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2,972 COMMENTS

yasu

昨日はありがとうございました。

子供に訊いてみたら、バッチフラワーエキスは最初とても甘く感じたが、最近舐めたらさほど甘くなく美味しいと思わないとの話でした。
すごい!

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浅見淳子

yasuさん

お越しいただきありがとうございました。本当にそうなるのですよね。不思議です。
私は婦人科系の方で神田橋先生に漢方を出していただいたことがあったのですが、そのときも同じでした。味の変化にびっくりしました。

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ブルー

<HSPに関して・忘備>

「治り方を知る」先ほどのセミナーから。
浅見さんと愛甲さんの会話から。

■私の場合

HSP概念は
自己認識には使えるが
ソリューションが出ないので
「踏まえた上で使わなくなっていった」概念。

確かに私もHSP概念を使っていた時代がある。
でも、今はこの概念を自己認識に使っていない。
現状ではほぼ困っていないから。

浅見さんにとっての感覚統合に似ている。

つまり

◎一時期研究したが
◎その後『過去の知的資産』という引き出しにしまった
◎その時代はもちろん無駄ではなく、現在の知的土台に

というもの。

HSP概念と
私自身の鋭敏性/鈍感性に関してまとまった論考は
いずれするかも知れない。しないかも知れない。

実はこの件も専門家とやりとりをしたことがある。

いずれにせよHSP概念は今の私には優先度が低い。
どっとこむ的にも多分優先度が低い。

■職場にて

私の職場は99%が中途入社。
新卒が例外という企業。

だから毎月誰かが入社して
毎月誰かが退社する。
ゆるやかな人材流動が起きている。

そして「若い部類の人」は
20代~30代前半で入社してくる。

そんな中で
先日入社した若い人の自己紹介の中に
こんな一文が。

「私は○○型のHSPです」

これは
○○県出身とか、前職は○○ですとか
そういう自己の属性を表すものの一つとして
カジュアルに表記されていた。

「スタバで好きなメニューはカフェモカです」

「私は○○型のHSPです」

が同じくらいのカジュアルさで並列されている感じ。
とにかく感じるのは「カジュアルさ」
ちょっとびっくりした。

そういう時代になっちまったのか。
へぇ~~~。

人の属性を表す概念は普及するにつれ
それが疾患や困りごとの概念であっても
カジュアル化していく。

人々の会話に上がるうちに
学問的、診断的厳密さがなくなっていくから。

もちろん先ほどの
「私は○○型HSP」という自己紹介をした方が
オフィスで働ける程度の状態であることが
基本ではあるのだが。

だからますます「カジュアル」なのだ。

ひと昔前は、
自分がHSPであることを
ネットではなくリアルな公共の場で自称する人は
「そいつメンヘラだから触るな」というフラグだったように
記憶しているのだが。

今では
「スタバのメニューではカフェモカが好き」
くらいになっている。

時は流れる。

セミナー受講後に取り急ぎ。

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浅見淳子

ブルーさん

リアタイありがとうございます。
H S Pのカジュアル化、すごい話です。
医療に取り込まれなかったから(あっちから見るとトンデモだったから)起きる大衆化現象ですね。

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ブルー

浅見さん

>医療に取り込まれなかったから

そうですね
HSPはもともと米国の女性心理学者が提唱していますから
そもそも診断概念ではないですね。

だからなおさらカジュアル化したのだと思います。

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浅見淳子

今組織人は大変なのかな。
と思って夫にきいたりするけど、会社員よりはずっとゆるい中で生きていますのであまり参考になりません。

でもさ、会社員の皆さんって、もともと不自由が平気なんですよね?
働く場所も選べなくて、下手すると仕事内容も選べなくて(不本意な異動とかもある)、同僚も選べなくて、っていうか働く時間さえ選べなくて、お昼休みも決まっていて、っていうの了解して会社員になったんでしょ? マスクして飲食店の前に暑い中並んでいる姿は、とってもみじめに(私の眼には)映ります。でもやっているご本人たちはいやじゃないんでしょ?
だったらいいのだけど。

私は最初に勤めた会社が昼休み45分でした。
本当に何もできません。
店に行けば長蛇の列。だからお弁当持って行って少しでも息を付ける時間を捻出していました。

自営で色々バカにされたこともあったけど、本当に今は自由です。
口枷つけないですみますし逆効果の注射も打たなくて済みます。幸せです。
あえてこういうこと書くのはなぜかというと、自由な立場を目指す人が出てきてもいいな、と思っているからです。

