。少しづつ食事量が増え、水分がしっかり飲めるようになり、便秘も改善していきました。
英国人理学療法師に出産時トラウマ解消と発達を促すベビーマッサージを学び直し、日々娘の肌や身体に楽しんで働きかけたのも同時期です。歩行が安定して病院でのフォローがなくなり、水中で力を抜くのが上手になると泳ぎも上達しました。

4歳で保育園に入り、プール遊びが始まる前に腰まで伸びた髪を切りました。2歳の頃、祖母の見舞いで通りがかった美容院のイケメン美容師に「今度髪を切りにきてね」と言われて「まだ4歳になってないから」と答えた事を思い出し「4歳になって髪切るの忘れてたね。切る?」と聞いたら「うん、切る!」でした。昔通った美容院は遠いからと私の通う所で私のカットを先に見せ、次に娘。緊張しながらも一人で座って大人しく出来ました。

栗本さんの本で水収支について学ぶずっと前の治った話です。

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りこ

現在小学2年生の三男。

去年9月に(1年生の時)うけた国語のテストは

・文章を読むのがつらい
・文字を書くことができない

と机に突っ伏してしまい0点でした。

しかし
今日三男が持ち帰ってきた国語のテスト、
なんと90点でした😆

しかも問題文の読み上げの配慮なしで、全て自分の力でやったようです。

そういえば最近、車に乗っても「眩しい」と言わなくなり、サングラスもいらなくなりました。

目の過敏が治って、文章が読めるようになったのかもしれません。

栗本先生にアドバイスを受けて
「ぎったんばっこん」をやるようになってから
急にどんどん治ってきています❗️

寝る前は金魚もやっています。

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浅見淳子

りこさん。
紫外線が強くなった頃から栗本さんが目の疲れ→全体的な疲れに言及するようになりました。そしてそれが学習の妨げになっていてもおかしくありませんね。ぎったんばっこんは初耳ですが、目の玉は顔にあって、顔は首につながっていて、首は全身とつながっていますからぎったんばっこんをお勧めしたのには何か意味があったのでしょうね。ともかく効果があって90点。よかったです!

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浅見淳子

つこじょうさん、ありがとうございます。
『自閉っ子、こういう風にできてます!』(赤本)のときには不思議でたまらなかった藤家さんの「髪を切ると毛穴が痛い」エピソード。『芋づる式に治そう!』で謎が解けましたね。水収支。それが合ってなかった。そうすると色々なものが痛いし怖い。それが治ると色々治っていきますね。愛甲さんに教室でつらいときには毛布をかぶればとアドバイスされていたお嬢さんが今は志望大学に進学され、若い人の時間は速いな~と思います。つこじょうさんのおうちはOOな方がお二人なのですから、また自慢しにきてくださいね。

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つこじょう

コメントありがとうございます。
愛甲先生のアドバイスは温かく、本当に役に立ちました。
聴覚過敏の経過は二人の子どもで違うので、改めて書きますね。

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いぬこ

たにしさんに続き。
喘息ははっきり治りました。

入幼児は肌アレルギーの方が深刻。
幼児〜小学中学年が喘息。
ヒューと喘鳴が出るとき、必ず
フィリピン沖に台風が。
日本を去ると抜ける…。
旅行に行けば標高に花火や暖炉の煙。
肺炎も経験し、重症化し易いので
病院の勧めで
ネブライザーとパルスオキシメーター
などの喘息セットを持って
移動してました。↓
(今、画像を見ながら
「わぁ!なつかしー」と隣で娘)

内服はしながら、
発作中は肩を冷やさず、
体位交換や背中をさすり、
枕位置を寝ずに変えるしかなく
(お味噌汁やとろろを摂ったなぁ…)

くるぞ!はわかるので、金魚は優しく、
肩のつけ根や股関節を回したり開いたり、
目や胸やへそを温めたり。
急に治った!というより、
あら?発作が出ない!あれ?おぉ
…という感じで、今は全く。
喘息が治ったのは感覚過敏と同等に
嬉しい。親子共にあの明け方の苦しみは
しんどかった。。

私の兄はもっと凄まじい喘息で
幼い頃から入退院。辛い思いから、
水泳に陸上にバレーと活躍し…
吸入剤は用いてたけど成人になって薬要らずに(もうおっさんだけど)
兄の頃は薬も選べず、ネブライザーも理科教材みたいな大がかりな装置。
今の時代なら、努力と併せてもっと早く
治ってたかも。
昔から、程よい運動で心肺機能を
高めたり、呼吸器が育てば治った人多いと
思う。

