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3,039 COMMENTS

シア

社長の解毒ブログその3完まで拝読しました。

施設の施工については毒性の強いラッカー系の塗料(第四類第一石油類危険等級Ⅱ)は使われなくなっているんだそうです。
アクリル系と呼ばれるものが建設現場の有機溶剤では主流になっています。(第四類第二石油類危険等級Ⅲ)
またネイルはエナメル系と呼ばれるものです。(第四類第二石油類危険等級Ⅲ)
調べてみると除光液(ネイルのリムーバー)と言うものはかなり毒性が強いらしい。(第四類第一石油類危険投級Ⅱ)

古い建設資材の毒性<現在の建設資材の毒性=ネイルの毒性>除光液の毒性となり…除光液(ネイルのリムーバー)は現在使われなくなった古い建設資材と同等=の毒性があります。

参考資料
https://www.chemical-substance.com/shoboho/shiteisuryo.html

またアスベストとかPCB(ポリ塩化ビフェニル)などかつて広く使われていたものが非常に毒性が強いことが判明し現在使われなくなり回収されるようになっています。
冷媒に使われるフロンガスは現在でも代用品がなくこれも回収業の人がいます。

使用に際し規制されているものが多いため大量に身体に入ってくることは少ないようです。

また化学物質の有害性を表現するのに閾値があり境界(限界)の量と濃度を超えたら毒になります。
だから汚染水も薄めて処理水とする…これは原子力に限らず古くから産廃業界では行われてきた手法です。

※今回も社長の勘がすごくさえているなと言うのはこの「化学物質の閾値」の問題に対して感じられることでした。
※「量が少なく濃度は薄いほど害は少ない。」

※化学物質が増えた現代の環境において医薬品を服用するのは化学物質が体内に入ってくる総量が増えることを意味しています。(医薬品には生物化学物質のほかに安定剤や添加物など人口の化学物質が含まれている)←これは多くの現代人は念頭に置いていた方がいいですね。

また漢方薬と言うのは生薬と言って生物天然物質ですのでいわゆるケミカルではないらしい。
これも自然毒になるでたくさん入れるものではないでしょうが一応化学物質とは別枠です。

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浅見淳子

シアさん
詳しくありがとうございます。
家の大規模修繕を経験すると、化学物質過敏症になる人の存在が信じられますね(これまでも信じていなかったわけではありませんが)。
花粉だってアルコールだって人によって閾値があり
おそらくスパイクタンパクもそうなのでしょうし。
新車に乗れない人、もいると思います。
ただ産業界も規制は設けているのですよね。

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シア

文章能力って言うのは大事だと思います。
筋道立てて物事を考えたり人に説明したり説得力のある思考力は文章能力に表れています。
理系の人は数字・データを重視します。
それの出所は論文と言うものであるらしい。
そして論文こそ文章力が試されていて文章力によって明らかにされた数字の説得力が科学文明を支えているのです。
そういうことがわかってないと数字に踊らされることになるのかもしれません。
世の中数字やデータがあふれていますがそれがこの場合も論理的に正しいのかな?…と考えるのにも論理的な文章力に依存するのは言うまでもありません。
これが理数偏重に対する反証になると思います。

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智ママ

シアさん

実験手法が明らかに論文の推測される内容を証明するに値するものであれば、その論文は有用なものとなりますが、もともと製薬会社にいい顔をするための視点で組まれた実験手法と解析方法だと推測される文章だと、はなから読むに値しない論文だと看破することができます。

ですので、これは理系の人ばかりでなく、文系の人にも会得してて欲しいのですが、
その論文の要旨(サマリー)が、一般的に見て、検討するに値するものなのか?その手法は妥当なものか?その論点は恣意的に論文でとある意図をゴリ押しするものでないか?何を意図して書かれた論文か?を吟味したら、アホな論文とそうでない有用な論文とを、文系の検討能力でも弁別できるようになると思います。

意外と、論文ガー信者は、ここをすっぽ抜かして論文第一主義に走ってますが、基本の論文の意図の吟味をろくにしてなくて、自分の意見を裏打ちするためのクズ論文を探してきてTwitterなどで誇示して威張ってるだけ、の人がとても多いです。

論文ガー(論文第一主義者)に騙されないように、文系の人も頑張って見抜く目を養っててください。要らない論文を無理に読まずに済みます。

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浅見淳子

見抜く能力は文系の方がはるかにありますね。
それがない理系がいばっているからひどいことになっている。
もともと日本は文系の地位が高かった。メーカー等でもトップは文系だった。
シリコンバレーとかとそれが違いました。
へんだなあ、と思った時期もありましたが、理にかなっていましたね。
日本がモノづくり大国になれた時期は文系が仕切っていました。
コロナ禍で理系の発言力を高くした結果がこのていたらくだと思います。
理系に天下取らせてはいけないと強く思います。

