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私が愛読する花風社の本

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125 COMMENTS

yasu

愛甲修子『知的障害は治りますか?』、花風社(2019)の感想をアップします。

知的障害というと学業や知能指数と結びつけて考える人が多いのではと思います。未就学児でしたら、言葉が出ないとか遅いといった状態を思い浮かべる方もいるかもしれません。この本は知的能力を「その人が幸せに生きるための能力」と、かなり広く捉えていることをまずは押さえましょう。そうすると伸びれば伸びるだけできることが増え、その人の生活が豊かになっていくというメッセージを正しく理解できてここに書かれている様々な知恵を活用することができます。(というかこの部分を外すと読んでもほとんど意味がありません)

大部分の人は知能検査で測定できるのは知的能力の一部であると承知していますし、検査を受けるときにそのような説明も受けます。学業成績は知的能力の一部ですが、
学業成績だって伸びればそれに越したことはありません。知能指数は行政対応の指標として使われますし、学業成績も学校での支援にあたっての指標として使われますので、このことはきちんと認識し、その上で、知能指数や学業だけに拘って知的能力を理解しようとすると弊害があることを認識するようにしましょう。

愛甲さんのご経験として、最重度の知的障害で強度の行動障害もある方について、生活能力としての知的能力が向上していくエピソードが出てきます。こういう状態の方でも適切な働きかけがあれば知的能力が伸びる、というのはある意味非常に驚くべきことです。他の本ではこのようなケースは取り上げられていないと思われるからです(他の本を全部確認したわけではありませんが、少なくともレアケース扱いであることは言えるのではないでしょうか)。重度の方でも伸びるのだからそれそれよりも軽い方も伸びるといった書き方はされていませんが、読者側から見ると希望を与えてくれる要素ではあります。

それから、乳児院から知的障害児施設に入所されるケースの場合、親のサポートは期待できませんがそれでも支援者が適切な働きかけをすることで発達課題のヌケを埋めることができる、という実例は素晴らしいと思いました。子どもの発育に必ず親は必要というのは一種の神話に過ぎないと、ジュリス・リッチ・ハリスがその著書『子育ての大誤解』が主張していますが、まさにそれが具現化されています。しかも知的障害があってもこれが成り立つというのは、支援者の適切な介入が必要であるとは言え、人間の持つレジリエンスを垣間見させてくれます。

治る/治らないという話は特に知的障害においては特に微妙で、それは知能指数や学業成績の数値でその子の扱いが変わってくるからです。だから、数値が伸びたとしても基準を超えなければ扱いは変わらず、そこまで伸びなければ意味が無いという白黒思考につながってしまう危険があります。知的能力の見方を変え、生活を豊かにするという目で見ることを主軸に置くことで発達課題のヌケを埋め、その結果として数値が基準を超えることを目指すのは試してみる価値は充分にあるように思います。

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yasu

昨日(2020年3月21日)の花風社オンライン読書会でアセスメントの話が出てきて、私はそれを聞いたときこよりさんの本『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』を頭に浮かべました。この本はアセスメントを考えるうえで大変貴重な示唆を与えてくれると思うからです。

この本では「親の勘を大切にしよう」、「本能を大切にしよう」という話が基本になっていて、ガイドラインやマニュアルのようなテクニックを求めている人にはとっつきにくい印象があるように思います。がしかし全部読んでみると難しい話でなはなく、自分(家族)が置かれている生活環境の中で「何かおかしいこと」を検出し、それに対処していくという話です。こよりさんの置かれていた環境がさほどデジタル化されていない、ある意味素朴な生活だったので、生き物としての本来の感覚がマスクされずにそのまま表出されています。これが身体や感覚のアセスメントを考えるにあたって有利に働いたのではと推察しています。

この本には色々なレベルのアセスメントのヒントが入っていると思いますが、上位概念のものとしては「人に迷惑をかけない」、「その社会でサバイバルできる道を身につける」、「親にお小遣いをあげる」でしょうか。最後のは究極に近いです(笑)。下位のものでは快食、快便、快眠などの身体全体の状態に関わるものがあって、その上に視覚や聴覚の話が続いています。生きる上で不都合を無くすという視点での評価、働きかけになっているんで、脳の三層構造と割と綺麗に一致するように思います。家庭の状況によってはデジタル機器やメディアへの接触量も見直す必要があるでしょう(これは例えば、ゲームやビデオの時間を半分にしてみるといったアセスメントも意味があるかと思っています)

子どもが社会で生活する上で不便なところをなくそうという発想なので、支援や理解がもらえることを前提としていません。それぞれの家庭で、「何がどうなれば自分たちは満足なのか、幸せと言えるのか」をきちんと考えないといけないんですが、子育てで母親の発達の偏りが治るというのはこのあたりが効いているのかなあと思っています。

