さて、10月17日に行われたM・G・Pさん主催の高松講演。
読者のたにしさんのご尽力もあり、二年連続コロナ禍で不思議なほどつつがなく、そして盛大に行われました。
私が「どこでも治そう」の着想を得たのは2019年。
その年末にねこ母さんのご尽力により、「どこでも治そう」がスタートしました。
そして2020年、まさにコロナ始まる寸前の大阪で行われた「からだメンタルラボ」さんの講演に集ったのがこの高松講演の始まりです。
それまで四国は花風社不毛の地でした。
なんとか四国に足がかりが得られないか。
資金的な裏付けは「どこでも」で担保できる。現地事情(会場等)に詳しい方がいたら。
そう思って大阪講演後の饗宴の席で、たにしさんにお声をかけしました。
その結果、なんと二年連続お城の御殿をお借りすることができ(しかもそこでコンサートまでやってしまい)
とても有意義かつ楽しいイベントを行うことができました。
わらしべ長者方式ですが
何かことを起こそうとする人には、このわらしべ長者方式がついて回るというのは普通のことだと思います。
たにしさんは「どこでも治そう」のお部屋に「高松SOUL2021」をなんと三十一回にわたって連載してくださっています。
第一回目はこちら。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/660/comment-page-6/#comment-7527
そして第三十一回目はこちらです。
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/660/comment-page-8/#comment-7654
全部必読ですが、とくに第三十一回目は、障害のある(とされる)お子さんの親御さんと社会という関係性において、ひとつのロールモデルになるであろうと思う感動編です。
どうぞお読みください。
確固たるエビデンスをもって、社会はすでに発達障害を理解も支援もしているという認識を説明してくださっています。
その中で親の務めとして、お子さんを社会を支える側に育てようと決心なさったこと。
自分のおうちがひどい状態だったころ、出会ってご一家を変えた知見をなんとか地元に伝えたいと思ったからこそ奔走してくださったこと。
高い志をもって走り回ってくださったことがよくわかります。
たにしさんのご尽力には感謝感謝です。
誰もがたにしさんのように、社会の流れやデータを読むスキルと感謝する心の余裕を持っているわけではないし
全員にそれを無理強いする気などありません。
ただこういうことを、障害のあるお子さんの親御さんが表現する場は、今まであまりなかったのです。
それだけでも花風社のコミュニティは貴重だと思います。
さて、では私個人はこの二回の講演から何を得たでしょう。
実は仕事と関係なく、讃岐の地が大好きになりました。
穏やかな瀬戸内海、おにぎり山の数々。今年は最終日のドライブで私が「猫耳島」と名付けた二つの島を間近にみることもできました。
たにしさんと私が写真を撮っている横に、ロードバイクに乗った男性が二人。
どうやら自転車乗り同士、そこで知り合ったようでした。年をとってから始めたそうです。
私たちもこの一年の間に自転車の趣味にはまり、夏には緊急事態宣言の首都圏を離れ、あまり人の来ていない小豆島でライドをしました。
その後、高知にも「どこでも治そう」で呼んでいただき、高知も自転車観光に力を入れていることを知りました。考えてみれば四国の地は自転車旅行に向いているかもしれません。
花風社不毛の地だった四国に三回呼んでいただき、今後私が(おそらく)足しげく自転車もって四国を旅することになるのも、ちょっぴり四国の地域振興になるかもしれません。
そして、二年間で合計11うどんの旅でした。
最後にいただいたのがA型就労のこのつややかなおうどん。
高松に通って、ほんのちょっとうどんをゆでるのがうまくなった気がしています。
という私生活の面はさておき。
一回目に会に参加いただいた事業所は、二回目もスタッフを研修のために派遣してくださったり、そういう積み重ねが二年間でできました。これがうれしいことでした。
「治るのをあきらめない」という花風社の姿勢が、四国の地に伝わったからです。
講演が終わり、お城の庭園を出口に向かって歩いていたとき、こども園からいらしたという二人の若い先生とお話をしました。
話の内容、講座の内容には感謝してくださっていました。
そして、相談というか、悩みというか、を話されました。
偏食指導についてです。
お勤めの園では年上の先生たちにより、未だにいわゆる詰め込み的な偏食指導がなされることもある。
若い先生たちとしては、子どもたちをかわいそうに思ってしまうのが正直なところ。
それをどうにかできないか、という問題意識を普段からもっていらしたそうです。
そこで栗本さんの実践に触れ、発達援助とはトレーニングではないこと、無理やりやらせるものではないことを体感し、どうすればいいだろう、と話し合いながらの帰路だったようです。
そこで私を見つけて話しかけてくださったようです。
詰め込みの偏食指導はかわいそうですよね、と私はお話しました。
そして猫本こと『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』を機会があったらお読みくださいと言っておきました。
適切な発達刺激。
決して過度ではない、その子の発達段階にちょうどいい加減の発達刺激。
それが花風社が幾多の著者を経てたどりついている発達援助のヒントです。
それがわかりやすい本は猫本かもしれない。
といったお話をして、別れました。
二人のお若い先生は「自分たちはまだ立場が下で、上の人の考えを変えるのは難しい」とおっしゃっていました。
保守的な幼児教育・保育の現場で、おそらく年功序列的な秩序の保たれている現場で(当社比)、お若い人たちが意見を通すのは難しいかもしれません。
でも私は、絶望していません。
二十五年経ってわかったのです。
誰でも年をとる。
悲しいことでしょうか?
そうとは限りません。
誰でも年をとる、とはつまり、誰もがいつかはベテランになるということです。続けてさえいれば。
そして幸か不幸か、それはあっという間だ、というのが実感なんです。
発達障害の仕事を始めたとき、私はお母さんたちと同い年くらいでした。
そのころお母さんたちは決まって専業主婦で、支援者にこき使われていました。
治るなんて考えてもいけなかった。
そういう時代も見てきたんです。
だからお二人の若い先生が、現場を取り仕切る立場になることは、そんなに遠いことではないと思えるのです。
自分たちの意見が通しやすくなったとき、いつか「お城の講演に出版社の社長が来ていたなあ」「作務衣きたおじさんが来てたなあ」と思い出してくださって、トレーニングではなく適切な発達刺激こそが発達を促すものだという知見を思い出し、現場で活用してくださればよいです。
子どもたちに残酷でないやり方を、通してくださればよいです。
今蒔いておいた種は意外と早く実る。
それは私がこれまでの仕事の中で発見したことです。
『親心に自信を持とう! 医者が教えてくれない発達障害の治り方1』で大久保さんがこういうことを書いてくださっています。
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浅見さんは常に時代の一歩先を読まれ、行動されてきたように感じます。
赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』が出版されたころ(二〇〇四年)は、誰も自閉っ子の身体に注目してはいませんでしたが、今では発達の遅れに気づいたばかりの親御さんも、学校も支援者も、当たり前のように身体に注目し、アプローチしています。
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本当にそうなのです。
発表時には通じなかった話もやがて通じるようになる。
そうやって花風社は発達の世界でやってきました。
だから、いずれきっと適度な発達刺激という概念を体得した方たちが現場で指導的立場になる日がくるのもきちんと計算の上で発信できるのです。
このような機会をくださった皆様に感謝です。
また、大好きになった四国の地を訪れる機会を楽しみにしています。
それは仕事かもしれないし、自転車旅行かもしれません。
一つ言えることはもはや
四国は花風社不毛の地ではないということです。
本当にありがとうございました。