「喘息は治るもんじゃない」
とか堂々と呟く医療従事者は無知過ぎて
恥ずかしいですよ。まったく。

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たにし

喘息治らない教の出現に秘密の部屋が沸いた件(笑)

さて、喘息治りますよ。
お子様が治った親御さんも複数知ってます。

花風社さんと出会う半年余り前のこと。
今から3年10ヶ月前の季節は秋。
息子の喘息の発作が出て、かかりつけの病院に連れて行きました。
血中酸素濃度が低く、これは危険とのことで、総合病院に転院し、即入院しました。
そんかマジな喘息持ちでした。
ネブライザーも買いました。
それから数年間、季節の変わり目と、台風・低気圧の接近時に発作が出る我が子がかわいそうでかわいそうで。
喘息シーズンが近づいたら、予防のために常時服用する薬と、発作が出た時に服用する二つの薬にお世話になっていました。

しかし、身体アプローチを続けるうちに、徐々に症状が和らぎ、発作の回数も減り、昨年の秋は、少しネブライザーのお世話になりましたが発作なし。
その後、栄養アプローチも始め、この春は薬の服用を一度もせず発作なし。
ピンピンしています。
はい、治りました。
あ、予防接種しながらも毎年罹患していたインフルエンザにもかからず。(おまけに予防接種なしで)

身体&栄養アプローチのおかげ。
本当にありがたいです。

あと、寒暖の差がありそうだったら服装に気をつけたり、夜に寝冷えしないように気を配ったりという、親として当たり前のこともしながら。

喘息治りますね。
一生付き合わなくてもいいし。
治る治る。
治った治った。

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浅見淳子

たにしさん

幼子に薬飲ませるほどの便秘に薬以外の手当せずアトピーや喘息が治るはずないですな。

この本読めば仕組みがわかるのに、標準医療()にしがみつくしかない医療界の底辺層はお子さんの健康を犠牲にしなきゃいけない。大変そうですね。

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たんぽぽ

高1息子、幼児期はかなり自閉的傾向・LD傾向が強かったです。出てくる言葉はワンパターン。園の遠足の前日に「明日雨が降って行き先が変わったらどうしよう」とパニック。おもちゃの遊び方が一つで固定していて、お友達が違う使い方をするとパニックで泣いて暴れる。予想外のことをされると他害。斜視弱視もあり、長いこと「×」が書けませんでした(もちろん他の図形も)。視野が狭いとは本当にこのことだなと思いました(今思うとこの感想は間違ってなかったと思います。身体機能の不具合と、認知や思考の偏りは関連しているということで)。

眼科の先生に「視機能改善にはとにかく粗大運動がいい。PCの視力回復ソフトとか不要。デジタル機器は大人になるまで与えないで、ジャングルジム上って」と言われ、休みの日はとにかく身体を動かしました。空間認知力のなさ・感覚鈍麻&過敏のバランスの悪さが目立ったので、とにかく身体で体験。公園だけでなく泥んこ遊びや海遊び、山登り、畑のお手伝い、などなど。そのうちに好きなものや大丈夫なものと、苦手なものもわかってきました。牛の匂い(乳搾りをした)は平気だけど、田植えのときの田んぼに足をにゅるっと入れるのが苦手、沢での飛び込みや山をもくもくと歩くのは大好き、などなど。苦手なものも、その後のお弁当や楽しいこととセットで「意外と大丈夫」を味わい、一つ一つ平気になっていきました。
雨の日はパン作りやうどん作り。手がネバネバしても、その後美味しいので「意外と大丈夫」。楽しくやっていました。

いつ治ってきたのか、何がどう効いたのか実感はありませんが、特に視機能に問題が表れていた息子が、物との距離の取り方が身体でわかるようになるのにつれて、人との距離の取り方もバランスが取れてきたきたように感じます。視力の改善とともに、他害や対人トラブル、パニックなども格段に減り、そのうち皆無になりました。

