ホーム全て会議室いま会議室で話していること 私の治った自慢 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE 成人当事者の皆さん、グレーゾーンの皆さん ・前は悩んでいたこんなことが治ったよ ・こんなことに取り組んでみたら効果があったよ というエピソードをどんどんお寄せください! 378 COMMENTS ラミュ 2020年2月21日 ハピネスさんの娘・ラミュです。 2019年、栗本先生にお会いしました。先生から、私の脳が休めていないことを指摘されました。そして、リラックス法を伝授されました。足を抱えてゴロゴロ回ること、体を左右に揺らし緩める体操をすること、暖かいタオルで目と肘を温めることで、疲れが取れると教わりました。 前よりも頭のコリが減り、ぐっすり眠れるようになりました。 返信する XIA 2020年2月21日 こんにちは。 「困ったとき」どうするか? 以前は、支援者に連絡をしてみたり、病院に連絡をしてみることが多かったです。 しかし、考えてみれば、「自分である程度考えて解決する」ことができるのではないでしょうか。 最近は、不調でも入院しないで治ることが増えました。 入院すると、時間もお金もかかってしまいます。 ベース(土台)のコンディションが良くなったのもありますね。 支援にも、そんなにやたらに連絡を取ることがないと言うか、ほぼないんです。 困ったとき、己の力に頼ることも覚えると、いろいろ依存心も少なくなるのです。 「専門家」に対する依存心や、過度な期待が薄れてきたように感じます。 返信する ラミュ 2020年2月15日 2018年6月、神田橋條治先生にお会いしました。広汎性発達障害で、フラッシュバックがあると診断されました。また、脳の三ヶ所に邪気があると言われました。 神田橋先生から、絵を描き家事をすること。五本指いい子体操をすること。ペンダントは金具がないものかプラチナを付けること。中国産のお肉やジャンクフードを避け、無添加の食品を選ぶこと。焼酎風呂に入ることを勧められました。 それから私は、頭の左側を揉んだり、生活クラブのものを食べるようになったり、焼酎風呂に入るようになりました。 結果、友達に「明るくなったね」「前より話すようになったね」と、言われました。中でも五本指いい子は体操は、フラッシュバックが減り、発達障害が改善しました。 返信する シア 2020年2月9日 こんばんは。 治った人と、治らない人とは、生きる世界・見える世界・触れるものが違うのですね。 私は、ネット上でも、発達障害で悩む人・そこから解放されている人たちとの差を、かなり歴然に最近感じる出来事が増えてます。 FBで、昔の学校時代の友達を見つけて、「どうしてる?」って、話になります。 一応、大まかにも話すこともありますが、だいたいこう言う事を言って締めます。 「病気なんかに負けずに頑張って行こうな。」。 これが、広い一般社会に生きる人なんです。 発達障害とか、ギョーカイに生きない「当事者」も多いみたいで、彼らも治ってると言えます。 と言うのは、模型の愛好会だとか、出品会だとか、そう言うところで会う人は、少し話し込んで、(大まかに) 「実は障害がある。」 「何の?」 「発達とかいろいろ。」 「まぁ、いろいろあるけどさ、腐らず続けて行って、これからもシアさんの作品を見せてよ。」そんな会話なんです。 元気が出るし、そもそも何をくよくよしてたんだろう?って考えます。 コレが、例えば発達し障害が拗らせた人で、「ギョーカイ」にどっぷりつかっている人は、「お薬の効きがどうたら」「主治医が同たら」「毒親が同たら」「社会の理解が同たら」結論『生きづらいね!』(ここで同意すると言うね。。。) 当事者会って、そう言う世界なのかと知ったら、全く治ろうとしか思えません。 返信する シア 2020年1月29日 知的障害編 まず、命にかかわらないことなら、やりたいことはやってみよう・やらせてみようと言う方針でした。 やりたがらないことが多かった・私は自閉症の「こだわり」が強かったし、「興味の幅」も狭かったし、「言葉によるやり取り」も少なかった、自己主張が少なかったのです。 でも、不安定になると、すぐに爆発するようで、メルトダウンですね、原発に例えられたようです。 知的障害には、「精神薄弱型」もあります。 情緒型が原因で、まだ新刊の本は手元に着てませんが、心理的理由で、精神の発達が遅くなると同時に、心理的なモチベーションとか、バイタリティとかが阻害されます。 「ウサギと亀」の話では、ハンデを「ばね」に、と言うのがありますが、最近の研究で、そう言う人は苦手を武器に、コンプレックスをばねに結果が出てくるようなんです。 そう言う性質が弱いと、諦めたりしやすくなります。 「やる気」と言うのは、統計的に明らかなんですね。 知的障害でも、記憶力はありますので、少しずつでも「できた。」と言う声を大事にしたと聞いてます。 「対象年齢4歳以上」なら、その遊具で遊べたら、実年齢のその水準に届いたことを意味します。 人間、成長しますから、興味のある遊具や玩具や知育玩具や学習教材で遊んで、「プラモデル」は色を塗って立派に仕上げるのは、14歳相当の知能年齢+実年齢。 ドローンは、18歳以上の知能年齢+実年齢。 