私がまだ厚労省と仲良くしていた時期に某官僚(もちろん東大法学部)に「本当に頭いい人って文学部にいるんだよね。立花隆とか浅見さんとか」と言われましたが、それは私をほめすぎにしても
田舎STの「文学部のくせに発達障害語るな~」はあほすぎる発言でした。
彼女は私が資格を持っていないのにもかかわらず講演で話したりするのが気に食わないようでしたが
なぜそういう立場の人に需要があるかとか、そこまで考える脳みそはなかったようです。
私から見ると「理系こそ真実を見抜く目を育てれば」です。

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智ママ

浅見社長

私が女子高生の頃、保健室の教諭がこんなことを言ってました。
「文系はトップを張れれば理系を使うことができるけど、月並みな文系だと理系のために働く営業畑で終わってしまう。理系はたとえ医療者になってもエンジニア気質が多いから、優秀な文系から使われて業績を積んでいく。普通くらいの成績なら、まだ理系に進んで資格をとったほうがまだマシよ」

私は理系に進みましたが、科学の学術用語を覚えて正確に使いこなし、自分の意見を論理的に伝える訓練は徹底的に受けたものの、論文を多数読み込んで「本当に役に立つ論文を見抜いて選びとり、そこから学ぶ」は訓練できませんでした。

理系は技術用語を覚えて駆使し、専門の勉強ばかりして追いつくのに必死で、見抜く目を養うのに余力を避ける本当に有能な理系はごく僅かで、それでいながら「自分達は科学のプロなんだから、専門外の文系にきちんと説明して納得してもらえるように工夫しないとなんだ」というある意味、思い上がった認識を、指導担当の先生から叩き込まれることがほとんどでした。

理系は専門バカがとても多いです。そして、皆が皆、聖人ばかりではないので、文系を論理力と科学データの提示だけでやり込めて、文系の不案内な科学畑で勝ちをとりに行こうとする不心得者が、わりと多々出ます。

多様性のある意見も良しとし、その中から、それぞれが自分の真理に近い解答を探すのが得意な文系が、理系からいいようにされていたので、私は理系でしたが、見ていてとても歯がゆく、そして多めの心得違いをしている理系の人たちを、腹立たしく感じていました。

科学技術は騙しや人を傷つける手法に決して使ってはならない、と理系に進んだときに叩き込まれたからです。
医療者がそこを大きく間違えてしまいました。

まだ、悪質な理系風の人に騙されてる人がたくさんいます。yasuさんのように、分野外の人にもわかるように良心的な発信をする理系の人は、まだ少数です。

その現状が、情けないなぁと思いますが、嘆いていても始まらないので、文系に学んで多様性の中から良さげな案を探す訓練をしていこうかと思っています。

最初は論理性を非常に重視するシアさんに対して、論理性だけの追求では危険なので、論文を見通して見抜く目をもてば、文系でも理系にいいようにされなくて済むので、私は理系ですが、あえてリークして書きました。

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浅見淳子

教師ってそういう切り取り方をするのですね、驚きです。
営業は事業の要です。「営業畑で終わる」という表現自体がとんでもない勘違いですね。
理系がいくら理論を積み重ね開発に励んでも売る人間がいなければ事業は成り立ちません。それが公務員にはわかっていなかったのでしょうね。
理系と文系がお互いに蔑視しあっているジャパンなのかもしれません。

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yasu

景気の状態や先行きについて、政府(日銀?)が発表する表現はとても香ばしいと感じます。感想なんだか何か根拠があるんだかがよくわからない(笑)。数字というかデータに裏付けはされているんでしょうけど、なんだかいつも恣意的な感じがしていてあまり良い印象は受けないんですけど、これは私がちゃんと経済勉強してないからかもしれませんww

データや数字というか、新コロやハッタツでも、問題になるのは統計的な数字の解釈の仕方ですね。「ほら効果あるでしょ」と言われたときに懸念(リスク)とちゃんと比較できるか、その効果はデメリットと比較しても欲しいものなのか、あたりを見極める技術というか知恵を持っておくだけで全然違います。最近ではわかりやすい統計の読み物もありますし、それを読むだけでも変なことに巻き込まれない、時間を浪費しないで済みます。

