「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

仕事のお部屋

就活、職場でのこと、将来の展望・・・。
仕事にまつわること、なんでも話しましょう。

810 COMMENTS

nonmama

こんばんは。
久しぶりにコメントしています。

小さい頃に発達凸凹のあった現在大学4年生の息子ですが、この度就職先が決まりました。本人はやっと就活が終わったと喜んでいます(笑)

何社も受けてよく頑張ったなぁと思います。来年の秋からは奨学金の返済も始まるので、頑張って働いて欲しいです。

心配な気持ちもありますが、主人は若いうちはやりたいことをしてみたらいいと楽観的なのでわたしもそんな気持ちで見守りたいと思います。

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浅見淳子

nonmamaさん

おめでとうございます。
そしてありがとうございます。

発達障害児が元発達障害児になって、社会に出ていくのが私の夢でした。
私の夢をかなえてくださったから、ありがとうなのです。

幸多い未来をお祈りしております。

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座波淳

nonmamaさん

座波と申します。
おめでとうございます。
まずは一安心ですね。
とはいえ、これからです。それもまた楽しみですね。

座波

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シア

皆さんは、「フィニッシャー」と言う言葉をご存じでしょうか。
私がこの言葉を知ったのは、この仕事を始めて、模型業界の方に「フィニッシャーさんなんですね」と尋ねられた時です。
もともとカーモデルの業界で使われるようになり広まった言葉で、文字通り「フィニッシュさせる人」「完成させる人」「終わらせる人」を指します。

親父に「俺はフィニッシャーなんだって」と家に帰ってきて言うと、「それは責任重大だな。」と真顔で言われました。
親父は先進都市計画(アドマンスド・シティ・プランニング)の仕事を今でもしてるのですが、聞けば道路工事の分野でも、「アスファルト・フィニッシャー」と言う機械があり、それが道路上で働いて、道路が完成するんだそうです。

現代社会においては、労働は富士山の裾野のように広まっていますから、末端業の人たちが最も多く、多くの人がフィニッシャーないしその要素があると思います。
例えばコンビニの店舗でも、接客をする人は商品棚に陳列されたものをお客さんが手に取り、レジに持って行ってお客様の手に商品が渡るわけですが、フィニッシャーです。

何かを製造する作業過程の人も、材料を受け取って、次の製造ラインに引き継ぐ商品を完成させて、引き渡していくわけですから、その意味で皆さんがフィニッシャーだと言うことがわかります。
フィニッシャーと言う考え方が何故大事かと言うと、お客様に手渡されるまでに、多くの人の労働を経て、それぞれが仕事を完成させて、それが引き渡されてくるわけです。
だから自分の仕事がうまくいかないと、それだけでそれまで多くの人が関わった作業や労働が無駄になってしまう…だからものすごく責任重大なわけです。

自分自身が仕事のフィニッシャーであると自覚し、責任感とプライドを持っていくことで、よりその人のやる気とポテンシャルが上がり、仕事の品質があがるでしょう。
もちろんフィニッシャーと言う自覚は重大な責任感をもたらしますが、それと同時に仕事に誇りとプライドを持つことができます。

「フィニッシャー」なんて言われても…と思っても、もし誰かに雇われているなら、「貴方にならこの仕事ができるから」「適任だろう」と任されて、その職場に配置されていると言うことを、忘れないでほしいです。
縁あって、選ばれてそのポジションについているわけですから、自信を持ってフィニッシャーのミッションを遂行していただければよいと思います。

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シア

今日は依頼を受けた商品を製作していました。
他のものと並行しての製作です。
「この前と同じようにしてほしい」と言うことで、仕様がきっちり決まっているので、ある意味やりやすいです。

売れるようになるまでは、腕次第で試行錯誤が大変でしたが、一定の品質を認められるようになってから、「これがスタンダードプランです」と言うようなことができるようになってきています。