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ブルー

<達人セラピストの思い出> 
~後編~

中編はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-55/#comment-8532

■達人の先生とランチ

勉強会は一日コースだったから、ランチも達人の先生を囲んで頂いた。

私は先生に手招きされ、ランチでは隣に座らせて頂いた。私が心理系の恩師の紹介で来ていることを先生はご存知だったから、客人として扱って頂いたのだ。ランチでは先生や参加者と話が弾み、楽しい時間を過ごさせて頂いた。

ランチでも、先生は穏やかで上機嫌だった。まるで雲の上で仙人が笑うように。

達人の先生:
「ボクはね、剣道を少しだけやったことがあるのだけど、アタマを叩かれるのが嫌で、すぐやめちゃったの(笑)」

■達人に不遜な疑問

そして午後になっても、先生のセラピー実践はずっと続いた。そこで私は、一つの不遜な疑問を抱いた。

ブルー(内心で):
「これだけ凄まじい技量のある先生なら、セラピーで言葉は不要ではないか」
「なぜわざわざ言葉を使うのだろう」

私は達人の先生とは違う流派の心理療法というか、「身体感情療法」のことをいくつか思い浮かべていた。

それらはどれも、身体に直接アプローチすることで感情の拗れや滞りを解除する技術だ。つらい記憶や痛い記憶を口にしなくて良いというメリットがある。

またほとんどの人にとっては言葉で記憶を表現しにくい年代、具体的には3歳以前の問題についても有効にアプローチができる。

そもそも、自分の状態を言葉にする時点で顕在意識がいろいろと邪魔をする。究極的には、言葉も邪魔である(と私などは思ってしまうのだが)。

顕在意識に邪魔されずにクライアントの問題へダイレクトにアプローチができるのも、言葉を使わずに身体からアプローチすることのメリットである。

しかし先生のセラピーは、少し言葉を介在させるやり方だった。不遜にも私はそれに対して「言葉は不要ではないか。これほどの達人の先生なら」と思ってしまった。

結局、私はこの疑問を先生に訊ねることができなかった。でも今思えば、先生が不遜で未熟な若造に生意気を言われたところで怒るはずがなかった。惜しいことをした。

■勉強会終了

夕方、勉強会が終了となった。参加者が一言ずつ感想を述べて終了であった。私は確かこんな事を言ったように記憶している。

ブルー:
「アタマや言語的知識だけで人間理解をしたり、セラピーをするということに対してずっと限界があると感じておりました」

「先生のように身体を基本に置き、身体から感情にアプローチし、その上で必要に応じて言語も使いながらクライアントの心理的問題を解決していくやり方の方が、私としては違和感のないものでした」

私の言葉に、達人の先生は納得したように頷いていた。

「ブルー君はそういう風に捉えているのね、よく分かるよ」

先生は言葉を出さなかった。しかしそんな表情をなさっていた。

椅子にゆったりと腰かけた先生は相変わらず穏やかで、やっぱり仙人のようだった。

(おわり)

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浅見淳子

ブルーさん

先日からブルーさんにふさわしい言葉を探していました。
今思いついたので書いておきます。
「支援者ソムリエ」です。
吟味が細かい。
褒めてます。と同時にもともとのブルーさんはそれだけ生きづらかったんだろうなと思います。

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ブルー

浅見さん

>褒めてます

⇒ありがとうございます。

浅見さんに言われて気がついたのですが
私の場合はソムリエであると同時に毒見役でもありますね。
毒見は主君の為ではなく、自分の為なのですが。

そのくらい専門職の判別は死活問題でした。
でも、あらゆる分野において
そして全ての方にとってそうだと思います。

>もともとのブルーさんはそれだけ生きづらかった

⇒はい、常に自分と自分の人生に違和感がありました。
自分の人生を掴んだ、と思えたのは今の職場に来てからです。

そういうことをいう成人当事者はたまにいますが。
そんな話が次の連載です。

宜しくお願い致します。

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智ママ

昨日も今日も、最高気温31℃いくぶぶ漬け県の県庁所在地ですが、恐ろしいことに、文科省からの通達プリントがきたにも関わらず、今朝の小学校のグラウンドで、ほぼ100%の児童が、マスクをつけたまま走り回っていました。
「すみませーん、3年◯組の児童の〇〇の母親ですが、息子以外のお子さんがグラウンドでマスクをつけたまま走り回っているので、熱中症で倒れやしないか心配です」
「いや、ウチも指導しているんですけどね。今まででくせになっちゃっているらしくて、子どもたちに、『外していいよ』といっても、外さないんですよ」と電話番の先生。

