「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

雑談のお部屋

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1,919 COMMENTS

シア

コロナ禍とはブラック企業のようなものだと思います。
まず上層部がブラックの企業があります。
今の日本で言えば医療の感染症専門家()です。
それが政府の分科会に居座って通達をしているのです。
それからブラック企業を醸成するもののもう一つの側面に「サービス残業」がありますがコレって職場の空気というものを読んで社員が自主的に行っていることです。
所謂マスクとかの過剰な感染症対策がコレにあたります。
マスク警察が悪いのではなく彼らは上層部の言うことをただ信じて伝令している中間の人の意気込みであってメディアもこれにあたります。
実際のところ「上」がマスクを外してと言えばマスク警察も安心してマスクを外してもいいみたいだって言うはずなんですよ。
この構造が組織に関わって結構経験があると気づきます。
もちろん(コロナ禍及び)ブラック企業の組織外の人も発達障害ギョーカイ化外と同じようにいるわけですが。

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シア

その証拠に社畜と言われる人ほどマスクしてるはずです。
実業家とか自分で事業をしてる人とかマスク外すのに抵抗が少ないか外してるはずです。
会社でもそのようにマスクをしろとか言われてきているのでサラリーマンの多い日本型の病(やまい)と考えることができます。

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シア

飲食業と言うのは小規模な店舗型サービス業が多く打撃を受けているはずです。
ブラック企業体質の多数派に目をつけられた中小零細企業勢力が打撃を受けたのです。
だからこそ無意識に零細企業や中小企業やブラック化外の社畜になってない人たちは抵抗しているんじゃないでしょうか。

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浅見淳子

シアさん

社畜の皆さんのマスクすごいですが、マスコミのマスク煽りは一種の特権意識もあるのかな~と思います。自分たちしてないでテレビ出ているでしょ。なのにしろしろっておかしくないかな。
それはまるで日本で自粛を煽りに煽っておきながらアメリカに帰るとウェ~イしているお手洗いさんみたいですよね。

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シア

それはブラックですから。

帰るなんて言わないよね?(とあからさまには言わないが)っていう中間層ですからね。

テレビ(地上波)に出ると言うのは日本社会では未だに特権階級意識があるでしょう。

対抗勢力はネットやほかのメディアで抵抗を続けているはずですが。

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シア

お手洗いさんはちょっと見てみましたが手を洗う○○の医師の方ですね。
まさに言うだけ言って海外転勤ですね。

このような社会構造の問題は穢れ…とかとは別にあるように思います。
連投失礼しました。

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智ママ

金曜日に、小学校からのプリントを見てびっくりしました。
全力疾走が医師から禁止されている息子が、50mの徒競走に出ると書いてあったからです。
早速、夫が連絡帳にその旨を書いていました。
小学校の担任の先生「全力疾走を見たことがないので、わからなかった」
「スタートダッシュがだめなら、後半20mを小走りさせるのはどうか?」
「せっかく練習したのに、本番で走れないのは可哀相」
・・・・小学生でも、これよりはまだマシな言い訳を考えつくと思います。

スタートダッシュをさせ続けた結果、心臓が潰れても、学校の先生は責任を取りません。
いったん潰れた心臓は、機能が回復しません。
心臓が潰れて(心臓が機能低下したら)手術も難しくなった場合、息子は寝たきりで死を待つだけになります。
介護するのは家族になります。

頼むから、息子の生存権を侵害することだけはやめてほしいものです。
今朝、お話という小学校からの通達があるので、小学校に来たらしばらく時間が欲しい、と昨日、担任の先生から連絡がありました。
あまり期待はできませんが、行ってきたいと思います。

