「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

雑談のお部屋

なんでも雑談コーナーです。
発達障害に関係あってもなくても可。
楽しくおしゃべりしましょう!

2,379 COMMENTS

シア

夢をかなえている人って一握りなんだなと思いました。
私の周囲には夢をかなえている人が多いです。
組織の人はやりたい仕事よりも評価される仕事を…と言います。
やりたい仕事やって評価されたらいいじゃないか?そうなるまで世界を漂流して流浪してきたらいいじゃないかと思うんですがそんな余裕のある人ばかりではないらしいと知ったんです。
夢をかなえるために努力しその目標を高めるためにもっと頑張る・一生懸命に取り組むそれが許されている人は一握りなんだから私は頑張らないといけません。

返信する
シア

もちろん夢ばかりでは食っていけない人も多いです。
だから夢が軌道に乗るまでバイトをしたり夢がうまくいかないときは別の仕事に腰掛けます。
でも人生の一大事業は他人に評価されるやりたくもない仕事をすることではなくやりたい仕事をやって他人に評価されることでした。
ただ現実はそうなって行かない人が多いと言うことを知ったんです。

返信する
yasu

まあ、夢をかなえると言っても、仕事ばかりじゃないですからね。
それから、「他人に評価されることが夢だ」って人も結構いますよ。賞や肩書きが大好きな人は一定数います。

趣味が高じてその道のプロになると、仕事として拘わらなければならないのでその分野が嫌いになるという話は割と聞きます。

以前IT関連会社の人に、「社員にコンピューターオタクの人って多いですか?」と聞いたことがありますが、「あーそういう人はかえって向かないんですよ」と言われたことがあります。マニアックな方面は趣味で存分にやってほしいと。

返信する
シア

趣味と仕事は違いますから仕事としてやっていて嫌になることもありますよ。

しかしだからこそ成果が出せる。

嫌でも割り切ってやっている「から」成果が出るのかもしれない。

その意味では当初やりたくて始めたことも途中で向いていると思うことにも結果として違いはないのかもしれませんね。

返信する
yasu

仕事だと、成果と引き換えに対価をもらうってことですね。その成果が満足なものかの判断は受け取った人が下すもので、状況に応じて変動するというのはありますね。過程は問われず結果のみで判断されるので、一生懸命やったかどうかは関係ないですね。これが一部の人にとってはとても冷たく響くみたいですが。

転職しなくても仕事内容はいろいろ変わるのが当たり前なんで、常に合格水準に達している(しかし満点取る必要は無い)ってのは大事ですね。

返信する
シア

私の考えでは仕事には「期限」があると言うのが動かしがたい事実です。

納期があるのでそれを遵守しなければならない…しかし一生懸命やった方がいい仕事ができますよ。

それでも期限・納期などもっとも動かしがたい資源的(時間はその最も大事なことの一つ)制約があるので…一生懸命やった方がいい成果は出やすいのですがその範囲内でのことです。

返信する
yasu

期限があるのは、その通りかと思います。ずっと前に出版の仕事をしている人が納期厳守のため親の死に目に会えなかった(=納期というのはそれくらい厳しいんだ)みたいなことを言っていたのを思い出しました。

一生懸命かどうかは受け手側の心持ちですが、それが伝わると依頼主から好感を持ってもらえることも期待できますし、仕事も質もあがるでしょう。

返信する
智ママ

小学校では、「こ」や「し」などの、簡単なひらがなのなぞり書きだけさせられてる8歳・多発奇形の息子。

最近、入院や通院での小学校休みをやけに喜ぶなあ?と思って、「小学校のお勉強、楽しいですか?」と訊いてみたら「たのしくない。つまらない」と答えました。

毎日、易しすぎる課題ばかりなので、自宅で、課題としては、当人の実力よりもかなり厳しい、カタカナや、一桁から二桁の繰り上がりの少ない足し算をさせているのに、You Tubeが見られたり、外出に行けたりする自宅のほうがいいそうなのです。

努力して、できたら褒められること。
難しい課題に取り組んで、できた達成感を分かち合うこと。
これが、自宅ではあるけれど、肝心の学習の場である小学校の育成級では、一切ないらしいです。

できて当然の課題をゴリゴリ修行のようにやって、できたらまた同じ課題。
進歩がなくて、なんちゃって支援の支援学校に準じる指導しかなされていない
(そのためにわざわざ支援学校経験の長い教諭を育成級の担任にあてている)
ため、支援学校対象にはもったいないレベルの子どもたちが、マンネリ化した指導に、飽きてきているようなのです。

「あるがまま」に準じて、簡単にできることだけさせておいて、
新しい、むずかしい課題に挑戦させない育成級の指導が、お勉強の進度では一番ビリの息子でさえ、かったるいルーティンのレベルとなっていて、学校での勉学の楽しみがないようです。

私は、学習指導のプロとしての経験はありませんし、教員免許もありませんが、自分で勉強する楽しみがあることは知っています。
ひらがな・カタカナでも、文字が読めるようになると、自分の世界が書物や文章を通して、どんどん広がっていって、自分の狭い経験世界だけではなく、もっと広い世界があることを、息子に知って、それを楽しんでほしいのです。

