ホーム全て会議室いま会議室で話していること 雑談のお部屋 SHARE ツイート シェア はてブ Google+ Pocket LINE なんでも雑談コーナーです。 発達障害に関係あってもなくても可。 楽しくおしゃべりしましょう! 3,039 COMMENTS みる 2019年12月29日 みるです。アットマーク国際高校品川学習センターに通う2年生です。この度はいつもお世話になっております。 前回、 ・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める ・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす 等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。 とコメントさせていただきました。自分は「支援」が必要な存在については否定しておりません。 ただ現状、問題行動がなくても身体障害や知的障害が重いというだけで、親亡き後の選択肢がグループホームか入所の2択になる場合が多いというのがどうも可能性を狭めていると思ったのです。 IQがたとえ測定不能だろうと身体障害の他にいっぱい病気や障害があっても、援助があれば一人暮らしや働く事ができる人はかなりいると、支援級や支援学校、就労支援を通じて学んだ事です。 こういう人達が制度を使えるようになる為には治しやすい所から治していこう、とたにしさんのコメントを読んで改めて思いました。 皆さんからはいつも学ばせていただいております。心より感謝しています。 それでは失礼いたします。 ※このコメントは各種学校/企業等としての書き込みではなく、あくまで当方一個人としての意見として書かせていただいております。 返信する XIA 2019年12月29日 ドローンは、玩具じゃありません。 水中ドローンだってそうです。 業務用にも使える、高度な電子装置を備えた機材です。 むかし、祖父が万年筆を触らせてくれました。 「ホンモノ」は違うなって、思ったんです。 私の鉛筆や、消しゴムの延長線上に、このようなものがあると言うのを知り、私はそういうものに触れていたいと思ったんです。 返信する yasu 2019年12月29日 「ホンモノ」は大事ですね。 子どもようのオモチャのパソコン(のようなもの)が玩具として売られていますし、クリスマスの時期には結構人気がありますが、うちではその類のものは買っていません。タイミングはまだ決めてませんが、娘にはいきなりiPadかMac bookを買い与えるつもりです(笑) 返信する XIA 2019年12月29日 おはようございます。 明日からお天気が荒れ模様だと言うので、今日はカメラを持って、ロードバイクで走ってくることにしました。 私のカメラは、高級です。 ロードバイクも、いいものです。 安全性が高いものを、品質のいいものを選んで使います。 支援だって、教育だって、医療だってそうじゃないですかね? 返信する たにし 2019年12月28日 このサイトのトップページには、こんなことが書かれていますね。(抜粋) 『このサイトは「花風社の本を読んでいる人や興味がある人」のための交流サイトです。』 『仲間たちの情報交換の場です。』 花風社さんの本を読んでいない人、興味がない人、志を異にする人、仲間でない人等に向けた情報発信ではないです。 まぁ、そんな人がこのサイトを見ている訳ないはずだし、ましてや、Twitterなんかにここの書き込みを批判的に引用したり、このサイトのスクショを載せるなんて行為はありえませんよね普通。 批判的に捉える方に向けた情報発信ではない。 浅見さんは無料で提供してくださっていますが、このサイトは浅見さんの管理下にあるので、Twitterなんかと同じ感覚で、批判的に勝手に使い回しするべきものではないと僕は思っています。 えっと、前置きが長くなりましたが、トップページに書かれているような方々に向けて情報発信させていただきますね。 さて、納税者ネタについて少々語ります。 勤労の義務がある。 納税の義務もある。 ということですが、これは別に花風社さんの社訓でもないし、クラスタの行動規範(そんなのないけど(笑))に載っている訳でもありません。 憲法です。 日本国憲法です。 「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」 「第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」 中学校の公民の授業、懐かしいですね。 早かったら、小学校で習うところもあるのかな? 国民は、勤労して、納税する義務を負っています。 なぜだろうか? これは単なるスローガンではなく、国家を支える根幹が国民の納税であり、その納税は勤労によって生まれるものだから、義務であると、憲法に明記されているんだと僕は思っています。 しかし納税できない人もいますね。 子どもだったり、リタイアされた御高齢の方だったり、障害や病気で働けない方たちだったり。 それらの方々は、働ける人たちが納税して、それを原資にして社会が助ける。 憲法にこう明記されていますし。↓ 「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 うちの子は通常のお子様より、社会に助けてもらっています。 支援学級に放デイ、よく遊びに行くリハのプール等々。 療育手帳を提示したら、施設利用料の割引をしてもらえることもあります。 これらの原資は納税者のみなさんが納めた税金。 今、社会にお世話になっている分、息子には、大きくなったら社会に恩返しをして欲しいと願っています。 それは、労働して納税することです。 「納税者になる」ということは、文字面だけ見たら、税金を納める人になってもらうことですが、実際の願いは、それだけではありません。 心身とも健康に発達し、週5日フルタイムで働ける体力と根気を養い、世間の皆様とトラブルなく生活し、労働の対価であるお給料をいただき、社会貢献しながら、幸せに生きていって欲しい。 そして社会にお世話になった分、社会の力を必要とする方に恩返しをして欲しい。 僕が言う「納税者になる」というのは、こんな意味を含んでいます。 ああちなみに、こうも明記されていますね。 「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」 そうなんです。 どう考えようが自由。 そして、日本は、憲法上義務と明記されている勤労・納税について批判的な考えを抱いていたとしても、罰せられることのない自由な国。 僕は、志を同じくする人たちと前に向かって進んでいきたいです。 返信する yoyoyo 2019年12月28日 たにしさんの「納税者になってほしい」という思い、私も全く同じです。 そしてそれは納税者になれない人を否定するということではありません。 権利ばかりを主張し、義務を果たそうとしない人間になってほしくないのです。 返信する みる 2019年12月28日 みるです。アットマーク国際高校品川学習センター2年生です。 この度はいつもお世話になっております。皆様、如何お過ごしでしょうか。 いよいよ年の瀬とありまして、皆さん、ご家族とのひと時を過ごされる時期に入っているかと思います。 先日、役場に私用で伺いました。 障害者関係の某窓口に伺い、職員にある制度の事で質問。 どんな制度も有限で財政にも限りがあるのですが、それを知らない知ろうとしない親御さん、当事者も結構いるのか、職員さんも言葉に詰まっていたようでした。 「自分は制度には限りがあるのを知ってるので、もし今後使えない制度が出てきたとしても気にしませんよー」 と話した所、職員も安心されたのか、その後少しだけ世間話をしました。 こんな全国的に見たらド田舎な東北でも、本音を垣間見えた今、日本は治りたい人、試行錯誤ができる当事者や親御さんにとってはすでに有利な時代が到来しているのだと思いました。 今回はそれだけですけれど、年の瀬という事もありましてご報告といたしました。 取り急ぎ失礼いたします。 ※※ 花風花関係の発言は全て当方一個人の意見です。各種学校・企業としての意見でない事を御理解いただきましたら幸いです。 返信する みる 2019年12月28日 みるです。この度はいつもお世話になっております。 浅見さん、Twitterでのご紹介ありがとうございます。 上の記事を見て、おおよそ検討は着くかと思われますが、行政職員の方の反応を見る限り、 『なんで、身体障害はOKなのに、うちの子(自分)は制度を使うことが出来ないの!!