「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

智くんの成長をみんなで見守るお部屋

『発達障害、治った自慢大会!』の殿(しんがり)を務めた智くん一家のお話。
重度の障害があってもどんどん治っています。
日々楽しいエピソードがたくさん!
みんなで見守りましょう。

156 COMMENTS

智ママ

昨日、口唇口蓋裂のSTの日でした。

小学校支援級→中学校支援級への申し送りの書類に、小5小6までの目標を記載してあって、それに「簡単な絵本を一冊、音読で読み上げること」とあったのですが、
昨日のSTで、息子が、簡単な絵本を一冊、直に読み上げるという課題をあっさりクリアしてしまったので、また息子の担任の先生が、授業のカリキュラムと小6までの目標を書き直す必要があることになってしまいました。

その他に、STが音声で言うひらがなを書き取る訓練(言語聴覚士としての確認事項)
と、STが音声で読み上げる単語をそのままひらがなで書き取る訓練が行われました。
発音(タチツテトが声門破裂音で発生する癖がまだ残っているので、それの矯正)訓練も行われましたが、色とりどりな訓練となりました。

このSTは、息子の情報をカルテに記載する他に、リハビリ病院での経過や心臓の経過などもカルテに記載して、全人的に(西洋医学的な情報ばかりではありますが)データを集めて、次回の多発奇形児の治療に繋がる情報や手法、経過観察に役立てる試みをしてくれています。
ですので、大学病院には、多発奇形で生まれても、経過が良くて普通小学校・普通中学校で学生生活を遅れる事例をあとに続けるための、知の集合がなされてくることと思います。(研究機関なので、当然のことといえば当然なのですが、それをしているのがSTのおばちゃん先生というのが、何とも面白いです)

もう定年間近で、後輩に、STの技術の伝承をどんどんおこなっている段階のおばちゃん(形成外科の准教授から言わせると『細かくやかましい、熱心な、おばあちゃん』ですが、60歳〜70歳までは道端だと『おねえさん』、近所だと『おばちゃん』と呼ぶことにしている息子からすると、まだ『おばちゃん』)先生ですが、

「智ママさん。発達はね、『9歳くらいで伸びなくなる』て、巷で言われてますけどね。とんでもない!ウチに訓練に来る(口唇口蓋裂の)発達の子は、みんな10歳過ぎても伸びてます!『9歳での壁』なんて、あらしまへん!皆、それなりに伸びてますで?そやから、どんどん智くんを伸ばしていってくださいね」
と発破をかけて指摘・指導していました。

いけるところまでは、いってみようと思います。

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智ママ

息子の絵に、俯瞰図の要素が加わりました。現場にいる主観以外に、第三者的視点が養われてきていることが表現されています。

区内の支援級が集まって行う交流会『なかよし会』での一コマを描いた絵です。

俯瞰図は、5.6歳を過ぎないと現れないので、息子の精神年齢がそこまで成長してきていることの証拠になります。
9歳時点での発達年齢は4歳2ヶ月でしたが、今回、10歳で精神年齢が5歳は最低でもいっていることがわかりました。

西洋医学では小4小5あたりで脳の成長が止まるので、それ以降はほとんど伸びない。とされていますが、まだ小5でも伸びています。

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智ママ

本日、二者懇談でした。

数の概念・10までの足し算・数を素数とそれ以外の数を、2つの数字の組み合わせで表現すること・単位の繰り上がり(ブロックやおはじきを使用)が、できかかってきているということでした。

3年間PT・OT・STを続けられている家庭はウチだけで(息子は発達が伸び続けているので、国民皆保険という公費をかける価値があるとみなされて、小児科医による訓練中止の判断が下りない)、訓練のかいあって、体感はクラス一(全員で3人ですが)強くなっていて、Rの発音も意識していればだいたい完璧にできているそうです。
PTをしても、肢体不自由児・者の場合、良くて現状維持、悪いと悪化防止くらいにしかならないことが多いので、「訓練の結果、プラスに発達が進むケースが珍しくて、リハビリ病院もデータが取りたいのだろう」ということでした。

発達を持つお子さんの伸び方として、突然、段階が上がり、その後同じ訓練をしていても変化なしの平坦な状態が続き、ある時を境に、またググッと段階を上がる。というパターンをたどる子が多いそうですが
(表年上の行動変容だと、段階を経て発達が下がることも多々あるそうです)、

