ホーム全て会議室いま会議室で話していること 雑談のお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE なんでも雑談コーナーです。 発達障害に関係あってもなくても可。 楽しくおしゃべりしましょう! 1,574 COMMENTS 智ママ 2021年4月17日 最近、テレビとインターネットでのニュースと、ツイッターや検索エンジンとを見比べてみて、思うことを書きます。 最初の、制度の理念はいいものであったのにもかかわらず、発達の療育のように、制度の中身を悪用する人が多いのならば、その制度はあっという間に腐っていくのではないかな?と最近、思います。 国民皆保険制度の医療も、特別支援教育も、療育も、同じステップを踏んで形骸化していっているように見えます。形ばかり維持して、本当の中身は置いてきぼりになっています。 結果、人の健康や人生の時間や、質が、無駄に使われて、損なわれていっています。 中には、良心的に頑張っている人もいるのですが、良心的な人ほど、制度の枠を超えて活動することはできないし、医療サービスや教育サービスが低下していくのを、「組織は変わりませんから。自分たちは、できることをするだけです」と、問題点を、ただ見ているだけに終わっている状態が続いているようです。 かなり良心的な療育を子どもたちに提供することを真剣に考えている人ほど、早く現場を離れていき、現状の良くない点に目を瞑れる人のみがそこに残る、という現象が、息子の言っていた療育園でも起きていました。 新型コロナ流行前は、息子を助けて育ててくれた、医療や教育に対しての尊敬の念はまだ持っていたのですが、新型変異コロナの第4波が来るのを目の当たりにして、公教育や医療に対してかなり失望しています。 欠かせないインフラとして社会にある業界なので、より、内部の腐敗と保身主義が目につきます。 こんな人達に、私は息子を託していたのか、と思うと情けなくなりますが、できることを増やして、進歩できていれば、最低限のお世話になるだけで済むので、極力、知的にも発達も伸びてしまっておこうと思う、今日このごろです。 現状をただ受け入れるよりは、現状を認識して、それでいて、何ができるかを考えて実行してより良い方に自分を持っていくほうが、まだ道は開けると思うからです。 「手術して助かったら御の字」と言われるレベルの心臓病もある多発奇形児だった息子をたまたま授かって、自分も息子も、どちらも責めたり、否定的にならないようにして、双方を無事に活かすにはどうしよう?と考えて、休み休みしながら選んできた道ですが、幸い前は空いているようなので、先に進めるものならば、行こうかな。と思って、無理ない程度にやっています。 返信する 座波 2021年4月17日 智ママさん いつも智くんの様子をお話しいただき、ありがとうございます。 知らないおじさんである僕も智くんの成長が楽しみです。 ところで、「プランド・ハップンスタンス理論」っていうキャリア理論はご存じですか? 昔は、将来なりたい自分を想定して、1年後の自分、3年後の自分などを想定してそこに向かって努力する、というのがキャリア形成のあり方だったのですが、今のような不安定で何が起きるかわからない世の中では絵に描いた餅になってしまいます。とはいえ、いまだにこれやってる会社や人も少なくないんですけどね。 一方、「プランド・ハップンスタンス理論」では、キャリア形成は計画通りに進めていくのではなく、予期していなかった事態が次々起きる前提で、それらの変化に対応し続けていく先に予想もしなかったキャリアが形成される、といった考え方になります。 これって仕事のキャリアに限らず、子育てや自分育てにも通じるよなぁと感じています。 18歳時点でなりたいと思っていた職業についている人は2%しかいなかった、なんて調査もあるそうですから、生まれた時点で将来を決められても。。ってことにもなります。 新型コロナによる騒動が1年以上経過し、この不測の事態を活かす人とそうでない人との差が大きくなっていますよね。智ママさんもおっしゃる通り、それまでは見えなかったものが見えるようになり失望につながっていることも少なくないと思います。その時に大事なことが「切る」ということだと個人的には考えています。特に「人を切る」ことです。そうすると不思議なことに新しいご縁につながりやすくなるみたいです。そうした新たな出会いが「プランド・ハップンスタンス理論」で言うところの「偶発性」となり、次の成長につながっていくみたいです。 なぜ、決められたことしかできないのかについては、もちろん制度ということもありますが、恐怖や不安、エネルギーの無駄遣いが主な要因となっていますよね。 やはり、自分で立てるように、自分をコントロールできるようにしていくことが偶発性を利用し続けながら成長していくことに繋がっていくようです。 将来は見えないものですから、見えないままにしておけることが大事なことみたいです。 返信する 智ママ 2021年4月17日 座波さん お返事ありがとうございます。「プランド・ハップンスタンス理論」は初耳でして、「え?行き当たりばったりでのキャリア形成(出たとこ勝負のキャリア形成と書いたほうがよいでしょうか)でも、いいの??」と驚きました。「偶発性」も初耳でした。 「子どもが生まれたら、小学校は公立に通わせるとして、いじめに遭わないように、護身術になる武道を習わせておきたいな」と空想していた妊娠期でした。 しかし、授かったのは、武道はドクターストップレベルで厳禁の、ワーファリン服用の必要がある心臓っ子で、しかもかなり重い知的障害もあるタイプの多発奇形児だったものですから、当初の予想と期待を、大幅に裏切る育児スタートとなりました。 それからは、ほとんど行き当たりばったりで、その場その場で選択し、息子にベストとなるかな?の基準で判断し、半分流されて、半分は自発的に育ててきました。 現時点では、息子の将来はどうなるかわかりません。ただ、より良いように、努力を重ねるだけです。また、自然に切れていく人間関係は、多少はしかたのないことだと思っていましたが、自分から見切りをつけていってもかまわないようなのにも、ほっとしました。 アドバイス、大変ありがとうございました。 また明日からも、少しずつ歩みたいと思います。 返信する 智ママ 2021年4月15日 7歳息子の通う小学校に、1年生が数人入ってきて、4人になりました。 既に、母親から言葉遣いをときどき指摘されるようになった息子は、さっそくやんちゃ系と多動系の元気な1年生に影響を受け始めた様子です。 人数が増えて、相互感染の危険性が増したから。ということで、息子の登校できる体温が、37.4度から37.2または37.3度に引き下げられました。 出席率よりも、小学校としては、感染したときのリスクを取ることのほうが問題だったようです。 母親としては、元気で風邪症状がなければ、37.4度までは小学校に出席させたいのですが、『他のお子さんの手前もありますし。』ということで、出席できないことになりました。 そのぶん、自宅で学習をさせていくほうがいいかな、まだ一筆書きしかしていないし。 (自宅だとひらがなをドリルで表裏2ページ書かせるので、小学校の3〜4時間分を30分ほどで済ませてしまっていることになります) と割り切りつつある母親でした。 返信する 智ママ 2021年4月15日 小学校の→小学校の育成級、の間違いです。 相変わらず、図工と生活科ばかりの時間割が続いています。 おとなしくて、原則、じっとしているので、一番手がかからないけれど、何かあったら一番大変(出血が止まらなければ、大学病院に搬入になる)な息子は、小学校からすると責任リスクの大きい『難しい子』のようです。 返信する ヨヨ子 2021年4月14日 9年ぶりに一般社会復帰したヨヨ子です。 何故そんなにブランクがあるのかは、2次障害ではありません。その理由は薬のお部屋にたくさん書き散らしてあるので興味のある方はご覧ください。 私がそこまで社会から切り離されても一般枠に拘ったのは、軽度障害者が福祉の世界で生きていてもあんまり得しないと思ったからです。 その一つがこれ👇です。 障害者は交通機関を使うとき訳す使える!なんて言いますけど、現実はこれです。 3級の人は対象外。 返信する ヨヨ子 2021年4月14日 http://www.nishitetsu.jp/train/kippu/shougai/ 3級の人は対象外・・・ではなく、 2級3級の人は付き添い人は対象外、です。 