「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

私の治った自慢

成人当事者の皆さん、グレーゾーンの皆さん

・前は悩んでいたこんなことが治ったよ
・こんなことに取り組んでみたら効果があったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

378 COMMENTS

シア

好き嫌いが、減りました!
桃や、梅や、マンゴー。。。
ヌルっとした触感の、甘いフルーツが食べられなかったんです。
でも、今、食べられます。
こんなおいしい、フルーツの味が分からないなんて、損ですよね!

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ブルー

記事が長いので、2つに分割しました。「徒手系治療家との日々」の記事です
前編はこちら

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-876

(それでは、ここから後編です)

しばらくして、検査の結果が出ました。徒手系の先生は、私が今まで見たことのない真剣な表情で、私にこう告げました。

「今回、治療においての優先順位第一位は、「仙腸関節」です。「仙腸関節の損傷」の治療許可が身体から出ました。そして、これは「出生時」の損傷です。

これは身体からの治療許可はそう簡単には出ないです。身体が相当に「シンプル」でないと出ない。」

私が世話になっている徒手系療法の先生は、「身体がシンプル」という表現を時折使う人です。より、生まれた時の状態に相対的に近い、というような意味合いでしょうかね。これの対義語が「身体が複雑になってしまっている」です。「いろいろとこじらせている」というような意味合いでしょうか。

ここで、「身体がシンプル」になったのは、件の代替療法のおかげかもな、とも思いました。

そして、先生は続けました。

「今まで、ブルーさんの身体からは、施術の度に、その時その時の状態に応じた治療許可をもらってきました。しかし、今回のような「出生時」というとても古い時代の治療許可を身体が出したのは(7~8年近い付き合いで)初です。」

「この『仙腸関節の出生時の損傷』についてですが、出産の際、赤ん坊が頭蓋骨の形を変形させながら産道を通ってくる時におきます。赤ちゃんが産道を通る際には、強烈な圧力が頭にかかります。そうすると、頭蓋骨から脊髄を覆い、腰の仙骨のあたりまで続いている、「硬膜」が、頭蓋骨側に引っ張られてしまうことがあります」

「硬膜が頭蓋骨側に引っ張られると、脊椎を通じてつながっている仙骨側の硬膜も引っ張られます。で、仙腸関節において、部分的に、硬膜に覆われていない場所が発生してしまうんです」

ここで一つ補足すると、この損傷は相当深い所の話らしく、実際私は生まれてからずっと、その状態で自覚症状なく暮らしてきました。当然、腰の痛みなどもありません。ただ、後日先生と話した所、「結局その状態が当たり前になって生きてきてしまったため、ベストコンディションを知らない、ということだと思います」というコメントを頂きました。

さらに、先生は続けます。

「そして、これは『全身』に影響を与えます」

今でも覚えているのですが、先生は「全身」という所を特に強調しました。

「そして、治療に時間がかかります。一回では治せないです。治療を、少なくとも8回から、多い時には25~30回近く、少しづつやっていかなくてはなりません。」

今までにない真剣な表情の先生に、私は「何か私の身体の奥底に、根本的な変化をこれから施していくのではないか」という緊張感と、そして同時に期待をも感じていました。

そして、何の気なしに、ぽろっと、素朴な質問をしました。

「あの~、硬膜は脊髄も覆っているとのことですが、神経系に影響はありますか?代替療法も、発達障害の治療として開始したので、神経系への影響が気になるのですが」

念の為書いておきますが、この話は、私が花風社の本に出会うずっと前のことです。ましてや「NEURO」なんかまだ出版されていません。本当に、ぽろっと、素朴に出た質問でした。

「ああ、神経系は『一番』影響があります」

先生は、「最も大事なことを言い忘れた」みたいな顔をしておられました。「一番」という単語を先生が強調されていたのを、今でも覚えています。

「脊椎部における硬膜は、結局脊髄・・・つまり神経を包んでいるので、神経系に対しては、この治療は最大の影響があります」

「巡り巡って、例えば自律神経の問題とか、パニック等との関連もあるかも知れません」

当時・・・今は治してしまいましたが、私はパニック発作のようなものも抱えていました。発作が起きると、深呼吸とメンタルコントロールで「やりこなして」いました。そういうものにも、治療効果は及んでいくかもな、と期待もしました。

そして・・・。一通りの説明が終わった後、徒手系の先生は、

「まあ・・・(何はともあれ)、良かったですね」

と仰りました。さっきまでの真剣極まりない表情から一転、なんだか脱力した感じのもの言いだったので、少しずっこけたのを覚えています。もちろん、先生の真意は良く伝わってきたのですが。確かに「良かった」わけなので。