いまのところ、英語の音の響きが好みらしく、まだ日本語の使用方法も拙いのに、よく外国語のイントネーションを聞いて、「これは、英語?」「これは、何語?」と確認してくるので、音の響きとコミュニケーションの形態の違いを見て楽しんでいるようです。
日本語だけの世界で興味を終わらせるのも、もったいないので、世界が広がらないかな?と思って、英語の音に触れさせるようにしています。
口真似まではするようになってきています。

家庭学習の手探りでもなんとなく引っかかっている状態から、いかに続けて、その状態から抜け出す体験をさせられないか、いろいろ考えながら5歳6歳のドリルに取り組ませているところです。

努力とは何か、
勉強の喜びとは何か、
座学においての本当の自己肯定感とは何を示すのか、
8歳で、遺伝子異常由来の頑固な知的障害もある、多発奇形の息子が、真剣に私達に教えてくれていると思います。

小学校は置いておいて、もう先に進んではいますが、どんどん進もうと思います。

返信する
智ママ

「ボール遊びが体幹によい」というyuyaさんのTweetの引用RTを見て、ボールを追いかけて身体を動かし体幹の筋肉に刺激を入れる→ボールを目で追うことで脳に刺激を入れる→相互に行うことで体幹と脳の両方に刺激を入れて姿勢維持や制御の訓練となる。という理論なのがわかりました。

息子の場合、視野が、左目の網膜一部欠損と右目の黄斑部低形成であちこち欠けていたので、視界に突然現れるシャボン玉やボールが怖かったらしく、3歳では、わんわん泣いて、逃れたくても逃れられない恐怖と、そこから逃れたい意思を表現していました。

元々、私は息子が胎児期にもフラッシュバックがよくあっていたので、息子は胎内で寛げた感があまりなかったらしく、お腹の中はあまり居心地の良いものではなかったようです。

胎児期の安心感不足と、出生直後からの母子分離でのNICUへの隔離、生後4ヶ月での手術に5ヶ月までの入院生活と、かなり乳児期の安心を築く時期に課題を取りこぼして不安の強いまま3歳4歳まで育っていたので、息子は、警戒心が強く、考えることで恐怖から逃れようとする習性がある幼児に育っていました。

「これは、感覚過敏からも強く来ている圧倒される恐怖を緩和しないと、この子は生活できないな。」と気づいたので、指いい子と栗本金魚で緩めるよう働きかけるのと、トラウマ処理を働きかけて、恐怖からくるガチガチ感だけでも取れないかな?と試行錯誤していました。

感覚過敏からの、強度の刺激からくる恐怖の反応が薄くなるにつれて、息子には徐々にトライする姿勢が見えてきました。

小学校入学後に、やっとボールを目で追えて、捕まえようとする動きができるようになりました。息子は、「転がっているボールがつかめるようになるには、『視界に飛び込んでくるボールに、か恐怖を抱かずに取りに行けるだけの、恐怖が緩和処理された内面が育っていないといけなかった』」事例です。

しかも脳が器質的障害で揃ってなくて、代わりに使われている無事に形質発現した回線を酷使して情報処理しているので、元々の形質発現に必要な遺伝子の異常からくる、形質発現不足からの知的障害も手伝って、息子の脳にはボールを追いかけて身体を操作することは、とても負担の大きいことだったようです。

心疾患で血流が悪く、2歳寸前で心臓を根本的に外科術で作り変えるまで、身体がだるかった、という事情もありました。

そんなこんなで、6歳からボール遊びをやっと始めた息子ですが、PT(体幹の筋肉をストレッチで緩めてから刺激を入れて、筋肉が太くなるよう働きかける)と組み合わせることで、目の動きが少しマシになって、少し見えやすくなったようです。

今はかなり動くものを目で追って、身体も走り去る車に向けるくらいは機動が良くなってきているので、緩みと刺激を入れること、血流を物理的に良くするよう働きかけることの重要性が、息子を通してだんだんわかってきたところです。

ちなみに、胎児期のトラウマらしい『寛げてなさ感』は、毎晩母親に手や足を差し出して身体と布団の間にめり込ませて、手足の先だけ圧迫を与えて、疑似的な臍の緒とすることで、胎児期のやり直しシュミレーションを、ここ3年近く毎晩に近く行っていることで、息子は自分を癒やして成長させていっていたようです。
時々、飽きたように臍の緒遊びをしなくなりますが、そのときは、確実に発達が底上げされてきています。

引用RTを見ていて、そんなことを思い出したので、誰かへの、何か役に立たないかな?と思って、ここに書き込みました。

単なる育児記録の分析で申し訳ないです。
お役に立てたら幸いです。

返信する
浅見淳子

智ママさん

ありがとうございます。
松島さんに拙宅にお越しいただいたとき、手の圧迫を習い、今朝も夫にやってあげました。
姿勢に関係してくるようです。智くんもやっているということで偶然にびっくりしました。
視力がきついので動体視力はもっときつそうですが、乗り物が好きなこと、エレベーターソムリエであることなどがいいきっかけになりそうですね。

