ホーム全て会議室いま会議室で話していること 私の治った自慢 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE 成人当事者の皆さん、グレーゾーンの皆さん ・前は悩んでいたこんなことが治ったよ ・こんなことに取り組んでみたら効果があったよ というエピソードをどんどんお寄せください! 378 COMMENTS シア 2019年9月29日 こんばんは。 こんな深夜ですが、夜更かししている自分を許せるくらい、今週は頑張ったように思えます。 そして、私は自分を相対化することを覚えてきました。 完全ではない自分を受け入れる準備が、整ってきたように思います。 要は、過剰に自分をかっこつけたり、取り繕ったり、いい格好をしようとも別に思わなくなりました。 「いい子」と言うのは、「いい子」に見せかける人ではなくて、「いい子」である人のことだと思いますからね。 もし、自分が大していい人間でもない、ちっぽけな人間だと思ったら、ずいぶん気持ちが軽くなりました。 ダメで、不完全で、間抜けで、でも真面目な所もある自分が、私は気に入っています。 多分、自己肯定感というものは、ものすごく立派な自分を求めているうちは、決して手に入らないと思われます。 何故なら、現実にそんな人間は、周囲を見渡してもほとんどいないし、ましてほかでもないこの私が、そんな人間を気取ること自体、間違っています。 滑稽でさえあると思いませんか? 自分を相対化することによって、正確に自分の立ち位置を知ろうとするに至り、自分を認めることができてきたように思います。 (これも治ったうちだと思いますね。) 返信する シア 2019年9月25日 こんばんは。 「眼振」が治ったと思います。 発達障害と、特に重い部類の自閉と、眼振とかは、関係があると言われた時代がありましたね。 昔は、脳の障害としても、どこかしら病変があったと見えて、痙性もそう。 眼振もそう。 今でこそ、○○覚などと言われたりするようですが、わからなかった頃は、てんかんとかいろいろあったんです。 眼振が治ったと言う、大きな根拠は、射撃の成績が上がったり、朝ライドで自転車に乗っていて、左右を見回す時に、目の焦点がすぐに合うのです。 私は、目の焦点を合わすまでに、二重に見えて、やがて左右の視界が一致するような、双眼鏡のような眼をしていたんです。 遠近によって、焦点距離を変えたりするときに、目の動きが即座に間に合わなくて、眼振が起きていました。 目のけいれんです。 近くから遠くに慌てて目を向けようとすると、視界がぶるぶるブレるんです。 焦点が合うまで大変。 まぁ、わずかな時間差が、事故にもつながりかねないですからね。 コレでまた治った。 返信する 浅見淳子 2019年9月25日 シアさん、 目は顔の中にあって、顔は首で身体とつながっています。脳と身体をつなげるのが身体アプローチです。だから目のブレが治るのは十分あり得ますね。発達障害が治る副産物だと思います。 返信する シア 2019年9月13日 「どかん!」を期待していて、なかなか来なかったけど、それを希望にして、ゆっくり治ってきた感じがするのです。 それがなんか、小さな時に治っていたら、そう言うこともなかったのかな。 コレはコレで、悪くないな、と思えます。 子の治り方の緩いスピードが、マイペースの私にはちょうどいいかも。 返信する シア 2019年9月13日 子の治り方→この治り方。 返信する シア 2019年9月13日 こんばんは。 ついに、「うつ」抜けたようなんです。 私、うつ病み(闇)15年。。 長かった。 いつも、こんな時間は、死ぬと言うことしか、頭になかった。 天国は、あるのだろうか。 天国は、どんなところなのか。 そのことばかり、考えてました。 疲れて、必然的に、うつになって、動けなくて、苦しい。 あの感覚はまだ生々しい。 恐らく、うつを経験しなかったら、全く経験することなどなかったと思います。 だから、うつの辛さはすごくわかる。 本当に、真っ暗闇で。。。でも、ここ最近、気づいてみたら、うつになってない。 静かで、穏やかで、生きてる感じ。 うつが治った。 返信する シア 2019年9月10日 今日は、体調がよく、久しぶりに射撃場に行ってきました。 二年ぶりに、競技に参加です。 ゼロイン(照準の調整)をし、競技場の管理者ともいろいろ話ができました。 この人は、事前に道具についてアンケートを取っていて、資料を集めてくれたので、いろいろスムーズでした。 競技復帰の夢が叶いました。 返信する こより 2019年9月6日 抗うつ薬、睡眠導入剤、ストラテラ、コンサータ。断薬後の離脱症状も無くなり、生活が楽になりました。血圧が不安定でしたが、最近は落ち着きました。 てんかんの薬は、継続中ですが、離脱症状が無くなり快適です。 主治医からは「精神的に落ち着いているし、離脱症状も収まったから、通院の間隔を開けましょうか。」と言われました。 クリニックに通い始めたのが2007年。酷い時は週に一回、良い時でも二週間に一回は通院をしていました。