「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

智くんの成長をみんなで見守るお部屋

『発達障害、治った自慢大会!』の殿(しんがり)を務めた智くん一家のお話。
重度の障害があってもどんどん治っています。
日々楽しいエピソードがたくさん!
みんなで見守りましょう。

130 COMMENTS

智ママ

「息子くんは、育ててみないとわかりませんが、このままだと支援学校になるかと思います」と発達医師から宣告された3歳の頃。歩けても数歩でした。
「ああ、そうだよね。この子の発達のスピードだとそうなるかもね。」と思っていて平然としていたので、母親の精神状態を危ぶまれたことがあります。

その後、5歳で中度になり、公立小学校の支援級に行けることが決定して、それを報告すると、発達医師は息を呑んで、それから沈黙してました。
「支援級にはいけるよ。ただし、上の学校は支援学校になるね」

その後、発達の伸び止まり?らしき、発達の伸びの頭打ち状態ともとれる発達指数だったので(それでも発達年齢は伸びていたので、発達の成長はしていましたが)、
いよいよ支援学校か?と周囲から思われつつも、何とか中度を維持して、7歳で小学校卒業内定を勝ち取ると、発達医師は営業用スマイルは口元に浮かべているのですが、だんだん無表情になってきました。

そして先日。
「先生、息子の希望する公立中学校の育成級に、息子なんて全然軽いくらいのレベルに見えるぐらいの重度すれすれの中度のダウン症児がいるんですよ。その子の事例があるので、このまま息子が伸びなくても、公立中の育成級(支援学級)へは余裕で進学できます!」
と、母親の私が報告すると、
発達医師は、『多発奇形は重い症状なので、行けても支援学校、その後、【それなりの場所】(生活介護と施設の往復)にいくことになるだろう』という当初の見立てが大きく覆されたので、ショックだったのか、ひたすら沈黙していて、笑顔をみせて喜んではくれませんでした。

先生。2歳3歳の頃の見立て、完全に外れましたね・・・。
(いわゆる、いい方に、見立てが大きく外れましたよね。)
と内心思いながら、私もコメントをどう繋げていいかわからず沈黙し、
「先生、今日は、ケロちゃんとコロちゃんの人形は、診察室から旅に出たんですか?」
と丁寧語も一人前に使うようになった息子に、発達医師はすぐにはコメントが出ませんでした。

今までの多発奇形の症例は多く集めておられるし、誤診だった某症候群の患者の症例も集めていたので、某症候群に関しては、発達医師は予後を知っているのですが、
息子がその症候群ではなかったので、見立てが大きく外れました。しかも、花風社のアプローチで伸びたので、当初の予想を全て覆して、息子が公立中学校進学のきっぷを手にしつつある。ということで、呆然としていた、というわけです。

どうやら、息子は、多発奇形界ではありえないレベルの進歩を見せたようなのです。

私は息子一例と、息子の仲間の染色体系多発奇形の子の二例、合計三例しか知らないので、断定はできませんが、
「その子の遺伝子や染色体がどれくらいブロックされているかによりけりだが、器質的障害があっても、心疾患があっても、身体的、または各種のアプローチで、多発奇形の子の知的や発達が伸びる余地はありそうだ、とは言える」とは表明できます。
実際に、息子が、発達医師がその結果に沈黙するくらいは伸びたからです。

なので、ここにいらしたお母さんがたで、「治らない」「今がピークで下がっていくばかり」「良くはならない」と発達の医師から断言されて落ち込んでいる人がいるなら、気にしなくてもいいと気づいてください。
することすれば、よくなる子はいます。

