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ブルー

<ハッタツ有事は起きるのか 第10回>
~トンデモガー(2)~

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-75/#comment-11466

(解説者の自分語りは続いた)

私が当初「トンデモガー」に対して特徴的に感じたことはもう一つありました。

それは彼らが個別のメソッド名を含めた固有名詞に強く反応することでした。例えば恐怖麻痺反射、金魚体操。例えば頭蓋仙骨療法。あるいは発達のヌケもそうでした。あるいはエビオスやウコンも同様です。

中にはこういうものをリスト化している人までいました。一部の方には懐かしの「見たら逃げるリスト」です。それは医療以外の方法論やメソッドのリストです。つまりその人にとって民間の市場というのは、逃げるべき魑魅魍魎が数多く飛び交うキョーフの空間なわけです。

もちろん、その人は私からも逃げなくてはいけません。私は「見たら逃げるリスト」に経験済みのものも多いからです。実際にその人は、私の治った自慢の連載(=周産期の損傷の治療)に関して、遠くで非難していました。あの連載には見たら逃げるリストにある物事が2つも入っています。

さらに、私がお世話になった徒手の先生からも全速力で逃げなくてはなりません。「見たら逃げるリスト」の50倍はボリュームのある「学んだリスト」を体得しています。彼らからすると先生はトンデモ大魔王です。「学んだリスト」は先生の治療院のHPを参照すると見ることができます。腕がいい徒手の先生は往々にしてそういう感じです。

いずれにせよ、彼らはそういう固有名詞をガイドラインにしないと物事を認識できない様子で、それが私の目には奇異に映りました。そして彼らの認知の特徴について考えさせられました。

■機序の理解

対して、浅見さんは「花風社の読者の強みは機序から考えること」と述べていたことがあります。

(解説者は、足元からフリップを取り出して机上に置いた)

———————————————————————
<対立図式>

・トンデモと批判する
 ⇒方法論・固有名詞にフォーカスする
 ⇒行動と成果はなし

・機序を考えて成果を出す
 ⇒機序にフォーカスする
  ⇒方法論は問わない。場合に応じて方法論はなくても良い
⇒試行錯誤を経て成果を出す

———————————————————————

トンデモガーの人々と、花風社の読者等、発達障害をなんとかしてきた人達はこのような対立図式になっています。

私がトンデモガーの人々を観ていて、あるいはアマゾンのアンチコメントを読んでいて違和感を抱くのは、彼らは例え花風社の本や生物学的治療法の本を読んでも、機序が理解できないことです。

でも外野の人はちゃんと分かるのですが。

機序の「機」というのは仕組みのこと、「序」は文字通り物事の順序のことです。つまり花風社の本や生物学的治療法で言えば、人体の仕組みと発生/発達の順序のことです。

花風社の本や生物学的治療法の本は、ノウハウはそれほど書かれていません。あるいは書かれていたとしても本質ではありません。

花風社本の本質は機序にあります。それは決して難しくありません。しかし彼らは読み取れません。特に彼らは末梢神経系の物事、例えば運動発達と認知の関係などがいつまで経っても分かりません。これらは一般的な知識であるにも関わらず。

しかし固有名詞、例えば「恐怖麻痺反射」などは文字として表層に浮いています。彼らはそれに強く反応します。またアマゾンのアンチコメントを読んでみても、人体のことに関しては、「なんか根拠がないことがいろいろ書いてある」などと言い出します。

彼らは人体の仕組みとヒトの標準的発達に疎いのが特徴です。しかしそれらも花風社の本や、生物学的治療法の本にちゃんと書いてあります。さらに資格職なら、試験にも出ていたはずです。

特にトンデモガーといっている成人当事者に限定すると、ヒトの標準的発達に疎いです。障害にばかり詳しくて発達に疎いです。成人当事者あるあるです。

つまり彼らは総じて物事における仕組みの理解を不得手としています。さらに言うと人体の仕組みだけではなく、社会の仕組みの把握にも弱い印象があります。

他方、なんとかしたい系の人達なら、機序を元にして試行錯誤しながら取り組んでいくと、当事者の身体や神経系が発達しながら成果を出してくれます。この放送をご覧になっている方の経験則の通りです。

機序の知見を支える知識は一般的なものです。具体的には解剖学と生理学と、それからヒトの標準的発達の知識、とりわけ運動発達と認知の関係と、それから発生学です。さらに加えるなら人類学と進化論です。

これらをベースにして、適宜、彼らがいうトンデモ、つまり標準医療以外の各種方法論を取捨選択します。それはエビデンスのあるものも同様です。機序が分かれば方法論はなんとでもなります。

さらに彼らがいうトンデモにも機序があります。成果を取るにあたってはエビデンスの有無以前に機序を考えることが本質です。この放送をご覧になっている皆様の御経験の通りです。

つまり私は、トンデモガーの人々と実際になんとかしてきた人達の間で、同じ本を読んでもフォーカスするポイントが違う事をずっと感じてきたのです。

(つづく)

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浅見淳子

ブルーさん

管理人メッセージの方にも書きましたが、びっくりです。
彼らが単語に飛びつくのは、知っていましたが
あれは彼らなりの「トンデモを見抜く」必死の方法だったのですね。
機序がそれほどわからなければ
認知戦に弱いのも当然です。
それにしても不思議なのは
彼らは一応資格試験を通り、その中には解剖学等もあったでしょうし、実際に生身の人間を毎日みているわけです。
っていうかそれほど機序がわからない人にやはり人は治せないと思います。そして治さなくても金が稼げるシステムにしているのが国民皆保険なんですが。

機序がわかればブルーさんのように「どんな方法論でも結果が出せる」ことになります。
また、ある体系を持った教祖みたいな人(灰谷さんとか松島さんとか)と会ったときに、個人としては、自分としては、どこをどう取り入れたらいいかがわかります。
藤川理論とかもそうです。私はあれにおおいに助けられました。
ただし機序がわかると「自分の引き際」もわかるから、副作用も抑えられます。

機序がわかると、療育整体みたいなのと出会ったときに「そりゃ効くわ」とわかります。
そして田中先生は機序を知っているから「花風社正しい」となるわけです。
機序を意識しないのは、社会生活を送る上でも不便だろうな~と思いました。
アンチは認知的弱者だったかもしれません。

返信する
yasu

機序の理解の部分において、私はブルーさんが挙げられているような分野の知識はさほど差が無いように思います。教科書的な知識が詰まっているだけで応用が利かないじゃないかというのはあるかもしれませんけど、それは他の大部分の人たちでも大差無いでしょう。

むしろ、確率統計に対しての「感覚」と、物事を定量的に把握してそれを活かす部分に問題があるように思います。最近は反サロが流行ですが、Xで「貧困に苦しんでいるかわいそうなお年寄りもいる」みたいな発言を見かけました。針が一気に反対側に振れ、お年寄りは金持ちが極貧のゼロイチ思考で物事を考えて行動に移してしまうのが問題なのかなと。

確率統計の感覚は大多数の人にとってわかりにくく、それは宝くじや株式投資の世界を見ていてもよくわかります。身近なところで年賀はがきのお年玉くじの当選確率を見て、自分自身の実態と比べてみるだけでもずいぶん違うだろうと思うのですが、自分の身の回りにある色々な事象を関連付けて取り込むところにも課題があるのかもしれません。