ウチの子(自分)でも使える制度作りなさい!!』 等と苦情を入れる、親御さん、当事者も多いのだと思います。 自分としては、そこに力を入れるのであれば、 ・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める ・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす 等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。 (もっとも今の日本の財政を考慮しますと、どれくらい出来るかは疑問詞ですけど) その為には自分のような知的障害がない人、軽い人達がまずは治らないといけません。重度と診断された人でも、クラスタさんのお子様の中には自分の身の回りの事ができる大人もいますね。 治るに国境はないですね。 自分も皆さんに追いつけるよう、来年も精進していきます。 それでは失礼いたします。 返信する XIA 2019年12月27日 世界で愛される青函連絡船。 青函連絡船は、国鉄時代に本州と北海道をつないでいました。 青函連絡船の特徴は、列車が載せられることです。 貨物列車が、駅からそのまま船に乗り込むことができるのがとても便利なんですね。 コンテナ貨物船などが現在はありますが、貨物列車をそのまま船に乗せられるわけですね。 多数が作られて、青函連絡船が廃止されると、世界に売却されました。 国によっては、青函連絡船が非常に重宝されているそうなんです。 青函連絡船の船底には、通常の船のスクリューのほか、艦首を貫通してスクリューが横向きに備え付けられており、これによってタグボートなどがなくても、狭い港湾を方向転換できます。 よく、港で大きな船を見かけると、タグボートが寄り添って方向を変えようとしていますが、そういう手間が要らないそうです。 これは、列車をダイヤに合わせて頻繁に輸送するための知恵だそうです。 返信する XIA 2019年12月27日 日露戦争後のお話。 日本は、北方に勢力が広がると、ロシアから技術を学び、樺太などでも後悔でき得る「砕氷船」を建造するようになりました。 太平洋戦争では、主に戦線が南方であったため、砕氷船の出番はあまりありませんでした。 しかし、戦後これらの砕氷船は、そのまま南極観測船に受け継がれたんですね。 「宗谷」はもともとそう言う船です。 もし、日露戦争がなかったら、宗谷も建造されておらず、戦後南極の観測は遅れたでしょう。 もしくは、南極に日本の船が行くこと自体、なかったかもしれませんね。 ちなみに、日本は南極の厚い氷の下に、「コケボウズ」と言うものが群生していることを観測していますね。 コケボウズは、太古から生息するコケの一種で、南極の海の底に残っている希少な生物だそうです。 返信する XIA 2019年12月27日 こんばんは。 船の模型を作っていて、今はロシア海軍の船を作っていますが、気分を盛り上げるために日露戦争の動画を流したりしています。 日露戦争では、アルゼンチンの装甲巡洋艦が大活躍したんだそうですね。 日本は、アルゼンチンから二隻のジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦を買っていたのです。 しかも、この船のすごいところは、45口径の大砲を備えた点です。 イタリアで建造されたとき、世界を驚かせた技術です。 日本の三笠は、40口径でした。 大砲の口径とは、大砲の砲身の長さを直径で割った数値です。 すなわち、45口径は、40口径より砲身が長いのですよ。 だから、大砲の弾が遠くまで届き、初速も早いのです。 半面、砲身が長いため、製造するには高い精度が必要なんです。 排水量では三笠は二倍もあったのに、このアルゼンチンから輸入したこれらの艦(日進・春日)は有望視されていました。 日本海海戦においても、その長射程を活かして、最初から砲撃を行ったそうです。 後に、戦艦「大和」はこれに倣って、45口径の大砲を備えるようになりました。 しかし、イタリアは技術に満足せず、何と、50口径の大砲を製造していたのです。 大和の45口径砲は、破壊力で最強ですが、一回り小さい50口径のイタリアの戦艦は、同じ程度の射程距離があったとされています。 後年、イタリアの「ベレッタ社」のライフルなどは、この伝統を受け継いで、スナイパーのライフルを多数手がけています。 アフガニスタンでは、2400メートルの距離から、カナダの狙撃兵がタリバンを攻撃したときに使ったのもベレッタの対物ライフルです。 アルゼンチン海軍と海上自衛隊は、現代でも交流があり、観艦式などでもおなじみです。 返信する XIA 2019年12月27日 グレタさんのことをよく報道で見た年でした。 母は、グレタさんを見て、模試職人だったら、いい腕前だったろうね、と言ってます。 ・頑固 ・正直 ・気難しい ・自他ともに厳しい ・凝り性 ・自尊心が高い ・手を抜かない ・几帳面 こういったものが、自分の手に職に向くと、いい職人になるのですね。 グレタさんは、たまたま環境問題に目が言ったのだけれど、ちょっと視点が変われば、いい職人になったかもしれないと言うのは、面白い見方です。 返信する 金田 隆佳(かねた たかよし) 2019年12月26日 面白いので貼っときます。 「ミトコンドリアを活性化する成分・・・」 https://www.teu.ac.jp/topics/2016.html?id=224 実は脳というのは「脂肪7割、たんぱく質3割」でできています。しかも「脂肪7割」の半分はコレステロール。コレステロールが不足すると脳の伝導も悪くなります。実際に総コレステロール値が150以下の人は、うつ病や認知症を発症しやすいという研究結果も出ていますよ。ですからコレステロールはむしろ積極的に食べるべきものと考えます。 返信する さくら咲く 2019年12月26日 感覚過敏ですが、できたら思春期が始まる前に治す方がいいと、経験上思いました。 思春期は定型発達の子でも過敏になりますから、元々過敏がある子は治さずに思春期になると大変です。 息子は親や幼稚園、学校の先生が気付かない程度の感覚過敏があったようです。匂いや味に敏感かな、ぐらいには思っていました。ですから表面上は生活に問題はなかったです。中学になり拗らせて学校を休んでいる間、感覚過敏が出ていてびっくりしました。身体を触らせてくれない、特に足の小指は少し触れるだけで、家じゅうを走り回るほど嫌。シャワーも足の小指だけは、チョロチョロとした水量でそっと、だったようです。またベトベトしたものが触れないので、卵が割れない、ひき肉が触れない等。今まで大丈夫だったことができなくなっていました。 それも身体アプローチや栄養で治っていきました。足の小指の過敏もほぼ無くなり、卵も割れます。中学になって知ったのですが、幼稚園のころは泥んこ遊びが嫌で、できなかったとか。でも、修学旅行の農業体験では、泥だらけの田んぼに素足で入って、田植えをしました。泥んこがダメなことをすっかり忘れていて、楽しかったそうです。 息子の場合、たんぱく質と鉄が満たされてから感覚過敏が急速に治っていったように思います。 返信する さくら咲く 2019年12月26日 中学生になってひどくなった、感覚過敏の追加です。 幼稚園の頃から、梅雨時は体調を壊すことが多かったのですが、中学生の一番体調が悪かったときは、雨が降ると寝込むようになりました。布団から出てこれなくなるのです。また、雨に対する反応も過敏になり、いつ雨が降るか分かるほどでした。雨雲レーダーより精度が良かったかも。首の後ろ側が硬くなって、体調が悪くなったそうです。ホットタオルで温めたら、少しマシになりました。それも身体アプローチで少しづつ良くなり、鉄不足が解消したら、雨雲レーダーの能力は無くなりました。今は台風が来ても元気です。本人は雨がいつ降るか分かるのは便利だったのに、とぼやいてますが(笑)。 返信する 智ママ 2019年12月26日 見知らぬところだけに恐怖を感じるようになった、5歳の中度知的・多発奇形の息子が、知らない場所においてのみ、現在地の確認を頻繁にするようになってきました。 父親の単身赴任先に、私鉄で出かけたのですが、慣れていない場所に来ると (急行から普通に乗り換えたので知らない駅に停車するようになり、緊張したようです)「ここどこ?」「〇〇駅はまだ?」と頻繁に尋ねるようになり、あたりを見回して情報を集めようとしているようでした。 