「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

私の治った自慢

成人当事者の皆さん、グレーゾーンの皆さん

・前は悩んでいたこんなことが治ったよ
・こんなことに取り組んでみたら効果があったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

378 COMMENTS

シア

「私は大人」「私は健康」「私は大丈夫」「私は健康」「私は元気」「私は幸福」「私は自由」。
そうありたいと思っていい。
そこから外れていたら、自分で勝手に試行錯誤すればいいんですね。

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シア

主体性が大事なのは、身体や心に素直になるということかもしれません。
体が疲れたら、勝手に休む。
勝手に頑張りたかったら、その感覚に従う。
自分の感覚を信じることができていれば、あとはすべてオートマチック。

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シア

いいことがあると、嬉しい。
辛いことがあると、悲しくてしんどい。
それがわかってんです。
じゃぁ、いいことを呼び込めばいい。
私としては、商品を作って、お客様に喜んでいただけたとき、嬉しかった。
だから、くさくさしたら、それを求めて精進すればいい。
緩みたかったら、だらーん、とすればいい。
力を蓄えるために、また、肉を食べて、精を出す。
それで、いいことが呼びこめればいい。
自分で良くなれる。
そう思えたんです。

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シア

安心と言うのは、感覚。
身体が安心してると、心も安心している。
身体が安定していると、心も安定している。
勝負はたまにすればいい。
狩りをするときだけでいい。
いつでも、びくびく、戦闘態勢でいてはいけない。
緩むでそれがわかったんです。

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シア

自分の、あそこがダメ、ここがダメ、そう考えるのではなくて。
どうしてダメなの?
どこがダメなの?
本当に、ダメなの?
そう自分に聞いてみて、「ダメ」の根拠が、どこにある?
未来が、見通せるわけでなし。
未来が、見通せないから不安で緊張してました。
見通せないなら、しょうがないじゃないですか。
「見えないものはない」それならそれで上等。
広い世界を感がていたら、不安で井の中にも住めませんよね。

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シア

推測だけで、広い世界を考えていたら、不安で井の中にも住めませんよね。

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シア

「緩む」について。
治ると、不安感や、緊張感が手放せます。
過剰な不安や緊張感。
何故か?
大丈夫なときに、大丈夫だと思えるから。
大丈夫かどうかの判断が、自分に下せるから。

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シア

いろいろ病気を抱えてました。
でも、今日、手放すことを考えました。
私は、自分が大丈夫なのかどうか、覚測なかったんです。
でも、私は大丈夫なのかな?今、大丈夫なのかな?
そう自分に問いただしてみて、「ああ、大丈夫なんだ。」って、思えたんです。
大丈夫でないときは、大丈夫でないと思えばいい。
それがわかったんです。
これも、治ったか治ってないかを自分で判断できるという点で、治った!に含めていいと思えました。
他人や、医者に、「大丈夫?」と聞かれる前に、自分で対処できますよね。

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みる@こねこ

【感情の境界線のゆるさ―出来るようになった自慢=マウントと取る人の謎の思考回路について】
ギョーカイネタいい加減つきたししばらくネタないかな‥と思ってましたけど、とあるルサンチマン系の当事者のつぶやきをたまたま見て、思い出した事が1つありました。
(あ、一応、話しますが、ここで話題になったことがない方です。この人自身も無名な方なので匿名で話題に出します)
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ルサンチマン系の当事者なんだけど、当事者の知人の幸せ報告で体調崩しちゃって、SNSの友達解除したそうな。
当事者の知人もしんどそうなのに、幸せ報告したのが、自分に対する自慢、「私はこんなに幸せなのに、不幸な〇〇さん可哀想wwwww」と言っているように見えたらしく、つらくて体調崩したそうな←もうこの感覚がさっぱり理解できなくて最初頭の中がはてなだらけに(笑)
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でも私もこの感覚、全く違う形でだけど表れていたことがありました。
「心の境界線がもろいがゆえ、他人の感情に敏感に反応してしまい、自分が受け入れられない感情だと体調を崩していた」ことがありました。
そして、その感情とは、
1) ギョーカイ的な「治りません」「一生仕事は無理」みたいな文章に遭遇した時
2) 悩んでいる、生きづらさ全開の当事者の手記
→このせいでここ2年前まで「自閉っ子、こういう風にできてます!」が読めませんでした。去年はじめて最後まで読みましたが、放デイも療育もまだ少なかった時代にここまで前向きな本が出ていたことを知り、感動しました。あの当時から私はこの世界におりましたので、発達クラスタの中では老害です(笑)

