「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

期間限定コーナー 「君はずっと一緒だった ~自閉症だった息子~」について語りましょう。

「息子の生きた証を残したい」
母の思いが花風社を動かして生まれた一冊。

繊細で、素直な子だった。
難関校に入り、お勉強も運動も頑張った。
その子がなぜ、20歳で自ら命を断たなくてはならなかったのか。
自閉症だったことが、そこに関係しているのか。

一緒に読んで、考えてみませんか。

38 COMMENTS

いぬこ

一気に拝読させて頂きました。

憤りは母乳の時点から、ご成長につれ学校、医療にと鬼畜とも思える言葉に頭を抱えました。

私立校は公立より子(個)と家庭に重きをおかれ、子どもの様子報告は殆ど無く、ある意味クールだと思います。我が家にはそれが合っているのがですが、
息子さんの学校はひどく人間性が欠損した
教師集団、あらゆる評価を気にされる
特有の学校体質にワナワナしました。

文中に出てくる大病院には我が子は検査、診察で数回行きました。
名医といわれるドクターでは説明は確かに丁寧でしたが、結局は「で、どうすればいいのか?」と診察前と毎回同じ気持ちで帰ることになりました。
紹介状が出た大学病院も同じ。
診断がついても何の解決にもなりません
でした。

名医の言葉で覚えているのは
「スペクトラムだから。今のままの可能性もあるし、不思議ちゃん程度に育つ可能性もある。様子を見ましょう」
でした。確かに、今、不思議ちゃん系かもしれないけど、医師の見立てた像はハズレです。治し続け、遥かに立派に育っている。

学校、医療に関しては浅見社長と同じくで腹は立ちましたが、発達さんの親御さんは
多く同様の体験をしているかと思います。
診断がついても、医療で何かが変わる訳でもない、学校が的確な対応をするか、、
両方とも頼るに値しないと思っています。

だからこそ、
卯月さんは素晴らしいお母さん
だと思うのです。全てをアテにせず、彼の1番の理解者として愛し抜きました。
彼の気になるところも、才能も手立てを尽くし、信頼し、全力で育ててこられた。
早々から彼は自立して充分に生きていける力があった様に思います。

それはすごいことだし、
叶えばよかったなと、読んだ私がこんなにやるせなく思うなら、卯月さんのお気持ちを考えるととても胸がいっぱいです。
家族環境にも似た部分もあって、共感も多かったです。

小さな頃からずっと、彼のしぐさ、動き、
姿、会話などをこんなにも記憶されていて、楽しそうな公園や家庭の風景がいっぱい浮かんで、、
涙が今も、ちょっと、止まりません。
彼は本当に優しくて真面目で魅力がいっぱいで、会ってみたくなりました。

御本を書くにあたり、
思い出を振り返ったり
過去の事実と向き合うこと。
どんなにエネルギーが要ったことだろう、私にはできません。
本当にすごいお母さんです。
そして、彼は物凄い力で自分らしく自分を生き抜いたと思います。

卯月さんのこれからの人生がたくさん
良い出会いに恵まれ、幸せでいてほしい、
どうか元気でいてほしいと心から心から願っています。
貴重な御本を読ませて頂き感謝申し上げます。