症状がきつくて、診察日ではない時も駆け込んで注射をしてもらったりもしました。 睡眠導入剤、抗うつ薬、と減薬断薬は進み、コンサータやストラテラも不要になりました。 減薬を進めていく途中で、周囲の雑音がかなりありましたが、主治医が「いらない薬は減らしたほうがいい。症状が落ち着いたのに、いつまでも飲む薬じゃない。」と言い切ってくれたのと、花風社クラスタの皆さんの存在が大きな励みになりました。 コンサータやストラテラが無くても、家事その他の日常に困らないようになりました。 私のたくさんの主治医たちは皆減薬断薬に協力的で、それぞれいいアドバイスをくれました。神田橋先生を尋ねて、減薬の相談をした日は、「遠い昔」になりました。 返信する 浅見淳子 2019年9月7日 こよりさん、シアさん、断薬成功おめでとうございます! 返信する シア 2019年9月5日 断薬、二か月ほどになります。 至って、大丈夫。 歩けるようにもなってきて、怠さがない。 作業がはかどります。 返信する シア 2019年9月5日 今日の治った自慢。 やりたいことがあります。 そのために、必要なものを、手に入れつつあります。 道具は手に入りました。 あとは、体力。 これからも、上がることはあっても、簡単に崩れないように、しっかりやっていきます。 返信する シア 2019年9月2日 私は、最近こうしてます。 「体の疲れ」と、「頭の疲れ」はリンクしている。 そして、「頭の疲れ」『だけ』取ることは不可能! 「体の疲れ」と、「頭の疲れ」は、セットで治す。 コレが、一次障害と、二次障害と言っていい。 「身体の問題」(一次障害)が治らないと、「頭の問題」(二次障害)は治らない。 「頭の疲れ」「頭の問題」【だけ】を治すことは不可能。 どういうことかと言うと、「体の疲れ・頭の疲れ」はセットで治す。 頭の疲れ「だけ」治すことは不可能。 頭が休まっているときは、必ず、身体も休まっています。 返信する シア 2019年9月2日 問題を前に、考えるのもいい。 でも、多くの個人的な問題を解決する場合、そんなに複雑なことは、いきなりは起きませんね。 小さなハードルから、だんだん大きなハードルになっていくのならば、最初は瞬発力や、フットワークが大事ですね。 組織的な人間関係よりまず、自分のコンディションをよくして、落ち着いて向き合う。 そのためには、悩んだりせず、行動。 その第一歩は、体操かもしれないですね。 返信する シア 2019年9月2日 「行動アプローチ」と勝手に呼んでることも、最近あるんです。 「考え」と「行動」。 考えを変えるより、行動を変えたほうが明らかに速いと言うことは、科学的に実証されてます。 だから、どうしようかなぁ。。。と思ったとき、とにかく深呼吸。 とにかく、背伸びをしたり、顔を洗ったり、頬や掌をつねってみたり、身体アプローチを行動化してみる。 環境は、外部にあります。 身体は、内部にあります。 内部から攻めたほうが、弱ったときは効果的。 内面が熟すと、外に目が向きますね。 心が落ち着くと、部屋が片付きます。 葛藤や、心のしこりをほぐしてから、取り組めます。 行動は、身体の働きに他なりません。 身体の働きをする。 準備体操。 ストレッチ。 部屋を片付ける前、腕まくりをするのもいいのですよね。 返信する シア 2019年9月2日 考える・悩む・生きづらがるのを止めて、何かしてみると違います。 エネルギーの使い方、努力の方向が、言葉と、言葉以前のアプローチでは違うと思うのです。 返信する シア 2019年9月2日 「こだわり」には、良いものと、良くないものがあると思います。 「こだわり」を、大きく二つに分けます。 その二つとは、「囚われ」か、「追求」かです。 「囚われ」は、○○じゃないと嫌だ! ○○じゃないと駄目だ!という、○○がないと駄目だ!と言う観念です。 ○○がなくても、ホントにそんなに困るのか? それでは、逆に、「追求」と言うのは、「追って求める」「もっともっとと追及する」「求道」「精進」そう謳えるものかもしれません。 身体感覚で、「○○がないと嫌だ!」と言う感覚。 身体感覚で、「もっと○○にしたい!」と言う感覚。 これが、「いいこだわり」「悪いこだわり」のリトマス紙だと思ってます。 つまり、悪いこだわりは、不快を避けようとしてます。 いいこだわりは、快感を得ようとしています。 本当に、明らかに不快なのか? 本当に、明らかに快感なのか? これは、身体アプローチで、自分と向き合うことで「はっきり」します。 いいこだわりに力を注ぎ、無駄なこだわりは削いでいく。 それでラクになりました。 集中力も増したはずです。 返信する シア 2019年9月2日 ・取り組みとしては、身体アプローチ、風船ワークが一番私には効きます。 ・結果としては、身体に意識がより向くようになって、疲労困憊する前に休めます。 結局、その方が日常生活もスムーズです。 返信する ブルー 2019年9月1日 現在連載中の「徒手系治療家との日々」リンク集です。 (管理者の方へ:リンクが4つ以上になります。