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雑談のお部屋

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3,039 COMMENTS

シア

日本の医療のレベルが低いとは思ったことはありません。
ただ医療は算術なので、コストに見合わないこともまたできないのだと思います。
うまくやれば、いろいろ治すこともできるかもしれないのに、予算の不足でそれはできないことになっています。
それに、傷を負っていたとしても、医療にかからずに自然に過ごすことも人間らしさだと思います。

ワクチンの後遺症は、ギランバレー症候群が多いですが、治療法があるようです。
ただ、それを広く認めていくことに抵抗があるかもしれません。
しびれが生じることが多いので、それの治療になります。
命を失うようなショックを受けた人もいますが、多くの人はしびれのようです。

だから、ワクチンを打ってしまって、万が一(千が一くらいかもしれませんが)後遺症が生じている人は、だいたい治ると思います。
しかしそれも科学ですから100%という訳にはいかないでしょう。
医療にお金を投じられるのも、労働で汗水たらして価値を生み出しているからで、それに見合った成果が出せることを医療には迫っていくときかもしれません。

私は医療のヘビーユーザーでした。
いろいろな治療を試し、そのすごみも感じています。
例えば皮膚は短冊切りにしたものを植え込んで、乾かないように再生シートをかぶせてラッピングしていると治っていきます。
唇も、一部欠けた耳も、ティシューエンジニアリングと言う技術で再建できます。
…最近では京アニの放火事件の犯人の皮膚は培養の新技術だったそうです。

人工関節は、耐用年数は人間の寿命より長いとされています。
私の施術では可動域が前屈が少し短く、横方向のストロークは広いタイプのもので、骨頭ボールを大きい仕様です。

あと医学のすごいところは血液など生化学の検査です。
ものすごいたくさんの数値があり、たくさんの項目がありますが、遠心分離を行いコンピューターで解析し効率よく治療に生かします。
もっともっとたくさん私の知らないところでいろいろな技術が進んでいるでしょう。

そしてここに書き込んでくださっている智くんの事例では、もっと新しい技術が使われていると思いますよ。
だから過剰に心配することに意味はないと思うんです。
ワクチンを打ってしまったから、必ず重篤な症状がおきることはないし、それはまれでしょうが、身体によいかと言うとちょっと微妙だと思っていて、私も接種を避けた理由はそこにあるのですが。

起きてしまったことを嘆くより、前を向いて生きていく・生きているなら、生きていくならどうしたいかが大事だと思いますね。

医療はお金がかかりすぎるので、そう言うのはほどほどに自分で健康管理をすることによって、自分のお金も他人のお金も大事にできますね。

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浅見淳子

シアさん

私も、ワクチン後遺症は治る人が多いのではないかと思います。

最近、某ドクターにブレインフォグとかの起きる仕組みを教えてもらいました。
これはワクチン後遺症、コロナ後遺症の人にも使えるだろうし、ADHDの人にも使えそうです。

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シア

最近、体調がよいのです。
ままならないことがあると、障害にフォーカスすることが今までは多かったのです。
ほとんど「病気なんてない」と考えて生活することができていますし、それは運にも恵まれたのかもしれません。
交通事故に遭った時、軽い打撲で済んだのに、それがきっかけでいろいろできなくなったのだと、思い込んでいた時期があります。
あれは小学校二年生の時の出来事で、まだまだ自分自身遅れていたところが多かったのだと思いますが、自分自身ままならないことがあると「事故に遭ったからだ」と考えようとしていました。
そうして周りとの差が開いていたことに気づき始めた自分を納得させたかったのかもしれません。
「事故のことを引きずるな」と言われたこともありますが混乱する渦中においては物事の真実とか他人の意見もうがって聞こえるものなのかもしれません。
ただひたすら当時は自分の気持ちがわかってくれない・受け止めてくれないと思っていたのです。
他人とどうしても比べてしまう気持ちもありますがそれも余裕がなかったからだと思います。

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智ママ

雑談の豆知識になりますが、書きます。

ワクチンを打った人が、たとえコロナにかかって40度が一週間続いても、血中酸素飽和濃度が97あったら、それは軽症です。
値の区分としては、97−94くらいが軽症です。それ以下は中度(入院して酸素吸入が必要となる)、80台だと重度となり、ICU預かりとなることが多いです。

だいたいの目安として、健常者が息を止めて、「もう窒息して死ぬ!」となったとき、血中酸素飽和濃度は97くらいです。(男性看護師が実験してました)
そして、血中酸素飽和濃度が70台になると、健常者は一晩しか保ちません。ほぼ危篤です。

息子は、生まれて1歳11ヶ月までは血中酸素飽和度がよくて80台、普通に70台、調子が悪いと69だったりしていて、「生きてるのが不思議!」と看護師から感動しながら指摘されていました。その後、手術して心臓を作り変えて、やっと97の数値が出るようになりました。調子がいいと98、99です。

なので、息子の心臓が生まれ持ったハンディが、こう書くとおわかりいただけるかと思います。

皆さんも、窒息死寸前まで息を止めて、その苦しさを少し体感してみてください。
それが、息子の生きている体感、血中酸素濃度97の世界線です。
その状態で、まともに発達できるかどうか、成長できるかどうか、体験してみて考えたらわかると思います。

そんな心臓に器質的なハンディがある子でも、発達は良くすることはできました。
そこそこ可愛がられている人間の、ポジティブに育った人間の、生きようとするパワーは、すごいです。

心疾患のあるお子さんで発達を併発しているケースの子どもの親御さんは、「うちの子、心臓があかんから・・・」と諦めてしまう場合が多々ありますが、心疾患があっても、器質的障害が脳にもあっても、そこそこ伸びて充実人生を送れるようになるまでは治るケースがうちにいるので、とりあえず療育整体とか、その他身体的アプローチとかしてみたら、何とかなるぶんは、何とかなるのではないかな?と思いました。

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智ママ

いくら嘆いても、現実の息子の血流は心臓の不具合で完全なマトモになることは望めないわけで。
それを現状認識して「それじゃ、この状態からスタートするとして。どこまで改善するかは、やってみないとわからないよね。やらなきゃ今のまんまだし。ダメ元で、やってみるか。伸びたらめっけもんだし♪」と細々始めたのが始まりでした。

発達もそうですが『我が子が完全体にならないんだったら、やり損だから、しない!』という親御さんところは、エネルギーの出し惜しみをしてしまうので、お子さんが全然伸びてないです。
『ダメ元でもやってみようか?』は、まぁまぁ。
『片っ端からドンドン試してみよう!負けてたまるか!』なノリの親御さんところは、伸び率がいいです。

親御さんも個々の人なので、性格や生育歴もあるだろうし、最初から『うん、発達障害。治らないの宣告。…で?』となるお母さんはまずあまりいないと思います。独特の個性が光る方が多いです。