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ねこ母

事なかれ原理主義の学校で、卯月さん、本当に辛く悔しい思いをされましたね。

赤ちゃんの頃から見ている我が子というのは、きっと小学生になっても、中学生になろうと、どんなに成長しても根っこの部分は変わらない、愛しい我が子です。

学校という部分で切り取られ、先生の思う良い子の枠のレールに乗れるか乗れないかなんて、どうでもいいです。

高校で出会った先生が、少しだけ救いかなぁとも思いますが、どうしてこんなにダメな先生選抜で出会ってしまったのか。
本当に、悔しいですね。

学校編の感想です。

https://blog.goo.ne.jp/annon-okiraku/e/1e1a4a6504daf9067ed460d6301771d6

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ねてまて

発売を知り、すぐに予約。ほぼ最初に送っていただいて、一気に読んでいました。
なかなかコメントを書くことができず、書いて消し、を繰り返していました。
それは私の側にあり、卯月さんへの感想が、自分の話になってきてしまうからでした。
先月、闘病中の家族が亡くなりました。
病院には面会制限でほとんど行くことができず、突然のことで呆然。
未来から突然家族がいなくなってしまった卯月さんのこと、自分と同じではないのに同じように書いてしまい、なかなか書けず。
不登校や診断についての場面、亡くなられた後、お子さんの様子を聞きにいったはずが、向こうのストーリーを聞かされること。
学校や医師、カウンセラーに対して、貴方に何の権利があって?貴方が言うことではないでしょう?と激しい憤り、そして、仕事だから冷静にしていたのでは?等とはかばうことのできない人間性の浅さ。
前半のお子さんの成長、あんなことこんなことを愛し慈しんで育てていらした卯月さん。彼のお話を届けてくださり、ありがとうございました。
彼の物語を本当に知っている、知ろうとしたお母さんのかかれた本だと思います。
話が感想ではなくなってしまったところ申し訳ありません。
期間中にまた書ければと思っております。

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ねてまて

すみません、ねこ母さんのコメントの返信になってしまいました。後でなおします。

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ハンモック

はじめに、著者の卯月さん、花風社の浅見さん。
この本を世に出し、私たち読者に届けてくださり、本当にありがとうございます。

今から書かせていただく感想は、
もしかしたら、卯月さんの意図と違うように、私が解釈した所があるかもしれません。

また、若輩者の私が偉そうに申し上げるところもあるかと思います。

ただ、息子さんへお線香をあげるにあたり、ここは建前ではなく、正直な気持ちを書かせていただきたいと思います。
何卒ご容赦ください。

私は、最初この本を読むのが怖く、購入を躊躇しました。

理由は、息子さんの経歴が、私の夫とその親族にとても似ているのです。
何だか、わが子の行く末を見てしまう気がして、怖かったのです。

ですが、卯月さんの書かれたこの本を純粋に読んでみたいと思い、購入しました。

まえがき·あとがきを、浅見さんのブログで読んで泣いた私ですが、本が届いて一気に読んでしまいました。

息子さんが何を考えていたのか、どう感じたのか、もっと知りたいと純粋に思ったのです。

息子さんと私には、似た部分がありました。
何かあったら人ではなく知識に頼るところ、電車にのってただ色々な場所へいくのが好きなところなど。
なので、私は息子さんに親近感を抱きました。

そして、子をもつ母としては、卯月さんを、心底すごい方だと思いました。
本から、息子さんのことをよくご覧になり、慈しんで育てられたことがわかりました。
卯月さんに比べ、私は全く子供を見てないなと反省しました。

そんな流れで、私は本をどんどん読み進めました。

そして、本を読むにつれ、私が購入を躊躇した理由については、すっかり忘れ去りました。どうでもよくなったのです。

卯月さんが、息子さんのよりよい環境を求めた結果が、たまたまいわゆる名門中高·大学だっただけなのだと。
息子さんの経歴は、卯月さんにとっては、どうでもよいことなんだと。