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シア

続報です。
現時点で完璧な仕事を目指していたのですが、予算の都合上どうしてもお客様の期待に完全には答えることができていません。
私も不勉強であるがために、何事も制約がある中でやっているため、どうしてもむつかしいですね。
モノを作ると言うのは、本当に奥が深くむつかしいものであると、それを改めて感じています。
お客様には仕上がりに影響するならば、今回はそれでいいと言っていただけているのが不幸中の幸いです。
他の業界関係に何か仕事を依頼するときにも、その世界のむつかしさがあると覚えておこうと思います。

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浅見淳子

シアさん

ご存じのように花風社はかつて、あまり社会経験のない当事者の人たちと本を出していた時代がありました。その人たちは今、社会経験を積んでいますが、当時は実社会にあまり出たことがなかった。でも本を一冊作って売るという途上で、多くの人々の手がかかっていることがわかって、社会のリアルなところがわかりやすくなったみたいですよ。社会は分業だということは、大事な知識ですね。

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シア

高額な商品を発送して、無事に届いたと連絡がありました。
これでほしいものがまた手に入るだけの売り上げが確定しました。
以前は、金額の大きな仕事をこなすと、荷下ろし状態になってへたりこんでいましたが、今はそういうこともなく、次もやるぞー!と気合を入れる余裕があります。
どっちにしろ大きな単価の仕事が終わった後は、しばらく休めるのですが。

私自身、模型を買っていた時期があって、それを注文して製作が進んで届くのを楽しみに待っていた時期があります。
当時は全く違う仕事をしていたんですけど、注文した模型が届くまであまりうまくいかない日々でも頑張ることができたのでした。
だから私の仕事は、例えばその仕事を受けて一週間とか時間がかかるとして、それを待つ人がその期間頑張ることができるお手伝いができると理解しています。

模型を作るとか、作業自体の魅力とか、スキルアップなんて言うことは本当にちっぽけなことで、そうやって一週間(ものによってはもっと長く)注文したお客さんが個人の方ならばその間ご自身のお仕事を頑張ってくれるでしょう。
そういうことがさまざまな作業のうちでも、大きなやりがいとなっています。

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シア

仕事場で一番働く?
そういうのこそ信用されません。
「あなたが休まないと周りが休めない。」と言う説明が何度もされました。
私はそのように仕事をやったら真面目にやり通そうという気持ちがありました。
だから「あなたが休まないと…」と注意されたんです。

どうも本当の仕事の本当の話をしたいんですよ。
ここではそういう話に限りやっていきます。

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シア

病んでいる人を見ると、仕事がない人が多いです。

仕事で病んでいる人もいるけど、病むと仕事ができなくなるので、やっぱり病んでいる人は仕事がない人が多い。

「これは仕事じゃないから。」と自分に言い訳ができるので、役割のある人は余計なことから距離がとりやすいのかもしれないと思います。

もし仕事がない人でも、自分の役割に照らし合わせて「これは自分が関わるべき重要なことなのかな」と考えてみるといいのかもしれないなと思います。

また病んでいる人でも、「自分の病気療養」が役割であって、「病気の症状を助長するようなこと」は避けるべきですよね。

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シア

だいたいは大丈夫なんだなと言うお話です。
私の周囲では、仕事を首になったとか、そういう人はあまりいません。
雇われている人も、仕事を失うような致命傷はよほどの限りなく、冒頭述べたように「だいたいは大丈夫」なんだと思います。
わざとミスをすることかは考えられないだろうし、悪意のある行為がなければ世の中の仕事はだいたい大丈夫なんだと思います。

最近、数日間注文がなく、仕事も薄くて危ないかなと思っていました。
しかし今日メールをチェックすると仕事が入っていました。
心配して損をしましたが、慢心せずに技術を上げて行ったり、勉強もしなきゃいけないなと思いましたよ。
だからだいたいは大丈夫なんだけど、それに甘んじてはいけないなと言う思いです。

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シア

こんにちは。

日本も国際化が進んでいるように思います。
それは、国内に外国人が増えているからだと思います。
ここ数年、接客の仕事をすることもあったし、物販は今もしてますけど、その両方で変化があったと思います。