返信する ヨヨ子 2021年4月14日 https://peing.net/ja/q/11214c4b-96de-4b6f-93d1-b6400d0b8a4c なぜ私が上のような間違いを犯したかというと、それなりに理由があります。 手帳3級程度の障害者って、恩恵少ないんです。 それこそ障害基礎年金貰える可能性超低いくらいに。厚生年金なら貰える場合も少なくないですけど。 私自身も障害者手帳3級取る時、障害福祉課で「3級はあんまり恩恵ない」とか言われました。 返信する ヨヨ子 2021年4月14日 https://mobile.twitter.com/matsuoka_sr/status/1382196340164153348 就労移行支援通ったくらいで障害基礎年金停止になるかもしれないという現実。 これはあると思います。 年金に関する本を読むに、障害基礎年金って、就労できない人が貰えるものらしいので。障害厚生年金は就労に著しい制限のある人が貰うものとされてるようですが。 就労移行支援通えないレベルの人じゃないと、全人生を福祉の世界で生きるメリット、無いと思います。 返信する 金田 隆佳 2021年4月14日 浅見さんの「カン」のブログを読んだ後、「そういえば、池谷裕二先生の本にカンの話が書かれていたなぁ」と思いだし、読み返したら「ひらめきと直感は脳内メカニズムが違う」と書かれていました。 それぞれ 【ひらめき】 ・思いついた後に理由が言える ・理由が本人に分かる ・理屈や理論に基づく判断 ・大脳皮質メイン 【直感】 ・自分でも理由が分からない ・理由は分からないけど、なぜか答えだけ分かる ・漠然として曖昧な感覚 ・基底核 と定義されています。 大脳基底核は記憶や認知機能にも関わると言われていますが、一番は「運動」つまり身体に関わる役割です。 この身体と直感にかんしても池谷先生の本に書かれていますが、基底核は「方法(やり方)」の記憶と言われています。 自転車の乗り方・箸の持ち方など身体を動かし(訓練し)覚えたことは、その後「無意識」で行えるようになりますが、この身体の「無意識」「要訓練」と「直感」は同じことみたいです。 覚えた箸の持ち方を無意識でも失敗しないのと同じで「直感」も当たる。 基底核は姿勢制御に関わる錐体路を制御しています。 ということは、「緊張(引き締まる)⇔弛緩(ゆるまる)」がスムーズになればなるほど、直感は磨かれていくのではないでしょうか。 返信する 浅見淳子 2021年4月14日 金田さん なるほどです。 自慢じゃないけどどっちも得意ですね(笑)。 よく「言い返したいのにその場で思いつけなくてあとで悔しい思いをする」みたいな人がいますが、あれ、考えられない。 言い返したいことは瞬間的に言語化できます。できすぎて問題起こしているかもしれません(笑)。 解決できない問題はすごく考えます。 そして寝ます。 そして次の日に取る行動。それが答え、っていう感じです。そのときには言語化より行動化が先な感じですかね。 返信する yasu 2021年4月3日 東京は、桜の花はピークを越えましたね。 今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。 桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。 その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。 今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。 先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。 そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。 返信する シア 2021年3月31日 病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。 「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。 脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。 無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。 情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。 返信する シア 2021年3月31日 私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。 1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。 管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。 9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。 いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。 返信する 智ママ 2021年3月31日 ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。 早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。 成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、 普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。 昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。 息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。 うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。 社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。 今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。 普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。 混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。 少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。 返信する 智ママ 2021年3月31日 NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」 と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。 息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。 神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。 そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。 「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが 暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。 まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。 先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。 子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。 