卯月さんも、息子さんには、ただ幸せに生きてほしいと願われていたんだと感じました。
私たち子を持つ親が、当たり前に持つ願いと同じだったのですよね。

私がこの本を読み終え、一番強く思うこと。
それは、才能にあふれ、多くの可能性をもった息子さんが今、この世にいないことがとても悲しいということです。

生きておられたら、ぜひお会いしてみたい、話を聞いてみたい。
息子さんは、私をそんな風に思わせる、とても魅力ある方だと思いました。
本当に悲しいです。

この本を読み、私は2人の息子をこれから精一杯愛情をかけて育てていきたいと改めて思いました。

本当にありがとうございました。

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ねこ母

この本を読み、7年前に亡くなった出会った子のことを思い出しました。

支援のいる子ではなく、どちらかというと生徒指導で名前が出て来る子でした。

でも本当は、何かするべきことがあったのかもしれないと、この本を読んで思っています。

そんなことも考えさせてくれた本でした。ありがとうございます。

https://blog.goo.ne.jp/annon-okiraku/e/eb554c0a2dfe47c65f12909af5b49016

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金田 隆佳

卯月さん、息子さん、浅見さん、ありがとうございました。

色んな感情がわいてきて、P357~を見た瞬間涙があふれてきました。

うまい言葉が出てこないので、浅見さんの言葉をお借りしますが、まさに「壮絶なもの」を読ませていただきました。

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Kei

我が子がなぜ自ら命を絶ってしまったのか?

親であれば当然知りたいと思うでしょう。

とても大切に育んできた大切な尊い命の記録(記憶)を残す上でも(そうではなくても)、もっと知りたかったでしょう…。

母親の自分が何かしたから、或いはしなかったのが原因ではなかったのか?
もっと早く気づいて何とかしてあげられなかったのだろうか?
という想いが溢れてしまうのも痛いほどわかるのは、次男が「自閉症スペクトラム」と診断された直後にわたし自身がそう思って自分を責めた時期があったからです。

卯月さんが書かれていましたが「3歳児健診に自分が連れて行っていたら」とか、考え出したらキリがないのですが、親というものは何かと理由づけをしてしまうものだと思います。

そうしないと
立っていられない。
或いは、
前に進めない。
のですから。

わたしの次男は新生児期から感覚過敏全部と睡眠障害、幼児になって自傷・多動、パニック、拘り、エコラリア等々書き出したらキリが無いくらい色々あったのに、1歳半の健診では、
「言葉の遅れがない」というだけの理由で保健センターでスルーされました。

3才半の健診の時は必死にアレコレ訴えたから取り合ってもらえたけれど、わたしが言わなかったら「個性」とか「わがまま」で済まされていたかも知れません。

だから、卯月さんがご自分を責める事など一切ないのです。

目立った大変さがなければ
「個性」とか「気にし過ぎ」
と言われるでしょう。

「話せるのだから」
とか、
「知的に遅れがないのだから」と、
周りの勝手な物差しで測って結論づけをする人もいて、そういう人達には、
「だからこそ大変な事もある」
という事には想像力が及ばないのです。

学校の先生という人達も特異な職業で、小学校から大学まで学校の中で育ち、職場も(地元の)学校では、大人であっても一般社会を知らない人達だとわたしは思っています。

だから、本当の意味での社会性等持ち合わせていないのです。

3人の子ども達と関わった(義務教育だけでも)30人以上の先生達の内、信頼できると思っているのは片手程です。
(次男は義務教育中は特別支援学級在籍でした)

次男が通っていた中学のスクールカウンセラーも最悪でした。

そういう人達にとって児童・生徒は自分が関わる1年~数年の間だけ問題なく過ごしてくれたらそれで良くて、自分のせいでその子の将来がどうなるか(どうなっても)全く意に介さないのです。

それにしても卯月さんと息子さんの周りには揃いも揃って酷い(ドクター、教師、専門職等)有資格者だらけで、よくもここまで揃えたな。
と言えるほどの酷さですね。

8年経った今でも卯月さんがお辛くて釈然としないお気持ちでいらっしゃるのは無理もないと思います。

いい加減で酷い診断をした、或いは処方までした医師、
勝手に色々決めつけて悪い評判を広めた教師、
いい加減なスクールカウンセラー。
仮名などにしないで実名を書いてもいい位の酷さです。
(他の被害者が出ない為にも)

自分の記憶も甦り、色々と頭の中にフツフツと湧き上がってきて取り留めのない内容になってしまいました。
すみません。

この本は花風社の浅見さんだからこそ発売できたのだと思います。

まだまだ書きたいことはたくさんありますので、ブログにも書かせていただきます。

先ずは卯月さんの決意と勇気と実行力に
ありがとうございました。
とお伝えしたかったです。

ご自分を責めないで下さいね。
あなたはステキなお母さんです!