つまり、14歳になったら、プラモデルをやっていいし、18歳になったら、20歳になったら、やってもいいのだけど、現実にそれができて、使いこなせるようになってきたら、立派に知的障害は治ってきたことを指します。 私の経験では、知能検査にも、逆説的にそれが反映されます。 IQが上がらない人は、実生活で、相当の知的水準能力を必要とするような遊びや作業・勉強の課題ができるようになったら、逆に反映されてくると思います。 返信する シア 2020年1月29日 難病編 簡単にですが、ざっと説明しようと思います。 壊死が始まり、左半身はstage4の壊死、右はstage3Bの壊死とされました。 それで、オペの後は、安静期を過ぎたら、少しずつ刺激を体に与えることにしました。 食べられるものを増やし、触れる刺激を少しずつ増やしたんです。 無菌室から出られると、なるべく外の風にあたり、衛生状態を確保し、できることを増やしました。 それが検査結果にも影響して、生理的な回復基準も高くなり、炎症値(CRP)も劇的によくなりました。 加速度的に数値がよくなると、こちらのものです。 特殊な、IBD食を卒業したら、ラコールやエンシュアと言った経口栄養剤も、好きな味が選べるようになります。 ミキサー食とかも、何とかこなせば、刻み職になれます。 刻み職はそれなりに歯ごたえがあっておいしい。 次は全粥。 それからごはん。 おいしい・食事が楽しい。 コレがモチベーションにつながります。 リハビリも、それを続けて、疲れるとますます食事がおいしい。 検査数値がよくなると、具合がよくなり、また、安心して食べれるもの、触れられる刺激が多くなって好循環です。 治療に協力的な人は、良くなりますね。 退院するときは、本当に皆さんに祝福されて、嬉しくて涙がこみ上げました。 返信する シア 2020年1月29日 こちらに、書こうと思うことがあります。 まず、身体障碍。 何とかして、治りたかったんです。 それで、普通に生活できる・身辺自立を目標としました。 リハビリテーションの計画書では、ねたきりでした。 要支援・要介護・そもそも入院していました。 そこで、「発達障害は治りますか?」を読んで、オペの後、身体障碍だって、生活に困らない程度に・難病だって、仕事に支障がない程度に、回復するのではないかな?!と考えました。 それで、足腰鍛えるために、ポールを使ったリハビリや、車いすで生活できる訓練を終えると、積極的にやりました。 装具も、二回目・三回目からは自分で装着できるようにして、自分でやれるようにしていきました。 人の手を借りてましたけど、それが当たり前になりたくなかったんです。 (トイレや入浴、自分でできるのは、昔足が悪かった時期があるから、嫌なことでも、役に立つときが来ると思えます。) 片足麻痺でも、トランポリンで世界一になれる人がいることを知り、その人がスノーボードや高跳びでも好成績を上げると、その人の情報を調べて、積極的に取り入れたんです。 そしたら、みるみるよくなりました。 神経で、麻痺が起きたり、感覚に支障があっても、使い続けるうちに、身体の使い方の感は戻ってくるのも、ご本人の動画を見て納得できました。 返信する シア 2020年1月27日 今日の治った自慢。 人がそばに来て、立っているとき、いくつか可能性があります。 そのうちの一つが、「行き先経路への障害となっている。」ことです。 今日は、椅子に座っていて、飲み物を飲みながら、椅子を引きました。 何時もは、「どいて」と言われなければ動きません。(動けません) 母は、横目で私が人を見る癖を知っていて、近づいて「ちょっとどいてくれる?」と言おうとしていたところだったそうです。 私が椅子を引いたので、母は驚いて、「できたねぇ。。。」と言って、私の肩に手を置いて、長くため息をつきました。 私は、触られるのに抵抗があるのですが、今日は意図が分かったので、全く抵抗がなかったです。 返信する 浅見淳子 2020年1月27日 シアさん 人の進路を防がない。 それは「治った」ということだと定義している。 だって空気読まないとできないでしょ。 おめでとう。 返信する シア 2020年1月27日 社長、ありがとうございます。 仕事上でも、変化がありました。 「○○ということと次第です。よろしくご推察ください。」と言うメッセージだけで、相手が知りたい情報が分かるんですよ。 以前は、「だから要件は何ですか?」と言う(もっと遠回しですが)やり取りをしていたんです。 返信する シア 2020年1月26日 こんにちは。 私の治った自慢。 多くはないですが、稼いだ分を家に入れることになってます。 多くはないですが、お金の計算も始めたし、金銭管理ができると、自立に近づきますね。 そう信じてやっていきます。 返信する XIA 2020年1月22日 今日の治った自慢は、「回復力」です。 調子は崩さないに越したことはないです。 しかし、回復力が付いたんです。 それが今日の治った自慢です。 お薬の力を借りずに、病院に行っても、大丈夫!って言われて、帰ってきたら、自分でも大丈夫でした。 こういう風に、疲れたり、苦しかったり、つらくてしんどくても、少しばかり励ましてくれる医療の方が、大事大事!って、お薬出す人より強いです。 だって、お薬にもプラセボがあるかもしれないけど、手で触診したり、語り掛けたり、目で見て、「大丈夫だ!」って言ってくれて、それで治ってしまう。。 あれは、医長だとしても、やっぱりすごかったです。 