いや、子どものせいにしてないで、外させましょうよ・・・先生。
子どもたちにあれだけゴリゴリ指導していたら、外せなくなってもしかたないですよね。
「熱中症で倒れたら危ないので、外させる方向で行かないと、学校が大変になると思いますよ?」と当地流にやんわり言うだけで、止めておきましたが。

教師が、子どものせいにしてどうするんですか。
子どもが熱中症で倒れて死んだり後遺症が残ったりしたら、責任取れるんですか?
と、今度から突っ込もうかな。と思っています。

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智ママ

先ほど天気予報を見てみたら、当地の最高気温は28℃でした。
しかし全マスクしていては危険になる気温には変わりないので、注意喚起はしておこうと思います。

息子は「6月になったら、プールに入れる!」と喜んでいます・・・。
プールではマスクは外させると思いたいですが、念の為に確認はしておこうと思います。

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智ママ

本日、グラウンドから帰ってくる子どもたちの3割が、マスクを顎マスクにするか、外したままでした。本日はやや肌寒かったにもかかわらず、です。
小学校に電話しておいてよかったと思いました。

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浅見淳子

智ママさん

子育て世代の皆様は、お子さんたちへの直接の言葉がけとか学校への電話とか頑張っていらっしゃいますね。いやそうにマスクしている外国人観光客を覗き込み「ここでは罰金もないよ」と無言で知らせる活動中です。

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智ママ

子どもには新鮮な空気を吸って楽しく過ごしておいてほしいですからね。
まだ教室では全マスクしている子が多いです。
もう少し活動頑張っていきたいと思います。

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yasu

先日、子供に千円札1枚渡して、本屋に行ってこれで好きな本を買ってきてよいと送り出しました。電車で一駅乗って書店に行き、欲しかった漫画が見当たらなかったので店員に頼んで出してもらい、無事に購入して帰宅。買い物の金額は税込み998円(笑)

本屋では同じ漫画の1,2巻を買うか、それとも違うのを1巻ずつ買うか、雑誌を買おうかとあれこれ考えたらしい。本当は近所に駄菓子屋があればもっと安い金額で気軽にこれができるのが残念です。

電子書籍だとこういう楽しみは無いので、当面子どもの書籍はリアル本のみ。

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ブルー

<達人セラピストの思い出>
~中編~

前編はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-55/#comment-8527

■セラピー勉強会・座学

講習会が始まった。達人の先生はセラピーの実演をなさる前に、座学で言われた。

「心理カウンセラーは身体を扱うことができません」
「人の感情は全て身体の細かい動きに表現されています」
「それぞれの身体部位がなんと言っているかです」

続いて先生はホワイトボードに大きな丸を書いた。それは細胞膜を図式化したものだった。その後、巷でいう「動的平衡」のような話をなさったように記憶している。

先生は生命活動を細胞のレベルにまで落とし込んで考え、そこから人間理解を立ち上げなおしておられた。今思えば、このプロセスは人間理解の普遍的方法だった。

つまり各種ツールによる類型化モデル、タイプ分け、ましてや診断名といった「便宜的レッテル」からは人間理解を始めないということでもあった。

■セラピー実践/デモ

勉強会は、参加者を実際にクライアントにして、先生が心理療法(セラピー)を行っていくというものだった。

セラピーは先生とマンツーマンで行われる。先生のセラピーを受けたい人は挙手をして、順番に1人1人が自らの課題やトラウマや未完了を先生に相談していく。それに応じて先生はセラピーを行っていくという流れであった。