中学校の育成級に、フリーパスでも行けるかもしれないようになった息子の、発達医師への受診時の報告の、報告でした。

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浅見淳子

智ママさん

なんで医者は、悲観的な展望を繰り広げるのだろう。
何か理由があるんでしょうけど
こっちにはそれが見えません。
ただただ不思議です。

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智ママ

浅見社長
元々は「先生の見立てが外れて状態が悪くなった!生活設計が崩れて大変になった!どうしてくれるんだ!」という訴訟?回避のための悲観的な、最悪の想定での告知だったのですが、
だんだんそれが形骸化して、「どうせ時間をかけて引き伸ばして薬漬けにして保険点数の稼ぎにしかしないんだから、悪く言ってそのまま行くように仕向けとけ」みたいな打算が医学側の方に生まれても不思議はありませんね。患者が良くなっても悪くなっても、短期的にみれば医師のサラリーに変化はないわけですし。
(その点、神田橋先生は治る人が増えることを前提に診察していくので、頭が下がりますし、長い目で見ると、伊敷病院を盛り立てる役目になっています)

公務員的業務への手抜きと医学の保身・訴訟リスクの回避から、そのようにしていると思われます。

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智ママ

普段は、児童館の赤ちゃんルームを『知的があるので。でも、智くんは穏やかで危害を加えるタイプじゃないから』という理由で、特例として小4でも利用させてもらっている息子。

安全のために、学童さんの動線と赤ちゃんルームの動線は、ごく一部だけ重なるようにしてあってて、学童さんは赤ちゃんルームには入室禁止になっています。

息子は赤ちゃんが誰も来てなくて、ほぼ貸切状態のときに、私がリュックに入れて持ち込んだドリルを5冊しているのですが
(そうしておくと、帰宅してからYouTubeがほぼ見放題になる)
それを廊下から覗き窓で見つけた小2男児が、赤ちゃんルームにやってきました。

「なぁなぁ、コレ訊いたら悪いかもしれへんけど…、何で口に線入ってんのん?」
「ああ、コレ?この子、口唇口蓋裂ていう病気でね。生まれつき、唇がくっついてなくて、割れてたの。心臓手術4回して、大丈夫になってから、3歳のときに、やっと手術で唇を作ってもらったんよ」

「この子、育成級の子やんな?育成級って、何してるの?何でここでドリルしてんの?」
「育成級だけだとお勉強が足りひんから、自主的にお家で課題を出してしてるんよ」
「育成級って、何を勉強するのん?」

両側性口唇口蓋裂だと前歯4本が欠損してて生まれつき欠損しててないこと、
口唇口蓋裂は手術しないと唇が作れないこと、
手術できる身体になるために心臓手術4回したこと、
息子は学年では小4でお兄さんだけれども、学習内容は小1の2学期レベルをゴリゴリしている段階なこと、
ドリルは自主的に30分で5冊解いて、毎日のおうちでの課題にしてること、
育成級はお勉強が難しい子が多いので、できる子でも小6でも小4-5ぐらいの難度のお勉強しかしないこと、

などなどを、

いつも息子の登下校の付添についている、眼鏡のおばちゃんから丁寧に説明しながら回答してもらえて、半年間以上の謎が氷解した小2男児は、通路で学童の先生から見つかって叱られかけていたので
「その子から、単独インタビュー、受けてました!」と断っておきました。

息子の通う小学校は、わりと通級が多くて、合同授業も頻繁にあるのですが、育成級対象者がいない小2と小1生には、謎の上級生で、謎のカリキュラムなので、育成級のメンバーに関しては、興味津々だったようです。

インクルーシブと言われるけれど、意外なところで引っかかってるところがあるんだなー。と思った、木曜日の夕方でした。

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智ママ

ほほう!と思ったのが、頑張っても小1の二学期レベルのことを延々やっている子がいることと、それが馬鹿にすべきことではなくて、学校の宿題がなくても自主的に家庭の課題としてドリルをすることで、「僕、こんなに家でドリルせえへんわ!この子(息子のこと)、めっちゃ頑張ってんねんな!」と『学習進度は劣っていたとしても、その頑張りはピカイチ!』と、小2男児が、息子のことをがんばり屋さんだと認めてくれたことです。