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はなこ

 一気に読んでしまいました。

お母様が、いかにお子さんを愛し、理解し、支えてこられたか。
すごい本を読ませていただきました。

ありがとうございました。

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ふうりん

 息子さんが診断されたのは特別支援教育法制定あたりでしょうか。自閉症の子の親の会関係者は運動の結果勝ち取った輝かしい結果として講演等で繰り返し語り、現場の先生たちは研修等あって発達障害疑いに敏感になっていた時期の感じがしました。

 当事者としては障害についてだけ延々と説明されても(それで自分をわかったような気になって満足する人はいいでしょうが)問題が解決するわけではなく、聡明な息子さんの助けにはならなかったのだと思います。

 お母さんの無念さはいかばかりかと思うと言葉を失います。個性を大事にといいながら実は決めつけの多い既存の支援のあり方に疑問を感じて治そうとする人たちにとって、ひとりの人が生きた記録だからこそ学びがあります。ありがとうございます。

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浅見淳子

ふうりんさん

この方は説明さえされませんでしたね。なんでかっていうと、とびきりの進学校にいたから、介入の必要がなかったと判断されたのでは。それでもアリバイ的なSCはえんえんと付けられていたんですけどね。多剤処方もされていました。一方でとびきりの進学校ゆえに異分子の排除はひどかったようです。進学校には時々闇があるようです。

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riro

幼稚園の頃まで読了。
私の子どもに言葉はなかったし、多動傾向もあったので全然違うじゃないと言われればそうかもしれないのですが、本人を取り巻く雰囲気や行動、
場面の捉え方、対応の仕方など子どもと同じだと感じるところがあり、当時の懐かしい気持ちを思い出しながら読んでいます。

私の子は第二子なのですが、子どもに感じた気持ちを長男にはあまり感じなかったので第二子だからかな?と卯月さんとは逆のことをいままで思っていました。

この先読み進めるのは辛そうですが、読んでいきます。

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浅見淳子

浅見です。
著者の卯月さんは、最初自然な流れとして、自費出版の会社に原稿を持っていかれました。
そこで言われたのは「医師や心理士と対峙したところは削った方があとあとクレームが来ないのではないか」というアドバイスでした。
自費出版の会社は、ギョーカイとなんら関係がないはずです。一体何を恐れているのでしょうね?

順調に人生を歩んでいたはずの我が子が自死したのです。
支援という名目でずっと関わり続けていた人に経過を教えてほしいのは当たり前。
そして卯月さんはあれに直面します。そう、支援職の間に色濃い「死んだふり体質」です。
そして怒ります。呆れます。それを原稿に書いています。息子さんのピュアな感性もさることながら、死後お母様が支援者を訪ねていわば精神的な旅に出るところが、この本の読みどころでもあります。
「文句が来るかもしれないから」そこを削れとなんにも知らない自費出版系の編集者が言ったそうです。

その点花風社は発達障害支援の実態を知り尽くしている会社です。
そしてギョーカイとドンパチすることになんのためらいもないのは皆さんも見てきたとおり。
原稿を読んだあと、浅見が著者の方に送ったメールを公開します。
どうぞ参考になさってください。

=====

 お世話になります。花風社の浅見です。
 通常の業務の合間にでしたので時間はかかりましたが、原稿一通り読ませていただきました。
 まずは御礼です。壮絶なものを読ませていただきました。ありがとうございます。
 以下順に追って感想や今後の展望等、こちら側の意見を書かせていただきます。

1 お母様の息子さんへの接し方について

 私の立場でこのようなことを申し上げる権利があるかどうかわかりませんが、お母様は本当に息子さんをよく理解され、慈しんで慈しんで育てられた様子がわかりました。アスペルガーとかいう診断がなくても、あるいはなかったからこそと言えるかもしれませんが、息子さんの普通とは違う感性や敏感さを幼い頃からよく理解されて育てられたとお見受けいたしました。