文系の表現力や理系のデータ偏重やオタク志向の問題はあるにはありますが、世の中の大部分はそういう高度なところでの問題ではなくて、もっとずっとレベルが低い所での不具合のように思います(笑)

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智ママ

たまたま医師の身内をもっていたので、幼い頃から医学生→医師となった叔父を見ていて思いましたが。

医師は、ガイダンスに従って診断し、(半ば売上のためにも)必要があれば手術をし、患者のQOLを、患者を放置した場合より上げてナンボ、という業種です。
叔父は整形外科なので、やってきた患者さんの日常生活がマシになってなんぼ、という中で病院の収入になる診察と手術をしています。

ですので、3歳時点では一人で自立して座れて『ん〜』しか言えず、
5歳時点では簡単な単語しか言えない重度寄り中度の発達だった息子が、
小3生で椅子にきちんと座り、おばからお菓子を打診されても「ご飯がありますから、いいです」と我慢して断るくらい応答がきちんとできたのに感動し、それを育てた
(西洋医学では決して伸びないとされる発達を伸ばして、生活や人生の質を向上させた)
姪っ子に感嘆し、姪っ子自身も体重を一年半かけて10kg落とした、と、告げたので、もう姪っ子をからかいのために突っ込むことは全くなくなり、大甥(息子)のQOLを大いに上げたことを非常に評価されました。
そして、高校で発達と診断された(ADHDとASD)従弟達に応用すべく、私から息子を伸ばした手法を聞き出そうと必死になっていた叔父夫婦でした。

医師は、自分の既得権益を侵害しそうになったり、患者を取られそうになるかも!と危惧すると、その勉強ができる知性で、商売敵の相手を叩き伏せにきますが、息子が3歳→5歳→9歳と、確実に発達に伸びを示し、自分で生活の質を上げたので、

医学的には、私達親子は立派に結果を出したことになり、

希少難病でも経過が抜群にいい一例目として、医師に育児記録を渡してデータに取られていることもありますが、
単なる難病児の管理者としての母親だけではなく、我が子のQOLも医師業界ではありえないレベルに上げた母親として、それなりに評価してもらえました。

ぶぶ漬け市でもそういう節はありますが、私の郷里である九州では、医療者または上級公務員→食いっぱぐれがない・高級取り→地域におけるステータスが高く、あわよくば我が子もそこに送り込んで平穏無事でお金には困らない人生を送らせたい!となる母親が多い地域ですので、
(県立高校でも、教師は、優秀な理系の子の進路指導は医学歯学薬学に進ませたがり、文系4大より理系に進ませて看護師を女子高生の進路に勧めたがります)
その呪縛のような、僻地の地方的考え方から抜けて、医療技術がかなり進んでいる関西で、結婚して育児をしながら、子どもにとって何が一番幸せでいいかを考えることができることを、幸せに思いました。

社会では、結果を出してなんぼなので、頭の固い叔父夫婦でも、脱帽するほどの評価せざるを得ない結果を出した息子(母方叔父からすると大甥)に、感謝です。

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浅見淳子

うちの近所には大病院がありますが、周りにはもっと大きいビルがたくさんあります。
大病院しか大きい建物のない地方とは職業選択の意識が違うと思います。
この三年を見てなお公金チューチュー方面に進みたい若者は相当の確信犯なので、別に💉義務化してもいいと私は思っています。

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智ママ

親元や地元で、富裕層に近い立ち位置、かつステータスのある職業を我が子に選ばせるとなると、地方では会社をおこしてその業績で有名になるよりも、今ある既存の仕組みに乗っかって、その中で目立たずそこそこに生きていける手段を、保守的な親御さんはお子さんに望むようです。

そのためのワクチン接種なら、やむなし。ということで、地縁血縁の濃い地方都市や田舎で生きていく手段として、『暗黙ルールとなった事象には逆らわず、それに乗って、周りとトラブルなく、無難に生きる』のが処世術となっています。

子弟の育成もそれに則っており、地域のしきたりや『皆に習って前に倣え』に納得しないと簡単に従えない発達の子は、『発達障害は障害者だから』『周りに合わせられないはみ出もの』と、伴侶候補からは除外されて、自宅で単独に終わらされる土地すらもあります。

こういう土地では、「発達が治って、手帳を返上し、変わり者レベルに暮らしていけるくらいにまでなる」ということは発達と判明した子どもが家族を持てる可能性が増えることであり、まだ発達で生まれた子ども2人をそこそこ愛してはいる叔父夫婦には『発達を治せるかも』ということは、子どもの人生の質がかかった、一縷の望みではあるのです。