接客では、昔ほどびしっとしたような態度は求められません。
東京のコンビニではユルイ指導のところが増えている気がしますが、これは外国のバイトさんが増えているからと聞いたことがあります。
また、新幹線の車内販売がなくなるそうですが、実際バイトした店舗でもそのようにスマホで商品を探したり、QRコードで無線で店員に知らせたりするような事例がありました。

また経験の長い物販ではより具体的に言えますけど、「外箱の擦れ・ヨレ」など、数年前の日本では非常に神経質でそういうことでうるさいお客さんが多かったのです。
それが最近そういう神経質なクレームをつけるお客さんが激減して、ほぼいなくなりました。

外国からネットでモノを買う人が増え、海外から長い航路を経て到着したそれは、外箱の擦れやヨレなんて、当たり前で傷がついていたり、潰れていたりするから、体制が付いたのでしょう。
メイド・イン・ジャパンを日本人が使用する時代じゃなくなったため、変化が出てきたのだと思います。
家電も今ではパナソニック基準ではなく、シャオミ基準ですし、シャオミの水準も上がってきてはいますが、国際基準はそこまで神経質ではないんですね。

過剰梱包とか、分厚い説明書がたくさん入っている…と言うのも過去のお話です。
神経質な高品質さを求められなくなったので、総じて接客でも物販(製造など)でも参入しやすくなっているのではないでしょうか。

おもてなしの心情が薄れるわけではないでしょうけど、日本人でも「人当たりの良さ」とか「礼儀正しさ」とかは人により差がありますので、神経質なまでに求められないのはやりやすくなったと思います。

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シア

こんにちは。
ちょっと気づいたことがあるのです。
「自分を奴隷にできる人が勝つ」と言うことです。
古代ローマ帝国は奴隷の力で隆盛しました。
借金を返すために自ら人は奴隷になり、また市民に昇格して借金ができるとまたどれになりました。
日本の富国強兵政策でも、現代アメリカでも人は奴隷のごとく働きます。
搾取されているなどと言いますが、多くの「奴隷」のおかげで国は豊かになり、強くなり、みんながハッピーなわけなんです。
奴隷にもいろいろな分類があって、貴族(パトロン)に飼われている芸術家なども、心身をすり減らして最高の芸術を作る奴隷です。
現代では収入を得る契約をしたら、それだけの労働をしないと対価をもらえません。
つまりはこれはローマの奴隷と本質的に変わりません。
人間は奴隷になることで強くなることがわかるわけですが、自らも社会も国も人類も全員が奴隷になることでそれは至高の結果を生んできます。
現代社会で勝つには工夫やメソッドも大事ですが本質的にはいかに長く奴隷になれることが大事で、健康を害さず嬉々として奴隷になっていられる時間が長いことが勝利につながるんだと実感します。
自分の好きなこと・得意なことが見つからずとも、奴隷はできますが、最も不幸なことは力のないことで、奴隷として役に立たないことなんです。
治って奴隷になって、契約してたくさんの収入や国益を形成し、人類の発展に寄与する奴隷になり、自分を手なずけることが勝利の鉄則だと思います。

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シア

古代エジプトやローマの奴隷を見ると分かりますが、音頭を取る係の奴隷もいるし、これはピラミッドを作る巨大な石を運ぶときに、「よーい・よーい」と日本語にすればそのように音頭を取る奴隷係です。
個の奴隷は現代では現場監督ですね。
また娯楽を用意する慰問奴隷も壁画に描かれていますし、国王は国のために天から遣わされたと言いますが国に奉仕する奴隷のトップです。
しかし、いつの間にか「自分は奴隷ではない」とか「奴隷のように扱わないで」と言う人たちが出てきています。
確かに人権と言うのは大事ですが、それが守られるにはみんなが余裕があって、奴隷として働ける人がたくさんいてのことです。
だから人は喜んで奴隷になるべきだし、奴隷業務を行うのが人間の義務と言えます。
だから「奴隷を嫌がる根性」は怠け心の形を変えたものであると分かります。