2 支援について

 怒りを覚えました。教育、医療、揃いも揃って無能、保身優先、そして何より強烈な他人事感に腹が立ちました。ただし、これは特別に不運な体験をなさったわけではないと考えます。というのは、現在発達障害にかかわっている人たちにとって社会との障壁になっている最大の敵は支援者の無能さ、怠慢さだからです。教師・医者・カウンセラー、揃いも揃って息子さんの死の戦犯だと思いますが特別にだめな人たちではありません。あの程度がこの「ギョーカイ」のスタンダードなのです。このあたりは拙著『発達障害、治るが勝ち!』(二〇一七年)『NEURO 神経発達障害という突破口』(二〇一九年)に詳しくかいておきました。とにかく支援者という壁を突破しないと社会とつながれないのはごくありふれた現象です。息子さんは特別に不運だったとは考えません。とにかく支援につながっても何もよくならないのが現状です。

3 現在のニキ・リンコさん、藤家寛子さんについて

 今回このお話を花風社にいただいたのは、ニキ・リンコさん、藤家寛子さんの『自閉っ子、こういう風にできてます!』がきっかけになったということを本文から知りました。ニキ・リンコさんは自閉症のスポークスパーソンとして数年活躍されたあと、有閑マダムに収まっています。一方で藤家寛子さんは、アスペルガーが「治り」ました。藤家さんの『他の誰かになりたかった。』という本をご存じでしょうか。彼女の青春時代の混乱ぶりはおそらく息子さん以上のものだったと思いますが、その後支援をうまく利用し、時期がきたら支援者に塩漬けされないように支援を抜け(何しろ支援者は無能なので)、今まったくの健常者として社会の中で働いています。『自閉っ子、こういう風にできてます!』の頃とは別人で感覚過敏も睡眠障害もありません。昨年は精神科の薬も断薬し『断薬の決意』という本を出しました。
 ニキさんはアスペルガーが治りたくない人でした。また、すでにご結婚され経済的な基盤があったことから治さない余裕もありました。藤家さんは独身ですのでお金を自分で稼ぐ必要がありました。そういうわけで彼女は治る道を選び治りました。

4 現在の花風社について

 花風社は現在「治す」ことに力を入れています。当然治すことをよしとしない人たちからの圧力は強いのですが何しろ治ったもん勝ちです。「治そう」と私が最初に思ったのは『自閉っ子、こういう風にできてます!』でお二人が語ってくれた体験があまりに大変そうだったからですが、そのあと実は私自身が自閉症者による犯罪被害に遭いました。このあたりのことは『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』という本に詳しく書いてありますが、このときも支援者は無能だったので司法に頼り相手に前科をつけるという解決方法を採りました。
 ニキさんや藤家さんのようなこじらせていない自閉症者もいれば、こじらせてしまった人もいます。卯月さんがお義母さまと息子さんを思い浮かべてみればその違いがわかると思います。そして、本当に自閉症の人が社会との共存を考えるのなら本人も変わらなければいけないと思うに至りました。
 これには非難もありましたが治せるお医者さんとの出会いもあり、『発達障害は治りますか?』という本を二〇一〇年に出しました。その後も花風社には治せる知見が集まり、今では読者の方も治った治ったと喜んでいます。花風社の愛読者コミュニティサイト『治そう! 発達障害どっとこむ』を作り、みんなで情報交換をしています。
 ご興味があればこちらをご覧ください。