我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。 返信する まろん 2021年4月6日 今まさに、小学校入学にあたり智ママさんが言われてることに直面しています。 これを覆していくには、何よりも本人が育つことだとも感じています。 返信する 智ママ 2021年4月6日 まろんさん コメントありがとうございます。 そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。 息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。 いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。 返信する シア 2021年3月19日 今日はハイキングに行ってきました。 お天気も良くとても気持ちがよかったですよ。 返信する シア 2021年3月19日 追加です。 下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。 もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。 あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。 でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。 それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。 もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。 スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。 返信する 浅見淳子 2021年3月20日 シアさん 3万歩はすごいよ! それは治った自慢だよ! 返信する シア 2021年3月17日 昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。 テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。 でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。 北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。 検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。 返信する 浅見淳子 2021年3月18日 私は傷という傷があっという間に治ります。 トカゲみたいです。 外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。 傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。 返信する 過去のコメントを表示 いぬこ へ返信する コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目ですコメント 名前 * メール * サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
智ママ 2021年4月17日 最近、テレビとインターネットでのニュースと、ツイッターや検索エンジンとを見比べてみて、思うことを書きます。 最初の、制度の理念はいいものであったのにもかかわらず、発達の療育のように、制度の中身を悪用する人が多いのならば、その制度はあっという間に腐っていくのではないかな?と最近、思います。 国民皆保険制度の医療も、特別支援教育も、療育も、同じステップを踏んで形骸化していっているように見えます。形ばかり維持して、本当の中身は置いてきぼりになっています。 結果、人の健康や人生の時間や、質が、無駄に使われて、損なわれていっています。 中には、良心的に頑張っている人もいるのですが、良心的な人ほど、制度の枠を超えて活動することはできないし、医療サービスや教育サービスが低下していくのを、「組織は変わりませんから。自分たちは、できることをするだけです」と、問題点を、ただ見ているだけに終わっている状態が続いているようです。 かなり良心的な療育を子どもたちに提供することを真剣に考えている人ほど、早く現場を離れていき、現状の良くない点に目を瞑れる人のみがそこに残る、という現象が、息子の言っていた療育園でも起きていました。 新型コロナ流行前は、息子を助けて育ててくれた、医療や教育に対しての尊敬の念はまだ持っていたのですが、新型変異コロナの第4波が来るのを目の当たりにして、公教育や医療に対してかなり失望しています。 欠かせないインフラとして社会にある業界なので、より、内部の腐敗と保身主義が目につきます。 こんな人達に、私は息子を託していたのか、と思うと情けなくなりますが、できることを増やして、進歩できていれば、最低限のお世話になるだけで済むので、極力、知的にも発達も伸びてしまっておこうと思う、今日このごろです。 現状をただ受け入れるよりは、現状を認識して、それでいて、何ができるかを考えて実行してより良い方に自分を持っていくほうが、まだ道は開けると思うからです。 「手術して助かったら御の字」と言われるレベルの心臓病もある多発奇形児だった息子をたまたま授かって、自分も息子も、どちらも責めたり、否定的にならないようにして、双方を無事に活かすにはどうしよう?と考えて、休み休みしながら選んできた道ですが、幸い前は空いているようなので、先に進めるものならば、行こうかな。と思って、無理ない程度にやっています。 返信する
座波 2021年4月17日 智ママさん いつも智くんの様子をお話しいただき、ありがとうございます。 知らないおじさんである僕も智くんの成長が楽しみです。 ところで、「プランド・ハップンスタンス理論」っていうキャリア理論はご存じですか? 昔は、将来なりたい自分を想定して、1年後の自分、3年後の自分などを想定してそこに向かって努力する、というのがキャリア形成のあり方だったのですが、今のような不安定で何が起きるかわからない世の中では絵に描いた餅になってしまいます。とはいえ、いまだにこれやってる会社や人も少なくないんですけどね。 一方、「プランド・ハップンスタンス理論」では、キャリア形成は計画通りに進めていくのではなく、予期していなかった事態が次々起きる前提で、それらの変化に対応し続けていく先に予想もしなかったキャリアが形成される、といった考え方になります。 これって仕事のキャリアに限らず、子育てや自分育てにも通じるよなぁと感じています。 18歳時点でなりたいと思っていた職業についている人は2%しかいなかった、なんて調査もあるそうですから、生まれた時点で将来を決められても。。ってことにもなります。 新型コロナによる騒動が1年以上経過し、この不測の事態を活かす人とそうでない人との差が大きくなっていますよね。智ママさんもおっしゃる通り、それまでは見えなかったものが見えるようになり失望につながっていることも少なくないと思います。その時に大事なことが「切る」ということだと個人的には考えています。特に「人を切る」ことです。そうすると不思議なことに新しいご縁につながりやすくなるみたいです。そうした新たな出会いが「プランド・ハップンスタンス理論」で言うところの「偶発性」となり、次の成長につながっていくみたいです。 なぜ、決められたことしかできないのかについては、もちろん制度ということもありますが、恐怖や不安、エネルギーの無駄遣いが主な要因となっていますよね。 やはり、自分で立てるように、自分をコントロールできるようにしていくことが偶発性を利用し続けながら成長していくことに繋がっていくようです。 将来は見えないものですから、見えないままにしておけることが大事なことみたいです。 返信する