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coco

こんにちは。
4年ぶりに眼科受診をした話です。
予約の電話を入れた時、「不織布のマスクをして下さい」とのことで、入口をくぐる前に一応装着。
受付前にアルコール消毒し、受付→待合のイスに座ろうとしたら「アルコール消毒お願いします」と言われ、先にしましたと返答。
視力検査で名前を呼ばれて入室すると、担当者はフェイスシールドにマスクを付けていました。
(フェイスシールドなんてスゴい久しぶりに見た)
その後視野検査でしたが、「機械を触るので手を洗って下さい」と言われ、手洗い所に行き、看護助手がそばに立っている状態で手洗い。
(なんか監視されているようで怖かった)
そして、やっと先生の診察…と思ったら、診察室入る前に検温。
(一年前に歯科にかかった時、検温はなかった)
このあと、眼底検査のため点眼し、待合室で30分待機。少し喉乾いたけど、水分補給は待合室では出来なさそうな空気が漂っているし、トイレは使用中止の張り紙してあるし…
結局、水は飲まずに診察を終え、眼科を後にしました。
来院前にグーグルの口コミを見た時、「ここの先生、コロナに神経質すぎやしないか」というのがあり、本当かなあと思っていましたが、なんかその通りでした…

返信する
浅見淳子

cocoさん

現場レポありがとうございます。
彼らはコスプレすると加算が出るみたいですね。
でもその加算も減っているようですが
ガチで怖いのかもしれません。
おそらく医療従事者は一生コスプレ勤務ですね。
これも「ざまあみろ」ですわ。

返信する
coco

補足です。
この眼科の先生、夫婦で眼科医をしています。 
夫は別の場所でクリニックを開業していますが、
そちらは不織布マスクを着用しない方は診察お断りだそうです。(ホームページに書いてありました)
近隣の眼科で、感染症対策をホームページに書いている所はありますが、マスクなしは診察お断りとまで書いている所は見かけません。

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ブルー

<ハッタツ有事は起こるのか 第9回>
~トンデモガー(1)~

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-75/#comment-11356

(解説者はコントロール・パネルに再び向かった)

書籍の発売が近づくにつれて、例の人々がまた新刊書を話題にしています。人によってはまたもやそれと知らずに拡販をしています。ただ、これも海の彼方の出来事です。こちらに来るか否かが分かりません。

それと、ほとんどはいつもの人々で、かつ推測では40代後半から50代の人々です。デジタルネイティブ世代ではありません。そういう意味では若い世代に比べて不要な情報のリリースが上手くないとも言えます。不要な情報をリリースすればなんでもいいかというと、必ずしもそう言えないとは思うのですが。

また外洋では社会運動である「反サロ啓蒙群」が発生しています。実はこちらの方がハッタツ有事よりもはるかに大きく、重要な出来事です。かつ、反サロ運動を推進している人々のレベルが高く、その点でもハッタツ有事は些末な出来事です。

ただ、反サロ啓蒙群にせよ、花風社にせよ、社会保障で賄われている物事、特に医療系と福祉系に対して、それに「過剰な部分が含まれていないか」という疑義を呈する点で共通性があります。

■トンデモガー

さて。

(解説者が画面に向き直る)

この「ハッタツ・ワールドポリティクス」で予定していた内容は、ここまでで終了なのですが、最後に、私の個人的感想を述べたいと思います。

それが「トンデモガー」に関してです。

(画面にテロップが出る)

皆様ご存知の通り、国境の海の彼方で、「トンデモトンデモ」と言っている人々に関して、またその思考回路に関しての話です。

これは往々にして、その根元に「発達障害者に対する治療的介入は人権侵害である」という価値観を有しています。

ただし、これは日本固有の現象かも知れません。欧米の研究者はむしろ積極的に治療的介入を研究する人がいるからです。私も、発達障害の生物学的治療法を扱った本を購入したことがあります。実際、アマゾンにそういうタイトルの本もまだあるはずです。

もちろん欧米でも、「自閉症は治すべからず」系の言説を発表する人はいるのですが。

■個人的に感じること

私は以前からお伝えしてきたように、積極的に自己の状態を変えてきました。困りごとを治し、自分の未発達部分を成人になってからも発達させてきました。

そういう経験で改めて外洋を見たときに、花風社や、あるいは欧米系の生物学的治療法など、当事者の状態そのものを良くしようとする実践や研究に対して「トンデモガー」といって非難する人々に違和感を持ちました。

最初に彼ら「トンデモガ―」を見たときに感じたのは「エビデンスがないと結果が出せないのかしら」ということでした。しかし、そもそも彼らは自らの身体に対して何もしないので、結果も何もありません。

■何でも結果を出してしまう

これと関連して、私は同じように試行錯誤を続けてきた成人当事者の人に、某・悪名高い自然療法に関して質問をされたことがあります。

その際に、その方は花風社のスターターでしたから、慎重を期して「作用機序の説明がトンデモかつ非科学です」「その療法が効いたのか否かは分かりません」としておきました。だいぶ歯止めをかけたつもりです。

あの自然療法は私が体験した限り、有効性を引き出すのにいくつか条件があります。だからスターターの方に極めて慎重な表現をしたのです。

しかし私の本音は別のところにあって、

「私はトンデモであろうとなかろうと、どんな方法論でも結果を出せる」

というのが正直なところです。

悪名高い自然療法のように、二重盲検で否定されているエビデンスが出ているものであろうが・・・まあ実際には効果があるとするエビデンスとないとするエビデンスが両方出ているみたいですが、そういうものでも劇的に自分に効かせ、成果を取ってきました。

あるいは私が成人当事者のアシストツールとして推奨している徒手療法にせよ、某「代替医療のトリック」で効果は限定的であるとされています。そういうものでも使いこなして結果を出し、困りごとを消してきました。つまり自分を治し、発達させてきたのです。

そういう経緯から、私は手帳を返納する少し前あたりで確信を得たことがあります。それは「治った自慢」の部屋にも書いた「立体感の回復」を経過した頃でした。

それは先ほども述べたように

「自分はもう、どんな方法論でも結果を取ることができる」
「どんな方法論でも自分に効かせることができる」
「そういう身体を造ってきた」

でした。

この経緯は、この放送をご覧になっている方にはいろいろと伝えてきました。もちろんこの放送をご覧になっている方も皆さん出来ていることです。

■エビデンスがあるはずなのに・・・

逆に、エビデンスのある方法論を採用しても、どうかなと思った事例もあります。

それは障害児の親です。かつ大昔のことですから死体蹴りになるので深入りはしません。その親は、エビデンスがあるとされるABAを使って当事者の子に接していながら・・・。

(解説者がうつむく)はい、もうやめましょう。

一つ印象的だったのは、浅見さんのブログのコメント欄に支援者の人からこんなコメントがあったことです。

いわく、

「私は(中略)アメリカでABAを学び、その知識と技術を生かすために公教育から離れた環境で今も自閉症の子供たちと毎日を送っております。私が勤務するセンターは売りがABAです」

とのことでした。本場で学ばれたのですね。そして

「親御さんがABAを知って訪ねてくる動機づけに、あのブログの存在が大きく影響しています」

とのことでした。あのブログというのは、その当事者の親が当時書いていたブログでした。私は当時を知らないのですが、一定の影響力があったらしいのです、

「しかし根本的に基本から解釈が大きく違っているので、参考にはならないことをお話しさせていただいています。あの方を「先生」と呼ぶ方までいます。そういう方たちには、彼のもとで学べばいい。彼の所に子供を託せばいいとはっきり言います。彼がしている事は親の領域を逸脱し、素人の解釈で言葉を羅列しているにすぎないのです(以下略)」

