「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

治った自閉っ子はいい子になる

さて、今日はこのテーマです。
「治った自閉っ子はいい子になる」。
ここに来ているメンバーには何人もいらっしゃるのですが、たんぽぽさんに登場していただきます。
たんぽぽさんの治った自慢、全文はこちらです。

我が家の治った自慢

っていってもほぼ全文貼らせていただくことになりそうです。
そもそも最初の頃はこんな感じ。

【たんぽぽさん】

高1息子、幼児期はかなり自閉的傾向・LD傾向が強かったです。出てくる言葉はワンパターン。園の遠足の前日に「明日雨が降って行き先が変わったらどうしよう」とパニック。おもちゃの遊び方が一つで固定していて、お友達が違う使い方をするとパニックで泣いて暴れる。予想外のことをされると他害。斜視弱視もあり、長いこと「×」が書けませんでした(もちろん他の図形も)。視野が狭いとは本当にこのことだなと思いました(今思うとこの感想は間違ってなかったと思います。身体機能の不具合と、認知や思考の偏りは関連しているということで)。

そしてたんぽぽさんが幸運だったのは、「一生治りません」の発達障害の医療ではなく(ていうか一生治す気がない人たちが渦巻く発達障害医療はそもそも医療と呼べない)、治す気のある普通の医療に救われたこと。この場合は眼科の先生ですね。このようなアドバイスをされたようです。

【たんぽぽさん】

眼科の先生に「視機能改善にはとにかく粗大運動がいい。PCの視力回復ソフトとか不要。デジタル機器は大人になるまで与えないで、ジャングルジム上って」と言われ、休みの日はとにかく身体を動かしました。空間認知力のなさ・感覚鈍麻&過敏のバランスの悪さが目立ったので、とにかく身体で体験。公園だけでなく泥んこ遊びや海遊び、山登り、畑のお手伝い、などなど。そのうちに好きなものや大丈夫なものと、苦手なものもわかってきました。牛の匂い(乳搾りをした)は平気だけど、田植えのときの田んぼに足をにゅるっと入れるのが苦手、沢での飛び込みや山をもくもくと歩くのは大好き、などなど。苦手なものも、その後のお弁当や楽しいこととセットで「意外と大丈夫」を味わい、一つ一つ平気になっていきました。
雨の日はパン作りやうどん作り。手がネバネバしても、その後美味しいので「意外と大丈夫」。楽しくやっていました。

この経過で栗本さんのコンディショニングに取り組んでくださり、自ら講座を開いたりされていたのを私は覚えています。黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』や芋本こと『芋づる式に治そう!』あたりを参考にしてくださっていたようです。

そして自分の希望した高校に入り、そこではとくに配慮を頼むこともなく、今はこんな感じ。

【たんぽぽさん】

今は私と一緒に出かけることはほとんどなく、友人と出かけたり、ボランティアに参加したり、勝手に忙しく過ごしています。「発達障害なんて言ってられない」「発達障害かもしれないけど、それやってる暇がない」状況です。学校の課題がすごく大変、でもやるしかない、自分で入ったところだから。生徒会の書類作成が大変、でも待ってなんて言ってられない。自分でやるって言っちゃったから。やりたいことに耐えられる身体になった後は、そこで必要とされることをこなしていくうちに、こうやってこれからも、社会の中で揉まれて自分で治していくのだろうなと思います。

私から見ると、これが「治った自閉っ子」なんです。
なんか、人気者になるんですよ。
たぶん苦しみがとれて、誠実さとか、律儀さとか、そういうところが際立つんだと思います。
花風社クラスタのちょこさんのおうちにも治った中学生がいるけど、お友だちのお母さんに「うちの子の友だちでいてくれてありがとう」って言われるような、そういうキャラクターになっていくんですよね、治った自閉っ子って。

【たんぽぽさん】

ここのところ、外国に行くのに備え、ほぼ毎週予防接種を受けています。肝炎、狂犬病、黄熱病、腸チフス・・・こんなものまで接種を検討するの?というリストを眺め、受け入れ機関を探し、予約。私も「反ワクチンなんて言ってられない」状況です(反ワクチン派ではありませんでしたが、かつて自閉症のもとが水銀、なんていう説も目にして、一応反ワクチン派の本も読みました)。何か踏み出すときに、狭い枠の中で囚われていたこだわりや不安っていとも簡単に消えるのだなあ、となんとなく思いました。

彼は身体はまだまだ固いし靴底の減りは速いし、治る途上です。でも、興味を持ったことにためらいなく踏み出せる身体になってよかったと思っています。

海外に派遣されるのも、試験を通ったから。
面接で好印象を与えたから。
そういう「大人受けのいい子になる」のも「治った自閉っ子」の特徴だと思います。
それを支えたのは本人の努力、家族の協力、身体アプローチ。
そして「一生治らない」とうそぶく発達障害ギョーカイとは違った「治す気のある医療」との出会い(この場合は眼科の先生)ですね。

6 COMMENTS

浅見淳子

たんぽぽさん、ようこそ。
皆さんに勇気を与える治った自慢をありがとうございました。
そしてコメントも。
このコメントに私も多くを学ばせていただきました。
ので、またこのコメントをもとにブログを書きたいです。
中でも私の漠然とした気持ちを言語化していただいたのは

=====
「いい子」って、親や大人の思い通りになる子ではなく、伸び伸びとしていてかつひたむきな一面がある子だというように私は受け取っています。
=====
そうそうそう!
ひたむきさ。それがあるんですよね、治った自閉っ子って。
そしてそれは美点なんです。
きっと治っていない自閉っ子にもあるんだと思うんですが、苦しさに覆われてみえないんですよね。
その他たくさんこのコメントから学ばせていただきましたが、それはまた改めて。
とにかく次の治った自慢をお待ちしております!
ありがとうございました。

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たんぽぽ

ありがとうございます。とても嬉しいです。
またブログ、楽しみにしております!

