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仕事のお部屋

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178 COMMENTS

ブルー

浅見さん

ありがとうございます。ブログ拝読いたしました。
専門家に関する問題は深いですね。

まず、専門家の弱点に関して。仰る通り1つの専門分野から全く出られないタイプの人=悪い意味でリギットな人=は、発達障害の対応は無理だと思います。

発達障害の人を見立てるにあたっては、全人的/全身的、かつ分野横断的な、大きな人間観が必要だと思います。それは、専門家がクライアントを見立てる時だけではなく、成人当事者が自己認識をする際もそうだと思います。

しかし、一つの分野から出られないような人だと、そもそもの人間観が狭くなってしまうので、まず見立てでズッこけ、かつ学んでいる分野が一つしかないので、ツール/ソリューションもないし・・・となります。

それから、どこを向いて仕事をしているか。クライアントに対してでしょ、というのは、我々民間人の常識なんですよね。

アウトな専門家は自分の業界に向かって仕事をしているのですね。言葉を変えると、市場に背を向けているわけです。

以上2点を考えつつ、私自身の体験を振り返ると、治してくれた専門家や、発達のヌケを探し出し、それを埋めるソリューションを提示してくれた方・・・つまり、役に立つ専門家はその逆であったことが分かります。

みなさん必ず、複数個の専門分野を学んでいました。かつ人によっては、そういった経験を踏まえて、オリジナルのソリューションを編み出してしまっていました。

そして、治す系・発達させる系の方に関しては、全員が自営でした。つまり、顧客と市場を向いて仕事をしていました。治せない・発達させることができないと自分の商売がつぶれる、という条件で仕事をしておられました。

また、いずれサイトに書きますが、就労に関しては、人材紹介会社(チャレンジド分野)の担当者にも私は本当に助けられました。で、彼らは何しろ人材紹介業の人々なので、最初から人材「市場」を相手にしているのです。

つまり、専門家の技量の上達に関して、決定的な影響を及ぼしているのは、市場に背を向けるか、それとも向き合うか、ということになるかと思います。

これ以上書くと、また「専門家論」とか、別の連載を始めそうなので、もうやめます(汗)。

いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

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はづき

浅見さん

元の浅見さんのコメントも削除されていたため、こちらに書かせていただきます。
お忙しい中、ありがとうございます。
承知いたしました。

自分の命を守るために、行政のサービス(最低限のみ)に頼っては
いけないのでしょうか。
今の住んでいる地域の男女共同参画センターは、夫婦間のDVのみ対応しているので、私の状況では使えないです。
生活支援も、できることが無いと言われて、1年以上面談もしていないです。
状況確認の電話も来ないです。

榎本さんには、最低限の連絡などしかしていないです。

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浅見淳子

はづきさん

行政のサービスに頼ってはいけないかどうか、私に決める権利があるはずがありません。
はづきさんの人生ですから。
行政のサービスの限界は著書等で思うところを書いていますが
行政とどう付き合うかはそれぞれの主体性ですよね。

私がやめてくださいと言っているのはここにいる他の参加者を自己治療の道具に使わないでということです。
それと、他人の力を借りつつも本当に治す力があるのは自分だけだということを思い出してください。
はづきさんは次々と頼る人をみつけては子^_^みつくように私には見えているし
プロの人にお金を払って頼むならともかくここで楽しんでいる当事者の人を依存対象にするのは間違いだと私は判断しているということです。

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浅見淳子

はづきさん

それと榎本さんへの発言はいささか恩知らずです。
そういう風に他人にしてもらったことを軽く見る発言をするひとは、どんなに親御さんがひどかったと言い募っても信用できません。私はね。
たんに親御さんにも恩知らずだったかもしれないからです。
行政があてにならないからと花風社クラスタの中に次々と依存対象を見つけるのではなく、親御さんと対峙して解決してきてください。

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シア

こんにちは。

>はづきさん
主体性!ですよね。
つまり、行政の助けが欲しい!危機が迫ってる!ならば、どんどんこっちから行政に(表現を大げさに言えば)凸る、問い合わせる訴える…力があって、できるうちにアポを取る、役所に行ったら、片っ端からめぼしいパンフレットを集めて調べる。
自助努力は、そう言うところに出てきます。
口を開けて待っていては、じり貧です。
だから、頼るも頼らないも、いいも悪いも、とにかくどうしたいか自分でしっかりして決めて行くしかないと思うんです。
誰の許可も要りません。
ファイトですよ!