ワクチン接種をしている従弟たちの将来が親族としては気にならないわけではないですが、これは生き方の問題なので、これは親戚といえど口を出せる問題ではないこともあり、静観しています。

神奈川県や東京都のように多様な職業があり、多少変わり者でも生きていける職種につければ、社会で生きていける土地でない、地方の田舎に親兄弟と少し離れて暮らすしかないような土地での発達の治る治らないは、その子の人生だけではなく、家の評判、血統を絶やす絶やさないも左右する話になってくるので、治るニーズはとても大きいと思われます。

今後も花風社には、治すための本をどんどん出していってほしいです。

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シア

自転車のヘルメット新しいのを買おうと思って物色してます。
以前Gと言うイニシャルの会社のヘルメット買ったらしょぼかったんです。
日本の自転車大手B社のヘルメットの方がまだしっかりしてました。
G社のは2万円ほど。
B社のは密林で3500円くらいでした。
今ヘルメットが売れていてデザインやいろいろ優れたレビューのものは品切れで価格も高くなってます。
ヘルメットを買うときはサイズに合ったものであることもそうだし通気性もこだわりたいです。

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浅見淳子

シアさん

私はGの二万円くらいするのをかぶってます。
暑い時期には白い方がいいかな、と思い白です。
今後努力義務化に合わせ色々でてきそうですね。
クロスバイクが青、ロードバイクが赤なのでそれぞれマッチしたものを買おうと思います。
もう少し待ってみます。

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智ママ

N◯Kのニュースをつけっぱなしにして郷里風の超具だくさんの食べる味噌汁を食べさせていたら、アメリカで2つの銀行が破綻したと報道されて
「お母さん。アメリカには、列車でいけますか?」
「お母さん。アメリカには、飛行機でいけますか?」
「お母さん。アメリカの銀行は、なくなりますか?」

最初の2つの質問は簡単に答えられました。
しかし、最後の質問は、認知3歳レベルの9歳息子に、金融機関の信用不安と、取りつけ騒ぎのしくみと、FDAの方針を説明して、理解して納得してもらわないとならず、経済学はさっぱりの私には、あまりの難度の高さに、めちゃくちゃ涙目になりました(苦笑)

息子よ・・・一気にハードルを上げんといてくれ・・・。

いつも真面目に質問にはきちんと答えていたのが仇になった、木曜日の夜でした。

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シア

花粉症に関して思うことがあります。
今は舌下免疫療法という花粉を少量下の裏に当てて体に情報を入れるという根本療法がありますね。
しかしこれがあまり盛んでなく私の周囲でやったことがあるという人を聞きません。
また私自身も軽度の花粉症なんですけどアレルギーの薬は使ったことがありません。
それで心なしかだんだん軽症化しているのです。
確かに鼻水が出ることはありますがPM2.5とかも飛んでいるし粒子も東京は多いのでそんなにおかしくないと思ってます。
今年は一日四五回鼻をかんで住んでしまっています。
目もかゆかったんですがあまりこすらず気にしないでいたら軽症化していました。
医療が舌下免疫療法など盛んでなく治す気がないようです。
でもお薬を使っていると手放せなくなることも考えられるので私はお薬は使わないで軽症化(非常に多い時は多少チクチクする程度)に抑えています。
皆さんは医療が治さない花粉症に対して薬で対処するのが正しいと思えますか。
別段お薬を使うことが悪いと思いませんが…使っている人の話を聞くと副作用も強いしだんだん重症化しているように見受けられます。

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智ママ

シアさん

これは私の憶測ですが、身体にアレルギー症状を引き起こしやすくなる物質(増粘多糖類や乳化剤などのあまり必要がない化学的な添加物など)をマメに多量に摂っていると、花粉症などのアレルギー疾患が酷くなりやすいのではないでしょうか。

私の親族にはアトピーの男性がいますが、彼は食べ物ではなく、精神的なストレスで皮膚の状態がボロボロになるまで悪化します。
勤め人を始めて自分が社会ではなくてはならない立場になった、となると、アトピーがマシになったようです。

シアさんも、自営業になられてから勤めていた時より自由度が上がり、精神的な張りはあっても、ストレスからは離れられたために、精神的なものからくるアレルギー症状からは自由になれたかもしれませんね。

私は中度?くらいの花粉症がありますが、たまたま昨年は、息子が入院するまでに、病院内でのシェディングからもくる湿疹が痒くてたまらず、退院後に皮膚科で出された抗ヒスタミン剤を市販薬に切り替えて飲んでいたら、春先の花粉症の症状まで止められてしまったので、そのまま顎マスクで大学病院まで、息子の付添で通院しています。