返信する
智ママ

浅見社長
お返事、ありがとうございます。
松島先生にはそういうスキルもあるのですね。驚きです。

息子の野生的な勘の良さには驚いてしまいます。何も教えてないのに、子どもに好き勝手させているだけで、自然に自分を治す方向に働きかけていくのですから。
こちらは息子の中の野生(自然さ)を邪魔しないで見守っているだけですが、かえってそれが良かったようです。

返信する
シア

ミリタリーの他にも船舶を作っていますが仕事で艦船について調べていると昨今の日本周辺は非常に緊迫していることがわかります。
中国の海警の船は日本の海上保安庁のような船に見えますが軍艦を払い下げて主要な武装の一部をまだ持っているものもあります。
大口径の機関砲がありミサイルは降ろしているようですが。
また遠路はるばるドイツからフリゲイト艦も来ていますしただでさえ空母や軍艦がうようよ海上にいる状態が続いています。
空でも戦略爆撃機や戦闘機が飛行していても珍しいと言われなくなりました。
基地のそばに行くと爆音が酷くそれに関する問題もほとんど言われなくなりました。
平和も偶発的な戦闘で一気に覆ってしまう脆いものに思えます。
「いざと言うときに俺は死ぬから言い」と言う人は未来の子供のことをどれだけ考えることができているのか。
もし自分が死なずに生き残ったら生きている子供たちの避難やけがの処置くらいはできるかもしれないじゃないですか。
何事も両サイドから公平に考えて「正しさとは何なのか」考えてみたいです。
怖がりで「本当にそんなことはあり得ない」と言うのなら別ですが私の中では「あり得ない」と言うのは「ありえない仮定」に基づくものです。
「もし○○だったら」と言うのは今現在そうではないのなら議論になりません。
しかし「○○と言う危険が高確率で差し迫っている」とするならばそれは考慮しなければなりません。
平和でなければ死ねばいいと言うのはおかしな話です。
また世界には平和を望んだってそれが得られない人がたくさんいるじゃないですか。
貧困の人は日本でも相対的に増えているそうです。

返信する
浅見淳子

だったらがれきの一つも取り除けない人は生き残る意味があるのか

って議論になっちゃうんですけど。
生きていなければ乏しい食料を子ども達に譲れるかもしれないし。

生き死にを決めるのは自分ではないから、じたばたしても仕方ありません。
ロンさんにもどうしてもわかってもらえなかったみたいだけど
「死に急ぐ」と「命に恬淡としている」は違う。
これまで戦災や天災で多くの方が亡くなって
自分が特別な存在だとは思わないけど。

京大の宮沢先生が「人間は種の保存のために死んでいく」とおっしゃってたけど、それが生物としての当たり前の姿であろうと思います。
たぶんシアさんにせよロンさんにせよ、すごく死ぬのが怖いんだろうね。

返信する
浅見淳子

防災訓練は意味があるでしょう。
備蓄も意味があるね。
でも心臓移植のために5億集めたりするのには違和感。
自分としては臓器移植は受けない。

返信する
yasu

海外で臓器移植を受けるのに巨額のお金がかかるので、募金を集めるというのは時々見ますね。私も自分の身体だったら受けないと思うのですが(お金が集まって手術が成功してもその後のことを考えると・・・)、自分の子どもだったら正直ちょっとわからないですね。

本日、手塚治虫『まんが「ブラックジャック」に学ぶ自分を貫く生き方』という本を見つけて、面白そうなので買ってきました。ブラックジャックが請求する手術代は高額なことで有名ですが、それで完治するのである意味単純で、心臓移植もそうですけど実際には手術に成功してもその後が長くて厄介だ、という意味では複雑です。

返信する
智ママ

臓器移植は一定の時間ごとに免疫抑制剤を服用しないとですし、
免疫抑制剤を服用していると、風邪などの感染症にかかりやすくなるし、
腎臓移植をした女児は思春期になって、「人造人間」と手術の傷跡もふくめて、周りの女子(中学生)からからかわれて、免疫抑制剤を服用するのを嫌がったりすることもあるそうですね。
息子は心臓移植はしていませんが、心臓の4回の手術跡は胸骨の上に一本、スッと傷跡が残っていて、骨自体もわずかに変形しているので、水着になるとかなり目立ちます。そして、免疫抑制剤を飲んでいるわけではありませんが、血液サラサラのための薬を飲んでいるので、風邪を引いて脱水すると、血中濃度が上がって、脳内出血の恐れが出てくるので、管理がかなり必要です。
免疫抑制剤は、血液サラサラの薬と比べて、とても飲用条件や管理が大変みたいです。バスの中で時計を持って時間を測り、薬を飲んでいる人もいます。