今は私と一緒に出かけることはほとんどなく、友人と出かけたり、ボランティアに参加したり、勝手に忙しく過ごしています。「発達障害なんて言ってられない」「発達障害かもしれないけど、それやってる暇がない」状況です。学校の課題がすごく大変、でもやるしかない、自分で入ったところだから。生徒会の書類作成が大変、でも待ってなんて言ってられない。自分でやるって言っちゃったから。やりたいことに耐えられる身体になった後は、そこで必要とされることをこなしていくうちに、こうやってこれからも、社会の中で揉まれて自分で治していくのだろうなと思います。

ここのところ、外国に行くのに備え、ほぼ毎週予防接種を受けています。肝炎、狂犬病、黄熱病、腸チフス・・・こんなものまで接種を検討するの?というリストを眺め、受け入れ機関を探し、予約。私も「反ワクチンなんて言ってられない」状況です(反ワクチン派ではありませんでしたが、かつて自閉症のもとが水銀、なんていう説も目にして、一応反ワクチン派の本も読みました)。何か踏み出すときに、狭い枠の中で囚われていたこだわりや不安っていとも簡単に消えるのだなあ、となんとなく思いました。

彼は身体はまだまだ固いし靴底の減りは速いし、治る途上です。でも、興味を持ったことにためらいなく踏み出せる身体になってよかったと思っています。

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たらこ

3才半で知的身体的な遅れを指摘され、特に自閉度は限りなく黒と言われた息子…ですが、今はごく普通に、中学3年生を謳歌しています。
日常生活上で、特に自閉症とか特性云々とか、考えずに生活できている事、そのものが、治ったという事なのかなぁ…と思います。

治って良かったと今つくづく思っている事は、偏食です。

息子も自閉っ子の例に漏れず、それはそれは強烈な偏食でした。
離乳完了期から幼児期中期くらいまでは、バトル。
先輩ママさんから色々言われても全く諦めなかったのは、当事者の自分も、幼児期偏食がひどかったと散々言われていて、それが、小学校入学後、学校給食で一気に改善した経験があったからです。

1才の私が初見の食べ物を拒否した時以降就学まで、母は試行錯誤する面倒を避け、朝昼晩同じ物を出し続けていました。
きっかけは本人かもしれない。けど、現状維持を重ねて強化してしまうのは親だ。
ずっとそう思っていたので、息子を同じ事には絶対させないぞと誓っていました。

息子にとって未知の食べ物や食材を、いかに既知にするかに腐心しました。
外出先だとパクっと食べたりするので、同じ物を家でもすぐ作って、味も似せて濃いめにして、ほら昼食べたのを同じだよ~作戦。丸飲みできる程何でも細かくチョキチョキ作戦。

幼児期の試行錯誤が実り、就学以降、給食は毎日完食、おかわり常連組に。
偏食が治り、食が太くなって、良かった事は本当に沢山あります…が、一番良かったのはもちろん、体が丈夫になった事。
何をするにも体は資本で、体を作るのは食です。
小学校に入る頃からぐんぐん丈夫になり、学校を全く休まなくなり、中学でも皆勤を続けています。

好き嫌いに関係なく、出された物を綺麗に食べる。
どんな環境で生活する事になるにせよ、そういう大人になって欲しいと願っていたので、息子が実際そうなって、良かったです。
まさに今、お子さんの偏食で大変な親御さんもいらっしゃると思います。必ず治ります。あの手この手でじっくり、焦らず乗り切って欲しいです。
以上、治った報告1個目でした。

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つこじょう

二人の子どもがあれこれ治った我が家。まずは娘の食事に関わるご報告を。

早産・低出生体重児で人口呼吸器をつけていたので、母乳は鼻の管から1回1㎎スタート。4歳までは1回の量が少ないので食事回数を増やし1日トータルで栄養を考え、母乳はいろいろ言われながら3歳過ぎまで飲んでいました。その頃は夫にアレルギーがあったので食事は毎食全品手作りで、お味噌、梅干し、ぬか漬けも手作り。おかげで便秘も3歳で治りました

乳児期に好きだった食べ物は、卵かけご飯、海苔、梅干し、イクラ、アサリ、鶏肉。分子栄養学的になかなか興味深いです。

しっかり食べるようになったのは中学。演劇部で走り込んで発声練習をし、様々な体の動きをする毎日。「お腹が空いた感覚」がようやく分かったと。第二次成長でより栄養を必要としたのかもしれませんが、愛甲先生にアドバイスを頂き、お家で毛布を被ってほっとする場所と時間を自分で作れるようになったのも同時期です。