ちなみに精神的に負荷がかかりすぎると、私はサバにあたって蕁麻疹が出ます。なので、アレルギーと言えど、精神とは切り離せないところもあるのだな〜、と思っている次第です。
今年は、味覚が変わってきたのか、あまりペットボトルに詰めてあるコーヒーを買って飲んでいないので(インスタントのブラックに切り替えました)花粉症が軽くて済んでいるのかもしれないです。

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シア

なるほど。

一口に花粉症といってもいろいろな要素が重なり合っているのかもしれませんね。
だから一律に治したりがむつかしいと。
そのように考えると発達障害とにたように思えます。

確かに薬で緩和できるだけまだいいのかもしれない。
それと同時にストレスや生活習慣を見直すなども有効なのかもしれないですね。

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シア

治ったとか実感はないんです。
苦手なことは苦手なままだし自分の何が変わったと言えばそういうこと無理にやらなくても生きていけると思うので敢えて嫌なことをやらなくなったことです。
自分の「気持ちいい」と言う感覚を頼りに進んできたら生きづらくなくなってました。
そして不自由を感じなくなっていったらきっと「自閉症」とか自分を定義づける必要もその言葉の意味もなくなっていくんじゃないかなと思ってます。
生きづらい生き方とか苦手なことに注目し続ける生き方を止めて「気持ちいい」を大事にしていく生き方は花風社のおかげで選択することができたんです。

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浅見淳子

シアさん

私の長所の一つは体力なのですが、もちろん年とともに衰えてきます。
だけどたとえば昔みたいに「5時まで飲んで10時から働く」みたいなことをやめれば、いまだに体力は生きるわけです。
何が必要で何が不要か、コロナ禍の三年は見極めるのによい機会だったかもしれません。
そして「気持ちいい」の羅針盤は、女性の方が毀損されがちです。

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シア

浅見社長

何かのきっかけでできるようになることが増えるんです。 でもそのきっかけをつかむには準備が整っていることが大事でその準備が身体が整っているということなのかなと思います。 体が整うと次に自分が何を欲しているかとかそういう欲求と言うか意欲が出てきますよね。 知識や情報がいくらあってもまず身体が整っていないといけなくてその必須のところを無視していると不可能なんです。 土台と言ったりいろいろな表現があると思いますが身体アプローチは基礎となってくれるんだと思います。

社会的な情勢や環境で毀損されたりすることもあってそれからどう逃げ出すかも大事ですね。 医療や福祉とかのてんこ盛りもそうなんでしょうね。

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coco

cocoと申します。
以前gooブログにコメントしていましたが、名前も改め、投稿いたします。
さて、浅見社長が、生涯に渡る支援云々ということについて、いろいろ書いていらっしゃいます。 
私がたまたま見つけた、ある人のブログの内容がまさに支援の実態だったのですが、読んで感じたことを書いてみます。
一番強く感じたのは、何をするにもいちいち支援側にお伺いをたてるのは面倒くさくないのか、ということです。
ブログ主は、就労Aに通いながら3〜4ヶ月ごとに入院(本人は計画入院と称している)をしていて、ブログを読むと面談やケア会議はかなりの頻度で
出てきます。一ヶ月のスケジュールは、支援側の承認を得ないといけないらしいです。
施設住みならともかく、実家住まいで行動の自由はあるのに、自分で考えて実行し成功失敗することをしない。
支援側にお墨付きを貰えれば、うまくいかなくても支援側の責任にしてしまえる、という姿勢なのでしょうか。
このブログはアメブロにあり、
高機能ブログで検索すると出てきます。

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浅見淳子

cocoさん ようこそ

そうなのです。福祉につかまったら最後、とにかく自由を制限されますね。特異的な現象だと思っていたのですが、この三年間医療の振舞を見ていると、彼らとしては自然なやり方なのかもしれません。近寄らないにこしたことはありません。
今私が抱えている案件で先日個別支援会議があったのですが、私はものすごい強硬な書面を出して出席しませんでした。出席は愛甲さんがしてくださいました。のでこちらの思うとおりに進みました。
役割分担です。
ともかく私のような自由を希求する人間と福祉は徹底的に相性が悪いですわ。