智ママ 2021年4月17日 座波さん お返事ありがとうございます。「プランド・ハップンスタンス理論」は初耳でして、「え?行き当たりばったりでのキャリア形成(出たとこ勝負のキャリア形成と書いたほうがよいでしょうか)でも、いいの??」と驚きました。「偶発性」も初耳でした。 「子どもが生まれたら、小学校は公立に通わせるとして、いじめに遭わないように、護身術になる武道を習わせておきたいな」と空想していた妊娠期でした。 しかし、授かったのは、武道はドクターストップレベルで厳禁の、ワーファリン服用の必要がある心臓っ子で、しかもかなり重い知的障害もあるタイプの多発奇形児だったものですから、当初の予想と期待を、大幅に裏切る育児スタートとなりました。 それからは、ほとんど行き当たりばったりで、その場その場で選択し、息子にベストとなるかな?の基準で判断し、半分流されて、半分は自発的に育ててきました。 現時点では、息子の将来はどうなるかわかりません。ただ、より良いように、努力を重ねるだけです。また、自然に切れていく人間関係は、多少はしかたのないことだと思っていましたが、自分から見切りをつけていってもかまわないようなのにも、ほっとしました。 アドバイス、大変ありがとうございました。 また明日からも、少しずつ歩みたいと思います。 返信する
智ママ 2021年4月15日 7歳息子の通う小学校に、1年生が数人入ってきて、4人になりました。 既に、母親から言葉遣いをときどき指摘されるようになった息子は、さっそくやんちゃ系と多動系の元気な1年生に影響を受け始めた様子です。 人数が増えて、相互感染の危険性が増したから。ということで、息子の登校できる体温が、37.4度から37.2または37.3度に引き下げられました。 出席率よりも、小学校としては、感染したときのリスクを取ることのほうが問題だったようです。 母親としては、元気で風邪症状がなければ、37.4度までは小学校に出席させたいのですが、『他のお子さんの手前もありますし。』ということで、出席できないことになりました。 そのぶん、自宅で学習をさせていくほうがいいかな、まだ一筆書きしかしていないし。 (自宅だとひらがなをドリルで表裏2ページ書かせるので、小学校の3〜4時間分を30分ほどで済ませてしまっていることになります) と割り切りつつある母親でした。 返信する
智ママ 2021年4月15日 小学校の→小学校の育成級、の間違いです。 相変わらず、図工と生活科ばかりの時間割が続いています。 おとなしくて、原則、じっとしているので、一番手がかからないけれど、何かあったら一番大変(出血が止まらなければ、大学病院に搬入になる)な息子は、小学校からすると責任リスクの大きい『難しい子』のようです。 返信する
ヨヨ子 2021年4月14日 9年ぶりに一般社会復帰したヨヨ子です。 何故そんなにブランクがあるのかは、2次障害ではありません。その理由は薬のお部屋にたくさん書き散らしてあるので興味のある方はご覧ください。 私がそこまで社会から切り離されても一般枠に拘ったのは、軽度障害者が福祉の世界で生きていてもあんまり得しないと思ったからです。 その一つがこれ👇です。 障害者は交通機関を使うとき訳す使える!なんて言いますけど、現実はこれです。 3級の人は対象外。 返信する
ヨヨ子 2021年4月14日 http://www.nishitetsu.jp/train/kippu/shougai/ 3級の人は対象外・・・ではなく、 2級3級の人は付き添い人は対象外、です。 返信する
ヨヨ子 2021年4月14日 https://peing.net/ja/q/11214c4b-96de-4b6f-93d1-b6400d0b8a4c なぜ私が上のような間違いを犯したかというと、それなりに理由があります。 手帳3級程度の障害者って、恩恵少ないんです。 それこそ障害基礎年金貰える可能性超低いくらいに。厚生年金なら貰える場合も少なくないですけど。 私自身も障害者手帳3級取る時、障害福祉課で「3級はあんまり恩恵ない」とか言われました。 返信する
ヨヨ子 2021年4月14日 https://mobile.twitter.com/matsuoka_sr/status/1382196340164153348 就労移行支援通ったくらいで障害基礎年金停止になるかもしれないという現実。 これはあると思います。 年金に関する本を読むに、障害基礎年金って、就労できない人が貰えるものらしいので。障害厚生年金は就労に著しい制限のある人が貰うものとされてるようですが。 就労移行支援通えないレベルの人じゃないと、全人生を福祉の世界で生きるメリット、無いと思います。 返信する
金田 隆佳 2021年4月14日 浅見さんの「カン」のブログを読んだ後、「そういえば、池谷裕二先生の本にカンの話が書かれていたなぁ」と思いだし、読み返したら「ひらめきと直感は脳内メカニズムが違う」と書かれていました。 それぞれ 【ひらめき】 ・思いついた後に理由が言える ・理由が本人に分かる ・理屈や理論に基づく判断 ・大脳皮質メイン 【直感】 ・自分でも理由が分からない ・理由は分からないけど、なぜか答えだけ分かる ・漠然として曖昧な感覚 ・基底核 と定義されています。 大脳基底核は記憶や認知機能にも関わると言われていますが、一番は「運動」つまり身体に関わる役割です。 この身体と直感にかんしても池谷先生の本に書かれていますが、基底核は「方法(やり方)」の記憶と言われています。 自転車の乗り方・箸の持ち方など身体を動かし(訓練し)覚えたことは、その後「無意識」で行えるようになりますが、この身体の「無意識」「要訓練」と「直感」は同じことみたいです。 覚えた箸の持ち方を無意識でも失敗しないのと同じで「直感」も当たる。 基底核は姿勢制御に関わる錐体路を制御しています。 ということは、「緊張(引き締まる)⇔弛緩(ゆるまる)」がスムーズになればなるほど、直感は磨かれていくのではないでしょうか。 返信する
浅見淳子 2021年4月14日 金田さん なるほどです。 自慢じゃないけどどっちも得意ですね(笑)。 よく「言い返したいのにその場で思いつけなくてあとで悔しい思いをする」みたいな人がいますが、あれ、考えられない。 言い返したいことは瞬間的に言語化できます。できすぎて問題起こしているかもしれません(笑)。 解決できない問題はすごく考えます。 そして寝ます。 そして次の日に取る行動。それが答え、っていう感じです。そのときには言語化より行動化が先な感じですかね。 返信する
yasu 2021年4月3日 東京は、桜の花はピークを越えましたね。 今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。 桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。 その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。 今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。 先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。 そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。 返信する
シア 2021年3月31日 病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。 「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。 脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。 無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。 情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。 返信する
シア 2021年3月31日 私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。 1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。 管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。 9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。 いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。 返信する