振り返ると、このやりとりは、私の30代後半のことで、ある年の1月でした。この日以降、私はこの年のテーマを「治療」と決め、腰を据えて、徒手系の先生と、代替療法の先生の2人のもとに、コツコツと通い続けることになります。

こうして、仙腸関節、および、頭蓋骨~脊椎~仙骨に至る硬膜(つまり、脳~中枢神経系のいわば「入れ物」)を治療し、結果として心身を根本的に改善する作業を始めたのでした。

この年は私にとって運命の年で、今までいろいろなことをやってきたことが、一気につながり、自分の心身も、そして自分の人生も、爆発的に変わっていった年でした。30代後半にして、人生と全身が「どかん」と発達、いうなれば飛躍的な「進化」を遂げた年でした。

そのあたりの話は、後々少しづつお伝えします。

とりあえず次回以降も、この治療の話の続きを書いていきます。
それではまた。

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ブルー

浅見さん、ありがとうございます。

今思い出しても、この件は本当に劇的な体験でした。
しっかりと丁寧に、残していきたいと思っております。

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ブルー

こんにちは。

以前から予告させて頂いていた通り、今回から「徒手系治療家」に関する話を書いていきます。

「治療の具体的体験」「当事者から見た、徒手系治療家」「経験から学んだこと」といった感じの話を少しづつ書いていきますので、宜しくお願い致します。

私自身は、徒手系治療家にとても助けられてきました。このサイトへの書き込みで、何回か繰り返していますが、発達障害の当事者にとっては、初期段階で信頼できる徒手系の専門家を確保しておくことが、大きな人生の支えとなるのではないか、と個人的には感じています。

理由を一つ上げるなら、発達障害を脳機能に限定せず、全身の問題と捉えなおした場合、神経系や感情も含めた全身のつながりに関して、臨床における最強の治療能力と知見を持つのは、私の個人的経験に限れば、徒手療法家(及び、代替療法家)だったからです。また、この他にもいくつか理由があります。

しかし、このことはあまり共有されていないようにも思えます。確かに徒手療法や代替医療に対しては、拒否反応が出る方や、反対する立場の方もいらっしゃるでしょう。それはそれで、仕方がありません。

また、私自身は、最初から発達障害をどうにかしてやろう、と思って徒手系の人の治療院に行ったわけではありません。

私は就労してから診断されたのですが、診断を受ける前から、自分の身体のメンテナンスのため、時折、身体の状態を検査してもらい、コンディションを整えてもらったり、あるいは文字通り軽いギックリ腰になってしまった時、施術してもらってラクになったり、と、いわゆる、「フツーの人の、治療家の使い方」をしていました。

当時は、「自分のメンテナンス」の為に治療家を利用している、と思っていました。「コンディショニングにプロを依頼していた」わけですね。

そして、治療後に、自分の身体のbefore/afterを、治療家の先生が私にフィードバックしてくださるのですが、ここで教わる内容が、私にとっての楽しみでした。

例えば、全身のつながりがどうなっているか、また、自分の自意識とは異なる、「身体の意志」のようなもの、言い換えれば、「より良い状態へ持っていこうとする、身体の自動計算機能のようなもの(←?)」がもたらす作用。

そして、状況に応じて、心、身体、エネルギーの関係性、そういった、文字通り「全人的な視野」を土台において、施術の結果を教えてくれるわけです。

私は診断を受ける前、古くは中学生くらいの頃から、養老先生の解剖学の本や、高校時代は身体運動や武術の本を読んでみたりと、「身体性を土台において人間存在を理解する」ということに昔から興味があったものですから、そういう徒手系の先生の話を、とても楽しく聴いていました。

さらには、治療室にある、徒手系の先生の本棚にある、蔵書の背表紙を見るだけでも楽しかったものです。

また、話を聴いたうえで、自分の自意識ではなく、自分の身体がどうなりたがっているかを、長い徒手系の治療家との付き合いで、常に感じ取るようにする習慣がついていったのでした。

診断を受ける前は、健康のため、そして、単に自分の興味のためにやっていた、この「全身のつながりから人体を考えるようにする」「自分の身体の声を聴く」「コンディショニングを暮らしの土台としていく」習慣が、診断を受けた後、決定的な土台として効いてくるようになるとは、夢にも思っていませんでした。

転機が訪れたのは、診断を受けて何年かして後、色々な経緯で、発達障害の治療として、ある代替療法を試すことにした時でした。

(※代替療法は、ご存知の通り「炎上案件」ですが、私個人の心身には、強烈極まりなく著効させることができ、またそこから貴重な教訓を得たので、これはまた独立した記事として書きます)