境界線がもろい人って私みたいな出方をするのは稀なのか、多くの人は、
「他人が幸せアピールすると体調崩す」
という人ばかりなので‥。幸せアピールだけで
『マウント、かまってちゃん⇒しんどくなる認知思考』
だととても生きづらいだろうし、「治る」なんてとんでもないととってしまうだろうなぁと思ってしまいました。

いつの間にか「感情の境界線のゆるさ」も治っていたのですっかり忘れていたけどルサンチマン系の当事者のつぶやきを久々に読んで思ったことを書きました。

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浅見淳子

みるさん

他人の幸せで不幸になる人は他人の不幸で幸せになるのでしょうか。

だとしたらヘンタイですな。

治した方がいいです。

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みる@こねこ

浅見さん。
あー‥確かにギョーカイってヘンタイ率高そうですね。昔ギョーカイの人とのんだ酒の席で女子が聞いたらドン引きするような話しておりましたので‥。
(具体的な話はここではやめておきます。お子さんがうっかりここ見ちゃったら健全な青少年の発達を壊す内容で御座いますので)

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shota

境界線、僕はやっぱりボディイメージと強く結びついているような気がしてなりません。
自分の筋肉の感覚をしっかり感じとれてる日って人に左右されないんです。

支援の業界、ちゃんとしてる方はちゃんとしておられるのでそういった方を見つけていく努力も必要に感じてます。
表現が直球でおどろおどろしいかもですが、ドラキュラ🧛‍♂️のような支援者がいるのは現実です。
本人にその自覚がないパターンが殆どなのがまた怖い事です。

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浅見淳子

shotaさん、ようこそ。
私も固有受容覚と自他の境界はリンクしている気がしています。
だから、運動ってほどじゃなくても、コンディショニングは大事だと思っています。

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shota

浅見さん、こんばんわ。
僕もボディイメージと境界線は繋がっていると感じてます。
コンディショニング、僕も同感です。
むしろがっちりトレーニングし過ぎると僕の場合、筋疲労からかボディイメージ薄くなっちゃうんです。
upされている本、まだ読んでいないので、今度読んでみます。

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浅見淳子

shotaさん
でしたらこの本に出てくる栗本さんパート、廣木さんパートは適切な運動量だと思います。
成人男性にはやりやすいはずです。
よろしくお願いいたします。

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みる@こねこ

ごめんなさい。連続失礼します。
(どうしても書きたいことがあったので‥)

たまたまクラスタさんのTwitter見たら、お子さんの治った自慢、卑屈にとってる心理士のツイート見つけました。ギョーカイは支援者、親、当事者ともにこういうの多いからマジで理解出来んし、「あーめんどくせぇ。」と思った訳で御座いまする。
ルサンチマンな当事者のたまたま見かけたつぶやき「他人の感情な敏感な特性」から来てるんでしょうけど(他人の感情に敏感な特性、は発達障害の特性だけでなく、愛着障害、HSPな人にも見られる。それか性格)、他人の感情に敏感は治した方がより自分らしく生きられるし、理不尽へも耐えられるようになってきますね。

ここにはこういう人は来ないので良かったです。治るが勝ち!