以前に一度行ったことがあり、ある程度は勝手知ったる駅を通過すると、安心したのか、ピタリと現在地の確認がなくなり、「もうすぐ、終点だね」「お父さん、仕事」と言うようになりました。・ 3歳児のころは、初めてのルートでも慣れたルートでも、恐怖だらけの中、泣きながら手を引かれてよちよち歩いていたのですが、一度行ったときに場所を記憶してしまうことで恐怖に陥ることを克服したらしく、二度目からは緊張せずに道を通ることができるようになっていました。 今では、父親の単身赴任先のアパートに近い踏切に行くためなら、日が落ちるのが早いので多少暗闇が怖くても、喜んで出かけるようになりました。 自分の住所近辺以外でも、外出すること自体に恐怖が少なくなってきたらしく、初めてのところにお出かけしても、夕方少し休めばまた出かけることができるようになっていました。 外出先から帰宅するたびぐったり寝ていたときと比べると、段違いで行動する範囲が広がり、疲れにくくなったからか、その日に初めてのところに外出していても、帰宅した大好きな父親と夜に遊べるようになりました。 夕方になると、付き添いの私のほうがくたびれてしまうくらいでした。 視界が開けて、聴覚過敏が軽減されて、恐怖が感じられなくなるだけで、これだけ子どもは活動的になるんだな、と驚きの三日間でした。 返信する みならい怪獣 2019年12月26日 素晴らしいですね。 智くんの快進撃、いつも楽しみにしております。 治ると行けるところ、出来ることが増えて世界が広がりますね。 返信する 智ママ 2019年12月26日 みならい怪獣さん ありがとうございます。 行ける所が増えすぎて、どちらも「行く!」となってしまうので、母の私は体力的についていきにくく、ふうふう言っています。 返信する ねこ母 2019年12月26日 すごい!治ると行動範囲が広がりますね! それに体験したことがしっかり経験として積み上がっていってるから、駅名聞いて安心するんですね。同時に「駅の名前がわかれば、いる場所がわかる」っていうことで自分の落ち着きどころもわかってる!自分の不安を解消する術がわかってるのは強いですよね、パニックなんて起こさないのではないでしょうか。すごいと思います。智くんの快進撃楽しみにしています。 返信する 智ママ 2019年12月26日 ねこ母さん コメントありがとうございます。 息子がパニック寸前になるのは、見知らぬ場所で親とはぐれたときか、犬に吠えられたとき、猫に鳴かれたときだけになりました。 (たしかに、パニックはめったに起こさなくなっています) モフモフ系の動物が苦手らしく、会うとすぐに一瞬固まったのちに逃げていきますし、うさぎの毛でできたポンポンは、触るとすぐに投げてしまいます。 動物が苦手なのに動物園に行きたがる、不思議な息子に育ちつつあります。 返信する ちょこ 2019年12月25日 感覚過敏なんて今はすぐに治りますね。 全部ではなくても、幼児期~小学校卒業までにある程度は治っていると、その後の子供の世界がグンと広がりますよね。 中学に入れば、部活もあります。 同級生だけでなく「先輩・後輩」との付き合いや部によっては休日に遠征もあります。 感覚過敏なので、騒がしい電車には乗れません!屋外では眩しくて辛いので休みます!ではお話しになりません。 さらに休日に友達同士で遊びにも行けません。中学生なんて映画を見に行ったりゲーセンで遊んだり、食事はショッピングモールのフードコートで!が主流です。 感覚過敏あったら行けませんよね? イヤマフして「辛いんだから配慮しろよな!」 こんな偉そうな友達と休日遊びたいですか? 感覚過敏があればあるほど、年齢が上がれば上がるほど、子供は孤立します。 「子供社会」は「大人社会」以上にシビアで残酷です。 治してあげましょう。 治す方法はあるんだから。 返信する はづき 2019年12月25日 過敏を無くせば、仕事の幅も広がりますね。 オフィスワークだけではなく、ティッシュ配りもデリバリーもできますし。 返信する アルパカ 2019年12月25日 バタバタと年末を過ごす中、治った方が子どもはもちろん楽だし、親も楽になるなぁと改めて感じたエピソードです。 師走のとある日、幼児二人を連れてニ●リに収納グッズを買いに行ったのですが、「治ってなかったら大型の買い物とか普通に無理だよなぁ」とつくづく思いました。 二人とも何も言わなくても私の目が届くところにいるし、カートを押してエレベーターに乗ろうとすると、息子が「3階でいい?」とボタンを押してくれるし、何なら私のカートが出るまでドアを抑えていてくれる。 以前であれば、私一人で子ども達を二人連れて外出するのは、不可能ではないにしても相当ヘトヘトになる一大イベントでした。 それが今では基本二人連れてどこへでも行ける。ワンオペでプールだって可能。 そして、治ると生活が自由になるから、子どももより発達する機会が増えるなと感じました。治り始めればどんどん「治る」が加速するのはこういった点にもあるのだなぁと。 治っていないとハードル高めの外出は親二人に子一人、だったりアクティビティは放デイ頼みだったりするのかしら、とも思いました。身体を使ったアクティビティこそ、本来なら親子でやりたいですよね。親子でやるからこそ、愛着のヌケも埋まる。 そして今日、私は歯医者でクリーニングしてもらったのですが、なんと、同時間に壁一枚隔てた隣の部屋で息子も一人でクリーニングしてもらっていました。「すごーい!上手ー!」というスタッフさんの声が聞こえてきたので安心しておまかせできました。ほんの2年前、感覚過敏オンパレードだった頃にはこんな日が来るなんて信じられませんでした。 治れば子ども自身も楽だし、親の負担も減る。そして同時間に一人でクリーニング出来たことで空いた時間もでき、公園に寄ることもできる。こうして遊ぶ時間が増えれば、ますます発達も促されるでしょう。 ちなみに歯医者には息子に診断名がついていることはわざわざ伝えていません。これまでも伝えた方が良さそうだなと私が感じた場面では、その都度相手に伝えることもありましたが、最近ではそんなことをする必要もなくなってきました。だからこそ「●●くん、大きくなったからそろそろ一人でやってみようか〜」という年相応の提案も出てくるし、その提案をクリアすることで、息子もさらに自信がつきます。終わった後はとても清々しい表情をしていました。 色々と支援が必要な頃もありましたが、治り具合に合わせて減らし、常に必要最小限にしていれば、チャレンジする機会も増え、子どもの成長にも繋がりますね。 返信する ねこ母 2019年12月25日 今日、視覚や聴覚が過敏でコンビニ行けないという方をツイッターで見かけました。過敏さは治る方が便利だと思うのだけど。アルパカ家は行動範囲どんどん拡大、というかどこでも普通にお出かけですね( ◠‿◠ )バンザイ! 返信する 過去のコメントを表示 新しいコメントを表示 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 上に表示された文字を入力してください。 画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)
みる 2019年12月29日 みるです。アットマーク国際高校品川学習センターに通う2年生です。この度はいつもお世話になっております。 前回、 ・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める ・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす 等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。 とコメントさせていただきました。自分は「支援」が必要な存在については否定しておりません。 ただ現状、問題行動がなくても身体障害や知的障害が重いというだけで、親亡き後の選択肢がグループホームか入所の2択になる場合が多いというのがどうも可能性を狭めていると思ったのです。 IQがたとえ測定不能だろうと身体障害の他にいっぱい病気や障害があっても、援助があれば一人暮らしや働く事ができる人はかなりいると、支援級や支援学校、就労支援を通じて学んだ事です。 こういう人達が制度を使えるようになる為には治しやすい所から治していこう、とたにしさんのコメントを読んで改めて思いました。 皆さんからはいつも学ばせていただいております。心より感謝しています。 それでは失礼いたします。 ※このコメントは各種学校/企業等としての書き込みではなく、あくまで当方一個人としての意見として書かせていただいております。 返信する