その代替療法は、世間の評判は別として、私個人の身体には、猛烈な変化をもたらしました。そこでその効用を失わないようにしつつ、しかし、少しでも治療を平易なものにできないかと、徒手系の先生の元を訪ねたのです。

私は、代替療法で発生している身体の変化を徒手系の先生に見せながら、

「先生、今、私が、発達障害の治療として行っている代替療法は、世間では毀誉褒貶が激しく、作用機序の説明もはっきり言ってトンデモで、先生も、この療法はお嫌いかも知れません。」

「しかし、実際、プラセボだろうが、二重盲検法で効力が否定されようが、現にこうして私自身の身体に、強烈な変化が出ている以上、代替療法家の元で、取り組んでみようと思ったのです」

と相談しました。それに対する徒手系の先生の答えは意外でした。ただ、結果として私の読みが当たっていたこともわかりました。

「その代替療法と、私の流派の徒手療法は、とても相性がいいのです。互いの治療体系がケンカしない。その代替療法の先生とは、何人か一緒に仕事させて頂いておりますが、いい思い出しかないです。」

とのことでした。そう、これはたまたまなのですが、当時私が取り組み始めた代替療法と、徒手系の先生の治療体系の流派は、お互いがお互いを助け合う関係性だったのです。それは、ちょうど企業のM&Aの案件に、弁護士と公認会計士がチームを組んで挑むようなものでした。

さっそく、その日も徒手系の先生は治療方針を決めるため、私の自意識や、ましてや治療家の考えではなく、私の身体が何を治療されたがっているかを探るため、徒手による検査をしていきました。

この記事は長いので、ここで分割をします。
後編に続く。

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シア

足首が、つながってきました。
突っ張りが、減ってきました。
体の緊張感が、感じられて、抜けてきました。
首と頭がつながってくることを期待!
まず足が劇的によくなってます。
これは感涙ものです。
自力では自転車しか移動手段がない私でも、景色を眺めて歩けます。
治るが勝ち。

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浅見淳子

シアさんよかったね。
黄色本すごいね。
嬉しいよ。

さて私は飛行機に乗るよ。
動けるといろんなとこ行けるよ。
治るのは楽しいよ。

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シア

土台。
足裏のワーク。
足首のワーク。
まずこれが効きますね。
薬がなくなったくらい、効きますね。
風船ワークをやって、自分のレベルを知る。
そこから、土台から攻める段階であると知って、相乗効果でお薬までいらなくなった。
治った!

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シア

(児童精神)
原文ママ
先生、お元気ですか。
あれからもう30年がたちますね。(※原文が公表されたのは、30年前、現在では半世紀前)
あの頃一生に学んだ5年2組の12人のことがなつかしく思い出されます。
今私には、あの頃と同じ年齢の子供がおります。
森江の小学校は、すっかり新しくなったそうですが、あの頃の木の校舎がなつかしいです。
廊下を歩くとキーキーとなりましたっけね。
そうそう、5年2組はとても楽しいクラスでしたね。
12人しかいなくて何をするにも皆んな一緒でしたね。
よく理科の時間は、近くの川にバケツを持って魚を取りに行きましたね。
ズボンをまくって、皆んなでどろんこになってしまいましたっけ。
あぶくま川の堤防にダンボールを持って滑りに行った事も、校庭にある松の木に登った事も、皆んなでドッチボールや人基とりゲームをした事も、思い出されるのは先生と一緒に遊んだことばかりです。
子供にもよく話して聞かせますが、目を輝かせて聞き、その後は、お母さんの小さい頃の話し、もっと聞かせてとよく催促されます。
本当に楽しかったです。(70代当事者)

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shota

僕は幼い頃、よくひとりで飛び跳ねていました。
父が思春期の時に亡くなって以降、自分を客観的に見るようになったのか、飛び跳ねなくなったのですが、
それを境に不安や鬱といった症状が始まるようになりました。
神田橋先生の書籍を拝読してヒントを得てから、飛び跳ねる、という事はやはり身体に何かが必要だったから飛び跳ねていたんだ、と思うようになりました。
父没後だったから不安に苛まれるようになった、と思っていたものが、飛び跳ねなくなったから、という原因も大きかったのでは、と。
最近はバランスボールの上に座って閉眼し、上下にポヨンポヨンとおしりで跳ねてます。
これが凄くいいんです。
飛び跳ねる、の代用となる動作、ほかにないかな?と探し中。
トランポリン、毎日跳べるといいんでしょうけれど。
最近、感覚統合に関しての文献の中で見つけましたが、
やはり自閉症の飛び跳ねる行為は前庭覚と固有受容覚を脳に入力したいが為なのでは?との記述がありました。
脳って不思議です。
やっぱり自然と生きるために必要な行動を選んでるんですね。