つまりこの勉強会は、達人の先生のセラピーを受けられる上に、先生が他の人へセラピーを行っている様子を見学できて2重にオトク、という趣旨の勉強会だった。

もちろん先生のセラピーは非の打ちどころがなかった。

そもそも、先生の心理的発達段階が極めて高い。人類として最高次なのかは分からないが、極めて高い心理的発達段階であることは間違いなかった。

先生は高齢であったが、年相応を遥かに超えた精神的成熟をなさっておられた。それは、長い人生でご自分の問題をずっと解決し続けてきたことの現れでもあった。

さらに言えば、当時の心理系の恩師よりも心理的発達段階が上だった。それは心理系の恩師よりもさらに年齢が高いことも関係しているが。

また、心理系の恩師はわずかに感情面の拗れを残していたが、先生は拗れがみじんもなかった。まるで林の中を吹き抜ける風のようなメンタルポジションをなさっておられた。

先生は心にも身体にも拗れがなかった。つまり先生は自分の拗れを取る修行を生涯に渡って行ってこられたのだ。

もちろんセラピーの技も素晴らしかった。先生はクライアントがどのような状態になっても安全に完璧に対応できた。

例えばクライアントに対して心理的退行をかける瞬間などは、当時のトラウマが蘇ってくる場合がある。それには危険が伴うこともある。

特にこの日は、自分や他人の命に関わるような体験に基づく壮絶なトラウマを抱えている人も多く、下手なセラピーは事故の元だった。

しかし先生はクライアントがどのような状態になっても対応できる膨大な技術的引き出しを持っていて、決してクライアントを危険な目にあわさなかった。

またクライアントが蘇ってきたトラウマで恐怖に襲われても、すぐにその恐怖を解除して心理的安全を確保した。それは身体の反応へも配慮をしつつクライアントを納得させながら行うもので、論理的な手順に沿ったものだった。

そういうわけで達人の先生のセラピーは何よりも絶対に安全だった。だからセラピー中の先生に対しても絶対的な安心感があった。

そしてクライアントが抱えている(往々にして壮絶な)トラウマや未完了は必ず解除・完了され、クライアントは新しい心で新しい人生を始めることになった。私たちはその様子をずっと見学していた。

達人の先生の技には寸分の狂いもなく、非の打ちどころなどあるわけもなく、ひたすら納得のいくものだった。

(後編へ続く)

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ブルー

<達人セラピストの思い出> 
~前編~

完全なる思い出話です。
しかも長文なので3回シリーズです。お忙しい方はスルーなさってください。

それでは、はじめさせて頂きます。

■達人セラピストにお目にかかる機会を得る

ある時心理系の恩師の計らいで、恩師が当時通っていた心理セラピーの勉強会に出席させて頂く機会を得た。

主催は、業界では達人の誉れ高い先生だった。その方はもうだいぶお年を召しておられた。お写真を拝見すると、完全に「仙人」。雲に乗って空を飛べそうだった。

達人の先生はセラピストと言っても、某ボディワークの指導者も兼ねておられた。つまりセラピスト兼ボディワーカーといった感じだった。だから身体性はきちんとある方と推測された。

そんなこんなで勉強会の当日を迎えた。

■朝の駅で

勉強会の朝に、私は会場の最寄り駅に到着した。

そうしたら、偶然にもその達人の先生が会場に向かって歩いておられた。まだご挨拶もしていないので、達人の先生は私の眼の前をとぼとぼと会場に向かって歩いていかれた。

達人の先生の歩く姿を拝見して、私は思った。

「評判通りだ。明確に達人だ。あんな人はそうそういないな」

まず、なんというか身体意識が非常に細密な印象だ。全身の細胞の隅々まで染み渡るように感じとって生きておられる感じがした。固有受容覚が普通の人の何万倍も細密な感じだ。

まあ、これは某ボディワークの修行の成果だろう。

そして全身の無駄な力も抜け、ラクに呼吸している印象だった。だから表情にも力みがなく、生きているだけで快適そうな印象だった。なんというか、目を開けて歩いておられるのだが、一種の瞑想状態のような印象だった。

もちろん瞑想状態といっても、先生はちゃんと覚醒して歩いておられるので、安心して欲しい。そうじゃないと交通上危ない。

つまり眼を開けて瞑想しているのではないかと思うくらい、「脳波が超人的に安定した印象」を受けたという意味だ。脳が感情で暴発しない修行をずっと積まれたのだと思う。

その上で全身に力みがないから、当然ながらお姿全体に「重み」があった。さらに前述のとおり身体意識/固有受容覚が細密ときているから、なんというか「存在が濃い」。

逆に身体性が脆弱な大多数の現代日本人は、私からいわせると「存在が薄い」のだが、それとは明確に違った。

ブルー:
「凄い先生だ。これは今日の勉強会が楽しみだ」

私は快適そうで、重みの効いた歩き方をなさっておられる達人の先生の後ろ姿を見送りながら、そう思った。

人の身体運動は脊椎のある背中側から特に情報が出る。だから私は会場へ向かう達人の先生が歩く後ろ姿をずっと眺めていた。

■会場にて

勉強会の会場に到着すると、既に達人の先生は会場入りされており、参加者もそれなりに集まっていた。

ブルー:
「なんじゃこりゃ?!」

私は会場に入るなり、仰天した。会場の空気感が異様に清浄だったからだ。

あんな空気感を体験したのは後にも先にもこの1回だけだ。なんというか、天上界に来たような感じだった。言葉を変えると、邪気が抜けて抜けて抜けて抜けて・・・その結果、みたいな感じの空気感だ。