最初は、ヘナヘナで弱くてもいいから、お子さんの現状改善に立ち向かえるようになれたらいいんじゃないかな?と思って、書き込みました。

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シア

心臓が悪い人って、少なくない数います。
私自身、胴不全症候群と言う疾患で、胸に大きな傷跡がありますが、頻脈のときは180くらいあって徐脈のときは30くらいの心拍数です。

私は体が弱いことをカミングアウトしていましたが、ある時マラソン大会があって、いつも意気揚々としている同級生がいきなり倒れて、苦しそうにしていたのを見たことがあります。
後に知ったのは、彼は心臓だけが弱く、身体は鍛えていたために持久力を要求する競技においては致命的だったのだそうです。

かれは元気そうに振舞い体力が取り柄だと言っていたのですが、こう言うのは「ガタカ」と言う映画にもインスパイアされています。
とある宇宙飛行士を目指す障害のある人が、いろいろ克服するのですが、心臓だけは治すことができなかったため、その都度窮地に立たされるというストーリーでした。

ただそのように、頑健に見える人も弱点をカバーしながら生きているんだなと知るきっかけになりました。
自分自身、身体のことをあれこれ言うと、「みんなそういうものを背負って生きているんだよ。」と返してくる人もいて、そうだよなその通りだな…と思います。

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智ママ

シアさん
コメントありがとうございます。

息子は、本当に先天性の多発奇形なので、確実に『生まれ持っての多発奇形』とは言えるのですが、その後、重度から中度に移行できたので、「『固定された発達障害』というのはなくて、『単純に刺激不足で伸び止まっている発達』があるだけなのでは??」と推測しています。
(発達医師は自分の『遺伝子異常があるから、頑固に知的障害も発達障害も治らないと思います』という診立てが、素人の母親とそのブレーンである花風社に覆された(3〜5歳で知的重度→知的中度に進歩した)のでコメントが出せません)

医学的に、先天性心疾患と発達の関連の高さは指摘されていて
(先天性心疾患が重ければ重いほど、そして血中酸素濃度が低い時期が長ければ長いほど、発達は軽度ではなく中度になる確率がぐっと上がります)
私の近辺での症例では、7割が発達軽度〜中度を併発しました。何もしてなくて軽度〜中度なので、身体的アプローチ等を組み合わせたら健常域〜軽度にスライド移行することはあり売ると思います。

『発達は治らない』という医学的な既定路線では、心疾患児の親御さんの皆さんが、心疾患の治療で医学にお任せ体験だったことを引きずって、なかなか自主的な試みをして治せないので、重度めの心疾患があり、重度知的・発達→中度知的・発達となった息子は、医学的に珍しい症例として、本体の遺伝子異常のところから、珍しがられてデータをとっていかれています。

私は別に『息子にはこんなに疾患があるんです!』と威張りたいわけではなくて、『うちの息子には、これだけの疾患が先天的にあるので、うっかり普通だと思って無理に運動をさせると、倒れて救急車で、よくて入院、悪いと死にます』
『親や警察から後で厳しく管理責任を問われたくなかったら、あらかじめ別区分で行動に参加させる・または配慮して軽い運動量にするなどしておいたほうが、双方トラブルにならなくて済むと思います』
という言葉とともに、あらかじめ小学校や療育園に申告して、無茶に普通に参加させて倒れることがないように前もって防いでいます。

息子の場合は障害レベルが重すぎるからか、「人それぞれですからねえ・・」と息子と私にコメントできる人は皆無ですが
(むしろ、人の7倍近くは先天性奇形を負わされて生まれているとも言えるレベルなので、誰も普通と同じには取り扱えないです)
普通に近い体験をさせることは、様子見しながら徐々に、でならばできるので、そちらの方向を目指して日頃の観察を怠らないようにしています。

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シア

智ママさん

そうですね。
何ができないかではなく、何ができるかを考えています。
智くんがいろいろできるようになったのは、ご両親の愛情にはぐくまれたことと、実力だと思います。

もし事故憐憫が強かったら、そのように強く生きてこられなかったろうと思います。

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智ママ

シアさん
お褒めいただき、ありがとうございます。

自己憐憫って、自意識があるほど知的に発達してないとできない芸当なんですよ。息子の場合、自己憐憫に至るだけの知的能力がなくて、自己憐憫を生めるだけの知能が生まれる前に、好きな列車や散歩の世界に連れ出されて楽しかったので、そちらに注意が向いて、親もそれで伸びているようなので、調子に乗って+将来、親が亡くなったら施設に入所もありえるなら、今行けるとこにガンガン行かせて、一生のうちに楽しかった思い出を作っておいてあげよう!という方針で、お金がさほどはかからない程度に(お財布に優しく)連れ出していたら、いつのまにか自己憐憫よりも楽しい世界を優先する子が育ってしまったわけです。

息子の場合は、とくに自己の意志力が強いんじゃなくて、単に何も考えていなくて、親も将来の悲観的なところはあんまり考えていなくて、『とりあえず楽しい思い出、お金をかけずに作っとこ!(将来の治療費を貯めておかないとならないから)』な方向性でいっていたら、こうなったというわけです。

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智ママ

浅見社長
医学的に見て、心疾患も軽くはない多発奇形生まれの子が、5歳までに重度から中度に移行して、7歳でも中度をキープしている事例は珍しく、息子ただ一人なので、
『何で生きていられてるかわからない事例』の0歳児→とりあえず多発奇形としては上出来な重度知的・発達事例の3歳児→多発奇形初の中度知的・発達事例となった5歳児→ありえないレベルでの小学校卒業内定した、中度知的・発達事例である7歳児
と、医学的な多発奇形のあるべき(よくある)規定路線を、ほぼ木っ端微塵に爆破しながら進んでおります。

「この血中酸素濃度の値で、器質的障害もあるのに、まともに発達が進むこと自体、奇跡です!遺伝子異常もあるのに、言葉で交流ができる事例は、初めてです!!」と看護師はじめ医療スタッフから珍しがられています。
このままで終わるのも何かもったいないので、いけるところまでいこうかな。と思っています。

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シア

生まれつきってどこから?
と言う社長の問いかけがあります。

そもそもが「なぜ生まれつきなのか?」を紐解いていく必要があると思います。
原因も多様な症候群と考えられるので、「生まれつき・生まれつき」と連呼するのは、何故なのでしょうか。

その答えとして考えられるのが、「親のせいではありません!」と言う考え方です。

考えてみれば、お子さんに菓子パンばかり与えていて、「栄養じゃねぇよ。」と言っていたらおかしくないですか。
また、「冷蔵庫マザー」と言うと、ヒステリックにアレルギー反応を起こして、その考え方を叩き潰そうとする親御さんがいます。
しかし、環境も関係しているのならば、親御さんの態度が影響しないと考える方が不自然ではないですか。
冷蔵庫マザー「だけ」が原因ではないにせよ、お子さんの顔をしっかり見ないような親御さんが実際にいますし、そのようなケースも見たことがあります。
それ「だけ」が原因ではないにせよ、冷蔵庫マザーと言う考え方を叩き潰そうとしたところに、「黒幕」の親御さんがいることでしょう。