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つこじょう

「支援者なくとも、自閉っ子は育つ」を再読しました。

Zoom読書会でアセスメントについて話題になりましたが「今、何をしたらいいのか」を見るヒント、働きかけのヒントが見つかる本です。

専門家や特別な訓練手法に頼らずともお子さん達を立派に育てられた大先輩こよりさんの子育ては、保育士としても学ぶものが多くあり、私はこっそり「こよりさん方式」と呼んで実践しています。

評価を受け療育に通っても子どもがなかなか伸びない、遊ぼうとしても乗ってこない、という方にもオススメします。

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ふうりん

『愛着障害は治りますか?』

花風社の書籍をこれから読んでみようとする人に愛着の問題を考えることは優先度が高いと伝えたい。愛着障害は関係ないのではと思う人でも、医療や教育機関で支援と言いながら個を尊重しない場面にこれから必ず出会うと思います。建前では本人のためと言いながら保身に走る支援者を避けるために読んでおくと子どもを伸ばすことに集中できます。反医療だ虐待だと絡んでくるような濃いキャラはネットの匿名自称専門家ぐらいですが、子どもの挑戦に水を差されることはよくありますから。ちょっと心配だけど頑張って乗り越えることを繰り返して発達していくのに邪魔をされるのでは伸びるものも伸びません。

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みならい怪獣

「知的障害は治りますか」を読んで

どうやって知的障害と診断されたのでしょうか。基質的な診断をされた方はどれほどいるのでしょうか。また、知的障害があるということで教育の機会を失ってはいませんか。人間として太陽の下で自由に生きていく事を奪われていませんか。そして、知的障害が治るということはどういう事なのか、全て答えが書いてありました。

この本を読んだ時、どっとこむでの知的障害がありながらも家庭での遊びや育ての中で治っていく心温まるエピソードの数々が治るに繋がっていると愛甲先生がご自身が関わりを持たれたケースの例を挙げて説明されていて、親と子の、人と人との関わりの中でこそ治ってゆけると改めて教えられました。
成人した方も親だけでなく、信頼できる他者との関わりで治ってゆけるのです。

花風社の本はどの書籍もそうですが、こちらの本も知的障害が無くても治るための方法が書いてあります。
後は読む側のどこまで自分の状況にカスタムして実践をするかという事が大切ですね。
でも諦めなければ知的障害も治せると背中を押してくれる本でした。

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XIA

「元刑事が見た発達障害」真剣に共存を考える。
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」刑事告訴した立場から。

読み返しました。
令和になり、自閉症や発達障害の人が犯罪を犯すとき(犯罪に巻き込まれるとき)、どんな経緯をたどるのかも、記憶をたどれば枚挙ができるほど、事例も事件の記録も増えてきています。
自閉症の人が、事件を起こしたり、巻き込まれたりするときには、かなり兆候があることが多いですね。
それはどうしてかと言うと、だんだん当事者の行動が露骨にエスカレートして行ったりするのを周囲の人は明白に気付いていることが多い。
場当たり的な爆発でもなく、非常に綿密に計画され、実行に移されたような事件もむしろ少ない。
いきなり発生したことでもないし、ずうっと練りに練られたような「心の闇」でもないことがほとんどのようです。
本を読み返しても、当事者の行動が露骨にエスカレートしていく様を非常に多くの人が目撃していたという事例であることが再確認できます。
「露骨(過ぎる)行動」。
エスカレートしていくのが衆人環視ですらある。
本人が隠そうとか、考えている様子も見えない。
私自身の特性とも重ね合わせたとき、一種の「無防備さ」があることが判ります。
自閉症の人は、「ありのままで」育ったような、「無邪気な暴君」もいます。
また、いろいろ介入を受けた人も、結局のところ「素朴な天然」であるのが当事者であることがまず間違いないと断言してもいいくらいです。
これは、研究センター病院の司法観察病棟に見学に行っても、そういう人が対象であることが多いと説明を受けました。
妄想を膨らませていたり、誤学習で見当違いな義憤に駆られて行動していたりするようです。
それで、裁判沙汰になって、法廷に行くことになって、「自分は悪くない」と主張したり、自分の行動の正当性を訴えたりするようなんです。
「恨みつらみを募らせて、綿密に計画を立てた」と言うわけでもないし、衝動的に酒に酔って暴れたとか言うわけでもなく。
また、実際に裁判で理詰めで説明されると納得してしまう。
自閉症の人が犯罪を犯したり、事件に巻き込まれていくとき、全く隠そうとさえしないその人の「無防備さ」に注目すると、当事者が問題行動を起こし、あからさまにエスカレートしていても「その人なりの理屈」があると考えられます。
見当違いだったり、奇妙な理屈だったり、奇抜な発想であったりもするでしょう。
ただ、本人はそれを学習する機会を逸していることが多い。
だから、特別な教育が必要だとすれば、古びた情操教育とかよりもむしろ、社会の仕組み(一見不条理や理不尽にみえることにも理由がある等)を学習したりすることが重要だと思えて来ます。
KYの人は、だいたい周囲から自分がどう見られているかとかに気付いて、行動を修正すると言ったことが困難ですから、自分の誤信念に従ってしまうことが多いです。
だから、「ありのまま」ではいけない所があるとすれば、「社会の仕組みを教わる・教える」ということが重要と考えます。
インタラクティブな双方向のやり取りが苦手でも、「敢えてそういう時間を作る」ということが大事だと思います。
小さな間違い・勘違いも放置すればエスカレートしたり、周りを見て修正すると言ったことが難しかったりするということを認識して、その都度ちゃんと教えたり、当事者にそう言った自己理解を促したりすることが重要だと思いました。