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ブルー

<花風社アンチに関する考察:本編第7回>

前回(本編第6回)はこちら
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/comment-page-3/#comment-3847

前回扱った、消費者の知的水準に関する問題は、さらに掘り下げることができます。

■事例⑭:「藁を掴まないでください」&「治るビジネスに御用心ください」

このセリフは、往々にして専門職が言うものです。アンチとは限りません。「藁をもつかむ心境の人につけこむ、治るビジネスに御用心ください」という言説は、ネット上では日常的風景です。

なお、ここで言う「治るビジネス」は、発達障害に限らず、様々な疾患を対象にしています。

そしてこの文脈で、花風社も非難されたり、揶揄されたりするというわけです。「花風社は、弱っている人に付け込む悪質な団体ダー」というわけです。

この話は、一旦目線を上げる必要があります。特に何かのアンチではない専門職が、善意からこの手の情報を発信する場合は、一概に「知識でマウント取りたいだけ」と一蹴できません。

一般人に対して、正しい情報を発信していくというのは、専門職の職業倫理にも関係した話です。

ただ、ここで花風社クラスタの皆様が経験でお気づきの論点がありますね。

・何を持って正しい情報とするのか

ということです。

■水準を測る共通のモノサシ

水準を測るには共通のモノサシが必要です。例えば資格試験なら、試験問題と採点基準という共通のモノサシがあるから合否を決められるのです。

前回から取り上げている「素人集団ダー」や、今回事例として出した「藁を掴まないでください」というのは、無意識のうちに消費者の知的水準・知識量を専門職より下と判定しています。

この場合のモノサシは「専門知識の量」「国家資格の有無」「臨床経験の有無」といったところではないでしょうか。

では逆に、消費者が専門職を選ぶ時は、何をモノサシにしているのでしょうか。

例えば、花風社クラスタの方が、発達障害に関して、例えば専門職を利用しようとなった時に、無意識に心の中で使っているモノサシは何でしょうか。

これは当然「治せるか」「発達させられるか」ではないでしょうか。細かくは

 ・臨床能力はあるか
  ⇒実績(エピソード)はあるか
  ⇒知識や技術のアップデートはされているか

といったところだと思います。他にもあるとは思いますが。つまり「専門知識の量」「国家資格の有無」「エビデンス」は、最優先のモノサシにはならないと思うのですが、いかがでしょうか。

発達障害の場合、物事を判断するモノサシそのものが現状ではいろいろあります。そして、人によって使っているモノサシが随分違います。

結果として、見えている世界は全く異なったものになります。発達障害に関しては、人によって「発達障害観」=パラダイムが全く異なるのです。

この後、いくつか例を挙げます。発達障害には現状これだけのモノサシの違いがあります。それは発達障害が現代的で、発展途上の分野であるということも表します。

■モノサシの違いの例

★専門職と当事者/親御さんを比べた場合、まず知識の方向性が違います。専門職は、自分の専門分野を深堀するのが基本です。専門分野の知識を縦に掘ります。

それに対して、当事者・親御さんは、どちらかというと情報を横断的に集める必要があります。知識を、ジャンルを超えて横に広げます。発達は全人的事象なので、一つの分野の専門知識だけでは足りないからです。

つまり、知識を縦方向に掘るか、横方向に広げるか、という違いがあります。

★花風社クラスタも含めて、自閉症・発達障害に対して明るいエピソードを持っている人々というのは、末梢神経系(=カラダ)にアプローチをしています。

しかし、まだまだ発達障害を「脳機能障害(=アタマ)」という定義で見ている人々も多くいます・・・というか、日本の場合こちらがマジョリティでしょう。

つまり、注目するポイントが脳か身体か、すなわち、中枢か末梢かという違いがあります。

★「治らない」というのは、精神科の「寛解パラダイム」の影響も感じさせます。

しかし、発達障害は神経系の問題であって、そもそも精神科ではないよなぁ・・・というのも、花風社クラスタの方が感じられていることだと思います。

そして、「NEURO」を読んだり、いろいろと情報を集めると分かりますが、発達障害は固定的状態像ではありません。そうなると「治らない」という固定的状態像を表す文言とは、考え方が衝突します。

