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私が愛読する花風社の本

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ブルー

<「人間脳を育てる」 灰谷孝 著 推薦文>

■希望をもらう

私が花風社の本の愛読者になった経緯の一つに、発達障害=「発達のヌケ」と捉えるという知見に希望をもらったから、という事があります。そして「ヌケ」は発達のやり残しなので、それは大人になってからでも取り戻せるという知見に触れた時、私は狂気乱舞しました。

具体的ソリューションを見つけてスイッチが入ったわけです。私はこんなテンションになりました。

「よっしゃ取り戻せばいいのか!ひゃっはー! あwせdrftgyふじこlp」

それまでも私は、自分の発達の凸凹に対して、たくさんの労力を割いてきました。

例えば自己認識を深めることであったり、その延長で自分の発達の凸凹のうち、凸を使いこなす研究であったり、あるいは転職も含めて環境調整をすることであったりと、凹以外の事柄に関してはもうそれなりに解を出してきていました。

また、かつてこのサイトにも連載しましたが、周産期の損傷を治すことも含めて、身体や神経系のフル・リニューアルも行いました。

そんなこんなで、取組みもひと段落し、人生も身体もそこそこ落ち着いてきて、30代も終わる頃には、

「僕はもう、自分のナゾは一通り解いてしまったし・・・(いろいろ大変だったなぁ)」

という心境になっていました。また職場においては、自己認識と他者評価のズレも殆どなくなっていました。特に、言語以降のアプローチに関しては、一山超えた感覚がありました。

しかし、発達の凹に関しては、比較的手付かずの部分が多かったように思います。それでも安定する状況を創ってしまえた、ということもありますが。そして、凹に関してはもう末梢神経からアプローチしないと、どうにもならないことにも気づき始めた時期でした。

だから、「凹⇒ヌケ、やり残しと捉え、身体側からアプローチする」という花風社の知見に出会えた時、自分の発達の凸凹に関する「最後の扉」が開いたような気がしました。

■ヌケという希望

この「人間脳を育てる」は、著者の灰谷さんにより、花風社に「ヌケ」という知見が導入された書籍です。発達障害とされている状態や、様々な特性は、発達のヌケ、例えば動きの発達のやり残しや、原始反射の残存によるものが多々あることが示されます。

そして、発達のヌケ=やり残しは大人になってからでも埋めていくことが可能である、という、成人当事者にとっては最重要かつ、大きな希望をもたらす知見が灰谷さんによって示されます。ただ残念ながらこの知見は、まだ成人当事者にはさほど広まっていないようにも思います。

成人当事者がライフイベントの変化、例えば就職、あるいは管理職登用、プライベートで言えば結婚や、子供の誕生等に伴って自分や他人に困難が発生し、その結果診断されるのは、「ハッタツあるある話」です。

これにはヌケが大きく関与していると思われます。つまり、凹を凸で補いきれなくなったということです。人生において凹が露呈した瞬間です。

また、私のようにある程度安定した状況になった人も、やり残した発達課題や、残存している原始反射を統合すること等、凹に対してまだまだやれることがあります。むしろ安定しているなら、落ち着いて凹に取り組めると思います。

■内容の密度の濃さ

この本を読んでいてつくづく感じることですが、内容が物凄く濃い書籍です。そもそも文章の密度が高い。全編にわたり、「灰谷孝・浅見淳子名言録」みたいな印象があります。決して分厚い本でもないのですが、書籍の中に知見がぎっちりと詰まっています。

特に当事者が自分でこの本を読むと、自分自身の状態像に対して、灰谷さんと浅見さんがたくさんの当事者と接してきた経験に基づいて言語化を行っているため、身をもって内容を理解できます。

当事者というのは、自分の状態像を的確に解説している知見や書籍・論文に出会うと、それだけでも不可解で扱いにくかった自分のナゾが解ける為、例え直接的なソリューションがなかったとしても、とてもありがたく感じるものです。

また、私個人は特に状態像に関する知見について、自分自身の状態像や体験世界、ひいては人生までをどのくらい言語化できているかどうかで、その知見や論文の有効性を身体で無意識のうちに判定している所があります。これは正しいかどうかというよりも、まず使えるかどうかという観点です。

