ホーム全て会議室いま会議室で話していること 智くんの成長をみんなで見守るお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE 『発達障害、治った自慢大会!』の殿(しんがり)を務めた智くん一家のお話。 重度の障害があってもどんどん治っています。 日々楽しいエピソードがたくさん! みんなで見守りましょう。 563 COMMENTS 智パパ 2026年9月30日 息子のいる支援級と健常級の合同チームが 合唱コンクールで優勝したと家人から連絡があり ビックリしておもわず声を上げてしまいました。 いわゆる「お情け枠」とされる 病弱級とはいえ中度知的発達、 しかも一人は21箇所の多発奇形、 そんなレベルの子が2人も 混じっていたにもかかわらず 綺麗な合唱ができて優勝できたのは どうも学校史上初とのことらしいです。 もうなんと言ってよいか 正直わからないくらいの感情でいっぱいです… 返信する 智ママ 2026年9月28日 小3の頃は ドリルを前にして 「ぼくは、心臓だから、できません」 と言っていた息子が、 中1にして 小1国語読解(『朝から5分ドリル』)を解いていて、3問解き終わるまでの時間がだんだん短くなってきたからか、 「僕、頭が良くなってきました!」 「問題を解くのが、たのしいです!」 「これで、西京高校も、いけますか?」 と真っ直ぐな表情で、普通に言うようになってきました。 西京高校:兵庫の灘高、滋賀県の膳所高と同じレベルの、超がつく京都市の公立進学校です。府内でも一、二を争う進学率で知られています。 京都市営地下鉄東西線の西大路御池駅のすぐそばにあるので、先日、西大路御池駅で西京高校のバスケ部のお兄様がベンチにてキリッとスマホとノートで隙間勉強しているのを見かけた息子が 「あれカッコいい!僕もあの高校の制服着たいです!」となって、 私立東山高校のやんちゃでざっくばらんな体育会系の高校生活より、よりによって超がつく進学校の勉学漬けの文武両道の生活に憧れてしまったらしいのです。 私「息子…西京高校行きたいの?」 西京高校は足し算引き算レベルでいける高校じゃないよ?と言ってしまうと、せっかくの憧れで前向きな気持ちを折ってしまうので、 せっかく最近になって「やればできる(最初はガタガタでも、コツコツ訓練を重ねていけば、習熟して、できることが増えて、やれる分野が広がってくる)」という正常な自己肯定感がついてきたところでもありますし、 とりあえず希望は希望でそのままにしておいて、 できることをコツコツ増やし勉学も取り組んだうえで、2年後にまた親子で考えることにしました。 なまじ支援級で『手厚い』支援を受けながら、小学校の6年間、気持ちをへし折られるレベルの厳しいことや難しいことは、最初から二次障害回避のために取り除かれているカリキュラムで生活してきたので、 「願えばできる」と誤学習しかけているふしがあります。 いや、息子、君は障害児教育界の灘高である高等支援にいけたらもう大学病院が仰天することになるんだよ?そのレベルからの【今からの】スタートなんだよ… と言葉にして説得するのは簡単ですが、せっかく伸びてきた、健康な自己肯定感を消すのももったいないので、それは飲み込んで、当人の希望を尊重してコツコツやらせることにしました。 息子の支援級では、既に高等支援での入試対策として 『目標を立てて授業に臨み、授業の終わりに【ふりかえり】をして、どれだけ当初の目標を達成できたか?を自らに問い、発表させる』 という作文と意識の訓練を始めています。 まだ始めて3日ほどですが、型が入りかかってきているところです。 家庭では、作文対策に、まずはあったことや、したいことを文章で表現することから始めて、報告や要望が文章化できるようになるところを目指しています。 あったことや、やりたい気持ちを文にして、気が済むまで文章を書くところが、母親のパターンとよく似ているので、「へんなところが似たね…」と観察しながら確認しています。 息子の希望と現実は相当かけ離れていますが、うまく統合して、希望を着地させるにはどうしたら一番いいかな?と思案を巡らせています。 返信する 智ママ 2026年9月27日 合唱コンクールのために、中学校で3ヶ月前から歌の練習を始めた息子。 3ヶ月前の時点では、歌詞も入っておらず、メロディーも全部、見事なまでに音程が外れていました。 これは、筋金入りの音痴な父親に似たのかも…まぁ、私も生来は音痴な方だったし。と思いつつ、めげずに息子が『楽しく歌えること』を優先して、自由曲をYouTubeでかけていました。 8月下旬から、歌の練習を家庭でも始めました。 自由曲を中学校と家庭とで、最低でも中学校で3回、家庭で1回歌わせていると、1週間ほどで、歌詞を全部覚えることができました。 担任の先生が驚いておられました。 その後、連絡帳に課題曲2曲の題名も載っていたので、家庭で課題曲・自由曲3曲をYouTubeでかけて母親が歌い、息子がそれにまったく同調して歌う方式で、毎日1回だけ練習していると、2週間で課題曲2曲の歌詞も全部覚えることができました。 そして、4週間で音程が3分の1、外さずにピタッと合うようになってきました。 (母親はパソコンの歌唱に合わせてベルカント唱法で音を合わせて横でガンガン歌っているだけ) 音痴は、訓練で、ある程度は治せるのは中学時代に知っていましたので、 「健常児だと、とにかく3ヶ月ほどガンガン歌いこめば、たいていの子は音はとれるようになるんだけど… 息子は21箇所も多発奇形だし、中度知的もあるし、無理かな。 でも、音程を多少外してでも、皆で歌う楽しさは中学校で体験してほしいなあ。あれ、楽しいんだよね。」 と思いながら、息子に歌うお手本を見せていましたが、息子も同調しての見取り稽古で音域を当てる歌唱の回路が中1生にして、できてきたようです。 多発奇形でも歌いこめば、楽器の経験がなくても、 音楽の授業で歌に参加し続けることが難しかったとしても、 ある程度は音がとれて、きちんと歌えるようになるんだな。定期的な刺激での反復練習で、回路ができたらあとは、放置していてもできるようになるから、スタートと会得に時間がかかるタイプなんだな。 変なところ、母親にそっくりに育ってるなぁ…天からの才能には恵まれてないけれど、根性一辺倒でコツコツやって会得していくタイプじゃないか。 (私も家系的にかなりな音痴なのを、3ヶ月、連日3回歌い込んで、声の音域や音とり、表現のしかたを獲得したタイプです。) と、母子で血は争えないことがわかった、日曜日の夜でした。 返信する 智ママ 2026年9月26日 9月25日はSTでした。 息子が自由帳に書いていった作文の写真やを印刷したものを見て ST「促音(詰まる音)と撥音(んのある音)と、拗音(きゃきゅきょなど)は書けるようになったんですか?」 私「書けるところもあり、書けないところもあります。割合は半々です。書き終わったあと、母親がチェックして正答を書き足すかたちで確認して覚えさせています」 ST「枠があると、それに気を取られて書き出すことに集中できないので、枠はあってないようなものにしておくといいんですよ。私はコピー用紙を折り曲げて枠を作って、それに書かせて、それから伸ばして資料に使っています」 STいわく、「9歳の壁というものは感じたことがありません。やれば20歳過ぎてても伸びますよ。9歳過ぎたから全く伸びなくなる、という現象は、今まで見たことがありません。」 やれるだけのことでやってみて、伸びがあるなら、仕事の上でできることが増えてくるので (例:平仮名カタカナがスラスラ読めると、ルビを振ってある説明書が読んでわかるようになります。 ひらがなが書けると、拙くても自分の気持ちやあったこと、したいこと、する予定のことを表現で伝えることができるようになります。 どちらにせよ、仕事や生活の幅は少しでも広がるので、 支援学校でも走り回らせているよりは、少しでも読み書きができるようになって、使えるようになっておくことのほうが、長い目で見ると、その子にとって重要だそうです。) できないよりは、できることを増やして、同じ職でもできる部分が多いほうが、当人のためにもなるし、仕事以外で役に立つことがあるし (他の人に伝える手段ができるから) いいことばかりですよ! ということでした。 これは私の私見ですが、無理に撥音を繰り返させて延々と同じ発音の訓練をさせているよりも、 発達援助をガンガン行って発達を伸ばしてしまうと、不思議なことに自然と発音もよくなってくるし、促音も撥音も拗音も聞き取れるようになってきたらしく、筆記も書き出すことが半々の割合とはいえ、増えてきたので、 『発達援助→発達する→できることが増える』 のが一番の早道ではないかな?と思いました。 返信する 智ママ 2026年9月24日 9月18日に、「明日からシルバーウィークですね!」と意気揚々と帰ってきて置いてあるごはんを食べていた息子に、 私「息子。来週の時間割は?」 息子「え?ないですか?」 息子「ないよ」 私「あ!学校に忘れてきました!」 母親、息子の出発3分後に中学校へ電話しました。 電話番の教頭先生「気をつけてくるようにいうといてください。待ってますから」 そしてしばらくして、息子が通学リュックを背負ったまま、支援級中3女子ズ3人に囲まれて帰ってきました。 お風呂の残り湯で行水する息子。 私は洗濯の準備を始めました。 私「…息子。体操服セットは?」 息子「入ってないですか?」 私「リュックに入っとらへんで?」 息子「あーーーー!学校に忘れてきてるーーー」 風呂から上がって体を拭いて、洗う予定だった制服を上下身に着けて、再び出発しました。3回目の出撃なので水筒だけもたせて 手ぶらで行かせました。 私「すみません、智ママです。…2回目で申し訳ないです。今度は体操服セットを学校に忘れてました。休みで5日間空きますので、今から取りに行かせます。」 電話番の教頭先生「ぶはっ!(笑)何とまぁ!(笑)…気をつけてくるようにいうといてくださいねー。担任には知らせておきます」 2日間連続で使った体操服セットを持ち帰った息子「先生が扇風機に当ててくれましたー」 このことをラインで報告を受けた夫「チャップリンの映画、地でいっとるな」 私「心疾患の子どもなんだが、その身でチャップリンは辛いんじゃないかな。体操服に汗の臭いが完全にこびりついたら、なかなか取れへんから取りに行ってもらったけど」 私「心臓悪いんだから、身体で笑いをとりに行かんちゃ、かんまんのに。発達やねえ…」 AIと相談の上、息子に何回も学校にやまびこのように取りに行かせるわけにはいかないので、子ども用のチェッカーを通学リュックにつけて、中身を確認してから出かける、または帰宅してすぐ翌朝の準備をしておく。などの形を中学校と家庭の両方で行うことで、穴の空いた頭で無理に何でも記憶しなくてもいいように補助することにしました。 夫もなぜか忘れ物が多く、帰っていったあとで忘れ物が見つかり、白エビ県のアパートに郵便物で届けないと!となるので、ついでにチェッカーを、リュックかショルダーポーチに下げてもらうことにしました。 先程注文しましたので、父子でチェッカーユーザーとなることが決定しました。 しばらくは息子に『チェッカーをチェックして、そのときにきちんとモノを揃えるのを覚えておく』ことを訓練しないとならないようです。 忘れ物を減らさないと、今後に心機能がどんどん落ち始めると簡単に取りに戻れなくなるので、今からが肝心です。 することリストの項目別チェッカーは、中学校で利用していますが、持ち物のチェッカーもあったほうがいいかと思い、手配しました。 今後の改善に期待します。 返信する 智ママ 2026年9月22日 朝からの父子の会話。 (朝ごはんに置いてある炒飯を食べながら) 息子「お父さん、今日は高槻に行きます。