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智ママ

後半20mを、教師の伴走(教師はほぼ歩きですが)つきで、コースを一つずらして接触がないようにしてゆっくり小走りさせるところまでで、参加が決まりました。

スタートダッシュは2mだけで、数回しかさせていないので、問題ない。との言い分でした。

・・・・・こちらとしては学校の言い分が変わったのが、かなり気になるのですが、見ていたわけではないので、言い分をまるっと信じるしかありません。

「息子は心臓に負担がかかると、最終的には倒れます(そして救急車です)」とお伝えしておきましたが、接触を気にする小学校が、なぜ参加を第一に考えはるのか、謎なまま話の時間が終わったことでした。

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智ママ

根本には、『いずれ支援学校中等部に行き、B型作業所にいくのだから、普通小学校でできる体験を、極力、いま体験させておいてやりたい』という、教師側の配慮?があるようです。

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浅見淳子

智ママさん

なんか余計なお世話ですね。

私は昔、何かお子さんがいいことすると紙で作ったメダルを配っていた教師のことを思い出しましたよ。
「あるべき学校像」みたいなのを勝手に持っているんでしょうね。

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智ママ

しなくていいことをしてくれて、感動だけあればいい。という方針には異を唱えたいと思っているので、昨日の1時間だけの体育大会で、走りすぎないか見張っていました。

小学校としては、心臓の悪い子でさえも参加して走っていることを、他の生徒に見せることが、教育上の効果になるとの考えだったらしく。教師が盛大に再開でゆっくりと小走りする息子の姿に拍手を送っていました。

感動のためならば、心臓の子にも走らせることはお手の物の小学校だということがわかって、複雑な気分になりました。

感動させて有耶無耶にするのが、かつての療育園とそっくりだったので、これは教育会特有の現象かもしれません。

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智ママ

浅見社長
お返事ありがとうございます。
『難しい子が、(たとえやらせであっても)厳しいとされていることを克服して、普通の子と同じようなことを、ようやっとで、する』という状況は、凡教育者が喜んで飛びつく、おいしいものなので、それを心臓の子に小走りとはいえ、走らせて、それを皆に見せて、感動してもらう。というヤラセの興行は成立したのだろうと思っています。

教育者としては、それは本当のところは、どうなのかなあ。
うちの息子は、感動を発生させる小道具じゃないんだけれどもなあ。
と、思った体育大会の1時間でした。

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智ママ

息子を連れて、リハビリ病院へPTに行ってきました。
まず、脳室拡大があり脳が1/6ないにも関わらず、パッと見た目は普通に歩けていることに非常に驚かれました。
理学療法士からみても、息子は非常に珍しい症例だったようです。

姿勢が独特なのは、筋肉自体が生まれつき異常に柔らかいのを、筋肉自体を固くすることで補って歩いているので、腰の周囲の筋肉が固くなっていて柔軟性がさほどないため、猿人のように前傾姿勢で歩く癖がついているということでした。
腰周辺のストレッチをして、まず筋肉をほぐすことを勧められました。
左右の足の長さが違うため、歩くのに影響を与えているとも言われましたが、そこはまた次の課題になりそうです。

OTでは、指先の運動と、体感・腕全体・体全体を使った運動とを、それぞれ並行しています。
5歳くらいのときにOT,PTの課題がクリアできていたら、今がだいぶ違ったものになったかもしれませんが、今できることを今しておけばいいので、コツコツ訓練をさせていくことにしています。
まだヘニャヘニャの字ですが、書けるだけでもありがたいと思って、書かせていっています。

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智ママ

『医者が教えてくれない 発達障害の治り方 親心に自信を持とう!』
表紙をめくると素敵な◯色の紙になっていました。
「親御さんの心を表現するのに、ピッタリの色だね」と夫が言いました。
私もそのとおりだと思いました。