というコメントがあったことです。その親のABA解釈は、専門家からいわせると賛同できないものだったらしいのです。

■結果の本質は何か

当事者として身を持って思うのですが、エビデンスがあるかないか、あるいはトンデモか否かということは、結果における本質ではありません。

この放送をご覧になっている皆様も、重々ご承知のことと思います。皆様は結果を出されてきた方々ですから、もはや言うまでもないとは思うのですが。

それとこちらに、あるお母様のブログのURLを出しておきます。

(画面の下部に表示が出た)

————————————————————————————–
どこまで伸びるかやってみよう!元・必死すぎる療育ママの日記
ABA vs 花風社
https://ameblo.jp/pipi-happy-526/entry-12710861684.html
————————————————————————————–

後でお読み頂ければと思いますが、一般的な人はこのような感覚ではないでしょうか。

アンチ考察でも述べましたが、トンデモガーの人々は、結果の差を凄く嫌います。では、結果を出すものは何か。これも視聴者の方々はすでに体得されていることなのですが、一応私の立場からもう一度確認をします。

(つづく)

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yasu

ABAに関しては、「エビデンスがあるなし」よりも、「エビデンスが証明された方法で実施されていない」ことが意外と知られていないのが問題ですね。ABAのエキスパートが週40時間やって効果があるというのは、毎日豚肉を5キロ食べればビタミンBが十分摂れますというのと同じで、実行可能性に問題があります。

エビデンスを売り?にするのは結構なんですけど(実際にデータが出ているわけですし)、「とても素晴らしい新築物件が格安」とアピールする一方で、物件は網走駅から徒歩1時間というのは話さないのと同じレベルです。

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ブルー

yasuさん

早速ありがとうございます。

エビデンスのプロの方から言わせるとそうなのですね。

この内容は、「ハッタツ・ワールドポリティクス」において、いわばボーナスコンテンツです。そして扱う内容は方法論の理解と実施に関することです。クラスタ各位は皆さん出来ておられることです。ところがトンデモガ―の人々は・・・。

連載はあと2回くらいかなと思っています。

よろしくお願い致します。

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浅見淳子

ブルーさん

またまた面白い記事をありがとうございます。

時間差で管理人メッセージでもコメントつけてブルーさんの記事をご紹介するつもりではありますが、とりあえずここに反応しました。

=====
私は以前からお伝えしてきたように、積極的に自己の状態を変えてきました。困りごとを治し、自分の未発達部分を成人になってからも発達させてきました。

そういう経験で改めて外洋を見たときに、花風社や、あるいは欧米系の生物学的治療法など、当事者の状態そのものを良くしようとする実践や研究に対して「トンデモガー」といって非難する人々に違和感を持ちました。