干潟のハマグリが水を浄化するみたいに(失礼)先生は会場の空気感を浄化なさっておられた。先生はリラックスして椅子に座っておられるだけだったのだが。

達人は場の空気感まで浄化してしまうのだ。

(中編へ続く)

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智ママ

本日、担任の先生から、息子の書道セットを買うように封筒を渡されました。

普通小学校では、小3になると書道が始まります。
書道セットは、小3になっても小学校に在籍していられる場合のみ、購入できるものです。

大手を振って、書道セットを購入することにしました。

嬉しいです。

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ヨヨ子

智ママさん

おめでとうございます。
書道は服を汚しがちな授業なので、それを許されたということは、問題行動を起こさないと認定されたようなものだと思います。

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智ママ

ヨヨ子さん
ありがとうございます。
「問題行動を起こすと心臓が苦しくなるから、起こさないようにする」1歳児だった息子は、心内修復してもその苦しかった記憶がしっかり残っているらしく、「無駄なことはあえてしない」スタイルを取る合理的な重度発達児でしたが、最近になって、たまにそおっと試行錯誤するようになってきました。(無理だとわかると即座に大人を呼びに行きます。依頼心は強いようです。)
書道の才能があるかどうかはわかりませんが、ひとまず授業だけはさせてみようと思います。

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智ママ

親子関係が良ければほとんど何も関係ないのかもしれませんが、少し思ったことを書きます。

子どもが療育を卒業する18歳で、だいたい作業所に入ることが多いようですが、その作業所だけ紹介されて、あとは私費で人を雇って送迎させるか、自分で送迎するしかないようです。一人で歩かせられないレベルの、重度発達の20歳くらいの男性を連れて、作業所に送迎する母親を週3くらいの頻度で見かけます。
(たまたま小学校の登校時間と重なるので出会う時がある)

18歳までは療育期間が手取り足取りみてくれますが、『それ以降は自力でがんばってね。』ということらしいです。
そして、療育機関は、どこもかしこも見事にアリバイ同然で、伸ばしません。
発達障害は、身体的アプローチを自宅でするしか、伸びないのです。

「その時(18歳か16歳)が来るまでに、なんとかして伸ばしておかないと。」
とTweetへの書き込みで気づいて、気を引き締める小さい子のお母さん達が、花風社クラスタにはとても多いのでホッとしましたが、
意外な盲点が『子どもはいつまでも子どもではなく、思春期や反抗期を経て、大人になっていくので、親の言うことを素直に聞いてくれるのは、長くても小学校高学年までで、早熟な子だと中学年の終わりから、反抗心が芽生えてくることがある』という、育児には全く普通の現象を、発達育児をなさっているお母さん方がコロッと忘れておられるということです。

不気味に素直なタイプだったウチの息子でさえ、3年生になると、『簡単に言うことを聞いてあげない!自分の意見を通す!』という素振りを見せるときが、時折、見られるようになってきました。これから更に自分が出てきたら、ヘソを曲げると言うことを聞かない子になるかもしれません。
それも成長ですが、そのときに慌てて『あれもできていない、これもできていない。どうしよう!』となるのは、準備が間に合わなかった親御さんです。
このことを忘れて育児されている方が、案外多いような気がしています。

子どもが18歳か16歳で社会に旅立てるときに、どれくらいのものをしつけとして身につけさせておけるか、それまでに何を育てておいてあげられるか。
社会で面接で採用されるには、どのようなところを育てておいたらよいか。
それらを時々念頭に置いて、限りある子育て時間の日常に流されてしまわないようにしておかないとな。
と、思ったことでした。

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ヨヨ子

まず初めに遅ればせながらこちらの管理人である浅見淳子さん、お誕生日おめでとうございます。
発達障害が治りますか?以降の書籍が出版されなかったら今の私はなかったと思います。