お手数おかけいたします。) <治療の始まり・初回> 前編 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-876 後編 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-877 <初回のその後> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-6/#comment-1042 <番外編:徒手系治療家にインタビュー> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-7/#comment-1165 <過去の日記から。見直してみて驚いたこと> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-9/#comment-1803 返信する ブルー 2019年9月1日 こんにちは。「徒手系治療家との日々」を書いております。 (※次の書き込みで、過去連載のリンク集を貼っておきます。多数リンクが張られている関係上、公開まで少しかかりますがご容赦ください) 代替療法の先生の元にも通いながら、徒手系の先生の治療に継続して取り組んでいた話です。 徒手系側の治療内容としては、仙腸関節の出生時損傷を治療するため、頭蓋~脊椎~仙骨に至る硬膜を改善する、というものです。これは全身、特に神経系への影響が甚大で、世の中においては発達凸凹のお子様に対しての発達援助効果の実績もあるようでした。 徒手系の先生と代替療法の先生の2人の元に通い、治療を行った期間は1年間です。私はその年のテーマを「治療」と定め、全力を尽くしました。 そして、私は折に触れて日記のような形式で、考えを整理する習慣があるのですが、当時の日記はまだ残っています。 そこには徒手系治療の記録も残っており、当時の私の身体の変化や心境の変化が記されています。今それを見返すと、改めて興味深いものがあります。 特に衝撃的だったのは、治療開始から丸4ヶ月を経過した段階の日記です。この時点で、徒手系治療は、治療開始から7回目を終了、代替療法の先生からの処方も何パターンか行った時点の日記です。 以下、当時の日記からの抜粋です。 ——————————————————————————- <当時の日記の文章> 発達凸凹は『治せる』という気がしてきた。 自分の本質を、心身のサビ(略)をとってあらわにし、 自分のベストバランス、社会とのベストバランスをもう一度取り直す。 「生まれ変わる」勢いで治療と勉強に取り組んでいるが、 生まれ変わる⇒治すということである。 心の奥底が前向きになってきた。記録を見ると分かる。 (略) 体が強くなってきた? (略) ◎◎◎(注:代替療法の、ある処方。私個人には強烈に著効)以降、 やはり世界が明るい。 心も、頭蓋骨も、ポジション変わったかも。 特に、心は羽根のように軽くなっている。 ———————————————————————————— 時系列としては、私が花風社の本に出合ったのは、この治療の数年後です。しかし、既にこの時点で「発達凸凹を治せる」という気になってきています。今の私は、これをすっかり忘れていました。ですので、今回日記を見返してみて驚きました。 治せる気がしてきたのは、治療が進むにつれて身体の奥の方の生命力や治癒力が強くなってきたのを、なんとなく体感していたからのように思います。 また、日記の文章にもありますが、この段階で主観的世界の感じ方が変わり始めています。これは今でも覚えているのですが、「心身の透明度が増してきた」感覚がありました。 今回は短めに、この辺で。 当時の身体の変化を確認するために、日記を見直したら一番衝撃的だったのがこのくだり、むしろ心や体験世界の変化でした。しかし、それは元を辿れば、身体の変化がもたらしたものです。 次回以降も、当時の日記を元にして、身体や心の変化を時系列で書いていければと思います。 それではまた。 返信する 浅見淳子 2019年9月1日 ブルーさん、ありがとうございます。 興味深いです。 続きも楽しみにしています。 返信する 過去のコメントを表示 新しいコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
シア 2019年9月29日 こんばんは。 こんな深夜ですが、夜更かししている自分を許せるくらい、今週は頑張ったように思えます。 そして、私は自分を相対化することを覚えてきました。 完全ではない自分を受け入れる準備が、整ってきたように思います。 要は、過剰に自分をかっこつけたり、取り繕ったり、いい格好をしようとも別に思わなくなりました。 「いい子」と言うのは、「いい子」に見せかける人ではなくて、「いい子」である人のことだと思いますからね。 もし、自分が大していい人間でもない、ちっぽけな人間だと思ったら、ずいぶん気持ちが軽くなりました。 ダメで、不完全で、間抜けで、でも真面目な所もある自分が、私は気に入っています。 多分、自己肯定感というものは、ものすごく立派な自分を求めているうちは、決して手に入らないと思われます。 何故なら、現実にそんな人間は、周囲を見渡してもほとんどいないし、ましてほかでもないこの私が、そんな人間を気取ること自体、間違っています。 滑稽でさえあると思いませんか? 自分を相対化することによって、正確に自分の立ち位置を知ろうとするに至り、自分を認めることができてきたように思います。 (これも治ったうちだと思いますね。) 返信する