そして、私自身、今回のことで、実際に大丈夫だったなぁ、、、って思って、自信が付きました。 返信する XIA 2020年1月20日 おはようございます。 空気が読めるようになって、いろいろ変化があったので報告します。 ・夜、目が覚めても、寝ている家族のことを考えて、ガタガタしなくなった。 ・↑その際、特に次の日早朝仕事がある家族のことを考えました。 ・家に帰ってくる家族のために、ルールがなくとも風呂を沸かすなどしました。 ・↑コレは、明日雪が降るなと言われました。(実際に雪が降りました。) ・ゴミが溜まったら、捨てるようになりました。(以前は促されたり、時間が決まってました。) ・トイレットペーパーを、なくなったら(次の人が困るな)と思って、補充することを覚えました。(機械的に補充するのではなく、次の人が困るなと考えるようになったのが進歩です。) ・同様に、次にそれを使う人のことを考慮して、道具を元に戻すと言った行動の芽生えが実感できました。 ・教わったことを取り入れると同時に、「自分ならこうするな。」と創意工夫することが多くなりました。 ・↑コレは、主に仕事で機械や道具を扱うことが多いから、主体的に伸びた部分だろうと思います。 返信する XIA 2020年1月17日 今日の治った自慢は、超弩級です。 大げさじゃないんです。 この話をしたら、「○○さんはつまらないかもしれないなぁ。。。」って、思えたんです。 仕事の話をしていて、同業者でもなく、お客さんにもわからない話を、しばらくしていたけど、「この人は退屈かもしれないな。」って、思えました。 私が楽しくても、この人は楽しくないかもしれないな。 そう思えたんですね。 返信する XIA 2020年1月14日 こんばんは。 笑ってやってくださいと言う話です。 最近、「変顔」を覚えました。(笑) 人様に見せられる顔じゃないですが、そうやって「変顔」するような余裕・ゆとり・情緒の安定・そう言うのが出来たのは、すごい進歩だと思うんです。 変顔をして、写真に収まって、家族にも受けが良くて喜ばれました。(笑) 返信する 浅見淳子 2020年1月14日 百面相がいいって神田橋先生書いてますよね。 返信する みならい怪獣 2020年1月17日 変顔、座波さんが紹介されていたポリヴェーカル理論のトレーニングでも取り入れられていました。 また、ご家族の中に笑顔が増えるっていいですね。 皆さんで緩んでいる和やかな感じが伝わってきました。 返信する XIA 2020年1月14日 一次障害。 社会性の障害。 これを考えたときに、大昔先生はいいました。 「この子は、ひょっとすると、色恋・恋愛男女交際結婚…そう言うのには届かないかもしれない。」「人を好きになる・人懐っこいところはありますが、この子にはそういうものがないかもしれない。」…両親はそれを聞いてました。 親子でそういう話をすることもあまりなく、いろんな目覚めも遅かったと思います。 好き・嫌い…その情が薄いんですね。 でも、ただの成長~発達をしていけば、うまいことそう言うことも分かってくるようになります。 社会性が、「ものすごく遅い」と言っても、質的に遅くても、変質していたとしても、追いついてくる時があり得ます。 私は、人よりモノが好きで、女の子より模型でした。 その傾向・偏りは一生治らないと言われてました。 高校生のころ、いろいろあって、付き合うことになった人も、がっかりさせました。 それは、私がその人をすごく好きになることがなかったからです。 でも、20代も終わりになってくると、素直に「あなたのことが好きです。」と言えるような人間になりました。 気の利いた表現は難しくても、幼稚な分だけ、それをくみ取ってくれる人も増えたんです。 大人びた人が、幼稚なふるまいをすると、とても気持ちが悪い。 でも、若い人が精いっぱい背伸びをするさまは、とても見ていて清々しいものです。 返信する XIA 2020年1月3日 こんばんは。 遅ればせながら、片付けられる人間になってきました。 重い腰を上げて、片付けました。 よくよく考えたら、こんなに散らかった部屋で、よく作業が出来たものです。 だから、片付いたら、作業効率upなはずです。 また治った。 返信する 過去のコメントを表示 新しいコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
ラミュ 2020年2月21日 ハピネスさんの娘・ラミュです。 2019年、栗本先生にお会いしました。先生から、私の脳が休めていないことを指摘されました。そして、リラックス法を伝授されました。足を抱えてゴロゴロ回ること、体を左右に揺らし緩める体操をすること、暖かいタオルで目と肘を温めることで、疲れが取れると教わりました。 前よりも頭のコリが減り、ぐっすり眠れるようになりました。 返信する
XIA 2020年2月21日 こんにちは。 「困ったとき」どうするか? 以前は、支援者に連絡をしてみたり、病院に連絡をしてみることが多かったです。 しかし、考えてみれば、「自分である程度考えて解決する」ことができるのではないでしょうか。 最近は、不調でも入院しないで治ることが増えました。 入院すると、時間もお金もかかってしまいます。 ベース(土台)のコンディションが良くなったのもありますね。 支援にも、そんなにやたらに連絡を取ることがないと言うか、ほぼないんです。 困ったとき、己の力に頼ることも覚えると、いろいろ依存心も少なくなるのです。 「専門家」に対する依存心や、過度な期待が薄れてきたように感じます。 返信する