そのように考えていくと、「一切」親のせいにしたくなかった親御さんの姿が見えてきます。
発達障害は一切親のせいではない…そう考えると、すべてが子供側の原因に帰結しなければならなくなるわけです。
そうなると、子供には責任がないわけですから、「生まれつき」と考えるしかなくなってしまうわけです。
生まれつきの部分「も」あるし、環境の部分「も」あるのに、そういう議論をすっ飛ばすのは、「発達障害の原因に関して、一切責任を取りたくない親心」が存在しています。

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智ママ

シアさん

これは親としては偏った考え方かもしれませんが、『親のせいもある』と認めてしまうと、
姑さんや舅さんや小姑から「アンタのせいで一族の子である〇〇がこんなに可哀想なことになった!アンタのせいだ!どうしてくれる!」と、障害児が生まれたことで、我が身や我が一族が障害児の家系と見なされ、一族の子が条件の良い婚姻を結べる確率が下がった現実に対する腹立ちを、全て、一族内では劣位である、いわゆる新入りの、出産後+育児中のお嫁さん(発達障害児ママ)が責め立てられて袋叩きにあう。という現象が巷で容易にみられることになります。

自分達、父方の遺伝子にも、発達障害を招く遺伝子はあるはずなのですが、そこは棚にあげて、身内可愛さで発達障害の子は守りたい、でも余所者である嫁は攻撃して障害児が生まれた憂さを晴らしたい。という、夫方親族によく見られる、セコい攻撃心理です。

障害児を抱えて、簡単に働きに行けないママさんにとって、障害児ごと夫一族から追放されたり、夫から離婚させられたりするのは、その後の生活リスクに繋がるので、『親のせいもある』『育て方の問題もある』と指摘されることを、ママさん方はとても嫌がります。生活レベルの負担とリスク増しか招かない結果が多いからです。

多くの男性は、ここに気づいてなくて、
不用意にその人(男性)にとっての事実と思えたことを、育児ママに告げて、警戒させて心を閉ざさせてしまい、発達児ごと治る方向から遠ざけてしまいます。

そこで、母親は必要以上に『子どもの発達障害は先天的なものだから!』の理由にしがみつくわけです。自分が責め立てられないで済むからです。

子どもは健常児でも手がかかる子は手がかかります。発達障害だとなおさら手がかかります。
ウチみたいに、ある種の医療ケアも必須な子だと、なおさら手間がかかります。

母親が一手に育児を担っていて、家事負担も母親にきて、更にマトモな子どもに育てろ!というのは、かなりしんどい仕事になります。
そして、母親に持病があったり、世話をしないとならない家族がいたりして、簡単にはパートにも出られない状態の場合、なおさらハードルの難度が上がります。
潰れないようにするために、あえて自己保身に走っているママさんは、わりと多いと思います。

一部の、それらの条件に負けない、潰されなかった気の強い、発達障害を負った子どもの苦しみを取ってやりたい気持ちが強い、母性愛の強いタイプのお母さんのみが、そのトラップから逃れて、発達障害の改善に取り組めるようになります。
そんなお母さんを引き当てることができたお子さんは、とってもラッキーなケースです。

母親を警戒させずに、いかにして発達障害の改善手法にも手をつけられるようにもっていくかは、とても大きなスキルかと思います。

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シア

智ママさん

こんにちは。
確かに、ただ無遠慮に事実を申し上げても仕方がないのは考えられます。
全てのケースではないにせよ、脳を調べてどうこうない人も多く、そういう場合には親御さんの接し方とか、そう言ったものが大きいのかなと思ってしまいます。
心身に重複した障害があったり、顕微鏡レベルでも、何かみられるお子さんもいらっしゃるでしょうが、その場合発達障害から除外され、何かの難病にカテゴライズされてしまうのです。
そう考えると、(生理的原因の特定されていない)「発達障害」だからこそ、治る余地も多いのに、生まれつきとなってしまう。。だから治らないという循環がありますよね。
無神経を押して申してしまいましたが、例えば自閉症と言われていた人でも、原因が分かった方はレット症候群のほか、22q11.2欠失症候群など…の人がいます。
感情的にセンシティブな話題であったことは、自戒しようと思います。
ありがとうございました。

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智ママ

シアさん
私は、特に発達障害児の母親の代表者ではないので、主語を大きくとるつもりはないです。いち多発奇形児の母親に過ぎませんので、差し引きで読んでいただければ嬉しいです。

よく聞かれる話として、障害児を授かったときに、夫方の舅姑からよくて絶縁、悪いと『母体ガー、畑ガー』で夫一族型のメンバーが、出産直後の母親を責め立てて、産後の肥立ちを悪くする上、両家の関係も悪くなり、母親が出生した障害のある赤ちゃんの受容もままならなくなり、その子の育児放棄や治療放棄に繋がり、良い結果を産まない。という事例を、NICUで、心疾患の息子の世話をしているうちに、看護師が噂し合う各母親の話が耳に入ってくる環境にいました。

発達障害は、早いと生後1年半ほどで発見される事例もあるので、その頃に「うちの家系にこんな子はいなかった!あんたの家系のせいだ!どうしてくれる!」と互いの家系を詰り合うご家族も、残念ながらあったかもしれないですね。

わりと多くの父親が、心理判定や発達診断で、我が子が発達障害・知的障害だと知ると、はらはらと涙を流されるといいます。
やはり、世間の波をそれなりに泳いで渡ってきて、その厳しさを知っているだけに、我が子の行く先が心配でたまらず、暗澹たる気持ちになるのかもしれませんね。

それは勤務歴があれば、母親も同じです。
勤務するには、どれだけのことができていないといけないか、何が求められるか、知っていて、その閾値に我が子が簡単には行き着けない、相当に訓練しても、そこには行き着けないかもしれない、そんな子を授かったとわかったわけです。

治す手法は、西洋医学的には確立されていなくて、玉石混交状態の怪しげな療法や東洋医学的手法が、スマホやパソコンで検索しているとわんさと出てくる。
我が子は良くしてやりたいけれど、よく知らない手法の療法に手を出して、失敗したら、子どもの時間もお金も返ってこない。けれど、試さないと最初には進めない。

将来のわが子の生活費を削って、無駄な治療法に、貴重な時間とお金をかけているだけで終わってしまうかもしれない。
今、下手に手を出さずに貯めておけば、一ヶ月二ヶ月は家族の食費や生活費がまかなえるだけの費用を、どこから工面するか。費用対効果はあるのか。

そこらを綿密に計算して、「それでもやりたいか?子どものために、やるだけの価値はあるか?」と自問自答し、夫婦で相談して、する。と決断して、ようやっと本を買ったり、療法の講座に出てみたり、勉強会に出席してみたりするわけです。