つまり、発達障害を、固定的状態像として捉えるか、変動的状態像として捉えるか、という違いがあります。

★あまりにも原稿が長くなるのでこの件は短く書きますが、花風社のアプロ―チは、やはり以前浅見さんが述べておられたように、「東洋的」です。

それは、やはり西洋医学とは使うモノサシが違うものです。結果として、パラダイムが違います。

つまり、東洋的アプローチか、西洋的アプローチか、という違いがあります。

★「エビデンスガー」というアンチが登場することがあります。もちろんアンチはエビデンスを求めているわけではないことは、本編第1回で述べた通りです。

ただ、この文脈でいくと、花風社や治せる専門職は、エピソードを集積しています。

つまり、エビデンスを重視するか、エピソードを重視するか、という違いがあります。

■事例⑮:「カルトダー」「宗教ダー」「トンデモダー」

つまり、一見、知的水準の問題に見えることを掘り下げていけば行くほど、考える基準の違い=モノサシの違いが露わになってくるということです。

そして、互いがいくつもの異なるモノサシでモノを見ているので、発達障害観=パラダイムが全く異なってしまうのです。

往々にして、違うパラダイムで判断する人同士は、互いにバカかキ●ガイに見えます。いわば「ナゾの異教徒」です。だから相手がキモくて仕方がないのです。

よく、花風社クラスタに対して、「カルトダー」「宗教ダー」「トンデモダー」という言葉がぶつけられることがあります。それは単に科学的ではないとか、論文ガーという非難ではありません。

違うパラダイムで判断する人々=ナゾの異教徒に出くわした時のキモさを表しているのです。

しかも花風社クラスタはどんどん大きく、かつ明るく元気になっていくのです!アンチから見たら、こんなにキモイ集団はありません。

そして、まだまだ発達障害は新しい分野なので、いろいろなモノサシが乱立している状況です。

■次回へ続きます

今回扱ったパラダイムの違いは、アンチの行動や心理、そして反射に根本的な影響を与えています。ただ、次回の予告を少しだけすると、単にパラダイムが違うだけではアンチにはなりません。

アンチになる条件、それは、パラダイムが違う人々に出くわした時に・・・

今回は長くなったのでこのへんで。次回へ続きます。

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浅見淳子

ブルーさん、今回もありがとうございます。
あっちこっち出かけているうちに、担当に渡しておいた私のブログは更新されるわ、ブルーさんのアンチ考察は更新されるわ、おまけに雑談のお部屋もアクティブだわ、とあっちこっちみていたらおまけに愛甲さんからお電話がありました。昨日質問をする会の資料を送ったので「なんじゃこれは~」になったのですね。どういうことかというと、質問する方が愛甲さんにみてもらいたい、と送ってきた知能検査の結果に対するどっかの凡心理士の評価がめちゃくちゃだということでした。こんな心理士がまかり通っているのかと思ったそうです。

まあことほどさように、我々はできない、治せない、唯一のやれることがアセスメントなのにそれさえ外す有資格者を見過ぎているのですよね。

また、「不安につけこむ」。これに対しても私は意見があります。またお返事書きますね。

ありがとうございました。

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ブルー

浅見さん、お忙しい所コメントをありがとうございます。

>質問する方が愛甲さんにみてもらいたい、と送ってきた知能検査の結果に対するどっかの凡心理士の評価がめちゃくちゃだということでした。こんな心理士がまかり通っているのかと思ったそうです。

まあことほどさように、我々はできない、治せない、唯一のやれることがアセスメントなのにそれさえ外す有資格者を見過ぎているのですよね。

⇒専門職の論点ですね・・・。

花風社は発達障害を扱っていますが、
必然的に「専門職問題」を扱っているようにも思います。
これはこれで一つのジャンルになりますね。

お返事ブログも楽しみにしております。いつもありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します。

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いぬこ

毎回とても楽しみにしています!
全てが終わったら、(終わってほしくないー)
感想を書かせて頂きたいです。

今日のキモいのくだりに爆笑でした。
治った!治った?やったね!といつも元気で頼もしく、強くて清くて明るいクラスタは、
アンチからするとさぞやキモいのでしょう。
治ってるんだもの、キモさ万歳でございます。