ラミュ 2020年2月15日 2018年6月、神田橋條治先生にお会いしました。広汎性発達障害で、フラッシュバックがあると診断されました。また、脳の三ヶ所に邪気があると言われました。 神田橋先生から、絵を描き家事をすること。五本指いい子体操をすること。ペンダントは金具がないものかプラチナを付けること。中国産のお肉やジャンクフードを避け、無添加の食品を選ぶこと。焼酎風呂に入ることを勧められました。 それから私は、頭の左側を揉んだり、生活クラブのものを食べるようになったり、焼酎風呂に入るようになりました。 結果、友達に「明るくなったね」「前より話すようになったね」と、言われました。中でも五本指いい子は体操は、フラッシュバックが減り、発達障害が改善しました。 返信する
シア 2020年2月9日 こんばんは。 治った人と、治らない人とは、生きる世界・見える世界・触れるものが違うのですね。 私は、ネット上でも、発達障害で悩む人・そこから解放されている人たちとの差を、かなり歴然に最近感じる出来事が増えてます。 FBで、昔の学校時代の友達を見つけて、「どうしてる?」って、話になります。 一応、大まかにも話すこともありますが、だいたいこう言う事を言って締めます。 「病気なんかに負けずに頑張って行こうな。」。 これが、広い一般社会に生きる人なんです。 発達障害とか、ギョーカイに生きない「当事者」も多いみたいで、彼らも治ってると言えます。 と言うのは、模型の愛好会だとか、出品会だとか、そう言うところで会う人は、少し話し込んで、(大まかに) 「実は障害がある。」 「何の?」 「発達とかいろいろ。」 「まぁ、いろいろあるけどさ、腐らず続けて行って、これからもシアさんの作品を見せてよ。」そんな会話なんです。 元気が出るし、そもそも何をくよくよしてたんだろう?って考えます。 コレが、例えば発達し障害が拗らせた人で、「ギョーカイ」にどっぷりつかっている人は、「お薬の効きがどうたら」「主治医が同たら」「毒親が同たら」「社会の理解が同たら」結論『生きづらいね!』(ここで同意すると言うね。。。) 当事者会って、そう言う世界なのかと知ったら、全く治ろうとしか思えません。 返信する
シア 2020年1月29日 知的障害編 まず、命にかかわらないことなら、やりたいことはやってみよう・やらせてみようと言う方針でした。 やりたがらないことが多かった・私は自閉症の「こだわり」が強かったし、「興味の幅」も狭かったし、「言葉によるやり取り」も少なかった、自己主張が少なかったのです。 でも、不安定になると、すぐに爆発するようで、メルトダウンですね、原発に例えられたようです。 知的障害には、「精神薄弱型」もあります。 情緒型が原因で、まだ新刊の本は手元に着てませんが、心理的理由で、精神の発達が遅くなると同時に、心理的なモチベーションとか、バイタリティとかが阻害されます。 「ウサギと亀」の話では、ハンデを「ばね」に、と言うのがありますが、最近の研究で、そう言う人は苦手を武器に、コンプレックスをばねに結果が出てくるようなんです。 そう言う性質が弱いと、諦めたりしやすくなります。 「やる気」と言うのは、統計的に明らかなんですね。 知的障害でも、記憶力はありますので、少しずつでも「できた。」と言う声を大事にしたと聞いてます。 「対象年齢4歳以上」なら、その遊具で遊べたら、実年齢のその水準に届いたことを意味します。 人間、成長しますから、興味のある遊具や玩具や知育玩具や学習教材で遊んで、「プラモデル」は色を塗って立派に仕上げるのは、14歳相当の知能年齢+実年齢。 ドローンは、18歳以上の知能年齢+実年齢。 つまり、14歳になったら、プラモデルをやっていいし、18歳になったら、20歳になったら、やってもいいのだけど、現実にそれができて、使いこなせるようになってきたら、立派に知的障害は治ってきたことを指します。 私の経験では、知能検査にも、逆説的にそれが反映されます。 IQが上がらない人は、実生活で、相当の知的水準能力を必要とするような遊びや作業・勉強の課題ができるようになったら、逆に反映されてくると思います。 返信する
シア 2020年1月29日 難病編 簡単にですが、ざっと説明しようと思います。 壊死が始まり、左半身はstage4の壊死、右はstage3Bの壊死とされました。 それで、オペの後は、安静期を過ぎたら、少しずつ刺激を体に与えることにしました。 食べられるものを増やし、触れる刺激を少しずつ増やしたんです。 無菌室から出られると、なるべく外の風にあたり、衛生状態を確保し、できることを増やしました。 それが検査結果にも影響して、生理的な回復基準も高くなり、炎症値(CRP)も劇的によくなりました。 加速度的に数値がよくなると、こちらのものです。 特殊な、IBD食を卒業したら、ラコールやエンシュアと言った経口栄養剤も、好きな味が選べるようになります。 ミキサー食とかも、何とかこなせば、刻み職になれます。 刻み職はそれなりに歯ごたえがあっておいしい。 次は全粥。 それからごはん。 おいしい・食事が楽しい。 コレがモチベーションにつながります。 リハビリも、それを続けて、疲れるとますます食事がおいしい。 検査数値がよくなると、具合がよくなり、また、安心して食べれるもの、触れられる刺激が多くなって好循環です。 治療に協力的な人は、良くなりますね。 退院するときは、本当に皆さんに祝福されて、嬉しくて涙がこみ上げました。 返信する