治すために必要な、このハードルを超えるだけの体力・気力・経済力がなくて、ハードルの前に立ち尽くしてしまう親御さんもいます。ハードルの高さに回れ右してしまう親御さんもいます。
ここは、人それぞれ個人的な事情があるので、一概に『ケチ』とか言ってても始まらないのですが、単純に『治さないこと』を選んでいるわけでもなさそうです。

治ってきているこちらからすると、治さないでいることのほうがリスクが高いので、「早く治したらええのに」と思うのですが、私は治す道を選ぶ前にかなり逡巡したほうですので、一概に治さない派の人はつまらん、と十把一絡げにくくる気にはなりません。
むしろ、「どのようにすれば、その心理的なハードルを下げて、こちらの手法に取り組みやすくなるだろうか?」と考えます。

もちろん、一定の水準を維持するには、経済的なこともあり、一定の講座の価格はその集団の担保となります。最低限の会費は、必要だと思います。

一方で、その価格を払っても、お釣りが出るほどの、費用対効果の高いものを提供できているかどうかが、その後の一連の本の売上や講座の長続きがかかってくる要素になると思っています。
本当に治したいご家庭の親御さんは、遠くまででも、発達障害があって移動に困難がある子どもを連れてでも、出かけていくからです。

そこらへんの親心は、わりとそこそこの親御さんにはあるので、よほど子どもを「発達障害だから、何やってもとおらない。何やっても無駄、手間とお金ばかりかかる。」と半ば育児放棄している家庭でなければ、ある程度はこちらの呼びかけには耳を傾ける人はいると思います。

「子どもの行動は母親の態度や育児方法が誤っているからだ」という趣旨の『冷蔵庫マザー』発言は、
「プロの保育士は8時間、子どもの育児に特化して、資格をとるまで勉強して働いている。家政婦は、8時間、家事遂行に特化して、プロの研修を受けてから各家庭に派遣されて、それで働いている。どちらも8時間で、それなりの人件費を稼いでいる。

一般の母親は、無償で、プロの保育士並みの育児能力と、家政婦ばりの家事裁きの能力を、一人の人間に、一日24時間、一年364日連続の休日なしで兼任要求される。しかもそれを無償で、ただの素人が、一日の睡眠時間がよくて3時間レベルになりながら、見様見真似で行っている。出産後で馬力の利かない身体で。

発達障害児の母親の場合は、それらの条件に、療育保育士としての役割もプロ並みにこなすことを要求されて、それを兼任しながら家庭で無償労働している。
医療ケアの必要な子どもの母親は、それに在宅看護師としての役割も求められている。もちろん、無償で。」

ということを全く無視して、むしろそれよりも『それらが24時間364日こなせて当然のこと、できないのは【無能】』として、家事も育児も手伝わないで、自分の10時間の労働のための休息取りも補食も、風呂も、全部自分だけは済ませて当然。母親?それが仕事でしょ?こっちは生活費を稼いであげているんだよ?としている、昔はよくいたパパさん達の放置の視線が、ベースにあるような気がします。
(我が夫『智パパ』は、そういうタイプの男性ではないので、妻の私はとても助かっています)

あなたは、それらの当事者・当事者の家族の抱える問題解消のために、何をしているの?問題点の指摘だけ?
それらの問題点に対処する手法は?
その手法の改善率はざっとみて何%?
いくつぐらいまでの当事者なら、その対応する手法は有効?
大荷物を背負わされて、潰れそうになってる母親をさらに追い込んで、何が楽しいの?(子どもに親切に接するために、時間的・気持ち的ゆとりを生むだけの、休息や頭の整理、有効な対処法の情報が母親にはほしいのよね・・・)

自分が視点が鋭い・頭いいアピールしたいだけなら、何処かへ行ってもらえます?
状況は指摘しても、当事者とその家族の間で根本改善されなきゃ、一家の生活の質や当事者の人生の質は、元の木阿弥なんですよね。指摘はありがたいけれど、それだけでは何も変わらないですよ?
指摘が相手に入って、なおかつその指摘で『自分が変わろう』と思えるほどの状態が、そのアドバイスによって導き出せなかったら、その相談は時間とお金の無駄に終わりますし、クライアントが心を閉ざしてしまうと、もうその後は何を指摘しても馬耳東風になるだけで終わりますよね?そこは、どう思われます?

と矢継ぎ早に質問して、そこで役に立たない解答しか返ってこなかったら、母体の維持(長期の連続無償労働に備えての休息時間を作らないと、身体が保たない)のために、その対処法もなく指摘だけしてくる人を(多くは専門家の男性陣です)
切り捨てたくなるかもしれないですね。

何が言いたいかというと「虐待への対処法とよく似ていて、発達障害児の処遇改善をさせたいなら、まず親を味方につけないと話にならない」
「小学生の教育法と似ていて、むやみやたらにスパルタ方式で問題点を矢継ぎ早に指摘しても、相手の心に届かなかったら、そのアドバイスは、その後、一切受け取ってもらえずに終わる。先生は、生徒から、尊敬する態度をキープしたままでの沈黙や従順という、無償の高い下駄を履かされていることを自覚して、愛をもって技術に抜かりなく教えないといけない」ということなんです。

父親が、どんなことを思って、我が子のことや我が子の将来を憂いているか。
母親が、どんなレベルの生活を送りながら、子どもと接して育てているか。
そして、家計を預かる身として、どれだけの心理的なプレッシャーと葛藤しながら、その療法家や、アドバイザーに支払う費用を工面して、実際に申し込んだか。
そこらへんも織り込み済みで、アドバイスや療法を提示して、相手に受け取られる指導の型も雛形はできていて、ちゃんとそれが子どもの環境改善に繋がれているか、それに確信がもてるか。

そこまで細やかに対応できている、講師の方や、アドバイザーの方は、多くはないと思います。
費用対効果は、バシッと鋭く問題点を指摘してあげることだけではなく、そこらへんの細やかさにも、現れてくると思います。

花風車クラスタは前向きで頑張る人が多いので、多少厳しいことを言われても『ありがたい』と受け取ってくれて、それを活かしていってくれるタフな人だけが生き残っているため、意外とこの原則がわかりにくいのですが、前向きになる前の段階で、ためらって、くすぶっている人も多くいます。

私は、他のSNSでは、Twitterでは書けない長文で、そのまま『発達を治さないと、どんな人生が、その子に待っているか』(育成級の小4ー支援学校の中等部→B型作業所まで)を、そのまま書いて、
それに対して対処法として、将来、治さないと最低いくらぐらいでやりくりをするか。治してレベルアップしたらどれだけお子さんの収入が上がり、どんな暮らしになるか。親御さんはもし治さないなら、いくらぐらい子ども一人の生活費を準備してあげたらいいか。を、書き込んでいます。