息子の場合は、「??うーん・・・、この子、伸びてるんか伸びてないんか、ようわからんなあ?」という状態がダラダラ続いて、しばらく経ってかなり変化が見られてから「うん!やっぱ、コレ、伸びてるわ・・・」と上昇または改善が確認される。という、発達においては少数派の、ダラダラと伸び続ける型を示しているので、
パッと見て、『明らかにドカンと伸びている』とは言いづらいものの、記録をつけていると、「以前より伸びているね!」というエピソードが出てくる。というパターンが恒常化しています。

中学に向けての書類の作成も進んでいるらしく、予め作ってある書類を見せてもらいました。細かく目標設定がされていましたが、「やっている感」を業績に繋げたい姿勢が垣間見える内容でした。
それでも、息子がじわじわダラダラと伸びてきて、目標設定を次々にクリアしているので、その都度、内容を変更していかないとならなくて、担任はワタワタしているそうです。

それが息子の持ち味なんだな、ということがわかっただけでも、懇談は価値があったと思います。

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智ママ

本日、リハビリ病院の定期検診でもある小児科の受診でした。

身体はケンケンが左右とも10回(訓練開始時は2回が限度でした)、片足立ちは左右とも7秒(こちらも訓練開始時は2秒から3秒からのスタート)、2年生の時には『豚の丸焼き』ができて3秒から5秒だったのが、小5で雲梯に15秒ぶら下がれるようになるなど、まだ身体の発達に伸びが見られるということで、OT・PTともに訓練延長(これから4ヶ月継続)となりました。

年齢的に小学5年生ということで、そろそろ伸び止まることも覚悟して進んでいますが、まだ伸びていると小児科医から判断されたので、嬉しい限りです。

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智ママ

ニデック京都タワーに、父親と一緒に登ってきた息子、眼下に広がるバスロータリーと京都駅とを見て、目をキラキラに輝かせていたそうです。
5歳のときにタワーに母親と一緒に行ったときには、窓の外を一瞥するだけで終わっていました。

ということは、5歳時点では強度の遠視で遠くも近くもぼやけて見えない状態だったのが、10歳の時点では、遠視が矯正されてきて、比較的遠くの景色がくっきり見えるようになってきたものと思われます。

お出かけの楽しみが増えてよかったね。と思いました。

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智ママ

息子が、エジ◯ン箸を卒業する目安が出てきました。

自立の時間(生活訓練メイン・ストレッチなどの身体への刺激が半分の、支援級特有の時間)に、メラミンスポンジを賽の目に切ったものをアルミの食器に入れて、割り箸でもう一つの皿に移す訓練をさせたところ、
『さすがに智さんは、慣れない箸に苦戦するだろう』の教師の想定を覆して、スイスイとメラミンスポンジを、もう一つの皿に運びきってしまったそうです。

本日、記念の映像を、教師のデジカメで確認しました。

担任男性教諭は「ああ!僕の年間指導計画が!また一から組み直しや!」と当初のスピード以上に息子の進度が早くなって追いつくので、しょっちゅう年間指導計画を組み直す必要が発生して、「仕事が増えた!書き直しや!」と嬉しい悲鳴ですが、

私としては
「市役所前の丸◯製麺に父親と出かけていって、自宅に給食セット(細かく着るキッチンバサミ・エ◯ソン箸・スプーン・フォークの、息子専用の、給食補助セット)を忘れていったので、しかたなく割り箸を使うことになって、父親に子ども用麺切りでうどんをカットしてもらえば、四角くて分厚いうどんを割り箸でとって、お腹いっぱいになるまで口に運ぶことができたんやから、普通の箸も全く大丈夫じゃないの?」
と、淡々としていました。

『給食に割ける時間が限られていて、食べる時間がギリギリになってしまうので、当面エジソン箸で食べさせて、時間があるときに割り箸を一部使うところから始めてみる』とのことでした。小学校の管理優先となるようです。

小6になると出かけていく修学旅行は、代々、香川の高松に行って金毘羅さん+うどんを作って食べる体験学習が必ずついてくるコースに組まれているので、
金毘羅さんは心肺機能理由で登れないので。門前町で記念館などを見学させるとして、
それまでに割り箸を使って食べられるようになっているといいな、と思いました。

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智ママ

7月といえば七夕。ということで、息子が七夕の主人公、織姫と彦星を作ってカレンダーに貼りました。

しかし、この織姫、とてもやる気満々の勝ち気な性分の女性らしく、彦星を「彦星くん!いくわよ!」と従えて、先頭にたって天の川を進んでいこうとしております。
そして彦星は「うん、織姫ちゃん…」と微笑みながら、年に一度の逢瀬ではしゃぐ恋人が、天の川に突き進むのを温かく見守っております。