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ブルー

いぬこさん

コメントありがとうございます。そして、爆笑して頂けて何よりです。

考えてみると、発達障害のコミュニティで「明るい」場所は非常に貴重ですね。
私が知る限りは、花風社クラスタと、以前取り上げた「ハッタツBar」くらいかなぁと思います。他にもあるとは思いますが。

アンチは例え機嫌の良さそうなつぶやきをしていても、
twitterアカウント全体にどことなく暗さがあります。

その暗さの原因は何かということを、この連載で検討しております。
今後とも宜しくお願い致します。

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金田 隆佳(かねた たかよし)

ブルーさん、今回もありがとうございます。

今回「情報」「モノサシ」というキーワードが出てきたので、返信という名目で、僕が個人的に面白いなぁと思ったことを書かせてください(笑)

「なぜ人と組織は変われないのか」という発達心理学と教育学の専門家が書いた本があります。

第一部「変われない本当の理由」の中に、大人の知性には

・環境順応型知性
・自己主導型知性
・自己変容型知性

と3つの段階があり、「その特性によって、世界の理解の仕方と、世界で行動する際の基本姿勢がまるで違う」ということが書かれています。

それぞれの特徴も詳しく書かれていますが、ブルーさんの考察に合わせて読んでいて面白いのが「情報をどのように受け取り対応するか」についてです。

それぞれ、情報をどのように受け取り対応するかを直接引用し書いていきます。

================================
【環境順応型知性】
このレベルの知性の持ち主にとっては、重要人物の意向に反しないことと、好ましい環境に自分を合わせることが、一貫した自我を保つうえで大きな意味を持つ。

そのため、情報にとても敏感で、情報の影響を受けやすい。

受け取る情報はたいてい、言葉で表現されるメッセージだけにとどまらない。ときには、相手のメッセージの意味をくみ取ろうと神経質になるあまり、メッセージの送り手が意図した以上に強い影響を受ける場合もある。

その結果、リーダーはしばしば、どうして部下が「あの言葉をこんな風に解釈するのか?」と驚き、戸惑うことになる。

情報のアンテナが歪んでいれば、実際に届く情報は送りての意図と似ても似つかないものになりかねない。

【自己主導型知性】
自己主導型知性が環境順応型知性と違うのは、どのような情報を受け入れるかを選別するフィルターを作り出すという点だ。

最優先されるのは、自分が求めている情報。その次に優先順位が高いのは、自分の計画、基本姿勢、思考様式との関わりが明白な情報だ。

自分が求めておらず、自分の計画とはっきりした関連も見えない情報は、フィルターをすり抜けることがきわめて難しい。

【自己変容型知性】
自己主導型知性の持ち主と違うのは、フィルターと自分が一体化していないということだ。フィルターを通してものごとを見るだけでなく、フィルターと距離を置いて、フィルターそのものを客観的に見ることができる。

フィルターをうまく活用しているが、フィルターの奴隷にはならない。

自分の持っている地図が正しいと判断すれば、自己主導型知性の人たちと同様に、その地図に基づいて目的地に向けてまっしぐらに車を走らせる。しかし、それより重んじているのは、現在の計画や思考様式の限界を教えてくれる情報を得ることだ。

玉石混交の情報の中から石を弾き出すうえでフィルターは重宝しているが、ときにフィルターが有益な「黄金の石」まで弾き出してしまうことも忘れていない。

既存の計画をすべてひっくり返し、いっそう高いレベル計画を築くうえでは、自分が求めていなかった情報、変則的な現象、一見すると重要でなさそうなデータが欠かせない場合もある。

=====================================

仕事や治るための情報はもちろんですが、「情報」には色々な意味があります。

そのような情報を「どのように受け取り」「どのように対応するか」にも自律(反射のコントロール)が関与しているってことですね。

発達障害でも働けますか?のP185の図に当てはめてみると、土台ができてきて、「自我を保つので精いっぱいの状態が環境順応型知性」ということが分かりますので、自律できているのは「自己主導型知性」からです。自己変容型知性は自律レベルが高いともいえます。