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シア

人の意見に翻弄されるというか、人の考えと、自分の考えが、分離してなかったことに気づきました。
だから、人の思うことが、自分の考えに侵襲してくる感じが、ありました。
今まで、何を言われても、「おせっかい」「大きなお世話」と感じたことがありません。
こういった、言葉の意味がよく実感できなかったし、その感覚が分からなかったんです。
自分のためを思って、皆さん言ってくださってるんだな!そう、それだけしかなかったんです。
一歩踏みとどまって、そうかもしれない・それを踏まえて私はこう思う。
そういう考え方もあるのだな。
それくらいにとどめる、「参考にする」。
これは、内なる感覚がしっかりしてきて、できることなんだなぁ、と思います。
そのためには、いくら言葉でこういったことを説明してもむつかしいんですね。
ボディワークが突破口になりえます。
「大きなお世話」イコール「大きな親切心」だと、私は本気で考えていました。
他人の意見を取り入れるかどうかの判断が、自分ができてくるのではないかと期待しています。

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シア

「ストレス」や「疲労」を感じられるようになってきました。
これは、内なる感覚!
外の過敏性など、外側の感覚に過敏な人も多いらしいです。
私は、内なる感覚と、外なる感覚が、分離してきたことが大きい。
初歩的かもしれない。
でも、飛躍的だと思います。
量的な問題ではなく、「質的」に自覚できる。
無自覚だったのが、症状そのものを自覚できる。
それによって、いろんな対策を自分で講じる術ができてきたのかもしれません。

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シア

昨日、昔からの知り合いが、うちに来ました。
それで、話していると、「シアさんは、性格が面白い。」
「一風変わった性格に見える。」
「やっぱり、昔みたいな自閉症というより、ほとんど性格に見える!!!」
って、驚いていました。

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シア

スワイショウと、風船ボディワークで、緩める→ほぐす。
緩めることで、ストレスが解放できます。
ほぐすことで、疲れを実感できる体になる。
すごく快適になりました。
即効性があり、効き目が大きい人も、いるのですね。
そういう人も実は多いのでは?

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シア

最近、転ぶことが減りました。
前庭覚が良くなってきたのかな。
平衡感覚が、よくなってきました。
自転車での転倒がないのがその証拠です。

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シア

固有受容覚も、整ってきました。
身体をあちこちにぶつけなくなりました。
NLD(非言語性学習障害)は、大脳右半球の発達障害と特定されたそうです。
そのため、言語性が高く、ノンバーバルの遅い人は、右脳の働きが弱い。
そのため、特に、身体の左側を、モノにぶつける現象があります。(石川元)
これを、左半側身体(空間)失認と言われます。
高次脳機能障害でも、生じるので、後天的にも起こり得る症状ですね。
これも、だいたいよくなってきました。

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浅見淳子

シアさん、固有受容覚が整ったことってメンタルにいい影響及ぼしませんか? これまでほど人の意見にいちいち翻弄されなくなるのではないかという仮説。

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シア

やはり、人の意見に翻弄されているかな???ちょっと、流されているかも!
そう、自覚はできるようになってきました。
「自分」の感覚が、身についてきたのかもしれません。
自我ができてきて、それをやっと自覚出来てきた、そう思います。
私にとっては、かなり飛躍した前進だと思います。

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シア

こんばんは。
栗本さんの、足首と、頸の解説の本を読みました。(芋本)
これは、上位ニューロンの問題だそうです。
頸の、第四頸椎の辺りに、問題があると、信号にノイズが入るのか、足首にマヒが起きます。
これを、神経の痙性麻痺と呼びます。
わたしは、この原始反射みたいなののおかげで、歩くことに不自由していた。
それが治ったんです。