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みる@こねこ

【現実を知る―支援も有限、理解も啓発も有限、制度も有限】
7年以上は私の周りにも、障害年金2級、1級取れていた人ゴロゴロいたけど、ここ3~4年前から風向きが変わり3級以上の取得は難しくなってきた。今後は高齢者の人口もさらに増えるから、老齢年金や介護サービスを利用する人も増える一方。そうなると今のお子さんたちが社会人になる頃には、本当に働ける状態でない人を除き、厳しいのではないかな‥と。

否、そうならない可能性もあるけど、福祉は高齢者寄りになって、障害者の財政は大幅に削られる事は間違いないと思う。社会保障の財政には限りがありますからね。

病んでいた頃、自宅にいることしかできなかったけど、こうした現実を知ったのも、「治る」にシフトする大きな引き金となりました。
「理解が、支援が」というのは簡単だけど、その支援がどういった仕組みで成り立っていて、財政がどのようになっているか知れば、おのずと理解も支援も有限であることを知ることができるかと思います。私は現実を知り、
「治るかどうかはわからない。けどこのままじゃダメだ」
と思いました。

373さんのコメントを読んで思いついたことを書きました。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-3/#comment-694

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373

みるさん、またまた貴重なお話をありがとうございます。

「社会保障には限度がある」という現実を知ったことが「治る」にシフトする大きな引き金になったのですね。きっと「私は障害者なのになんで、私が合わせなきゃいけないの!!!差別です!!」という二言目はいつの間にか自制され格段に減っっていったのではないかと推察します。

「これが正しい!」を「『これが正しい!』のか?」に変えたこと、ここに主体性のはじまりがあるように感じました。専門職、支援者の役割、関わり方についても連想が拡がりました。

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シア

勉強して、実技と座学で、運転免許が取得できたのを、知ってほしいですね。
それから、MOSExcelも取得できたし、商工会議所の簿記検定も、取得。 
登録外務員試験にも合格。
また、ラジコン操縦士と、無人航空従事者にもなれました。
J病院で、知的障害を言い渡されても、模型の仕事ができています。
これは、知的に治ってきた証拠。
このクラスの模型は、まともに組み立てるだけでも、聖人の知能が要ります。
ドローンとて同じ。
運転免許もそう。
治ったことは、勉強ができて、それがさらに報われたことからも確かです。

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シア

治るを実感。
仕事を始めて、試行錯誤を経て、だんだんコツがわかってくる!
繋がらなかったことが、繋がってくる!
色んな事が、わかってくる。
つまり、チャレンジは報われるのだということを、学習できる。
それが、よくわかったのが良かったです。
やっぱり、自分なりの試行錯誤で、何かを得ることによって、自分の力を信じるようになり、頑張ることもまた、楽しくなってくる。
それは、相対評価の学校では、学べないこと。
絶対評価の社会では、学べることがたくさんあります。
それを知るに至り、社会に出ることができる人は、絶対に伸びる!
そのことを信じて、社会に送り出していこうと言う先生方、教師の皆さんには、頭の下がる思いです。
やはり、生きていて良かったと思えるとき、人に恵まれていました。
人が好きな人は、人の中で生きていくことができるのではないか?
どんな形でも、社会と関わって生きて行けることが、「自閉症」が治ることと、道義かもしれないと、思ったんです。

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シア

「今まで出来なかったことが、出来る。」
それが、治った証拠だと思います。
私は、仕事の名刺を依頼し、作ってもらいました。
毎日楽しく仕事をしています。
それから、無人航空従事者の資格も勉強!
現在は、より「広く社会で活躍できる」文字通り、大空にはばたくような、ドローンオペレーターを目指し、日々精進しています。
また、毎日自転車で走るトレーニングもできるようになって、この前は、50キロメートルのコースを完走しました。
身体が弱く、難病で、身体障碍だとか、知的障害と医療従事者に言われた私が、社会でいろいろチャレンジできています。
身体アプローチをし、栄養にも気を遣って、肌もつやつやです。
私は、治りたかったんです。
治って、いろんなことをしたかったんです。
障害があるから、出来ない!と、決めつけられて、一笑狭い世界で生きていたくなかったんです。
だから、治るを模索して行きました。
そして、自ずと結果が付いて来ています。
だから、治るを信じて、まずは一歩踏み出してよかったと思っています。