内臓感覚の発達は栗本先生の本で学びましたが、昨日の講演を伺い、娘も藤家さんと同じように内臓感覚が育っていなかったのだと思い出しました。

今日改めて聞いたら、保育園では給食を減らしたり残したりは出来なかったようで「辛かったね、頑張ったんだね」と振り返りました。でも、今はそれさえも良い経験に思えます。

娘は、まず便秘が治り、次に内臓感覚が育ち、最後に食べられるようになりましたが、いろいろ試しているので結局何が良かったか明言はできません。
2歳4か月で夜中のオムツもとれたのに体に合うサイズがなくパンツを手作りした位小さかった娘は、小柄ですが優しく思いやりがある賢い自慢の娘に育っています。

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ボリンゴ

有り難いことに治ったことが多すぎて整理しきれないので、いくつかに分けてまとまったものから投稿します。

まずは感覚過敏と睡眠のことについて。
花風社さんに出会う前に一番悩んでいたのは子どもたちの睡眠に関してでした。

特に当時5歳の娘は1時間に1度叫ぶように泣く夜驚症があり、漢方で抑えていましたがアレルギーから飲めなくなり、連日の寝不足で私も主人も限界でした。
それから花風社さんの本に出会い、金魚体操を実践。初めて3日ほどで徐々に回数が少なくなり、1週間ほどでほぼなくなりました。
1ヶ月の内に栗本さんと神田橋先生の所にも伺い、春ウコンやB6、泌尿器が弱いとの指摘でひねる動作も取り入れました。
今では春ウコンは必要なくなり、金魚体操しない日があっても後戻りしません。
それに伴い、毎日あった癇癪も激減。月に何度かあるだけに。今はほぼありません。

息子の睡眠障害は少し長くかかりました。その代わり先に1ヶ月程で大きい音で泣いたり、耳ふさぎすることがなくなりました。
またザ自閉っ子で自分の世界にこもり、周りに興味を示さなかった息子が家族に愛着を見せるようになり、双方向のコミュニケーションが取れるようになりました。

睡眠は少しずーつ改善してましたがまだまだ不安定だったところ、栄養療法(プロテイン・ATPセット・ナイアシンなど)でかなり改善してきて、最後マグネシウムをしっかりとるようにしたら安定しました。今は9〜10時に寝て6時半頃起きます。
マグネシウムは緊張を緩和する作用があるのですが、体質的に取り込みにくい人もいるので、息子もそのタイプかと思います。なので充分量取ることで効きました。

身体アプローチは状態により様々やっていますが、金魚体操とホットタオルはコンスタントにやっています。
治りやすいところから治っていった印象です。
また他のこともまとまりましたら投稿しますね!

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ちょこ

こんにちは、息子の治った自慢に続き娘の治った自慢です!
現在年長の娘。軽度知的障害ありです。
年少時→珍しく冬に降り積もった雪が怖くて、号泣。暴れて外に出られない為保育園欠席。
昨年秋頃まで→風に舞うスーパーのゴミ袋や、風に揺れる草花、道端に落ちているカラスの羽、枯れ落ち葉が最大の恐怖の対象で、保育園への道のりは大抵「抱っこ」
↑↑↑この時期より食事にタンパク質を増やし(チーズと卵増やした程度)足裏あわせを開始。金魚は娘にはしっくり来なかった。
1ヶ月程度で全て怖くなくなった様です。
現在カラスの羽を見つけると「カラス、また落ちてるー!」
落ち葉は「なんか(カサカサ)いってるねー♪」と踏みまくってます。
「最大の恐怖の対象」から「最高の遊び道具」に変わりました。
過剰なビビリは、治った方が笑顔が増えて嬉しいですね(*>ω<*)♡

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味噌ぴ

 もう27歳にもなった長男の治ったをどう書けば良いのか分らぬままに画面に向かっております。
自傷・他害・聴覚過敏・虚弱・軟弱(笑)・・・あげれば切りなく浮かんできます。おそらくこれら全て治ったと思います。中学生までは他害以外全部まだありました。そして一生付き合わなければならないのかとうんざりしておりました。
どこが糸口だったのか明確には分かりませんが、この10年を正に快進撃のように駆け抜けて来たように思うのはもちろん花風社さんあっての事、今は社会人として日々充実した毎日です。
 だから敢えて今自慢するとしたら、今年の1月から週5日8時間勤務して週末は楽しく出かけている、健常者となんら変わりませんよ、と言う部分でしょうか。昔、言われましたよね?名誉健常者?上等じゃないですか!(笑)。
ゴールデンウイークはもちろん自分の貯めたお金で二泊三日の東京・横浜観光旅行を一人で楽しんで来ました。旅行代理店も何もかも私はノータッチでお土産をもらえました。
 そうして彼は今、次の目標に向かって日々努力しています。一応、二年計画の予定でして叶ったらまた報告しますね。