が、その前にお知らせしたいことがあります」 夫「何?」 息子「お母さんは、速く歩きすぎると疲れやすいので、ゆっくり歩いてあげてくださいね」 息子「お母さんは、疲れるとキレてしまうので、マメに休むと長く歩けて、早く回復しますよ」 夫「…そう」 息子、父親相手に、母親の行動支援計画と引き継ぎ、母の取説の伝授を自主的に朝食の場で行っておりました。 お金はかかってないですが、ほぼビジネスランチならぬ、家庭内でのビジネスモーニングです。 居間での会話を聞いていて、夜明けに炒飯を作ってて遅寝して寝ぼけていた私は 「いや、そこ、行動支援受けるのは、君であって、私ではないし!配慮は少しいるけど!」 と内心ツッコミを入れながら、布団の中で椅子転がりしそうでした。 高槻の生命誌記念館に行って、展示を見せましたが、内容が今では高2生物クラスになっているので、私達両親には物足りず、私設図書館に置いてある書籍を読んで、20年以上前の生命誌記念館でのデートを思い出して、懐かしんでおりました。 息子と2人だけの外出となると、目的地までの移動中に見たものの社会学・交通行政・地方経済・都市の文化・町割りなどの都市計画に関してのツッコミや補足説明、疑問に対しての回答などが少なめで、 ほぼ息子の子守り状態に近いですが、 家族3人の外出だと、両親があれこれ大人の会話をしているのを息子が耳学問できるので、私が一緒だと手間も時間もかかりますが、両親の得意とする分野を耳から学べて、楽しいらしいです。 高槻の生命誌記念館は、子どもが生まれて小5小6ぐらいになったら親子3人か4人で来たいなあ。と思っていた場所だったので、夢がかなって、嬉しいシルバーウィークでした。 返信する 智パパ 2026年9月21日 オランダ国外では最後の公開になるかもしれないと言われるヨハネス・フェルメールの展覧会(大阪・中之島美術館)に父子で観る機会に恵まれました。 わたくしの院生時代に上の階の研究室の先生が当展覧会の最大の目玉となった「真珠の耳飾りの少女」をことのほか気に入っておられて雑誌に賛辞を何度も寄せられた記憶もあり、今回足を運んだ次第です。 当日券は完売していましたが、療育手帳を使う場合は当日券がなくても付き添いともに会期中1回限り観覧できる条件を利用できました。 耳飾りの少女画を間近で見られたのは文字通りほんの一瞬だけでしたが、なぜこのような作品に多くのひとがいまなお惹かれるのか折々に考える機会となりました。 息子当人は繊細な画風の人物像を観て特に感想を呈した風は無かったのですが、多分あとあとになってから何かしらの言動になって出てくるのだとおもいました。 息子の興味は美術館内のエレベーターと乗り物にあることは相変わらずでしたが、超レアなコンテンツに観客が殺到するなかでも行儀正しく大人しく行動できていました。 一番印象に残ったのは、この後に立ち寄ったセルフのうどん屋さんで、うどんの載ったお盆を両手で持って、私の指示で客席までこぼさず運べたことでした。多分当人には初めてだったとおもいます。 このあとも地下鉄とバスを乗り回しながら帰宅は深夜を回り、翌朝はゆっくり過ごしながらこの一文をしたためています。 返信する 智ママ 2026年9月21日 息子の参加する合唱コンクールの日が近づいてきました。 支援学校中学部には合唱コンクールはありません。公立中ならではの催し物です。 ベルカント唱法を会得するのはまだ難しく、(ベルカント唱法は、音を頭頂部めがけて発声して頭蓋で響かせる、ヨーロッパ古式由来の『美しく歌う』方法です。私は小6で音楽の授業で習って、国立大付属中の中1の合唱コンクールから学校全体でバリバリに勉強をさせられました) 「まだのびのびと歌えることを楽しめるだけでもいいかな」と見守っています。 楽器を習ったことがない息子にメロディーの同調はできても、音とりが難しいため、 ①YouTubeで課題曲2曲・自由曲をかける ②音域はメゾアルトでもソプラノの音域を出せる私が歌ってみせる(ベルカント唱法を使う) ③私の歌声に同調するかたちで息子がボーイソプラノで歌う(ほぼ地声だが、身長が低いのでソプラノ音域です。来年は声が低くなってくるので、今だけ限定の、貴重な歌声です。) という3段階で3曲の歌唱の練習をしています。1人で歌う練習だと寂しい感じがしても、母親が堂々と歌っているのに合わせると楽しいのか、自由曲1曲の歌詞を全部覚えたあと、課題曲2曲の歌詞もほぼ覚えてしまいました。 ちなみにPBM前は息子、公立小の校歌はサビしか歌えず、残りは歌えないのでハミングしてごまかしてました。 連日のPBMの結果、短期記憶→長期記憶への記憶力が増したようです。 公立中の校歌も、自由曲も、課題曲2曲も、4曲とも間違いなく通しで歌えるようになりました。 母親と自宅⇔最寄り地下鉄の道の往復で歌うことで、歌詞を確認したり音の外れ度合いを修整したりする時間に充てて、母子で『にわかコーラス部』として歌いながら歩く。という青春を楽しんでいます。 公立中ならではのイベントの経験も目的として、わざと息子に支援級に通わせているので、高等支援を想定したカリキュラムも、地域の総合支援学校高等部を視野に入れたカリキュラムも、1つの通学で三度美味しい。という、貴重な体験となっています。 息子いわく、「頭がよくなると、楽しいことがふえるので嬉しいです」とのことです。 中1生、どこまで知的に伸びられるかどうかわかりませんが、行けるところまで行こうと思います。 返信する 智ママ 2026年9月13日 息子の作文能力についての記載です。 3年前のお正月あけ→3文字書くと疲れてしまい、すぐに投げ出してました。 2年前のお正月あけ(バイオフィードバックのみ開始)→1単語、5文字書いたら「もういい」と言って鉛筆を置きました。 1年前の5月下旬にPBMを開始しました。 現在(PBM開始から一年と4ヶ月後)→まだマスに字をピッタリに書くのが難しいようなので、自由帳にフリーで書かせていますが、「気が済むまで書く」ことができるようになりました。 作文の内容は小1レベルですが、あったことを記載したり、自分の予定を伝えるには文字が操れて書けることが大切なので、これからも受験対策も兼ねて作文は続けていこうと思います。 返信する 智ママ 2026年9月11日 帰宅した直後に、息子のリュックに見慣れない折りたたみ傘が濡れたまま入っていました。 私「ちょっと待った!これ、どこの?」 息子「登校してるとき、登校ボランティアさんから『もらいました』」 私「それ『もらった』んと違う!貸してくれたんや!」 私「借りたものはちゃんと返さなきゃ!」 となり、慌てて傘を拭いてエアコンで乾かして、手近にあったジャガイモ一袋に、付箋1枚に『傘を貸していただいてありがとうございました』と書いて貼り、泥が傘につかないように透明なビニール袋に入れて口を縛り、傘もジャガイモ一袋の透明なビニール袋も白いビニール袋に入れて息子に渡し、 私「ボランティアさんのお家に、今から傘を返してらっしゃい。『ありがとうございました』って言って返してきなさい」 と言ってから送り出しました。 しばらくして「ボランティアさんに『ありがとうございました』と言って、受け取ってもらいましたー」と言いながら帰ってきて、おやつにラーメンを食べていたので、 ①借りたものは綺麗にして返す ②お礼の気持ちはちょっとした品物にして渡す ③「ありがとうございました。助かりました。」と言ってから返す という貸し借りの基本事項を学習してもらったことになりました。 途中、所有者の管轄が公立中か、登校ボランティアの私的なものか、中学校に電話で問い合わせしてバタバタするという一幕がありましたが、 何とかなってホッとしたことでした。 小さいことですが、ここは親が何でもしてやっていたら当人の身に着かないので、ちょっと難度が高いかな?とは思いましたが、直接お礼を述べて返させに行かせて、よかったです。 返信する 智ママ 2026年9月10日 息子、登下校の際に先輩の中3生や普通級中1生(男女問わず)に話し相手になってもらって、ときどき会話を楽しみながら移動しているようです。 よくなっても、中度知的発達レベルだったので、登下校はひとりぼっちもあるかも。とあらかじめ覚悟していましたが、杞憂に終わりました。 いまは母親が急かすより「(先輩の)〇〇さんと一緒に登校できなくなるけど、急がなくていいの?」と声をかけるだけで、目の色を変えて登校準備をして、小走りで出かけていきます。 『親より仲間』の時代を息子が迎えられたのが何より嬉しいです。 返信する 智ママ 2026年9月9日 息子の模倣に対する反応時間の推移です。 (小さい頃は打てば響く間合いの時間でカウントしました) 4歳→打てば5秒後から53秒までに響いて反応する男 6歳→打てば2秒から3秒で響く男 9歳→打てば3タイミングくらいで響く男 (9歳の12月から療育整体を始めました) 10歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミング遅れて歩調を合わせることができる男 (11歳の5月下旬にPBM開始しました) 11歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミングの遅れ無しで動きを合わせることができる男 12歳→TVで振付師が簡単な振付をしていたら、見たその場で振付どおり踊れる男(3動作の振付でした) PBM開始後は急激に発達や運動能力が上がってきていて、同期したり初見模倣ができるようになってきています。 4歳の頃に風邪で40℃の熱を出して総合病院の小児科に緊急入院し、途中で中耳炎と診断されて1週間以上小児科のベッドに釘付けでした。 あまりに退屈なので、 私「(夫に)この子、打てば53秒後に響く男でして」 夫「遅っ!」 同室の5歳男児の母親「ぶふっ(思わず笑う)」 夫「遅いくせにやたらに時間には細かいのな」 5歳男児の母親「あははは…、すみません、聞こえてしまって。あんまり可笑しいので笑ってしまいました」 夫「息子〜。笑いとってしもたで?4歳にして、やるなぁ!(夫は親バカで、息子に関しては何でもポジティブに捉えてしまいます)」 あとから、5歳寝たきり男児の子が、そのお母さんからしたら2度目の出産の双子の弟さんで、 1歳半で腸閉塞→手術したものの合併症→再度手術して手術ミス→心停止からの低酸素で脳に重い障害が残り寝たきり、経管栄養をしても1時間おきに吐いてしまう状態に →その容態のまま風邪をひいたので命が危険になり、総合病院にレスパイト入院も兼ねて、母親と父親と祖父母二人ずつ合計6人ががときどき泊まり込みしてその子のケアと付添(残りの家族は自宅で二人の子の子育て) という事情で、 その子(寝たきり5歳男児)が1歳半の頃から障害を負って、ほぼ笑うことを忘れて死にものぐるいで他の子達の子育てとその子のケアをしていたので、 息子の身体を張ったネタ提供と、母親の真面目な天然ボケ子育て報告と、夫のツッコミで、 「ホンマに数年ぶり、この子がまだ健常だった頃から数えたらもう3年半かなぁ。久しぶりにお腹の底から笑えました。」 「声を出して笑ったら、疲れが吹き飛びました、ありがとう智くん!これだけ明るいお母さんとお父さんなら、きっと智くん、どんなことがあっても大丈夫やわ。元気に育ちますよ!」 と予言されながらいたく感謝されました。 いま振り返ると、その重度寝たきりのお子さんのお母さんの予言は見事に当たっています。 まさか12歳で情報処理能力が身体的にこれだけ上がるとは想定してなかったので、驚きました。 現在は毎日のPBM(20分)と、療育整体、ボイタ法、体幹筋トレ・腸腰筋のストレッチ、猫ちゃん体操を組み合わせて、母親がヘバって寝込んでいなければ、だいたい20-30分程度ボディケアをしてから寝ています。 