そういう意味でも、この本は納得感が高いと思います。私はこの本において何ヶ所も、「ああ、これは僕そのものだ」と深く体験的実感を覚えた箇所が何か所もありました。

つまりこの本は成人当事者にとって

 ・自分の状態像が明確に言語化されるので、扱いにくかった自分のナゾを解ける
 ・アタマではなく、身体で、あるいは人生経験を通じて内容に納得できる
 ・発達のやり残しを取り戻すソリューションまで提示されるので、希望も持てる

という大変素晴らしく、かつ重要な書籍です。
特に、私と同じく成人当事者の方には強くお勧めします。

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ブルー

【読書感想文】

「NEURO 神経発達障害という突破口」

■発売前

私はこの本を発売と同時に買いました。浅見さんの旧ブログでの、発売前の予告編にあたる一連の記事も読んでいましたし、出版記念の講演会にも足を運びました。そのようなブログや講演会等の「予告編シリーズ」に触れていた段階で、私の認識は変わりつつありました。

「今までいろいろやってきたが、もう完治させてしまおう」

と。

当時の私も、アタマ、つまり大脳新皮質に働きかけるアプローチの限界には気が付いており、また、発達障害に対しては身体側から働きかけることが有効であるらしいことには、自分の体験で気が付いてはいました。

特に、発達の凸凹の、凹に対しては、末梢神経側から刺激入力を行うアプローチ、つまり身体アプローチを主体にしないと、効果は望めないことを経験から痛感していました。私が花風社の本の愛読者になる直前の時代でした。

ただ、その頃の私でもまだ、発達の凹や、一次障害や一次特性が治っていくということに関しては、半信半疑な所がありました。ただ、その頃はまだ「ヌケ」という知見を知らなかったことも大きく影響していますが。

浅見さんの旧ブログには一次障害の治癒の話も明確に書かれていて、それを読んだ私は

「え!?ウソ、マジ!?一次障害治せるの!?」

ということで大層な衝撃を受け、浅見さんのブログや花風社の本に関心を持つようになったのでした。

そして、「NEURO」が発売されました。

■購読

「NEURO」を読んで最初に感じたのは

「うわぁ凄ぇ、『前提』ぶっこわした~!!!」

ということです。私もやはり、従来型の発達障害を考える際の前提「生まれつきの」「脳機能障害で」「一生治らない」に捕らわれていた部分がありました。

確かに発達障害に関して、

・環境要因のように、「生まれつきの」遺伝子や胎内環境以外の要因に関する研究
・感覚過敏や腸の問題等、「脳」以外の問題が示唆される事柄
・「そもそも人は発達するから、大人になったら、特性がある程度ゆるまる人もいる」等「一生治らない」という絶望的な見立てをゆるめる経験則

といった、前述の3つの常識が、絶対の真理とは言い難いことを示唆する情報に触れてはいました。

また、自分の体験からも、発達障害にはある程度手を打てることにも、気が付いてはいました。

ただ、ここまで明確に「前提ぶっこわした」のは本当に驚いたのを覚えています。「翻訳者って凄いな」と思いました。そして、この本は、日本における発達障害の書籍の中でも、不滅の金字塔だとも思いました。発達障害に関わる人は全員が読むべきだ。と。

その一方で、残念な予測もしました。

当時まだ私は、花風社の存在を知って間もなかった為、神田橋先生の「発達障害は治りますか?」をまだ読んでいませんでした。ただ、神田橋先生の本を出版した10年前に、大変な騒ぎが起きたことが、浅見さんの旧ブログには書かれていました。

私は思いました。

「ああ、NEUROが出版されたら、「ハッタツ界隈」で大変な騒ぎが起きる。この本は物凄すぎる。人々の認識が変わる。そして人々は健全に分断される。でもそれは、ポジティブな変化だ」

と。そして、私はツイッターをやりませんが、その後勃発した、「ハッタツ大戦」を目の当たりにしました。

■読後に改めて思う事

発売から8ヶ月程度経ちましたか、「NEURO」を改めて読んで、もう一度落ち着いて自分なりに振り返ると、つくづく思うことがあります。

・神経発達障害(neuro developmental disorders)は固定的な状態像ではない

世間ではまだ、障害という単語を絶望として捉える人も多いので、「固定的な状態像」「一生涯のレッテル」みたいに捉える人も多くいるのでしょう。治らないという社会通念もおそらくここから来ます。