最初に彼ら「トンデモガ―」を見たときに感じたのは「エビデンスがないと結果が出せないのかしら」ということでした。しかし、そもそも彼らは自らの身体に対して何もしないので、結果も何もありません。

~~~中略~~~

しかし私の本音は別のところにあって、

「私はトンデモであろうとなかろうと、どんな方法論でも結果を出せる」

というのが正直なところです。

=====

ここまでいくと人間強いですよね
身体が冷えてもラーメン一杯で風邪を引かないのは、土台ができているから。
土台ができている発達の人はここまで来るんだと思いました。

そしてブルーさんがそこまでになった契機は「立体感」。
私の場合は「浅見処方」。

ABAの海老については、コロナ禍及び田中先生との本づくりを通し、そのまやかしに気づきました。
それは一回gooblogに書くつもりです。

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ブルー

浅見さん

>ここまでいくと人間強いですよね
>身体が冷えてもラーメン一杯で風邪を引かないのは、土台ができているから。
>土台ができている発達の人はここまで来るんだと思いました。

そうですね、つくづく思いますが、論文以前に人間の側が問題です。
そして、私はもっともっと土台を拡充できると思っています。
ここまで来ると生涯発達の領域ですね。

今後ともよろしくお願い致します。

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シア

こんにちは。

子供のころ、トラックの運転手さんになりたかったのでした。 しかし、私自身がてんかんの持病があったことから、トラック運転士にはなれませんでした。 社長は、天職はcallingだと仰います。 そういう意味で、私もトラックの運転に関しては「及びじゃなかった」のでした。

大人になるに従い、自分にできるか・できないかで仕事を選ぶようになり、できそうなことのうち、やりたいことを選択してきたと思います。 その仕事をやって、自分に勝機があるかというのも、大事な決定ポイントです。 そのように考えると、行動している時点で、「できるかできないかを判断し、やりたいかやりたくないかも基準に盛り込んでいる」ことがわかりますね。 

行動している時点で、そのような要件を自分なりに見積もっているでしょうから、行動している人の夢や希望は(想像より)叶いやすいと言えると思います。 頭の中でイメージする段階を経て、行動している人はかなり実現に近くなっているわけです。 勝ち目があると踏んで、そういう「仮説」を自分の中で立てているから、次は実践であり、トライ&エラーです。

エビデンスがあるとかないとか言いますが、科学もまずは仮説を立てて、それの真偽を検討すると思います。 エビデンスがあるとかないとかも「仮説」を経ているので、仕事もある意味「自分にもできるだろう。」という仮説を立てて、行動すると言うのはプレ・エビデンスであり、科学的に正しいステップでしょう。

「なんとかなるだろう。」と思うのがなんとかなってしまうのは、運だけではなくそれが「何とかなるだろ」と勝機を見込んで目論んで仮説を立てているからです。
経験のある人の「なんとかなるだろう。」はどんどん実現していきますが、そういうところに根拠があると思いますね。 

大人になって気づきますが、そもそも人間は腰が重いものであり…勝機のないと見込んだことはだいたいにおいて行動しません。 行動しているだけで、本人は本気でできるのではないかとまずは仮説を立てているのであり、それを修正していっています。 努力すればすべて叶うという訳ではないですが、そもそも運次第なはずがなく、行動している人を応援し、自分も見習っていこうと考えています。

返信する
佑樹あかり

道徳の子 – 沙ともゆき / 【コミックDAYS読み切り】道徳の子 | コミックDAYS #コミックDAYSで読む↓
[ https://comic-days.com/episode/14079602755391426495 ]

Xやっていたら、親の意向でヤングケアラーと化したきょうだい児の現実を描いた漫画の短編作品が流れてきました。

花風社のクラスタはこの漫画読んでどう思うか知りたいです。あるあるかもしれないけど出てくる親のきょうだい児への依存ぶりが嫌だなと感じました。

返信する
シア

読みました。
島田律子さんの『私はもう逃げない~自閉症の弟から教えられたこと』と言う本もお勧めです。

私にも三歳年上の兄がおりまして、小さいころからなんやかやありました。 当事者の視点から「きょうだい児」を見て思うのは、確かに兄は私を疎ましく思っていただろうと言うことです。
それと同時に、今の私を形作ったのは、親以上に兄の影響があると思うんですね。 きょうだい児と呼ばれる人は、紹介していただいた『道徳の子』にもあるように、正義感は強くなるようです。

そして、「自分は障害のある弟を守らなければならない。」と言う義務感と「どんな分野でも自分は弟には負けようはずがない。」とも思っていたそうです。 ヤングケアラーと言うのは、いわば「保護者」でもありますし、『道徳の子』の妹さんも弱く無力で守っていかなければならない存在に描かれていますよね。

ただ、成長して大人になる過程で、島田律子さんの本にも書かれていますが、きょうだいで様々な経験をしていきます。 そうしてお互い認め合うような部分も出てくるのです。 そして「きょうだい児の認める障害のある同胞の取り柄や特技やいいところ」は世間でも通用する水準である可能性が非常に高いのですね。 なぜなら、「弟(妹)は守っていかなければならない弱い存在」に見えていたのに、「このジャンルでは自分より光るものがある。」と認識するときはそれはとりわけのものだからです。

一般に親の欲目とか親バカと言われるような視点と違って、よきライバルでもある兄弟姉妹においては、同胞の優れた部分と言うのは冷静に見られますから、弱い弟・妹から「教えられる」ことがあるとしたら、それは本当に本物なのです。 『道徳の子』ではラストシーンが象徴的ですが、主人公が受け入れた宝物のようなものがここに象徴されていると思います。

実際、我慢したり苦労したりしているきょうだい児たちに比べて、級友の俗物ぶりは非常に目立って見えませんか。 

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智ママ

祐樹あかりさん

たまたまXに流れてきたので目を通してみましたが、息子の母親として、きょうだい児に依存して平気な障害児の母親にものすごく腹が立ちました。

まだ成長途上の息子さん、娘さんに甘え過ぎだし、障害のあるお子さんに発達を促すベストをまだ尽くしきってもいないのに、障害児の可能性を諦めて『あるがまま』でいる。そして、そんな手のかかる状態の下の子の世話を上の子に丸投げにして全く平気でいる。

上の子は上の子できょうだい児として虐められたり、つらい思いをしているのだから、普通の家庭の子よりもっとケアがなされる必要があるのに、下の子に手がかかるから。と放置されてましたね。

当地でもあそこまで上の子の人材力にベッタリなのは珍しいですが、似たレベルの話ならゴロゴロ転がっていて、その愚痴を地域の障害児ママだけの昼食会で聞いたことがあります。

でも、そういうご家庭に限って、花風社みたいな、『発達は治る』派の話を毛嫌いして何のかんのと理由をつけて、絶対に受け入れないんですよね。障害に苦しむ下のお子さん+障害児に苦しめられる上のお子さんが可哀想ですが、親の権限の範疇なので、どうしてやることもできませんでした。

することすれば、完全に治る人もいるし、ウチみたいに(心疾患とか筋肉の組成とか)絶対的なハンディは残るけれど、当人もニコニコして暮らせるようになるまでに治ることができて、母親の育児も楽になるのに。もったいないなあ。
と、思いました。

返信する
たんぽぽ

子どものときに子どもらしくいられる時代をちゃんと過ごすこと、それが後に伸びやかに生きられる自分を作っていくと思います。
(花風社本で言うと「きらめく時間」がそれにあたると思います。親(大人)の庇護下で、手足も気持ちも存分に伸ばせて、安心して挑戦できて、安心して失敗できて。)

主人公の男の子は、物事を表面的にしか受け取れない母親(工場での障害者枠の人たちへの扱いに気づかないのも象徴的、)によって言いたいことやりたいことを抑制されてきてしまい、本来の子どもの振る舞いができなかったんだろうなと、ただ不憫に思いました。親の仕事って、子に障害があろうとなかろうと、「きらめく時間」をたくさん作ってやること、それに尽きるんじゃないかと最近思います。

私は、最後のシーンは、美術部の女の子が同じ目線に立ってくれ、ようやく誰にも抑えられずに思いを吐露できた(等身大の自分であることを許された)からこそ、妹のことを好きだった自分も思い出せ、現状を自分なりに受け容れてゆく決意をしたシーンのように見えました。
鉛筆の芯がかつて折れたとき、母親の表面的で美しい言葉が何の救いにもならなくて視界が暗くなるばかりだった。でも、二度目に鉛筆の芯が折れるシーンでは、彼女が現れて話を聞いてくれた。どれだけ救われたか。(でも、それぐらいじゃ足りない。我慢しないで生きていいんだよって受け止めてくれる存在に今後もっともっと出会えるように、自分で自分にそう思えますように、と願います。)