シア 2020年1月29日 こちらに、書こうと思うことがあります。 まず、身体障碍。 何とかして、治りたかったんです。 それで、普通に生活できる・身辺自立を目標としました。 リハビリテーションの計画書では、ねたきりでした。 要支援・要介護・そもそも入院していました。 そこで、「発達障害は治りますか?」を読んで、オペの後、身体障碍だって、生活に困らない程度に・難病だって、仕事に支障がない程度に、回復するのではないかな?!と考えました。 それで、足腰鍛えるために、ポールを使ったリハビリや、車いすで生活できる訓練を終えると、積極的にやりました。 装具も、二回目・三回目からは自分で装着できるようにして、自分でやれるようにしていきました。 人の手を借りてましたけど、それが当たり前になりたくなかったんです。 (トイレや入浴、自分でできるのは、昔足が悪かった時期があるから、嫌なことでも、役に立つときが来ると思えます。) 片足麻痺でも、トランポリンで世界一になれる人がいることを知り、その人がスノーボードや高跳びでも好成績を上げると、その人の情報を調べて、積極的に取り入れたんです。 そしたら、みるみるよくなりました。 神経で、麻痺が起きたり、感覚に支障があっても、使い続けるうちに、身体の使い方の感は戻ってくるのも、ご本人の動画を見て納得できました。 返信する
シア 2020年1月27日 今日の治った自慢。 人がそばに来て、立っているとき、いくつか可能性があります。 そのうちの一つが、「行き先経路への障害となっている。」ことです。 今日は、椅子に座っていて、飲み物を飲みながら、椅子を引きました。 何時もは、「どいて」と言われなければ動きません。(動けません) 母は、横目で私が人を見る癖を知っていて、近づいて「ちょっとどいてくれる?」と言おうとしていたところだったそうです。 私が椅子を引いたので、母は驚いて、「できたねぇ。。。」と言って、私の肩に手を置いて、長くため息をつきました。 私は、触られるのに抵抗があるのですが、今日は意図が分かったので、全く抵抗がなかったです。 返信する
シア 2020年1月27日 社長、ありがとうございます。 仕事上でも、変化がありました。 「○○ということと次第です。よろしくご推察ください。」と言うメッセージだけで、相手が知りたい情報が分かるんですよ。 以前は、「だから要件は何ですか?」と言う(もっと遠回しですが)やり取りをしていたんです。 返信する
シア 2020年1月26日 こんにちは。 私の治った自慢。 多くはないですが、稼いだ分を家に入れることになってます。 多くはないですが、お金の計算も始めたし、金銭管理ができると、自立に近づきますね。 そう信じてやっていきます。 返信する
XIA 2020年1月22日 今日の治った自慢は、「回復力」です。 調子は崩さないに越したことはないです。 しかし、回復力が付いたんです。 それが今日の治った自慢です。 お薬の力を借りずに、病院に行っても、大丈夫!って言われて、帰ってきたら、自分でも大丈夫でした。 こういう風に、疲れたり、苦しかったり、つらくてしんどくても、少しばかり励ましてくれる医療の方が、大事大事!って、お薬出す人より強いです。 だって、お薬にもプラセボがあるかもしれないけど、手で触診したり、語り掛けたり、目で見て、「大丈夫だ!」って言ってくれて、それで治ってしまう。。 あれは、医長だとしても、やっぱりすごかったです。 そして、私自身、今回のことで、実際に大丈夫だったなぁ、、、って思って、自信が付きました。 返信する
XIA 2020年1月20日 おはようございます。 空気が読めるようになって、いろいろ変化があったので報告します。 ・夜、目が覚めても、寝ている家族のことを考えて、ガタガタしなくなった。 ・↑その際、特に次の日早朝仕事がある家族のことを考えました。 ・家に帰ってくる家族のために、ルールがなくとも風呂を沸かすなどしました。 ・↑コレは、明日雪が降るなと言われました。(実際に雪が降りました。) ・ゴミが溜まったら、捨てるようになりました。(以前は促されたり、時間が決まってました。) ・トイレットペーパーを、なくなったら(次の人が困るな)と思って、補充することを覚えました。(機械的に補充するのではなく、次の人が困るなと考えるようになったのが進歩です。) ・同様に、次にそれを使う人のことを考慮して、道具を元に戻すと言った行動の芽生えが実感できました。 ・教わったことを取り入れると同時に、「自分ならこうするな。」と創意工夫することが多くなりました。 ・↑コレは、主に仕事で機械や道具を扱うことが多いから、主体的に伸びた部分だろうと思います。 返信する
XIA 2020年1月17日 今日の治った自慢は、超弩級です。 大げさじゃないんです。 この話をしたら、「○○さんはつまらないかもしれないなぁ。。。」って、思えたんです。 仕事の話をしていて、同業者でもなく、お客さんにもわからない話を、しばらくしていたけど、「この人は退屈かもしれないな。」って、思えました。 私が楽しくても、この人は楽しくないかもしれないな。 そう思えたんですね。 返信する