10月までは合唱コンクールのために課題曲と自由曲3曲を、家庭での練習として、YouTubeをかけて毎日歌っています。 また、気づきがありましたら、こちらに報告します。 返信する 智ママ 2026年9月8日 身辺自立のために、声かけはしていますが、反応が薄くて自分ごとではないため、 ・息子と母親は別個体なので、ご飯を食べなければお腹がすくのは息子 ・お風呂に入るのを忘れていて朝バタバタになると困るのも息子 と、『自分と母親は別個体だ』という認識を持ってもらうように繰り返し言っています。 うるさく言うのも気分が悪いかな?と思ったので 朝に身体を洗ってもらおうとして、湯殿で湯坊主を待っているお殿様のように座ったまま待っている息子に、 「何もできない人は、施設に早くはいります」 「B型と生活保護だと、施設利用料と衣類・日用品費を払ったら、ほとんどお金が残らなくなるので、嵐電の運賃250円が払えなくなります」 「なので、外にいけなくなります」 「自分で自分のことができない人・時間が守れない人・1人で外を歩けない人は、外出許可がおりません。病院の付添はついてきてもらえます」 「施設は、入浴介助加算がついたら、余計にお金をとられます」 (あえて老人ホームの加算スタイルを説明しました) 「人にしてもらったら、お金がかかるので、息子のお金は残りにくくなります」 「自分で頭も体も洗えるようになってお金を作りますか?それとも全部してもらって、嵐電は乗れない生活をしますか?」 「障害枠で働けたら、お金が余るので、ときどき嵐電には乗れるようになります」 「どちらがいいかは、息子が決めていいです」 と、21箇所の多発奇形・中度知的発達の中1生に、『ナニワ金融道』ばりに、福祉の料金システム・自立支援・お金の教育・交通教育の4要素を一度にまとめて行う。という説明を行いました。 息子、好きな嵐電に乗れるかどうかが、お風呂と紐づいて理解できたようで、今まで何度言っても身体を洗うのを覚えようとしなかったのが、俄然、身体をボディタオルでゴシゴシ洗うようになり、クォーター特有の薄い皮膚が真っ赤になりました。 「いや息子、そこはガシガシ洗わんでいい。血が出たら止まらない…まんべんなく洗いなさい」 と軽く静止し、指示し直しました。 元々は、成人当事者の方が、 「大学卒業まで親や支援者の言うことを聞いて勉強だけしていたら、社会に出て大変だった。何で教えてくれなかったのか。」 とポストをされていたので、 「ひょっとしたら、各現象の因果関係や紐づけする能力が鍛えられてないか低くて、各説明の因果関係まで説明しないと、本当に理解できないのかもしれない(おそらく想像力の貧困だと思われます)」 「Aの事象を説明して、それがどうしてBに繋がり、CやDという結果を生むようになるか、あらかじめ説明して把握してもらったほうが、因果関係がわかって取り組みやすいかも」 と思い、あえて中1生には難しい福祉のからくりまで『ナニワ金融道』で説明しましたが、 息子からすると「体を自分で洗う」( 身辺自立のスキルアップ)=「廊下を走らない」(守れたらいいね!という指針)と同レベルだったのが、 「体を自分で洗う」=嵐電に乗れるチャンスが増える という因果関係がわかったので、モチベーションが上がったようです。 発達の子に教えるには、背景や因果関係までわかるように教えたほうが、指示が通りやすいこと、 そして当事者が何処まで理解できているか教える側がかなり把握できてないと、理解を浸透させてモチベーションを引き上げることが難しいことが改めてわかった、修羅場な朝でした。 きっかけをくださった成人当事者の方には、感謝申し上げます。 返信する 智ママ 2026年9月6日 Xのポストで論文が流れてきますが、たまたま知らずにしていたことが、論文で検証されたことをここに列記します。 1.天然塩で塩化マグネシウムを摂らせていたら、天然塩に含まれるセレンがいい働きをしてくれたらしく、4歳から7歳の間に、心機能がよくなりました。 セレンは希少ミネラルで摂りすぎると危険なのですが、天然塩は海水を煮詰めたものなので、程よいバランスでセレンが含まれていたため、摂りすぎは防げました。 息子が11歳頃にセレンと心機能の関連についての論文が出ました。 2.「体幹筋トレ&股関節のストレッチをしていたら、何故か発達がみんな良くなるんですよ!」と公立小支援級担任が言っていたのですが、身体の傾きや使い方が脳出血の後遺症で違和感があったので、そのリハビリを兼ねて ①『腸腰筋・大腰筋を同時に伸ばすストレッチ』 ②『お馬さんのポーズ』(手首・肩・股関節・膝・足首が90度になるように四つん這いにします→右手と左足を床に平行に上げて20秒カウントしながら静止→逆に左手と右足を同様に床に平行に上げて静止します→左右2セットから3セットしたら終わりです) をしていましたが、『お馬さんのポーズ』をすることで腹筋が使われる→腹筋の動きで脳の老廃物を排出させる力がアップする→脳の機能がよくなるという『腹筋を使うと頭がよくなる(脳機能が落ちない)』という機序が最近、発見されました。 息子の場合、PTを始めたのが7歳とかなり遅かったのですが、それでも知的発達の改善はかなり見られました。 3.遺伝科で、11歳のときに「脊椎側弯症になりかけている」と指摘されて、11歳の11月からボイタ法を習って毎日施術していました。「呼吸ボイタ」「横ボイタ(体側ボイタ)」「うつぶせボイタ」と呼んでそれぞれ指示通りに毎日施術していましたが、 ①呼吸ボイタだと、施術時に、脊椎に近い深いところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。 ②横ボイタだと、施術時に、側腹部動脈に近いやや深めのところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。 ボイタ法は親指から気を出してもう一つの親指で受け取る形で施術する形になっているので、これ保険診療に組み込まれているけれども、機序としてはいわゆる整体に近いのでは?とは思います。 息子の場合、ボイタ法を施術していると、体の右側と左側でパリパリの流れかたが明らかに違っていて、 「身体の使い方は3歳から歩き始めた頃と違って、左足を引きずらなくなってきたのに、 (歩き方が普通の歩きかたを会得して、できるようになりました) それとともに、身体が素人目に見ても違和感を感じるくらい歪んできて、とうとう脊椎側弯症の可能性を指摘されるぐらいまで来たのだけれども、これなんでパリパリの流れかたに左右差がこんなにあるんだろう…?」と思いながら毎日ボイタ法をして、やっと3月末の時点で身体の歪みが一段落しました。 どうやら脳出血でなくなった右脳の損失を体幹や足先に至るまでの身体の使い方でカバーしていたらしく、その結果、骨盤が倒れるとか猫背になるとか、身体が歪んできて、結果、そこで知的発達が止まっていて、伸びにくかったらしいのですが、 身体を固めすぎてカチカチだったのを、PTと腸腰筋のストレッチとボイタ法で、 固すぎるところは緩める(腸腰筋のストレッチ) 緩すぎるところは固める(ボイタ法とお馬さんのPT) で対応していった結果、普通に近く刺激が入りやすくなったようです。 バイオ・フィードバックとPBMの働きかけも手伝って、それまでの緩い知的発達の改善が、驀進的に進む知的発達改善に変わったようです。 3.に関しては新刊を読んで確認したいと思いますが、息子は左右差がこんなにある状態で何で庇って生きてきたんだろう?そんなに長く歩いて遠くへ行ってみたかったのかな。と思いながら、ポチポチやっております。 当人は姿勢が矯正されると呼吸がラクになるようで、ボイタを喜んで受けています。 セルフでできる部分をいま教えて、施設入所になってもセルフボイタして調整できるように手立てをつけておこうと思っています。 以上、最近になって出てきた「あれ?これって、こういうことだったの?」という照合結果でした。 参考になれば幸いです。 返信する 過去のコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 添付ファイル アップロードファイルの最大サイズ: 32 MB。 画像, 音声, 動画, 文書, スプレッドシート, 対話型, テキスト, アーカイブ, コード, その他 をアップロードできます。 Youtube、Facebook、Twitter 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智パパ 2026年9月30日 息子のいる支援級と健常級の合同チームが 合唱コンクールで優勝したと家人から連絡があり ビックリしておもわず声を上げてしまいました。 いわゆる「お情け枠」とされる 病弱級とはいえ中度知的発達、 しかも一人は21箇所の多発奇形、 そんなレベルの子が2人も 混じっていたにもかかわらず 綺麗な合唱ができて優勝できたのは どうも学校史上初とのことらしいです。 もうなんと言ってよいか 正直わからないくらいの感情でいっぱいです… 返信する
智ママ 2026年9月28日 小3の頃は ドリルを前にして 「ぼくは、心臓だから、できません」 と言っていた息子が、 中1にして 小1国語読解(『朝から5分ドリル』)を解いていて、3問解き終わるまでの時間がだんだん短くなってきたからか、 「僕、頭が良くなってきました!」 「問題を解くのが、たのしいです!」 「これで、西京高校も、いけますか?」 と真っ直ぐな表情で、普通に言うようになってきました。 西京高校:兵庫の灘高、滋賀県の膳所高と同じレベルの、超がつく京都市の公立進学校です。府内でも一、二を争う進学率で知られています。 京都市営地下鉄東西線の西大路御池駅のすぐそばにあるので、先日、西大路御池駅で西京高校のバスケ部のお兄様がベンチにてキリッとスマホとノートで隙間勉強しているのを見かけた息子が 「あれカッコいい!僕もあの高校の制服着たいです!」となって、 私立東山高校のやんちゃでざっくばらんな体育会系の高校生活より、よりによって超がつく進学校の勉学漬けの文武両道の生活に憧れてしまったらしいのです。 私「息子…西京高校行きたいの?」 西京高校は足し算引き算レベルでいける高校じゃないよ?と言ってしまうと、せっかくの憧れで前向きな気持ちを折ってしまうので、 せっかく最近になって「やればできる(最初はガタガタでも、コツコツ訓練を重ねていけば、習熟して、できることが増えて、やれる分野が広がってくる)」という正常な自己肯定感がついてきたところでもありますし、 とりあえず希望は希望でそのままにしておいて、 できることをコツコツ増やし勉学も取り組んだうえで、2年後にまた親子で考えることにしました。 なまじ支援級で『手厚い』支援を受けながら、小学校の6年間、気持ちをへし折られるレベルの厳しいことや難しいことは、最初から二次障害回避のために取り除かれているカリキュラムで生活してきたので、 「願えばできる」と誤学習しかけているふしがあります。 いや、息子、君は障害児教育界の灘高である高等支援にいけたらもう大学病院が仰天することになるんだよ?そのレベルからの【今からの】スタートなんだよ… と言葉にして説得するのは簡単ですが、せっかく伸びてきた、健康な自己肯定感を消すのももったいないので、それは飲み込んで、当人の希望を尊重してコツコツやらせることにしました。 息子の支援級では、既に高等支援での入試対策として 『目標を立てて授業に臨み、授業の終わりに【ふりかえり】をして、どれだけ当初の目標を達成できたか?を自らに問い、発表させる』 という作文と意識の訓練を始めています。 まだ始めて3日ほどですが、型が入りかかってきているところです。 家庭では、作文対策に、まずはあったことや、したいことを文章で表現することから始めて、報告や要望が文章化できるようになるところを目指しています。 あったことや、やりたい気持ちを文にして、気が済むまで文章を書くところが、母親のパターンとよく似ているので、「へんなところが似たね…」と観察しながら確認しています。 息子の希望と現実は相当かけ離れていますが、うまく統合して、希望を着地させるにはどうしたら一番いいかな?と思案を巡らせています。 返信する