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はづき

>本人はそれを学習する機会を逸していることが多い。

本人だけではなく、親も学習する機会を逸しているとも思います。

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シア

私や、はづきさんは、親から自立し、自問自答する世代です。
ただ、これからのお子さんの未来は、まだ親御さんの助けが必要で、それがよりよい未来を展望すると思います。

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ちょこ

「知的障害は治りますか?」
まだ途中ですが、それでも感じる所がありすぎ書き込み失礼いたします。

目次で気になった項目を先に読んでいたのですが、これは…私にとっては「ごくごく当たり前の子育て」だな…と。
「なんか知らないけど治った」が
「子育てしてたら治った」に言葉を変えただけで私にとってはやっぱり「なんか知らないけど治った」だな(苦笑)と。
たまたま自分に愛着障害があって、たまたま出産前に自力で治した。そんな経緯があり、ただただ自分と同じ思いは子供達にさせたくなかった。それだけ。
とにかく「子供達の笑顔」それだけを見たい一心で育てているだけ。
発達障害だろうが知的障害だろうが子供は子供。何一つ変わらない。
興味を持ってくれないから遊べない。
違う。
そりゃ子供のセリフだよね。
「一緒に遊んでいるはずの大人が興味を持ってくれない。だから遊べない。」
のではないかな?
なんか読んでて凄くスッキリする。
なぜ自分に子供達が治せたのか。
全部わかった。
ただ「やり方教えて!」には
「そんな考え方だと治せないよ」
としか言えない。
「治す」の鍵は本当に親子の繋がり。
親子でないなら支援者との繋がり。

それから療育機関に感じた事
療育って親子の主体性を潰すよね。
療育じゃなくて「勉強会」にして、そこから希望者だけ療育入ればいいのに。
何一つ分からない親子をポイポイ療育入れるから他人任せになるのではないかな。
療育入ってから勉強会やったってあまり意味無いと思う。
なぜなら既に「他人任せ」にした人が、わざわざ真剣に勉強しようと思う?
本気で勉強したい人は、自分で調べて他人になんか任せない。

治った息子は時々、幼児期の一緒に遊んだ時の事。を口にする。断片的だったりハッキリ覚えていたり…どの話しも締めは必ず「俺、楽しかった!」や「嬉しかった!だから妹も同じ経験して欲しい」なんだよ。
最高の親孝行な言葉だよね。
恐らくまだフレッシュな花風社クラスタさん達は「泣ける」までの感情にはならないのかもしれない。一度はギョーカイに入り、様々な現実を見て過ごし違和感を感じ周りの流れに逆らい自分の信じた道をただ必死に進んできた。前例なんてなかったから(身体アプローチ出る以前)自分の選択が間違っているかもしれない。
一抹の不安と得体の知れない(子供の将来を潰してしまうのではないか)恐怖に全力でタイマン仕掛け、勝ち取った現在。
子供が今笑顔でいてくれるからこそ当時を振り返る余裕が出来た。そんな時に「知的障害は治りますか?」で必死だった当時の答え合わせができフラッシュバックして泣いてしまう「治ったから」「治っているから」こその感情だな…と思っています。私は。