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シア

人間をダメにする・堕落させる悪魔のささやきが、「奴隷になるな!」です。
今まで書いてきたことから、人間は自分の好む形の奴隷になって、積極的に奴隷を続けるために健康をどうこう考えるのが、本来の在り方だと分かります。
多くの人が奴隷に志願し、奴隷業務に励む。
それが健全な社会なんだと思います。
活躍した奴隷は活躍した奴隷の報酬が得られますし、これはグラディエーターが勝利すると称賛されて将軍になれるのと同じです。
現代の奴隷は自由ですから、怠けるのも自由なんですが、それによって負けるんです。

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シア

奴隷の成り立ち。
西洋の中世では、そんなに人間は働いていなかったようですね。。

現代の生産性を求める社会構造とは違い、一日5時間ほど働き、週に四日ほど実労働していたと言うのが、長い人間の歴史であって、それくらいで最低限食べられるんだと思います。
最低限を、どこに求めるかによって、人間はたくさん働くようになっているんだと思いますが。

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シア

宮崎駿監督の映画が公開されました。
監督が製作中の映像がありますが愚痴ったりぼやいたりがすごいです。
仕事の愚痴を言ったり、ぼやいたりする人はいますが、その方がまっとうなのではないかと思うようになりました。(ただ隠れたところで言うべきではあります。)
仕事はお客さんになり代わって業務を代行しているわけで、人がめんどくさいな・つまらないな・しんどいなと思うことをするから仕事なんだと思います。
仕事をしたくないという人もいると思いますが、やりたいことを仕事にできたら素晴らしいなとは思います…ただ理想は現実とは異なるので、なかなかうまくいきません。

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浅見淳子

ジブリってすごいらしいですね。
愛甲さんなどは大学の講義の教材にも使われています。
私は全然ぴんとこないんですけど。
今は「あまちゃん」に夢中です。

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シア

人それぞれ適性があるとは思いますが最近「消える仕事」が増えていってます。
レジ打ちの仕事がなくなる前に銀行業務はネット銀行の登場により事務員が要らなくなってしまいました。
銀行内部で上の方で働いている兄は自分は早くに金融機関に勤めていたので仕事があるが一般事務とかそういうのは銀行では「消滅した」そうです。
お役所でもハンコを押す業務がありましたがペーパーレス化と脱ハンコでその仕事が消滅しました。
電子化・合理化により書類のお仕事はかなり消滅していくと思います。
文章作成のお仕事もAIが侵食していくでしょう。
他方肉体労働系はどうかと言うと「資格」を取っていくと強いようです。
父によるとナントカ工事士とかそういうのは講座を受けるだけでもらえるようなものもあり各々の現場に配置しなければならないそうです。
フォークリフトとか重機オペレーターは「かなり」高給なそうです!
重機オペレーターの分野は女性も増えているそうですよ。

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ブルー

<一般雇用で1年経過>

私は手帳を返納し、障害者雇用から一般雇用に移行して働いて1年が経過しました。先日、その1年に対する人事評価の結果が知らされました。

■契約更改(みたいなもの)

先日、私の契約更改(みたいなもの)がありました。

契約更改(みたいなもの)と書いたのは、スポーツ選手の契約更改とよく似た制度だからです。

私の勤務先は1年に1度全社員の人事評価をした後に、次の年の年収も本人に知らされます。納得したら承認して決定だし、納得がいかないなら異議申し立て制度を使います。

勤務先は新卒が全然おらず中途の人ばかりです。だから年功序列がありません。年収は評価によって上がったり、据え置きになったり、下がったりもします。定期昇給も20代の若手には少しだけあるようですが、30歳を超えたら一切ありません。

私にとって今回の契約更改(みたいなもの)は、一般雇用の最初の1年間の評価を確定する機会です。だから、年収が下がろうがなんだろうが、これが新たなスタートラインだと思っていました。

■人事評価の結論

——————————————————————
<評価と年収>

・評価は前年通り据え置き→年収ダウンはなし
・年収はインフレ対応につき、●%の年収アップ(これは全社員一律)

★ただし、「新年度はこの点を頑張ってください」という課題つき

——————————————————————–

結果として、評価、年収のダウンはありませんでした。

私は一般雇用に移行した後に、障害者枠の頃よりも多くの仕事を任されるようになりました。それは同時に、私の処理能力のテストでもあったわけですが。

結果として、私は追いつけないことが多々ありました。他の方から「ブルーさん、あの件どうなりました?」と言われることも数度ありました。期限までに仕事をやり切れず、同じチームの方にヘルプを出したこともありました。