智ママ 2026年9月27日 合唱コンクールのために、中学校で3ヶ月前から歌の練習を始めた息子。 3ヶ月前の時点では、歌詞も入っておらず、メロディーも全部、見事なまでに音程が外れていました。 これは、筋金入りの音痴な父親に似たのかも…まぁ、私も生来は音痴な方だったし。と思いつつ、めげずに息子が『楽しく歌えること』を優先して、自由曲をYouTubeでかけていました。 8月下旬から、歌の練習を家庭でも始めました。 自由曲を中学校と家庭とで、最低でも中学校で3回、家庭で1回歌わせていると、1週間ほどで、歌詞を全部覚えることができました。 担任の先生が驚いておられました。 その後、連絡帳に課題曲2曲の題名も載っていたので、家庭で課題曲・自由曲3曲をYouTubeでかけて母親が歌い、息子がそれにまったく同調して歌う方式で、毎日1回だけ練習していると、2週間で課題曲2曲の歌詞も全部覚えることができました。 そして、4週間で音程が3分の1、外さずにピタッと合うようになってきました。 (母親はパソコンの歌唱に合わせてベルカント唱法で音を合わせて横でガンガン歌っているだけ) 音痴は、訓練で、ある程度は治せるのは中学時代に知っていましたので、 「健常児だと、とにかく3ヶ月ほどガンガン歌いこめば、たいていの子は音はとれるようになるんだけど… 息子は21箇所も多発奇形だし、中度知的もあるし、無理かな。 でも、音程を多少外してでも、皆で歌う楽しさは中学校で体験してほしいなあ。あれ、楽しいんだよね。」 と思いながら、息子に歌うお手本を見せていましたが、息子も同調しての見取り稽古で音域を当てる歌唱の回路が中1生にして、できてきたようです。 多発奇形でも歌いこめば、楽器の経験がなくても、 音楽の授業で歌に参加し続けることが難しかったとしても、 ある程度は音がとれて、きちんと歌えるようになるんだな。定期的な刺激での反復練習で、回路ができたらあとは、放置していてもできるようになるから、スタートと会得に時間がかかるタイプなんだな。 変なところ、母親にそっくりに育ってるなぁ…天からの才能には恵まれてないけれど、根性一辺倒でコツコツやって会得していくタイプじゃないか。 (私も家系的にかなりな音痴なのを、3ヶ月、連日3回歌い込んで、声の音域や音とり、表現のしかたを獲得したタイプです。) と、母子で血は争えないことがわかった、日曜日の夜でした。 返信する
智ママ 2026年9月26日 9月25日はSTでした。 息子が自由帳に書いていった作文の写真やを印刷したものを見て ST「促音(詰まる音)と撥音(んのある音)と、拗音(きゃきゅきょなど)は書けるようになったんですか?」 私「書けるところもあり、書けないところもあります。割合は半々です。書き終わったあと、母親がチェックして正答を書き足すかたちで確認して覚えさせています」 ST「枠があると、それに気を取られて書き出すことに集中できないので、枠はあってないようなものにしておくといいんですよ。私はコピー用紙を折り曲げて枠を作って、それに書かせて、それから伸ばして資料に使っています」 STいわく、「9歳の壁というものは感じたことがありません。やれば20歳過ぎてても伸びますよ。9歳過ぎたから全く伸びなくなる、という現象は、今まで見たことがありません。」 やれるだけのことでやってみて、伸びがあるなら、仕事の上でできることが増えてくるので (例:平仮名カタカナがスラスラ読めると、ルビを振ってある説明書が読んでわかるようになります。 ひらがなが書けると、拙くても自分の気持ちやあったこと、したいこと、する予定のことを表現で伝えることができるようになります。 どちらにせよ、仕事や生活の幅は少しでも広がるので、 支援学校でも走り回らせているよりは、少しでも読み書きができるようになって、使えるようになっておくことのほうが、長い目で見ると、その子にとって重要だそうです。) できないよりは、できることを増やして、同じ職でもできる部分が多いほうが、当人のためにもなるし、仕事以外で役に立つことがあるし (他の人に伝える手段ができるから) いいことばかりですよ! ということでした。 これは私の私見ですが、無理に撥音を繰り返させて延々と同じ発音の訓練をさせているよりも、 発達援助をガンガン行って発達を伸ばしてしまうと、不思議なことに自然と発音もよくなってくるし、促音も撥音も拗音も聞き取れるようになってきたらしく、筆記も書き出すことが半々の割合とはいえ、増えてきたので、 『発達援助→発達する→できることが増える』 のが一番の早道ではないかな?と思いました。 返信する
智ママ 2026年9月24日 9月18日に、「明日からシルバーウィークですね!」と意気揚々と帰ってきて置いてあるごはんを食べていた息子に、 私「息子。来週の時間割は?」 息子「え?ないですか?」 息子「ないよ」 私「あ!学校に忘れてきました!」 母親、息子の出発3分後に中学校へ電話しました。 電話番の教頭先生「気をつけてくるようにいうといてください。待ってますから」 そしてしばらくして、息子が通学リュックを背負ったまま、支援級中3女子ズ3人に囲まれて帰ってきました。 お風呂の残り湯で行水する息子。 私は洗濯の準備を始めました。 私「…息子。体操服セットは?」 息子「入ってないですか?」 私「リュックに入っとらへんで?」 息子「あーーーー!学校に忘れてきてるーーー」 風呂から上がって体を拭いて、洗う予定だった制服を上下身に着けて、再び出発しました。3回目の出撃なので水筒だけもたせて 手ぶらで行かせました。 私「すみません、智ママです。…2回目で申し訳ないです。今度は体操服セットを学校に忘れてました。休みで5日間空きますので、今から取りに行かせます。」 電話番の教頭先生「ぶはっ!(笑)何とまぁ!(笑)…気をつけてくるようにいうといてくださいねー。担任には知らせておきます」 2日間連続で使った体操服セットを持ち帰った息子「先生が扇風機に当ててくれましたー」 このことをラインで報告を受けた夫「チャップリンの映画、地でいっとるな」 私「心疾患の子どもなんだが、その身でチャップリンは辛いんじゃないかな。体操服に汗の臭いが完全にこびりついたら、なかなか取れへんから取りに行ってもらったけど」 私「心臓悪いんだから、身体で笑いをとりに行かんちゃ、かんまんのに。発達やねえ…」 AIと相談の上、息子に何回も学校にやまびこのように取りに行かせるわけにはいかないので、子ども用のチェッカーを通学リュックにつけて、中身を確認してから出かける、または帰宅してすぐ翌朝の準備をしておく。などの形を中学校と家庭の両方で行うことで、穴の空いた頭で無理に何でも記憶しなくてもいいように補助することにしました。 夫もなぜか忘れ物が多く、帰っていったあとで忘れ物が見つかり、白エビ県のアパートに郵便物で届けないと!となるので、ついでにチェッカーを、リュックかショルダーポーチに下げてもらうことにしました。 先程注文しましたので、父子でチェッカーユーザーとなることが決定しました。 しばらくは息子に『チェッカーをチェックして、そのときにきちんとモノを揃えるのを覚えておく』ことを訓練しないとならないようです。 忘れ物を減らさないと、今後に心機能がどんどん落ち始めると簡単に取りに戻れなくなるので、今からが肝心です。 することリストの項目別チェッカーは、中学校で利用していますが、持ち物のチェッカーもあったほうがいいかと思い、手配しました。 今後の改善に期待します。 返信する
智ママ 2026年9月22日 朝からの父子の会話。 (朝ごはんに置いてある炒飯を食べながら) 息子「お父さん、今日は高槻に行きます。が、その前にお知らせしたいことがあります」 夫「何?」 息子「お母さんは、速く歩きすぎると疲れやすいので、ゆっくり歩いてあげてくださいね」 息子「お母さんは、疲れるとキレてしまうので、マメに休むと長く歩けて、早く回復しますよ」 夫「…そう」 息子、父親相手に、母親の行動支援計画と引き継ぎ、母の取説の伝授を自主的に朝食の場で行っておりました。 お金はかかってないですが、ほぼビジネスランチならぬ、家庭内でのビジネスモーニングです。 居間での会話を聞いていて、夜明けに炒飯を作ってて遅寝して寝ぼけていた私は 「いや、そこ、行動支援受けるのは、君であって、私ではないし!配慮は少しいるけど!」 と内心ツッコミを入れながら、布団の中で椅子転がりしそうでした。 高槻の生命誌記念館に行って、展示を見せましたが、内容が今では高2生物クラスになっているので、私達両親には物足りず、私設図書館に置いてある書籍を読んで、20年以上前の生命誌記念館でのデートを思い出して、懐かしんでおりました。 息子と2人だけの外出となると、目的地までの移動中に見たものの社会学・交通行政・地方経済・都市の文化・町割りなどの都市計画に関してのツッコミや補足説明、疑問に対しての回答などが少なめで、 ほぼ息子の子守り状態に近いですが、 家族3人の外出だと、両親があれこれ大人の会話をしているのを息子が耳学問できるので、私が一緒だと手間も時間もかかりますが、両親の得意とする分野を耳から学べて、楽しいらしいです。 高槻の生命誌記念館は、子どもが生まれて小5小6ぐらいになったら親子3人か4人で来たいなあ。と思っていた場所だったので、夢がかなって、嬉しいシルバーウィークでした。 返信する
智パパ 2026年9月21日 オランダ国外では最後の公開になるかもしれないと言われるヨハネス・フェルメールの展覧会(大阪・中之島美術館)に父子で観る機会に恵まれました。 わたくしの院生時代に上の階の研究室の先生が当展覧会の最大の目玉となった「真珠の耳飾りの少女」をことのほか気に入っておられて雑誌に賛辞を何度も寄せられた記憶もあり、今回足を運んだ次第です。 当日券は完売していましたが、療育手帳を使う場合は当日券がなくても付き添いともに会期中1回限り観覧できる条件を利用できました。 耳飾りの少女画を間近で見られたのは文字通りほんの一瞬だけでしたが、なぜこのような作品に多くのひとがいまなお惹かれるのか折々に考える機会となりました。 息子当人は繊細な画風の人物像を観て特に感想を呈した風は無かったのですが、多分あとあとになってから何かしらの言動になって出てくるのだとおもいました。 息子の興味は美術館内のエレベーターと乗り物にあることは相変わらずでしたが、超レアなコンテンツに観客が殺到するなかでも行儀正しく大人しく行動できていました。 一番印象に残ったのは、この後に立ち寄ったセルフのうどん屋さんで、うどんの載ったお盆を両手で持って、私の指示で客席までこぼさず運べたことでした。多分当人には初めてだったとおもいます。 このあとも地下鉄とバスを乗り回しながら帰宅は深夜を回り、翌朝はゆっくり過ごしながらこの一文をしたためています。 返信する