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みる@こねこ

【誤学習:社会の理解がないと発達障害の人は生きていけない】
発達障害は「社会の理解がないといけない障害」ということばを信じ、私もかつて、行く先々で、
「私は発達障害がありますので〇〇ができません。なので××してください。障害をどうか理解してください!!」
と言って回ったことがありました。

大抵はドン引きされて終わりでした。関わりを絶たれることも1度や2度のことではなかったです。

そりゃあそうだろう。
だって世の中は発達障害の人、中心に回っているわけではないから。
それに健常者は問題なさそうにみえて、お家や仕事、健康面で問題抱えている場合もありますからね。他人の都合を鑑みずに他人に欲求ばかりしても理解などしないし、関わりたくないと思うのが普通ですね。

配慮が必要な人もいるかもしれないけど、配慮が受けられない場面も存在しますよね。
たとえば、首都圏のど真ん中の都会に住んでいる人が静かな環境を求めてもハードルが高いですね。グッズ方面に頼っても、薬に頼っても、限界はありますし。
なら、音の過敏が気にならなくなれば、かなり生きやすくなりますよね。それは「治った」といって差支えない事だと思いませんか。

だから、
生きづらさを治す
ことは自分を守ることに繋がるのです。それは自分が経験した かんかく として確実に断言できます。

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みる@こねこ

おまけ:社会の理解がないと生きていけないと誤学習していた時代にやった黒歴史

・医療、福祉、当事者団体はもちろん、床屋さん美容院、ボランティア先、その他あらゆる場所で、
「理解して下さい!!」
と自己紹介と一緒に説明する。

・自分の思い通りにならないと二言目には、
「私は障害者なのになんで、私が合わせなきゃいけないの!!!差別です!!」

・感覚過敏が強くて、トイレを待っている時の話し声や電球の光にも耐えられなかったので、身障者トイレを使用
(もし誰か警備の人がくれば障害者手帳出せば問題ないよねwwと思っておりました)

・加害者が自閉→差別ガー
・病院の待ち時間が長い→発達障害なので長く待つのは(略
・パニック起こす→パニック起こさせた奴が悪い。なぜなら発達障害に対する理解が(略

ここで、お子さんを育てていらっしゃる親御さん、当事者、対人援助職の皆さんに質問です。率直に本音で教えてください。

↑この箇条書きに当てはまる人と付き合いたいと思いますか?
私も治ってない時代、生きづらさ全開な時代はよくこんな発言しておりました。本当に周りに負担を強いなきゃいけないほど生きづらくてしんどかったです。けど、生きづらさが1つ2つ減る事に言わなくなりました。
今ではただの黒歴史です(苦笑)

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ブルー @成人当事者:ロスジェネ世代

ブログの感想を書こうとしたら、長くなったので、「取り組みの基本方針」という感じで、ここに書きます。

浅見さんのブログ「全身治る」より

>いぬこ家の出会った先生は、まず、全身の障害だと理解していた。
>発達援助は全身が治ります。だって当たり前。NEUROだもの。

→この件ですが、もはや花風社クラスタの皆様には言うまでもないことでしょうが、
念のためここに記載します。

私が自分に対して取り組みを行うときに、神経系が刺激を処理する順番、つまり、電気信号が走る経路を常に意識しています。つまり、人の刺激の処理は、おおざっぱには

インプット:末梢神経(身体)→中枢神経→脳
アウトプット:入ってきた刺激を脳で処理→中枢神経→末梢神経(→身体が動く)

ですね。細かい例外は多々あるとは思いますが、超大まかには、です。

で、取り組み、つまり「治す」「改善する」「発達援助する」というときに、常に
「末梢から末梢から」、つまり「身体から身体から」と念頭に置きながら刺激を入れるようにしていけばいいし、取り組みを組み立てれば、まあ、それほど間違いは出ないように感じています。