臓器移植にはお金もかかりますが、その後の患者の暮らしや人生の質の維持の問題もあるようです。

返信する
浅見淳子

また雑談です。

茨城のジジババ事情を書いたので地元のジジババ事情を。

まず、一回目の緊急事態宣言のときからバスとか乗ると老人ばっかりでしたね。

そして先日、ブルーライン(横浜市営地下鉄)乗ったらやっぱり老人ばっかり。

これは老人がもう「別に長生きしなくていいや」と出歩いているせいもあるだろうし、バスやブルーラインは敬老パスで年間3500円乗り放題だからかもしれない。

どこでもバスや市営地下鉄で行こうとする横浜の老人ズ。先日地元駅の改札口になんかボード持ってる老人がいて、団体旅行かなんかの出迎えかと思いました(ボードは読まなかった)。そしてその老人をみて下りてきた老人ズが参考にしているみたいだったし。

そして降りる駅の改札口にも老人がボードで。今度は読んだ。「敬老パスは有人改札へ」とのこと。ICじゃないからね。

それだけのお知らせのために人件費かけてるのかしら横浜。
それとも地元老人によるボランティアかしら。

まあその老人ズはみんな地下鉄内ではマスクしてちんまりしてる。マスクが出歩く免罪符。まあマスクをしていないこっちには一切文句をつけてこないのでまだいいんですが。

とにかく地元をみる限り、フリーランスの(施設に入っていない)老人ズは出歩いています。杖とかついている人も多いけどとにかくアクティブ。

どこ出かけるのか不思議で仕方ないですわ。

返信する
浅見淳子

こんにちは。

よく言われますが、なんで大人が居酒屋で騒いでいるのに子ども達が黙食なの、という件。

私は2020年の春、学校が休校になったとき、この国はもしかして危機に瀕すると子どもにしわ寄せする国なの? とか思いました。
そして不幸にもそれがまんまと当たってしまっていましたね。

第一回の(唯一の)緊急事態宣言の頃、私はまだ未知のウイルスを警戒していて、母のうちにも上がりこまなかったですね。
マンションの下まで行って、電話で呼び出して、そして一緒にスーパーとか行っていました。

二人で歩いていると、公園にさしかかりました。
リモートワークらしきお父さんとお子さんが木登りとかして楽しそうでした。
母は今は戦時中のこと思い出すけど、当時と違うのはお父さんたちが街にいることだと言っていました。

それからぽつぽつと思い出を語ってくれました。
何気なく語ったのですが、私としては印象に残りました。
こんな話です。

当時は横浜も今ほど過密ではなく、校区も広かった。
今でいう港北区に住んでいた母たちは、今でいう神奈川区の小学校に通っていたそうです。
遠いから電車を使っていたそうです。通学定期を買って。

ところが戦局が逼迫すると(つまり敗色濃厚になると)
突然「小国民は歩け」みたいな命令が下り、通学に電車を使ってはいけなくなったらしい。
それで毎日歩いて通ったそうです。

母的にはそのおかげで健脚になったと言っていましたが
考えてみたらバカらしい話です。
電車はずーっと走っていて、大人は乗っている。
だけどどういうわけか、子どもだけ乗ってはいけないことにある日なった。しかも通学の時だけ。
今とそっくりだと思いませんか。

私はかつて「発達障害者支援法は誰を救ったか?」という本で(kindleオリジナル)発達障害者は奈良の大仏みたいなもんだと書きました。よく考えたらでかいだけでとくに役には立っていないけど祈りの象徴なんだと。

昨今の感染対策も、だんだんおまじないにしかなっていないという実態が明らかになってきて、人目に付くマスクはともかく、四回目とか五回目とか二価とかは打たないことを選択する人が増えたようですね。いいことです。

ただこの国は、いざというとき子どもにおまじないをやらせて罪を払うみたいなメンタルが潜んでいたのだと思います。

先日茨城にサイクリングに行って、漁村と農村を通ると、一次産業の皆さんは当然素顔で働いていらっしゃいました。
また宿に着いた私たちを素顔まじりの高齢者の方たちが取り巻いてブロンプトン見物に来たのはメッセージにも書きましたね。
高齢者ですらもう、他県民の素顔を怖がっていないのです。

ところが海浜公園にいた保育園児たちは全員マスクなのです。
横浜では保育園児が外でマスクをしているのを見たことがあまりないので、びっくりしてしまいました。晴れた青空のもと、保育園児が全員マスク。

大人たちが居酒屋で大声上げて飲んでいるのになぜ子どもは黙食なのか。多くの人々が今これを疑問に思っていますし声も上がっています。国会議員でも問題視している人もいます。
私もずっとフシギでした。

現場があほなせいだろう、とか、教師の中には少なからずサディストがまざっているので子どもに命令するのが快感なのだろう、などと思っていましたが、もしかしたらこの国には「禊やおまじないを子どもに押し付ける」文化があるのかもしれません。
だとしたらそれは終わらせた方がいいですね。

「発達障害者支援法は誰を救ったか?」を読みたいなと思ったらこちらをどうぞ。
ギョーカイも色々おかしなことをしていますが、この国の医療と行政のやり方があからさまになった今は、答え合わせがはかどりますわ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07DL15BH1