智ママ 2026年9月21日 息子の参加する合唱コンクールの日が近づいてきました。 支援学校中学部には合唱コンクールはありません。公立中ならではの催し物です。 ベルカント唱法を会得するのはまだ難しく、(ベルカント唱法は、音を頭頂部めがけて発声して頭蓋で響かせる、ヨーロッパ古式由来の『美しく歌う』方法です。私は小6で音楽の授業で習って、国立大付属中の中1の合唱コンクールから学校全体でバリバリに勉強をさせられました) 「まだのびのびと歌えることを楽しめるだけでもいいかな」と見守っています。 楽器を習ったことがない息子にメロディーの同調はできても、音とりが難しいため、 ①YouTubeで課題曲2曲・自由曲をかける ②音域はメゾアルトでもソプラノの音域を出せる私が歌ってみせる(ベルカント唱法を使う) ③私の歌声に同調するかたちで息子がボーイソプラノで歌う(ほぼ地声だが、身長が低いのでソプラノ音域です。来年は声が低くなってくるので、今だけ限定の、貴重な歌声です。) という3段階で3曲の歌唱の練習をしています。1人で歌う練習だと寂しい感じがしても、母親が堂々と歌っているのに合わせると楽しいのか、自由曲1曲の歌詞を全部覚えたあと、課題曲2曲の歌詞もほぼ覚えてしまいました。 ちなみにPBM前は息子、公立小の校歌はサビしか歌えず、残りは歌えないのでハミングしてごまかしてました。 連日のPBMの結果、短期記憶→長期記憶への記憶力が増したようです。 公立中の校歌も、自由曲も、課題曲2曲も、4曲とも間違いなく通しで歌えるようになりました。 母親と自宅⇔最寄り地下鉄の道の往復で歌うことで、歌詞を確認したり音の外れ度合いを修整したりする時間に充てて、母子で『にわかコーラス部』として歌いながら歩く。という青春を楽しんでいます。 公立中ならではのイベントの経験も目的として、わざと息子に支援級に通わせているので、高等支援を想定したカリキュラムも、地域の総合支援学校高等部を視野に入れたカリキュラムも、1つの通学で三度美味しい。という、貴重な体験となっています。 息子いわく、「頭がよくなると、楽しいことがふえるので嬉しいです」とのことです。 中1生、どこまで知的に伸びられるかどうかわかりませんが、行けるところまで行こうと思います。 返信する
智ママ 2026年9月13日 息子の作文能力についての記載です。 3年前のお正月あけ→3文字書くと疲れてしまい、すぐに投げ出してました。 2年前のお正月あけ(バイオフィードバックのみ開始)→1単語、5文字書いたら「もういい」と言って鉛筆を置きました。 1年前の5月下旬にPBMを開始しました。 現在(PBM開始から一年と4ヶ月後)→まだマスに字をピッタリに書くのが難しいようなので、自由帳にフリーで書かせていますが、「気が済むまで書く」ことができるようになりました。 作文の内容は小1レベルですが、あったことを記載したり、自分の予定を伝えるには文字が操れて書けることが大切なので、これからも受験対策も兼ねて作文は続けていこうと思います。 返信する
智ママ 2026年9月11日 帰宅した直後に、息子のリュックに見慣れない折りたたみ傘が濡れたまま入っていました。 私「ちょっと待った!これ、どこの?」 息子「登校してるとき、登校ボランティアさんから『もらいました』」 私「それ『もらった』んと違う!貸してくれたんや!」 私「借りたものはちゃんと返さなきゃ!」 となり、慌てて傘を拭いてエアコンで乾かして、手近にあったジャガイモ一袋に、付箋1枚に『傘を貸していただいてありがとうございました』と書いて貼り、泥が傘につかないように透明なビニール袋に入れて口を縛り、傘もジャガイモ一袋の透明なビニール袋も白いビニール袋に入れて息子に渡し、 私「ボランティアさんのお家に、今から傘を返してらっしゃい。『ありがとうございました』って言って返してきなさい」 と言ってから送り出しました。 しばらくして「ボランティアさんに『ありがとうございました』と言って、受け取ってもらいましたー」と言いながら帰ってきて、おやつにラーメンを食べていたので、 ①借りたものは綺麗にして返す ②お礼の気持ちはちょっとした品物にして渡す ③「ありがとうございました。助かりました。」と言ってから返す という貸し借りの基本事項を学習してもらったことになりました。 途中、所有者の管轄が公立中か、登校ボランティアの私的なものか、中学校に電話で問い合わせしてバタバタするという一幕がありましたが、 何とかなってホッとしたことでした。 小さいことですが、ここは親が何でもしてやっていたら当人の身に着かないので、ちょっと難度が高いかな?とは思いましたが、直接お礼を述べて返させに行かせて、よかったです。 返信する
智ママ 2026年9月10日 息子、登下校の際に先輩の中3生や普通級中1生(男女問わず)に話し相手になってもらって、ときどき会話を楽しみながら移動しているようです。 よくなっても、中度知的発達レベルだったので、登下校はひとりぼっちもあるかも。とあらかじめ覚悟していましたが、杞憂に終わりました。 いまは母親が急かすより「(先輩の)〇〇さんと一緒に登校できなくなるけど、急がなくていいの?」と声をかけるだけで、目の色を変えて登校準備をして、小走りで出かけていきます。 『親より仲間』の時代を息子が迎えられたのが何より嬉しいです。 返信する
智ママ 2026年9月9日 息子の模倣に対する反応時間の推移です。 (小さい頃は打てば響く間合いの時間でカウントしました) 4歳→打てば5秒後から53秒までに響いて反応する男 6歳→打てば2秒から3秒で響く男 9歳→打てば3タイミングくらいで響く男 (9歳の12月から療育整体を始めました) 10歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミング遅れて歩調を合わせることができる男 (11歳の5月下旬にPBM開始しました) 11歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミングの遅れ無しで動きを合わせることができる男 12歳→TVで振付師が簡単な振付をしていたら、見たその場で振付どおり踊れる男(3動作の振付でした) PBM開始後は急激に発達や運動能力が上がってきていて、同期したり初見模倣ができるようになってきています。 4歳の頃に風邪で40℃の熱を出して総合病院の小児科に緊急入院し、途中で中耳炎と診断されて1週間以上小児科のベッドに釘付けでした。 あまりに退屈なので、 私「(夫に)この子、打てば53秒後に響く男でして」 夫「遅っ!」 同室の5歳男児の母親「ぶふっ(思わず笑う)」 夫「遅いくせにやたらに時間には細かいのな」 5歳男児の母親「あははは…、すみません、聞こえてしまって。あんまり可笑しいので笑ってしまいました」 夫「息子〜。笑いとってしもたで?4歳にして、やるなぁ!(夫は親バカで、息子に関しては何でもポジティブに捉えてしまいます)」 あとから、5歳寝たきり男児の子が、そのお母さんからしたら2度目の出産の双子の弟さんで、 1歳半で腸閉塞→手術したものの合併症→再度手術して手術ミス→心停止からの低酸素で脳に重い障害が残り寝たきり、経管栄養をしても1時間おきに吐いてしまう状態に →その容態のまま風邪をひいたので命が危険になり、総合病院にレスパイト入院も兼ねて、母親と父親と祖父母二人ずつ合計6人ががときどき泊まり込みしてその子のケアと付添(残りの家族は自宅で二人の子の子育て) という事情で、 その子(寝たきり5歳男児)が1歳半の頃から障害を負って、ほぼ笑うことを忘れて死にものぐるいで他の子達の子育てとその子のケアをしていたので、 息子の身体を張ったネタ提供と、母親の真面目な天然ボケ子育て報告と、夫のツッコミで、 「ホンマに数年ぶり、この子がまだ健常だった頃から数えたらもう3年半かなぁ。久しぶりにお腹の底から笑えました。」 「声を出して笑ったら、疲れが吹き飛びました、ありがとう智くん!これだけ明るいお母さんとお父さんなら、きっと智くん、どんなことがあっても大丈夫やわ。元気に育ちますよ!」 と予言されながらいたく感謝されました。 いま振り返ると、その重度寝たきりのお子さんのお母さんの予言は見事に当たっています。 まさか12歳で情報処理能力が身体的にこれだけ上がるとは想定してなかったので、驚きました。 現在は毎日のPBM(20分)と、療育整体、ボイタ法、体幹筋トレ・腸腰筋のストレッチ、猫ちゃん体操を組み合わせて、母親がヘバって寝込んでいなければ、だいたい20-30分程度ボディケアをしてから寝ています。 10月までは合唱コンクールのために課題曲と自由曲3曲を、家庭での練習として、YouTubeをかけて毎日歌っています。 また、気づきがありましたら、こちらに報告します。 返信する
智ママ 2026年9月8日 身辺自立のために、声かけはしていますが、反応が薄くて自分ごとではないため、 ・息子と母親は別個体なので、ご飯を食べなければお腹がすくのは息子 ・お風呂に入るのを忘れていて朝バタバタになると困るのも息子 と、『自分と母親は別個体だ』という認識を持ってもらうように繰り返し言っています。 うるさく言うのも気分が悪いかな?と思ったので 朝に身体を洗ってもらおうとして、湯殿で湯坊主を待っているお殿様のように座ったまま待っている息子に、 「何もできない人は、施設に早くはいります」 「B型と生活保護だと、施設利用料と衣類・日用品費を払ったら、ほとんどお金が残らなくなるので、嵐電の運賃250円が払えなくなります」 「なので、外にいけなくなります」 「自分で自分のことができない人・時間が守れない人・1人で外を歩けない人は、外出許可がおりません。病院の付添はついてきてもらえます」 「施設は、入浴介助加算がついたら、余計にお金をとられます」 (あえて老人ホームの加算スタイルを説明しました) 「人にしてもらったら、お金がかかるので、息子のお金は残りにくくなります」 「自分で頭も体も洗えるようになってお金を作りますか?それとも全部してもらって、嵐電は乗れない生活をしますか?」 「障害枠で働けたら、お金が余るので、ときどき嵐電には乗れるようになります」 「どちらがいいかは、息子が決めていいです」 と、21箇所の多発奇形・中度知的発達の中1生に、『ナニワ金融道』ばりに、福祉の料金システム・自立支援・お金の教育・交通教育の4要素を一度にまとめて行う。という説明を行いました。 息子、好きな嵐電に乗れるかどうかが、お風呂と紐づいて理解できたようで、今まで何度言っても身体を洗うのを覚えようとしなかったのが、俄然、身体をボディタオルでゴシゴシ洗うようになり、クォーター特有の薄い皮膚が真っ赤になりました。 「いや息子、そこはガシガシ洗わんでいい。血が出たら止まらない…まんべんなく洗いなさい」 と軽く静止し、指示し直しました。 元々は、成人当事者の方が、 「大学卒業まで親や支援者の言うことを聞いて勉強だけしていたら、社会に出て大変だった。何で教えてくれなかったのか。」 とポストをされていたので、 「ひょっとしたら、各現象の因果関係や紐づけする能力が鍛えられてないか低くて、各説明の因果関係まで説明しないと、本当に理解できないのかもしれない(おそらく想像力の貧困だと思われます)」 「Aの事象を説明して、それがどうしてBに繋がり、CやDという結果を生むようになるか、あらかじめ説明して把握してもらったほうが、因果関係がわかって取り組みやすいかも」 と思い、あえて中1生には難しい福祉のからくりまで『ナニワ金融道』で説明しましたが、 息子からすると「体を自分で洗う」( 身辺自立のスキルアップ)=「廊下を走らない」(守れたらいいね!という指針)と同レベルだったのが、 「体を自分で洗う」=嵐電に乗れるチャンスが増える という因果関係がわかったので、モチベーションが上がったようです。 発達の子に教えるには、背景や因果関係までわかるように教えたほうが、指示が通りやすいこと、 そして当事者が何処まで理解できているか教える側がかなり把握できてないと、理解を浸透させてモチベーションを引き上げることが難しいことが改めてわかった、修羅場な朝でした。 きっかけをくださった成人当事者の方には、感謝申し上げます。 返信する