ざっくりと途中までの感想で恐縮です。
お読み頂きありがとうございました。

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XIA

[知的障害は治りますか?]
新刊を読みました。
私が強く感じたのは、「生きづらさ」の正体の多くが、「トラウマ」とか「心の問題」であるということなんです。
小さい頃の困りごともありますが、それによって負ったトラウマがしんどいものだろうと思います。
親子関係のこじれた人もいると思いますけど、今それで困っているのではなくて、心に引っかかっている問題だと思うので、それはトラウマですね。
それから、自閉症で「KY」と言われた!「KY」で傷ついてきたとか、人間関係で問題が生じたとか、いろいろな経験があると思います。
それをフラッシュバックして思い出して、「その時」の感情になるから、子供の時の気持ちも、大人になってもその時のように感じてしまうんだろうと思います。
これを俗にタイムスリップと呼んでいました。
実際のところ、「困っている」というより、「それが原因で困ったと言うトラウマ」の問題が大きかったと思います。
でも、失敗したら、学習してそれを回避したり、成長するのが人間ですね。
だから、「困ってない。」ことに気づいてくると、かなり治ってくるように思いました。
「困っている」のが、(私の場合は)トラウマだったと気づいた次第です。
そして、本当のところは、親子関係だって、「さほど」悪くないし、人間関係だって、最悪の状態が常に続いていたわけではないですね。
もし、「支援」があったとしても、「困りごと」に現実的に対処する支援はほとんどなく、「昔困って傷ついたこと」に注目して、その問題がいつまでも永遠に続くかのように思ってしまっていることもあり得ます。
困ったら、自分の力で創意工夫して、生き方を考えて、修正しつつ、それを乗り越えていければ、「安心感」が得られます。
不快な状況でも、自分の力で「気持ちいい」に変えることができますね。
知的障害で嫌な思いをしたこと。
精神障害で嫌な思いをしたこと。
発達障害で嫌な思いをしたこと。
嫌な思いをすることはありますし、その時はそれで深刻に困ったろうと思います。
しかし、実は乗り越えてきているから生きていますね。
同じ状況になったら、回避することができるだろうと思います。
そして、その力・生きる力に気付くことで、安心感が得られました。

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XIA

「発達障害は治りますか?」
発達障害は、発達を見守り、伸びやかにしていくという視点。
目の前にいる人を楽にするという視点。
それらが学べました。
そして、支援からの卒業、医療からの自立。

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XIA

「元刑事が見た発達障害」真剣に共存を考える。
弱いところに強みがある。
コレは、例えば「知能犯」は、知的に強いことが判ります。
場当たり的な犯行ではなく、作戦を練って行動する力です。
相手をだまそうと考える詐欺師には、そういう強みがありますね。
心の理論がわからない自閉っ子にはない強みです。
知能犯ならば、計画をして、行動する力があるんです。
コミュ力も高くなければ、言葉巧みに相手をだますこともできないです。
演技ができる人は、営業などに向くでしょう。
だから、ニガテが強み!ではなくて、ニガテだけどトライするのも根性があるということではあります。
それが、弱いところに強みがあるって言うことだなって思います。
頭が悪い人は、それでも努力する。
努力するのがデフォなんですからね、頭の悪い人に、知能犯はいないけど、場当たり的な犯罪はあっても、基本努力家です。
「頭の悪い人は努力家。」こう考えると、知的に劣っているから駄目だと言うわけでもない。
逆に、ずるがしこいから悪だくみをするんでしょう。
でも、悪だくみをする人は、実は頭がいいんです。
だから、使いよう。
悪いことに努力や知能を使わないことが大事。

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いぬこ

発達障害でも働けますか?〜
僕は、社会の中で生きる
を読んで。

私は小売業、自社の中でも超多忙店勤務です。今まで複数の障害枠の方と共に働いています。
発達さんは働けることはもう充分わかっている上で、読みました。

組織で働いてる皆様は多分、その通り!
と頷き倒した御本じゃないのかなと。
巻末付録だけでも丁寧で、自身の働き方、レジリエンス、すぐ活かせ、この先を考える内容でもありました。

発達障害かどうかは職場では関係ない。
仕事ができるか否かです。

組織は理不尽である。
の2点に特に頷きました。

自分が采配を振る立場になって
例えば、本社指示作業が出た瞬間、任せられる人を即選ぶことになります。
「急ぎ、冬に備えてあったか商材展開」を指示するとします。
Aさんは物の展開が得意で早い。
でもコミュニケーションが苦手で配慮の自己申請があった。
Bさんは未経験。遅い。でも、いつもお客様に笑顔で応え、何でも積極的に取り組む。

私はBさんを選びます。
売場展開は早さが要るのでAさんを選びたい。
けれど、作業中でも否応なしにお客様の案内が要るので、切替対応が必須。Bさんの作業スピードは経験すれば必ず上がる。
成長のためBさんに任せるのです。

Aさんが得意で早く、好きな作業だとしても申請する程苦手なコミュ部分をクリアしてもらう方が先です。本人が思ってる程、難しくないかもしれない。得意な作業は判っている。好きな作業だけさせるわけにいかない。
それが有機体の組織で、仕事だからです。