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智ママ

浅見社長
お返事ありがとうございます。

たしかに、意図してのことではないので、結果オーライですね。
素敵な仕上がりだと思います。

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シア

特別支援教育が強化されたのは小学校低学年の学級崩壊が原因だと思っています。
学級崩壊の原因は「子供の未熟さや発達の問題」が大きいそうです。https://hugkum.sho.jp/142867
そして個々のご家庭がどうなっているかと言うと子育てに自信のない親御さんが増えている。
共働きや核家族で援助してくれる人も少なくお母さん一人に負担が行っている。
子守をしたことなどがなく赤ちゃんを抱っこしたこともなかったり兄弟も少子化で少ない。
日本の社会問題として本気で取り組むことが必要。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/007/toushin/020702.pdf#search='%E5%AD%A6%E7%B4%9A%E5%B4%A9%E5%A3%8A+%E8%A6%AA+%E5%8E%9A%E5%8A%B4%E7%9C%81

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智ママ

「智ちゃんの場合、性格的なものはとっても◯なんですけどねえ・・・知的がもっと軽かったら、事務の障害者枠にでも入れるのですが・・・いかんせん、知的がねえ・・」
(性格的には温和なので、事務仕事の障害者枠をオススメしたいが、知的障害がきついので、たぶん難しいと思う)
将来の仕事を想定した上で、療育を進めていきたい。よくあるB型作業所への就業ではなく、一般の工房か、授産施設でのお運びさん(セルフサービスの喫茶店などで、お客さんの持ち場まで、お料理を運ぶ)なら、今の息子の状態から、万が一ほとんど伸びなくても、行けそうな気がするし、仕事内容にも従事できそうな気がする。と、放課後デイサービスの面接の際に支援者に告げたところ、こんな返事が返ってきました。

療育から見ると、かなり難しい母親だとは自覚しています。
子どもは、発達も知的も、重度から中度に入った状態の多発奇形児。
心臓病があるので室温と運動のケアに手がかかるが、性格は非常に温和なのでトラブルにはまずならない。両親ともに、B型作業所への就業には難色を示している。
今までのケースならば、重度知的でB型へ。のコースしかなかった事例。

脳が100%あるお子さんでも、なかなか発達が進みにくい人もいます。
大脳が1/6なく、脳梁も完全に欠損している息子は、『完全な普通には、絶対にならない』と宣告されています。遺伝子異常も見つかっています。
たぶん、全くの手帳返上まで行ける見込みは、かなり低いと思います。

それでも、行けるところまでは行って、自立の道を探っていこう。
そう思って、まずは今の状態だとどこまで行けそうか、授産施設の喫茶店に、お客としていって覗いてきました。仕事内容としてはいけそうな気がしましたが、喫茶店の募集がいつもあるわけではないのと、息子が大きくなったときに喫茶店が飽和状態になっている可能性もあることから、あてにしないことにしました。

工房で美術の仕事を延々やらせて、芸術家として食べさせていくことは、心臓病があるので、工房やアトリエが寒いことを懸念して、あまり期待しないようにしています。
(いまの担任の先生は、こちらの道にも行けるように勧めているようです)

まだ小学校2年生ですが、勝手に大人が将来への道を決めていいものかどうか、母親としては疑問に感じていますし、息子の進路を勝手に決めるのは、息子に対して申し訳ないような気がしてきます。
それよりは、息子が行きたい道に近いところで生きていけるように、手立てをつけていけないかな?と、今できることを増やす方向に向かっています。

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なぎた

ご無沙汰してます。
先月 無事男の子を出産しました。
もちろんノーマスク出産でした。
理解のある助産師さん達のおかげで 納得のいくお産ができました。
母子ともに順調です。
家族みんなが協力してくれてとても助かってます。

長男も 家事を手伝ってくれ 三男の抱っこもしてくれます。
赤ちゃん可愛いといつも可愛いがってくれます。
学校でも 先生から去年まで支援級にいたのを忘れるくらい 順調で全く問題ないです 友達とも大きなトラブルなく楽しく過ごしています。なんなら真面目なのでみんなのお手本になる事もあると言われました。
今回の前期の成績も良かったです。

家では甘える事もでき 私がおんぶできなかったので 父におんぶやだっこをしてもらってました。
やはり学校で疲れるようで ちょこちょこ足裏合わせ ホットアイマスク 金魚体操などして 疲れをとっています。