医療者の偉い人達が屋外マスク着用義務撤廃宣言したテレビを見ていて、今更ながらになんか変だと思ったことを書きます。

医療者は国家資格を持つ人なら皆、大学病院や大学病院並みにデカい病院での病院見学や病院実習を経験しています。

私もそうでした。

そこで1番驚いたことの一つが、病院がテレビドラマでの印象ほど清潔ではないということでした。

オペ室に入る時渡される青とか緑のマスクは分厚いけど女子だとガポガポ。
入る時マスクつけるのと機器が置いてあること以外ICUっぽくないICU。
がん治療するフロアでも出入りする際の手洗いの義務、なかったです。当然のことだから何も言われなかったのかもしれませんけど。
床に鞄を置いていたら、先輩医療者から「病院の床はキレイじゃないからものを置かない方が良い」と言われたこともあります。
皇居周辺にある、関東圏在住でなくても「あー聞いたことがある」みたいな病院での話です。

手術設備のある医院に就職した時もそうでした。
オペ着やオペ用マスクやオペ用帽子もしないで人が入ってくることもあったし、SARSが流行った時も特に何かした覚えがありません。私も術後患者さんの病室に出入りする立場だったんですけどね。
エプロンやゴム手袋をしろと言われたのは入院患者さんが疥癬を患ったた時くらいです。
インフルエンザが流行ってた時期も、時々手を消毒してただけ。マスクは医療者も患者も任意。それでも私はそこで働いていた期間、ずっとインフルエンザに罹患したことはなかった。

つまり、医療者達は少なくとも先進国と呼ばれる国ではエボラ出血熱みたいな病気が蔓延しない限り、バイキン対策を徹底しなくても人は死なないということを知っているはずなのです。

だから、新コロ患者を受け入れている医療機関以外が、本気でマスクマスク消毒消毒検温検温言ってるとすれば、かなり変なんです。

「新コロ?免疫抑制剤飲んでる人や高血圧の人以外は怖くないです😗ワクチン?するとしても2回までかな😝でも何も言わないのも何だからマスク消毒手袋しろって言っておこうぜ」な結果だったのかもしれませんけど。

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浅見淳子

ヨヨ子さん

お祝いのお言葉をありがとうございます!

それと、わかります。だって病院ってくさいもん。某MMにあるホテルのような大病院でもくさかったですよ。ああいうくさい中で仕事しているから医療従事者はマスクが好きなんじゃないかと思います。それとやはり、演出できるからでしょうね、今大変な時代だと。ふと気づくと何も流行っていないジャパンです。

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ヨヨ子

浅見さん

病院はどこも独特な匂いがしますね。
そのため私は、新コロ騒ぎの前から病院に患者として行く時は名前を呼ばれそうな時間まで外を歩いてました。
古い建物だと窓がほとんど無くて空気がすごく澱むんです。関東では大学病院様なんかに限ってそうです。

医療機関は案外汚くて臭くてボロいものです。通院患者さん達に見えない場所が特に。
前に勤めていた診療所では3.11でヒビが入った壁が1年以上そのまんまでした。
大学病院の閉鎖病棟に入れられていた時も雨漏りやインフルエンザ蔓延(何しろ10センチくらいしか窓が開かない上に6人部屋とかなので)を経験しましたが、看護人や医師からの説明や謝罪もマスク着用義務もありませんでした。もっと言うと、なぜか通院患者向けのトイレの紙よりも閉鎖病棟のトイレの紙の方がゴワゴワでした。

それでも何も事件は起きなかった。

なのに今は、ビニールシート、プラスチックボード、マスク着用、マスク忘れた方は1枚1幾らでお買い求めください、真冬や梅雨に換気、出入り口で事務員が消毒液をすすめてくる(皮膚科を標榜してる医院でもすすめてくる)。

医療現場で画像の保管にCDが導入される前、MRIの画像を入れた紙袋に押し花状態のゴキブリが入ってたり紙袋にカビ生えてたりしても誰も騒がなかった時代を知る身としては、本当に不思議です。

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浅見淳子

シアさん

18日は7時に寝ました。色々事情があって。

19日の深夜目覚めました。お誕生日です。

そしてシアさんのくだらない書き込み群を発見しました。自閉の人があれこれ当たらない想像をめぐらすのは仕方ないことかもしれませんが、これまで私をはぐくんでくれた人への侮辱だったので、それをよりにもよって誕生日にやられたので、消しました。

いつもならスルーするようなことかもしれませんが、誕生日だったのと、せっかく素晴らしいことを書いてくださっているたにしさんやブルーさんの記事がシアさんのくだらない書き込みで埋もれるのがもったいないですしね。