「育成級は、特別だから」と一種独特の目で見られることも多々ありますが、カリキュラムよりも、『その子自身の頑張りが、その子に出されている課題として、どうか?』というレベルでその子から評価されたので、母親としては嬉しかったです。

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智ママ

題名に似て丁寧な作りの版画でした。
背景の色彩感が独特だな、とは思いました。

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智ママ

本日、ぶぶづけ市の小中学校の育成級の図画工作の展示会があり、撮影してきました。
今年は彫塑?土台に粘土を貼り付けて作った造形が、そこそこ完成度高くできていました。

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智ママ

浅見社長
ありがとうございます。
作品自体としては、知的中度・発達中度のお子さんの作品と遜色ないか、品によっては完成度は息子のほうが高いレベルのものもあるので、
醍醐にある障害者芸術工房の就職を低学年時の担任が目論んでいましたが、今では指示に従えるのと、彩色以外の技能が息子にはまだ足りないので、小学校はB型作業所への進路を設定しています。(しかし、当人は接客が楽しいようなので、A型目指させようか?と両親で話しています)
「行けるところまで、行こうね。」で、これからもコツコツ行こうと思います。

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智ママ

登校中、忘れ物をしたことに気づいて、自宅に私だけ取りに帰ったのですが、
「ここから動いたらあかんで?」と指し示した地点から、息子が一歩も動いていなかったので、
「何てこと!今度からは、ニキ・リンコさんや藤家寛子さんの路線の思考ケアをしないといけないなんて!うわあああ、片っ端から言語化しておかないと、暴走して大変なことになる!」と息子の思考のASDっ気を察したので、

『見えない巨人が何でも把握していて、自動的に課題を自分にふってくれる。』というトンデモな想像力を駆使しなくてもいいように、
「息子。いまから忘れ物を自宅に取りに帰るから、そこから1、2mくらいは動いて、車が来たら避けといて!忘れ物をとったら、お母さん、すぐに戻ってくるから!」
と具体的に細かく指示して、自分の裁量権で判断して動けることも指示しておいて、それから自宅にダッシュで忘れ物を取りに帰る、ということを始めました。
(もともと言語を操る発達の気がある母親だったので、指示の言語化は面倒臭がらずにできる。最初は言語化してあげて、徐々に学んできたら言語化を減らしていく作戦)

そして、早いうちから、「個々には個々の時間と生活があり、息子と触れ合っている時間は母親は『お母さん業』をしているに過ぎない」ので、
業務内容以上のことは、きちんと口で言わないと母親にも伝わらないこと、
原則、大きくなると自分のことは自分でしなくてはいけなくなること、
母親と息子は違う個体なので、考えることもすることも違って当たり前なことなどを、
一個一個、口頭でわかるように説明して、

母親や父親、担任の先生、放課後デイサービスの支援員や、児童館の館長やスタッフなど、いわゆる上役の言ったことを理解してもらうと、スムーズに生活が流れるように(『無駄に突拍子もない想像を働かせなくていい』と実感してもらう)、
息子の理解を持っていきました。
今のところ、息子から、話したいことを話せるだけ話せていれば、思考の暴走を早期に止めることができるかもしれない。と思い、私の機嫌が良くても悪くても、息子の話しかけには毎回応じて、必ず返事をするようにしてはいます。

2歳頃からぼんやりと「この子、多発奇形だけじゃなくて、明らかに知的系発達だよね?」と気づいてはいたので、前もってできるだけの発達児対策は立てていましたが、
10歳からの『自閉っ子』対策が、どのように実るかは13歳すぎればわかってくると思うので、それまでに息子との交流貯金と信用貯金を積み重ねていこうと思っています。

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智ママ

今まで「お母さん、2月7日は何曜日ですか?」と、わからないことは何でも全部母親に聞いて『参謀長』ならぬ『参考長』にしていた息子でしたが、
「息子。2月5日は、月曜日や。2月6日は、火曜日や。2月7日は、何曜日か?」
「2月7日は、水曜日です!」
「正解!」(二人でグーパンチでハイタッチする)
と、順番を追っていけば、日付と曜日の同時進行で脳内計算ができるようになっていることが、わかりました。