XIA 2019年12月29日 ドローンは、玩具じゃありません。 水中ドローンだってそうです。 業務用にも使える、高度な電子装置を備えた機材です。 むかし、祖父が万年筆を触らせてくれました。 「ホンモノ」は違うなって、思ったんです。 私の鉛筆や、消しゴムの延長線上に、このようなものがあると言うのを知り、私はそういうものに触れていたいと思ったんです。 返信する
yasu 2019年12月29日 「ホンモノ」は大事ですね。 子どもようのオモチャのパソコン(のようなもの)が玩具として売られていますし、クリスマスの時期には結構人気がありますが、うちではその類のものは買っていません。タイミングはまだ決めてませんが、娘にはいきなりiPadかMac bookを買い与えるつもりです(笑) 返信する
XIA 2019年12月29日 おはようございます。 明日からお天気が荒れ模様だと言うので、今日はカメラを持って、ロードバイクで走ってくることにしました。 私のカメラは、高級です。 ロードバイクも、いいものです。 安全性が高いものを、品質のいいものを選んで使います。 支援だって、教育だって、医療だってそうじゃないですかね? 返信する
たにし 2019年12月28日 このサイトのトップページには、こんなことが書かれていますね。(抜粋) 『このサイトは「花風社の本を読んでいる人や興味がある人」のための交流サイトです。』 『仲間たちの情報交換の場です。』 花風社さんの本を読んでいない人、興味がない人、志を異にする人、仲間でない人等に向けた情報発信ではないです。 まぁ、そんな人がこのサイトを見ている訳ないはずだし、ましてや、Twitterなんかにここの書き込みを批判的に引用したり、このサイトのスクショを載せるなんて行為はありえませんよね普通。 批判的に捉える方に向けた情報発信ではない。 浅見さんは無料で提供してくださっていますが、このサイトは浅見さんの管理下にあるので、Twitterなんかと同じ感覚で、批判的に勝手に使い回しするべきものではないと僕は思っています。 えっと、前置きが長くなりましたが、トップページに書かれているような方々に向けて情報発信させていただきますね。 さて、納税者ネタについて少々語ります。 勤労の義務がある。 納税の義務もある。 ということですが、これは別に花風社さんの社訓でもないし、クラスタの行動規範(そんなのないけど(笑))に載っている訳でもありません。 憲法です。 日本国憲法です。 「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」 「第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」 中学校の公民の授業、懐かしいですね。 早かったら、小学校で習うところもあるのかな? 国民は、勤労して、納税する義務を負っています。 なぜだろうか? これは単なるスローガンではなく、国家を支える根幹が国民の納税であり、その納税は勤労によって生まれるものだから、義務であると、憲法に明記されているんだと僕は思っています。 しかし納税できない人もいますね。 子どもだったり、リタイアされた御高齢の方だったり、障害や病気で働けない方たちだったり。 それらの方々は、働ける人たちが納税して、それを原資にして社会が助ける。 憲法にこう明記されていますし。↓ 「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 うちの子は通常のお子様より、社会に助けてもらっています。 支援学級に放デイ、よく遊びに行くリハのプール等々。 療育手帳を提示したら、施設利用料の割引をしてもらえることもあります。 これらの原資は納税者のみなさんが納めた税金。 今、社会にお世話になっている分、息子には、大きくなったら社会に恩返しをして欲しいと願っています。 それは、労働して納税することです。 「納税者になる」ということは、文字面だけ見たら、税金を納める人になってもらうことですが、実際の願いは、それだけではありません。 心身とも健康に発達し、週5日フルタイムで働ける体力と根気を養い、世間の皆様とトラブルなく生活し、労働の対価であるお給料をいただき、社会貢献しながら、幸せに生きていって欲しい。 そして社会にお世話になった分、社会の力を必要とする方に恩返しをして欲しい。 僕が言う「納税者になる」というのは、こんな意味を含んでいます。 ああちなみに、こうも明記されていますね。 「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」 そうなんです。 どう考えようが自由。 そして、日本は、憲法上義務と明記されている勤労・納税について批判的な考えを抱いていたとしても、罰せられることのない自由な国。 僕は、志を同じくする人たちと前に向かって進んでいきたいです。 返信する
yoyoyo 2019年12月28日 たにしさんの「納税者になってほしい」という思い、私も全く同じです。 そしてそれは納税者になれない人を否定するということではありません。 権利ばかりを主張し、義務を果たそうとしない人間になってほしくないのです。 返信する
みる 2019年12月28日 みるです。アットマーク国際高校品川学習センター2年生です。 この度はいつもお世話になっております。皆様、如何お過ごしでしょうか。 いよいよ年の瀬とありまして、皆さん、ご家族とのひと時を過ごされる時期に入っているかと思います。 先日、役場に私用で伺いました。 障害者関係の某窓口に伺い、職員にある制度の事で質問。 どんな制度も有限で財政にも限りがあるのですが、それを知らない知ろうとしない親御さん、当事者も結構いるのか、職員さんも言葉に詰まっていたようでした。 「自分は制度には限りがあるのを知ってるので、もし今後使えない制度が出てきたとしても気にしませんよー」 と話した所、職員も安心されたのか、その後少しだけ世間話をしました。 こんな全国的に見たらド田舎な東北でも、本音を垣間見えた今、日本は治りたい人、試行錯誤ができる当事者や親御さんにとってはすでに有利な時代が到来しているのだと思いました。 今回はそれだけですけれど、年の瀬という事もありましてご報告といたしました。 取り急ぎ失礼いたします。 ※※ 花風花関係の発言は全て当方一個人の意見です。各種学校・企業としての意見でない事を御理解いただきましたら幸いです。 返信する
みる 2019年12月28日 みるです。この度はいつもお世話になっております。 浅見さん、Twitterでのご紹介ありがとうございます。 上の記事を見て、おおよそ検討は着くかと思われますが、行政職員の方の反応を見る限り、 『なんで、身体障害はOKなのに、うちの子(自分)は制度を使うことが出来ないの!!ウチの子(自分)でも使える制度作りなさい!!』 等と苦情を入れる、親御さん、当事者も多いのだと思います。 自分としては、そこに力を入れるのであれば、 ・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める ・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす 等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。 (もっとも今の日本の財政を考慮しますと、どれくらい出来るかは疑問詞ですけど) その為には自分のような知的障害がない人、軽い人達がまずは治らないといけません。重度と診断された人でも、クラスタさんのお子様の中には自分の身の回りの事ができる大人もいますね。 治るに国境はないですね。 自分も皆さんに追いつけるよう、来年も精進していきます。 それでは失礼いたします。 返信する
XIA 2019年12月27日 世界で愛される青函連絡船。 青函連絡船は、国鉄時代に本州と北海道をつないでいました。 青函連絡船の特徴は、列車が載せられることです。 貨物列車が、駅からそのまま船に乗り込むことができるのがとても便利なんですね。 コンテナ貨物船などが現在はありますが、貨物列車をそのまま船に乗せられるわけですね。 多数が作られて、青函連絡船が廃止されると、世界に売却されました。 国によっては、青函連絡船が非常に重宝されているそうなんです。 青函連絡船の船底には、通常の船のスクリューのほか、艦首を貫通してスクリューが横向きに備え付けられており、これによってタグボートなどがなくても、狭い港湾を方向転換できます。 よく、港で大きな船を見かけると、タグボートが寄り添って方向を変えようとしていますが、そういう手間が要らないそうです。 これは、列車をダイヤに合わせて頻繁に輸送するための知恵だそうです。 返信する