人事評価の詳細は書きませんが、私の処理能力と仕事の品質について、職場の人々は

・速くはない
・しかし、丁寧に高品質のものを出す

と思っていることが分かりました。

成人のハッタツ、特に自閉系(ASD)の職業能力について詳しい方は、ここまでお読みになるといろいろとお察しできるはずです。これ以上は省略しますが。

それと、もう一つ高評価だったものがありました。それは私が全人生をかけて改善してきた物事です。人事評価にはこうありました。

・コミュニケーションがお上手だと思います。
(※引用者注:あくまでも仕事上に限れば)

私は中年の年代になって、ようやくこれを達成しました。

それも無理をせずに自然にできるという前提つきです。負荷のかかる「擬態」の割合が極めて少ないということです。というか、もはや擬態の必要がありません。

思えば新卒の頃、

「お前は能力以前にそもそも性格が悪い。お前のような奴と仕事をしたい人はいない」

と父親に叱責されてから20年近くの時が過ぎていました。

■部門の総務リーダーから

契約更改(みたいなもの)の場には、直属の男性上司と、部門の女性総務リーダーがいました。この女性総務リーダーは、いうなれば「バックオフィスの大女将」みたいな立ち位置の人です。

すなわち部門のバックオフィスで一番社歴が長く、一番社内事情に詳しく、つまりバックオフィスで一番偉い人です。

そもそも、大女将は私の入社面接の担当者の一人でもありました。そして私が入社した際には、職場に慣れるまでのサポート担当でもありました。私の特性を知り、今日まで影に日向に、私の後見人のようにサポートしてくださってきた方でした。

そして私が一般雇用に移行した際に、(テスト的な意味もあり、そして勤務先の規模拡大もあって)私の業務量を増やした人でもあり、今回の人事評価の一翼を担った人でもありました。

今回の契約更改(みたいなもの)では、そんな大女将からずいぶんとアドバイスを頂きました。実際、直属の男性上司よりも、大女将がしゃべっている時間の方が長かったです。先ほど、

★ただし、「新年度はこの点を頑張ってください」という課題つき

とありましたが、これを人事評価に記したのはこの大女将です。

■人事マネージャ―

さらに、この契約更改(みたいなもの)が終了後、私は人事マネージャ―にもミーティングを依頼しました。この1年の報告をしたかったからです。

特に、年収が昨年度キープであったことも含めて「来年度への課題はあるが、なんとかやれている」ことを報告したかったのでした。

ただ、ミーティングといっても、軽く雑談をするような感じでした。そして全然自覚がなかったのですが、私はもはや中堅とされる勤続年数でした。

人事マネージャー:
「ブルーさんも入社●年目で、『中堅』です。頑張って頂かないと(笑)」

ブルー:
「すっかり忘れてました(笑)」
「私のいる研究開発部署はベテラン揃いだから」
「どうも自分が若い感じが抜けなくて(笑)」
「テクノロジー&デザイン部隊とか、マーケティング部隊に足を踏み入れると、若い人が多くて自分が年喰っていることが分かるのですが」

ミーティングは和やかに、30分ほどで終わりました。

■人事の仕事

この人事マネージャーにも入社以来、ずっと良くしてもらってきました。

それはそもそもインクルージョンという人事の仕事だからであり、この方の人間性でもあります。この方は「人事がライフワークです」とも仰っていました。

そして一般雇用への移行の際には、ずいぶんと御心配をかけました。その時の様子もこの仕事のお部屋に記事があります。

そして世間で障害者雇用に関連したニュースが出るときに、私は往々にして人事の苦労に思いを馳せます。そしてしばしば人事に同情します。特に社内のハッタツに手を焼いているならなおさら。

それはこの人事マネージャーにも凄くお世話になった経緯があるからです。

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座波淳

ブルーさん

おめでとうございます。
合ってますかね?この言葉?w

> ・コミュニケーションがお上手だと思います。
(※引用者注:あくまでも仕事上に限れば)

