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私が愛読する花風社の本

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99 COMMENTS

ヨヨ子

廣木道心さんの「発達障害脱支援道」読みました。

わたしは30代になって精神病院への入退院を繰り返したのち発達障害という診断がついたので、子供の頃から発達障害だと診断されたお子さんやそのご家族の生活は想像するしかありません。
しかも、発達障害の世界にいたのはほんの数年で今は発達障害者というよりも精神障害者として生きています。

そういう立場で読んだ1番の感想は、「発達障害の世界も精神障害の世界も似たようなものだなあ。」でした。
P58の、「いい先生に巡り会っても、先に死ぬ」は、「いい精神科医に巡り会っても、先に死ぬ」に置き換えられますし、P86の閉鎖的な空間よりも支援者の行動をちゃんと証言できる目撃者が多い場所の方が安全ですというのもモロに精神科閉鎖病棟に当てはまることです。
閉鎖病棟の看護人は明らかに外来の看護師と患者に対する態度違いますから。
なので、精神障害の方にもお勧めしたい本です。

あと「暴れる人の行き着く先」は、実際に閉鎖病棟で拘束を受けた身からすると、「精神病棟の隔離部屋はもっと酷いとこありまっせ」でした。
例えば私が入院していた閉鎖病棟の隔離部屋は、入った経験のある人の証言や時々検査のために出てくる隔離部屋患者の様子からすると、部屋は真っ暗・拘束中は剥き出しの便器に用を足すどころかオムツだったみたいです。
また私自身が隔離部屋でない部屋での拘束(←こういうケースもあります。6人部屋で1人だけベットの周りのカーテン閉めてベルトつけられるとか。他の患者がカーテンをまくるので「見ないで!」って言ってる女性もいました)を受けた時は、拘束されるとすぐ点滴で向精神薬を入れられたので鉄格子越しに渡されるご飯を食べることすら出来ませんでした。

大変なことになる前に治しましょう。
大変なことになってもさらに大変なことになる前に治しましょう。
発達障害知的障害も精神障害も。

以上です。

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ヨヨ子

昨日上に書かなかったことです。

書いていいのか?書けるのか?と思いつつ、昨晩10数分に及ぶ円盤の気功の末、書けば良かったと思ったことです。

「発達障害 脱支援道」には親が治さないと最終的にどうなるかの症例が書かれています。
そこに全くなかったものを書きます。

治らないと親の死に目に会えない可能性があります。

私がそうでした。
私の場合は精神科医と就労支援員によるダブルパンチのせいで父が危篤の際病院に行けなかったからなのですが、暴れる自閉っ子も同じ目に遭うと思います。

私もその時初めて気づいたのですが、現代人が亡くなるのがほぼ病院でしかも夜中が多いという以上、夜間に病院に行けないと親の死に目に会えない確率が高くなるのです。

大人並みに大きくなった暴れる自閉っ子を真夜中に病院に付き添ってICUに連れて行ってくれる人はそんなにいないと思います。
そういう人のいる家庭は日頃から疲弊しているでしょうから母親や兄弟姉妹が連れて行けるか怪しいですし、他人がそこまでしてくれるかというと・・・

私も寄り添って病院や葬儀場に連れて行ってくれる人なんて親戚にすら1人もいませんでした。
まあそれは、私の親戚たちが冷酷無慈悲なのではなく、精神科医や支援員の暴挙や投薬のせいでこうなったんだと周りに言えなかった(こんなこと言ったらこっちが頭おかしいと思われますから)がために、私の当時の状態がかなり酷いことを説明してなかったからなんですが。

人工呼吸器つけるために喉を切って話せなくなった父が残した自由帳に書かれたヘロヘロの私の名前を見た時から、精神科医数名と支援員数名は私の親の仇になりました。
しかし我が国では仇討ち制度が復活する気配はないので頭の中で打首拷問レイプ(以外自主規制・日本では脳内で何をしようが法的にシロ)以外ありません。
治さないことを勧めた医師達だって、治さなかった結果こんなことが起きても死んだふり確定でしょう。

治したくない親は、死ぬ前に子供の顔見たくないんでしょうか?
不動産買って家賃収入で暮らしていけるようにしてあげても、一生暮らしていける財産残しても、1人でタクシー夜中乗れるか他人が病院に連れて行ってあげようと思える人柄にならないと、親の病室に駆け込める保証なんて無いのに。