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yasu

ここら辺、入院と似てますね。

最近は、入院も寝巻や肌着やアメニティを自宅から持参するのではなく、毎日提供する業者と契約したりします。お金の持参は基本的にNGで、持って行ったとしても病院預かりになったりしますね。携帯電話やスマホは自由に使えるらしいですが。コロナ禍で基本的に入院患者への面会はNGなので、欲しいものを本人から直接聞いて差し入れするのもできませんし(受付を通せば可能でしょうけど)。

入院は、期間はともかく病気や怪我を治す(基本的には期間限定の束縛)ところですけど、まあ病院によっては福祉とほぼ同様のところもあったりしますね。

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浅見淳子

yasuさん

なるほど! お仕着せパジャマにはそういう意味がありましたか。まあ、父が入院したときは助かりましたが。死ぬ数日前まで100キロ越えだった(直前に二桁に)の父のサイズまで用意されていてきめが細かいなと思いました。ともかく今はマスクの巣窟に近づきたくないので、🚴は安全運転で。母が病気をしないのが何よりですし、マスクをしなくていいだけでも代替療法に軍配があがりますわ。

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coco

浅見社長、レスありがとうございます。
私自身、一時期就労Bにおりました。
余談ですが、そこのトップはSSTの普及に尽力している人です。
福祉から離れなければ、花風社に出会うこともなかったと思います。
今後もよろしくお願いいたします。

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浅見淳子

cocoさん

ブルーさんのように最初から福祉系を避けるのも有効ですが、いったん福祉系に入ってしまってそこから抜け出す人はパワーがすごいと思います。『30歳からの社会人デビュー』を読めばわかりますが、いったん福祉系全否定しないと無理なくらいです。それと大久保さんが見抜いているとおり、SSTはギョーカイが知的障害のない人に商圏を拡張したときのアリバイ支援みたいなもんで、ほぼ実社会で役に立ちませんね。ともかく福祉からの卒業はとても貴重なので、また機会があったら経緯など教えてください。

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智ママ

春らしい陽気な日が続くようになり、息子は淀の河津桜を見るのを楽しみに、毎日小学校に通っています。
外出をエサにして毎日国語のドリルを4ページ、算数のドリルを2ページさせていますが、だんだん国語では動詞を「〇〇る」とか「〇〇く」など、法則性を見出して、新語の日本語を作り出すくらい、頭を働かせて、空白の文字を推測して書き出す様子が見られるようになってきました。
算数では、数直線を使うと+2の足し算ができるようになったまま、頭を使って+1をして、「+1と+1で、+2になるよ。」というやり方でできる解法を使って、延々と時間はかかりますが、確実にできる解法を教えて、それを使って、一問一問解いていく様子が見られるようになりました。

少しでも効率よくドリルを済ませたい。という気持ちが生み出した新日本語の動詞作成と、+2の計算ですが、認知力が3歳(理解力が3歳レベル)でも、小学校の1学期は間に合うようなレベルを、小3でしています。

多発奇形でひらがなやカタカナが書けて、計算が+2でもできるようになった子は息子一人しかいないので(他の子は線引きで躓いて、その先は数の概念がなかなか頭に入っていかないので、足し算以前のレベルで引っかかってしまうので、親基担任の教師などの、教育する人が、さじを投げてしまう)、新規の道を息子と一緒に切り開いています。

行けるところまでは、行こうと思っています。

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浅見淳子

智ママさん

造語は高度な遊びです。法則性がわかっていないといけないので。私も造語をよくしますが、法則を踏まえているので通じやすく他の人も使うようになります。言葉の面白さに目覚めた智くんがますます楽しみですね。

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智ママ

浅見社長
お返事ありがとうございます。
寝る前に「スリスリ・・」と言いながら頬ずりして「グチャ」と言いながら頬か額でほっぺをぐっと押す、たわいない、名もない遊びをしていて、
「もう飽きたから、止める」と宣言すると息子が「秋田県ですか?」と「飽きたけん、止める」という九州弁と「秋田県」をかけて尋ね直したので「多発奇形が言葉遊びを始めたぞ!」と驚きました。

造語といい、もともと言語感覚は認知力より優れているのですが、更にそれに磨きがかかったような気がします。

ご指摘、ありがとうございました。

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うさこ

シアさん、初めまして。

私が以前知的の支援学校に勤務していた時は、趣味を持っていたり、好きなことがあり余暇を1人で過ごせるお子さんが少なかったように思います。

高等支援学校に異動になり感じたことは、みんな趣味や好きなことがあり、1人で過ごすことはもちろん、同じ趣味を持つ同士で集まり楽しんでいて職員が過ごし方のお膳立てをする必要がないなということでした。