智ママ 2021年3月31日 ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。 早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。 成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、 普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。 昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。 息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。 うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。 社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。 今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。 普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。 混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。 少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。 返信する
智ママ 2021年3月31日 NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」 と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。 息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。 神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。 そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。 「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが 暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。 まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。 先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。 子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。 我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。 返信する
智ママ 2021年4月6日 まろんさん コメントありがとうございます。 そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。 息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。 いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。 返信する
シア 2021年3月19日 追加です。 下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。 もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。 あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。 でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。 それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。 もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。 スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。 返信する
シア 2021年3月17日 昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。 テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。 でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。 北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。 検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。 返信する
浅見淳子 2021年3月18日 私は傷という傷があっという間に治ります。 トカゲみたいです。 外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。 傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。 返信する
最近、テレビとインターネットでのニュースと、ツイッターや検索エンジンとを見比べてみて、思うことを書きます。
最初の、制度の理念はいいものであったのにもかかわらず、発達の療育のように、制度の中身を悪用する人が多いのならば、その制度はあっという間に腐っていくのではないかな?と最近、思います。
国民皆保険制度の医療も、特別支援教育も、療育も、同じステップを踏んで形骸化していっているように見えます。形ばかり維持して、本当の中身は置いてきぼりになっています。
結果、人の健康や人生の時間や、質が、無駄に使われて、損なわれていっています。
中には、良心的に頑張っている人もいるのですが、良心的な人ほど、制度の枠を超えて活動することはできないし、医療サービスや教育サービスが低下していくのを、「組織は変わりませんから。自分たちは、できることをするだけです」と、問題点を、ただ見ているだけに終わっている状態が続いているようです。
かなり良心的な療育を子どもたちに提供することを真剣に考えている人ほど、早く現場を離れていき、現状の良くない点に目を瞑れる人のみがそこに残る、という現象が、息子の言っていた療育園でも起きていました。
新型コロナ流行前は、息子を助けて育ててくれた、医療や教育に対しての尊敬の念はまだ持っていたのですが、新型変異コロナの第4波が来るのを目の当たりにして、公教育や医療に対してかなり失望しています。
欠かせないインフラとして社会にある業界なので、より、内部の腐敗と保身主義が目につきます。
こんな人達に、私は息子を託していたのか、と思うと情けなくなりますが、できることを増やして、進歩できていれば、最低限のお世話になるだけで済むので、極力、知的にも発達も伸びてしまっておこうと思う、今日このごろです。
現状をただ受け入れるよりは、現状を認識して、それでいて、何ができるかを考えて実行してより良い方に自分を持っていくほうが、まだ道は開けると思うからです。
「手術して助かったら御の字」と言われるレベルの心臓病もある多発奇形児だった息子をたまたま授かって、自分も息子も、どちらも責めたり、否定的にならないようにして、双方を無事に活かすにはどうしよう?と考えて、休み休みしながら選んできた道ですが、幸い前は空いているようなので、先に進めるものならば、行こうかな。と思って、無理ない程度にやっています。
智ママさん
いつも智くんの様子をお話しいただき、ありがとうございます。
知らないおじさんである僕も智くんの成長が楽しみです。
ところで、「プランド・ハップンスタンス理論」っていうキャリア理論はご存じですか?