返信する
智ママ

浅見社長

子どもの人権が軽視されていて、「子どもは、親(親権保有者)がどうにでもしてよい存在」という認識が、長らく、この国にはありました。
家計が苦しければ、育てた娘を遊郭に売り飛ばすことも多々ありました。その延長線上(発達のようにスペクトラムになっています)に、「神様が喜ぶから、子どもに訓練して祭りの出し物を披露しよう」とか「地域の高齢者に評判だから騎馬戦を中3生にやらせよう」という思考での『尊重したい他者への子どもを使ったサービス精神』があります。

子どもは大人にさせるまで面倒を見なくてはならない存在だから、養育係の親権者や学校教師などの支援者が「ある程度どうこうしても文句は言われない!」とたかを括らせて平気なわけです。

『子どもは、7歳までは神様の子どもだから、大切に育てる』という考え方は、大正までの多産多死でなかなか生き残れなかった時代の保護的な考え方で、原則は、日本は、『子どもは親のもの』という人権無視の考え方がまかり通っていた国でした。

そして、それは明治維新や先の大戦の敗戦でのパラダイムの混乱を経ても、まだ根強く私達の中に残っています。
そこがコロナで表面に出てきただけではないかと思って見ています。

子どもを、「未熟で拙くはあるけれど、社会を担うために生まれてきてくれた人材だ」という認識が私達にないと、子どもが虐げられていることに気づかず、為政者の誘導のままに、支配しやすい駒としての扱いしかされず、そのレベルの人材にしか育つことが出来ない子どもしか育ってきません。

私の息子は、残念ながら、生まれもっての遺伝子異常と器質的障害から、中度から軽度の知的障害がまだありますが「自分の頭で考えて、意見をもつこと」を繰り返し教えて、自分の意思を表明できる、お喋りのスキルを鍛える訓練にしています。

他者からの誘導に乗りにくい子に育てることも、これからの社会で生き残る余地を高めることになる。と、私は考えています。

小さくても、拙くても、未熟でも、子どもは人間。という認識が、早く根づくといいな。と思っています。

返信する
シア

しかし戦時中は列車は攻撃の的になりました。
爆撃はともかく戦闘機の機銃掃討にも逢いやすくそのような映像も探せば見られます。
子供を危険から守るためにも外を歩く子供に「白い上着」を着ないことを推奨していたそうです。
白旗は目立ちますが地上において上空から白い色は目立ちやすく攻撃を受けやすいからです。
またJアラートもミサイルに核が搭載されていてもそうでなくただの北朝鮮の試験発射でも日本上空でコントロールを失い落下してくることが危惧されています。
これはウクライナでも地対空ミサイルが迷走して国境を越えてチェコに落下した事案からもあり得ることです。
正常性バイアスで子供が守れたらいいのですが。

返信する
シア

表現の自由と青いお祭り(東京タワーを青く光らせる自閉症啓発活動)に関して。
一度自閉症の人が家出をして大冒険をしたのでそれを映画にしたいと言う話が合ったそうです。
しかし自閉症協会の人(事務局サイド)が映倫みたいなことを言い出して規格がつぶれてしまった。
あの時には気づかなかったけど今でいう「ポリコレ」なんだろうと思います。
「青いお祭り」も「ポリコレ」の思想がありポリコレは社会正義を大事にしますがそこから外れたものに対して寛容ではありません。
だから「自閉症の人が家出をして大冒険した」ことを題材にした映画は「ポリコレ棒」で企画から叩き潰したと言うのが真相だと思われます。
山下邦明さんの映画ができその後「自閉症の人が家出をして大冒険した実話」に基づく作品が企画されました。
それが娯楽性があり面白かろうと言うのが商業映画として成功する鍵でした。
しかしつまらない「ポリコレ」があると作品の表現の自由にああだこうだ口を出すのかもしれません。
青いお祭りもその動機を突き詰めてみると「ポリコレ」の臭いがしませんか。

返信する
智ママ

15:00を過ぎて、ようやく退院してきました。
タクシーに荷物を載せてもらって、ようやく帰宅したら16:00近くでした。
今週は心臓のチェックの受診と、形成外科の抜糸の受診で、木金の登校が潰れましたが、水曜日には登校できることになりました。

昨日シャワーが浴びられなかったので、帰宅してから風呂を入れて入浴させてきました。
買い物に行くと、一週間ぶりの外出で散歩自体を大喜びしていました。

無事に退院できましたことをここにご報告いたします。

返信する
智ママ

浅見社長
お返事と温かい言葉、ありがとうございます。
今まで5日間ぐらいで音を上げて3日間ほど休んで、それからまた5日間ほど介添に詰める、というパターンで付添をしていたので、一週間以上連続での付添は、初の前人未到領域でしたが、なんとか7日間保つことができました。
もし曝露からくる皮膚のかゆみがなければ、もっと楽に付添が務められたと思います。