まさか生死が関わる事態になればどんな状態の障害者でも誰かしらが助けてくれるとでも思ってるんですかね?
甘すぎる。

啓蒙したくらいでそんな世の中になるんだったら、神経発達障害が有名になる以前から存在する障害名の障害者はもっと良い生活してます。
バカくさい。

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シア

新刊「発達障害脱支援道」を読んでの感想となります。

旺我さんと同じく私も早産なんです。 成長によりそう言うのを取り戻していく過程でもユニークさに関しても余計学びがあると思えますし大変です。 経験でそのような豊かさがある一方で福祉はどうしても囲い込みがあって社会とスプリッティングしていると言うのが「やはりそうだったのか」と言う思いです。 かつては社会参加がむつかしいから「理解」を求めていましたがそれらの啓発活動よりも自分自身が社会参加しやすいように変わる方にエネルギーを注いだ方が有効だろうと思います。 そして治らなくても困らないでしょ?と言うのでは福祉の人もお世話が大変になるはずです。 当事者も伸び悩むではだれも幸福になりません。

※私が強調したいこと↓↓↓

「どういう風に生きたいか」考えた時当事者としての実感ではデイケアの生活はただみんなで動画を視聴するだけだったりトランプをするだけでつまらないし刺激もなく発達もしづらかったと思えます。 「なるべく利用しない・お世話にならない」でいるだけでより良質な時間を過ごせているのが実感なのです。 私は福祉サービスで受ける訓練も「福祉から離れてから役に立てようと思って」主体的に選んでいました。 地道な訓練を主体的にするためにも福祉以外の世界を射程に収めることが当事者には必要不可欠に思えます…しかし現実には福祉は社会とスプリッティングしているのです。 私はこのホスピタリズム(施設病)の処方箋は広い世の中に出て行って実際に体験することだろうと思います。 その導き手は親御さん以外にいないのが現状なのかもしれません。 

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座波

廣木道心さんの『発達障害 脱支援道 笑顔と自由に満ちた未来のためにできること』読み終わりました。

軸と無意識の賢さと臆病さの相関についての連想があれこれ浮かんできました。

発達障害があろうと、身体障害があろうと、子育ての本質は変わらないこと、土台は障害対応ではなく子育てであることを改めて確認させていただきました。土台ですから子育てにヌケモレがあると障害対応もうまくいかなくなりますよね。そして子育ての本質とは何か、それは、社会の一員になること、であると思いました。

僕は「成長すると身体が大きくなって力が強くなる、子どもも作れるようになる、この2つをコントロールできないままでいいはずがない」と本や講演でお伝えしてきましたが、これができないまま年齢だけ大人になることが廣木さんの言う「大変なこと」にも通じると思いました。
そして、それは不可能なことではなく、それも方法は1つだけでなく、さらに誰かがどこかが独占している方法でもなく、親ができること、誰かに任せることなく親が取り組むことなのだと思いました。

お子さん二人抱えて、収入が半分以下に、1/3に、なんていう決断に迷いがなかったはずはないと思いますし、決断してからも後悔がなかったわけでもないと思います。
それでも振り返るとそれが最適な道に続く決断であったのは、廣木さんの武道をベースとする無意識の賢さがあったからなのですよね。
軸を整えることはこうした無意識の賢さにつながり、臆病さはなくならないけれどそれに打ち勝つことができるようになるようです。

なお、武道をしているすべての人の無意識が賢いわけではない、のは不思議です。また、軸が整わないうちにも適切な道につながる流れに乗れる人がいるのはどうしてなのか?今はこんな疑問を頭の片隅に置きながらまた学ばせていただいています。

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yasu

>武道をしているすべての人の無意識が賢いわけではない、のは不思議です

現代の武道(柔道や剣道など)はルールに従ったスポーツなので、無意識を賢くすることができないのではと思います。武術が戦いの手段として使われていた頃の技や考え方を汲んではいるのでしょうが、それをきちんと伝えられる人がいるのかも含めて考えると、質的に変わってしまっているのではないかと。子育てのルールはありませんし、ましてや目の前の子どもが何らかのルールに従ってくれわけでもないので、ルールのある武道の経験だけではあまり役に立たないのは、納得できると思っています。

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座波

yasuさん

質的変化という意味では、武道も教条化の影響を免れなかったということなのかもしれませんね。
そう考えると、初めは師匠に学ぶことは大切ですが、自分の中に疑問や方向性の違いが自覚されるようになること、結果、場合によっては師匠と袂を分かつこと、それが成長であり、決められたことをただするだけの思考停止でなかったことの証になるかもしれませんね。
ただ、それすら教条化のリスクがあるということは自覚し自制できないと、ですね。
自由連想は限りない(笑)