どうしても「この子は重度より中度だから、器質的障害もあるし、負担をかけさせたらいけない」と教師や家族が何でも答えれてくれる環境だったため、「わからないことは何でも答えてもらって当然!」という環境で教育を受けているので、自分で計算しよう。とか、自分で考えてみよう。とかいう機会に乏しく、
『何でもしてもらって当たり前』になりがちでしたが、これで一つ、自分への道を取り戻す方針が手に入りました。
この調子でどんどん行こうと思います。

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浅見淳子

智ママさん

曜日がわかったのはすごいです。

智くんは自閉味薄いと思うので、今駆け足で通過しているのではないでしょうか。

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智ママ

浅見社長
基本的な発達への対応はマメにしてあるからか、息子は発達があるにも関わらず『母親の空気を読む』ことは上手で、小学校ではややトンチンカンです。必要に応じて対応をしていっているな、という手応えはあるので、できるだけ瞬間風速10-20mくらいで走り抜けていってもらえるよう、頑張りたいと思います。

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智ママ

ご近所に、毎朝「おはようございまーす」と挨拶をしていくから。というだけで、息子をとても気に入ってくださって、孫のように可愛がってくれる、おばあさんがいます。
この時期になると、「娘が行ってきたから」と成田山新勝寺の福豆を人数分、うちに届けに見えて、年末には「別宅で実ったから。これ、ボンのゆず湯に。」ととれとれの柚子をたくさん、袋に入れてくださいました。

奥ゆかしく、いつもお住いの場所をざっくりとしか仰らないので、こちらは名前もわからないし、顔と髪型と佇まいを頼りに、朝のゴミ出しに出てこられるおばあさんを探して、毎朝昼、息子の送迎のたびに、おばあさんのお住まいを探していました。

これはおばあさんにお返しをしないと。教育上も悪いし。と、神戸のとあるメーカーの特別限定品フィナンシェを年明けに複数箱取り寄せて、一部は夫に持たせシロエビ県に帰し、「これは、おばあさんへの!」とキープしている一箱を息子に持たせて、あたりをつけたお宅に、息子への付添つきで先程突撃し、無事、お礼申し上げて、御礼の品を「おばあちゃん、ありがとうございました」と息子に口上を述べさせながらお渡ししてきました。
おばあさんは喜んでくださいました。

息子が3歳頃から存在を隠さずに連れ歩き、学校も地元の小学校に通わせて毎朝行き交う人に挨拶をしていた結果、このようなご近所づきあいができるようになって、嬉しいです。

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智ママ

「息子。これこれをしておけば、あとから困らないよ?これをしなくて困るのは息子であって、お母さんは困りません。お母さんのことでは、ないから。」
とあえて突き放す言い方で、その日にしなければならないこと(服薬とか朝ご飯を食べるとか、息子の生活にとっては重要なこと)を指摘し続けて2ヶ月になりますが、ようやく「お母さんは、僕とは違う人間で、違う生活をしていて、違う時間を過ごしているんだ」という、自他分離?の概念が育ってきたらしく、「これは、じぶんで、します!」と言いながら薬をコップに入れてシリンジで入れた水で溶かして飲んだり、ごはんを自主的に食べたりするようになってきました。

いつまでも母親が側について世話を焼くわけにはいかないので、自分と母親は違う人間なこと、自分のことは気づいたら自分でしないといけないことなどが、理解できてきたようです。

コレは何の弁別に該当するのか、教育学はとってない私にはちんぷんかんぷんですが、言語化はできるので、書いて記録しておきます。

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智ママ

「お母さん、明日は、1月最後の日ですね」
「明後日は、2月で初めての日ですね」
「もう、1月が、終わってしまいますね」
毎日毎日、夜がやってきて朝がやってくるのに、月の区分で昨日と今日が特別な日(月終わりと月初め)となることが、不思議でしかたない息子。