「好きなことがある」か、自分の「好き」がわかるかどうかというのは、生活の質を左右する大きなことだなと感じています。

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うさこ

昨日の3月3日、午前中は勤務している高等支援学校の卒業式、午後は我が娘の卒業式(通信制高校)でした。
勤務校では、寄宿舎で3年間一緒の棟で過ごした男子高校生6名を送り出しました。元気あふれる個性豊かな子ども達で、入学した時は毎日トラブルが絶えませんでした。この子達、本当に就職できるのかな…と不安に感じたこともありましたが、3年間で大きく成長しみんな就職が決まりました。自動車学校に通ったり、10年間絵画教室で描きためた絵の作品展を開いたり、youtubeに投稿するよ!と動画撮影をしたり…みんな生き生きと「今」を楽しんでいます。親元を離れ寄宿舎で生活した3年間は不自由なことが多くあったと思いますが、人と関わる中で得た経験は今後の社会生活に生きていくのだろうなと思います。
卒業生を見送った後、我が子の卒業式会場に急ぎました。入学した高校とは別の高校の卒業式でした。入学した高校でいじめに合い、高3の春に通信制高校に転校しました。無事に卒業し大学に進学できるのか不安だらけの毎日でしたが、愛甲さんの講座で教えていただいたことを実践し娘を信じて見守った結果、高校を卒業し第一希望の大学に合格することができました。
卒業式の会場には、自閉症と思われる生徒さんがいらっしゃいました。初めは保護者席のお母様の隣に座っていましたが、式が始まる時間には自分の席に移動し立派に卒業証書を受け取っていました。その後は、またお母様の隣に戻り、式が終わる前に会場を後にしていました。様子から、支援学校への進学を進められただろうなと思うお子さんでしたが、通信制高校に入ったことで「高卒」という肩書きを得ることができたことは、支援学校卒とは大違いです。ご本人と保護者の方の頑張りに心の中で拍手を送り、これから社会の中で自分らしく生きて行けるようにと願いました。ほっこりとした気持ちになることができた一日でした。

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ブルー

うさこ 様

こんにちは、ブルーと申します。

>高校を卒業し第一希望の大学に合格することができました。

⇒高校卒業、そして第一志望合格おめでとうございます。
娘さんの明るい未来を確信するところです。
同時に娘さんとうさこ様のこれまでのご努力に敬意を表します。

娘さんの大学時代は、
おそらく、そしてようやく(日本では遅すぎた)
アフターコロナ時代になると予想します。

娘さんにとって楽しい大学時代になることを願っております。

返信する
うさこ

ブルーさん、お祝いありがとうございます。
いつも、連載を楽しみにしています。(ブルーさんのアンチ考察は、私の中にストンと落ちてそうだったんだ!ととてもスッキリしました。)

娘の一大事に、花風社さんやどっとこむの皆さんの投稿を見てどんなに力をもらったか、本当に感謝しています。

高校3年間は、まさにコロナ時代で制限だらけでしたが、これからの大学生活はやりたいことが自由にできるようにと願っています。

ありがとうございました。

返信する
シア

個人的に思ったのは高等支援学校で映像制作っていい「今」を過ごした方がいるものですねぇ。

作業所に通っていた時「映画監督をしたい」と言っていた方が目に浮かびます。 でも彼は何をしたらいいのかわからないと言ってました。 そういう人が減るといいと思います。 そのために支援学校で取り組みがあるのかなと思いました。

自分で考えて動ける人は退屈せずに過ごせることでしょう。 と申しますのは世の中では「余暇支援」などという悲しいサービスがあるくらいですから…そのお世話にならないのがいいです。

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まろん

うさこさん
お嬢さまの卒業・合格おめでとうございます。いろいろあって、でも今は大きな喜びを得られたことと思います。
お勤め先の学校も素敵なところですね。生徒さんたちが生き生きしてる様子が目に浮かびます。みなさん就職されてどんどん活躍されるのでしょうね。
うちの子が中学卒業するのが7年後。担任からは「高校でも支援学校でも、学校祭とか見に行って今からイメージしておくとよいですよ」と助言を受けました。どんな道を行くのでも、たくましくのびのびとがんばってほしいと思っています。

返信する
さくら咲く

うさこさん
高校ご卒業と第一希望の大学合格、おめでとうございます。
どこかで躓いても、やりやり直しはききますもんね。
娘さんの大学生活が楽しく輝かしいものでありますことを祈念しております。