やはり、長年のトラウマからくる生活の阻害が半端ないレベルで影響していたようです。トラウマ処理で、全く踏ん張りの効きが全然違ってくるので、驚きました。

これから自宅で解毒作業に入りますが、早くかゆみが取れるといいな、と思いながら生活しています。

ありがとうございました。

返信する
yasu

退院おめでとうございます、もう既に登校されているでしょうか。
これからクリスマスやお正月など楽しいイベントがあるので、楽しみですね。

返信する
智ママ

yasuさん

ありがとうございます。
退院してから一日休みをとって、水曜日から登校しましたが、木曜日は心臓、金曜日は形成外科のチェックで大学病院の通院となり休んだので、ほんの少しだけしか登校していません。

水曜日、同じ育成級のクラスの上級生女子から、お見舞いと退院祝いの、手作りの大きなカードをいただきました。息子の代わりに受け取って「わあ、きっと息子は喜ぶよ。ありがとうね!」と返事をすると、上級生女子がはにかみながら去っていきました。

これからクリスマスとお正月が近いので、もうプレゼントは準備して押入れの上部に置いてありますが、当人はちゃんとわかっていて「御堂筋線がクリスマスで、東京メトロがお正月だね(息子の誕生日はお正月明け近くなので)」と言って、指折り数えてクリスマスとお正月を楽しみにしています。

クリスマスのケーキの予約をしなきゃなあ。と思っている、今日このごろです。

返信する
智ママ

手術室の階に移動して、またしてもエレベーター鑑賞していたら、通路から白い巨塔のミニ版のような医師の行列がやってきました。
「おはようございまーす」と全く臆せず気軽に挨拶する息子に、先頭医師が「おはようございます」と返事したら、最初の医師の「お」の発音の時点で、後ろの隊列の人も「おはようございます」と即座に挨拶をしていきました。

西洋医学は元軍隊の系列なので、身分差がはっきりしていて、上の言うことには絶対的だということが、傍目にもわかる、朝7時半の大学病院での体験でした。

社会的な並行の人間関係がわかりにくい発達の人が、身分差のはっきりした西洋医学界や警察界、公務員界などの縦社会にとても馴染みがある、というのも、よくわかりました。

社会勉強になった、大学病院での朝の光景でした。

返信する
シア

智ママさん

昔オペを繰り返していた時のことを思い出しました。
当方胸にも大きな傷跡があります。
足にもステムと言う金属の棒が入っていて人工関節なのです。

たぶんミニ白い巨塔の後ろにいる方は研修医やレジデントの方だと思います。
修行中の人なのでまだ「○○先生」と呼ばれたことがない人が多いです。

気を利かせて主治医の先生と同様に後ろの方の名札を見て「○○先生・××先生・△△先生もおはようございます」と声をかけると彼らは感激しているのです。
そしてミニ白い巨塔の先陣の先生に「ほら、○○先生だって!頑張ろうな」と声をかけられているのです。

それを思い出しました。
彼らもチームで外科手術に臨んでいくのでそうやって声をかけて奮起してほしいと言う願いも込めて私は彼らの名札を見てよく声をかけていました。
大学病院とはそういうところなのでもし気が向いたら無名の先生にも「○○先生」と声をかけてみたらいかがでしょう。

きっと喜んでいると思います。
また智くんの手術が成功したのも日頃の治る・治すの実践も影響していると思います。

退院おめでとうございます。

返信する
智ママ

シアさん
ありがとうございます。

息子が入院期間が短いほど、拘束されて足の筋肉が衰えるのが少しだけで防げるので、「退院したら〇〇に行こうね」と餌で釣って、退院への意識を高めさせて、できるだけ入院期間が少なくて済むように母親なりに工夫しています。

今回は、病棟の窓から見える東山連峰の色づき具合から、府立植物園の紅葉が見事だろうと想定して、換気の良い風光明媚系の植物園に母方祖父母と一緒に散歩するのを餌にして、退院へのモチベーションを高くさせていました。

血流を促す操作は、私がコロナ接種者からの曝露で、皮膚が痒くてたまらず、なかなかできませんでしたが、松島第一操作と第二操作は割とマメにしていました。なので、血流が良くなっていたらしく、麻酔が切れたあと、意識がクリアになるのが早かったです。

これから退院してからのリハビリに入ります。
冬までの期間のうちに、如何にして入院中に落ちた筋肉を戻すかが、冬の期間の風邪防止のカギになるので、がんばります。

返信する
智ママ

今晩は予定では最後のエレベーター前のお座り見張り番となる予定です。
ここ4日ほど、コンビニに買い物にいく外国人のおじさんや背丈の高い大男のおじさんにも「こんばんはー」「行ってらっしゃーい」「お帰りなさーい」としていました。
「おっ!点滴が外れたな!坊やは退院か?」と言いながら、エレベーターに乗って去っていったおじさんが、帰ってきたときにはプッチンプリンとスプーンを袋から出して「はい、退院祝や!これ食べ!看護師さんには内緒やぞ?おっちゃんは、まだあと一月入院や!」と、くださいました。