はい、日頃の夫と妻の関係、母親と息子の関係が、そのまま表現されております。

「日頃からの親の態度が、息子の女性観に影響を及ぼすとは。想定外だわ。」
と、育成級で頭をかいた母親でした。

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智ママ

小学校入学時は鉄棒にぶら下がることも、2年生でも両手両足を使って2秒も『豚の丸焼き』ができなかった息子。

小5にして、自分と他の健常児児童とかなり違っていることがわかってきたらしく、自宅近くの公園で、健常の小3児童が雲梯にぶら下がってから、よじ登って遊んでいるのを見て、それを真似したくなったらしく、けれど筋力が足りなくて、両手で15秒ほど雲梯にぶら下がって「お母さん、できました!」「ぶら下がれましたよ」と言って成功をPRしていました。
握力がついたことから、できたことだと思われます。

ぶら下がると脇が伸びるので、いい感じの刺激になるかもです。

OTでは、裁縫の糸通し・玉結び・運針・玉止めを先んじて学びました。
「僕は、弱視だから、見えないです」と言って糸通しは渋っていましたが、その後、玉結びに四苦八苦、運針は貼り跡がくっきりと目に見えたのでやる気が出たのか、「まだやりたいです」と言って訓練を続けていました。

できることを増やしておくと、特技や趣味に繋がって、やる気が続くなら、仕事にもできるので、色々どんどんやらせてみようと思います。

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智ママ

息子は、小1の時点で体幹がぐにゃぐにゃだったので、座るときには腰にクッションを噛ませるとか、座位保持のパーツを椅子に取り付けることで、やっと座れて授業を受けていたのですが、

このたび、座位保持のパーツがついた椅子を卒業することになりました。

担任の男性教諭は、大学を卒業してから16年間で、支援学校・普通小と両方の体験がありますが、在学中に座位保持のパーツが外せるまで体幹がしっかりできた子は、これまでに3人しかいないそうです。

そして、小2から3年間、リハビリを延々続けて、リハビリ専門病院と大学病院で、OT・PT・ST、フルで行き続けた人は、16年間でウチだけしかいないのだそうです。
「リハビリは、毎日に近くしてないと身につかないんで。体幹もしっかりしてきませんし。これ(息子の体幹がしっかりしたこと)は、やはり、お母さんの努力の賜物です」とも指摘してました。

息子の使っていた座位保持パーツつきの肘掛け付きの椅子は、まだ体幹がぐにゃぐにゃの小3児童に使われることになりました。

座れる椅子が増えたので、授業が受けやすくなって、当人は喜んでおります。

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智ママ

小1の時点ではなぐり書きの線しか書けなかった息子、小2小3で筆圧のほとんど無い薄いへろへろの字を書いていたのですが、
小4の終わりごろから筆圧が上がってきて、小5の夏休み前で、硬筆の書き取りで育成級の学校代表の提出物として出されたらしく、本日の連絡帳ファイルの中に入っていました。

遺伝子異常による形質発現が人の半分しかない身体でも、脳出血系の脳室拡大で身体の末端に力が入りにくくても、ここまでの筆圧は出せて、書き取りもはっきりできるようになる事例になるかな?と思い、提出します。

最近は文字を書くことに楽しさを感じているからか、児童館の受付で「僕が書きます!」と言って、ひらがなで大きく苗字を書くので、利用者名簿が二マス大きなひらがなで苗字だけで埋まってしまうため、慌てて母親が書きなおす。ということも起きています。

文字を書けるようになると、家事や登校準備などに自主性が少し出てきたので、「表現する喜びが、自発性に良い方向に働きかけてきたのかな?」と思って見ています。

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智ママ

5月下旬に行った、山の家宿泊訓練での思い出で、初日に小グループでオリエンテーリングをしたときのことを絵に描いたものです。

完全に頭足人ではなくなり、登場人物が全員服を着ていて(服を着ている表現が見られるようになった)、芝生の地面が発生しています。
オリエンテーリングを行っている、という他者への説明もみてわかるように描かれています。