あとは…妹ちゃんがパニックを起こす場面は、もっと身体がゆるむ状態を知って、「快」がわかる体験が増えればこれ減るんじゃないかな~と思ったり。。

私はクラスタさんというほどの者ではないですが、つらつらと雑感でした。

(余談ですが、私の中できょうだい児育児の心の支えになっていた記事です。明石洋子さん、「ありのまま…」の本よりもこの記事で先に知りました。)
http://tubamekk.sakura.ne.jp/2009-11.mainiti.pdf

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シア

再びのコメントです。
これは伝えておいた方がいいかなと思って書きますが、主人公が妹を殺めなかったことや、こういう修羅場を潜り抜けていって、人格的にもからかった児童生徒のような俗物根性とならない人に成長していくだろうと、好意的に見ることができます。
そして、兄として妹を本当にかわいがっていることが後半その表情のアップや、表情に見て取れることでしょう。
よくよく考えたら、このお母さん美術部の道具のお金だって、出してあげているし責められることをそんなにしてますかね?
私はまずはよかったよかった、という話だという読後感であります。

追記
この妹さん、笑顔も愛嬌があるし、お兄さんにゼリーを分けてあげたり、機能のわりに伸びしろが大きいと思います。 将来ご近所の工場で働くことができるかもしれません。 また美術の才能に開花して、余暇も充実するかもしれません。 このお話は、修羅場を潜り抜けたお兄さんは強い人間になるでしょうし、妹さんも性格が悪くないし、このお母さんがとやかく言われがちですがまずもって子育てには成功している方です。 

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浅見淳子

新刊作ってたときに湧いたギョーカイトラウマ。長々と連載もしました。読んでくださった方も多いと思います。

で、あれから一か月半くらい? 全然ギョーカイトラウマがない。引退したい感がない。何が大きいかというと

反サロの盛り上がり。これだと思います。

発達ギョーカイで反サロできるのは花風社の浅見淳子でしょう。だったらまだ引退するわけにいかないよね~。

発達援助からごくつぶしの治せない医療を追い出すためにGOGOGO!

「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」んだったら医療は手を引けよ。少なくとも国民皆保険使うな。今の発達医療は公金に見合ったサービスを提供していないんだから。やりたいなら自費でやれ。そうしたらみんな病院行かなくて原始反射統合とか療育整体とかコンディショニングして、結果的に凡医が介入するより治るわ。出てけ、医療!

という活動ができるかも、と思ったら、もう少しこのギョーカイのプレイヤーでいる意欲がわいてきたわ。わはは。

https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/77bb0e8c032b43ce51848ab718d96551

返信する
シア

「こうであってほしい」「こうでなければならない」と言うのは、余裕のない生き方だと思います。
「こうあるべき」と思っていても、そのようにならないこともある。
自分で自分を縛ってしまうと、自由な発想はできなくなります。

少なくとも、クリエイティブな仕事をし、独立して自由な道を選んでいくような人に取って、そのような固定観念は邪魔です。
変人枠として生きていくと定められたような人が、常識にとらわれてもいられません。

返信する
智ママ

管理人よりのメッセージを読んでの感想です。

私の場合、息子を積極的に育てているときには全く問題がなく、普通なのですが、
なにか発達上のトラブルがあって
「これ以上は心疾患が良くならないなら、将来は生活介護のみか??なら、施設に馴染めるように手立てをつけないとかな?早めにこの子を預ける先を探しておかんといかんかな?」
「いよいよ、この子も伸び止まりがきたか?なら、育成級から支援学校に進ませて、放課後デイサービスも週5に増やして、その間に働けるパート先を探さないといかんかな?」
と母親の私が、直面した困難に、弱気になって、息子の将来を諦めようとすると、突然心疾患の緊急手術が受けられる、という巨大な助け舟がきたり、チャンスの形で大きな助けの手が差し伸べられて(もちろん、母親である自分も、それに見合うようにかなり頑張らないといけませんが)障壁となっていた発達の伸びのスピード減が解消されてきます。

そして、最初から母親が子どもと一体化してくいものにする
『盲目のピアニストの母親みたいに、息子がよくなったことを講演会で発表して全国を行脚して稼ぐ』(←実家の母の案)
『息子の日常を障害児ブログにして、細かくプライバシーを切り売りしてアクセス数を稼いで、月に◯万の収入を目指す』(←関東の私の叔母の案)
収入アップの案には、どうしても魅力を感じられなくて、
(3歳の息子を見世物にして、全国での演奏会旅行に連れ回してお金を稼いでいた、モーツァルトの父親みたいで気が引けた)
将来、息子が好きな人ができて、「サポーター付きでもいいから、夫婦で独立したい!」と言い出したときに、母親として「それならいっちょ、行っておいで!何かあったら、帰ってきてもいいんだからね!」と快く送り出せてやれない母親だと、息子の配偶者に悪いような気がして、手を出す気になれませんでした。

感覚的に野生の勘みたいな虫の知らせは時々あるのが、私の父方の能力らしいので、
気が進まない進言がたまたま2回重なっても、それには乗らなかったのですが、
彼女らの予測や予言はことごとく外れて、いまある意味かなり厳しい状況になっているので、
「・・・親子関係にトラウマがある人(愛着障害に近い支障をきたしている人)の預言って、なんでか知らないけど、とっても外れやすいのよね。」
「結局、親代わりに面倒を見てくれる!と信じ込んで、二人ともそれぞれ宗教や霊能に走っちゃって、配偶者からの正常な愛も失ったしなあ。彼女たちが本当に欲しかったのは、まともな母親の愛だったのに、それを年少者にまで『年長者へのいたわり・配慮を!察して動いて!慎みをもって接して!』とむやみに要求して、とうとう関係をダメにしてしまったね。残念だけど、これはしかたがないのかなあ・・・彼女らが治るまで、こちらからはうかつに近寄れないなあ。」といらんことを思いながらも、不思議に思ったことでした。

天からのお膳立てには逆らわないほうがいいので、息子の発達を促すことに関しては、このまま行けるところまで行こうと思います。
報告は、挙げられることはこちらに挙げる予定です。

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智ママ

あえて続けて書きます。

これは障害児育児によくあることなんですが、かなり重い障害児を授かると「貴女を選んで生まれてきた!」と言って母親と父親に委ねるだけ委ねて、むやみに励ますだけで、その子にとって必要なことを、何もしない周囲にも苦々しく感じていました。

いえ、無理解な人に接触したくなければ、外出しなければよいので、それはそれで自分の行動スタイルを変化させればまだ何とかなったので、良かったのですが。

1番困ったのが、スピリチュアルにかぶれて
「智くんは福子(家族や一族の因業を背負って障害児として生まれてきた人間)なのだから、大切にしなさい!大切にしていれば、きっといいことがあるわよ!」
と言い切って、師事する霊能者の言いなり?になって、『むやみやたらに甘やかすだけしかしない』実母と叔母の夫婦ペアでした。

どうやら福子を可愛がると、その分カルマが軽くなり、福をその子から授かれる!豊かになれる!と吹き込まれて、それを丸のまま信じ込んで、息子に『親切に』しているつもりで、我田引水的なメリットを求めて、息子の将来に必要な訓練や試練も、教育的配慮も一切考慮せず、ただ『長男教的な溺愛』だけを息子にしていた、母方祖母に、大叔母夫婦でした。

息子は、動物的な勘は少し残っている私の子だけあって、自分を何とかして営利目的に利用しようとする動きには敏感で、『簡単に利用されてたまるか』と表情や態度で示していたので、
(公的に皆が恩恵に授かれることに関しては、息子は、警戒的な態度は、一切とらないです)

トロい母親でも、それは察知できて、ただ自分の利益を誘導したいがために、
わざと息子の言いなりになって甘やかすだけの母方祖母や母方の大叔母夫婦には、あまり濃厚に接触させないようにしていました。

最終的には、信じる霊能者や、新興宗教に、私達親子を引き込むような洗脳をしてくるまでになったので、さすがに線引きをして大叔母夫婦とは縁を遠くすることにし、母方祖母に関しては、彼女が20年ほど勝手に拝んでいた、福岡の霊能者が書いた色紙を、私があえてへし折って投げ捨てることで、それ以上、その霊能者やそれ関連の信仰を深めないようにしましたが、

母方祖母に関しては、表立って拝むのはやめた代わりに、実家の仏壇を使って呪い(まじない)を始めたので、私の実母と息子とは二人っきりで2日は居させないようにして、できれば実父とだけの接触だけに留めるように働きかけています。