シア 2019年9月25日 こんばんは。 「眼振」が治ったと思います。 発達障害と、特に重い部類の自閉と、眼振とかは、関係があると言われた時代がありましたね。 昔は、脳の障害としても、どこかしら病変があったと見えて、痙性もそう。 眼振もそう。 今でこそ、○○覚などと言われたりするようですが、わからなかった頃は、てんかんとかいろいろあったんです。 眼振が治ったと言う、大きな根拠は、射撃の成績が上がったり、朝ライドで自転車に乗っていて、左右を見回す時に、目の焦点がすぐに合うのです。 私は、目の焦点を合わすまでに、二重に見えて、やがて左右の視界が一致するような、双眼鏡のような眼をしていたんです。 遠近によって、焦点距離を変えたりするときに、目の動きが即座に間に合わなくて、眼振が起きていました。 目のけいれんです。 近くから遠くに慌てて目を向けようとすると、視界がぶるぶるブレるんです。 焦点が合うまで大変。 まぁ、わずかな時間差が、事故にもつながりかねないですからね。 コレでまた治った。 返信する
浅見淳子 2019年9月25日 シアさん、 目は顔の中にあって、顔は首で身体とつながっています。脳と身体をつなげるのが身体アプローチです。だから目のブレが治るのは十分あり得ますね。発達障害が治る副産物だと思います。 返信する
シア 2019年9月13日 「どかん!」を期待していて、なかなか来なかったけど、それを希望にして、ゆっくり治ってきた感じがするのです。 それがなんか、小さな時に治っていたら、そう言うこともなかったのかな。 コレはコレで、悪くないな、と思えます。 子の治り方の緩いスピードが、マイペースの私にはちょうどいいかも。 返信する
シア 2019年9月13日 こんばんは。 ついに、「うつ」抜けたようなんです。 私、うつ病み(闇)15年。。 長かった。 いつも、こんな時間は、死ぬと言うことしか、頭になかった。 天国は、あるのだろうか。 天国は、どんなところなのか。 そのことばかり、考えてました。 疲れて、必然的に、うつになって、動けなくて、苦しい。 あの感覚はまだ生々しい。 恐らく、うつを経験しなかったら、全く経験することなどなかったと思います。 だから、うつの辛さはすごくわかる。 本当に、真っ暗闇で。。。でも、ここ最近、気づいてみたら、うつになってない。 静かで、穏やかで、生きてる感じ。 うつが治った。 返信する
シア 2019年9月10日 今日は、体調がよく、久しぶりに射撃場に行ってきました。 二年ぶりに、競技に参加です。 ゼロイン(照準の調整)をし、競技場の管理者ともいろいろ話ができました。 この人は、事前に道具についてアンケートを取っていて、資料を集めてくれたので、いろいろスムーズでした。 競技復帰の夢が叶いました。 返信する
こより 2019年9月6日 抗うつ薬、睡眠導入剤、ストラテラ、コンサータ。断薬後の離脱症状も無くなり、生活が楽になりました。血圧が不安定でしたが、最近は落ち着きました。 てんかんの薬は、継続中ですが、離脱症状が無くなり快適です。 主治医からは「精神的に落ち着いているし、離脱症状も収まったから、通院の間隔を開けましょうか。」と言われました。 クリニックに通い始めたのが2007年。酷い時は週に一回、良い時でも二週間に一回は通院をしていました。症状がきつくて、診察日ではない時も駆け込んで注射をしてもらったりもしました。 睡眠導入剤、抗うつ薬、と減薬断薬は進み、コンサータやストラテラも不要になりました。 減薬を進めていく途中で、周囲の雑音がかなりありましたが、主治医が「いらない薬は減らしたほうがいい。症状が落ち着いたのに、いつまでも飲む薬じゃない。」と言い切ってくれたのと、花風社クラスタの皆さんの存在が大きな励みになりました。 コンサータやストラテラが無くても、家事その他の日常に困らないようになりました。 私のたくさんの主治医たちは皆減薬断薬に協力的で、それぞれいいアドバイスをくれました。神田橋先生を尋ねて、減薬の相談をした日は、「遠い昔」になりました。 返信する
シア 2019年9月5日 今日の治った自慢。 やりたいことがあります。 そのために、必要なものを、手に入れつつあります。 道具は手に入りました。 あとは、体力。 これからも、上がることはあっても、簡単に崩れないように、しっかりやっていきます。 返信する