母親に聞かれても「いや、そうなっているものだし。2月3日は、ぜんぶ1月に加工したら『1月34日』だけど…」と、ごちゃまぜにして答えてしまうので、かえって混乱してしまうらしく、
『毎日の何気ない【時間の経過】という連続体が、ヒトのルールによって切り取られて、【1月】と【2月】に切り分けられてしまう』という事象が、まだ彼なりにしっくりこなくて、不思議でたまらないようです。

この知的不思議感は、私は6-7歳で体験したので、息子は10歳にして、やっと健常6-7歳と同じ時間の捉え方ができるようになってきたようです。

自分の時間感覚と、他者またはルールの決めた時間感覚が、異なっていて、それを落とし込むまでにはもう少し時間がかかるようです。

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智ママ

遺伝子異常でもともと筋肉の弱さがあり、「足首を固めることで、体の低緊張を調整して、腹筋と背筋の弱さをカバーして、無理やり歩いている」とPT(理学療法士)から指摘された息子。

火曜日のPTは、『ボールを足で挟んで、それを座ったまま持ち上げる』という訓練をしていました。
いつもホメてくれる先生(理学療法士)がいて、自宅とは違う訓練室だとテンションが上がるのですが、自宅ではなかなか日頃の股関節・体幹のストレッチ以外は、基礎的なゆるい体幹トレーニングしか興味を示さない息子。
ノルマ化していて、マンネリ感があります。

TVを見ていて、たまたま息子がおもちゃのブロックを落としてしまい、それをズボラして足で持ち上げる動きに「これだ!」となりました。

好きなおもちゃをわざと机の上から床において、椅子に腰掛けたままズボラして、両足だけで挟んで持ち上げるのです。(おもちゃは大きめのブロックサイズなら何でも可)

これなら飽きずに、達成感があるまま、足裏の筋肉(土踏まずの縦と横のアーチを作る筋肉が、息子は筋組成上弱い)だけで持ち上げる訓練が、遊びながらできます。
応用すると、足の親指と他の四本の指関節を使って、小さめのふわふわブロックを持ち上げることで、足の握り?の力を鍛えることもできます。

訓練ばかりだと飽きてつまらないので、工夫した遊びとしてどんどん取り入れていこうと思いました。

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智ママ

浅見社長
コメントありがとうございます。

ふわふわボールがニトリにあるのですか!今まで西◯屋とヨド◯シのおもちゃコーナーしか候補がなかったので、おしゃれなボールが探せるかもしれませんね。
今度ニトリに出かけてきます。

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智ママ

最近、息子に勉強を勧めるのを控えていたら、学習習慣が薄れつつあるので、
「中学校に行きたかったら、お勉強はせんといかんよ?」と言って、切迫感がない程度にドリル5冊をしています。

3歳の音読から始めて、5歳の音読を続けて2年目。
最近、小1国語の文法のドリルの問題文を、読み上げるようになってきました。
文字を読み上げるのと、聞こえてきた音声を理解するのを、同時に行う回路ができてきたようです。

息子には脳梁が一切ありませんから(脳梁全欠損)、左右の脳の交信は目の裏の前交連だけで全てを賄っています。
視覚を司る部分に大きな脳出血系の脳室拡大があるので、たぶん視野はかなり欠けていて、視覚処理をして、言語処理もするのに、普通の人とは違う編み出した回路を使っています。

トドメに遺伝子異常から遺伝子発現が半分しか行えない、という条件下で形質発現してきていて、脳も心臓もガタガタなので、そちら由来での知的障害もかなり重くて、簡単に解消するレベルではありません。
それでも諦めずにコツコツやることで、人よりハンディが大きい条件をかいくぐって、ドリルの問題が解けるようになってきているようです。

いま算数は5×1マスの足し残と、10を超える繰り上がりの足し算を少しずつ進めていっています。
漢字は相変わらず覚えがイマイチですが、駅名とリンクすると覚えやすいようです。