 実は自慢したい「治った」がたくさんあり過ぎます。もったいぶるのではなく整理できないので、今後も小出しにして行こうかな?と。このお部屋の常連宣言!(笑)をして今日はこの辺で。

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浅見淳子

味噌ぴさん、ようこそ。
本当に語りつくせないほど治りましたよね!
ぜひここに住み着いてください笑笑

というのは冗談で
また治った自慢をお待ちしております!

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ここあ

初めて書き込みさせていただきます。
息子(小6)の治ったこと。

・睡眠障害
・季節の変動による体調不良
・感覚過敏(触覚と聴覚)
・噛み癖
・夜尿
・常同行動
・拘りの強さ
・自分の世界に入り込む癖
他にもあるかもしれませんが、今思いつく限りでもこれだけ治りました。

就学前に治ったものもあれば、ついこの前まで悩みに悩んでいたものもあります。

やった事は
・ひたすら外遊び
・足裏合わせ
・金魚やでんでん太鼓、ブルブル体操
・藤川理論を元に高たんぱくビタミン

一時期クラスメイトとのトラブル続出で本人も苦しんでいましたが、それも先生方の協力と本人の努力で今ではそれなりにクラスにとけ込んでいます。

何より本人には根性がありました。
一昨年初めて嫌がらせされた時、「もう行きたくない。前校に戻りたい。」と泣いたのは一度きり。休みたいとも言わず、登校渋りもせず毎日時間には笑顔で登校した強さが乗り越えられたひとつの要因ではないかとも思っています。
そしてその強さはきっと体が出来上がってきていたからこそ保てたものではないかと思います。

花風社に出会っていなかったら様々な解決法と出会う事もなく、体もさらに弱くなっていろんな事をクリアできなかったと思います。本当にこの出会いには感謝しています。

まだまだ課題は残っていますが、これからも少しずつ治していけると信じて前に進みます。

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ファル子

伊敷病院での息子の処方は、人参養栄湯3gを1日2回だけです。
人によって的した処方が違うかもしれないので、一度受診してご自身に合う処方をしていただいてください。

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ファル子

皆さまの御努力と成果を拝見して
素晴らしいので恥ずかしながら…
鹿児島の神田橋先生の所に行って1番嬉しかった事を

息子は0歳時に一度「おかあさんお腹が痛いの」と言えたきり話さない。
話を聞かない、話しても幼稚園時で1〜2語文。心療内科で受診しても
「話す能力はあります。でも本人が話す気にならないと話さない。でもそれがいつかわからない。そういう障害です。」
と言われて、話しかけとか色々しても普段3語文
(切羽詰まったりすると普通に話せる。)
生まれた時から沢山の絵本を用意していたのに読み聞かせも反応なしで積木代わりにされた絵本達…
読み書きちゃんと教えてできるのですが…
それなりに周り中が取り組んだので???

そのような中、伊敷病院で神田橋先生の診察を受けて処方された漢方薬を飲み始めたら程なくして吃りながら普通に話し出し始め、今では緊張したら少し吃りが出るくらいで普通に話せるようになりました。
本も普通に読むようになりました。

親から見た感じでは、各器官は正常だけどその間をつなぐ神経の伝達の不具合が解消された感じなんですね。

我が家以外にも同じような理由で会話が苦手な方がいらっしゃるかもしれません。

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オカピ

すごい改善ですね。
どんな漢方薬が効いたのか知りたいのですが、良ければ教えて頂けませんか?

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muu

息子が2歳半のときに、自閉症スペクトラムと診断を受けました。
軽度知的障害もあります。

2歳半のころ
目が合いづらい、指さししない、指さす方も見ない、ほぼ喃語、お友だちに一切興味なし、寝付きが悪い、中途覚醒もあり、慎重過ぎて新しいことに臆病、
手を繋いで歩けない
など色々ありましたが、

3歳8ヶ月の現在では、これらが全てなくなる、大きく改善されました!
目が合いやすくなり、意欲的な行動も増え、お友だちにも関心がでてきて、
発語も一語ですがかなり増えてきました!夜もぐっすり眠るようになり、
嬉しい成長です!