シア 2019年9月2日 私は、最近こうしてます。 「体の疲れ」と、「頭の疲れ」はリンクしている。 そして、「頭の疲れ」『だけ』取ることは不可能! 「体の疲れ」と、「頭の疲れ」は、セットで治す。 コレが、一次障害と、二次障害と言っていい。 「身体の問題」(一次障害)が治らないと、「頭の問題」(二次障害)は治らない。 「頭の疲れ」「頭の問題」【だけ】を治すことは不可能。 どういうことかと言うと、「体の疲れ・頭の疲れ」はセットで治す。 頭の疲れ「だけ」治すことは不可能。 頭が休まっているときは、必ず、身体も休まっています。 返信する
シア 2019年9月2日 問題を前に、考えるのもいい。 でも、多くの個人的な問題を解決する場合、そんなに複雑なことは、いきなりは起きませんね。 小さなハードルから、だんだん大きなハードルになっていくのならば、最初は瞬発力や、フットワークが大事ですね。 組織的な人間関係よりまず、自分のコンディションをよくして、落ち着いて向き合う。 そのためには、悩んだりせず、行動。 その第一歩は、体操かもしれないですね。 返信する
シア 2019年9月2日 「行動アプローチ」と勝手に呼んでることも、最近あるんです。 「考え」と「行動」。 考えを変えるより、行動を変えたほうが明らかに速いと言うことは、科学的に実証されてます。 だから、どうしようかなぁ。。。と思ったとき、とにかく深呼吸。 とにかく、背伸びをしたり、顔を洗ったり、頬や掌をつねってみたり、身体アプローチを行動化してみる。 環境は、外部にあります。 身体は、内部にあります。 内部から攻めたほうが、弱ったときは効果的。 内面が熟すと、外に目が向きますね。 心が落ち着くと、部屋が片付きます。 葛藤や、心のしこりをほぐしてから、取り組めます。 行動は、身体の働きに他なりません。 身体の働きをする。 準備体操。 ストレッチ。 部屋を片付ける前、腕まくりをするのもいいのですよね。 返信する
シア 2019年9月2日 「こだわり」には、良いものと、良くないものがあると思います。 「こだわり」を、大きく二つに分けます。 その二つとは、「囚われ」か、「追求」かです。 「囚われ」は、○○じゃないと嫌だ! ○○じゃないと駄目だ!という、○○がないと駄目だ!と言う観念です。 ○○がなくても、ホントにそんなに困るのか? それでは、逆に、「追求」と言うのは、「追って求める」「もっともっとと追及する」「求道」「精進」そう謳えるものかもしれません。 身体感覚で、「○○がないと嫌だ!」と言う感覚。 身体感覚で、「もっと○○にしたい!」と言う感覚。 これが、「いいこだわり」「悪いこだわり」のリトマス紙だと思ってます。 つまり、悪いこだわりは、不快を避けようとしてます。 いいこだわりは、快感を得ようとしています。 本当に、明らかに不快なのか? 本当に、明らかに快感なのか? これは、身体アプローチで、自分と向き合うことで「はっきり」します。 いいこだわりに力を注ぎ、無駄なこだわりは削いでいく。 それでラクになりました。 集中力も増したはずです。 返信する
シア 2019年9月2日 ・取り組みとしては、身体アプローチ、風船ワークが一番私には効きます。 ・結果としては、身体に意識がより向くようになって、疲労困憊する前に休めます。 結局、その方が日常生活もスムーズです。 返信する
ブルー 2019年9月1日 現在連載中の「徒手系治療家との日々」リンク集です。 (管理者の方へ:リンクが4つ以上になります。お手数おかけいたします。) <治療の始まり・初回> 前編 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-876 後編 https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-877 <初回のその後> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-6/#comment-1042 <番外編:徒手系治療家にインタビュー> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-7/#comment-1165 <過去の日記から。見直してみて驚いたこと> https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-9/#comment-1803 返信する
ブルー 2019年9月1日 こんにちは。「徒手系治療家との日々」を書いております。 (※次の書き込みで、過去連載のリンク集を貼っておきます。多数リンクが張られている関係上、公開まで少しかかりますがご容赦ください) 代替療法の先生の元にも通いながら、徒手系の先生の治療に継続して取り組んでいた話です。 徒手系側の治療内容としては、仙腸関節の出生時損傷を治療するため、頭蓋~脊椎~仙骨に至る硬膜を改善する、というものです。これは全身、特に神経系への影響が甚大で、世の中においては発達凸凹のお子様に対しての発達援助効果の実績もあるようでした。 徒手系の先生と代替療法の先生の2人の元に通い、治療を行った期間は1年間です。私はその年のテーマを「治療」と定め、全力を尽くしました。 