XIA 2019年12月27日 日露戦争後のお話。 日本は、北方に勢力が広がると、ロシアから技術を学び、樺太などでも後悔でき得る「砕氷船」を建造するようになりました。 太平洋戦争では、主に戦線が南方であったため、砕氷船の出番はあまりありませんでした。 しかし、戦後これらの砕氷船は、そのまま南極観測船に受け継がれたんですね。 「宗谷」はもともとそう言う船です。 もし、日露戦争がなかったら、宗谷も建造されておらず、戦後南極の観測は遅れたでしょう。 もしくは、南極に日本の船が行くこと自体、なかったかもしれませんね。 ちなみに、日本は南極の厚い氷の下に、「コケボウズ」と言うものが群生していることを観測していますね。 コケボウズは、太古から生息するコケの一種で、南極の海の底に残っている希少な生物だそうです。 返信する
XIA 2019年12月27日 こんばんは。 船の模型を作っていて、今はロシア海軍の船を作っていますが、気分を盛り上げるために日露戦争の動画を流したりしています。 日露戦争では、アルゼンチンの装甲巡洋艦が大活躍したんだそうですね。 日本は、アルゼンチンから二隻のジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦を買っていたのです。 しかも、この船のすごいところは、45口径の大砲を備えた点です。 イタリアで建造されたとき、世界を驚かせた技術です。 日本の三笠は、40口径でした。 大砲の口径とは、大砲の砲身の長さを直径で割った数値です。 すなわち、45口径は、40口径より砲身が長いのですよ。 だから、大砲の弾が遠くまで届き、初速も早いのです。 半面、砲身が長いため、製造するには高い精度が必要なんです。 排水量では三笠は二倍もあったのに、このアルゼンチンから輸入したこれらの艦(日進・春日)は有望視されていました。 日本海海戦においても、その長射程を活かして、最初から砲撃を行ったそうです。 後に、戦艦「大和」はこれに倣って、45口径の大砲を備えるようになりました。 しかし、イタリアは技術に満足せず、何と、50口径の大砲を製造していたのです。 大和の45口径砲は、破壊力で最強ですが、一回り小さい50口径のイタリアの戦艦は、同じ程度の射程距離があったとされています。 後年、イタリアの「ベレッタ社」のライフルなどは、この伝統を受け継いで、スナイパーのライフルを多数手がけています。 アフガニスタンでは、2400メートルの距離から、カナダの狙撃兵がタリバンを攻撃したときに使ったのもベレッタの対物ライフルです。 アルゼンチン海軍と海上自衛隊は、現代でも交流があり、観艦式などでもおなじみです。 返信する
XIA 2019年12月27日 グレタさんのことをよく報道で見た年でした。 母は、グレタさんを見て、模試職人だったら、いい腕前だったろうね、と言ってます。 ・頑固 ・正直 ・気難しい ・自他ともに厳しい ・凝り性 ・自尊心が高い ・手を抜かない ・几帳面 こういったものが、自分の手に職に向くと、いい職人になるのですね。 グレタさんは、たまたま環境問題に目が言ったのだけれど、ちょっと視点が変われば、いい職人になったかもしれないと言うのは、面白い見方です。 返信する
金田 隆佳(かねた たかよし) 2019年12月26日 面白いので貼っときます。 「ミトコンドリアを活性化する成分・・・」 https://www.teu.ac.jp/topics/2016.html?id=224 実は脳というのは「脂肪7割、たんぱく質3割」でできています。しかも「脂肪7割」の半分はコレステロール。コレステロールが不足すると脳の伝導も悪くなります。実際に総コレステロール値が150以下の人は、うつ病や認知症を発症しやすいという研究結果も出ていますよ。ですからコレステロールはむしろ積極的に食べるべきものと考えます。 返信する
さくら咲く 2019年12月26日 感覚過敏ですが、できたら思春期が始まる前に治す方がいいと、経験上思いました。 思春期は定型発達の子でも過敏になりますから、元々過敏がある子は治さずに思春期になると大変です。 息子は親や幼稚園、学校の先生が気付かない程度の感覚過敏があったようです。匂いや味に敏感かな、ぐらいには思っていました。ですから表面上は生活に問題はなかったです。中学になり拗らせて学校を休んでいる間、感覚過敏が出ていてびっくりしました。身体を触らせてくれない、特に足の小指は少し触れるだけで、家じゅうを走り回るほど嫌。シャワーも足の小指だけは、チョロチョロとした水量でそっと、だったようです。またベトベトしたものが触れないので、卵が割れない、ひき肉が触れない等。今まで大丈夫だったことができなくなっていました。 それも身体アプローチや栄養で治っていきました。足の小指の過敏もほぼ無くなり、卵も割れます。中学になって知ったのですが、幼稚園のころは泥んこ遊びが嫌で、できなかったとか。でも、修学旅行の農業体験では、泥だらけの田んぼに素足で入って、田植えをしました。泥んこがダメなことをすっかり忘れていて、楽しかったそうです。 息子の場合、たんぱく質と鉄が満たされてから感覚過敏が急速に治っていったように思います。 返信する
さくら咲く 2019年12月26日 中学生になってひどくなった、感覚過敏の追加です。 幼稚園の頃から、梅雨時は体調を壊すことが多かったのですが、中学生の一番体調が悪かったときは、雨が降ると寝込むようになりました。布団から出てこれなくなるのです。また、雨に対する反応も過敏になり、いつ雨が降るか分かるほどでした。雨雲レーダーより精度が良かったかも。首の後ろ側が硬くなって、体調が悪くなったそうです。ホットタオルで温めたら、少しマシになりました。それも身体アプローチで少しづつ良くなり、鉄不足が解消したら、雨雲レーダーの能力は無くなりました。今は台風が来ても元気です。本人は雨がいつ降るか分かるのは便利だったのに、とぼやいてますが(笑)。 返信する
智ママ 2019年12月26日 見知らぬところだけに恐怖を感じるようになった、5歳の中度知的・多発奇形の息子が、知らない場所においてのみ、現在地の確認を頻繁にするようになってきました。 父親の単身赴任先に、私鉄で出かけたのですが、慣れていない場所に来ると (急行から普通に乗り換えたので知らない駅に停車するようになり、緊張したようです)「ここどこ?」「〇〇駅はまだ?」と頻繁に尋ねるようになり、あたりを見回して情報を集めようとしているようでした。 以前に一度行ったことがあり、ある程度は勝手知ったる駅を通過すると、安心したのか、ピタリと現在地の確認がなくなり、「もうすぐ、終点だね」「お父さん、仕事」と言うようになりました。・ 3歳児のころは、初めてのルートでも慣れたルートでも、恐怖だらけの中、泣きながら手を引かれてよちよち歩いていたのですが、一度行ったときに場所を記憶してしまうことで恐怖に陥ることを克服したらしく、二度目からは緊張せずに道を通ることができるようになっていました。 今では、父親の単身赴任先のアパートに近い踏切に行くためなら、日が落ちるのが早いので多少暗闇が怖くても、喜んで出かけるようになりました。 自分の住所近辺以外でも、外出すること自体に恐怖が少なくなってきたらしく、初めてのところにお出かけしても、夕方少し休めばまた出かけることができるようになっていました。 外出先から帰宅するたびぐったり寝ていたときと比べると、段違いで行動する範囲が広がり、疲れにくくなったからか、その日に初めてのところに外出していても、帰宅した大好きな父親と夜に遊べるようになりました。 夕方になると、付き添いの私のほうがくたびれてしまうくらいでした。 視界が開けて、聴覚過敏が軽減されて、恐怖が感じられなくなるだけで、これだけ子どもは活動的になるんだな、と驚きの三日間でした。 返信する
ねこ母 2019年12月26日 すごい!治ると行動範囲が広がりますね! それに体験したことがしっかり経験として積み上がっていってるから、駅名聞いて安心するんですね。同時に「駅の名前がわかれば、いる場所がわかる」っていうことで自分の落ち着きどころもわかってる!自分の不安を解消する術がわかってるのは強いですよね、パニックなんて起こさないのではないでしょうか。すごいと思います。智くんの快進撃楽しみにしています。 返信する