智ママ 2026年9月6日 Xのポストで論文が流れてきますが、たまたま知らずにしていたことが、論文で検証されたことをここに列記します。 1.天然塩で塩化マグネシウムを摂らせていたら、天然塩に含まれるセレンがいい働きをしてくれたらしく、4歳から7歳の間に、心機能がよくなりました。 セレンは希少ミネラルで摂りすぎると危険なのですが、天然塩は海水を煮詰めたものなので、程よいバランスでセレンが含まれていたため、摂りすぎは防げました。 息子が11歳頃にセレンと心機能の関連についての論文が出ました。 2.「体幹筋トレ&股関節のストレッチをしていたら、何故か発達がみんな良くなるんですよ!」と公立小支援級担任が言っていたのですが、身体の傾きや使い方が脳出血の後遺症で違和感があったので、そのリハビリを兼ねて ①『腸腰筋・大腰筋を同時に伸ばすストレッチ』 ②『お馬さんのポーズ』(手首・肩・股関節・膝・足首が90度になるように四つん這いにします→右手と左足を床に平行に上げて20秒カウントしながら静止→逆に左手と右足を同様に床に平行に上げて静止します→左右2セットから3セットしたら終わりです) をしていましたが、『お馬さんのポーズ』をすることで腹筋が使われる→腹筋の動きで脳の老廃物を排出させる力がアップする→脳の機能がよくなるという『腹筋を使うと頭がよくなる(脳機能が落ちない)』という機序が最近、発見されました。 息子の場合、PTを始めたのが7歳とかなり遅かったのですが、それでも知的発達の改善はかなり見られました。 3.遺伝科で、11歳のときに「脊椎側弯症になりかけている」と指摘されて、11歳の11月からボイタ法を習って毎日施術していました。「呼吸ボイタ」「横ボイタ(体側ボイタ)」「うつぶせボイタ」と呼んでそれぞれ指示通りに毎日施術していましたが、 ①呼吸ボイタだと、施術時に、脊椎に近い深いところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。 ②横ボイタだと、施術時に、側腹部動脈に近いやや深めのところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。 ボイタ法は親指から気を出してもう一つの親指で受け取る形で施術する形になっているので、これ保険診療に組み込まれているけれども、機序としてはいわゆる整体に近いのでは?とは思います。 息子の場合、ボイタ法を施術していると、体の右側と左側でパリパリの流れかたが明らかに違っていて、 「身体の使い方は3歳から歩き始めた頃と違って、左足を引きずらなくなってきたのに、 (歩き方が普通の歩きかたを会得して、できるようになりました) それとともに、身体が素人目に見ても違和感を感じるくらい歪んできて、とうとう脊椎側弯症の可能性を指摘されるぐらいまで来たのだけれども、これなんでパリパリの流れかたに左右差がこんなにあるんだろう…?」と思いながら毎日ボイタ法をして、やっと3月末の時点で身体の歪みが一段落しました。 どうやら脳出血でなくなった右脳の損失を体幹や足先に至るまでの身体の使い方でカバーしていたらしく、その結果、骨盤が倒れるとか猫背になるとか、身体が歪んできて、結果、そこで知的発達が止まっていて、伸びにくかったらしいのですが、 身体を固めすぎてカチカチだったのを、PTと腸腰筋のストレッチとボイタ法で、 固すぎるところは緩める(腸腰筋のストレッチ) 緩すぎるところは固める(ボイタ法とお馬さんのPT) で対応していった結果、普通に近く刺激が入りやすくなったようです。 バイオ・フィードバックとPBMの働きかけも手伝って、それまでの緩い知的発達の改善が、驀進的に進む知的発達改善に変わったようです。 3.に関しては新刊を読んで確認したいと思いますが、息子は左右差がこんなにある状態で何で庇って生きてきたんだろう?そんなに長く歩いて遠くへ行ってみたかったのかな。と思いながら、ポチポチやっております。 当人は姿勢が矯正されると呼吸がラクになるようで、ボイタを喜んで受けています。 セルフでできる部分をいま教えて、施設入所になってもセルフボイタして調整できるように手立てをつけておこうと思っています。 以上、最近になって出てきた「あれ?これって、こういうことだったの?」という照合結果でした。 参考になれば幸いです。 返信する
息子のいる支援級と健常級の合同チームが
合唱コンクールで優勝したと家人から連絡があり
ビックリしておもわず声を上げてしまいました。
いわゆる「お情け枠」とされる
病弱級とはいえ中度知的発達、
しかも一人は21箇所の多発奇形、
そんなレベルの子が2人も
混じっていたにもかかわらず
綺麗な合唱ができて優勝できたのは
どうも学校史上初とのことらしいです。
もうなんと言ってよいか
正直わからないくらいの感情でいっぱいです…
小3の頃は
ドリルを前にして
「ぼくは、心臓だから、できません」
と言っていた息子が、
中1にして
小1国語読解(『朝から5分ドリル』)を解いていて、3問解き終わるまでの時間がだんだん短くなってきたからか、
「僕、頭が良くなってきました!」
「問題を解くのが、たのしいです!」
「これで、西京高校も、いけますか?」
と真っ直ぐな表情で、普通に言うようになってきました。
西京高校:兵庫の灘高、滋賀県の膳所高と同じレベルの、超がつく京都市の公立進学校です。府内でも一、二を争う進学率で知られています。
京都市営地下鉄東西線の西大路御池駅のすぐそばにあるので、先日、西大路御池駅で西京高校のバスケ部のお兄様がベンチにてキリッとスマホとノートで隙間勉強しているのを見かけた息子が
「あれカッコいい!僕もあの高校の制服着たいです!」となって、
私立東山高校のやんちゃでざっくばらんな体育会系の高校生活より、よりによって超がつく進学校の勉学漬けの文武両道の生活に憧れてしまったらしいのです。
私「息子…西京高校行きたいの?」
西京高校は足し算引き算レベルでいける高校じゃないよ?と言ってしまうと、せっかくの憧れで前向きな気持ちを折ってしまうので、
せっかく最近になって「やればできる(最初はガタガタでも、コツコツ訓練を重ねていけば、習熟して、できることが増えて、やれる分野が広がってくる)」という正常な自己肯定感がついてきたところでもありますし、
とりあえず希望は希望でそのままにしておいて、
できることをコツコツ増やし勉学も取り組んだうえで、2年後にまた親子で考えることにしました。
なまじ支援級で『手厚い』支援を受けながら、小学校の6年間、気持ちをへし折られるレベルの厳しいことや難しいことは、最初から二次障害回避のために取り除かれているカリキュラムで生活してきたので、
「願えばできる」と誤学習しかけているふしがあります。
いや、息子、君は障害児教育界の灘高である高等支援にいけたらもう大学病院が仰天することになるんだよ?そのレベルからの【今からの】スタートなんだよ…
と言葉にして説得するのは簡単ですが、せっかく伸びてきた、健康な自己肯定感を消すのももったいないので、それは飲み込んで、当人の希望を尊重してコツコツやらせることにしました。
息子の支援級では、既に高等支援での入試対策として
『目標を立てて授業に臨み、授業の終わりに【ふりかえり】をして、どれだけ当初の目標を達成できたか?を自らに問い、発表させる』
という作文と意識の訓練を始めています。
まだ始めて3日ほどですが、型が入りかかってきているところです。
家庭では、作文対策に、まずはあったことや、したいことを文章で表現することから始めて、報告や要望が文章化できるようになるところを目指しています。
あったことや、やりたい気持ちを文にして、気が済むまで文章を書くところが、母親のパターンとよく似ているので、「へんなところが似たね…」と観察しながら確認しています。
息子の希望と現実は相当かけ離れていますが、うまく統合して、希望を着地させるにはどうしたら一番いいかな?と思案を巡らせています。
合唱コンクールのために、中学校で3ヶ月前から歌の練習を始めた息子。
3ヶ月前の時点では、歌詞も入っておらず、メロディーも全部、見事なまでに音程が外れていました。
これは、筋金入りの音痴な父親に似たのかも…まぁ、私も生来は音痴な方だったし。と思いつつ、めげずに息子が『楽しく歌えること』を優先して、自由曲をYouTubeでかけていました。
8月下旬から、歌の練習を家庭でも始めました。
自由曲を中学校と家庭とで、最低でも中学校で3回、家庭で1回歌わせていると、1週間ほどで、歌詞を全部覚えることができました。
担任の先生が驚いておられました。
その後、連絡帳に課題曲2曲の題名も載っていたので、家庭で課題曲・自由曲3曲をYouTubeでかけて母親が歌い、息子がそれにまったく同調して歌う方式で、毎日1回だけ練習していると、2週間で課題曲2曲の歌詞も全部覚えることができました。
そして、4週間で音程が3分の1、外さずにピタッと合うようになってきました。
(母親はパソコンの歌唱に合わせてベルカント唱法で音を合わせて横でガンガン歌っているだけ)
音痴は、訓練で、ある程度は治せるのは中学時代に知っていましたので、
「健常児だと、とにかく3ヶ月ほどガンガン歌いこめば、たいていの子は音はとれるようになるんだけど…
息子は21箇所も多発奇形だし、中度知的もあるし、無理かな。
でも、音程を多少外してでも、皆で歌う楽しさは中学校で体験してほしいなあ。あれ、楽しいんだよね。」
と思いながら、息子に歌うお手本を見せていましたが、息子も同調しての見取り稽古で音域を当てる歌唱の回路が中1生にして、できてきたようです。
多発奇形でも歌いこめば、楽器の経験がなくても、
音楽の授業で歌に参加し続けることが難しかったとしても、
ある程度は音がとれて、きちんと歌えるようになるんだな。定期的な刺激での反復練習で、回路ができたらあとは、放置していてもできるようになるから、スタートと会得に時間がかかるタイプなんだな。
変なところ、母親にそっくりに育ってるなぁ…天からの才能には恵まれてないけれど、根性一辺倒でコツコツやって会得していくタイプじゃないか。
(私も家系的にかなりな音痴なのを、3ヶ月、連日3回歌い込んで、声の音域や音とり、表現のしかたを獲得したタイプです。)
と、母子で血は争えないことがわかった、日曜日の夜でした。
9月25日はSTでした。
息子が自由帳に書いていった作文の写真やを印刷したものを見て
ST「促音(詰まる音)と撥音(んのある音)と、拗音(きゃきゅきょなど)は書けるようになったんですか?」
私「書けるところもあり、書けないところもあります。割合は半々です。書き終わったあと、母親がチェックして正答を書き足すかたちで確認して覚えさせています」
ST「枠があると、それに気を取られて書き出すことに集中できないので、枠はあってないようなものにしておくといいんですよ。私はコピー用紙を折り曲げて枠を作って、それに書かせて、それから伸ばして資料に使っています」
STいわく、「9歳の壁というものは感じたことがありません。やれば20歳過ぎてても伸びますよ。9歳過ぎたから全く伸びなくなる、という現象は、今まで見たことがありません。」
やれるだけのことでやってみて、伸びがあるなら、仕事の上でできることが増えてくるので
(例:平仮名カタカナがスラスラ読めると、ルビを振ってある説明書が読んでわかるようになります。
ひらがなが書けると、拙くても自分の気持ちやあったこと、したいこと、する予定のことを表現で伝えることができるようになります。
どちらにせよ、仕事や生活の幅は少しでも広がるので、
支援学校でも走り回らせているよりは、少しでも読み書きができるようになって、使えるようになっておくことのほうが、長い目で見ると、その子にとって重要だそうです。)
できないよりは、できることを増やして、同じ職でもできる部分が多いほうが、当人のためにもなるし、仕事以外で役に立つことがあるし
(他の人に伝える手段ができるから)
いいことばかりですよ!