書籍から話が離れるので手短にしますが、固定的状態像ではないということは、そもそもの単語にも表れているようにも思います。まず、
「Disorder」。「Disability」に比べて可変性を感じる単語です。

「Developmental」もそうです。この単語は時間的変化を伴う。また、「Neuro」には可塑性があります。

つまり、固定的状態像を表す文言は、そもそも「neuro developmental disorders」という単語の中にあるとは、私自身は考えにくいです。もちろんDSM-Vの神経発達障害の定義にもないように思います。つまり、状態像が変動する余地がいろいろとある。

それからもう一つ感じること。

・神経発達障害(neuro developmental disorders)は、「全体的」なものである

これは、「Neuro」という全身にあるもの、そして「developmental」という全人生に渡る物事を対象としていることから感じることです。全身からアプローチすると治る。「発達期=全人生」を良く俯瞰して、やり残した課題があれば、今からでもやり直してみる。

■従来型の社会通念を見てみると

こういう視点で、改めて従来型の「生まれつきの」「脳機能障害で」「一生治らない」を見てみると、極めて「固定的」で「局所的・限定的」であることが分かります。

書籍「NEURO」においては、「頭蓋骨」「医療」「治らない」という固定的かつ、局所的/限定的視点を解除する論考がなされます。状態像はもっと変動的で、もう少し全体的/全身的に観た方が良いと。

これは、私には希望だと思います。そう思ってもう一回あとがきを見たら、同じことが書かれていました。「希望を伝えたい」と。

私自身は、発達障害そのものよりも手ごわいのは、絶望ではないかと感じることがあります。確かに発達障害は個々人によって極めて状態像が異なるので、成人当事者の私であっても、他の人の事に関して、軽率なことは言えません。

ただ、発達障害に対する手立ては、だいぶ世の中に出揃ってきた感があります。発達障害そのものは、もう「絶望的な不治の病」ではない。むしろ発達障害の対策に関しては、絶望こそが本丸ではないか。

その意味でこの本は、絶望をぶっ壊してくれます。対象としては、発達障害を知りたい人が、ある程度入門書を読んだ後に読むのに適していると思います。「今までの入門書は何だったの!?」ってなるかも知れませんが、引換えに希望が得られます。

この本は衝撃の書籍ですが、ハッタツ関係、特に当事者と、当事者の御家族の方は必ずお読み頂くと良いと思います。

(おわり)

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浅見淳子

ブルーさん、ありがとうございます。
この本を出す前、騒ぎになることはわかっていましたよ。そして健全な分断ね。それこそが花風社の目的かもしれません。今のままだと治る人も治りませんから。
数ヶ月経ってみると、その騒ぎがしょせんツイッターの中だけだったので、たいしたことなかったな、というのが実感です。おまけにそのおかげで、こんな素敵なサイトもできましたしね。これだけ治る情報が集まっている場は他にないし、花風社以外のどの出版社がいきなりこれだけの規模のコミュニティサイトを立ち上げられるでしょうか。
そして治らない教徒の治った自慢への嫉妬もみつつ花風社はどんどん突き進んでいきますよ。あと数冊。あと数冊でみんな治ってしまうでしょう(治りたい人は)。
治りたい人から治ればいいですね。

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ちょこ

人間脳の根っこを育てる
先週より喘息発作を繰り返している娘。
首上げエクササイズも、振り出しに戻ってしまい困り果てて相談させて頂いた所、こちらの本P117~の「首座り」が参考になるのでは?と教えて頂き、改めて一冊読み返しました。
読み返してみると、数種類組み合わせて楽しく取り組めるワークや遊びが沢山載っていて、一気に読んでしまいました。
娘の発達段階が今どの辺りなのか?
次の段階へ進むには、どんなアプローチが良いのか?
丁寧な解説や挿絵で載っています。
ご家庭だけでなく、支援の場(学校等でも)すぐに実践可能な物ばかりですので、おすすめ致します。

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