智ママ 2019年12月26日 ねこ母さん コメントありがとうございます。 息子がパニック寸前になるのは、見知らぬ場所で親とはぐれたときか、犬に吠えられたとき、猫に鳴かれたときだけになりました。 (たしかに、パニックはめったに起こさなくなっています) モフモフ系の動物が苦手らしく、会うとすぐに一瞬固まったのちに逃げていきますし、うさぎの毛でできたポンポンは、触るとすぐに投げてしまいます。 動物が苦手なのに動物園に行きたがる、不思議な息子に育ちつつあります。 返信する
ちょこ 2019年12月25日 感覚過敏なんて今はすぐに治りますね。 全部ではなくても、幼児期~小学校卒業までにある程度は治っていると、その後の子供の世界がグンと広がりますよね。 中学に入れば、部活もあります。 同級生だけでなく「先輩・後輩」との付き合いや部によっては休日に遠征もあります。 感覚過敏なので、騒がしい電車には乗れません!屋外では眩しくて辛いので休みます!ではお話しになりません。 さらに休日に友達同士で遊びにも行けません。中学生なんて映画を見に行ったりゲーセンで遊んだり、食事はショッピングモールのフードコートで!が主流です。 感覚過敏あったら行けませんよね? イヤマフして「辛いんだから配慮しろよな!」 こんな偉そうな友達と休日遊びたいですか? 感覚過敏があればあるほど、年齢が上がれば上がるほど、子供は孤立します。 「子供社会」は「大人社会」以上にシビアで残酷です。 治してあげましょう。 治す方法はあるんだから。 返信する
アルパカ 2019年12月25日 バタバタと年末を過ごす中、治った方が子どもはもちろん楽だし、親も楽になるなぁと改めて感じたエピソードです。 師走のとある日、幼児二人を連れてニ●リに収納グッズを買いに行ったのですが、「治ってなかったら大型の買い物とか普通に無理だよなぁ」とつくづく思いました。 二人とも何も言わなくても私の目が届くところにいるし、カートを押してエレベーターに乗ろうとすると、息子が「3階でいい?」とボタンを押してくれるし、何なら私のカートが出るまでドアを抑えていてくれる。 以前であれば、私一人で子ども達を二人連れて外出するのは、不可能ではないにしても相当ヘトヘトになる一大イベントでした。 それが今では基本二人連れてどこへでも行ける。ワンオペでプールだって可能。 そして、治ると生活が自由になるから、子どももより発達する機会が増えるなと感じました。治り始めればどんどん「治る」が加速するのはこういった点にもあるのだなぁと。 治っていないとハードル高めの外出は親二人に子一人、だったりアクティビティは放デイ頼みだったりするのかしら、とも思いました。身体を使ったアクティビティこそ、本来なら親子でやりたいですよね。親子でやるからこそ、愛着のヌケも埋まる。 そして今日、私は歯医者でクリーニングしてもらったのですが、なんと、同時間に壁一枚隔てた隣の部屋で息子も一人でクリーニングしてもらっていました。「すごーい!上手ー!」というスタッフさんの声が聞こえてきたので安心しておまかせできました。ほんの2年前、感覚過敏オンパレードだった頃にはこんな日が来るなんて信じられませんでした。 治れば子ども自身も楽だし、親の負担も減る。そして同時間に一人でクリーニング出来たことで空いた時間もでき、公園に寄ることもできる。こうして遊ぶ時間が増えれば、ますます発達も促されるでしょう。 ちなみに歯医者には息子に診断名がついていることはわざわざ伝えていません。これまでも伝えた方が良さそうだなと私が感じた場面では、その都度相手に伝えることもありましたが、最近ではそんなことをする必要もなくなってきました。だからこそ「●●くん、大きくなったからそろそろ一人でやってみようか〜」という年相応の提案も出てくるし、その提案をクリアすることで、息子もさらに自信がつきます。終わった後はとても清々しい表情をしていました。 色々と支援が必要な頃もありましたが、治り具合に合わせて減らし、常に必要最小限にしていれば、チャレンジする機会も増え、子どもの成長にも繋がりますね。 返信する
ねこ母 2019年12月25日 今日、視覚や聴覚が過敏でコンビニ行けないという方をツイッターで見かけました。過敏さは治る方が便利だと思うのだけど。アルパカ家は行動範囲どんどん拡大、というかどこでも普通にお出かけですね( ◠‿◠ )バンザイ! 返信する
みるです。アットマーク国際高校品川学習センターに通う2年生です。この度はいつもお世話になっております。
前回、
・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める
・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす
等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。
とコメントさせていただきました。自分は「支援」が必要な存在については否定しておりません。
ただ現状、問題行動がなくても身体障害や知的障害が重いというだけで、親亡き後の選択肢がグループホームか入所の2択になる場合が多いというのがどうも可能性を狭めていると思ったのです。
IQがたとえ測定不能だろうと身体障害の他にいっぱい病気や障害があっても、援助があれば一人暮らしや働く事ができる人はかなりいると、支援級や支援学校、就労支援を通じて学んだ事です。
こういう人達が制度を使えるようになる為には治しやすい所から治していこう、とたにしさんのコメントを読んで改めて思いました。
皆さんからはいつも学ばせていただいております。心より感謝しています。
それでは失礼いたします。
※このコメントは各種学校/企業等としての書き込みではなく、あくまで当方一個人としての意見として書かせていただいております。
ドローンは、玩具じゃありません。
水中ドローンだってそうです。
業務用にも使える、高度な電子装置を備えた機材です。
むかし、祖父が万年筆を触らせてくれました。
「ホンモノ」は違うなって、思ったんです。
私の鉛筆や、消しゴムの延長線上に、このようなものがあると言うのを知り、私はそういうものに触れていたいと思ったんです。
「ホンモノ」は大事ですね。
子どもようのオモチャのパソコン(のようなもの)が玩具として売られていますし、クリスマスの時期には結構人気がありますが、うちではその類のものは買っていません。タイミングはまだ決めてませんが、娘にはいきなりiPadかMac bookを買い与えるつもりです(笑)
おはようございます。
明日からお天気が荒れ模様だと言うので、今日はカメラを持って、ロードバイクで走ってくることにしました。
私のカメラは、高級です。
ロードバイクも、いいものです。
安全性が高いものを、品質のいいものを選んで使います。
支援だって、教育だって、医療だってそうじゃないですかね?
このサイトのトップページには、こんなことが書かれていますね。(抜粋)
『このサイトは「花風社の本を読んでいる人や興味がある人」のための交流サイトです。』
『仲間たちの情報交換の場です。』
花風社さんの本を読んでいない人、興味がない人、志を異にする人、仲間でない人等に向けた情報発信ではないです。
まぁ、そんな人がこのサイトを見ている訳ないはずだし、ましてや、Twitterなんかにここの書き込みを批判的に引用したり、このサイトのスクショを載せるなんて行為はありえませんよね普通。
批判的に捉える方に向けた情報発信ではない。
浅見さんは無料で提供してくださっていますが、このサイトは浅見さんの管理下にあるので、Twitterなんかと同じ感覚で、批判的に勝手に使い回しするべきものではないと僕は思っています。
えっと、前置きが長くなりましたが、トップページに書かれているような方々に向けて情報発信させていただきますね。
さて、納税者ネタについて少々語ります。
勤労の義務がある。
納税の義務もある。
ということですが、これは別に花風社さんの社訓でもないし、クラスタの行動規範(そんなのないけど(笑))に載っている訳でもありません。
憲法です。
日本国憲法です。
「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」
「第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」
中学校の公民の授業、懐かしいですね。
早かったら、小学校で習うところもあるのかな?
国民は、勤労して、納税する義務を負っています。
なぜだろうか?