自分にも上司が沢山いる。
私は野球がわかりやすいのですが、、
全員甲子園は目指す(店をトップに)
監督、コーチが(上司が)
のびのび型、分析型、ど根性型と多様。
と、突然「明日までピッチャーやりながら
センター守って、打順は3番と8番の2回、
ホームラン2本はいけ!」級の理不尽さを要求されます。どう実行していけば、最短で仕上がるかを考え提案する。
「甘い!それで終わると思ってんのか?」とビシビシ突き返しもあれば
「なるほどな。で、こういくか」で進むの
繰り返し。

できることを増やして社会に出れば理不尽から発展の発想ができます。
そして、座波さんのいういい子は面接時点から反映されると思っています。 
育ち、溢れる力、やる気、健康状態。
若いなりの履歴書内容より「その人の見込み」を人事は鋭く、見抜くからです。

■共に働いてきた障害枠さん
現場は30名程在籍。実際、誰が定型か全くわかりません。障害枠さんが1名とは入社当時に聞かされました。
が、しばらく誰かわからなかったのです。
あまりに仕事ができるから。

家族のことをよく話す彼ですが、
いいご家族で、健やかな育ちが見えます。
ただただ能力の高い、礼儀正しい会社員。
枠を外れる治りがあったら、会社はそれなりの雇用形態(コースが沢山ある)を提示するでしょう。手放せない重要な人です。
かつてパニックがあった等は聞いたけど
今、微塵もない。
挑戦、努力を続けた結果だと思います。
皆に愛されて、他店から欲しがられ(これはすごい評価なのです)何でもデキる大事な先輩。
皆、雑な昼食を食べる中、きちんと食べるのは彼だけです。体調管理も1番できています。

他店時代は新卒の障害枠さんのフォロー担当もしました。
先日会ったら、勤務時間がうんと増え、発注もやってます。3年目になって身体も強くなりました!とキラキラした目で話してました。

当時、一緒に働いたメンバーは、残っていませんが各々彼を見に行って「成長ハンパない!」と、LINEが回ります。応援される子なのです。だってがんばりやさんだから。

「発達障害さんってよく働くし、他店もいい奴だよな、何で枠なんだ?」とはうちの上司談ですが、彼らがこうした姿を見せてくれることで、後に続く人はより採用され易く、やり易くなるはずのありがたい人達です。
過度の配慮推し、理解ガーは彼らの真のがんばりや、共に働く私達の取り組みを邪魔しないで頂きたいものです。

読後すぐ、大地くんの「僕は、社会の中で生きる」を読みたくなり、久々に開きました。
できることを増やす。また生活に活かしていこうと改めて気づいた事もあります。

花風社本はこうして長く、節目や成長や煮詰まった時、都度の視点で読め、新しい発見があるからありがたいのです。

発売された年、娘はまだ絶賛感覚過敏中、弱視眼鏡に慣れず登下校を毎日共にしていた頃。働ける大人に…などまだ思えず、大地くんの意識と親御さんのがんばりに励まされた大好きな本です。

治って、中学生を謳歌してる今も学校はいい修行です。提出物の締切を守り、部活は先輩後輩への挨拶や振る舞い、シフトに合わせ力を合わせ調理する祭ごと、昼会議があり、弁当ペースを合わせるなど小さな一つずつが修行になっています。
学校も勉強は勿論、社会に出すことの意識が高く、本当にありがたいです。自身も色んなことができるようになりたいに溢れています。