描画についての視点が、また成長して表現がアップしてきたことがわかる絵画となっていました。

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シア

智ママさん

違和感ないです。
大人になってもスティック状の人物を書く人はたまにいますので絵の及第点は取れていると思います。

カラフルで楽しい絵ですね。
物体が空中に浮いていたりヘンテコな絵を研究所で見てきたからか豊かな訴求力のある内容でびっくりしました。

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智ママ

普通の発達だけのお子さんにとっては、なんてことない小さなことかもしれませんが。

生後2ヶ月で
「育成級?無理無理、この子には椅子に座って机につくことができるようになるだけでも御の字です!たぶん、数の概念からしてわかりません。文字も認識できないと思います。行けて支援学校、育成級に行けた事例を、僕は知りません」
と、NICU医師から、きっぱりと公立小の育成級進学も『絶対無理』と診断された息子です。

公立小育成級へ入学時には発達年齢1歳半で、2年時は発達年齢2歳半、4年生時の9歳で発達年齢4歳2ヶ月、と伸びた息子は、肝心のお勉強はさっぱりで、情報を入れる端から抜けていく(100の項目を入れて13〜15残ればいい方)という、遺伝子異常由来の頑固な知的と発達、器質的障害からくる視覚情報処理の難がある、という不利な状況での学習開始でしたが、

家庭学習の課題の5冊のドリル(小1国語・5マスの足し算・繰り上がりの足し算・5歳の音読・小1の漢字かきとり)をそれぞれ4頁させていたところ、今まで30分はかかっていた課題完了が、15分で終わるようになっていました!

学習の程度としては、新一年生よりもかなり遅れていますが、「理解したぶんだけ進む」ことを重要視した結果、小1国語を解き終わったときに「次は、足し算の算数ですね!」とドヤ顔で母親に語りかけるくらいは、ドリルを解けた感があったようです。

多発奇形でしょ?器質的障害もあるんでしょ?知的重度スタートだったんでしょ?
いや・・・お勉強、そんなレベルじゃ無理でしょ。
と周囲(含む小学校低学年担任)から笑われても馬鹿にされても、「できることが増えるなら、やってみる価値はあるよね?」で、確実にできた感を大事にして、ゴリゴリゴリゴリ同じ小1の国語のドリルを1年間で15回解かせていたところ、15回めにして、スラスラと問題を解いて「僕だってできるんだ!」(自他ともに認める、小1国語はできている状態)の境地に達することができました。

小学校では、ひらがなの書き取りをして、いまカタカナの書き取りをしています。
美しく書けることが第一の、支援学校中等部への進学を前提とした、学習の進度です。
読解の問題・選択の問題・国文法の問題なんて、自宅以外ではしたことがないです。
漢字は、勝手に自宅で書けるだけ書かせて、読みと書きでダブルの刺激が入るようにしています。

手探りでも自宅でできることを増やしたくて、ひたすら家庭学習でコツコツしていましたが、多発奇形(遠視系弱視あり)・遺伝子異常・器質的障害・知的と発達のクワドラプルな息子でも、小1の学習は、文字を認識できない、なぐり書きしかできない入学時の状態から、5年がかりでマスターすることが可能だということがわかりました。
やはり、療育整体とPTからの股関節のストレッチ・体幹の筋トレからくる、発達年齢の大きな伸びがあったから、地道な学習が活きてきたのかもしれないです。

親が諦めなければ、「僕、昔は難しかったけれど、今は小1の国語、サクサクできた!」という自己肯定感(その子にとって大きな壁だったことを、努力を重ねることで乗り越えることができた!という体験からくる『僕だって、やれるんや!』の気持ち)
を生むための、壁を超えることは可能なようです。

もともとは問題を解いていて、スカッと解法が頭の中を抜けていくような、一種独特の体感を息子にも体験させてあげたくて、始めたことでもありますが、
「解けた!」のスカッと体験が楽しい!と思えるようになってくれると、学習をする上で楽しみが増えるので、どんどん進めていけるようになると思っています。

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智ママ

先日、「いつまでも『公立中の育成級に行きたいな〜』と思うだけだは、何も始まらない。それなら、実際に動いてみましょう」と思いたち、公立中に電話をかけてみたところ、男性が出て、「まず、小学校の校長先生に話をもっていってください。こちらが動くのは、それからです。」と告げられました。

担任教師はじめ先生方のヒエラルキーは絶対で、簡単には教頭・校長には接することができないシステムになっているため(まえもって都合の悪い事例は担任がもみ消してしまえる)、それなら直に話ができたらいいのよね?と思い、朝の挨拶に立つ校長先生をなんとなく送迎のたびに目で追いかけていました。