仕事をする上では、性格を変える必要も、職場以外で関わる必要もまったくありません。
円滑に、滞りなく仕事が進められればいいわけですし、その上で、気持ちよく仕事ができれば言うことはないですからね。

> ★ただし、「新年度はこの点を頑張ってください」という課題つき

そして、仕事ぶりをよく見て下さり、次の課題まで示していただけるのは大変ありがたいことですね。

> 「ブルーさんも入社●年目で、『中堅』です。頑張って頂かないと(笑)」

年次が上がっても同じ質量の仕事を同じ時間をかけてやっているのは自分も会社も困りものです。質の高い仕事をより多く、短い時間で処理できるようにならないと、ですよね。中堅であれば自分の仕事をした上で、指導やサポートも求められることもありますね。

いやいや、週末の朝からいいお話を伺うことができました。
ありがとうございます。

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ブルー

座波さん

ありがとうございます。「おめでとうございます」で合ってますw。

これは治った自慢でもあるのですが、WAISで定型に満たない検査数値が消失したことや、体験世界においては立体感を得たこと(自分が2Dで世界を見ていたことがその時初めて分かりました)、また友人の指摘などもあって、明確に自分の神経系が新しくなった感じがしていたのですよね。

だから新しい神経系で一般雇用ではどの程度の年収になるか、それを検査するための1年でもありました。

職務上の課題もありますし、今年が正念場だと思っております。だから日々スッゴい勢いで頑張って働いております。ASDはとかく処理速度が弱点になりがちですが、だからこそ日々全速力ですねw。

それと、最近は社会がアフターコロナになって様々な物事がアップデートされている感覚を覚えます。公私ともに自分自身をリニューアルさせていく時期だと思っております。

今後ともよろしくお願いいたします。

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座波淳

ブルーさん

教えて下さい。

> 体験世界においては立体感を得たこと(自分が2Dで世界を見ていたことがその時初めて分かりました)、また友人の指摘などもあって、明確に自分の神経系が新しくなった感じがしていたのですよね。

理解としては、神経系が新しくなった感じと、体験世界において立体感を得たことは相互関連的な事象ということでよろしいですか?

とすると、いわゆるアタマでっかちの情報処理だと2D、カラダからの情報や無意識下の情報がきちんとアタマに入っての情報処理だと3D、という感覚になりますでしょうか?
「机上の空論」と2Dでの情報処理を揶揄するのは実に秀逸な例え、ということにもなりそうですよね。

僕がハッタツの人の課題の1つと考えていたのが、静止画像としてしか処理できず、動画としては処理できない、ということなのですが、解像度や容量の大小ということでは「2D・3D」と共通する部分も多いイメージと感じましたが、いかがでしょうか。

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ブルー

座波さん

>理解としては、神経系が新しくなった感じと、体験世界において立体感を得たことは相互関連的な事象ということでよろしいですか?

→おそらくそうだと思います。

立体感だけではなく、WAISの件や原始反射統合やトラウマ処理などなど、体験世界と実際の身体の様々な変化を経験した結果、自分の神経系が新しくなったような気がしていた、ということですね。

だから「この神経系で一般雇用にしたら年収どうなるかな」と思いました。

>いわゆるアタマでっかちの情報処理だと2D、カラダからの情報や無意識下の情報がきちんとアタマに入っての情報処理だと3D、という感覚になりますでしょうか?

→はい、そういう感覚とそういう理解です。

先もお伝えしたように、実は2Dで世界が見えているにも関わらず「この世は3次元だから」とアタマ(主に前頭葉?)で補正をかけて処理をしていたらしいです。これは自分が3Dで世界が観えるようになって初めて分かりました。