身体も大きくなった今、両書を参考に丁寧に育ちを見ていこう。
共に働いた彼らの様に、堂々と働ける大人に育てていこうと思う御本でした。

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XIA

NEURO。
実は、神経発達障害と言う言われ方は、神経系なのかなぁ、、、と言うことがおぼろげながらわかってきた一里塚でしたね。
いろいろな原因があって、でも、それが神経に関わっているから、似たような症候群が生じてくる…神経がテーマですね。
特にその育ちや発達なのかなと考えます。
実は、私はNEUROを二冊買って、一冊NCNPセンター病院に寄贈しようと押しかけました。
それが、まだ今年のうちだと思いますね。
医長先生(神経科のトップの人)は、「時代が変わりましたね。」と仰いました。
凡医とぶつかりげいこだと思っていて、どういうパターンで来るかと思ってたところ、肩透かしでした。
そして、「神経発達障害」な治るものもある・治りうるということを、わかりやすく書かれていて、先生も気に入ってくださったんです。
寄らしむべからず知らしむべし、と考えがちな「医療」とは、センターは少し違うのかなと思いました。
その後、リハビリテーション病棟に、クッションだとか、バランスボールだとか、たくさん持ち運ばれて、こういう動きは、早いものなのだなと感心しました。
さらに、スパコンもどんどん情報を取り入れて、私もまだ読んでなかった「護道構え」が、お札になって配られていたと知り、びっくりしたんです。
「支援業界」のABAや絵カードをセンターでは見たことがありません。
科学的な手法を考える所では、透明化されていない手法は採用されないのようです。
知的障害や、発達障害、学習障害、自閉症、、、脳に傷があるものでも、周産期にさかのぼるものでも、どこからかによって違いがあるはずだし、大きな欠損がある人でも、可塑性により普通に日常を暮らすことが出来ていて、困っていないこともある。
それを考えたとき、やっぱり「治らないという考え方が治らない。」方が問題だと思いました。
それから、私が経験した医療は、ほとんど優先順位・プライマリケアが生死にかかわることであったため、発達障害に関して知ってる人が少なかったのが意外です。
それから、「中枢神経」と言うのは、感覚を受ける「前」から、身体を動かす機能があるため、「感覚統合<身体の動き」であると神経学では考えられているみたいですね。
運動神経が中枢神経であり、末梢神経は感覚神経に近い。
感覚次第で、身体が動くのではなく、身体の動きは自立(自律)していて、相互に影響しあっています。
感覚がなくとも、身体は動かせるということ。
動きが感覚をある程度律するコトさえできるみたいです。
だから、外からの感覚刺激を受けるのではなく、主体的に動かすことで状況が変えられるのは確かです。

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ブルー

<「人間脳を育てる」 灰谷孝 著 推薦文>

■希望をもらう

私が花風社の本の愛読者になった経緯の一つに、発達障害=「発達のヌケ」と捉えるという知見に希望をもらったから、という事があります。そして「ヌケ」は発達のやり残しなので、それは大人になってからでも取り戻せるという知見に触れた時、私は狂気乱舞しました。

具体的ソリューションを見つけてスイッチが入ったわけです。私はこんなテンションになりました。

「よっしゃ取り戻せばいいのか!ひゃっはー! あwせdrftgyふじこlp」

それまでも私は、自分の発達の凸凹に対して、たくさんの労力を割いてきました。

例えば自己認識を深めることであったり、その延長で自分の発達の凸凹のうち、凸を使いこなす研究であったり、あるいは転職も含めて環境調整をすることであったりと、凹以外の事柄に関してはもうそれなりに解を出してきていました。

また、かつてこのサイトにも連載しましたが、周産期の損傷を治すことも含めて、身体や神経系のフル・リニューアルも行いました。

そんなこんなで、取組みもひと段落し、人生も身体もそこそこ落ち着いてきて、30代も終わる頃には、

「僕はもう、自分のナゾは一通り解いてしまったし・・・(いろいろ大変だったなぁ)」

という心境になっていました。また職場においては、自己認識と他者評価のズレも殆どなくなっていました。特に、言語以降のアプローチに関しては、一山超えた感覚がありました。

しかし、発達の凹に関しては、比較的手付かずの部分が多かったように思います。それでも安定する状況を創ってしまえた、ということもありますが。そして、凹に関してはもう末梢神経からアプローチしないと、どうにもならないことにも気づき始めた時期でした。

だから、「凹⇒ヌケ、やり残しと捉え、身体側からアプローチする」という花風社の知見に出会えた時、自分の発達の凸凹に関する「最後の扉」が開いたような気がしました。

■ヌケという希望

この「人間脳を育てる」は、著者の灰谷さんにより、花風社に「ヌケ」という知見が導入された書籍です。発達障害とされている状態や、様々な特性は、発達のヌケ、例えば動きの発達のやり残しや、原始反射の残存によるものが多々あることが示されます。

そして、発達のヌケ=やり残しは大人になってからでも埋めていくことが可能である、という、成人当事者にとっては最重要かつ、大きな希望をもたらす知見が灰谷さんによって示されます。ただ残念ながらこの知見は、まだ成人当事者にはさほど広まっていないようにも思います。

成人当事者がライフイベントの変化、例えば就職、あるいは管理職登用、プライベートで言えば結婚や、子供の誕生等に伴って自分や他人に困難が発生し、その結果診断されるのは、「ハッタツあるある話」です。

これにはヌケが大きく関与していると思われます。つまり、凹を凸で補いきれなくなったということです。人生において凹が露呈した瞬間です。

また、私のようにある程度安定した状況になった人も、やり残した発達課題や、残存している原始反射を統合すること等、凹に対してまだまだやれることがあります。むしろ安定しているなら、落ち着いて凹に取り組めると思います。