(実父は、実母の宗教関係に関しては、昔からノータッチで無関心です)

身内にこういう人が出ると、陰に陽に息子の障害を逆手に取って霊的に我田引水な働きかけしかしてこないので、本当に厄介です。
(ただ甘やかして福を自分に向けようと計らうばかりで、誰も息子が成人してから、何か必要か、何が必要でないか、一切考えずに、ただ溺愛するばかりで、きちんとしないとならない躾はぜんぶ母親の私任せ)

簡単に縁を切ろうにも、息子の障害程度だと、簡単に縁を切ると親が一大事なときに、簡単にヘルプが入らないので、息子が怠薬などの危険に晒されます。

『親が倒れたら、障害児はおしまい』という当地でよく言われていることの危険性は、日頃から暮らしていても時々感じるので、やむなく遠方の母方祖父母や遠戚には少し頼ってきましたが、

ここ数ヶ月は、あまりに通院・小学校の催し物やPTA関連が多くて、さすがに無理に自分の気持ちに蓋をして、仮面を被ったまま親戚付き合いするのも限界に来たので、しばらくお休みさせてもらっています。

これからも、うまく距離を取れた状態で、息子を育てていけたらなあ。と思います。

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わかくさ

公共機関を使えるスキルは就労に直結すると感じています。

こちらでは息子の話だけ書いてきましたが、私は実はダウン症の子のおばでもあり、本人は春から生活介護に通う予定です。
生活介護だと送迎があるけど、系列のB型事業所に移ると送迎がないそうで、B型に移れる実力があっても自力通勤ができないから生活介護のまま、ということも起こり得るのかもしれないと危惧しています。

公共交通機関を利用できるスキルを身につけることについては、もっと幼い頃から何度も何度も親に説明してきました。が、結局、車で移動するラクさが勝つんですよね…。
本人は運転免許を取れる見込みがないので、スキルを身につけることが大事だと思うのですが。

息子も春から電車通学が始まりましたが、受験の時の付き添いを含めて、入学前に何度か一緒に乗り、電車が遅れた時の対処法(別ルートの提示と利用方法)、混雑した電車の中での荷物の扱い方など一緒に確認しました。
最初は電車の時間に合わせて、朝食をとる時間(乗り物酔い防止のため早めに設定)、家を出る時間も息子がきっちり決めていましたが、半年たってだいぶ余裕が出てきたのか、家を出る時間も少し遅くなり、朝食の時間も多少前後しても大丈夫になりました。

公共交通機関を常用するようになると、当たり前のことですが、自分を公共交通機関の都合に合わせるようになり、そのためには今どうすればいいのか逆算する力もより身についてきたように感じます。これも社会に出るには大事なことですね。

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シア

B型作業所は、いわゆる「訓練給付」であり仕事をしに行く場所であり、就労継続をしあわよくば職を身に着けて一般就労を目指すものですから、「介護」の次に目指せるステージですね。
そのため「通勤」も必須のスキルになるのだと思います。
介護から訓練給付・福祉作業を経て一般企業で働く人もいるでしょう。
事後の症例ですが例えば社長の縁籍に当たる方は、それに近いと思います。

そのような移行は障害の程度を軽くしたり、よりよい健康状態を守ってくれたりもします。
長く施設に入っていた人が、「移動支援」や「行動援護」を受けて交通機関を使えるようになったという話もありますが、本人に明確な強い意志がないと認可もむつかしいでしょうし、通学の段階でご家庭で実践するのが一般的だと思います。(ご家族が指導できるならそちらにゆだねられます。)

不測の事態で遅延証明書の交付を受ければ、電車が遅れたときどうすればいいかわかりますし、学校や将来勤務先への連絡などにもつながっていくでしょう。
自分自身交通機関を利用するようになってから、生活圏が広がっているのを実感しますし、どこかへ行くにも駐車場を探す心配がありませんよね。

運転免許を取得したりする予定がないのならば、ご本人のためにも、将来の通勤通学のためにも公共交通機関が使えれば、その分劇的に生活が変わっている可能性がありますよね。
まだ春まで時間がありますし…ナントカひと押しして…染色体疾患でも電車に乗ったりコンビニで品出しの仕事をしている方もいますから…お話を聞いて正直もったいないなぁと私も思いました。

一人でバスや電車を利用して、遠くまで行ったりモノレールに乗ったり、休日はそのようなことができると楽しいですよね。
そういうことができたら、もうそれだけで「余暇支援」が『卒業』になりますし…治るって言うのは、そのような好循環だと思いますから、ダウン症のその親戚の方もそうだったらいいなと思いました。

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わかくさ

そうなんですよねえ…。
私も本人の健康を考えても自宅と施設のドアツードアよりも自力で通える方がいいと思います。

親にはあの手この手で提案し続けてますが、根強い「ありえない不安感」を覆せないまま現在に至ります。月1回でも年間で12回、5年間あれば60回は経験できただろうにと思うと、本当にもったいない。

おばとしては、少しでも自分で選択し、自由に移動できる人生を送ってほしいと思っているので、今後も本人の経験を増やすべく、機会を見つけてどうにか公共交通機関で連れ出そうと思います。

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シア

医療に関してこちらでいろいろな考えに触れています。
以前は自分も権威を妄信していて、すこし医療を妄信・過信していたかもしれないと思っています。

実際、健康維持をするのにセルフメディケーションができれば医療の出番はありませんし、なるべく自然な方法の方がお金も手間もかからないと思います。

養生をしたり、健康を維持するのが医療に必ずしも依存するものではないだろうと考えるようになってきていますし、そのような考えが納得できるようになってきています。

※誤字脱字・乱文失礼しています。

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浅見淳子

シアさん

皮膚移植とか、そういうのはセルフでできないですよね。でもそれも薬害ではありますが。問題は日本の医療がアクセスよすぎて、医療側患者側双方にモラルハザードを起こしていることですね。

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デイジー

昨日の投稿に追加です。
子供の絵の発達段階の話はよく聞きますよね。
娘はもともと絵を描くのが好きですが、発達が進むと共に絵にも変化が見られました。

首を育てる前は頭から胴体が直接繋がっていて、首が無い人物画でした。
とんでもなく手先が不器用な頃の絵は、ドラえもんみたいな丸い手の絵でした。それから4本指が生え、なぜ4本?と思いましたが、その頃は薬指の名前を覚えられませんでした。
親指や人差し指は比較的すぐ言えるようになったのに、薬指は娘の中で存在していなかったのか時間がかかりました。
名前も覚えられない指ということは、きっと上手く使えていなかったのだと思います。薬指だけを軽く曲げる動きもできませんでした。手指遊びで指の存在を意識させるようにしたら、今では5本の指を描くようになりました。

娘の成長が見られる落書き帳は全て愛おしいので、我が家には山のように保管されています(笑)。

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シア

デイジーさん。
やはり、発達の初期の頃は頭足人間といって、〇に線で手足が改定あるような絵を描きますよね。
それがやがてスティック状の棒人間のようになり、写実的な人体になっていくのが見て取れるようです。
また、社会化が進む西が立って自分のほかに、絵の中にパパやママやきょうだい・ペットなどが描かれていくようです。
草花や、昆虫・樹木などが描かれることもあるし、青い空が頭上に広がっているかもしれません。

四コマ漫画を既に描かれているそうですね。
ストーリー性がありますからそれはもう社会性がみるみる発達して、お子さんがご自分で感じたことを表現して確認できている証なのでしょうね。

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デイジー

今年度から普通級に転籍した小学3年生の娘が、最近4コマ漫画を書くようになりました。

国語力はまだまだなのですが、中にはちゃんとオチがあるというか起承転結ができてる話もあって、成長したな〜と感心しながら読んでいます。

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ブルー

<ハッタツ有事は起こるのか 第8回>
~もしも事が起きたら:対応法の復習~

前回はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-74/#comment-11322

(コーナーが変わった。画面に「事が起きたら」のテロップが出た)