コロナ禍での育児になりますが 特に不安はなく 田舎でのびのび 子ども達の持っている力を後押ししたり 邪魔しないように これからも子育てしていこうと思います。

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ブルー

なぎたさん

おめでとうございます。
ご家族の皆様も順調なご様子で、素晴らしいです。

私まで心が暖かくなりました。

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シア

こんにちは。
医療は人をモノ扱いすると思うんですよ。
それはどうしてかと言うとお薬を飲ませて「観察」したりメスを握って「侵襲」したりするじゃないですか。
そうしないとどうしても助からないとかこれから悪くなりそうでやむを得ないということもあるとは思います。
しかし医療ってそういうものだからなるべくかかわりが少ないほうがいいと思います。
医療と付き合いが多いと知らずに人をモノ扱いするようになりがちだと思います。
患者として生きていると他人もそのような「身体もモノとしての対象」に見えてきていたんです。
コレは社長にはっきり指摘されてからずっと考えてました。
あと人間は考え方が変わっていくものでそれも普段触れている人や情報から強い影響を受けると思います。
ただまぁ「自分の世界はこうだ」と思っていたのに「どうやらそうでないらしい」と思ったり「違う世界があるらしい」と気づいてくると世の中が広く思えてきますね。

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Kei

おはようございます♪

わたしにとってもコロナは驚異ではないです。
…ですが、以前のわたし~次男が生まれてから数年間~だったら果たして正しく見極める事ができていたか?💦

当時は心身共に疲弊していて、正常な判断能力が機能していたか?…疑問です。

子どもが医師を含む医療機関(関係者)や専門家と言われる人達はみな口を揃えて「治りません!」と言うので、一時はマルっと信じましたが、我が子はどんどん成長して睡眠障害が治り、感覚過敏も自己治療したりして色んな事が治ったり、大丈夫な事が増えてきたのを目の当たりにして、親子共に生活の質が断然良くなったのをきっかけに、わたし自身が本来持っていた筈の動物的な(笑)親の勘が戻ってきて俄然元気になりました♪

この経験があったからなお一層、今回のコロナ禍ではどんなに多くの医師や医療関係者、専門家達が口を揃えてマスク着用やワクチン接種を推奨しても~彼らが正しいとは限らないことは実体験済みなので~自分の感覚や身体が拒否しているものを受け入れる気持ちにはなれませんでした。

周りからどう見られようと、どう考えてもおかしいものはおかしい。
と言えた子ども時代を経て、今に至っています。

お蔭さまで我が子も自分で考えて決められる子になりました。

次男が一番子ども時代のわたしに似て、例えそれが学校の先生であろうと忖度なしに言える子でもあります。

これからも子どもの主体性を大切に育てて行きます。

そういう親子が増えますように♪

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浅見淳子

中川淳一郎氏の新たな記事面白いです。

https://www.moneypost.jp/837688

これ読むと「私ってアメリカ人?」とか思いました。
いや、とくにアメリカが好きなわけではない、っていうかむしろ親米日本人からみると私は反米の人らしいのですが。
とくに反米の意識はなく、若いころ(住みはしなかったけど)多くを学んだと思います。でも今後一生行かなくても全然かまわない国の一つではありますが(機会があったら行ってもいいけど)。

でもこの「ビビらない」っていうのがたぶんコロナ禍で私が強く体現している性質で、どうやらそれは多くの日本人と共有できないのかなあ、と思っています。

コロナは怖くないですね。
っていうかかかっても別にいいですね。
マスクはしないですね。しなくてもかからないし。
人に移しても平気なのか! と言われると平気ではないけど移るのも移すのもある程度は仕方ないことですね。
これまで誰だって移したり移されたりしてきたのではないでしょうか。
怖ければ私から離れる、話しかけない、などの自己防衛をしてもらえばいいですね。
怖い方が身を守ればいいです。私は怖くないので。
「人のことを思いやれない人」と思われるのも、全然怖くないです。
自分的には体調に気を付けているしデータ見て決めていることなんで。
データ見ないで怖がっている人のことをどうこうはできませんしね。