■内容の密度の濃さ

この本を読んでいてつくづく感じることですが、内容が物凄く濃い書籍です。そもそも文章の密度が高い。全編にわたり、「灰谷孝・浅見淳子名言録」みたいな印象があります。決して分厚い本でもないのですが、書籍の中に知見がぎっちりと詰まっています。

特に当事者が自分でこの本を読むと、自分自身の状態像に対して、灰谷さんと浅見さんがたくさんの当事者と接してきた経験に基づいて言語化を行っているため、身をもって内容を理解できます。

当事者というのは、自分の状態像を的確に解説している知見や書籍・論文に出会うと、それだけでも不可解で扱いにくかった自分のナゾが解ける為、例え直接的なソリューションがなかったとしても、とてもありがたく感じるものです。

また、私個人は特に状態像に関する知見について、自分自身の状態像や体験世界、ひいては人生までをどのくらい言語化できているかどうかで、その知見や論文の有効性を身体で無意識のうちに判定している所があります。これは正しいかどうかというよりも、まず使えるかどうかという観点です。

そういう意味でも、この本は納得感が高いと思います。私はこの本において何ヶ所も、「ああ、これは僕そのものだ」と深く体験的実感を覚えた箇所が何か所もありました。

つまりこの本は成人当事者にとって

 ・自分の状態像が明確に言語化されるので、扱いにくかった自分のナゾを解ける
 ・アタマではなく、身体で、あるいは人生経験を通じて内容に納得できる
 ・発達のやり残しを取り戻すソリューションまで提示されるので、希望も持てる

という大変素晴らしく、かつ重要な書籍です。
特に、私と同じく成人当事者の方には強くお勧めします。

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ブルー

【読書感想文】

「NEURO 神経発達障害という突破口」

■発売前

私はこの本を発売と同時に買いました。浅見さんの旧ブログでの、発売前の予告編にあたる一連の記事も読んでいましたし、出版記念の講演会にも足を運びました。そのようなブログや講演会等の「予告編シリーズ」に触れていた段階で、私の認識は変わりつつありました。

「今までいろいろやってきたが、もう完治させてしまおう」

と。

当時の私も、アタマ、つまり大脳新皮質に働きかけるアプローチの限界には気が付いており、また、発達障害に対しては身体側から働きかけることが有効であるらしいことには、自分の体験で気が付いてはいました。

特に、発達の凸凹の、凹に対しては、末梢神経側から刺激入力を行うアプローチ、つまり身体アプローチを主体にしないと、効果は望めないことを経験から痛感していました。私が花風社の本の愛読者になる直前の時代でした。

ただ、その頃の私でもまだ、発達の凹や、一次障害や一次特性が治っていくということに関しては、半信半疑な所がありました。ただ、その頃はまだ「ヌケ」という知見を知らなかったことも大きく影響していますが。

浅見さんの旧ブログには一次障害の治癒の話も明確に書かれていて、それを読んだ私は

「え!?ウソ、マジ!?一次障害治せるの!?」

ということで大層な衝撃を受け、浅見さんのブログや花風社の本に関心を持つようになったのでした。

そして、「NEURO」が発売されました。

■購読

「NEURO」を読んで最初に感じたのは

「うわぁ凄ぇ、『前提』ぶっこわした~!!!」

ということです。私もやはり、従来型の発達障害を考える際の前提「生まれつきの」「脳機能障害で」「一生治らない」に捕らわれていた部分がありました。

確かに発達障害に関して、

・環境要因のように、「生まれつきの」遺伝子や胎内環境以外の要因に関する研究
・感覚過敏や腸の問題等、「脳」以外の問題が示唆される事柄
・「そもそも人は発達するから、大人になったら、特性がある程度ゆるまる人もいる」等「一生治らない」という絶望的な見立てをゆるめる経験則

といった、前述の3つの常識が、絶対の真理とは言い難いことを示唆する情報に触れてはいました。

また、自分の体験からも、発達障害にはある程度手を打てることにも、気が付いてはいました。

ただ、ここまで明確に「前提ぶっこわした」のは本当に驚いたのを覚えています。「翻訳者って凄いな」と思いました。そして、この本は、日本における発達障害の書籍の中でも、不滅の金字塔だとも思いました。発達障害に関わる人は全員が読むべきだ。と。

その一方で、残念な予測もしました。

当時まだ私は、花風社の存在を知って間もなかった為、神田橋先生の「発達障害は治りますか?」をまだ読んでいませんでした。ただ、神田橋先生の本を出版した10年前に、大変な騒ぎが起きたことが、浅見さんの旧ブログには書かれていました。