散歩や旅やYouTubeでの映像と関連づけると勉強も楽しいようなので、ゆとりをもって、頭の中に勉強した内容が残るように誘導していっています。

多発奇形で生まれた子(しかも器質的障害も軽くはない子)で、国語の問われている文章を読み上げるまでになれた子、5×1マス計算ができるようになった子はまだいないので、報告します。

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智ママ

息子が日曜昼のTV番組にインスパイアされて、(TV番組『沢村貞子さんの献立ノート』の真似)鶏むね肉と玉ねぎのマカロニグラタンを作りました。

食材を貯蔵庫から取り出すところから始めて、
食材の下拵え(玉ねぎの皮むきと、玉ねぎのくし切りと鶏むね肉の一口大カット)
フライパンの炒める準備
(コンロ点火と油ひき)
具材の炒め
粉を炒めた具材に絡めたあと、
箱に書いてあるレシピを見ながら牛乳と水をカップで測り入れる
煮立ったら出来上がったシャバシャバホワイトソースに、マカロニを入れて6分ゆでる
までを、
母親が時々息子の手を上から添えて実際に切ったり炒めたりしてみせて力加減を伝えるとか、見本を見せるとかしながら、
20分ほどでマカロニグラタンが出来上がりました。

「僕が、作りました!」と得意げな顔をして食べながら、
「お母さん、僕、お料理を作ったから、お金もらっていいですか?」
「うん、今日はメインのおかずになる料理だから、200円ね!」

と、ちゃっかり子ども主催の食堂みたいな真似事をして、シャチホコ県にいく資金を貯める息子でした。

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智ママ

2023年のクリスマス直前に寒波が来て、湖西線が止まりそうだったため、夫がぶぶづけ市入りを見合わせたので18きっぷが3回分余ることになってしまい、チケットショップに売るにも使用期限が近すぎて売れず、消化するために、1/5に日帰りで名古屋まで行ってきました。

大垣でトイレ休憩のためにホームからコンコースに出たのですが、手持ちの食料が乏しくなったため、岐阜県大垣市の大垣駅そばにある、大型食品ディスカウントショップを見学しながらぶぶづけ市のスーパーの品揃え・展示・価格設定と較べて、東海地方のスーパーの多種戦略に舌を巻いて買物をしてから、また名古屋に向かいました。

新しもの好きの息子は、近畿と違う街並み(歩道を大きくとってあり、自転車が走っても、手を繋いだ父子2人が道を避けなくても歩ける。道路の幅もゆったり取ってあり、すれ違いの接触事故はなさそうなほど)と、東海特有のおおらかな店構えに大喜びで、父親とだと鉄道オタクとしての鉄分補給がメインになるのですが、3人だとへばりやすい母親があれこれ発見して、街並みや店の戦略についての地域差を話題にして、父親に話をふるので、耳学問で楽しめていたようです。

坂道はマイペースでスイッチバック式でしか歩けませんが、平地はくたびれるまでどんどん歩けるので、初詣が地元の氏神様でなく、熱田神宮になってしまいました。

その後は大量の料理で有名な、名古屋名物喫茶のマウンテンに連れて行かれ、20分ほどで頼んだ料理を食べ終わりました(登頂)が、私の食べっぷりを見ていた息子が『まだお母さんはいける!』と思ったらしく、
「お母さん、続けて僕のも食べてください」と25cmの直径に丼飯一杯ぶんはガッツリ入った和風ハンバーグ丼2/3を差し出したので、夫と二人がかりで再度完食(登頂)しました。

名古屋は街作りが車中心になっているからか、段差も少なく舗装も禿げているところがなく、15,000歩超えていて足が上がりにくくなっていた私でも、大荷物を背負っていても歩きやすかったので、
「やはり大企業と人口がある大都市は、歩きやすさが違うなあ。これなら、多少障害がある子でも、親御さんは連れ歩くことはできそうだな」と母親目線で分析しながら歩いていました。