そもそもなんらかの理由で日本人は強かった。
他がへたっているときにだーっとダッシュできたかもしれないんです。
それを逃しちゃって、世界で一番最後までマスクしている感じなのは、まあこれが敗戦国メンタルなんだろうなあと思っています。

情けないなあ、と思うと同時に
こういう国だからこそただ「ビビらない」っていうだけで、私はそこそこうまくやってこられたのかなあなんて思っています。
そして今日も美味しい空気を吸って生きています。

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シア

水辺の生き物を見に来ています。
場所は野川です。
澄んだ水で素晴らしい。

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浅見淳子

ブルーさんが書いてくださった
「自閉っ子と未来への希望」のスピンオフ
としての「等身大のセルフエスティーム」からの連想。

ブルーさんの連想はこちら。

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-47/#comment-7392

考えてみたら、私が「自閉っ子と未来への希望」の中で「等身大のセルフエスティーム」について言及したのは二方向あるんですよね今にして思えば。

一つは、私は当時から発達障害の人に言いたかった。
「あなたがたは差別されていない」
「あなたがたは社会でやっていける存在である」

ところが当時のギョーカイは「差別されているから、まずそれを取り除くことが社会でやっていけるための第一歩」みたいなことを言っていた。私はそれは違うと思った。

コロナ禍を経てはっきりしたけど、まずは脅すのが常套手段なんだなあ、支援者という人たちの。
脅かす必要のないところで脅かして、矛先を自分たち以外のところに向けるのね。
どうもそれが上に立つ人の常套手段のようだとわかった。

あともう一つ、空褒めが横行していた。
どうでもいいことを褒める=支援 みたいなところがあった。
子どもならまだいいのかもしれないけど(いや、子どもだって嘘は見抜くと思うけど)大人でこれを真に受けてやばいことになっている人がたくさんいた。
だから等身大の~みたいなこと言いました。

今もなんとかセンターではやっているのかな?
「小さいことでも褒めましょう」っていうやつ。

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浅見淳子

シアさんのコメントとは関係ないかもしれないけど

私は小室圭氏はたいしたもんだと思いますよ。
あれくらいはっちゃけてないとプリンセスは強奪できないんじゃないかな。
そもそもただものだったら付き合うことすら控えると思うのです。

日本の歴史を振り返ってみたら、皇室が品行方正なんて幻想ですよね。
平家物語のころを思い出してみてください。
ただ明治維新で便宜上神格化され、敗戦のあとは象徴というお仕事になったがために品行方正を要求され、例外的な時代が続いただけだと思います。
とくに敗戦後、国民の理想を体現することを要求されて三代。いい加減制度疲労も起きるでしょう。
だから私は眞子さんの結婚を心より寿ぐものであります。
こういうかたちじゃないと出ていけなかったんじゃないかな。

今後何かトラブルがあっても、それをまた乗り越えるのが人生ですからね。

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シア

外国の人のお話です。
西洋は日本とは比べ物にならないくらい「男らしさ」を早くから求めるようなんです。男子がしり込みするとそれは痛烈に批判されたり女の子にアタックしないとひっぱたかれたりするようです。
女性の場合はわかりません。
ただむかしの話ですが道路を横切ろうとして後ろを振り返ると「お前は今来た道を巻き戻ろうとしているのか!」とイギリス紳士?に怒鳴られた覚えがあります。
コレは日本語で言えば「男なら前を向いて歩け」と言ったような意味です。
幼稚園の時の同級生はイタリアで同じような目に遭った(女の子に声をかけないでひっぱたかれた)そうですし小学生の同級生はドイツに両親の仕事で行って男らしさを求められたそうです。