そして、私は折に触れて日記のような形式で、考えを整理する習慣があるのですが、当時の日記はまだ残っています。 そこには徒手系治療の記録も残っており、当時の私の身体の変化や心境の変化が記されています。今それを見返すと、改めて興味深いものがあります。 特に衝撃的だったのは、治療開始から丸4ヶ月を経過した段階の日記です。この時点で、徒手系治療は、治療開始から7回目を終了、代替療法の先生からの処方も何パターンか行った時点の日記です。 以下、当時の日記からの抜粋です。 ——————————————————————————- <当時の日記の文章> 発達凸凹は『治せる』という気がしてきた。 自分の本質を、心身のサビ(略)をとってあらわにし、 自分のベストバランス、社会とのベストバランスをもう一度取り直す。 「生まれ変わる」勢いで治療と勉強に取り組んでいるが、 生まれ変わる⇒治すということである。 心の奥底が前向きになってきた。記録を見ると分かる。 (略) 体が強くなってきた? (略) ◎◎◎(注:代替療法の、ある処方。私個人には強烈に著効)以降、 やはり世界が明るい。 心も、頭蓋骨も、ポジション変わったかも。 特に、心は羽根のように軽くなっている。 ———————————————————————————— 時系列としては、私が花風社の本に出合ったのは、この治療の数年後です。しかし、既にこの時点で「発達凸凹を治せる」という気になってきています。今の私は、これをすっかり忘れていました。ですので、今回日記を見返してみて驚きました。 治せる気がしてきたのは、治療が進むにつれて身体の奥の方の生命力や治癒力が強くなってきたのを、なんとなく体感していたからのように思います。 また、日記の文章にもありますが、この段階で主観的世界の感じ方が変わり始めています。これは今でも覚えているのですが、「心身の透明度が増してきた」感覚がありました。 今回は短めに、この辺で。 当時の身体の変化を確認するために、日記を見直したら一番衝撃的だったのがこのくだり、むしろ心や体験世界の変化でした。しかし、それは元を辿れば、身体の変化がもたらしたものです。 次回以降も、当時の日記を元にして、身体や心の変化を時系列で書いていければと思います。 それではまた。 返信する
こんばんは。
こんな深夜ですが、夜更かししている自分を許せるくらい、今週は頑張ったように思えます。
そして、私は自分を相対化することを覚えてきました。
完全ではない自分を受け入れる準備が、整ってきたように思います。
要は、過剰に自分をかっこつけたり、取り繕ったり、いい格好をしようとも別に思わなくなりました。
「いい子」と言うのは、「いい子」に見せかける人ではなくて、「いい子」である人のことだと思いますからね。
もし、自分が大していい人間でもない、ちっぽけな人間だと思ったら、ずいぶん気持ちが軽くなりました。
ダメで、不完全で、間抜けで、でも真面目な所もある自分が、私は気に入っています。
多分、自己肯定感というものは、ものすごく立派な自分を求めているうちは、決して手に入らないと思われます。
何故なら、現実にそんな人間は、周囲を見渡してもほとんどいないし、ましてほかでもないこの私が、そんな人間を気取ること自体、間違っています。
滑稽でさえあると思いませんか?
自分を相対化することによって、正確に自分の立ち位置を知ろうとするに至り、自分を認めることができてきたように思います。
(これも治ったうちだと思いますね。)
こんばんは。
「眼振」が治ったと思います。
発達障害と、特に重い部類の自閉と、眼振とかは、関係があると言われた時代がありましたね。
昔は、脳の障害としても、どこかしら病変があったと見えて、痙性もそう。
眼振もそう。
今でこそ、○○覚などと言われたりするようですが、わからなかった頃は、てんかんとかいろいろあったんです。
眼振が治ったと言う、大きな根拠は、射撃の成績が上がったり、朝ライドで自転車に乗っていて、左右を見回す時に、目の焦点がすぐに合うのです。
私は、目の焦点を合わすまでに、二重に見えて、やがて左右の視界が一致するような、双眼鏡のような眼をしていたんです。
遠近によって、焦点距離を変えたりするときに、目の動きが即座に間に合わなくて、眼振が起きていました。
目のけいれんです。
近くから遠くに慌てて目を向けようとすると、視界がぶるぶるブレるんです。
焦点が合うまで大変。
まぁ、わずかな時間差が、事故にもつながりかねないですからね。
コレでまた治った。
シアさん、
目は顔の中にあって、顔は首で身体とつながっています。脳と身体をつなげるのが身体アプローチです。だから目のブレが治るのは十分あり得ますね。発達障害が治る副産物だと思います。
「どかん!」を期待していて、なかなか来なかったけど、それを希望にして、ゆっくり治ってきた感じがするのです。
それがなんか、小さな時に治っていたら、そう言うこともなかったのかな。
コレはコレで、悪くないな、と思えます。
子の治り方の緩いスピードが、マイペースの私にはちょうどいいかも。