続きましては「もし事が起きたら」です。

それは私が過去に行った、例の人々の考察の復習になります。よって、対応法は決まっております。ですから詳しいところは実際に事が起きたときにご案内するとして、今回はポイントをご案内します。

■属性の分類

(解説者は机上にフリップを出した)

まずこちらのフリップをご覧頂きたいのですが

―――――――――――――――――――――――――――

<属性分類>

1.花風社の愛読者(クラスタの方)
2.花風社の本を参考にしている人
3.外野の人、中立の人、花風社をそれほど知らない人
4.花風社が嫌いな人、「治る言説」に批判的な人
—————————————————-
5.※例の人々

――――――――――――――――――――――――――

SNSにいる人々を、花風社との心理的距離感で分類するとこうなります。

世の中では、もちろん3番の中立な人が一番多いです。

で、もしも事が起きたとすると、ヤジ馬としてチンピラやゴロツキもやってきます。これらチンピラやゴロツキは4番の「花風社に批判的な人」に見えて、実は3番の中立の人です。なぜなら彼らは発達障害に興味がないからです。だから飽きるとどこかへ行きます。またどこかの誰かと罵り合いをして、暇潰しをするだけです。

それから、フリップでは4番の「治る言説に批判的な人」と5番の「例の人々」の間に線が引かれています。これはどういうことかというと、結局、1番から4番までの人々は普通の人だからです。

意外に思うかも知れませんが、ゴロツキであっても実は3番の中立な人なので、普通の人の範疇に含まれます。ここで言う普通の人の定義は、「好きなものにくっついて、嫌いなものからは離れる」ということです。態度ではなく、物事に対する反応の仕方が普通ということです。

■5番(例の人々=アンチ)だけが状態像が違う

ところがこの放送をご覧になっている方はご存知の通り、5番の人は・・・。ということですね。

5番、つまり例の人々、アンチは嫌いなものにくっついてしまいます。そして、アンチにとっては3番の人、中立な人も敵です。

そして5番のアンチが、4番の「花風社が嫌いだが、アンチではない人」とうまくやれるかというとそれもできません。4番から観て5番は特殊な人達、はっきりいえば気持ち悪い人達ですから、4番からも逃げられます。そして5番のアンチ同士だけが表面的につるみます。

また、中立な人、つまり3番から観ても、4番と5番は判別されます。例えば

「花風社さんは賛否両論で、中には強烈なアンチがいて・・・」

といわれることがあります。

ここでいう否定の人が4番、アンチが5番です。4番と5番が別ものとして認識されています。5番のアンチは往々にして特有のとげとげしさがあります。例外もいますが。

重要なことは、5番の人、つまりアンチは状態像が1番から4番までの人とは明確に違うということです。何が違うかというと物事の受け取り方、反応の仕方です。

ここでは詳しくやりませんが、5番の人の物事の受け取り方、反応の仕方は、健康な普通の人とは完全に真逆になっています。

■事が起きたらまず5番のアンチを見分ける

もしもハッタツ有事が起きた場合、一番大事なのは、群衆の中から5番のアンチを見分けることです。ただし、これは見慣れないと難しいかも知れません。

ですので、事が起きて暴れている人が複数人いた場合、当観測所から私の方で「この人とこの人がアンチ、この人は批判者だが、アンチではないので気にしなくてOK」などと情報提供させて頂く可能性もございます。

特に4番と5番を混同しないことがポイントです。5番のアンチ自身は自分で自分の事を、中立な3番や、批判者の4番だと本気で思っています。実際に「私はアンチではない」などと言い出します。

しかし、特に4番の人は時がたつと花風社を忘れます。5番の人は永久に花風社を覚えています。

それと応用編ですが、表面的には3番の中立者にみえて、花風社の話限定でいきなり5番のアンチになる人もいます。一見、中立で温和なアカウントのようでいて、花風社の話になると尻尾を出すのです。

その人は、私がお世話になった発達の先生にもモビングしていました。属性を言うと、障害児の親です。子供たちはすでに成人し、障害者雇用で働いていました。だからもう、花風社や発達の先生にモビングする必要はないはずのですが・・・。

これ以上は言及を自粛します。

さて、繰り返しますが、5番、つまりアンチ以外の人達は、

傍観者やヤジ馬だろうが、これは3ですが、
チンピラやゴロツキだろうが、これは4に見えて3ですが、
花風社のことが嫌いな医クラや心理系だろうが、つまり4ですが、

結局は普通の人達です。好きなものにはくっつき、嫌いなものから離れます。

ですので、事が起きた場合、3と4の人に対しては、

スルーするなり
ブロックするなり
反論するなり
批判するなり
喧嘩するなり
通報するなり
発信者情報開示請求をするなり

お好きになさってください。

つまり、例えゴロツキやチンピラ、あるいは医クラや心理系であろうが、一般人の常識の範囲内にいる人々ですから、常識の範疇の対応をすればいいです。そしてこの人たちは、事が起きてから3か月もするといなくなります。

■アンチ対応法

問題は5番のアンチです。嫌いなものにくっついてしまう、特殊な人々です。

過去に花風社と揉めて、匿名であるにも関わらず実名を抜かれた人々は、

医者だったり
コメディカルだったり
当事者だったり

しました。

そして心理系バクハツを起こした人達も全て実名が知られています。そしてこれらの人々はそれぞれ属性は違うようでいて、全て5番のアンチであったことが共通点です。

つまり今までの経験通り、5番のアンチがハッタツ有事のポイントということになります。事が起きるとアンチが最も暴れるからです。

そして心理系バクハツの件も考え合わせれば、心理系アンチこそがハッタツ有事で最も注意すべき属性であることもすでにお伝えしました。

しかし、こういう人たちへの対応法も既に解説させて頂いております。一言で言うと「スルーして治った自慢」です。あるいは「治った自慢大会!」の本を張り付けてもいいでしょう。

この件も繰り返しやったので、機序を省いて結論だけにします。フリップの2枚目を出します。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
<対アンチ>

モビングされたら

1:スルーして
2:治った自慢(or治った自慢大会!の表紙を貼る)

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

そもそも5番のアンチは論破や説得ができません。それは1番から4番までの「普通の人」にしか通じません。また通常の罵倒や批判、反論もダメージになりません。そういうこともまた、1番から4番までの「普通の人」にしか通じません。

では、5番のアンチには何がダメージかというと、治った自慢です。すなわち健康で希望に満ちた成果です。

我々の心が洗われ、暖かくなるような物事に、彼らはよせばいいのに自分から吸い寄せられてダメージを喰らいます。こういう所は普通の人の想像を絶していて、凄く特殊です。

なお、成人なら、仕事の成果自慢でもいいと思います。実際に5番の人達が、成人のクラスタの方の「ハードワークでも平気な身体になった」自慢を読んで怖がっていたのを見かけたことがあります。

以上が復習です。事が起きたらまたご案内をします。

■次回「トンデモガー」

で、最後に論じたいことがございまして、それは「トンデモガー」です。これは多分、皆様の前でお話させて頂いたことがないと思います。

よって「トンデモガー」の話をして、この放送「ハッタツ・ワールドポリティクス」を終えたいと思います。

(次回「トンデモガー」に続く)

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浅見淳子

ブルーさん

解説ありがとうございます。

3,4,5の治るという言説に反対する人々にも流派があります。
今回改めて分けてみました。
かぶっている人も多いと思いますが。

1 ギョーカイに洗脳されている人(これが大多数)
2 利権の人(福祉事業者等 障害者が多い方が得をする人)
3 選民意識の人(医療だけが治せると信じて薬ばっかりのんで健康にならない人)
4 権威に逆らえない人(職業獲得のために模型の作り方を習うのではなく資格試験に励むような社会的センスのない人)
5 他人が治ると悔しい人(すでにめんどりのベルトコンベアにわが子を載せてしまった人たち)
6 弱者萌え 左方面の人(語るまでもない)

いやあ、多いわ。
これだとマスク率99パーセントを達成したのも無理はない。
その中で花風社よくやってますわ。

なぜよくやっているかというと、読者のloyaltyの高さで
そのloyaltyの高さの原因は読者の向上心。
そしてなぜかいつもめぐってくる不思議なほど上質な出会い。
ありがたいことです。

今度の『発達障害治療革命!』もそういう出会いで生まれた本なので
この本をきっかけに皆さんが自由な生活を確かなものにしてくださったらいいのです。

返信する
ブルー

浅見さん

>3,4,5の治るという言説に反対する人々にも流派があります。