XIA 2020年1月14日 こんばんは。 笑ってやってくださいと言う話です。 最近、「変顔」を覚えました。(笑) 人様に見せられる顔じゃないですが、そうやって「変顔」するような余裕・ゆとり・情緒の安定・そう言うのが出来たのは、すごい進歩だと思うんです。 変顔をして、写真に収まって、家族にも受けが良くて喜ばれました。(笑) 返信する
みならい怪獣 2020年1月17日 変顔、座波さんが紹介されていたポリヴェーカル理論のトレーニングでも取り入れられていました。 また、ご家族の中に笑顔が増えるっていいですね。 皆さんで緩んでいる和やかな感じが伝わってきました。 返信する
XIA 2020年1月14日 一次障害。 社会性の障害。 これを考えたときに、大昔先生はいいました。 「この子は、ひょっとすると、色恋・恋愛男女交際結婚…そう言うのには届かないかもしれない。」「人を好きになる・人懐っこいところはありますが、この子にはそういうものがないかもしれない。」…両親はそれを聞いてました。 親子でそういう話をすることもあまりなく、いろんな目覚めも遅かったと思います。 好き・嫌い…その情が薄いんですね。 でも、ただの成長~発達をしていけば、うまいことそう言うことも分かってくるようになります。 社会性が、「ものすごく遅い」と言っても、質的に遅くても、変質していたとしても、追いついてくる時があり得ます。 私は、人よりモノが好きで、女の子より模型でした。 その傾向・偏りは一生治らないと言われてました。 高校生のころ、いろいろあって、付き合うことになった人も、がっかりさせました。 それは、私がその人をすごく好きになることがなかったからです。 でも、20代も終わりになってくると、素直に「あなたのことが好きです。」と言えるような人間になりました。 気の利いた表現は難しくても、幼稚な分だけ、それをくみ取ってくれる人も増えたんです。 大人びた人が、幼稚なふるまいをすると、とても気持ちが悪い。 でも、若い人が精いっぱい背伸びをするさまは、とても見ていて清々しいものです。 返信する
XIA 2020年1月3日 こんばんは。 遅ればせながら、片付けられる人間になってきました。 重い腰を上げて、片付けました。 よくよく考えたら、こんなに散らかった部屋で、よく作業が出来たものです。 だから、片付いたら、作業効率upなはずです。 また治った。 返信する
ハピネスさんの娘・ラミュです。
2019年、栗本先生にお会いしました。先生から、私の脳が休めていないことを指摘されました。そして、リラックス法を伝授されました。足を抱えてゴロゴロ回ること、体を左右に揺らし緩める体操をすること、暖かいタオルで目と肘を温めることで、疲れが取れると教わりました。
前よりも頭のコリが減り、ぐっすり眠れるようになりました。
こんにちは。
「困ったとき」どうするか?
以前は、支援者に連絡をしてみたり、病院に連絡をしてみることが多かったです。
しかし、考えてみれば、「自分である程度考えて解決する」ことができるのではないでしょうか。
最近は、不調でも入院しないで治ることが増えました。
入院すると、時間もお金もかかってしまいます。
ベース(土台)のコンディションが良くなったのもありますね。
支援にも、そんなにやたらに連絡を取ることがないと言うか、ほぼないんです。
困ったとき、己の力に頼ることも覚えると、いろいろ依存心も少なくなるのです。
「専門家」に対する依存心や、過度な期待が薄れてきたように感じます。
2018年6月、神田橋條治先生にお会いしました。広汎性発達障害で、フラッシュバックがあると診断されました。また、脳の三ヶ所に邪気があると言われました。
神田橋先生から、絵を描き家事をすること。五本指いい子体操をすること。ペンダントは金具がないものかプラチナを付けること。中国産のお肉やジャンクフードを避け、無添加の食品を選ぶこと。焼酎風呂に入ることを勧められました。
それから私は、頭の左側を揉んだり、生活クラブのものを食べるようになったり、焼酎風呂に入るようになりました。
結果、友達に「明るくなったね」「前より話すようになったね」と、言われました。中でも五本指いい子は体操は、フラッシュバックが減り、発達障害が改善しました。
こんばんは。
治った人と、治らない人とは、生きる世界・見える世界・触れるものが違うのですね。
私は、ネット上でも、発達障害で悩む人・そこから解放されている人たちとの差を、かなり歴然に最近感じる出来事が増えてます。
FBで、昔の学校時代の友達を見つけて、「どうしてる?」って、話になります。
一応、大まかにも話すこともありますが、だいたいこう言う事を言って締めます。
「病気なんかに負けずに頑張って行こうな。」。
これが、広い一般社会に生きる人なんです。
発達障害とか、ギョーカイに生きない「当事者」も多いみたいで、彼らも治ってると言えます。
と言うのは、模型の愛好会だとか、出品会だとか、そう言うところで会う人は、少し話し込んで、(大まかに)
「実は障害がある。」
「何の?」
「発達とかいろいろ。」
「まぁ、いろいろあるけどさ、腐らず続けて行って、これからもシアさんの作品を見せてよ。」そんな会話なんです。
元気が出るし、そもそも何をくよくよしてたんだろう?って考えます。