お金の面で『発達を治さないと、金銭的にデメリットが増えるばかり』だと指摘すると、さすがに、このままじゃ危険だ!と気づく人が一気に増えたようです。

『冷蔵庫マザー』で、発達を治そうとするお母さんが増えるならば、それでも良かったのですが、第三者的視点で、蝶の採集のように他人事の指摘をしても、それは何も変わらず、むしろ家庭の支えとなる母親の態度が硬化するだけで終わりそうな指摘だけで終わるのがもったいなくて、私のそれに対しての問題点提起をしてみました。

シアさんだけでなくて、アドバイスに関連する業務でご飯を食べている方にも、知ってほしいことを、あえて感情的に書きました。

産後の女性は、ハードな育児と家事の両立でボロボロで、ホルモンバランスも崩れるため、『産後の女性は、手負いの野生動物と同じに扱うのが良い』といいます。
まだ治っていない発達障害のあるお子さんを育てているママさんは、手負いの状態がそのぶん、長く続いているわけです。

その視点を忘れず、アドバイスをする状況に生かしてほしいと思いました。

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シア

拝読しました。
ご丁寧に解像度の高いお話をしていただけたおかげで、状況がつかめてきた気がします。

私から申し上げられることは、B型作業所の工賃は時給100円であり、定員もあるため多くの人は毎日働くことができません。
他方日本の本来の最低賃金は、1000円を超えています。
物価高の状況で、厳しい生活を余儀なくされるでしょう…恐らく障害年金が無拠出でいただけても月7万円ほどだと思います。

ですから、結局生活保護の方が増えると思います。
その場合月10万円ほどになるかと思います。
しかし、生活保護と年金の併給はありませんから本当の本当に7~10万円の暮らしです。

これがもし、障碍者雇用で働くことができたら、最賃1000円は保証されますし、スキルによっては健常者並みに稼ぐことができます。
ただし、契約社員となることが多いですが、特例子会社などでしたら、長期間働くことができます。

玉石混交ではありますが、フリーランスで作業をすると、内職程度のお金にはなります。
作業所に行くより、手取りはいいでしょう。

B型作業所でよく覚えているのは、「利用者」は時給100円だが、支援者は時給1500円だと言うことです。
お金の話になりましたが、私に提示できる情報はそのような性質だと思われましたので付記した次第です。

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智ママ

シアさん
現実の金額を教えていただいてありがとうございます。

今、小4の息子の通う育成級(小学校の支援学級)では、一時期A型作業所ゆきのための接遇マナー訓練を行っていたものの、不景気が続いてA型に精神障害者や高等支援学校からのエリート組が降りてくるので、確実な進路を提供せねば!と教師側が思ったらしく、B型に特化しつつあるカリキュラムを混ぜる率が多くなってきました。

「B型に行っても、週2週3で月収2,000−3,000円がいいとこですよ!それさえも、発達だけのお子さんが降りてきて埋めてしまう。だから、息子さんみたいなもっとハンディのあるお子さんは、確実に指示に従えて、確実に定時の時間で作業できるようにしておかないとなんです!」
と支援学校勤務経験5年はある担任教師が力説していました。

問題は、息子が多発奇形に心疾患、器質的障害ありの生まれながら、
奇跡的に経過が良くてB型に行けルレベルに育ったとして、持ち出しになる費用負担✕50−60歳までの生活費と医療費を、まるまる実両親だけが負担するのはとうてい無理だということです。
そしてそこは、『各家庭の裁量と経済的事情による』ということで、小学校は一切考慮しません。

教えればA型も狙えるレベルの子ども、と小2小3で指摘された息子でしたが、今、ここになって全体的に安全牌を狙って下にスライドさせる。という現象が、公立小学校の公教育における、特別支援教育の現場で普通に起きています。
そこには、将来の就職率のみ追いかけていて、将来の教え子の生活の質のレベル(経済的なこと)は、一切考慮されていません。

それじゃ息子だけじゃなく、他の発達だけのお子さんのご家庭が危険だろう!と思い、あえて下品と蔑まれるリスクを犯しても、実際にかかってくる金額の情報の開示と、将来にかかってくる金額の算定のための各作業所に通えたときの実働日とその結果の給与についての記載も始めました。
『まだ小さいお子さんを持つ親御さんが、保育士や療育園保育士などの支援者の甘言を真に受けて『無理をせず』『あるがまま』の言葉にそのまま乗っていたら、こうなるよ?親御さんの準備しないとな金額は、用意できますか?用意できるなら、無理に発達を治さなくてもいいのですが?』というものです。

たいてい、多くの小さいお子さんの親御さんは仰天して、目からウロコになられ、発達を伸ばすための取り組みに真剣になられるようです。

具体的な数字と、考えさせるための情報を提示し、「治さなくてもいいけど、これぐらいの金額は準備してね?」と予め知らせることは、それだけの効果を出しました。
情報と考え方の手立てが足りてないだけで、お子さんを可愛く思っている親御さん、経済的に子どもに自宅に居座られると困る親御さんは、早くから対策を立てて、子どもが自立できるように発達を促すことを選んだようです。

我が子は、発達を治しても治しても、理想的な普通の健常者レベルにはなりません。ほぼ、わからなくなるくらいまでなら、発達を伸ばして教えていけばいけるかもしれません。
「息子さんみたいに、生涯誰かのお世話になって、一生福祉と関連付けた生活を送ることになる子は、お勉強よりも、しっかり基本を教えていかないと、詰むんです」
と小3の夏休み前に、担任教師が私に宣告しましたが、私は諦めが悪いので、話半分で覚えています。

発達だけの子なら、まだ社会に容易に飛び立てます。そして、自分の人生をデザインしていくこともできます。
私は、そのための情報を提供しただけです。

息子の指導や子育てには、絶望はしないで、コツコツできることを増やしていくことで対応枠を広げていこうと思っています。

以上、現在の支援級で行われている指導内容と、それに関連した問題の提起でした。

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智ママ

24時間364日と書いたのは、誕生日または元旦の日は、母親が家事から半分免除されて12時間労働レベルの楽さ(通常の乳児〜幼児育児は16時間労働で、2〜4時間が自分の身の回りのこと、残りが子育てのための調べ物の時間+勉強と睡眠です)で済むかな?と思ったからです。

男性にわかりやすく例えて言えば、乳児の子育て中の母親は、1日16-19時間労働の超絶ブラックな職場(残りの時間が、身の回りのことと睡眠時間に使える時間)で、給料が生活費+養育費きっかりしかもらえてない状態。と書けば、とてもわかりやすいかと思います。

多動や睡眠障害のある発達児育児をされてるママさんだと、以上の条件より毛の生えたレベルでマシになったかな?くらいの生活しか子どもさんからさせてもらってないので、精神や肉体が崩壊する寸前で生活と育児を回しています。