母親はお礼をひたすら申し上げて、息子は「ありがとうございます!」と答えていました。

人徳があるんだか、ちゃっかりしているんだか、よくわかりませんが、思わぬ退院祝スイーツを、大喜びで病室で食べている息子でした。

またこれで、他者への愛嬌が強化されはしないか、母親はハラハラしていますが、どうもそんな感じがしてきています。

返信する
シア

先日母の自転車を買いに行きました。
カタログや見本を見て注文をしてすぐにはできないと言うので数日連絡を待つことになりました。
最近はお天気もいい日が続きライドも好調ですし電車に乗ってあちこち行ってみています。
独りで電車に乗る(しかも知らない路線)のが当たり前になってもうずいぶん経ちます。
最初に体験した「冒険」がとても楽しかったために週末暇を見つけてはそのように移動しています。
東京都でも知らないところがたくさんあります。
この前は洗足池に行ってきました。
大井町線を降りて池上線に乗ると戸越銀座商店街に到着します。
駅が木製を多用したものでとても新鮮でした。
それから五反田に着くとTOC(東京卸売センター)があり洋服が安く売っています。
大田区や品川区もいいですね。
最近マスクを着脱して思うのですが「嗅覚が死んでいる」と楽しみが半減すると言うことがわかります。
呼吸の他にも嗅覚にフィルターがかかっていると生物学的に健康リスクが高まると思うんです。
その点皆さんはどう思われますかね。
長年病気でつまらない思いをしていましたが…現在は模型もたくさん作っていますしバイトもすることができて充実しています。
新しい技術も貪欲に学習しています。
また模型をする過程でラジコンをするようになりドローンやROV(水中ロボット)やUGV(無人車両)を操縦するようになりました。
UGVと言うのは四輪操舵で六輪駆動の珍しい機械です。
私の場合は道具を使ってどうこう…と言うよりもできるだけ珍しい遊びをしたいと思っていろいろ手を出している感じです。
だから体を動かすのもそういう操縦の前段階には大事であってライドも楽しんでいます。
発達障害の人で立体視ができないと言う人が多く見受けられ海外では「オプトメトリスト」と言う職業があり視覚機能の保全に一役買っているそうです。
この点は灰谷さんなんかが専門なんじゃないでしょうかね。
私は立体視はむしろ発達しているようで3Ⅾプリンターとソフトで模型を作ったり没入型のコントローラーでドライバー・パイロット目線で機械を操縦したりできます。
そのように珍しい機械を操縦するにしても「障害はなるべく治っていたほうがいい」と思います。
中年に差し掛かりまぁこの年齢まで元気で生きていると思っていませんでしたからせいぜい楽しんで行こうと思っています。
最近は調理も冷凍食品やインスタントだけでなく「袋飯」を自分で作って楽しんでいます。
袋飯とはパッケージに調味料と主食が入っていてそれにお野菜などを刻んで入れるとなおおいしいと言う例のあれです。
調理は時間をかけてもいいし…でもどう手間を省いて「時短」をするか・手早く済ませるかも考慮するようになりこれは食さないモノの模型にも通じるものがあります。

返信する
浅見淳子

シアさん

充実した日々ですね。
私はほぼ毎日近所の鶴見川をショートライドしていますが、ありふれた光景でも自転車に乗ると違うし、刻一刻変わる季節の移り変わりも楽しみです。
徒歩よりたくさん移動できて、ジョギングほど疲れず、🚴の移動感って独特だと思います。
お母様も喜んでくださるといいですね。
お年を召した方は時々乗り方を忘れているようです。もし久しぶりでしたら最初はヘルメットオンで気を付けて始めてみる方がいいようです。

シアさんは間違いなく立体視が優れていると思います。
でなければああいう仕事にそもそもつこうと思いませんからね。

ではでは。

返信する
智ママ

ご飯を食べると「エレベーター、行っていい?」
シャワーが済んだら「エレベーター、行っていい?」
点滴の交換も「やっぱり、ここですよね〜」と苦笑いされながらエレベーター前のベンチでしてもらうくらい、エレベーター好きな息子。
エレベーター前の青いベンチに陣取って、やってくる人全てに「おはようございます」「こんにちは」「こんばんはー」と声をかけていくので、側に母親が、ボディーガード、兼、番犬としてピッタリついていることもあって、すっかり病棟階の名物親子になってしまいました。
外国人の患者のおじさんも、「ハイ!」と、息子に手を上げて挨拶して「イッテキマス」とわざわざ日本語で挨拶してエレベーターに乗り込むくらい、その場に馴染んでしまっています。

何で入院先でも名物親子になるんだ…

と母親は「あちゃ〜」となっておりますが、そこは完全には発達が治りきっていない息子のことで、全く意に介さず、「さっきコンビニに行ったおじさん、帰ってくるかな?」とポチのような従順さと善良さで、すっかり病棟エレベーターについた口唇口蓋裂系の座敷わらしにされています。
座敷わらしと言っても、特別にいいことがあるわけではなく「お帰りなさーい」「行ってらっしゃーい」と息子から声かけしてもらえるだけのメリットしかありませんが、コロナ対策で殺伐としている病棟の医療職と患者には、出勤時と退勤時、または、買い物に行くときと帰ってきたときの、息子の声かけは、癒やしのオアシスになっているようです。