昔は、将来なりたい自分を想定して、1年後の自分、3年後の自分などを想定してそこに向かって努力する、というのがキャリア形成のあり方だったのですが、今のような不安定で何が起きるかわからない世の中では絵に描いた餅になってしまいます。とはいえ、いまだにこれやってる会社や人も少なくないんですけどね。
一方、「プランド・ハップンスタンス理論」では、キャリア形成は計画通りに進めていくのではなく、予期していなかった事態が次々起きる前提で、それらの変化に対応し続けていく先に予想もしなかったキャリアが形成される、といった考え方になります。
これって仕事のキャリアに限らず、子育てや自分育てにも通じるよなぁと感じています。
18歳時点でなりたいと思っていた職業についている人は2%しかいなかった、なんて調査もあるそうですから、生まれた時点で将来を決められても。。ってことにもなります。
新型コロナによる騒動が1年以上経過し、この不測の事態を活かす人とそうでない人との差が大きくなっていますよね。智ママさんもおっしゃる通り、それまでは見えなかったものが見えるようになり失望につながっていることも少なくないと思います。その時に大事なことが「切る」ということだと個人的には考えています。特に「人を切る」ことです。そうすると不思議なことに新しいご縁につながりやすくなるみたいです。そうした新たな出会いが「プランド・ハップンスタンス理論」で言うところの「偶発性」となり、次の成長につながっていくみたいです。
なぜ、決められたことしかできないのかについては、もちろん制度ということもありますが、恐怖や不安、エネルギーの無駄遣いが主な要因となっていますよね。
やはり、自分で立てるように、自分をコントロールできるようにしていくことが偶発性を利用し続けながら成長していくことに繋がっていくようです。
将来は見えないものですから、見えないままにしておけることが大事なことみたいです。
座波さん
お返事ありがとうございます。「プランド・ハップンスタンス理論」は初耳でして、「え?行き当たりばったりでのキャリア形成(出たとこ勝負のキャリア形成と書いたほうがよいでしょうか)でも、いいの??」と驚きました。「偶発性」も初耳でした。
「子どもが生まれたら、小学校は公立に通わせるとして、いじめに遭わないように、護身術になる武道を習わせておきたいな」と空想していた妊娠期でした。
しかし、授かったのは、武道はドクターストップレベルで厳禁の、ワーファリン服用の必要がある心臓っ子で、しかもかなり重い知的障害もあるタイプの多発奇形児だったものですから、当初の予想と期待を、大幅に裏切る育児スタートとなりました。
それからは、ほとんど行き当たりばったりで、その場その場で選択し、息子にベストとなるかな?の基準で判断し、半分流されて、半分は自発的に育ててきました。
現時点では、息子の将来はどうなるかわかりません。ただ、より良いように、努力を重ねるだけです。また、自然に切れていく人間関係は、多少はしかたのないことだと思っていましたが、自分から見切りをつけていってもかまわないようなのにも、ほっとしました。
アドバイス、大変ありがとうございました。
また明日からも、少しずつ歩みたいと思います。
7歳息子の通う小学校に、1年生が数人入ってきて、4人になりました。
既に、母親から言葉遣いをときどき指摘されるようになった息子は、さっそくやんちゃ系と多動系の元気な1年生に影響を受け始めた様子です。
人数が増えて、相互感染の危険性が増したから。ということで、息子の登校できる体温が、37.4度から37.2または37.3度に引き下げられました。
出席率よりも、小学校としては、感染したときのリスクを取ることのほうが問題だったようです。
母親としては、元気で風邪症状がなければ、37.4度までは小学校に出席させたいのですが、『他のお子さんの手前もありますし。』ということで、出席できないことになりました。
そのぶん、自宅で学習をさせていくほうがいいかな、まだ一筆書きしかしていないし。
(自宅だとひらがなをドリルで表裏2ページ書かせるので、小学校の3〜4時間分を30分ほどで済ませてしまっていることになります)
と割り切りつつある母親でした。
小学校の→小学校の育成級、の間違いです。
相変わらず、図工と生活科ばかりの時間割が続いています。
おとなしくて、原則、じっとしているので、一番手がかからないけれど、何かあったら一番大変(出血が止まらなければ、大学病院に搬入になる)な息子は、小学校からすると責任リスクの大きい『難しい子』のようです。
9年ぶりに一般社会復帰したヨヨ子です。
何故そんなにブランクがあるのかは、2次障害ではありません。その理由は薬のお部屋にたくさん書き散らしてあるので興味のある方はご覧ください。
私がそこまで社会から切り離されても一般枠に拘ったのは、軽度障害者が福祉の世界で生きていてもあんまり得しないと思ったからです。
その一つがこれ👇です。
障害者は交通機関を使うとき訳す使える!なんて言いますけど、現実はこれです。
3級の人は対象外。
http://www.nishitetsu.jp/train/kippu/shougai/
3級の人は対象外・・・ではなく、
2級3級の人は付き添い人は対象外、です。
https://peing.net/ja/q/11214c4b-96de-4b6f-93d1-b6400d0b8a4c
なぜ私が上のような間違いを犯したかというと、それなりに理由があります。
手帳3級程度の障害者って、恩恵少ないんです。
それこそ障害基礎年金貰える可能性超低いくらいに。厚生年金なら貰える場合も少なくないですけど。