ということでした。
これは私の私見ですが、無理に撥音を繰り返させて延々と同じ発音の訓練をさせているよりも、
発達援助をガンガン行って発達を伸ばしてしまうと、不思議なことに自然と発音もよくなってくるし、促音も撥音も拗音も聞き取れるようになってきたらしく、筆記も書き出すことが半々の割合とはいえ、増えてきたので、
『発達援助→発達する→できることが増える』
のが一番の早道ではないかな?と思いました。
9月18日に、「明日からシルバーウィークですね!」と意気揚々と帰ってきて置いてあるごはんを食べていた息子に、
私「息子。来週の時間割は?」
息子「え?ないですか?」
息子「ないよ」
私「あ!学校に忘れてきました!」
母親、息子の出発3分後に中学校へ電話しました。
電話番の教頭先生「気をつけてくるようにいうといてください。待ってますから」
そしてしばらくして、息子が通学リュックを背負ったまま、支援級中3女子ズ3人に囲まれて帰ってきました。
お風呂の残り湯で行水する息子。
私は洗濯の準備を始めました。
私「…息子。体操服セットは?」
息子「入ってないですか?」
私「リュックに入っとらへんで?」
息子「あーーーー!学校に忘れてきてるーーー」
風呂から上がって体を拭いて、洗う予定だった制服を上下身に着けて、再び出発しました。3回目の出撃なので水筒だけもたせて
手ぶらで行かせました。
私「すみません、智ママです。…2回目で申し訳ないです。今度は体操服セットを学校に忘れてました。休みで5日間空きますので、今から取りに行かせます。」
電話番の教頭先生「ぶはっ!(笑)何とまぁ!(笑)…気をつけてくるようにいうといてくださいねー。担任には知らせておきます」
2日間連続で使った体操服セットを持ち帰った息子「先生が扇風機に当ててくれましたー」
このことをラインで報告を受けた夫「チャップリンの映画、地でいっとるな」
私「心疾患の子どもなんだが、その身でチャップリンは辛いんじゃないかな。体操服に汗の臭いが完全にこびりついたら、なかなか取れへんから取りに行ってもらったけど」
私「心臓悪いんだから、身体で笑いをとりに行かんちゃ、かんまんのに。発達やねえ…」
AIと相談の上、息子に何回も学校にやまびこのように取りに行かせるわけにはいかないので、子ども用のチェッカーを通学リュックにつけて、中身を確認してから出かける、または帰宅してすぐ翌朝の準備をしておく。などの形を中学校と家庭の両方で行うことで、穴の空いた頭で無理に何でも記憶しなくてもいいように補助することにしました。
夫もなぜか忘れ物が多く、帰っていったあとで忘れ物が見つかり、白エビ県のアパートに郵便物で届けないと!となるので、ついでにチェッカーを、リュックかショルダーポーチに下げてもらうことにしました。
先程注文しましたので、父子でチェッカーユーザーとなることが決定しました。
しばらくは息子に『チェッカーをチェックして、そのときにきちんとモノを揃えるのを覚えておく』ことを訓練しないとならないようです。
忘れ物を減らさないと、今後に心機能がどんどん落ち始めると簡単に取りに戻れなくなるので、今からが肝心です。
することリストの項目別チェッカーは、中学校で利用していますが、持ち物のチェッカーもあったほうがいいかと思い、手配しました。
今後の改善に期待します。
朝からの父子の会話。
(朝ごはんに置いてある炒飯を食べながら)
息子「お父さん、今日は高槻に行きます。が、その前にお知らせしたいことがあります」
夫「何?」
息子「お母さんは、速く歩きすぎると疲れやすいので、ゆっくり歩いてあげてくださいね」
息子「お母さんは、疲れるとキレてしまうので、マメに休むと長く歩けて、早く回復しますよ」
夫「…そう」
息子、父親相手に、母親の行動支援計画と引き継ぎ、母の取説の伝授を自主的に朝食の場で行っておりました。
お金はかかってないですが、ほぼビジネスランチならぬ、家庭内でのビジネスモーニングです。
居間での会話を聞いていて、夜明けに炒飯を作ってて遅寝して寝ぼけていた私は
「いや、そこ、行動支援受けるのは、君であって、私ではないし!配慮は少しいるけど!」
と内心ツッコミを入れながら、布団の中で椅子転がりしそうでした。
高槻の生命誌記念館に行って、展示を見せましたが、内容が今では高2生物クラスになっているので、私達両親には物足りず、私設図書館に置いてある書籍を読んで、20年以上前の生命誌記念館でのデートを思い出して、懐かしんでおりました。
息子と2人だけの外出となると、目的地までの移動中に見たものの社会学・交通行政・地方経済・都市の文化・町割りなどの都市計画に関してのツッコミや補足説明、疑問に対しての回答などが少なめで、
ほぼ息子の子守り状態に近いですが、
家族3人の外出だと、両親があれこれ大人の会話をしているのを息子が耳学問できるので、私が一緒だと手間も時間もかかりますが、両親の得意とする分野を耳から学べて、楽しいらしいです。
高槻の生命誌記念館は、子どもが生まれて小5小6ぐらいになったら親子3人か4人で来たいなあ。と思っていた場所だったので、夢がかなって、嬉しいシルバーウィークでした。
オランダ国外では最後の公開になるかもしれないと言われるヨハネス・フェルメールの展覧会(大阪・中之島美術館)に父子で観る機会に恵まれました。
わたくしの院生時代に上の階の研究室の先生が当展覧会の最大の目玉となった「真珠の耳飾りの少女」をことのほか気に入っておられて雑誌に賛辞を何度も寄せられた記憶もあり、今回足を運んだ次第です。
当日券は完売していましたが、療育手帳を使う場合は当日券がなくても付き添いともに会期中1回限り観覧できる条件を利用できました。
耳飾りの少女画を間近で見られたのは文字通りほんの一瞬だけでしたが、なぜこのような作品に多くのひとがいまなお惹かれるのか折々に考える機会となりました。
息子当人は繊細な画風の人物像を観て特に感想を呈した風は無かったのですが、多分あとあとになってから何かしらの言動になって出てくるのだとおもいました。
息子の興味は美術館内のエレベーターと乗り物にあることは相変わらずでしたが、超レアなコンテンツに観客が殺到するなかでも行儀正しく大人しく行動できていました。
一番印象に残ったのは、この後に立ち寄ったセルフのうどん屋さんで、うどんの載ったお盆を両手で持って、私の指示で客席までこぼさず運べたことでした。多分当人には初めてだったとおもいます。
このあとも地下鉄とバスを乗り回しながら帰宅は深夜を回り、翌朝はゆっくり過ごしながらこの一文をしたためています。
息子の参加する合唱コンクールの日が近づいてきました。
支援学校中学部には合唱コンクールはありません。公立中ならではの催し物です。
ベルカント唱法を会得するのはまだ難しく、(ベルカント唱法は、音を頭頂部めがけて発声して頭蓋で響かせる、ヨーロッパ古式由来の『美しく歌う』方法です。私は小6で音楽の授業で習って、国立大付属中の中1の合唱コンクールから学校全体でバリバリに勉強をさせられました)
「まだのびのびと歌えることを楽しめるだけでもいいかな」と見守っています。
楽器を習ったことがない息子にメロディーの同調はできても、音とりが難しいため、
①YouTubeで課題曲2曲・自由曲をかける
②音域はメゾアルトでもソプラノの音域を出せる私が歌ってみせる(ベルカント唱法を使う)
③私の歌声に同調するかたちで息子がボーイソプラノで歌う(ほぼ地声だが、身長が低いのでソプラノ音域です。来年は声が低くなってくるので、今だけ限定の、貴重な歌声です。)
という3段階で3曲の歌唱の練習をしています。1人で歌う練習だと寂しい感じがしても、母親が堂々と歌っているのに合わせると楽しいのか、自由曲1曲の歌詞を全部覚えたあと、課題曲2曲の歌詞もほぼ覚えてしまいました。
ちなみにPBM前は息子、公立小の校歌はサビしか歌えず、残りは歌えないのでハミングしてごまかしてました。
連日のPBMの結果、短期記憶→長期記憶への記憶力が増したようです。
公立中の校歌も、自由曲も、課題曲2曲も、4曲とも間違いなく通しで歌えるようになりました。
母親と自宅⇔最寄り地下鉄の道の往復で歌うことで、歌詞を確認したり音の外れ度合いを修整したりする時間に充てて、母子で『にわかコーラス部』として歌いながら歩く。という青春を楽しんでいます。
公立中ならではのイベントの経験も目的として、わざと息子に支援級に通わせているので、高等支援を想定したカリキュラムも、地域の総合支援学校高等部を視野に入れたカリキュラムも、1つの通学で三度美味しい。という、貴重な体験となっています。
息子いわく、「頭がよくなると、楽しいことがふえるので嬉しいです」とのことです。
中1生、どこまで知的に伸びられるかどうかわかりませんが、行けるところまで行こうと思います。
息子の作文能力についての記載です。
3年前のお正月あけ→3文字書くと疲れてしまい、すぐに投げ出してました。
2年前のお正月あけ(バイオフィードバックのみ開始)→1単語、5文字書いたら「もういい」と言って鉛筆を置きました。
1年前の5月下旬にPBMを開始しました。
現在(PBM開始から一年と4ヶ月後)→まだマスに字をピッタリに書くのが難しいようなので、自由帳にフリーで書かせていますが、「気が済むまで書く」ことができるようになりました。
作文の内容は小1レベルですが、あったことを記載したり、自分の予定を伝えるには文字が操れて書けることが大切なので、これからも受験対策も兼ねて作文は続けていこうと思います。
帰宅した直後に、息子のリュックに見慣れない折りたたみ傘が濡れたまま入っていました。
私「ちょっと待った!これ、どこの?」
息子「登校してるとき、登校ボランティアさんから『もらいました』」
私「それ『もらった』んと違う!貸してくれたんや!」
私「借りたものはちゃんと返さなきゃ!」
となり、慌てて傘を拭いてエアコンで乾かして、手近にあったジャガイモ一袋に、付箋1枚に『傘を貸していただいてありがとうございました』と書いて貼り、泥が傘につかないように透明なビニール袋に入れて口を縛り、傘もジャガイモ一袋の透明なビニール袋も白いビニール袋に入れて息子に渡し、
私「ボランティアさんのお家に、今から傘を返してらっしゃい。『ありがとうございました』って言って返してきなさい」
と言ってから送り出しました。
しばらくして「ボランティアさんに『ありがとうございました』と言って、受け取ってもらいましたー」と言いながら帰ってきて、おやつにラーメンを食べていたので、
①借りたものは綺麗にして返す
②お礼の気持ちはちょっとした品物にして渡す
③「ありがとうございました。助かりました。」と言ってから返す
という貸し借りの基本事項を学習してもらったことになりました。
途中、所有者の管轄が公立中か、登校ボランティアの私的なものか、中学校に電話で問い合わせしてバタバタするという一幕がありましたが、
何とかなってホッとしたことでした。
小さいことですが、ここは親が何でもしてやっていたら当人の身に着かないので、ちょっと難度が高いかな?とは思いましたが、直接お礼を述べて返させに行かせて、よかったです。
息子、登下校の際に先輩の中3生や普通級中1生(男女問わず)に話し相手になってもらって、ときどき会話を楽しみながら移動しているようです。