発達が改善しない限り根本解決はなく、根本解決のためには時間と子どもに向き合うゆとりを、最低でも数ヶ月は連続して、その生活ルーティンからさらに捻り出さないとならない。という、課題のパラドックスで限界を感じて、それで挫折する人も多くいるようです。

幸い、今は療育整体がありますし、花風社の本はひどく難しい表記はないので、育児中のママさんに心理的な壁さえなければ、家事育児の合間に読めます。

私が、2歳の頃の、息子のケアと、感覚過敏からのパニックに振り回されてヨレヨレだった頃と比べたら、
7年で息子の状態も、身体的アプローチ各種も、本当にいい方向(育児に奮闘している時期のママさんでも手軽にできる方法)に変わってきているので、治りやすくなってきてよかったなあ。と思っています。

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シア

こんにちは。
最近は2~3日に一度は外食をして、定食など注文して食べています。
色々食べられるものが増えたことと、実際に食べてみて驚きもあります。
私が好んで食べるのはだいたい1000円~1200円くらいであることもわかりました。
それ以上出して食してもあんまり自分にはそこまでの味はわからないな、と言う感じ。
またドローンを新しく購入しました。
こちらは20万円弱のもので、私は道楽で買うものは20万円以下と決めてます。
と言うのは20万円以上するものを買っても、自分にはちょっとよくわからない世界になってくるので。
という訳で、自分では2・3日一度の千円コースのランチ、道楽は20万円まで。
これくらいが自分くらいの人間には「ちょうどいい暮らし」だと考えるようになりました。

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シア

こんにちは。
「治る必然性」ってどこにあるのかなと思います。
治ろうとする人がいて、治そうと言う人がいて、それは生じてくるわけです。
治らないと不都合があるからかもしれないし、そうでないかもしれない。
国立の研究所で、「生物学的精神医学」と言う分野が隆盛してきて、「動物精神」などと言う用語も使われます。
人の形をした動物と言う意味で、倫理的には危ういものの『拳獣』なる言葉も発生しています。
考えてみたら、精神科病院の奥深くに入れられているときって、まともな人間扱いされていませんでした。
「痛い」とか「苦しい」とか訴えられるようになって、「それくらいの人間ならば」と「檻」から「個室」に移してあげようと言うような感じだったんです。
人間的な感情・心情を持ち、人間的な言葉を話せるようだと、人間扱いしてくれるものなんですね。
私は治って、人間扱いされたとき、人と人とでやっと通じるものがあったと思うんです。
仕事を始めて、自分は雑談は苦手だけど、仕事のお話ならわりきってできることがわかってきました。
この能力を活かして、社会でヒトとしてやっていきたいと思っていて、それは両親まで脈々と人間社会で生きてきたDNAがあるし、何より人として扱われたいと痛い目を見て常々思ってきたのでした。
昔、ニキさんと藤家さんの道を分けたのが、「動物の姿」「人間の姿」だったと思います。
ニキさんがもし日本社会に馴染んで生きていくことができたなら、藤家さんのように「人間の姿かたち」を選んで、そう描いてくれるように画伯に頼んだに違いありません。
ここではニキさんの複雑なご事情には触れられませんが、マイノリティとしてもヒトとして人間らしく生きていこうと思えなかったのはそれは不幸なことなのかもしれません。
それじゃぁ、自分自身はどうかと言うと、日本社会に生まれ、日本人であり、そもそもその風土で長い間人間として生きてきたDNAがあり、人として扱われたいという感情も精神科病院の奥深くで芽生えて、その気持ちがわいてきた…ならば、治って人として生きていこう、責任感も持ち、もし過失でも罪を犯したら負えるようにしたい。
だから私は精神障害は手帳所持を止めたのでした。
そして、社長が裁判で勝って、「責任を負わせたかった」と言うのも、なるほど相手を人間扱いしてくれる社会にしてほしくて、そのように至ったのだと考えるようになり、やっぱり治りたいと思います。
治るのは人としていきたいからであり、それは人権を与えてほしいからであり、そうやって社会の中で生きていくことを私は選んだのでした。
だから今後も生物学的精神医学で「動物精神」とか「拳獣」と言われてしまわないように生きるのが私の努めです。
それがうまくいかなくて、人間らしくなかったこともあるのだけど、私は人間のように生きていくことをずっと考えています。
そのために自分を特別な○○と考えるのではなくて、普通の○○、普通の人間と言う意識でいることにしたのでした。
自分くらい、拳獣になんどもたとえられた人間なら、「普通」をもっと意識していいと思い反省します。
自分を特別扱いされたくて、承認欲求から発達障害当事者活動などやりたいと思ったことに関しては、今は否定的な立場でいます。
そんなのはまだまだ、人間扱いしてくれる、ちょっと変わった人間の甘えだと思います。
檻に入れられて見て、人間っていいなと言うことを覚えました。

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智ママ

シアさん
私はまた、違った立場から、似たようなことを思う体験をしました。

最初、息子は3歳で重度知的・発達と心理判定されて、それまでどおり、言葉のない子として受診時に扱われていたのですが、徐々に言葉が出るようになってきて、それに合わせて、人間らしく語りかけたりする受診時の対応に変わっていきました。

幸い、5歳で中度知的・発達と心理判定されたので、それを心臓医師に報告したところ、対応が目覚ましく変わって、それまでは『頑張っても福祉の域を出ることはない、気の毒な子(重度)』だったのが、『社会の片隅に出るかもしれない、一員(中度)』として、より人間らしく扱ってもらえるようになりました。

言語がある・意思疎通ができる・おむつが外れている、ということは、それだけ人間として扱ってもらえるチャンスを掴むことだと、医療スタッフの周囲の対応の違いから、気づかされたんです。息子をより人間的に扱ってほしかったら、もっと発達を伸ばして良くしてあげたほうが、より人権の守られて配慮された扱いをうけることができる、と。

そして、健常児と比べたら、月とスッポンレベルの微々たる歩みではありますが、徐々に発達が伸びて、遺伝子異常由来の器質的障害もある多発奇形児の事例としては、医学的にありえない!といわれそうなほど伸びた息子です。

遺伝科の医師が、これは珍しい経過を辿っている、ということで、「ぜひ、毎年神戸に来て報告をしていただきたい。僕も息子さんの自家に接して、大変勉強になります」との依頼があり、今年も9月に、神戸にある兵庫県立こども病院に、遺伝科の受診に行くことになりました。
ついでにポートアイランドで、3人で、毎回恒例の、中華バイキングに行ってこようと思っています。

治ると、医療スタッフからも、学校関係者からも、療育関係者からも、人間扱いが受けられるので、「本当に治ってよかったな。その場その場にふさわしく振る舞えたり、言語が操れたりするって、社会生活を送る上で、大切なことなんだな。」と思っています。