私自身も障害者手帳3級取る時、障害福祉課で「3級はあんまり恩恵ない」とか言われました。
https://mobile.twitter.com/matsuoka_sr/status/1382196340164153348
就労移行支援通ったくらいで障害基礎年金停止になるかもしれないという現実。
これはあると思います。
年金に関する本を読むに、障害基礎年金って、就労できない人が貰えるものらしいので。障害厚生年金は就労に著しい制限のある人が貰うものとされてるようですが。
就労移行支援通えないレベルの人じゃないと、全人生を福祉の世界で生きるメリット、無いと思います。
浅見さんの「カン」のブログを読んだ後、「そういえば、池谷裕二先生の本にカンの話が書かれていたなぁ」と思いだし、読み返したら「ひらめきと直感は脳内メカニズムが違う」と書かれていました。
それぞれ
【ひらめき】
・思いついた後に理由が言える
・理由が本人に分かる
・理屈や理論に基づく判断
・大脳皮質メイン
【直感】
・自分でも理由が分からない
・理由は分からないけど、なぜか答えだけ分かる
・漠然として曖昧な感覚
・基底核
と定義されています。
大脳基底核は記憶や認知機能にも関わると言われていますが、一番は「運動」つまり身体に関わる役割です。
この身体と直感にかんしても池谷先生の本に書かれていますが、基底核は「方法(やり方)」の記憶と言われています。
自転車の乗り方・箸の持ち方など身体を動かし(訓練し)覚えたことは、その後「無意識」で行えるようになりますが、この身体の「無意識」「要訓練」と「直感」は同じことみたいです。
覚えた箸の持ち方を無意識でも失敗しないのと同じで「直感」も当たる。
基底核は姿勢制御に関わる錐体路を制御しています。
ということは、「緊張(引き締まる)⇔弛緩(ゆるまる)」がスムーズになればなるほど、直感は磨かれていくのではないでしょうか。
金田さん
なるほどです。
自慢じゃないけどどっちも得意ですね(笑)。
よく「言い返したいのにその場で思いつけなくてあとで悔しい思いをする」みたいな人がいますが、あれ、考えられない。
言い返したいことは瞬間的に言語化できます。できすぎて問題起こしているかもしれません(笑)。
解決できない問題はすごく考えます。
そして寝ます。
そして次の日に取る行動。それが答え、っていう感じです。そのときには言語化より行動化が先な感じですかね。
東京は、桜の花はピークを越えましたね。
今年は今までの人生の中で一番桜の花を堪能しました。
桜の咲き始めの時期は、日比谷公園に行ったし。
その後、県をまたいで敷物敷いて食べながら花見。
今はテレワークなので、朝30分くらい散歩していますが、その途中に桜並木があってそこをほぼ毎日堪能。三分咲きくらいから葉桜になるまで見届けました。
先週末は、毎年行っているカフェで桜花見ランチもしました。
そして先日は、すぐ近くにある公園で桜の花吹雪が舞う中でランチ花見(勤務中の昼休み)。小さい公園ですが桜の木が4本もあって、あたり一面ピンク色になるんです。
病気やけがを負うのは一瞬の出来事でありその傷を治すには時間がかかります。
「注意一秒けが一生」と言いますが母体で何かあったら周産期のトラブルで赤ちゃんは一生生まれてからそれを負います。
脳にそんなにダメージがなければ可塑性があるから生まれてから数年もたたない間に追いつけるはずです。
無用な苦労をしないためにも母親になる人への過度なストレスとか妊娠しているママさんのダイエットとかリスクを避けるための具体的な情報が必要ではないですかね。
情報が多すぎても過剰な支援や対策のオプションだらけになりますしむつかしい…日本で生きていれば幸運な方が多いはずなので「不幸がらない」ことも大事です。
私が生まれたときには「新生児の鳴き声を図る」というテストがあったのだそうです。
1~9のスケールがあり私は泣き声の大きさが9だったので元気でこの赤ちゃんは大丈夫ですよ!と言われ母は勇気づけられたそうなんですよ。
管や疾病の注意書きのタグをつけた赤ちゃんだったら心配になりますので「鳴き声が9ですよ!」というだけでも元気づけられたはずです。
9とか8とか7とかあんまり関係ないと思われますが身体が小さかったり病気を持った赤ちゃんでも「9」だったためか?肺活量も男子では平均以上でトップレベルでしたし握力は最低でも背筋は女子より上でした。
いいところを見てもらってなかったら今はもっと悪くなってたと思いますね。
ぼんやりと、育児しながら眺めてきたことを書きます。
早期発見で神経発達症だとわかると、早期療育で、伸ばしているようには見えるけれども、本当は伸ばさない療育が始まり、支援級や育成級に入れて、さらに伸ばさない教育を施す。
成長するに伴って、移動の支援を利用することを勧めたり、最終的に20歳そこそこから親元を離して施設に入所させ、施設とB型作業所の往復だけで一生を終わらせる、
普通の子と混ざらないように、見つけ次第に分断して隔離し、親には『そういう子を授かったんだからしかたない』と早期に思わせて諦めさせ。支援に頼るように誘導をかけていく。
昔、『ライは治らない』『結核は死病』とされて、徹底的に隔離され、患者は普通の生活を一切送れなかったそうですが、今もその流れが脈々と受け継がれているような気がします。
息子は、最初は多発奇形が発見されたこともあって、ほとんど医療からは見放されていたというか、おそらく希少れいなので、『学術的データをとるためだけに生かしておこう。』というレベルの医療を受けていたのですが、身体的アプローチと栄養療法の併用によって成長が促されてくると『前例がない発達した事例』となり、知的重度から知的中度に伸びたことで、扱いががらっと変わりました。