記事の中で触れて下さった眼科の先生や栗本先生のことを書く前に、前置きのような大変だった時期のことが長くなってしまいました(^_^;)治った自慢のところにまたお邪魔させて下さい。
あのコーナー、皆様の投稿にとてもワクワクしています。

息子、飛び立ちました!眼科の先生の言いつけ通り、つい最近までは携帯電話不所持の公衆電話ユーザーでしたが、高校入学祝いにノートPCを、今回を機にスマホを初めて与えました。眼科の先生が「デジタル機器なんて、若い人はすぐ覚えるから大丈夫。(息子に関しては)今からやる必要なし。」と言ってましたが、ほんとその通りでした。
あとは、彼がにわかに作った渡航用のブログで動向を知るのみです。
親としてあれもこれもしてあげたいけど手が出せないことが減っていき、歯がゆくもありますが、それも幸せなのだろうなと思います。

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浅見淳子

たんぽぽさん、ようこそ。
お子さん冒険に飛び立ったのですね!
より一層成長して帰っていらっしゃることでしょうね。
また、治った自慢のコーナーを楽しんでくださりありがとうございます。
たんぽぽさんのさらなる自慢もお待ちしています!

返信する
たんぽぽ

わあ!取り上げていただきありがとうございます。
ここ何年か発達障害を意識することから離れていましたが、それでもさしたる支障はありませんでした。
「そういえば、昔は発達障害だった」状態です。

息子が小さい頃の大変だった記憶もだんだん薄れてきて、発達障害とは言ってもそんなに大変だった部類じゃなかったのかも、と思うようにもなりましたが、今年の正月に帰省したとき、実家の両親が「いい子になったなあ。小さいときは本当に大変だった、壮絶だった。大きくなったなあ。頑張った。」と私だけにしみじみ言って、ああやっぱりそう思っていたんだ、とハッと思い出しました。
今までそんなことは一言も口に出さず、ただただ孫に愛情を注いでくれたじじばば。
あのころを経て今があるのだなと改めて思いました。

息子の他害が止まない頃、腕や顔に引っ掻き傷や噛み跡だらけだった私は疲れ果てて、よく「これが夫だったらDVだと言って離れられるのに、なぜ我が子だと関係を解消できないんだろう」と思っていました。
あの頃、「・・・でも我が子だから私がちゃんと育てるしかない」と思いとどまれたのは、今思えば、息子が生まれて心から喜んでくれた夫と私の両親の存在が大きかったです。
あの頃はそんなふうに認識していなかったし、とりわけ私の両親は不器用な人達でした(ので私も頼ったり甘えたりするのがすごく下手です)が、いつも掛け値無しの愛情と応援をくれていたし、私はそれを常に肌身で感じ取っていました。
ふんばれる身体と親からの愛(今思うと、私はそこから責任感が生まれた)って大事だなと思います。きっと、息子もこの先、そういったものが社会の中で気持ちよくたたかうための武器になるんだろうなと思います。

今、息子は私にとってすっごくいいヤツです。
おっやるじゃん、とか、すごいな私はそんなこと考えなかったよ、とか、頑張ってるじゃん、とか、頼りになるね、とかそんな感想を持たせるヤツです。
(もちろん、まったくもう!(^_^;)みたいなことも同じくらいあります。でも一緒にいると楽しい。またいつか、治った自慢に書かせていただきます。)

「いい子」って、親や大人の思い通りになる子ではなく、伸び伸びとしていてかつひたむきな一面がある子だというように私は受け取っています。曲解して親や大人の顔色や意向を窺う子だとはやし立てる人は、なぜそのように思うのでしょう。自戒を込めて考えましたが、自身が優等生でいよう、親の気に入る子になろう、と思いながら振る舞って、そうやって大人との付き合いを構築してきたゆえの思考ではないでしょうか。それは「いい子」でなく「窮屈な子」です。私は自分を見つめ直すと「窮屈な子」の面が幅を利かせていたので、子育てにおいては息子達にそれが連鎖しないように、そこだけ頑張ったつもりです。『愛着障害は治りますか?』が、それを後押ししてくれました。だから、浅見さんやじじばばに「いい子になる(なった)」「頑張った」と言われ、素直に嬉しいし治るといい子になる、に心から同意します。不具合が解消されラクになると、伸び伸び頑張れるんです。目の当たりにすると、我が子ながらこの成長はほんとすごいなと思います。

浅見さんの仰る「大人受けのいい子になる」は、私は、やがてそれは「一緒に仕事をしたいと思う人になる」に繋がっていくのだと思っています。取り繕う人物でなく、芯があって心意気がある人物。息子達がいつかそうなれば素敵だなと思い、楽しい精進の日々です。ありがとうございました。

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shota

治らなかった方々が殆どだからこそ、治った話、正確に言えば障害の症状が大きく改善された話がクローズアップされるのではないでしょうか。
僕は肯定派でも否定派でもありません。
一当事者です。
ですからこれをして改善した、というお話が自分にはあまり効果無かったなぁ、というものについてはやっぱりピンと来ません。
生きていかねばならない以上、どうにかして生きていかねば、という姿勢は生き物として当然の姿だと思います。
医療だけでは大きく改善できないのは、僕の周りや僕自身を振り返っても痛感せざるを得ない事です。
当事者はそれが嫌である、と他の方法で模索している。
人生を生きる上で当然の姿だと思います。

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