コレが、例えば発達し障害が拗らせた人で、「ギョーカイ」にどっぷりつかっている人は、「お薬の効きがどうたら」「主治医が同たら」「毒親が同たら」「社会の理解が同たら」結論『生きづらいね!』(ここで同意すると言うね。。。)
当事者会って、そう言う世界なのかと知ったら、全く治ろうとしか思えません。
知的障害編
まず、命にかかわらないことなら、やりたいことはやってみよう・やらせてみようと言う方針でした。
やりたがらないことが多かった・私は自閉症の「こだわり」が強かったし、「興味の幅」も狭かったし、「言葉によるやり取り」も少なかった、自己主張が少なかったのです。
でも、不安定になると、すぐに爆発するようで、メルトダウンですね、原発に例えられたようです。
知的障害には、「精神薄弱型」もあります。
情緒型が原因で、まだ新刊の本は手元に着てませんが、心理的理由で、精神の発達が遅くなると同時に、心理的なモチベーションとか、バイタリティとかが阻害されます。
「ウサギと亀」の話では、ハンデを「ばね」に、と言うのがありますが、最近の研究で、そう言う人は苦手を武器に、コンプレックスをばねに結果が出てくるようなんです。
そう言う性質が弱いと、諦めたりしやすくなります。
「やる気」と言うのは、統計的に明らかなんですね。
知的障害でも、記憶力はありますので、少しずつでも「できた。」と言う声を大事にしたと聞いてます。
「対象年齢4歳以上」なら、その遊具で遊べたら、実年齢のその水準に届いたことを意味します。
人間、成長しますから、興味のある遊具や玩具や知育玩具や学習教材で遊んで、「プラモデル」は色を塗って立派に仕上げるのは、14歳相当の知能年齢+実年齢。
ドローンは、18歳以上の知能年齢+実年齢。
つまり、14歳になったら、プラモデルをやっていいし、18歳になったら、20歳になったら、やってもいいのだけど、現実にそれができて、使いこなせるようになってきたら、立派に知的障害は治ってきたことを指します。
私の経験では、知能検査にも、逆説的にそれが反映されます。
IQが上がらない人は、実生活で、相当の知的水準能力を必要とするような遊びや作業・勉強の課題ができるようになったら、逆に反映されてくると思います。
難病編
簡単にですが、ざっと説明しようと思います。
壊死が始まり、左半身はstage4の壊死、右はstage3Bの壊死とされました。
それで、オペの後は、安静期を過ぎたら、少しずつ刺激を体に与えることにしました。
食べられるものを増やし、触れる刺激を少しずつ増やしたんです。
無菌室から出られると、なるべく外の風にあたり、衛生状態を確保し、できることを増やしました。
それが検査結果にも影響して、生理的な回復基準も高くなり、炎症値(CRP)も劇的によくなりました。
加速度的に数値がよくなると、こちらのものです。
特殊な、IBD食を卒業したら、ラコールやエンシュアと言った経口栄養剤も、好きな味が選べるようになります。
ミキサー食とかも、何とかこなせば、刻み職になれます。
刻み職はそれなりに歯ごたえがあっておいしい。
次は全粥。
それからごはん。
おいしい・食事が楽しい。
コレがモチベーションにつながります。
リハビリも、それを続けて、疲れるとますます食事がおいしい。
検査数値がよくなると、具合がよくなり、また、安心して食べれるもの、触れられる刺激が多くなって好循環です。
治療に協力的な人は、良くなりますね。
退院するときは、本当に皆さんに祝福されて、嬉しくて涙がこみ上げました。
こちらに、書こうと思うことがあります。
まず、身体障碍。
何とかして、治りたかったんです。
それで、普通に生活できる・身辺自立を目標としました。
リハビリテーションの計画書では、ねたきりでした。
要支援・要介護・そもそも入院していました。
そこで、「発達障害は治りますか?」を読んで、オペの後、身体障碍だって、生活に困らない程度に・難病だって、仕事に支障がない程度に、回復するのではないかな?!と考えました。
それで、足腰鍛えるために、ポールを使ったリハビリや、車いすで生活できる訓練を終えると、積極的にやりました。
装具も、二回目・三回目からは自分で装着できるようにして、自分でやれるようにしていきました。
人の手を借りてましたけど、それが当たり前になりたくなかったんです。
(トイレや入浴、自分でできるのは、昔足が悪かった時期があるから、嫌なことでも、役に立つときが来ると思えます。)
片足麻痺でも、トランポリンで世界一になれる人がいることを知り、その人がスノーボードや高跳びでも好成績を上げると、その人の情報を調べて、積極的に取り入れたんです。
そしたら、みるみるよくなりました。
神経で、麻痺が起きたり、感覚に支障があっても、使い続けるうちに、身体の使い方の感は戻ってくるのも、ご本人の動画を見て納得できました。
今日の治った自慢。
人がそばに来て、立っているとき、いくつか可能性があります。
そのうちの一つが、「行き先経路への障害となっている。」ことです。
今日は、椅子に座っていて、飲み物を飲みながら、椅子を引きました。
何時もは、「どいて」と言われなければ動きません。(動けません)
母は、横目で私が人を見る癖を知っていて、近づいて「ちょっとどいてくれる?」と言おうとしていたところだったそうです。
私が椅子を引いたので、母は驚いて、「できたねぇ。。。」と言って、私の肩に手を置いて、長くため息をつきました。