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ブルー

先週、浅見さんに、私が書いた記事を紹介頂きました。

—————————————————————————————————
「管理人より御連絡&思い付き」より

>ブルーさんの「私の治った自慢」を拝見しましたけど、ここから治していくのが「治しやすいところから治す」なわけです。

>ブルーさんの取り組み。
>なるほどこれは治りやすい。

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-4/#comment-606

>やはり
>・発達障害は、頭蓋骨から解放されている。
>・発達障害は、医療から解放されている(成人なら自分で治すものである)。

>という考え方が良いような感じですね。
—————————————————————————————————

浅見さん、その節はありがとうございました。

ここで、

 >発達障害は、医療から解放されている

に関して、成人当事者側の視座がありますので、今回はその掘り下げをしておこうと思いました。

発達障害というと、どうしても、「障害」という文字がドドーンと、そう、「ドドーン」と、絶望的なオーラをまとって目立っておりますね。

あるいは、「障害」とまでいかなくても、発達凸凹と表現されるときでさえ、「凸凹をなんとかしなくてはなあ」となりがちです。

しかし、いうまでもなく、ここで本当に考えなくてはならないのは、「発達」の方です。

人の発達はそもそも「全人的」なものです。発達を見る際には、総合的で、全体的な視野が必要です。身体に限定して着目するだけでも、同様に「全身的」な視野が必要です。

さらに、身体や個人という視野を超えて、その人の「人生全体」でとらえると、つまり「生涯発達」的観点から言えば、人間は社会における人間関係まで含め、「人生まるごと」発達していく存在です。ここでも、総合的で全体的な「全人的」視野が必要だと思います。

このように人の発達を「全人的」に捉えたうえで、この投稿では、「成人当事者にとっての専門家」について考えてみます。

人の発達は多様な分野に渡るので、発達障害に関しても、必然的に様々な分野の専門家が視野に入ります。この場合の「発達」は、社会的関係の発達まで含んでいるので、社会的な分野の専門家まで視野に入ります。

専門分野をざっとあげるだけでも

 ・医療
 ・心理
 ・公共/自治体
 ・福祉
 ・就労(福祉系・ビジネス系)
 ・教育(特別支援)
・法律(発達障害専門の法律家、というのは、私は見たことがないのですが、どうしてもこの領域が関わることがありますね。残念なケースとして)

ざっとあげるだけでもこれだけ挙がります。

ただ、発達障害の当事者にとって、最初の段階で確保しなくてはいけないのは、ここに挙げた分野の人達よりも、むしろ

 ・治療(⇒特に、徒手系治療家)

の分野の専門家だと、個人的には思っているのですが、この人達は、発達障害を専門にしていません。それどころか、発達障害そのものにはそれ程詳しくない。

(※しかし、だからこそ、自分にとって適切な人を発見できると、とても頼りになる、という性質を持っています)しかし、この件は別の記事で重点的に書きます。

ともあれ、「発達」という全人的な事象において、もしも専門家を頼るならば、これだけの種類の専門家が視野に入ります。つまり「医療」というのは、当事者にとっては、あくまで「発達に関する、多様な専門分野の一つ」に過ぎないわけです。

花風社は「発達援助の非医療化」を旗印に掲げておられますが、確かに人の発達は、医療など、単一の専門分野を超えて、全人的に起きている事象ですから、発達援助においては、専門家がいらない場合はいりません。自助手段でいけるものはいけます。

そして、自助手段で及ばない場合については、適宜、必要な分野の専門家に依頼することになります。その際には専門家の技術・識見のレベルや、専門家と自分の相性も踏まえ、自分で責任を持って専門家の吟味を行い、依頼するということになります。

この「専門家の吟味」に関して、私の個人的な観点を書くと、専門家に対しては、良くも悪くも「自分個人にとって、使えるか使えないか・役に立つか否か」という観点が最上位になります。

自分が現実社会で(時には手段を選ばず)生存するために「使えるか否か」「役に立つか否か」、という観点を最優先して、専門家を選びます。

つまり・・・いろいろな意味で「正しいか否か」ではありません。これはまた別の機会に。

ともあれ、専門家を利用する側から見れば、発達障害における医療は、「関連する多様な専門分野の一つ」に過ぎないし、結果として、「専門家の中で最も偉い」存在でもありません。

つまり、私から見ると、発達障害に関しては、医療は絶対視されず、「相対化」されています。

関連して、心ある医師の方は、発達障害に関して「医療には限界がある」ことを認めてらっしゃいますね。

それは、現代医学の限界とか、治せる・治せないとかいうこと以前に、本来、全人的で総合的な「発達」という事象においては、「専門家は自分の専門分野において活躍をする」、という原則的なことを、意識的であれ、無意識的であれ、感じ取られた上での発言だと捉えております。

「発達障害は、医療から解放されている」を、「成人当事者側からの、専門家の吟味」という観点から考えると、こういう感じです。

今回は以上です。

そして、次回こそ、当事者が最初に確保すべきかな、と私が個人的に感じている専門家、「徒手系治療家」と二人三脚で歩んだ日々について書き始める予定です・・・。

それではまた。

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