>静止画像としてしか処理できず、動画としては処理できない

これは、エージェントKの創業者が言っていたことと共通するかも知れませんね。あの方はこういう表現をされていました。

エージェントK創業者:
「発達障害の人は『静的コミュニケーションはできるが、動的コミュニケーションが苦手』という人が多い。」

そうすると

>解像度や容量の大小ということでは「2D・3D」と共通する部分も多い

多分↑これにつながるのでしょうね。

2Dで賄えるのは文字の世界、すなわちデータ量の小さいテキスト情報と、後はせいぜい「静止」映像情報の世界だけです。これならギリギリ、アタマだけでも賄えます。ハッタツの人って資格試験好きですよね。あれはペーパーテストという2Dの世界だからです。

しかし3Dや動画は情報量が桁違いですよね。だから末梢神経系も含めて、全身の神経系や五感を使えないと情報処理できません。

だから3Dでしか処理できないようなデータ量が襲ってくると、ハッタツの人は往々にしてアタマがパンクします。

おそらくパニックや脳の過活動はこれです。体験的にそう思います。過去の私がそうでした。あるいは恐怖麻痺やモローが出る可能性もあります。これもかつての私です。

3Dで世界を認識できるようになってから、首から下を使ってコミュニケーションをしたり、情報処理をできるようになってきた感覚があります。文字にならない情報も使ってコミュニケーションしている感覚があります。あくまでも以前の自分に比べてですが。

でも、「以前の自分に比べて」という表現ができるほどに変わったわけです。だからこういう事も含めて「神経系が新しくなったのではないか」と思いました。

今でも私は機転の利く(=現場情報の応用展開力が高い)方ではないです。相変わらず雑談は苦手です。それでも動的コミュニケーションは以前よりだいぶマシになったように思います。

長々とお伝えしてしまったのでまとめますと、座波さんのご提示いただいた理解の仕方であっています。私のエピソードはその事例と思っていただけると幸いです。

ちなみに「私の治った自慢」のお部屋にも、立体感のエピソードを上げておきます。こちらも併せてお読み頂けると幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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シア

もう古い本ですが石川元先生がMPEGを引用したお話を展開していました。
脳による更地のお話とか2D 3Dのお話は石川先生が片目が見えない方なので立体視ができずそこから独自にそのような理論を展開されたとも聞いています。

動画に関しても説明をされていまして先ほどあげたMPEG理論がそれで動画を再生するとき静止画と静止画の間の情報を保管してスムーズに見えるようにする技術があります。
コマ送りでもその間の空隙情報を想像力で補完しているのではないかと言う理論です。

ご興味があれば
「隠蔽された障害」漫画家山田花子と非言語性LD(絶版)岩波書店 

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座波淳

ブルーさん

ありがとうございます。
よくわかりました。

センモンカとしてはこのように当事者の方から学ぶしかないわけなので、今日からの仕事により確信を持って取り組めます。

なお、動画的処理ができないセンモンカが2Dとは?とそれ自体を静的理解するのと、動的処理ができるセンモンカが2Dとは?にとどまらず、2Dから3Dへの移行は可能か?方法は?と動的に理解していくのとの違いについても確信を持ちました。
センモンカを利用する側が2Dのままであればさもありなん、という感じですね。

ではなぜ、2Dの状態で疑問を感じ自己改善に向かう人とそこにとどまる人がいるのか?
民間サービス提供者としては疑問を持てる方を対象にするだけでも十分なマーケットなのですが、センモンカとしては次の課題として考えていきたいと思います。

シアさん、情報提供ありがとうございました。

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浅見淳子

先日還暦同窓会に出て気づいたのですが
高校の同級生は本当に様々な仕事についていました。
赴任地のインドからやってきた人がいて、今では私たちくらいの年でも赴任しているのだな、と思いました。ずっと外地にいて自由な仕事をして病気と無縁だそうです。
シアさんのお母様と同じくお針子の人もいました。高校は普通科だったので、卒業後そちらの道にどこかで進んだのでしょう。自作もやっているし、チェーン店でお直しとかもやっているようです。
皇居脇の一流ホテルでシェフになっている人もいましたが、やはり卒業後どこかでそういう道に出会ったのでしょう。
またバイクのテストドライバーとかスカイダイバーとか、「そういう仕事世の中にあるんだ」と思うような仕事についている人がいました。きっとみんなから見ると私もそうなのだと思いますが。現役の舞台女優の人もいます。
だいたいにおいて公金チューチューの人が少なかったです。
知らず知らずのうちに、私はそういう文化の中に育ったからこそ、医療福祉界隈が異様に見えるんだろうな、と思いました。