発達障害でも働けますか?のP33の図は、そのまま知性と情報の受け取り方、対応の仕方にも当てはまりますね。

僕たちが「大人の知性」を身につけているのか?どの大人の知性まで発達しているのか?で、情報の発信、受け取り、対応方法に大きな違いがあるってことですね。

長文失礼しました。

次回も楽しみにしています。

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ブルー

金田さん
コメントありがとうございます。

その本はちらっと見かけたことがあります。
そうなんですか、そういうことも記載されているのですね。

そして金田さんが書かれている通り、パラダイムの違う情報に対して

>「大人の知性」を身につけているのか?どの大人の知性まで発達しているのか?
>で、情報の発信、受け取り、対応方法に大きな違いがあるってことですね。

⇒仰る通り、これがポイントです。そしてポイントですので、次回のテーマです。

今後ともよろしくお願い致します。

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nobutaku

いつもとてもわかりやすくて頭の中を整理するのに本当に助かります。ありがとうございます!
なぜあの人たちはあれほどまでにこちらを理解できないのか?なるほど、そもそものパラダイムが違えばいくら進んでも交わることはない異次元空間ということですね。
ていうか、そんなに構えなくても、「ちょっと読んでみるか」とか「暇だしちょっと試してみるか」とかにならないほどに思考も認知も行動も凝り固まってる不幸は、側から見ると痛々しいとしか言えません。

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ブルー

nobutakuさん

コメントありがとうございます。

>なぜあの人たちはあれほどまでにこちらを理解できないのか
>思考も認知も行動も凝り固まってる

⇒次回はこれに関して、掘り下げます。

本文にも書かせて頂いた通り、パラダイムが違うこと、
単にそれだけではアンチにはならないです。
逆に「え?!治るの?」となって、読者になる人がいる。

また、パラダイムが違う帰結として、結果として花風社が嫌いだとしても、
まだそれだけではアンチにはならないです。

「私は花風社は嫌いです」というだけ・・・つまり「考えの違う人」です。

そして、こういう人は、例え「治る言説」や、花風社が嫌いでも、
「奇妙な執着」をしないです。で、それが通常の人なのです。
嫌いなものからは離れていき、そして忘れていきます。

ところがアンチは、最古参だと10年にも渡り・・・ということです。

こういった違いがどこから生じるのか、ということですね。

もし宜しければ、今後も連載をお読み頂けますとありがたいです。
宜しくお願い致します。

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シア

こんにちは。
とある「ありのまま系」の人が、こんなことを言ってました。
・「改善の先には改善しかない。」
・「修行をいくら進めても、己を受け入れることができない。」
しかし、これらは私の価値観にはそぐわなくなって久しいです。
「市場」で受け入れられるには、常にいいものを出していきたいし、同じでもコストを下げるとかすることができます。
それで競争に勝てるのではないか。
惰性で仕事をしているのは、ある意味つまらない・不幸なことです。
創意工夫があって、それによってやりがいも生まれるし、自分の技術や知識がアップデートされることで、成長も感じられます。
もし体力勝負でなくても、常に新しいことも取り入れて、時代に取り残されないようにもしたい。
「受容」と言うのは聞こえはいいけど、「諦念」に近いものではないのか。
昨日と今日と明日は違います。
常に新しい一日で、違う自分を生きていると思います。
それが、「発達」と言う考え方に向き合うことで得られることだと思うんです。

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浅見淳子

改善の先にはまた課題が出てくる。
当たり前じゃんねー。
なんでそんな当たり前のことでくじけるのか。
わからん。

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浅見淳子

昨日、ブルーさんの記事、第6回にお返事ブログ書いたのですが
その後味噌ぴさんのツイートを見て「書き忘れた!」と思ったことがあったので追記を書きました。

あとでメッセージコーナーにも貼るつもりですが
ブルーさんの連載は仕事のお部屋で続いているのでここにも貼っておきますね。

https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/65cc92ddbedbd0e3a678878159c0a275

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ブルー

浅見さん、ありがとうございます。
専門性・・・というか、「専門家」問題は深いですね。

それだけで多分またシリーズ連載できます。(やるかどうかはともかく)
私達には死活問題ですね。専門家の選択は。

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シア

配送業者に商品を持ち込むと、仕事は割れてしまいます。
一度、配送業者が事故を起こして、補償を受けたことがあります。
その手続きで、完全に仕事が割れました。
しかし、配送業者が「力の強いおじさん」ではなくて、会社員であって、お客さんを大事にする、私と同じだったと言うことが分かりました。
それで、「お疲れさま。」「よろしくお願いいたしますね。」そう言い合える、一緒に一つの仕事をする人間として、考えられるようになりました。

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