一昨日、児童が作った畑の水やりに、ジョウロを両手に一つずつ持った校長先生が目の前を横切ろうとしていたので、これ幸いと「実は、息子が公立中育成級に行きたいといっておりまして。何を準備してあげればよいのか、直接公立中に電話したら、『小学校の校長先生に話を通してからにしてください』と言われました」と告げると、
キョトンとされて、「えーと・・息子さんはまだ小5ですよね?まだ小6からでも良いかと思われますが・・・わかりました、ご両親と当人さんは公立中進学をご希望ですね。わかりました。あとからしておきます」と、ものの5分で話が通ってしまいました。

直訴したので、その後、何かと小学校内でモメるかもしれないな。とは思いましたが、

療育園→小学校育成級進学の際に、支援の手に任せてばかりではらちがあかないし、家庭での教育をキッチリしていないと、支援に抱っこでおんぶでは、伸びるものも伸びずに終わるということを学んだので、

「息子のためにできることは、多少フライングしてても、今からやる!今すぐやる!」の精神で、特攻気分でそのまま公立中学校に電話をかけたり、神様みたいにPTA役員や小学校s教諭の中で崇められている小学校の校長先生に、さらっと送迎の帰りがけに直訴したりしている私ですが、

「できるときには動いたほうが道が拓けるので、いけるところまでいってみよう」と思っています。

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智ママ

本日、形成外科・歯科・STの3科の受診でした。

術後の経過観察のために半年に一度、通っている形成外科では、
息子は放置していても、形成外科医師の適当な相づちと質問だけで、いつまでも話しているので、形成外科としては、自分が手術した喉の経過+言語聴覚士訓練の成果、それに発達の促しからのお喋り度合いを全部ナマで、自分の耳でチェックできるので、マスクをしていても会心の笑みが雰囲気で溢れてきてしまうほど、ニコニコしていました。

・小1女児(普通級)が「智くーん、またねー。ばいばーい!」と笑顔で手を降って挨拶してくれるぐらいは、小学校の景色に馴染んでいて、対人関係も良いこと。
・小1女児からは「儚げな雰囲気の、ちょっと気になる、そこそこイケメン?の育成級のお兄さん」と見られていて、校内でも有名人になっているらしいこと。

・ですが、当人は昨年にお世話になった、小6女児のお姉さまにハートが奪われていて、追いかけていくために公立中育成級に進学したいこと。
・地域の公立中には、息子よりも程度の重い発達のダウン症男児が一人いるので、息子はたとえこのままだとしても、公立中の育成級には進学できそうなこと。

・今のところ、小学校の一風景に溶け込むくらいは対人関係もよく、トラブルはゼロで当人も小学校育成級ライフを楽しめていること。
・府内の多発奇形生まれで、公立中学に行けるのは、県下でも初の事例に近いかもしれないこと。(少なくとも、大学病院では、初めての事例らしいこと)

を、母親の私の口から報告すると、
「いいですね!僕は半年に一回の面会ですが、この子は、確実にいい方向にどんどん発達が伸びていっています。語彙も増えてる。お喋りもしっかりしてきている。そのまま、公立中でも私立中でもどこでも、どんどん行っちゃってください!」
と『いけいけどんどん』を地で行く励ましを受けました。

形成外科医師つきの看護師は、年の頃50代くらいの女性でしたが、多発奇形生まれの小5関連の恋バナ2つに、目をキラキラさせて、あまりのことに笑いこけていました。
女性性のわりと強い方は、たとえ元乙女でも、いくつになっても、他者の恋バナに目がないようです。

形成外科は、内科と似た感じで「生まれつき顔の奇形があったり、指が一本多かったり、少なすぎたりした事例を、いかに手術で見た目と機能を整えて、一般社会に一人でも多く安定した状態で旅立たせるか、が腕の見せどころ」という科なので、
患者を囲い込んで福祉に塩漬けにする方向を打ち出す、発達や小児精神科とは一線を画していて、
「ん?多発奇形だけど経過が良い?結構なことじゃないか!前例にかまわず、どんどんいってください!」
と励ますのは、ごく当たり前のことです。
(心臓医師も同じ方向性で、息子がどんどん記録を塗り替えていくのが楽しみな経過観察のようです)

医師もニコニコ、そして小学校を堂々と休めて、お昼に生協のほか弁が2種類も食べられるので機嫌がいい息子も、ニコニコ。という形で形成外科は終わりました。

私はいつも息子の傍らで生活していますので、徐々に伸びてきた変化にはすぐには気づけず、半年に一度の経過観察での形成外科医師の評価に、「あ、まだ伸びてるんだ、なら、もうちょっと、いけるところまでいこう」と思えたことでした。

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