ぶぶづけ市は人口150万ほどです。
昔からの道が多く、観光の中心となるエリアには舗装をきちんとするのですが、
同じぶぶづけ市でも、伏見区竹田以南や醍醐以南は、あまりお金がかけられてなくて、地主との交渉も難航し、広い道路はなくて曲がりくねって狭く、舗装もガタガタ、歩道も線を引いただけ、という危険な道路が多くあるので、名古屋の合理的な街組みをもう少し取り入れて、住民にも行き来しやすい道路行政を展開してほしいなあ。と思いました。

息子は歩きやすく、明るい街作りをしている名古屋が相当、気に入ったようなので、「また名古屋に行きたいなら、お金をかなり貯めんといかんね!」と言って、コツコツ家庭内バイトの50円、10円を小銭財布に貯めていっております。

日頃から、街を歩いていて贅沢をしたくなっても「頻繁にお寿司を買ったら、名古屋に行くのが遅くなるよ?どうする?買う?買わずに済ませてお金を貯めておく?」と訊いて、限られたお金をどう割り振るかを教えて、メリハリのある消費スタイルを、母親由来で継承していっています。

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智ママ

夕方に、
「お母さん、僕オムレツを作りたいです。手伝ってください」
と言って冷蔵庫から卵を2個取り出したので、
ボウルに卵を割って見せて、息子にも真似をさせて割らせて、(一部入った殻は私が除去した)
菜箸でとくまでやらせて、
フライパンに油をひくまでしてもらい(コンロをつけるのは私)、
卵をフライパンに流し入れるのと少しかき混ぜるのをさせてみました。

盛りつけだけは私の手を添えましたが、いちおう出来たので、
「僕が、作りました!」と言って、食卓まで運んで、得意気にケチャップをかけてもらって、食べていました。

『お腹が空いたらお母さんに作ってもらう』だけではなく、
『お腹が空いたら、自分で作る。手が足りなければ、手伝ってもらってでも作って食べる』が選択肢の中に入ったので、進歩です。

いずれ、彼女(恋人、またはパートナー、または妻)にオムライスを作って食べさせるだけの自炊力(料理する力)が息子にもつくといいな、と思って見守っています。

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智ママ

小学校入学時は、まだ触覚過敏とこだわりが残っていて、小学校のグラウンドにある砂場の砂に、触るのも嫌がって入るのも、拒否していた息子でしたが、小2で砂場のどろんこ遊びで嫌な顔をしなくなり、小4では卵を割って卵白が指についても「わー!ベタベタするー!」と言って、慌てて手を水道で洗うだけで済むようになりました。
療育整体とインナーマッスル・股関節周りのストレッチがよかったようです。

何より、5歳児の頃は、人からしてもらうのを、教室の隅でポツンと待っているだけだったのが、空腹も手伝ったからとはいえ、自分で何とかしよう!と自主性をもって動き始めたのは、大きな進歩です。
あれこれかまってやりすぎないように、自分で育つ力を尊重して、育てていこうと思います。

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智ママ

元日の地震で気づいたのですが、
度重なる警報のお知らせ音に、赤く光るテレビの画面、繰り返し地震警報が強い口調のアナウンス、
ぶぶ漬け市も震度3−4は長いこと、ゆっくりと揺れたのですが、
息子は平常運転で、「あれー?揺れたねー」と言って淡々とYou Tubeを見ていました。You Tubeを終えた後はおもちゃで遊んでいました。

発達の気があるお子さんや、ASDの気がある軽度の発達当事者の人は、多くが恐怖を刺激されて大騒ぎになっていた時間がわりと長かったようですが、
うちの息子は発達も治りきってはいないし、理解力もまだ未熟だし、自他分離も微妙なラインだし、下手したらちょこさんとこのお兄ちゃんみたいに、PTSDを起こしても不思議はないよね?と途中で気づいてテレビを消して警戒していましたが、昨日も、本日も、まったく通常運転でした。

息子の発達は、親の私が思っているほど、重くはなくなってきているのかもしれません。

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