逆に言えば、この刺激入力の処理手順を外して取り組んでも、どこかで頭打ちになるように思います。というか、私はなりました。
特に、発達の凸凹そのものはどうにもなりません。つまり自分を発達させられない。

反面、身体/言葉以前のアプロ―チは、人が神経系において刺激入力を処理する順番に沿っているから、効果がでる、ということかと思います。最も、末梢神経から大量かつ自然に刺激を入れられる方法論なわけですね。

「アタマでお勉強」系、つまり「言語以降」のアプロ―チは、相対的に刺激入力量が身体アプローチより減ると思いますから、身体アプローチである程度治る/発達した後にやるといいように思います。

つまり、これも
末梢/中枢(身体アプローチ)→脳(お勉強系・言語系のアプローチ)
という、人体の刺激入力の処理手順に従って、取り組みの順番を構成しているわけです。

ちなみに・・・ここで発達障害を全身の問題と考えずに、「脳機能障害」と解釈をしてしまうと、確かに途方にくれて絶望的になりますね。脳ミソをどうこうするのは一般人にはかなり厳しいですからね。

でも、末梢/身体に眼を向ければ、なんぼでも試行錯誤できますし、試行錯誤しているうちに、ある方法論が自分の身体に的中して、大きく成果が出たり、小さな成果が重なりあっていったりと、自分の身体から希望を出せるようになります。

ちなみに、解剖学者の養老先生は、「中枢は末梢の奴隷」という言葉を残していますが、発達援助では特にそれが如実に出る世界かな、と思います。

発達援助においては、神経系の刺激の入力処理手順を外さない限り、取り組みは成果を出せます。そして、その中心になるのは、末梢から刺激を入れていく身体/言葉以前のアプロ―チということですね。

以上の原理は、もはや花風社クラスタの皆様には釈迦に説法ですが、念のため記載しました。

さあ、ここまで読まれた方、取り組みの際には、私がいつも心の中で唱えている、魔法の呪文を唱えましょう。

「末梢から末梢から、身体から身体から・・・」
「末梢から末梢から、身体から身体から・・・」

この呪文は最強の呪文です。10回唱えると絶望がなくなります。(???)
そして、取り組みの手順を構成することができるようになります。

より末梢に近いところに働きかける取り組みが先、より脳ミソに働きかける取り組みが後ですよ。

それではまた。

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いぬこ

小さなことですが、
お風呂で
身体を洗ってあげてた時期も
末梢から中央にを意識して洗いました。
気持ち良さが届くように
緩むように。
ブルーさんのおっしゃること、わかります!

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ブルー @成人当事者:ロスジェネ世代

いぬこさん

はじめまして、ブルーと申します。
反応して頂き、ありがとうございます。

そう、末梢から上手く刺激が入ると、
「気持ち良くなる」「緩む」んですよね。

つまり、身体が
「その刺激を受け入れることに許可を出した」状態、
とも言えますね。

お子様にとっては楽しいお風呂タイムだったでしょうね(^^)

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いぬこ

ブルーさん
ご挨拶失礼しました、
はじめまして、いぬこです!

学生時代の臨床実習で
入院患者さんの清拭をしました。

末梢から中央に
が基本。血液循環目的ですが
神経にも届くでしょうね(^^)
ほっこりされる顔を拝見した時
まさに
「受け入れてくださってる」感覚で
こちらも緩みました。

を、娘にも取り入れたのでした。
もちろん、自身にも。
自分の気持ち良さや
届き方が分かると
日々がラクになってきますよね!

同じくロスジェネ世代のわたくし
ブルーさんにとっても親近感(笑

お互いがんばりましょう!

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シア

道に、迷いません。
迷子になりません。
ガイドがいなくても、自分で道を探れます。
やっぱり、治ったんだ。

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