ありがとうございます。

そうですね、中でも特に4ですね。「アンチではないが、治る言説の嫌いな人達」については、いろいろな人がいます。

私自身は4について

・医療系(医師・コメディカル)
・福祉・支援系
・心理系(心理士他)
・成人当事者
・当事者の親

という感じで、社会的役割でざっくりと把握していました。

ですので浅見さんの分類で考えてみました。

1 ギョーカイに洗脳されている人(これが大多数)

⇒これは仰る通り大多数で、あらゆる属性がいます。「生まれつきの脳機能障害」という(政治的)パラダイムがベッタリと頭に張り付いて、それが剥がせない人々です。DSM-5やICD-11の神経発達症の定義はおそらく読んだことがないはずです。

こういう人たちは末梢神経系からの刺激入力の話や、運動発達などヒトの標準的発達の話も理解できません。だから脳の話しかできません。それは知的水準の問題ではなく、政治的パラダイムを剥がせないからです。

2 利権の人(福祉事業者等 障害者が多い方が得をする人)

⇒これは主にそういう職業の人々で、私の分類ですと

・医療系(医師・コメディカル)
・福祉・支援系
・心理系(心理士他)

あたりだと思います。それと、はっきり言えば障害者手帳も利権の一つと言えなくもないですから、

・成人当事者

をカウントするのもありかも知れません。これは当事者によってだいぶ違うと思われ、得をしている人も損をしている人も両方いるとは思うのですが。

3 選民意識の人(医療だけが治せると信じて薬ばっかりのんで健康にならない人)

⇒これは「選民意識」があるので

・医療系(医師・コメディカル)
・心理系(心理士他)

有資格者かつ、心身の不健康な人が思い浮かびました。かつ、医療で選民意識を感じるということは「山村部の価値観」ですね。医者がエラいというわけです。必然的に都市部の価値観を持つ花風社は嫌いになります。

4 権威に逆らえない人(職業獲得のために模型の作り方を習うのではなく資格試験に励むような社会的センスのない人)

⇒これは、私の分類においては全てに当てはまりますね。権威に逆らえないということも「山村部の価値観」=考えるのはお上の仕事=です。

5 他人が治ると悔しい人(すでにめんどりのベルトコンベアにわが子を載せてしまった人たち)

⇒はい、本論では自粛をしましたが、ここで言います。

例えば解説で取り上げた、「表面的には中立なようでいて、花風社の話になると尻尾を出してアンチになる親」もこれです。

すでに子供たちは成人し、障害者雇用(確か特例子会社だったような)でちゃんと働いているのに、なんだって今さら発達の先生にモビングし、花風社の悪口を言うのか。

それは自分の過去に対して「機会損失」を感じているからです。「もっと伸ばせたかもしれない」と。私から言わせるとお子様は障害者雇用でちゃんと働いておられるので、ひとまずは万々歳だと思うのですが。

それと、お子様たちは成人していますし、立派に働いているのですから、むしろ今からの方が余程いろいろとやれることがあると成人の私などは思います。発達援助に手遅れはありませんし。

6 弱者萌え 左方面の人(語るまでもない)

⇒先ほどの私の分類は関係なく、左方面はアンチになりがちですね。

それと弱者萌えも、私の分類に関係なく、遍くいるように思います。

弱者萌えの人達は全体として「状態改善のために何かをすること」があまり好きではない印象があります。当事者の自助努力もそうですし、特に欧米系の研究者の「治す研究」も喰わず嫌いな様子です。

さらに弱者萌えは「ありのまま」系と人種がかぶっていて、発達障害の人に状態改善を見越して何かをすることが人権侵害だと思っている印象があります。

ありのまま系はアンチではなくても、花風社など「なんとかしようとする人々」を怖がる傾向があるように思います。

よろしくお願い致します。

返信する
ブルー

後半部を書き忘れました。

>loyaltyの高さの原因は読者の向上心。
そしてなぜかいつもめぐってくる不思議なほど上質な出会い。
ありがたいことです。

今度の『発達障害治療革命!』もそういう出会いで生まれた本なので
この本をきっかけに皆さんが自由な生活を確かなものにしてくださったらいいのです。

⇒以前にも論じましたが、花風社の本は知的最上位層へ向けてのものだからこそ、今回のドクターみたいに能力、人格ともに上質な人がやってくると思います。

そしてコロナ禍ではっきりしたように、自由を求める人は日本ではマイノリティでした。日本においては自由を求めない人の方がデフォルトです。とにかく安全、安心が最優先です。

そういった自由を巡る価値観の相違も、きっと衝突の原因になっていると思われます。

よろしくお願い致します。

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yoyoyo

最近、外出の際、時間と体力に余裕があれば公共交通機関を使うようにしています。

娘の将来、公共交通機関で出かけられることは自立&自由な生活のために必要なスキル。
今まで排泄問題のため(万が一漏らしたら迷惑)車で出かけることが圧倒的に多かったのですが、問題がなくなったので少しずつ機会を増やしています。

切符の買い方、改札口の通り方、交通費の確認法、バスなら降車ボタンを押すタイミング、他の乗客に迷惑にならない適切な行動などなど、身につけるべきことはたくさん。
楽しいお出掛けに伴う学びは本人も楽しみながら身につけられ、一石何鳥にもなりますね。
また、電車に立って乗っていて気づいたのですが、発車する際にしっかり踏ん張っておかないと身体がグラついて危ない。こういう経験で身体の使い方も上手くなっていくんだろうなと思います。

一方、外出先で3-4歳の大きな(十分自分で歩ける年齢の)子達がベビーカーに乗っている姿がやたら目につきます。「子どもは親の思い通りに行動してくれないから、ベビーカーに乗せといた方がラク」なのでしょう。ペットのワンちゃんがキャリーに乗せられて散歩(?)している姿と被ります。

気持ちはわかります。私も車で出かけた方が圧倒的にラクですから。
でも親のラクを求めた結果、失う物の大きさにいつか大きなしっぺ返しをくらうのではないかと思ってしまいます。

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浅見淳子

yoyoyoさん

貴重なご報告をありがとうございます。公共交通機関を使えるって大事なスキルですね。余暇の面でも就労の面でも。

私の知っている心ある(将来子ども達を自立させたいという志を持っている)ある放課後等デイでは、送迎をあえてしていません。通ってこられることが自立につながるからという信念のもとです。治安が悪くない日本、しかも安全な地域だからできることかもしれませんが。

最近は自転車移動が多くなった私ですが、以前よく乗っていたバス、ちょうど作業所の終わる時間なのか、障害のある方が乗っておられました。席につくとやや独り言が多いのですが、周囲もそれなりに受け止めていて文句を言う人はいませんでした。そして面白かったのは、いざ手帳で減免をうけるときになると、ものすごく厳粛な顔をして運転手さんに対峙していることです。やるときはやるんだな、と思っていました。

それと電車の中で踏ん張る力ってたしかに養われますね。
これも排泄が自立してこそ可能になった挑戦ですね。

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yasu

確かに公共交通機関を使えると、行動範囲が広がりますね。それから、まだ先の話ですが郵便局に口座があると日本全国どこでもお金が下ろせるというのもあります。昔は北海道のバイクツーリング族の定石でしたが、今でもそうなんでしょうね(笑)

ところで、以前某放課後ディのオーナーが、「支援員に必要な資格は、保育や心理の資格ではなくて運転免許!」と言ってたのを思い出しました。理由は送迎要員として働くことが必須だからです。

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yoyoyo

浅見さん、yasuさん、ありがとうございます。

電車やバス等の乗り物は大好きな子どもが多いですし、ほんとに多くの学びが詰まっていますから積極的に利用したいですね。

金融機関の使い方も大人になるまでには身につけたいスキルですね。
詐欺に騙されないようにするのも大事です。

送迎をしない放課後等デイサービスの方針、素敵ですね。送迎加算がつくので事業所的には損でしょうに。全ての利用者は難しくても希望者は自分で通えるといいし、むしろそれを応援する体制に加算がつくと良いかもしれません。

娘が参加している障害者の日舞サークルは、1人で通ってきているお兄さん、お姉さんも多く、励みになります。

そして、ブツブツ独り言を言っちゃう程度の、違和感はあっても大した実害はない障害者の行動に、周囲が「慣れる」ことも大事だなぁと思いました。
障害者が世間から隔離されていて普段目にしないと、独り言やウロウロしてしまう等ちょっとズレた行動にギョッとして恐怖を覚えてしまうでしょうから。

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