私という人間はとてもわかりやすいのです。
わかりにくくしているのが自閉症なんではないでしょうか。
佐藤信吾並みの妄想ですね。
不愉快です。

では。

返信する
たにし

お世話になっている放デイの管理者さんから、お子様の発達にお悩みのお母さんがいるので、相談に乗ってあげてほしいとの御依頼がありました。

はいはいお安い御用。

今日、有休を取得して、その放デイの教室に行き、お母さんにお会いしてきました。

お話を伺うと、そのお母さんは、手を替え品を替え、粘り強くお子様に付き添っていらっしゃいました。

僕からは、身体を土台から整えると発達が促進されるというお話をして、一緒に聞いてくれていた管理者さん(過去二回、高松講座に参加)が、ホワイトボードに発達のピラミッドを描いて補足説明してくれました。

ピラミッドの頂点(脳)へのアプローチを熱心にしておられますが、それは大事にしながら、ピラミッドの土台へのアプローチもなさってはいかがですか?ともお伝え。

そして、管理者さんに床に寝てもらい、即興で金魚体操を実演。

お母さん、賢いお方で、僕の言いたいことをすぐに理解してくださりました。

持って行っていた「自閉っ子の心身をラクにしよう! 睡眠・排泄・姿勢・情緒の安定を目指して今日からできること」(通称「黄色本」)、お貸ししましょうか?と聞いたところ、「すぐに買います」とのこと。

お母さん、今まで、身体アプローチの視点は全くなく、衝撃的だったそうです。

お母さん、明るいお顔で帰られました。

10年前の昨日、息子に診断が下り、しばらくは、情報を求めてさまよい、人様に助けを求めていました。
それが10年後の今、これまで得た知見を人様にお伝えしています。

社会への恩返しです。

返信する
浅見淳子

たにしさん

たにしさんはよく、お子さんを納税者にしたい。今受けている恩恵を返せる人になってほしい、とおっしゃっていますが、すでに社会への恩返しを初めていらっしゃいますよね。

実は愛甲さんがジュニアにお会いした時の感想をいただいているのですが、それがまさに恩返しなのです。お父様の資質を受け継がれているのではないかと私は思いました。ジュニアは恩返しする人に育つというのが愛甲さんの見立てなのです。

そのうちどこかで詳しく書きますね。

いつもありがとうございます。

返信する
ブルー

管理人よりメッセージ 欄にて。

浅見さん:

神田橋先生以降、東洋的な手法の即効性にびっくりする日々です。以前抱いていたイメージと真逆でした。東洋的な手法は「慢性症状に即効性がある」感じ。西洋的な手法は「急性症状に即効性がある」感じ。そして発達障害は慢性症状の最たるものですからね。

————————————————————————————–
東洋的な手法、で思い出したこと。完全なるムダ話。

まだ私が30代の頃、発達障害に関する国家的基礎研究に協力していた事があります。私は当事者/被験者として参加しました。研究は某国家機関の予算を使ったもので、某帝国大学の研究所に私もよく通いました。

そこで、研究者の人の研究こぼれ話。この話は多分論文とか、オフィシャルにはなっていないような気がします。あくまでもこぼれ話なので。

その研究者の人達は、感覚鋭敏~過敏といった感じの当事者の人の、身体の皮膚感覚に関する反応を調べていたらしいのです。

まずは当事者の方の身体が、接触刺激に強く反応する場所を身体表面に順次ポインティングしていったのだそうです。

そして試しに、全身に広がる「特に強く反応するポイント」を線で結んでみたのだそうです。

そうしたら、それは綺麗に・・・「経絡のライン」だったのだそうです。

その事実に研究者一同、「へえ~~~なるほど」と、妙に納得した(?)のだそうです。その研究がその後どうなったかは知りませんが。

東洋的な手法って経験で作成されている部分も多いような気がします。つまり東洋的手法が当事者に(一定の割合で)有効・・・というのは現代の我々の観方であって、実は昔にも一定数いた(発達障害概念はないが)自閉系の人が特に身体が鋭敏で、そういう人たちの身体と証言も参考にしながら東洋的手法を作っていったのではあるまいかと。

実は因果が逆なのか?と。
・・・いや、知りませんが。(汗)

また、同じ国家研究で、私も皮膚感覚を測定しました。結果、私の皮膚感覚は定型の人の1.5倍の鋭敏性を持っていました。今でもそうなのかはちょっと分かりません。今はもう少し収まっているかも知れません。

「人間脳を育てる」p.107にもあったように、当事者は「肌の機能を最大化させて危険察知している人がいるかも」という仮説もあながち的外れではないように思います。自分の経験的に。

ちなみに私はHSPですし。でも、もう困っていませんが。
(※ですので、今はこの概念を自己認識に使うことはありません)