あと2日ほどの入院生活ですが、気を抜かずにいこうと思います。

返信する
浅見淳子

智ママさん

好きなものは身を助けると思いますが、エレベーター好きでよかったですね。
そしてきっと皆さんを癒していると思います。
あと少しですね。

返信する
智ママ

浅見社長

ありがとうございます。
あと4,5時間ほどで退院になる見込みです。

週末に同室のおばあさんが退院して、同室のお姉さんが他の部屋に移ったあと、夜中の全身掻きむしるほどの痒みが眠れるくらいには治まりました。

病棟は眼科も入っているので高齢者率が高く、皆さんワクチン接種しているのでSタンパク質を放散させているからか、共用部でも曝露して、私の身体の限界を超えて全身の痒みが出ていたようです。

息子の背中もブツブツが出かかっていて時折背中を掻いていたので、出来れば早く退院したいものです。

返信する
智ママ

手術後2日目から国語と算数のドリル、2日分の課題を病室の机で解いている息子ですが・鬼母?な母親の見立てどおり、傷跡からの出血がほぼ無いので、早くて月曜日には退院予定となりました。
(病棟からすると個室料金の実入りがないので、長く留めても利益にならない患者なため、早い治癒率の成績アップのためにも、早く退院してくれたほうが都合がよい)
大人の事情があちこち絡んでの退院劇となりそうですが、息子は1日で6回は病棟エレベーターの前に座って案内係をしているので、入院し続けるメリットもこちらにはないし、早く退院ならそちらのほうが嬉しいです。

手術成功を祝って夫が飯テロしていると思いますが、まあいいか。楽しんでもらおう。とエレベーターの前に座ってスマホをいじりながら病棟の洗濯機で二人分の洗い物を洗濯しています。

返信する
浅見淳子

智ママさん

ご無事に済んで何よりです。
一層男前になったのですね。
拒絶反応対応で自前の軟骨を使うのですね。
それでお耳も切ったのですね。
どうぞお大事になさってください。

返信する
智ママ

浅見社長
お返事ありがとうございます。
ご心配おかけしましたが、無事に昨日14:00に病室に帰宅できました。

最初は「鼻の軟骨をカットして、3分割して立てて、16歳以降にプロテーゼを入れて立てる土台を作る」という形成外科医の話でしたが、蓋を開けてみると「想像以上に息子の鼻の軟骨がないので、耳穴周囲の軟骨を裏側からとって、それで鼻の高さを作ってしまう」という手術でした。

場合によっては吸収されることも稀にあるようですが、それまでは自前の組織を使って作った鼻なので、拒絶反応の心配はしなくても良さそうです。

明日からは左耳を覆っているガーゼが取れるそうなので、眼鏡がかけられるようになるかもしれないね。と、楽しみにしています。

ありがとうございました。

返信する
智ママ

昨日、予定時刻より1時間遅れで無事に手術が終わり、手術室に、ストレッチャー片手に引く男性看護師と一緒にお迎えに行くと、
「帰り、緑のエレベーターに乗れる?」などとペラペラ喋る息子が、ストレッチャーに寝たままやってきました。

鼻筋を自前の軟骨で賄って、スッと通してしまったので、3割から4割増でいい男になっていました。耳からは2×1㌢の軟骨を耳穴付近から採取したようで、ブラックデビルみたいな耳ガーゼが当ててありました。

緑のオーチス社製のエレベーターに乗って病室に帰宅し、そのままベット上で3時間の絶対背安静になりましたが、特に大変なこともなく、DVDを見せたまま夜になり、ご飯もほぼ完食して、あとは採取したときの傷た鼻の傷の出血が止まるのを待つだけになりました。
出血が止まったら退院だそうです。

夜中に起き出して、鎮痛剤が切れたらしく「お母さん、耳が痛くて寝られません」というので鎮痛剤を点滴に追加してもらってからまた寝ました。

朝からは我慢できる痛さレベルらしく、普通にご飯を食べて、エレベーターを眼鏡無しで(耳たぶの裏から骨をとったので、眼鏡のつるがあたって痛いため、眼鏡はしばらく禁止となりました)鑑賞しています。

左目が矯正視力0.2なので、弱視用矯正眼鏡を外すと何にも見えてませんが、物の動きはわかるので、エレベーターのドアの開閉と音声を楽しんでいるようです。

形成外科医も看護師も、「8歳児の患者が、術後1日目でもここだと機嫌よくしてるし!」ということで、チャチャッと病棟エレベーター前で、手軽に診察や処置を済ませていきました。

母親は、病室のベッドに簡単に横になれないのでやや不服顔ですが、当人がニコニコしていると傷の治りも早いので、エレベーターに子守をしてもらっています。

また暇を見つけて、その後の進歩を報告します。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


画像アップロード(PNG, JPG, JPEG)