子の治り方→この治り方。
こんばんは。
ついに、「うつ」抜けたようなんです。
私、うつ病み(闇)15年。。
長かった。
いつも、こんな時間は、死ぬと言うことしか、頭になかった。
天国は、あるのだろうか。
天国は、どんなところなのか。
そのことばかり、考えてました。
疲れて、必然的に、うつになって、動けなくて、苦しい。
あの感覚はまだ生々しい。
恐らく、うつを経験しなかったら、全く経験することなどなかったと思います。
だから、うつの辛さはすごくわかる。
本当に、真っ暗闇で。。。でも、ここ最近、気づいてみたら、うつになってない。
静かで、穏やかで、生きてる感じ。
うつが治った。
今日は、体調がよく、久しぶりに射撃場に行ってきました。
二年ぶりに、競技に参加です。
ゼロイン(照準の調整)をし、競技場の管理者ともいろいろ話ができました。
この人は、事前に道具についてアンケートを取っていて、資料を集めてくれたので、いろいろスムーズでした。
競技復帰の夢が叶いました。
抗うつ薬、睡眠導入剤、ストラテラ、コンサータ。断薬後の離脱症状も無くなり、生活が楽になりました。血圧が不安定でしたが、最近は落ち着きました。
てんかんの薬は、継続中ですが、離脱症状が無くなり快適です。
主治医からは「精神的に落ち着いているし、離脱症状も収まったから、通院の間隔を開けましょうか。」と言われました。
クリニックに通い始めたのが2007年。酷い時は週に一回、良い時でも二週間に一回は通院をしていました。症状がきつくて、診察日ではない時も駆け込んで注射をしてもらったりもしました。
睡眠導入剤、抗うつ薬、と減薬断薬は進み、コンサータやストラテラも不要になりました。
減薬を進めていく途中で、周囲の雑音がかなりありましたが、主治医が「いらない薬は減らしたほうがいい。症状が落ち着いたのに、いつまでも飲む薬じゃない。」と言い切ってくれたのと、花風社クラスタの皆さんの存在が大きな励みになりました。
コンサータやストラテラが無くても、家事その他の日常に困らないようになりました。
私のたくさんの主治医たちは皆減薬断薬に協力的で、それぞれいいアドバイスをくれました。神田橋先生を尋ねて、減薬の相談をした日は、「遠い昔」になりました。
こよりさん、シアさん、断薬成功おめでとうございます!
断薬、二か月ほどになります。
至って、大丈夫。
歩けるようにもなってきて、怠さがない。
作業がはかどります。
今日の治った自慢。
やりたいことがあります。
そのために、必要なものを、手に入れつつあります。
道具は手に入りました。
あとは、体力。
これからも、上がることはあっても、簡単に崩れないように、しっかりやっていきます。
私は、最近こうしてます。
「体の疲れ」と、「頭の疲れ」はリンクしている。
そして、「頭の疲れ」『だけ』取ることは不可能!
「体の疲れ」と、「頭の疲れ」は、セットで治す。
コレが、一次障害と、二次障害と言っていい。
「身体の問題」(一次障害)が治らないと、「頭の問題」(二次障害)は治らない。
「頭の疲れ」「頭の問題」【だけ】を治すことは不可能。
どういうことかと言うと、「体の疲れ・頭の疲れ」はセットで治す。
頭の疲れ「だけ」治すことは不可能。
頭が休まっているときは、必ず、身体も休まっています。
問題を前に、考えるのもいい。
でも、多くの個人的な問題を解決する場合、そんなに複雑なことは、いきなりは起きませんね。
小さなハードルから、だんだん大きなハードルになっていくのならば、最初は瞬発力や、フットワークが大事ですね。
組織的な人間関係よりまず、自分のコンディションをよくして、落ち着いて向き合う。
そのためには、悩んだりせず、行動。
その第一歩は、体操かもしれないですね。
「行動アプローチ」と勝手に呼んでることも、最近あるんです。
「考え」と「行動」。
考えを変えるより、行動を変えたほうが明らかに速いと言うことは、科学的に実証されてます。
だから、どうしようかなぁ。。。と思ったとき、とにかく深呼吸。
とにかく、背伸びをしたり、顔を洗ったり、頬や掌をつねってみたり、身体アプローチを行動化してみる。
環境は、外部にあります。
身体は、内部にあります。
内部から攻めたほうが、弱ったときは効果的。
内面が熟すと、外に目が向きますね。
心が落ち着くと、部屋が片付きます。
葛藤や、心のしこりをほぐしてから、取り組めます。
行動は、身体の働きに他なりません。
身体の働きをする。
準備体操。
ストレッチ。
部屋を片付ける前、腕まくりをするのもいいのですよね。
考える・悩む・生きづらがるのを止めて、何かしてみると違います。
エネルギーの使い方、努力の方向が、言葉と、言葉以前のアプローチでは違うと思うのです。
「こだわり」には、良いものと、良くないものがあると思います。
「こだわり」を、大きく二つに分けます。
その二つとは、「囚われ」か、「追求」かです。
「囚われ」は、○○じゃないと嫌だ! ○○じゃないと駄目だ!という、○○がないと駄目だ!と言う観念です。
○○がなくても、ホントにそんなに困るのか?