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シア

おはようございます。

コロナ禍があって不要不急という言葉があり何が大事なのか大事なものって何だったのだろうかと考えていました。

自分を否定された気持ちもありそれを守ろうと怒っていた気もするんです。

勝手気ままにできていたことがとてもありがたかったのだと思います。

自分なんかが我慢することなんて大したことのないことだと思っていました。

でも自分に理不尽になると他人にも我慢を強いることになってしまいます。

あの人はずるいとか考えてしまうのです。

そうやって他人を縛るのは相手を大事にできていないなと思い反省しました。

自分も相手も大事なのです。

何が大事なのか大事なものって何だったのだろうかと考えていました。

しかしむしろ大事でないものないがしろにしていいものって何でしょうか。

優先順位という名のもとに乱暴に扱われてしまっていい人がいるでしょうか。

そういう理不尽をなくすために闘う人を数多く目にしたコロナ禍でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

不要不急・無駄なもの…と言う考え方のもとに切り捨てられた人たちがいます。

医療行為が大事だという主張のもとにそれが行われていました。

大昔デイケアでこう仰っていた方がいます。

「無駄なものがある社会だから豊かなのだ。」「無駄なもののない社会は貧しい社会である。」「人間の生活・活動など地球や自然界にとっては無駄なものであるが…それが人間的な営みなのだ。」と。

彼は実にひょうひょうとしてそう言っていました。

自分のような生き方ができ自分のような生活ができている社会は気に入っているのだと。

弱い立場の人間も守られ生活を保障されている社会は立派なのだと。

医療や社会保障が大事ではないはずはない。

でもその名のもとに追いやられてしまっていい人もまたいないと思います。

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シア

文章を書く仕事だって大事だよと親父には言っているのです。
だけど父は中卒で苦労してきた人でした。
そして私はこの人の子です。
粗削りだけど傍から見たらそろいもそろってこのように頑迷とも見える考えになっているのかもしれません。
ただ父は貧しく教育を受けられなかったため兄と私を大学までやってくれました。
そういう時代であり…ブルーカラーの人は汚れ仕事だと言われますがそういう時代だったとしか言いようがないです。
失礼しました。

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シア

父と宮沢賢治の話をしたことがあります。
親父は腕を組んで「字なんて書いて金になるのか?」といかにも粗削りなことを言ってました。
最近は建設業も職人のなり手が少ないようです。
彼のように施設を建設したり保守管理したり都市計画に関わる電力をどうこうするって言う人が少ない。
埃まみれになったりオイルまみれになったりペンキまみれになるのが当たり前の世界です。
そして本来銭になりやすい仕事ってそういう汚れる仕事なんですよね。
「字なんて書いて金になるのか?」と言う発言は才能のない人間の言うことですがほとんどの人間は才能がないと思います。
才能がなく体力が多少あったらできる仕事がたくさんあります。
ただ最近のお嬢様おぼっちゃまは分不相応にきれい好き過ぎて汚れ仕事を嫌います。
私のところにも模型を習いたいと言って教室に来た子がいますが…手に接着剤が付いたら「うわ~」ってなって台所に行って一生懸命手を洗ってるんですよ。
塗料でエプロンや机が汚れていないなんて言うのは仕事をしていない証拠であると思っている私なんかは呆れてものも言えません。
聞けば粘土をこねることも学校でやらないし砂場で遊ぶこともないようなんです。
そういう人が増えていってある意味文字通りプールで泳げない人が増えるように社会で泳げない人が増えるんじゃないかと危惧します。
大工さんだって自動車整備士だってごみ収集の仕事だって汚れます。
それは仕方がないんだと今の若い人は頭でわかっていても気持ちが付いてこないようなのです。。
コレって仕方ないんでしょうか。
手が汚れなくても気持ちが汚れる闇バイトはたくさんありそういう世界に行ってしまう人が多いのかもしれません。

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