https://naosouhattatushogai.com/

    花風社 浅見淳子

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ありかわ玲子

勇気を出して、息子さんのことを書き残してくださり、ありがとうございます。

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浅見淳子

浅見です。
今日はあとがきを発表します。
一部個人名が入ったところを中略とさせていただいております。

「息子の生きた証を残したくて書いた」という親心が伝わると思います。
どうぞお読みくださいませ。

=====

   おわりに

 この本を仕上げるのに随分と長い時間が掛かりました。私は本や文章を書くような仕事に就いたこともなければ得意でもなく、むしろ苦手で嫌いでした。ですが息子のこと、アスペルガーのことを知りたくて、生育記録を書いたり、手記を書いたりして、ネットで問い合わせや相談窓口を開いて下さっている医療関係者や弁護士さんにメールや手紙を送ったりしているうちに、少しは書くことに抵抗がなくなってきました。
 ですが悲しいだけの毎日には変わりなく、まるで息子は最初からいなかったみたいになってしまいそうで、このまま自分が動かなければ何も変わらないのだと思うと、本を書いてみようと決心がつきました。家事もあるし、長い間辞めていたパートも再開しましたから、一日に二、三時間ほどですが、残してある息子の部屋で机に向かうようになりました。
 感じたこと、思ったこと、考えたことなど、はっきりと記憶はしているのですが、言葉で表現するのは大変難しいことでした。でも当時抱いていた感情の機微を探っていくのは案外と嫌ではなく、ひも解くようでちょっとした快感になったようにも思います。

 訴えたいという感情が出てくると真意が伝わらなくなってしまいそうで、また見苦しくならないように、できるだけ平常心で書くように努めました。でもこれを読まれた方は、自死の原因を発達障害にしたいのだなとか、不登校時代に出会った先生たちにしたいのだなと思われるかもしれません。そう考えると、この本を出版するかどうかは原稿を書き終えてもなかなか決心がつきませんでした。またそれ以上に、プライバシーを公にしてしまうことには勇気が要りました。でも残りの人生はもう世間の目を気にするのは止めて、できるだけわがままに生きよう、したいことだけをしよう、交友関係はもういいかなと思うと、それならばビクビクするのはやめて、納得いくように歩んでみようと決めました。
 
 幸い発達障害の本を多く出版されている花風社の浅見様と知合うことができました。ある日、花風社様のホームページに、自主出版で本を作りたいのだけど見ていただけないかと相談いたしました。原稿を読んで下さった浅見様は、不登校の時に出会った精神科の医師のことを「これはあるあるですよ。これが今の日本のスタンダードです」と仰いました。発達障害の方がおかれている今日の現状を十分ご存知でいらっしゃっていて、私にとっては心強い味方を得たようで嬉しく思いました。「生きた証なのですから、一つとして削るところはありません」と仰っていただき、この長い原稿を編集していただけることになりました。心よりお礼申し上げます。

 (中略)

 私は専門家ではありませんが実体験者として、自閉症について感じていることを書きました。発達障害を知ると社会の見方が変わってくるように思いました。
 参考程度にとどめていただければ有難く存じます。

 この本を最後までお読み下さったみなさま、ありがとうございました。

                                      卯月

返信する
浅見淳子

浅見です。
まずは「君はずっと一緒だった ~自閉症だった息子~」の著者卯月さんによるまえがきをアップいたします。
どうぞお読みくださいませ。

=====
まえがき

 もうあれから八年以上の月日が経ちました。ごく普通の大学生であった息子は自ら人生の幕を下ろしてしまいました。

 大学には毎日行き、図書館の蛍光灯がチカチカして気になると文句を言いながらもいつも同じ席で勉強をし、サークル活動なのか夜帰宅して、アルバイトをし、少ないお小遣いをやり繰りして今時の洋服を買い、いつの間にかカッコイイ髪型にしてきて、普通に大学生活を送っているかのように見えていたのに、突然のことでした。
 残された携帯やパソコン、日記、或いは訪ねに来てくれた友人たちの話からは、具体的に何を悩んでいたのか伺えなかったけれど、私には察しがつきました。