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シア

「平家物語」も読んでみました。
現代版ですが、史実をもとにしている物語である点で、「源氏物語」などとは違っていました。
大昔三国志を読んだことがあって、水滸伝より面白いと思って引き込まれたものですが、そのような関係にあるのかもしれません。
敦盛が熊谷次郎直実に討たれたとき、無常だなぁと思いました。
西洋では、このような考え方をメメントモリと言うそうです。
そう考えると、平家物語はガリア戦記などと比べることもできる傑作だと思います。

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智ママ

シアさん
私は『小宰相の身投げ』が印象的でした。
母親になる前は「恋人の死を聞いて海に身を投げるなんて、小宰相にとって、よほど大好きな人だったんだね」と思っていましたが、妊娠して「・・・いや、いま夫が戦死したとしても、お腹の中で心拍測定装置から逃げ回る、この子を自分と一緒に殺せんやろう?」になり、息子を帝王切開で取り出して育ててみて「小宰相、妊娠中期でまだ胎動がなかったのかな?」などと思うようになりました。

小5の頃から、辛い現実を逃避するためにハマって読んでいた平家物語ですが、年を経るごとに、各キャラクターの見え方が変わってきて、面白いです。

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シア

昨日、『アルジャーノンに花束を』という小説を読みました。

多くの人が自分と重ね合わせて読むと聞いていた小説ですが、傑作と言われるだけに非常によくできていました。
小説でも散文でもないけれど自分が社長にもお見せしたノートのことをちらっと思い浮かべたりもしていました。

あのノートもそうですし、ロールシャッハ検査なども何がわかると言うと集団一致度GCRと言う数値でもってコンピューターが解析します。
連想された結果はデータ上にプロットされその人が集団の中でどのような位置にいるかわかるのです。
小説と研究が異なるところはなんでも一旦数値に置き換えて考えるということで、それによって客観的なものになるんだそうです。

無機質に人間や動物を類型化したりするのはあまり関心はできませんが血液型がわかるようなものかもしれません。
そうやって例えば集団一致度(GCR)を調べていった結果、特性を持つ人が徐々に明らかになり、人為的に自閉症のお猿さん(小説ではネズミのアルジャーノン)が作られて、その神経を調べたらその特性を持った人の特徴に一致していたというのが、現在のところまでの研究の結果です。

『アルジャーノン』と違うのは、現代はこのような数値解析のコンピューターが発達していることです。
また、もしネズミの知能を上げるのならば、そのネズミも主人公と同じような条件でなければなりませんが、小説ではそこら辺があいまいです。
もちろんフィクションなのでそういうところがあるのは当たり前ですし、また現在でも脳をアクセラレーションするような外科手術は実用化されていません。

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シア

私は機械やドローンを操縦するのが好きなんですがお薬を止めたかった理由の一つに機械の操作があります。
お薬を飲んでいると機械の操作は禁忌となっていることはご存じでしょうか。
社長が無人のレジの話をよくされています。
今でこそまだセルフレジの使い方にとまどう人がいますが、そのうち普及してだれも戸惑わなくなるでしょう。
銀行のATMと同じです。
そしてATMも今はネット銀行の時代で残高確認も振替も入金もパソコンで確認ができます。
それでそういう機械が増えていっても増える仕事があってそれは機械のメンテナンスや調整のお仕事だと思います。
機械を扱う時にお薬が入っていると頭がぼんやりするので事故のリスクが上がります。
医療の現場でさえ手術の補助ロボットやナビゲーションシステムが使われるようになっているので医療従事者でさえお薬は使いたがらない時代なのです。
お薬を飲み続けている人は機械の操作で誤字脱字も非常に多くなりますのでそれだけでもマイナスに働きますね。

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浅見淳子

シアさん

語学の勉強しているので薬を抜きたいという人もいます。
そして診察のたびに医者に何かありますかと言われて何か話すと薬が増えるので、何も話せなくなってしまったそうです。

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シア

社会参加とは何かと考えた場合、「スタッフルーム側の人間になる」ということが言えると思います。
これは自分の経験から言えることですが「お客さん」でいるうちは職員室やスタッフルームに立ち入ることはできません。
コンビニなどの商店でもデパートや宿泊施設その他「スタッフ以外立ち入り禁止」「関係者以外立ち入り禁止」のエリアが存在しています。
職場を持ち「スタッフ」「関係者」の側になるのが社会参加だと考えていいと思います。
自分のような人間でも邪魔されたくない時は部屋の入口に「作業中」と札を出していますが飲食店でも「準備中」とか「休憩中」とか「営業中」と出していますからそれに似ていると思います。
もちろん外部から招聘されて控室を使っていたり楽屋で待機する人もスタッフです。
「関係者以外立ち入り禁止」の中で「関係者」である場所を見つけていくのが社会参加だと思います。

大昔親が高島屋デパートの服飾の仕事をしてましたが連れて歩かれても「ここで待っていなさい。」とスタッフルームの外で待機させられたものでした。
大学生になって初めてバイトをしたとき高島屋デパートの裏側のエレベーターを使わせてもらいました。
地下の搬入口を見ることができて「デパートの裏側ってこうなっているんだ」と感心したものです。
外商を従えた母親でさえ「スタッフのエリア」には決して子供を入れないものなんです。
一般にどこの職場でも託児所があればそこに預けるように保育所や幼稚園に預けられます。
職場で仕事をしない限り仕事場を目にすることはほとんどありません。

作業所はどうかと言うとB型作業所に通っていた時はスタッフルーム(職員室)と作業場が分かれていました。
なのでこれは利用者であり完全に「お客さん」です。
A型の作業所はだいたいスタッフルームが明確でなく従業員と言えそうです。
特例子会社や障碍者雇用でも社員のスペースで勤務することができます。

働くとか社会参加するというのは営業したり従業したりすることでありそのために「関係者以外立ち入り禁止」のエリアに入ることができる「関係者」になることだと思います。
ゲストではなくホストになるということがおおむね社会参加だと考えることができるのです。

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智ママ

昨夜、お風呂にお湯を張りながら、「息子。お風呂のお湯がどれくらい入っているか、見てきてくれない?いっぱいだったら10として、7か8くらい入っていたら、すぐに教えてくれる?」と言って息子を浴室に送り出すと
「おかあさーん!いっぱいだった!」と言いながら、走ってやってきました。

何回訊いても『いっぱい』としか表現できないので、しかも慌てているので、
諦めてお風呂の浴槽を見に行ってみると、お湯が満杯で溢れていました・・・。

「・・うん、確かに、『いっぱい』だったね・・・」
「これは、10だわ」
容器に入る水の割合が理解できるかな?と思っての設問でしたが、現実のほうが設問レベルを上回っていた、ということでした。

「息子の知的レベルが4歳児くらいになるのは、いつかなあ。」と思いながら、お湯をたくさん使って頭と体を洗わせた夜でした。

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智ママ

息子が4歳の頃、父親(智パパ)が高島屋のなまはげを見せに連れていきました。
「悪りぃ子は、いねぇがー?」「うぉーー」
本場から出張私的た大きななまはげに、息子は恐怖で泣き叫んで、「お前はいい子だな。よし、これやる」と手桶から飴ちゃんをもらっても、ずっと泣いていたそうです。