ただ、基礎研究者の人の立ち合いのもと、明確に皮膚感覚の鋭敏性が数値で示されて、私も研究者も「なるほど」となったことは覚えています。まあ、このデータがそのまま論文になることはないのでしょうが。

以上です。
ムダ話ですので結論や教訓はございません。失礼致しました。

返信する
浅見淳子

ブルーさん

役に立つムダ話、ありがとうございます。
経絡がそれほど際立っているのなら、各種手法でトラウマ処理に使われるのも当たり前の話ですね。愛甲さんはTFT等もオリジナルで使っていませんが、経絡に沿ったものであるといつも気づいていました。

また『人間脳を育てる』P107の記述は、私が発達障害の当事者の人たちを観察した実感です。これに限らず症状は自己治療ですよね。

またムダ話があればよろしくお願いいたします。

返信する
ヨヨ子

浅見さんがドラッグストアでマスク着用を促された話を聞いて、私も銀座のユニクロでマスク着用を促されたことを思い出しました。

私は医療従事者なので職場ではマスク着用、患者という名の固定客様にもマスクをしてもらっています。

しかし従業員がいなそうなところや屋外ではノーマスクです。通勤時も最寄りの駅の構内に入ったらマスクするみたいな感じです。ノーマスク姿で固定客様に出会ったらマスク着用は院内限定の決まりであることを教えようと思っているのですが、パートタイマーであるせいかまだその機会はありません。

銀座には社会復帰してI年以上働いた自分へのご褒美として行きました。11年ぶりでした。
まずマリアージュフレールと言う紅茶専門店に入りました。
私は布マスク。給仕のお兄さん(マリアージュフレールでは男性が給仕をするのです)は鼻マスク。でもお客は誰も指摘しません。銀座の民は民度が高いなと思いました。

しかしその後飲食店じゃないんだから良いよねとノーマスクでユニクロビル(銀座のユニクロはビル全部が店舗になっている)に入ったら1階でも2階でも3階でも店員からマスク着用をお願いされました。
1階の店員には顔が痒くなるのでとしか言わなかった私ですが、3階の客には文句を言いました。
3階フロアに来ているということは1階2階の店員とマスク着用要請とそれを断るやりとりが既にあったはずなのに何故またそんなことを言うのか?と。
マスク着用を客にお願いしてる人って何にも考えてないんだなと思いました。
マスクをすると顔が痒くなると言うとタオルで口を塞いでくださいという図書館員や、アルコール消毒を促されたアレルギーだからと言うと次亜塩素酸?を持ってくる飲食店員もそうです。
マスクが嫌な人は大抵口枷をしたくない人か顔が痒くなりやすい人なのだから、タオルで口元を覆うなんてしないよ。アルコールアレルギーの人は他の化学物質にも反応する場合が多いんだから次亜塩素酸?だって使わないよ。

今度上記のようなことをされたら、
私は発熱者やPCR陽性者で自宅待機したのち再検査を行なっていない人を隔離することなく診ている医院で勤務している上に、ここ2年間屋外ではノーマスクで💉を一度もしていないがほぼ毎日つけている基礎体温が37℃以上になったことはない
と言おうと思っています。

今の私の最大の使命は長期ブランクによって失った社会的信用を取り戻すためにI日でも長く今の医院に勤めることですから、職場での患者マスク着用義務撤廃についてはまだ周りに「患者に対していつまでマスク?」「寝たきりの高齢者苦しそう」くらいしか言ってません。
けど、医療機関以外がノーマスクになれば良いなと思います。
医療従事者だって休日はドラッグストアや飲食店や洋服屋のお客なのですし、自分の親や子供がノーマスクになれば、自分の顔と酸欠の心配だけしてれば良いのだからその方が得です。

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浅見淳子

ヨヨ子さん

ユニクロは店舗によるんでしょうが、ああいうフラッグシップみたいなところは感染対策やってます感出すかもですね。うちの地元はゆるいです。言われたことありません。テナントですが、そのビル全体がゆるいのもあると思います。感染者は方々のテナントで出てますけど尾身株くらい広がったらそんなものどうでもいいし。
マリアージュフレールいいですね。

職場でマスクの人は、たぶん外で素顔でもばれないと思います。私は一人で素顔なので色々な人にあいさつされますがどこのだれかまったくわからないであいさつを返しています。あっちだけこっちの顔を知っている(笑)。

ともかく「言いなりにならない」ことが大事です。
ハンカチで口? くしゃみや咳のときには覆いますが、それは別にコロナ前からです。

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