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yasu

座波さん

戦国時代は、それこそ真剣勝負の世界で負けたら命を落とすので、技か使えないとどんなに努力してもダメと、結果が全てだったようです。真剣勝負でなくなったところから精神面が強調されるようになったと理解しています。真剣勝負の世界では精神面はオマケというか、術をきちんと実行するための一手段だったのではと思います。

命を落とす真剣勝負の視点から見ると、スポーツは甘いというか、そもそも命を取られることがないわけですから、指導も稽古も異なったものになるだろうというのは、容易に想像ができますね。発達の世界でも、命がけの真剣勝負をしているような人は良い指導やアドバイスができると思うのですが、そうでない人たちには、アリバイ指導とか、思考停止とか、マニュアルとか、そういうことじゃないかと(笑)。

ちなみに、当事者や保護者は自分たちの問題という意味では真剣勝負なのですが、「おまかせください」の支援の舟に乗ると、それこそ大船に乗った気持ちで思考停止してしまうリスクがありますね。

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yasu

廣木道心さんの新著『発達障害 脱・支援道』を読了しました。

親亡き後に(子供に)どうなっていてほしいかをまずは考えて、そこから逆算するように今必要なものを考えていくという考え方になっていて、合理的だと思いました。子供が毎日色々とやらかしてくれたり、支援者や学校から頻繁に連絡があるとどうしても考え方や視野が近視眼的になるからです。「大変なことになる前に」というのは、近視眼的な考え方だけだと先々困るということでもあって、どう困るかはこの本の中で豊富に語られています。(支援者への丸投げや対応が投薬中心の対応も近視眼的な考え方)

身体的な問題(自害、他害)のコントロールに多くのページが割かれおり、これを解決しないとどうなるかについても詳細に語られていて、これはとても説得力がある内容だと思いました。この本を読まれて、下記の不幸な事件を思い起こされた方も多いのではないでしょうか。
https://www.nippon.com/ja/news/fnn201912121927/

世の中の方が理解すべきだという文言を自分にとって都合良く解釈していると、娑婆と大きく乖離して結局は自分たちが抱えている問題は解決しないし不利益を被ってしまうので、注意が必要ですね。ここは親亡き後のことを考える上で非常に重要であって、ここの解決することなしに親亡き後を考えるのは不可能だと思います。

発達支援の現場の実体験を元に書かれた、支援の世界の実態については、自分が持っている情報や感覚と比べて違和感はありませんでした。この部分は知識として読むのではなくて、我が子を社会参加させるにあたり、この支援を受けることが良いことなのかを考える材料として活用すべきでしょう。また学校や地域の支援センターで、この本に書かれていることについて尋ね、自分の子供が受けている特別支援についてチェックする目的にも使えるでしょう。集団の中での学びの重要性についても色々と書かれていますけど、特別支援教育は集団から離して「取り出し」で行われることが多いので、そのメリットとデメリットについて支援者としっかりと話し合うのは大切であって、そのためのツールとしても有用です。

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yasu

追伸

「せめて、暴れる人は減らしましょう」というのは、非常に重要な提言です。
下記リンク先ご覧下さい。
https://diamond.jp/articles/-/257333?page=2

”発達障害を持つ当事者は殺しても正当防衛”なんてまずいでしょう。この事件の場合は、自宅で実親が手をかけた話ですが、この先これが、”支援施設で支援者が”になる可能性だってあります。ありのままに他害を放置→正当防衛で殺害(支援者は無罪)という世界は間違っていると思いますし、暴力が生じてから対応を考えるのではなくて、そもそも暴力を生じさせないようにしないと道は無いように思いますね。

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ブルー

<人間脳の根っこを育てる :栗本啓司 著> 

私はこの本を通しで2回読みましたが、本全体がマーカーでカラフルになっています。自分にとって納得のいく記述が続くためです。特にこの本の人間観に共感できました。

栗本さんはこの本の中で「支援者は当事者を客体化しすぎていたのではないか」という趣旨のことを言っています。つまり当事者を定型の人とは違う珍妙な生き物として見ていなかったかと。

■当事者理解で重要な点

当事者の特性は見慣れないと不思議です。しかし当事者を理解するには「生き物としてのヒト」に立ち戻って考え、そこから個々の理解を立ち上げ直すプロセスが必要だと思います。