私は、触られるのに抵抗があるのですが、今日は意図が分かったので、全く抵抗がなかったです。
シアさん
人の進路を防がない。
それは「治った」ということだと定義している。
だって空気読まないとできないでしょ。
おめでとう。
社長、ありがとうございます。
仕事上でも、変化がありました。
「○○ということと次第です。よろしくご推察ください。」と言うメッセージだけで、相手が知りたい情報が分かるんですよ。
以前は、「だから要件は何ですか?」と言う(もっと遠回しですが)やり取りをしていたんです。
こんにちは。
私の治った自慢。
多くはないですが、稼いだ分を家に入れることになってます。
多くはないですが、お金の計算も始めたし、金銭管理ができると、自立に近づきますね。
そう信じてやっていきます。
今日の治った自慢は、「回復力」です。
調子は崩さないに越したことはないです。
しかし、回復力が付いたんです。
それが今日の治った自慢です。
お薬の力を借りずに、病院に行っても、大丈夫!って言われて、帰ってきたら、自分でも大丈夫でした。
こういう風に、疲れたり、苦しかったり、つらくてしんどくても、少しばかり励ましてくれる医療の方が、大事大事!って、お薬出す人より強いです。
だって、お薬にもプラセボがあるかもしれないけど、手で触診したり、語り掛けたり、目で見て、「大丈夫だ!」って言ってくれて、それで治ってしまう。。
あれは、医長だとしても、やっぱりすごかったです。
そして、私自身、今回のことで、実際に大丈夫だったなぁ、、、って思って、自信が付きました。
おはようございます。
空気が読めるようになって、いろいろ変化があったので報告します。
・夜、目が覚めても、寝ている家族のことを考えて、ガタガタしなくなった。
・↑その際、特に次の日早朝仕事がある家族のことを考えました。
・家に帰ってくる家族のために、ルールがなくとも風呂を沸かすなどしました。
・↑コレは、明日雪が降るなと言われました。(実際に雪が降りました。)
・ゴミが溜まったら、捨てるようになりました。(以前は促されたり、時間が決まってました。)
・トイレットペーパーを、なくなったら(次の人が困るな)と思って、補充することを覚えました。(機械的に補充するのではなく、次の人が困るなと考えるようになったのが進歩です。)
・同様に、次にそれを使う人のことを考慮して、道具を元に戻すと言った行動の芽生えが実感できました。
・教わったことを取り入れると同時に、「自分ならこうするな。」と創意工夫することが多くなりました。
・↑コレは、主に仕事で機械や道具を扱うことが多いから、主体的に伸びた部分だろうと思います。
今日の治った自慢は、超弩級です。
大げさじゃないんです。
この話をしたら、「○○さんはつまらないかもしれないなぁ。。。」って、思えたんです。
仕事の話をしていて、同業者でもなく、お客さんにもわからない話を、しばらくしていたけど、「この人は退屈かもしれないな。」って、思えました。
私が楽しくても、この人は楽しくないかもしれないな。
そう思えたんですね。
こんばんは。
笑ってやってくださいと言う話です。
最近、「変顔」を覚えました。(笑)
人様に見せられる顔じゃないですが、そうやって「変顔」するような余裕・ゆとり・情緒の安定・そう言うのが出来たのは、すごい進歩だと思うんです。
変顔をして、写真に収まって、家族にも受けが良くて喜ばれました。(笑)
百面相がいいって神田橋先生書いてますよね。
変顔、座波さんが紹介されていたポリヴェーカル理論のトレーニングでも取り入れられていました。
また、ご家族の中に笑顔が増えるっていいですね。
皆さんで緩んでいる和やかな感じが伝わってきました。
一次障害。
社会性の障害。
これを考えたときに、大昔先生はいいました。
「この子は、ひょっとすると、色恋・恋愛男女交際結婚…そう言うのには届かないかもしれない。」「人を好きになる・人懐っこいところはありますが、この子にはそういうものがないかもしれない。」…両親はそれを聞いてました。
親子でそういう話をすることもあまりなく、いろんな目覚めも遅かったと思います。
好き・嫌い…その情が薄いんですね。
でも、ただの成長~発達をしていけば、うまいことそう言うことも分かってくるようになります。
社会性が、「ものすごく遅い」と言っても、質的に遅くても、変質していたとしても、追いついてくる時があり得ます。
私は、人よりモノが好きで、女の子より模型でした。
その傾向・偏りは一生治らないと言われてました。
高校生のころ、いろいろあって、付き合うことになった人も、がっかりさせました。
それは、私がその人をすごく好きになることがなかったからです。
でも、20代も終わりになってくると、素直に「あなたのことが好きです。」と言えるような人間になりました。
気の利いた表現は難しくても、幼稚な分だけ、それをくみ取ってくれる人も増えたんです。
大人びた人が、幼稚なふるまいをすると、とても気持ちが悪い。
でも、若い人が精いっぱい背伸びをするさまは、とても見ていて清々しいものです。
こんばんは。
遅ればせながら、片付けられる人間になってきました。
重い腰を上げて、片付けました。
よくよく考えたら、こんなに散らかった部屋で、よく作業が出来たものです。
だから、片付いたら、作業効率upなはずです。
また治った。