うまく書けませんが、『福祉利用によって社会のお荷物になる人』扱いされていたのが、『荷物運びや作業ならできる社会的構成員』扱いに変わってきた、という感じです。
社会を構成する人を育てるにあたって、できるだけ、社会においての良い人材に育てるために、学習についてこられない子は外して育成するのが教育の常です。私も、普通の子として、そういう教育を受けてきました。
今は、規格外扱いされていた息子を、いかにして普通の子に近い形の楽しみと努力に触れさせるかに、かなりのエネルギーを割いています。
普通の子と混ざって交流の授業を受けるのは、息子にとって大きな良い刺激になり、普通のお子さんにとっては、健康で生まれてきたのは当たり前ではなくラッキーだったこと、身体が弱く生まれつく人もいることをそばに見聞きして知ることで、双方、刺激しあっているようです。
混ざるまでいかなくとも、そばに居るだけで、刺激になったり、考えるきっかけになったりする小学校の展開に、病や障害児・障害者の共存とは何だろう?と考えることでした。
少なくとも、隔離と福祉の利用だけでの飼い殺し生活からでは、社会を支える人と社会で生きる人の双方に、メリットがあまりないので、活かせる形になるまで待つよりは、少しでも治って、福祉を卒業できる人財に育つほうが、前向きで、建設的な気がします。
NICUで、「頑張って生かしても、社会のお荷物になるだけなんだし。」「頑張って育てても、(看護師の仕事って)報われない仕事よね 。挨拶は、小児病棟のほうに行っちゃって、こっちのほうには来ないだろうし。」
と若手看護師同士のボヤキを耳にはさみながら息子にミルクをあげていました。
息子がかなり育ってきて、地域の発達支援センターで重度の知的と判定されて、療育園通いが始まるようになると「頑張って育てても、普通にはならない子なんだから、捨てるわけにもいかないし、犯罪者にしないようにしないと(健常の)他の子の将来に関わるし」という言葉を、一緒に帰っている母親の口から聞きました。
神経発達症のある障害児は、犯罪者にしないために、人生を消化試合にするのがセオリーになっていることが、あちこちで繰り返し語られていました。
そして、『発達だけのお子さんでさえ、そうなのだから、知的障害もある我が子が社会に受け入れられることなんて、福祉以外、かんがえられないわ』という考えに陥っている母親がほとんどでした。
「子どもを受容して」とよく言われますが、私には、子どもの障害を本当に受容しているのは、ちょこさんやアルパカさんのように、子どもが苦しんでいるのをなんとか楽にさせてやりたくて、あれこれと努力されて、お子さんが
暮らしやすくなっていかれた方をさすのではないかな?と思います。
まず、苦しんでいるのだから、子どもさんをどうにかしてあげたい。と思われて、ひたすら試行錯誤されながらも、頑張っていらっしゃったところが、素晴らしいと思います。
先に進もうとするには、即座に受容していなければ、現状認識も、問題点の洗い出しも、目標設定も、うまくいかないからです。
子どもさんのことを、決して諦めずに、試行錯誤しながら努力されての賜物が、お子さんの治った結果だと、私はとらえています。
我が子がどこまで治るかは、してみないと分からないから。で、とりあえず始めたアプローチでしたが、多発奇形ではありえないお喋りをしたり、小走りをしたり、小学校での影響からか、ちょっとでも咳をすると「大丈夫?」と声をかけるようになったりするのを見る度に、「あのとき、諦めなくてよかったなぁ」と思います。
今まさに、小学校入学にあたり智ママさんが言われてることに直面しています。
これを覆していくには、何よりも本人が育つことだとも感じています。
まろんさん
コメントありがとうございます。
そうなんですよ。なんとも、やりきれない思いを多々するので、心が折れそうになることがあります。でも、前を向いて進んだほうが、道は開けてきます。
息子の「あした、しょうがっこういく」の言葉に励まされて、毎日通わせています。
いけるならば、普通級のほうが、いろいろ学べて成長に繋がるようです。
今日はハイキングに行ってきました。
お天気も良くとても気持ちがよかったですよ。
追加です。
下肢障害は3万歩以上も歩けているのでかなり自信が出てきました。
もし何もなかったら結構二足歩行には自信があるかもしれません。
あと神経と言うのは寸断しても一応は接続するようです。
でもそれがまた機能するようになるには一か月で一センチメートル進めば上出来らしいのです。
それから骨もただ歩く訓練だけではだめで免荷をすることによって再硬化するのを期待する時間が必要です。
もし身体を傷めてしまっても焦らずやればよくなるケースもあるようです。
スポーツ選手が治らないのは現役の時間との勝負のため治りきってないからでしょう。
シアさん
3万歩はすごいよ!
それは治った自慢だよ!
昔北尾さんと言うお相撲さんがいてもうなくなったと思います。
テレビで訃報を知りその番組で脚の傷が治らなくて腎臓病や糖尿病が分かったのだそうです。
でも状態はよくならず北尾さんは亡くなられてしまったのですが最近私も足の傷が治りにくく医師にも相談して生活を改めることにした次第です。
北尾さんのおかげで私は助かったのかもしれません。
検査など間に合わないときもありますし原因は違くても虫の知らせと言うのはあるものです。
私は傷という傷があっという間に治ります。
トカゲみたいです。
外傷の治り方の速さをみて、きっとがん細胞的な何かが生まれても身体の中でちゃっちゃとやっつけてくれているんだなあと思っています。
傷が治りにくくなったら注意というのはいい目安ですね。検査受けたり食生活変えたりするきっかけになりますね。