それでは、逆に、「追求」と言うのは、「追って求める」「もっともっとと追及する」「求道」「精進」そう謳えるものかもしれません。
身体感覚で、「○○がないと嫌だ!」と言う感覚。
身体感覚で、「もっと○○にしたい!」と言う感覚。
これが、「いいこだわり」「悪いこだわり」のリトマス紙だと思ってます。
つまり、悪いこだわりは、不快を避けようとしてます。
いいこだわりは、快感を得ようとしています。
本当に、明らかに不快なのか?
本当に、明らかに快感なのか?
これは、身体アプローチで、自分と向き合うことで「はっきり」します。
いいこだわりに力を注ぎ、無駄なこだわりは削いでいく。
それでラクになりました。
集中力も増したはずです。
・取り組みとしては、身体アプローチ、風船ワークが一番私には効きます。
・結果としては、身体に意識がより向くようになって、疲労困憊する前に休めます。
結局、その方が日常生活もスムーズです。
現在連載中の「徒手系治療家との日々」リンク集です。
(管理者の方へ:リンクが4つ以上になります。お手数おかけいたします。)
<治療の始まり・初回>
前編
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-876
後編
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-5/#comment-877
<初回のその後>
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-6/#comment-1042
<番外編:徒手系治療家にインタビュー>
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-7/#comment-1165
<過去の日記から。見直してみて驚いたこと>
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/151/comment-page-9/#comment-1803
こんにちは。「徒手系治療家との日々」を書いております。
(※次の書き込みで、過去連載のリンク集を貼っておきます。多数リンクが張られている関係上、公開まで少しかかりますがご容赦ください)
代替療法の先生の元にも通いながら、徒手系の先生の治療に継続して取り組んでいた話です。
徒手系側の治療内容としては、仙腸関節の出生時損傷を治療するため、頭蓋~脊椎~仙骨に至る硬膜を改善する、というものです。これは全身、特に神経系への影響が甚大で、世の中においては発達凸凹のお子様に対しての発達援助効果の実績もあるようでした。
徒手系の先生と代替療法の先生の2人の元に通い、治療を行った期間は1年間です。私はその年のテーマを「治療」と定め、全力を尽くしました。
そして、私は折に触れて日記のような形式で、考えを整理する習慣があるのですが、当時の日記はまだ残っています。
そこには徒手系治療の記録も残っており、当時の私の身体の変化や心境の変化が記されています。今それを見返すと、改めて興味深いものがあります。
特に衝撃的だったのは、治療開始から丸4ヶ月を経過した段階の日記です。この時点で、徒手系治療は、治療開始から7回目を終了、代替療法の先生からの処方も何パターンか行った時点の日記です。
以下、当時の日記からの抜粋です。
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<当時の日記の文章>
発達凸凹は『治せる』という気がしてきた。
自分の本質を、心身のサビ(略)をとってあらわにし、
自分のベストバランス、社会とのベストバランスをもう一度取り直す。
「生まれ変わる」勢いで治療と勉強に取り組んでいるが、
生まれ変わる⇒治すということである。
心の奥底が前向きになってきた。記録を見ると分かる。
(略)
体が強くなってきた?
(略)
◎◎◎(注:代替療法の、ある処方。私個人には強烈に著効)以降、
やはり世界が明るい。
心も、頭蓋骨も、ポジション変わったかも。
特に、心は羽根のように軽くなっている。
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時系列としては、私が花風社の本に出合ったのは、この治療の数年後です。しかし、既にこの時点で「発達凸凹を治せる」という気になってきています。今の私は、これをすっかり忘れていました。ですので、今回日記を見返してみて驚きました。
治せる気がしてきたのは、治療が進むにつれて身体の奥の方の生命力や治癒力が強くなってきたのを、なんとなく体感していたからのように思います。
また、日記の文章にもありますが、この段階で主観的世界の感じ方が変わり始めています。これは今でも覚えているのですが、「心身の透明度が増してきた」感覚がありました。
今回は短めに、この辺で。
当時の身体の変化を確認するために、日記を見直したら一番衝撃的だったのがこのくだり、むしろ心や体験世界の変化でした。しかし、それは元を辿れば、身体の変化がもたらしたものです。
次回以降も、当時の日記を元にして、身体や心の変化を時系列で書いていければと思います。
それではまた。
ブルーさん、ありがとうございます。
興味深いです。
続きも楽しみにしています。