取り組んでいることは
栄養ある食事に、分子栄養学のクリニックにて、ビタミンやミネラルのサプリをとる。
外遊びをたくさん。
焼酎風呂。
足の屈伸、シーツブランコ。
家族でたくさんお出かけをする。

これからも1日1日前向きに頑張っていきます!

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うりくりおくら

中度自閉、ADHDの息子。
2歳頃からパニックを起こす事が増え、息子の辛い症状は全て感覚過敏でした。

感覚過敏が治ってきたのは「体を緩める」事と「発達のヌケ」を埋め始めてからです。
それまでもマッサージはしてましたが嫌がられて逃げられてました。
今なら花風社本を読んで納得したのでわかりますが、息子に合うやり方では無かったのだと思います。
「息子が気持ちいいと思うやり方」は日によっても変わるので、やり続けることにより「気持ち良さを見つけることができる様になりました。

──────────
・目線が合わない→治った

・発語遅延で言葉が出ない→治った

・偏食、食べない→治った

・便秘→治った

・聴覚過敏が酷く、人が多いところだと耳を塞ぎ固まる→治った

・自傷→治った

・咳払いチック→治った

・睡眠障害、夜驚症で毎夜叫び走り出す→治った

・多動→治った

・指示が通りにくい→治った

・環境変化や旅行やお出かけ→大好き

──────────
ざっと書きましたが、まだまだ治った事はあります。
治した具体的な方法は此方には書いていませんが、またの機会に書きたいと思います。
まさに「個々の発達のヌケを埋める」→「個々の治しやすいところから治す」→「芋づる式に治る」を実際に体験しました。

診断から一年。
園生活も、習い事も、お友達とのコミュニケーションも、お勉強も、お出かけも、旅行も、合宿も行事も家庭での生活も問題なくこなせてます。
挨拶上手で体力もあります。

あえて治ってない部分を言うなら手先は不器用なので課題は有ります。
これも医者が治療してくれるわけでもないし家庭で治します٩( ᐛ )و

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浅見淳子

素晴らしいですね。
結局根っこは感覚過敏。それが治ると一挙に治ってしまったのではないでしょうか。だって感覚過敏があると、この空間にいるのがつらいですものね。
またぜひ報告をお待ちしております。

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みならい怪獣

うちの息子、どこか行ってしまいそうで道は手を繋いでいないと歩けなかったり、
失敗すると頭ガンガン打っていたり、死ぬとか否定的な事を言ったり、言われても動かなかったり…色々ありましたが、寝て次の日はすっきり起きられるようになってから、治る芋づるの尻尾掴んだような感じでした。
それに役立ったのは金魚体操と目のホットタオル。 頭や脳を休めて容量を作るのはすごく良かったです。
しっかり頭も目も休めて眠ると多少の嫌なことやストレスで凹まなくなるし、色々新しい事に挑戦しやすくなりますね。
新しい事に挑戦することが好きになって、ミーハー気味なのですが楽しそうです。

もちろん今は一人で道を歩けますし、電車やバスに乗れます。

失敗したら悔しそうですが、落ち込んでいる時間は短くなりました。

遊びは、幼稚園の頃、恐竜好きだったので、トレーシングペーパーで図鑑の絵をなぞって色々な線を描いて、書く事の練習になりました。
また、起伏が複雑な公園や広場で走ったり、滝や川で遊んで生き物を捕まえてみたり、バッタを集中して追いかけて捕まえてり、遠出しないと出来ない遊びでしたが、遊んだ後はすごくいい表情で、そんな長い休みの後は更に成長していました。

家の中ではトランポリンで飛んだり、バランスボールで正座したり、粘土は好きで今も時々作ってますね。
最近は暇があると4コマ漫画描いていますが話の内容も進化して来ていて、人の感情とかも少しずつわかるようになって来たのかなと思っています。

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浅見淳子

身体がラクになると、自分で自分を治し始めるお子さん多いですよね。
そしてそのときに薬が入っていない方が自分で自分の治し方がわかる。
そんな気がします。
良いご報告をありがとうございます。
これからも色々教えてくださいね。

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