 息子は中学高校時代に二度不登校気味になるなど、辛い学生時代を送りました。
 私がまだ息子の不登校に気付いていない時に、養護の先生から電話を頂き、心療内科の受診を促されました。校医の先生がいらっしゃる大学病院に行くと、初診に小さい頃の様子を聞かれ、軽いうつと言われました。そして翌週の二度目の診察日に「発達障害、アスペルガー」と言われました。
 初めて聞いた言葉でした。障害というのだから障害なのか? たった今、診断されたということなのか? 私は狐につままれたように言葉を失いました。何の検査もなく、初診に三、四十分対話をしただけで、一週間後には決まってしまったこの障害とは一体何なのか? こんな大事なことがこんな簡単に決まってしまうのか、どうしても信じられませんでした。
 この日の先生は一方的にお話され、「この子は人間がわからないんです。何にもわからない子なんです。アスペルガーの外向的な子は殺人をし、内向的な子は自殺をします。十分でも目を離したら線路に飛び込むから、お母さんは今直ぐ仕事を辞めて子どもを監視しなさい」と言われました。「一人旅などはどうなのか?」と尋ねると「何バカなこと言っているんだ。親も親だ。即入院だ」と怒られてしまいました。
 全く理解できず、「この先生、おかしいんじゃないのか?」と思いました。

 そこで、自宅近くの先生がお一人でやっていらっしゃる小さな心療内科に行きますと、今度は「アスペルガーなんていいじゃない、天才なんですよ。私達の周辺では人気があるんです」と仰るだけで何の説明もなく、個性と思って下さいということで検査もありませんでした。その後、一年半こちらに通院しました。
 息子は遅刻早退欠席をし、ときには家出まがいなことを繰り返しながら頑張って通学していましたが、日に日に痛々しく見えていき、このまま本人任せで放っておいていいのかと、アスペルガーとはいったい何なのか、知りたいと努力したのですが、何故だか知ることができませんでした。

 高校に進級すると、いい先生と出会い、一年の二学期からは遅刻早退欠席はなくなりました。夏休みに一人旅に行くと元気になって帰ってきて、自分の好きなことをしながらセルフコントロールをしていました。学校のカウンセリングを二年近く続けて、大学受験までしてしまいました。
 国立のT大学に入学した息子は、不登校や受験を乗り越え一回りも二回りも成長したように見えました。そんな矢先のことだったのです。

 息子はアスペルガーでした。アスペルガーとは一体何なのか、今ははっきりわかっています。そして当時、学校の先生、養護の先生、精神科の先生、カウンセラーの先生と関わっていながら、どうして何もできずにきてしまったのか、アスペルガーを知ることができなかったのか、全てがやっとわかりました。私が特性に気付いてあげていたら息子の死はなかったでしょう。こんな生きづらさを抱えながら独りぼっちで頑張っていたのかと思うと、思い出す姿は全てが痛々しく、どうしてあのとき助けてあげられなかったのか、死なせてしまったという後悔しかありません。

 この本は息子の生きてきたことの記録ですから事実を書くことに努めました。
 私が見てきたあの子の二十年間――明るくて、よく笑い、よく話し、興味関心のあるものが常にあり、いつもワクワク頭と心が動いている。行動的で前へ前へ進む、ダラダラゴロゴロしていることが無い、楽しませてくれる子どもでした。最期までそういう子でした。そんな自由闊達な一面も見ていただけると嬉しいです。
 
 作中に出てくる人物名、名称はほとんど仮名です。自閉症スペクトラム概念についても私見ですが述べさせていただきました。私が初めてアスペルガーという言葉を聞いてから、その名称は自閉症スペクトラムに変わりました。この作中では、アスペルガーも自閉症も自閉症スペクトラムも発達障害も同一のものを指しているとお考えください。
 尚、発達障害当事者の方、そのご家族様、自死された方がいらっしゃるご家族様ご関係者様、不登校を経験された方そのご家族様、その他この本でご不快に思われましたら、どうか生きてきたことの記録ということでお許しいただければありがたいです。
 
                                      卯月

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