私は思いました。

「ああ、NEUROが出版されたら、「ハッタツ界隈」で大変な騒ぎが起きる。この本は物凄すぎる。人々の認識が変わる。そして人々は健全に分断される。でもそれは、ポジティブな変化だ」

と。そして、私はツイッターをやりませんが、その後勃発した、「ハッタツ大戦」を目の当たりにしました。

■読後に改めて思う事

発売から8ヶ月程度経ちましたか、「NEURO」を改めて読んで、もう一度落ち着いて自分なりに振り返ると、つくづく思うことがあります。

・神経発達障害(neuro developmental disorders)は固定的な状態像ではない

世間ではまだ、障害という単語を絶望として捉える人も多いので、「固定的な状態像」「一生涯のレッテル」みたいに捉える人も多くいるのでしょう。治らないという社会通念もおそらくここから来ます。

書籍から話が離れるので手短にしますが、固定的状態像ではないということは、そもそもの単語にも表れているようにも思います。まず、
「Disorder」。「Disability」に比べて可変性を感じる単語です。

「Developmental」もそうです。この単語は時間的変化を伴う。また、「Neuro」には可塑性があります。

つまり、固定的状態像を表す文言は、そもそも「neuro developmental disorders」という単語の中にあるとは、私自身は考えにくいです。もちろんDSM-Vの神経発達障害の定義にもないように思います。つまり、状態像が変動する余地がいろいろとある。

それからもう一つ感じること。

・神経発達障害(neuro developmental disorders)は、「全体的」なものである

これは、「Neuro」という全身にあるもの、そして「developmental」という全人生に渡る物事を対象としていることから感じることです。全身からアプローチすると治る。「発達期=全人生」を良く俯瞰して、やり残した課題があれば、今からでもやり直してみる。

■従来型の社会通念を見てみると

こういう視点で、改めて従来型の「生まれつきの」「脳機能障害で」「一生治らない」を見てみると、極めて「固定的」で「局所的・限定的」であることが分かります。

書籍「NEURO」においては、「頭蓋骨」「医療」「治らない」という固定的かつ、局所的/限定的視点を解除する論考がなされます。状態像はもっと変動的で、もう少し全体的/全身的に観た方が良いと。

これは、私には希望だと思います。そう思ってもう一回あとがきを見たら、同じことが書かれていました。「希望を伝えたい」と。

私自身は、発達障害そのものよりも手ごわいのは、絶望ではないかと感じることがあります。確かに発達障害は個々人によって極めて状態像が異なるので、成人当事者の私であっても、他の人の事に関して、軽率なことは言えません。

ただ、発達障害に対する手立ては、だいぶ世の中に出揃ってきた感があります。発達障害そのものは、もう「絶望的な不治の病」ではない。むしろ発達障害の対策に関しては、絶望こそが本丸ではないか。

その意味でこの本は、絶望をぶっ壊してくれます。対象としては、発達障害を知りたい人が、ある程度入門書を読んだ後に読むのに適していると思います。「今までの入門書は何だったの!?」ってなるかも知れませんが、引換えに希望が得られます。

この本は衝撃の書籍ですが、ハッタツ関係、特に当事者と、当事者の御家族の方は必ずお読み頂くと良いと思います。

(おわり)

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浅見淳子

ブルーさん、ありがとうございます。
この本を出す前、騒ぎになることはわかっていましたよ。そして健全な分断ね。それこそが花風社の目的かもしれません。今のままだと治る人も治りませんから。
数ヶ月経ってみると、その騒ぎがしょせんツイッターの中だけだったので、たいしたことなかったな、というのが実感です。おまけにそのおかげで、こんな素敵なサイトもできましたしね。これだけ治る情報が集まっている場は他にないし、花風社以外のどの出版社がいきなりこれだけの規模のコミュニティサイトを立ち上げられるでしょうか。
そして治らない教徒の治った自慢への嫉妬もみつつ花風社はどんどん突き進んでいきますよ。あと数冊。あと数冊でみんな治ってしまうでしょう(治りたい人は)。
治りたい人から治ればいいですね。

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ちょこ

人間脳の根っこを育てる
先週より喘息発作を繰り返している娘。
首上げエクササイズも、振り出しに戻ってしまい困り果てて相談させて頂いた所、こちらの本P117~の「首座り」が参考になるのでは?と教えて頂き、改めて一冊読み返しました。
読み返してみると、数種類組み合わせて楽しく取り組めるワークや遊びが沢山載っていて、一気に読んでしまいました。
娘の発達段階が今どの辺りなのか?
次の段階へ進むには、どんなアプローチが良いのか?
丁寧な解説や挿絵で載っています。
ご家庭だけでなく、支援の場(学校等でも)すぐに実践可能な物ばかりですので、おすすめ致します。

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