世の中に良くある、定型発達のヒトを理解することを前提にした人間観やツールでは当事者を捉えることができません。だからといって当事者を定型とは別の生き物とみなすとますます分からなくなります。

当事者のことが分からなくなると、特に発達の凹に対して対策ツールが出せません。だから治らない、となります。

当事者の私が個人的に感じるのは治らないのではなく、適用するパラダイムが適切ではないということです。だからツールが出せないだけだと思うのですが。

ではどうするか。

■当事者理解を立ち上げなおす

それにはまず「生きものとしてのヒト」という観点から、もう一度当事者理解を立ち上げなおすことだと思います。

このプロセスで使用する学問のうち中心になるものは、西洋医学(含精神医学)や心理学ではありません。これらは当事者を理解するパラダイムとしては不向きです。

学問という観点から当事者理解の軸になるものを挙げると、私自身は基礎医学的な分野が土台になると思っています。

つまり解剖学、生理学、生化学、及び生物学や、発生学及び進化に関する知識です。場合によっては人類学もです。

そういう意味でこの本では栗本さんが日常の仕事の基本としている生理学の観点を踏まえ、発生学や進化の知識も使ってヒトの発生と発達を俯瞰します。

そして当事者にどのようなアプローチをしていけば良いかを考えていきます。

またこの本は、灰谷さんの「人間脳を育てる」から比較的日が浅い段階で製作されているせいか、発達のヌケを埋めるということがかなり重視されている印象があります。つまり書籍のコンセプトが似ています。

ヌケを埋めるためのプロセスを進化や発生の考え方で、大きい視座から捉えなおしているというわけです。

■未来的人間観

現代においては様々な学問をもう一度進化のパラダイムで見直すということがトレンドになっています。

それは「進化ナントカ学」がいろいろと登場してきたことが良く表しています。ネットを検索するといろいろ出てきます。

進化心理学、進化教育学、進化ナントカ学・・・。あるいは、文明や知識そのものなど非生物も進化のパラダイムで見直してみるトレンドもあるようです。

進化のパラダイムはカッコいい数式やモデルにこそあまりならないようですが、それで現状の人類や文明を記述してみるとなかなか面白い世界が見えてくるので、いつの間にか学問の世界のトレンドになったようなのです。

またある学者さんなどは、「21世紀の科学は進化のパラダイムで統合されるだろう」とまで言っていました。

つまりこの本もまた現代のトレンドに沿った書籍であると思います。進化のパラダイムに基づく未来的な人間観を提示しているということです。

この本を読むと、それが発達障害の人に対しては有効なパラダイムの一つであることが分かります。

■具体的方法論

もちろん、この本には様々な具体的方法論もいろいろ載っています。

読者として私が助かったのは、「自分の発達のヌケは、それぞれどの段階のものか」とあたりをつけることができることです。そのため取り組みの順番を進化や発達の順序にしたがって組み立てることができました。

当事者としてはこれで希望が生まれます。

■あとがきについて

この本のもう一つの注目ポイントとして浅見さんによるあとがきがあります。ここには花風社が発達障害と向き合ってきた歴史が記されています。

このあとがきを読むと、花風社が発達障害に対して基本的にどのような捉え方をしているかということも分かります。

つまりあとがきが最も包括的な視座で書かれているので、この本はあとがきを先に読んでから本編を読んでも特に問題はないと思います。

■基本書としてオススメです

個人的にこの本は現状の花風社の基本理論を担っていると思っています。

そういう意味で

「花風社さんは『治る/治らない』でいろいろ言われているけど、論争はさておき実際にどのような理論とソリューションを持っているの?」

と思っている方は、この本から読むといいと思います。

そうやって一次情報で判断しようとする人ならこの本を必ず使いこなせます。花風社の本はそういう人が実践のガイドブックとして「使いこなす」ために書かれているのです。

その意味でこの本は基本書としてオススメです。

■おまけ:

この本もまた、ネットで書評を上げている方がいます。

<なかじまなび塾>
この場で速読して本紹介 
その25「人間脳の根っこを育てる」栗本啓司 著

https://www.youtube.com/watch?v=TwFXPLM7Eyo

動画によると、この人も療育をなさるそうです。つまりこの方はクラスタの方でもなくアンチでもなく、Twitterや5chで外野から文句を言っている人でもありません。中立な立場で花風社本を使いこなしたい人なので参考になります。

よろしかったらご覧ください。

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