返信する
智ママ

これは口唇口蓋裂のあるお子さんの発達に関してのみ有用な情報かもしれませんので、ここに記載します。

息子の耳鼻科でのファイバースコープを入れての喉の動きが発音でどうなるか?という検査結果がSTぶんだけ、出ました。

息子にはもともとアデノイド肥大があり、大きさが健常児の2.5倍なので、3倍から手術で切除対象となることもあって、市井の耳鼻科で「手術するなら、京大病院か京都府立医大に手術の紹介状を書きますよ?」と声をかけられていたのを、わざわざ痛い思いをさせんでも。と、保留にしていたのですが、

なんと、その手術対象寸前の肥大アデノイドが、喉の奥の腔内を1/3くらいは塞いでいるので、遺伝子発現を司る遺伝子が、遺伝子異常でうまく働かないため、動かす神経が半分しか伸びてきていないという、息子の特殊な喉でも、うまく塞がるので、発音が以前よりキレイになっていることがわかりました。

え?手術対象になっていたアデノイド肥大まで使って、うちの子は良くなろうとしてたってこと?

と、事の次第に唖然として声が出ない私でしたが、STは
「いや、せっかくコレ(肥大したアデノイド)のおかげで発音がキレイになってるんやし、コレはそのままでいきましょ!大きくなるとアデノイドは小さくなりますけど、その頃にまた筋肉が動くようになっているかもしれへんし」
と、何ともざっくばらんな回答でした。
(形成外科もとい外科系は、状態が良くなったらそれでいいので、結果オーライで何でもありの発想をする方が、とても多いです)

「・・・うちの子、なんて身体してるのよ。アデノイドまで活用して発音を良くしてしまうなんて!」
とその場で呆れてしまいましたが、STによると、こういう事例は、口唇口蓋裂+発達のあるお子さんが、言語訓練の結果を見るために耳鼻科の検査を受けると、極稀に見つかる事例なんだそうです。(5年で1例みるかどうかだそうです。)

またまた、怪我の功名ならぬ肥大アデノイドの功名で、小4での最終手術を回避してしまった、ある意味、奇跡の子である、息子の報告でした。

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智パパ

二・二六事件にちなんで
当時撒かれていたビラの
パロディ作成テンプレを
偶然見つけましたので
衝動で作ってみました

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たにし

息子が4月からお世話になる中学校の先生に「発達障害、治った自慢大会!」をお渡ししてきました。

目を通していただけたら、息子のキャラクターや我が家の考え方をおわかりいただけると思って。
あれこれ息子や我が家のことを説明するより手っ取り早いし(笑)

改めて、本に関わらせていただいたことに感謝です。

さて、先生にお会いした際、本を差し出して、

たにし「こんな本がありまして。。。」

先生「あっ!読んだことありますよ。」

たにし「えっ!!」

先生「はい、ネットで知りまして。」

たにし「実は第3部に登場する高松市の家族って、我が家なんですよ。」

先生「えっ!!!!!!」

先生は、身体アプローチのことを知ってから、あきらめてなるもんかとの思いで、子ども達と接していらっしゃるとのこと。

改めて本を熟読されるそうです。

良い出会いとなりました。

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浅見淳子

被差別感覚

私はノー枠公言していますが、それによって差別されたと思ったことはないです。

あえていえば海外から帰ってくるときPCR検査しなきゃいけないことくらいですが、それもそのうち撤廃されるでしょうし、三年間行く用事もありませんでした。

20代後半から毎年どこか行っていましたが、それが途切れても国内旅行はそれはそれでどこ行ってもおさかなと温泉があって面白いし、ふと考えると老後は貧しくなるので、海外旅行の習慣が途切れても困りませんね。

でも先日、差別されていたことに気づきました。

きっかけは『はだしのゲン』を読んだことです。

被爆直後の広島で、朝鮮人の被爆者の人が医者に無視され、「朝鮮人はみない」と言われているのを見て、そういえば「ノー枠は罹っても病院にくるな」と医クラがわめいていたのを思い出しました。

そうかあれが差別だったのか、と思いました。
どっちみち風邪くらいで行かないし、そもそも罹らなかったので用はなかったのですが、「朝鮮人はみない」が差別なら「ノー枠はみない」も差別でしょう。第一国民皆保険制度のもとた~くさん前払いしているのにみないというのですから。

立派に差別されていたんだな、と思いました。

それはそうと、私は今後、ワクチンに関しては態度を鮮明にすべきだと思います。

隠す必要は感じませんが
隠す人多いですよね。

でも打った人・打たなかった人がそれぞれどうなったか学ばなきゃいけないジャパン、なので
隠す必要もないと思うのです。

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