これは単なるスローガンではなく、国家を支える根幹が国民の納税であり、その納税は勤労によって生まれるものだから、義務であると、憲法に明記されているんだと僕は思っています。
しかし納税できない人もいますね。
子どもだったり、リタイアされた御高齢の方だったり、障害や病気で働けない方たちだったり。
それらの方々は、働ける人たちが納税して、それを原資にして社会が助ける。
憲法にこう明記されていますし。↓
「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
うちの子は通常のお子様より、社会に助けてもらっています。
支援学級に放デイ、よく遊びに行くリハのプール等々。
療育手帳を提示したら、施設利用料の割引をしてもらえることもあります。
これらの原資は納税者のみなさんが納めた税金。
今、社会にお世話になっている分、息子には、大きくなったら社会に恩返しをして欲しいと願っています。
それは、労働して納税することです。
「納税者になる」ということは、文字面だけ見たら、税金を納める人になってもらうことですが、実際の願いは、それだけではありません。
心身とも健康に発達し、週5日フルタイムで働ける体力と根気を養い、世間の皆様とトラブルなく生活し、労働の対価であるお給料をいただき、社会貢献しながら、幸せに生きていって欲しい。
そして社会にお世話になった分、社会の力を必要とする方に恩返しをして欲しい。
僕が言う「納税者になる」というのは、こんな意味を含んでいます。
ああちなみに、こうも明記されていますね。
「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
そうなんです。
どう考えようが自由。
そして、日本は、憲法上義務と明記されている勤労・納税について批判的な考えを抱いていたとしても、罰せられることのない自由な国。
僕は、志を同じくする人たちと前に向かって進んでいきたいです。
たにしさんの「納税者になってほしい」という思い、私も全く同じです。
そしてそれは納税者になれない人を否定するということではありません。
権利ばかりを主張し、義務を果たそうとしない人間になってほしくないのです。
みるです。アットマーク国際高校品川学習センター2年生です。
この度はいつもお世話になっております。皆様、如何お過ごしでしょうか。
いよいよ年の瀬とありまして、皆さん、ご家族とのひと時を過ごされる時期に入っているかと思います。
先日、役場に私用で伺いました。
障害者関係の某窓口に伺い、職員にある制度の事で質問。
どんな制度も有限で財政にも限りがあるのですが、それを知らない知ろうとしない親御さん、当事者も結構いるのか、職員さんも言葉に詰まっていたようでした。
「自分は制度には限りがあるのを知ってるので、もし今後使えない制度が出てきたとしても気にしませんよー」
と話した所、職員も安心されたのか、その後少しだけ世間話をしました。
こんな全国的に見たらド田舎な東北でも、本音を垣間見えた今、日本は治りたい人、試行錯誤ができる当事者や親御さんにとってはすでに有利な時代が到来しているのだと思いました。
今回はそれだけですけれど、年の瀬という事もありましてご報告といたしました。
取り急ぎ失礼いたします。
※※ 花風花関係の発言は全て当方一個人の意見です。各種学校・企業としての意見でない事を御理解いただきましたら幸いです。
みるです。この度はいつもお世話になっております。
浅見さん、Twitterでのご紹介ありがとうございます。
上の記事を見て、おおよそ検討は着くかと思われますが、行政職員の方の反応を見る限り、
『なんで、身体障害はOKなのに、うちの子(自分)は制度を使うことが出来ないの!!ウチの子(自分)でも使える制度作りなさい!!』
等と苦情を入れる、親御さん、当事者も多いのだと思います。
自分としては、そこに力を入れるのであれば、
・知的障害、身体障害が重めな方が、ヘルパー制度を使って一人暮らしの選択肢を広める
・知的障害の人の専攻科を全国に増やすとか、(2年だと少なすぎるから)専攻科をさらに2~3年増やす
等した方がよっぽど自立できる人が増えると思います。
(もっとも今の日本の財政を考慮しますと、どれくらい出来るかは疑問詞ですけど)
その為には自分のような知的障害がない人、軽い人達がまずは治らないといけません。重度と診断された人でも、クラスタさんのお子様の中には自分の身の回りの事ができる大人もいますね。
治るに国境はないですね。
自分も皆さんに追いつけるよう、来年も精進していきます。
それでは失礼いたします。
世界で愛される青函連絡船。
青函連絡船は、国鉄時代に本州と北海道をつないでいました。
青函連絡船の特徴は、列車が載せられることです。
貨物列車が、駅からそのまま船に乗り込むことができるのがとても便利なんですね。
コンテナ貨物船などが現在はありますが、貨物列車をそのまま船に乗せられるわけですね。
多数が作られて、青函連絡船が廃止されると、世界に売却されました。
国によっては、青函連絡船が非常に重宝されているそうなんです。
青函連絡船の船底には、通常の船のスクリューのほか、艦首を貫通してスクリューが横向きに備え付けられており、これによってタグボートなどがなくても、狭い港湾を方向転換できます。
よく、港で大きな船を見かけると、タグボートが寄り添って方向を変えようとしていますが、そういう手間が要らないそうです。
これは、列車をダイヤに合わせて頻繁に輸送するための知恵だそうです。
日露戦争後のお話。
日本は、北方に勢力が広がると、ロシアから技術を学び、樺太などでも後悔でき得る「砕氷船」を建造するようになりました。
太平洋戦争では、主に戦線が南方であったため、砕氷船の出番はあまりありませんでした。
しかし、戦後これらの砕氷船は、そのまま南極観測船に受け継がれたんですね。
「宗谷」はもともとそう言う船です。
もし、日露戦争がなかったら、宗谷も建造されておらず、戦後南極の観測は遅れたでしょう。
もしくは、南極に日本の船が行くこと自体、なかったかもしれませんね。
ちなみに、日本は南極の厚い氷の下に、「コケボウズ」と言うものが群生していることを観測していますね。
コケボウズは、太古から生息するコケの一種で、南極の海の底に残っている希少な生物だそうです。
こんばんは。
船の模型を作っていて、今はロシア海軍の船を作っていますが、気分を盛り上げるために日露戦争の動画を流したりしています。
日露戦争では、アルゼンチンの装甲巡洋艦が大活躍したんだそうですね。
日本は、アルゼンチンから二隻のジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦を買っていたのです。
しかも、この船のすごいところは、45口径の大砲を備えた点です。
イタリアで建造されたとき、世界を驚かせた技術です。
日本の三笠は、40口径でした。
大砲の口径とは、大砲の砲身の長さを直径で割った数値です。
すなわち、45口径は、40口径より砲身が長いのですよ。
だから、大砲の弾が遠くまで届き、初速も早いのです。
半面、砲身が長いため、製造するには高い精度が必要なんです。
排水量では三笠は二倍もあったのに、このアルゼンチンから輸入したこれらの艦(日進・春日)は有望視されていました。
日本海海戦においても、その長射程を活かして、最初から砲撃を行ったそうです。
後に、戦艦「大和」はこれに倣って、45口径の大砲を備えるようになりました。
しかし、イタリアは技術に満足せず、何と、50口径の大砲を製造していたのです。
大和の45口径砲は、破壊力で最強ですが、一回り小さい50口径のイタリアの戦艦は、同じ程度の射程距離があったとされています。
後年、イタリアの「ベレッタ社」のライフルなどは、この伝統を受け継いで、スナイパーのライフルを多数手がけています。
アフガニスタンでは、2400メートルの距離から、カナダの狙撃兵がタリバンを攻撃したときに使ったのもベレッタの対物ライフルです。
アルゼンチン海軍と海上自衛隊は、現代でも交流があり、観艦式などでもおなじみです。
グレタさんのことをよく報道で見た年でした。
母は、グレタさんを見て、模試職人だったら、いい腕前だったろうね、と言ってます。
・頑固
・正直
・気難しい
・自他ともに厳しい
・凝り性
・自尊心が高い
・手を抜かない
・几帳面
こういったものが、自分の手に職に向くと、いい職人になるのですね。
グレタさんは、たまたま環境問題に目が言ったのだけれど、ちょっと視点が変われば、いい職人になったかもしれないと言うのは、面白い見方です。
面白いので貼っときます。
「ミトコンドリアを活性化する成分・・・」
https://www.teu.ac.jp/topics/2016.html?id=224
実は脳というのは「脂肪7割、たんぱく質3割」でできています。しかも「脂肪7割」の半分はコレステロール。コレステロールが不足すると脳の伝導も悪くなります。実際に総コレステロール値が150以下の人は、うつ病や認知症を発症しやすいという研究結果も出ていますよ。ですからコレステロールはむしろ積極的に食べるべきものと考えます。