そして5年後。
まだ、なまはげ効果は薄れていなくて、「早く寝ないと、なまはげ来るよ?」と、息子の連続のお喋りに疲れた九州人の母親がポソッと言うだけで「寝ます!」と即答して、布団でじっとする小学4年生です。

「お母さん、なまはげ、飼いたいんだけど。180cmだと大きすぎるから、15cmくらいのでいい?」
「ダメー!」
「なら、5cmくらいので我慢する」
「ダメ!飼わないで!」
「2cmのでもいいけど、お部屋の中失くなっちゃったら可哀想だしねぇ。」
「う〜ん、ならいいや!代わりに担任の〇〇先生、お家においていーい?」
「ダメー!」
「なら、5cmサイズの〇〇先生は?」
「ダメー!小学校に返してきなさい!」
「え〜?ごはんもあげるし、お風呂もいれるし、トイレの掃除だってするし、お布団で寝させるから!」
(ほとんど子猫を拾いたい子どもな母親)
「ダメーー!〇〇(ぶぶ漬け市の隣の市でお茶の有名どころな土地)に、返してきなさい!」
「…僕は、もう寝ます!」
と言いきって、本当に寝た息子でした。

さすがに秋田の民俗学における訪問神の購入(どこで?)と在宅での設置の許可は出ず、ミニチュアの担任の先生を創り出すわけにもいかないので、あくまでお話だけの話でしたが、息子が本気で制止していたのが、おかしかったです。

翌朝、このことを育成級への連絡帳に書いて提出すると、
『〇〇(担任の名字)は、なまはげと同等(笑)』『〇〇は精霊と同じ扱いですね(笑)』と苦笑いのコメントが書いてありました。

交渉で、拒否・回避のためなら必死で死守する体験を、就寝前に丁丁発止で行って、
翌朝、小学校の連絡帳でも笑いを取った息子でした。

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智ママ

浅見社長
たしかに、既存の社会の労働者モデルに近づけて育成する業務以外は、怒って脅して『上の人の言うことを聞かせる』ために訓練するだけ、なところがありますからね。

育成級だと、『教師の人間としての体験談を子どもたちに語る』なんていう人間的ふれあいは、殆ど見られません。子供の指導監督とお世話係で終わり、って感じです。

家庭内で「お母さんが子どもの頃はね、これがこうだったから、こんなにしてたんだ!」と体験談を語ると、中度知的の息子でも話を聞いていて、目がキラキラしてきて、『対 お母さん』よりも『対 かつての子どもだった、いまお母さん業やっている女性』としてみるという新たな視点が出てきて、非常に面白いのですが。

学校の現場って、もったいないことしてるなー、と思います。

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シア

身体アプローチを推す理由

以前身体アプローチを科学的に自分で解釈したこともあります。
ただそういう考え以外にもいろいろあり病院に入院しているようなお子さんも身体的アプローチでリハビリテーションを行っているのを知っているからです。

脳に明確に障害があると反射を始め麻痺や拘縮が身体に表れてきます。
こわばったり力が入らなかったりするのは脳に障害があると特に現れてきます。

従来は脳に障害があると治らないから打つ手がないというのが定説でした。
しかし脳には可塑性があります。

脳には「80%とか90%と言われる眠っている神経細胞」がありこれらは脳が傷を負うと迂回路になったり新しいネットワークになるためのバックアップと考えられる。
その理由として軽い麻痺や拘縮を起こした人がリハビリテーションを行うことで元通りに動けてしまいますから治ってしまう訳なんです。
非常に大きな脳出血とかなら後遺症が出る人もいますが細かなバグなんかは顕微鏡レベルで多くの人に見られます。
脳には眠っている「バックアップ」があるのでつなげることができるんですね。

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シア

いろいろな相談をこちらで目にしてきました。

他人は自分の人生に介入してきたりもしますがそれが大人になってくるとだんだん小さくなってきて自分の人生だから自分でどうにかしないと自分のやりたいようなことはできないと知ってきていると思われます。

自分で意思決定するとき他人の意見を聴いたりそれを参考にしたりもしますが仕事で専門的なことをしていて困難が生じたりするなどだんだんと素人さんの意見が役に立たなくなっていくことが増えていきます。
そういうとき「誰」に聞いたら答えが出るのかと言うことがまず第一に問題です。
発達障害の世界では例えば治さない医療の意見を聞き続けているのが悪い依存だと思います。

第一段階を経たら第二にはある程度自分で何とかすると腹を決めて試行錯誤を始めるタイミング到来です。
これは第一段階でいろいろな意見をいろいろな方から聞いているのでそれ等をもとに自分の経験や考えも投入して実行していく段階です。
ここに至ったら依存はもう邪魔でしかありません。

他人の意見も大事です。
だから人間には愛着があり人を求めたり人を助けたりするようになっています。
社会的な生き物なので愛着があるのは当たり前です。
そして意見を十分得られるなどして愛着が満たされると自分で歩いていけるようになるんだと考えています。
ただ最後は自分次第と腹を決めていくそれが「自立」です。

愛着の上に自立があり人生は知らない世界に入ったりしたらまた愛着を発動して助けられたり助けたりしつつまた自立していきます。
新入社員で先輩からお世話されたり逆に先輩として新入社員の世話を焼くのもそういった人間としての社会的本能が生かされていると思います。

そして「栄養療法」の問題も書いておこうと思います。
○○には○○と言う解決法(栄養素)があるのでただそれを入れてやればいい。。
これは自分で試行錯誤する余地がありません。
教科書通りやってうまくいかないから発達障害なのです。
健常のお子さんは育児書通りやっていて特におかしなことをしていないのにすくすく育っているでしょう。
この差は何なのかと考えたときに親御さんの自立度ですと大久保さんもおっしゃっています。
これは他人の意見(育児書など)をベースに足りないところを自分で試行錯誤する自立した親御さんたちが健やかにお子さんを育てられているということだと解釈します。

お祖母さまお祖父さまとの間でもいろいろあったろうとは思いますが関係が悪いなら自分が腹を決めて試行錯誤しなければなりません。
その時に試行錯誤しなくて簡単だから栄養療法を選んでしまって栄養療法(根本治療ができない医療)に依存してしまって治らないのではないかなぁと思います。

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シア

ふとしさんこんにちは。

多くの人が才能の開発に失敗しているのは一人で黙々と集中せざるを得ない環境を奪われているからだと思うんです。
発達障害の人に何らかの才能があるとするなら一人で時間を過ごさなければならなかったがために黙々と何かに取り組むことを覚えていったからだと考えています。
難関の国家資格を得るのはむつかしいことです。
小さな○○賞を取るのは得意なことを続けていったらそれよりもむつかしくないかもしれません。

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