よくなっても、中度知的発達レベルだったので、登下校はひとりぼっちもあるかも。とあらかじめ覚悟していましたが、杞憂に終わりました。
いまは母親が急かすより「(先輩の)〇〇さんと一緒に登校できなくなるけど、急がなくていいの?」と声をかけるだけで、目の色を変えて登校準備をして、小走りで出かけていきます。
『親より仲間』の時代を息子が迎えられたのが何より嬉しいです。
息子の模倣に対する反応時間の推移です。
(小さい頃は打てば響く間合いの時間でカウントしました)
4歳→打てば5秒後から53秒までに響いて反応する男
6歳→打てば2秒から3秒で響く男
9歳→打てば3タイミングくらいで響く男
(9歳の12月から療育整体を始めました)
10歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミング遅れて歩調を合わせることができる男
(11歳の5月下旬にPBM開始しました)
11歳→毎日2ヶ月訓練すればワンタイミングの遅れ無しで動きを合わせることができる男
12歳→TVで振付師が簡単な振付をしていたら、見たその場で振付どおり踊れる男(3動作の振付でした)
PBM開始後は急激に発達や運動能力が上がってきていて、同期したり初見模倣ができるようになってきています。
4歳の頃に風邪で40℃の熱を出して総合病院の小児科に緊急入院し、途中で中耳炎と診断されて1週間以上小児科のベッドに釘付けでした。
あまりに退屈なので、
私「(夫に)この子、打てば53秒後に響く男でして」
夫「遅っ!」
同室の5歳男児の母親「ぶふっ(思わず笑う)」
夫「遅いくせにやたらに時間には細かいのな」
5歳男児の母親「あははは…、すみません、聞こえてしまって。あんまり可笑しいので笑ってしまいました」
夫「息子〜。笑いとってしもたで?4歳にして、やるなぁ!(夫は親バカで、息子に関しては何でもポジティブに捉えてしまいます)」
あとから、5歳寝たきり男児の子が、そのお母さんからしたら2度目の出産の双子の弟さんで、
1歳半で腸閉塞→手術したものの合併症→再度手術して手術ミス→心停止からの低酸素で脳に重い障害が残り寝たきり、経管栄養をしても1時間おきに吐いてしまう状態に
→その容態のまま風邪をひいたので命が危険になり、総合病院にレスパイト入院も兼ねて、母親と父親と祖父母二人ずつ合計6人ががときどき泊まり込みしてその子のケアと付添(残りの家族は自宅で二人の子の子育て)
という事情で、
その子(寝たきり5歳男児)が1歳半の頃から障害を負って、ほぼ笑うことを忘れて死にものぐるいで他の子達の子育てとその子のケアをしていたので、
息子の身体を張ったネタ提供と、母親の真面目な天然ボケ子育て報告と、夫のツッコミで、
「ホンマに数年ぶり、この子がまだ健常だった頃から数えたらもう3年半かなぁ。久しぶりにお腹の底から笑えました。」
「声を出して笑ったら、疲れが吹き飛びました、ありがとう智くん!これだけ明るいお母さんとお父さんなら、きっと智くん、どんなことがあっても大丈夫やわ。元気に育ちますよ!」
と予言されながらいたく感謝されました。
いま振り返ると、その重度寝たきりのお子さんのお母さんの予言は見事に当たっています。
まさか12歳で情報処理能力が身体的にこれだけ上がるとは想定してなかったので、驚きました。
現在は毎日のPBM(20分)と、療育整体、ボイタ法、体幹筋トレ・腸腰筋のストレッチ、猫ちゃん体操を組み合わせて、母親がヘバって寝込んでいなければ、だいたい20-30分程度ボディケアをしてから寝ています。
10月までは合唱コンクールのために課題曲と自由曲3曲を、家庭での練習として、YouTubeをかけて毎日歌っています。
また、気づきがありましたら、こちらに報告します。
身辺自立のために、声かけはしていますが、反応が薄くて自分ごとではないため、
・息子と母親は別個体なので、ご飯を食べなければお腹がすくのは息子
・お風呂に入るのを忘れていて朝バタバタになると困るのも息子
と、『自分と母親は別個体だ』という認識を持ってもらうように繰り返し言っています。
うるさく言うのも気分が悪いかな?と思ったので
朝に身体を洗ってもらおうとして、湯殿で湯坊主を待っているお殿様のように座ったまま待っている息子に、
「何もできない人は、施設に早くはいります」
「B型と生活保護だと、施設利用料と衣類・日用品費を払ったら、ほとんどお金が残らなくなるので、嵐電の運賃250円が払えなくなります」
「なので、外にいけなくなります」
「自分で自分のことができない人・時間が守れない人・1人で外を歩けない人は、外出許可がおりません。病院の付添はついてきてもらえます」
「施設は、入浴介助加算がついたら、余計にお金をとられます」
(あえて老人ホームの加算スタイルを説明しました)
「人にしてもらったら、お金がかかるので、息子のお金は残りにくくなります」
「自分で頭も体も洗えるようになってお金を作りますか?それとも全部してもらって、嵐電は乗れない生活をしますか?」
「障害枠で働けたら、お金が余るので、ときどき嵐電には乗れるようになります」
「どちらがいいかは、息子が決めていいです」
と、21箇所の多発奇形・中度知的発達の中1生に、『ナニワ金融道』ばりに、福祉の料金システム・自立支援・お金の教育・交通教育の4要素を一度にまとめて行う。という説明を行いました。
息子、好きな嵐電に乗れるかどうかが、お風呂と紐づいて理解できたようで、今まで何度言っても身体を洗うのを覚えようとしなかったのが、俄然、身体をボディタオルでゴシゴシ洗うようになり、クォーター特有の薄い皮膚が真っ赤になりました。
「いや息子、そこはガシガシ洗わんでいい。血が出たら止まらない…まんべんなく洗いなさい」
と軽く静止し、指示し直しました。
元々は、成人当事者の方が、
「大学卒業まで親や支援者の言うことを聞いて勉強だけしていたら、社会に出て大変だった。何で教えてくれなかったのか。」
とポストをされていたので、
「ひょっとしたら、各現象の因果関係や紐づけする能力が鍛えられてないか低くて、各説明の因果関係まで説明しないと、本当に理解できないのかもしれない(おそらく想像力の貧困だと思われます)」
「Aの事象を説明して、それがどうしてBに繋がり、CやDという結果を生むようになるか、あらかじめ説明して把握してもらったほうが、因果関係がわかって取り組みやすいかも」
と思い、あえて中1生には難しい福祉のからくりまで『ナニワ金融道』で説明しましたが、
息子からすると「体を自分で洗う」(
身辺自立のスキルアップ)=「廊下を走らない」(守れたらいいね!という指針)と同レベルだったのが、
「体を自分で洗う」=嵐電に乗れるチャンスが増える
という因果関係がわかったので、モチベーションが上がったようです。
発達の子に教えるには、背景や因果関係までわかるように教えたほうが、指示が通りやすいこと、
そして当事者が何処まで理解できているか教える側がかなり把握できてないと、理解を浸透させてモチベーションを引き上げることが難しいことが改めてわかった、修羅場な朝でした。
きっかけをくださった成人当事者の方には、感謝申し上げます。
Xのポストで論文が流れてきますが、たまたま知らずにしていたことが、論文で検証されたことをここに列記します。
1.天然塩で塩化マグネシウムを摂らせていたら、天然塩に含まれるセレンがいい働きをしてくれたらしく、4歳から7歳の間に、心機能がよくなりました。
セレンは希少ミネラルで摂りすぎると危険なのですが、天然塩は海水を煮詰めたものなので、程よいバランスでセレンが含まれていたため、摂りすぎは防げました。
息子が11歳頃にセレンと心機能の関連についての論文が出ました。
2.「体幹筋トレ&股関節のストレッチをしていたら、何故か発達がみんな良くなるんですよ!」と公立小支援級担任が言っていたのですが、身体の傾きや使い方が脳出血の後遺症で違和感があったので、そのリハビリを兼ねて
①『腸腰筋・大腰筋を同時に伸ばすストレッチ』
②『お馬さんのポーズ』(手首・肩・股関節・膝・足首が90度になるように四つん這いにします→右手と左足を床に平行に上げて20秒カウントしながら静止→逆に左手と右足を同様に床に平行に上げて静止します→左右2セットから3セットしたら終わりです)
をしていましたが、『お馬さんのポーズ』をすることで腹筋が使われる→腹筋の動きで脳の老廃物を排出させる力がアップする→脳の機能がよくなるという『腹筋を使うと頭がよくなる(脳機能が落ちない)』という機序が最近、発見されました。
息子の場合、PTを始めたのが7歳とかなり遅かったのですが、それでも知的発達の改善はかなり見られました。
3.遺伝科で、11歳のときに「脊椎側弯症になりかけている」と指摘されて、11歳の11月からボイタ法を習って毎日施術していました。「呼吸ボイタ」「横ボイタ(体側ボイタ)」「うつぶせボイタ」と呼んでそれぞれ指示通りに毎日施術していましたが、
①呼吸ボイタだと、施術時に、脊椎に近い深いところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。
②横ボイタだと、施術時に、側腹部動脈に近いやや深めのところにパリパリ何かが流れているのがわかりました。
ボイタ法は親指から気を出してもう一つの親指で受け取る形で施術する形になっているので、これ保険診療に組み込まれているけれども、機序としてはいわゆる整体に近いのでは?とは思います。
息子の場合、ボイタ法を施術していると、体の右側と左側でパリパリの流れかたが明らかに違っていて、
「身体の使い方は3歳から歩き始めた頃と違って、左足を引きずらなくなってきたのに、
(歩き方が普通の歩きかたを会得して、できるようになりました)
それとともに、身体が素人目に見ても違和感を感じるくらい歪んできて、とうとう脊椎側弯症の可能性を指摘されるぐらいまで来たのだけれども、これなんでパリパリの流れかたに左右差がこんなにあるんだろう…?」と思いながら毎日ボイタ法をして、やっと3月末の時点で身体の歪みが一段落しました。
どうやら脳出血でなくなった右脳の損失を体幹や足先に至るまでの身体の使い方でカバーしていたらしく、その結果、骨盤が倒れるとか猫背になるとか、身体が歪んできて、結果、そこで知的発達が止まっていて、伸びにくかったらしいのですが、
身体を固めすぎてカチカチだったのを、PTと腸腰筋のストレッチとボイタ法で、
固すぎるところは緩める(腸腰筋のストレッチ)
緩すぎるところは固める(ボイタ法とお馬さんのPT)
で対応していった結果、普通に近く刺激が入りやすくなったようです。
バイオ・フィードバックとPBMの働きかけも手伝って、それまでの緩い知的発達の改善が、驀進的に進む知的発達改善に変わったようです。
3.に関しては新刊を読んで確認したいと思いますが、息子は左右差がこんなにある状態で何で庇って生きてきたんだろう?そんなに長く歩いて遠くへ行ってみたかったのかな。と思いながら、ポチポチやっております。
当人は姿勢が矯正されると呼吸がラクになるようで、ボイタを喜んで受けています。
セルフでできる部分をいま教えて、施設入所になってもセルフボイタして調整できるように手立てをつけておこうと思っています。
以上、最近になって出てきた「あれ?これって、こういうことだったの?」という照合結果でした。
参考になれば幸いです。