感覚過敏ですが、できたら思春期が始まる前に治す方がいいと、経験上思いました。
思春期は定型発達の子でも過敏になりますから、元々過敏がある子は治さずに思春期になると大変です。
息子は親や幼稚園、学校の先生が気付かない程度の感覚過敏があったようです。匂いや味に敏感かな、ぐらいには思っていました。ですから表面上は生活に問題はなかったです。中学になり拗らせて学校を休んでいる間、感覚過敏が出ていてびっくりしました。身体を触らせてくれない、特に足の小指は少し触れるだけで、家じゅうを走り回るほど嫌。シャワーも足の小指だけは、チョロチョロとした水量でそっと、だったようです。またベトベトしたものが触れないので、卵が割れない、ひき肉が触れない等。今まで大丈夫だったことができなくなっていました。
それも身体アプローチや栄養で治っていきました。足の小指の過敏もほぼ無くなり、卵も割れます。中学になって知ったのですが、幼稚園のころは泥んこ遊びが嫌で、できなかったとか。でも、修学旅行の農業体験では、泥だらけの田んぼに素足で入って、田植えをしました。泥んこがダメなことをすっかり忘れていて、楽しかったそうです。
息子の場合、たんぱく質と鉄が満たされてから感覚過敏が急速に治っていったように思います。
中学生になってひどくなった、感覚過敏の追加です。
幼稚園の頃から、梅雨時は体調を壊すことが多かったのですが、中学生の一番体調が悪かったときは、雨が降ると寝込むようになりました。布団から出てこれなくなるのです。また、雨に対する反応も過敏になり、いつ雨が降るか分かるほどでした。雨雲レーダーより精度が良かったかも。首の後ろ側が硬くなって、体調が悪くなったそうです。ホットタオルで温めたら、少しマシになりました。それも身体アプローチで少しづつ良くなり、鉄不足が解消したら、雨雲レーダーの能力は無くなりました。今は台風が来ても元気です。本人は雨がいつ降るか分かるのは便利だったのに、とぼやいてますが(笑)。
見知らぬところだけに恐怖を感じるようになった、5歳の中度知的・多発奇形の息子が、知らない場所においてのみ、現在地の確認を頻繁にするようになってきました。
父親の単身赴任先に、私鉄で出かけたのですが、慣れていない場所に来ると (急行から普通に乗り換えたので知らない駅に停車するようになり、緊張したようです)「ここどこ?」「〇〇駅はまだ?」と頻繁に尋ねるようになり、あたりを見回して情報を集めようとしているようでした。
以前に一度行ったことがあり、ある程度は勝手知ったる駅を通過すると、安心したのか、ピタリと現在地の確認がなくなり、「もうすぐ、終点だね」「お父さん、仕事」と言うようになりました。・
3歳児のころは、初めてのルートでも慣れたルートでも、恐怖だらけの中、泣きながら手を引かれてよちよち歩いていたのですが、一度行ったときに場所を記憶してしまうことで恐怖に陥ることを克服したらしく、二度目からは緊張せずに道を通ることができるようになっていました。
今では、父親の単身赴任先のアパートに近い踏切に行くためなら、日が落ちるのが早いので多少暗闇が怖くても、喜んで出かけるようになりました。
自分の住所近辺以外でも、外出すること自体に恐怖が少なくなってきたらしく、初めてのところにお出かけしても、夕方少し休めばまた出かけることができるようになっていました。
外出先から帰宅するたびぐったり寝ていたときと比べると、段違いで行動する範囲が広がり、疲れにくくなったからか、その日に初めてのところに外出していても、帰宅した大好きな父親と夜に遊べるようになりました。
夕方になると、付き添いの私のほうがくたびれてしまうくらいでした。
視界が開けて、聴覚過敏が軽減されて、恐怖が感じられなくなるだけで、これだけ子どもは活動的になるんだな、と驚きの三日間でした。
素晴らしいですね。
智くんの快進撃、いつも楽しみにしております。
治ると行けるところ、出来ることが増えて世界が広がりますね。
みならい怪獣さん
ありがとうございます。
行ける所が増えすぎて、どちらも「行く!」となってしまうので、母の私は体力的についていきにくく、ふうふう言っています。
すごい!治ると行動範囲が広がりますね!
それに体験したことがしっかり経験として積み上がっていってるから、駅名聞いて安心するんですね。同時に「駅の名前がわかれば、いる場所がわかる」っていうことで自分の落ち着きどころもわかってる!自分の不安を解消する術がわかってるのは強いですよね、パニックなんて起こさないのではないでしょうか。すごいと思います。智くんの快進撃楽しみにしています。
ねこ母さん
コメントありがとうございます。
息子がパニック寸前になるのは、見知らぬ場所で親とはぐれたときか、犬に吠えられたとき、猫に鳴かれたときだけになりました。
(たしかに、パニックはめったに起こさなくなっています)
モフモフ系の動物が苦手らしく、会うとすぐに一瞬固まったのちに逃げていきますし、うさぎの毛でできたポンポンは、触るとすぐに投げてしまいます。
動物が苦手なのに動物園に行きたがる、不思議な息子に育ちつつあります。
感覚過敏なんて今はすぐに治りますね。
全部ではなくても、幼児期~小学校卒業までにある程度は治っていると、その後の子供の世界がグンと広がりますよね。
中学に入れば、部活もあります。
同級生だけでなく「先輩・後輩」との付き合いや部によっては休日に遠征もあります。
感覚過敏なので、騒がしい電車には乗れません!屋外では眩しくて辛いので休みます!ではお話しになりません。
さらに休日に友達同士で遊びにも行けません。中学生なんて映画を見に行ったりゲーセンで遊んだり、食事はショッピングモールのフードコートで!が主流です。
感覚過敏あったら行けませんよね?
イヤマフして「辛いんだから配慮しろよな!」
こんな偉そうな友達と休日遊びたいですか?
感覚過敏があればあるほど、年齢が上がれば上がるほど、子供は孤立します。
「子供社会」は「大人社会」以上にシビアで残酷です。
治してあげましょう。
治す方法はあるんだから。
過敏を無くせば、仕事の幅も広がりますね。
オフィスワークだけではなく、ティッシュ配りもデリバリーもできますし。
バタバタと年末を過ごす中、治った方が子どもはもちろん楽だし、親も楽になるなぁと改めて感じたエピソードです。
師走のとある日、幼児二人を連れてニ●リに収納グッズを買いに行ったのですが、「治ってなかったら大型の買い物とか普通に無理だよなぁ」とつくづく思いました。
二人とも何も言わなくても私の目が届くところにいるし、カートを押してエレベーターに乗ろうとすると、息子が「3階でいい?」とボタンを押してくれるし、何なら私のカートが出るまでドアを抑えていてくれる。
以前であれば、私一人で子ども達を二人連れて外出するのは、不可能ではないにしても相当ヘトヘトになる一大イベントでした。
それが今では基本二人連れてどこへでも行ける。ワンオペでプールだって可能。
そして、治ると生活が自由になるから、子どももより発達する機会が増えるなと感じました。治り始めればどんどん「治る」が加速するのはこういった点にもあるのだなぁと。
治っていないとハードル高めの外出は親二人に子一人、だったりアクティビティは放デイ頼みだったりするのかしら、とも思いました。身体を使ったアクティビティこそ、本来なら親子でやりたいですよね。親子でやるからこそ、愛着のヌケも埋まる。
そして今日、私は歯医者でクリーニングしてもらったのですが、なんと、同時間に壁一枚隔てた隣の部屋で息子も一人でクリーニングしてもらっていました。「すごーい!上手ー!」というスタッフさんの声が聞こえてきたので安心しておまかせできました。ほんの2年前、感覚過敏オンパレードだった頃にはこんな日が来るなんて信じられませんでした。
治れば子ども自身も楽だし、親の負担も減る。そして同時間に一人でクリーニング出来たことで空いた時間もでき、公園に寄ることもできる。こうして遊ぶ時間が増えれば、ますます発達も促されるでしょう。
ちなみに歯医者には息子に診断名がついていることはわざわざ伝えていません。これまでも伝えた方が良さそうだなと私が感じた場面では、その都度相手に伝えることもありましたが、最近ではそんなことをする必要もなくなってきました。だからこそ「●●くん、大きくなったからそろそろ一人でやってみようか〜」という年相応の提案も出てくるし、その提案をクリアすることで、息子もさらに自信がつきます。終わった後はとても清々しい表情をしていました。
色々と支援が必要な頃もありましたが、治り具合に合わせて減らし、常に必要最小限にしていれば、チャレンジする機会も増え、子どもの成長にも繋がりますね。
今日、視覚や聴覚が過敏でコンビニ行けないという方をツイッターで見かけました。過敏さは治る方が便利だと思うのだけど。アルパカ家は行動範囲どんどん拡大、というかどこでも普通にお出かけですね( ◠‿◠ )バンザイ!