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シア

だから小室圭さんに限ってはNYですし舐められないようにサムライスタイルを取ったのが理解できるんですよね。
サムライなら舐められないのではないかと。
イギリスでも日本の坊ちゃんスタイルが成り立つのなら夏目漱石もノイローゼのならなかったと思います。
日本では坊ちゃんスタイルが許されるしゆるキャラ男子もアイドルボーイも成り立ちますよね。
しかし西洋に行ったらそれは全く通用しないのである意味小山田圭吾さんは世界標準ではないんです。
広い文化に触れて小山田圭吾さんもきっとサムライスタイルみたいなのに脱皮したくてハッタリをかましたのではないかなぁと思ってます。
確かに渋谷系からNY・ロンドンとかリバプールとか世界標準に脱皮したければ越えなければならない壁があるんですよね。
漱石先生は帰国後西洋の個人主義をずっと引きずっていてエゴイズムとの戦いになって行ってしまったんだろうと思いますよ。
男らしくあろうと強権的になってでも西洋の博士とか大学教授は社長の旦那様も知ってるはずで映画「インディージョーンズ」に登場してくるパパみたいな厳しい人を求められているんです。
それが一神教の家父長と呼ばれるものなんですよ。
それを演じきったために漱石は藤村操みたいな女々しい男を容認できず自殺に追いやったように言われてしまったんです。
そのようなトラブルが日本でどんどん起きたのは漱石がエゴを貫こうとしたからです。
だからだんだんと日本の社会で孤立していったんだろうと思いますよ。
福沢諭吉先生みたいに日本にいて理想を語っていればよいものを西洋に洗礼を受けてしまったがために頑迷になったと私は思いますね。
それはイギリス紳士のあの痛烈な攻撃を受けたら理解できるはずです。
小室圭さんのサムライスタイルもNYで洗礼を受けたからだし繰り返しになりますが小山田圭吾さんも同じような思いがあったに違いないと思います。
渋谷系が世界の音楽とぶつかったためにエゴイズムとか攻撃性に光が当たってしまった。
ただ日本から西洋を見るとそのように見えますが西洋では認め合った男同士の絆(くびき)は強いものがあります。
日本では絆が重いとか言いますが大海をともに航海した人とはくびきでつながられるようなもののようですよ。

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シア

ただ私は個人的に日本人のウェットなところも魅力だとは思いますね。
日本人は個としての核がなく~と言われてしまう所以ではありますがね。
西洋には慈悲と言う言葉にあたるものがありません。
敵に塩を送ると言う考え方も見当たりません。
知らない人に親切にするという考え方はアジアに中心的にあり小アジアや中東にもみられています。
そのような文化と西洋とは相いれないために宗教問題と言うより文化的な問題があるように見受けられます。
西洋の人はウェットな文化を理解するという歩み寄りがなかなか見られません。
だから世界に躍り出て地域社会を壊してしまいます。

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智ママ

日本は、どちらかと言うと言葉にしないものも推測して行うこと(忖度もこの一種ですね)が非常に良しとされるので、『言わないと通じない』が当たり前の文化とは衝突しがちだとは思います。
ヨーロッパや大陸のように自然が厳しく、自然と戦わないと生きていけない土地か、日本のように自然がマイルドで調和しても生きていける島国の土地かで、その土地の文化がそうなったのではないかな?と推測しています。

感覚過敏を処理するのにエネルギーを使ってしまって、生きるのに必死な状態の発達の人と、諸問題が緩和されて、ほぼ治った状態まできていて、周りの社会を理解して付き合うことができるようになった発達の人とでは、同じ日本人でも受容され具合がかなり違います。

治っていない発達の人も、オリジナルの頑迷さで生きている西洋人と同じくらいに、日本では、地域社会を壊してしまっているような気がしています。
こちらのほうが、いかに理解を!と、啓発活動がなされているといっても、かなり問題にされているのではないかと思います。

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