「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

我が家の治った自慢

発達障害の診断がついたり、グレーゾーンと疑われたお子さんだけど

・こんな風に治ったよ
・こんなことしたら治ったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

1,097 COMMENTS

智ママ

木曜日は、心臓受診の日でした。
9:00から9:30の間に受診予定と予約用紙にはありましたが、病院の受付は8:45からしか開かないので、どう見ても15分間で心電図・採血・レントゲン・心臓エコーを済ませるというのは神様でも無理なため、腹をくくってできるだけ早く検査室に移動するようにして、10:10に全部の検査が終わると、10:30に診察室そばの掲示板に、息子の受診番号が表示されました。

入ってみると、陪席に医学生さんがひとりついていました。
受診前に、息子について説明を一通り受けたらしく、息子を、目を皿のようにして見ていました。『珍しい一例目の多発奇形系の患者でありながら、重度から中度に進歩した貴重な症例』と説明を受けたのかもしれません。
「だんだん、中度らしい拙さが抜けてきて、同じクラスの軽度のお子さんと同じような振る舞いをするのが見られるようになってきました」とだけ報告して、いつもの報告記録を渡しました。「えっ?」といった様子で陪席の医学生が一瞬身動ぎしていました。教科書では、知能の遅れや発達障害の度合いは伸びない、とされているからかもしれません。

採血の結果、INRの値が少し下がっていたので、薬量を調整して(微量に増量)、夏休みに行うCT入院の手続きの話が出て、終わりました。
淡々と受診して、診察する方も淡々としていたので、陪席の医学生は『発達障害が、発達して、知的にも発達的にも、重度から中度になった多発奇形が当地にいる』という事実に少し混乱している様子でしたが、訓練はされているのか、ポーカーフェイスは保たれていました。

「教科書どおりにはいかない非常に珍しい事例に出会った医学生さんは、どんな医師になるかな?」と思いながら、CT入院予約の手続きをとってきました。
大学病院は研究機関でもありますが、教育機関でもあるので、たまにこういう事(医学生の陪席がオプションでついている、いつもの担当医の受診)が起こります。息子の場合は、息子の中身の成長が、大学側の想定していた最先端を行き過ぎて、むしろ振り切ってしまっているので、持病の心臓での経過観察を大学病院の小児科でしているのですが、
『もともとの発達と知的が重度から中度になったまま維持している多発奇形の事例』ということで、非常に珍しくて医学的に勉強になる?事例のように見られているようです。

息子は、全く動じずに普通に受診して、やり取りを聞いていて、帰りに担当医に「ありがとうございました」と挨拶してその場をさりましたが、医学生がまたまた驚いているのが私の眼鏡の視界の端に入りました。

医学の現状を引っ掻き回しながら、普通に成長していく我が息子ですが、「まあ、そんな事例があっても、いいんじゃない?結果オーライ」で通している母親と担当医でした。

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智ママ

3回目のワクチン接種者が増えて、地下鉄やエレベーターで接種者と一緒になることが増えると、10数分すると眠くてたまらなくなる体質の私は、息子と地下鉄で出かけるのも『眠気に耐える修行』のようになってきました。

昨日、夫の願いで、3人でおにぎりを11個とパンを5個持って、植物園に花見に行ったのですが、既に3回目の済んだ高齢者が地下鉄内にたくさんいて、あちこちにワクチン臭を撒きながら(ご当人は、まったく気づいておられないようでした)歩いていました。

普段植物園は、換気の良すぎる場所なのですが、風にのって漂ってくる、独特の臭気によれよれになりながら、眠気と戦いながら、なんとか数枚の枝垂れ桜の写真を撮って、たまたま空いたベンチに座ると「お母さん、シェディング?」と眠気で不機嫌になりやすい母親をそうっと見上げながら、『まだ外出できるかな?』と、雰囲気で打診してくる息子でした。
通常だと、私が外出できなくなると、自宅に帰らなくてはならなくなるからです。

「お母さんは、曝露(シェディング)で、眠たいので、帰ります。息子は、お父さんと一緒に、3月から走り出した、地下鉄の新車両に、乗りにいってください」と告げると、ぱあっと顔が輝いた息子。
「お母さん、もう帰っていいよ」と即座にゲンキンなことを言われたので「こら、それはゲンキン過ぎるよ?バイバーイ、だけで、いいんだよ?」とたしなめてから、地下鉄乗換駅まで一緒に移動することになりました。
帰りの地下鉄の中でも、しっかり曝露したので、半分意識が飛びかけていましたが、何とか降りて、自宅近くの最寄り駅までなんとか辿り着くことができました。

帰宅してマグネシウム風呂に入ってしばらくすると、眠気が1/5に減ったので、『私の、月に二度しかない、貴重な、三人での家族サービスの質と時間を返してー!』と思いながら、しっかり寝ました。
寝ていた間に、私のスマホのラインに、夫から、新車両の写真が48枚送られてきていました。

7時頃に帰宅してきた夫と息子は、既にワクチン臭がプンプンしていました。
曝露の症状はなくとも、万が一、脳内出血などの形で出たら大変なので、早くマグネシウム風呂に入ってもらって、来ていたものは全部引き剥がして、洗濯して干しました。
井伊家の大名屋敷跡の放送を見て、喜ぶ二人を横目に、具沢山のチキンスープを作って出したら、塩気が美味に感じられて、あっという間に食べるスープがなくなってしまいました。

今朝、毎週楽しみにしていたチャ◯ントンが、番組改変でなくなっていたので、がっかりした息子でしたが、「今日は、ちゅうごくからきた、兵馬俑にいくの!」と博物館であっている『兵馬俑展』に、張り切っています。

私は、前日の、良質の塩を使った食べるスープのおかげで、曝露からの回復は早くて済みましたが、本日も、また地下鉄とバスで移動なので、『博物館は、換気抜群だからいいんだけど・・・移動中がねえ。また、スリリングな訓練になるなあ』と想定しながら、朝に食べるための、手羽元の出汁をとっています。

シェディングに負けて外出を控えても、息子の発達や成長は進まないので、『できることは、できるだけ、全部しておこう。』と、息子が母親と外出を嫌がるようになる歳くらいまでは、発達が伸びるように、外出して働きかけておこうかと思っています。
夫に『息子とイチャイチャできるのも、長くてあと3年くらいだから、今のうちに、一生分、うんとイチャイチャだめしておいたほうがいいよ?』と入れ知恵すると、親子のたわいないふれあいの時間が、もうあまりたくさんは残されていないことに気づいた夫が、西洋式の濃厚なスキンシップを息子にしているので、息子は寝入りながら満足そうにしています。

2ヶ月ほど前、寝入る前に、息子は毎晩、布団の中で胎児のシュミレーションごっこをしていました。私のお腹に手か足をつけることで、へその緒を再現をして、へその緒で繋がっているまま、布団の中でじっとしていて、「もういいか。」となると、布団の外に出てくる、という、名もない遊びです。

いつの間にか、胎児期のしたかった課題を済ませたのか、気が済んだのか、しなくなりましたが(その後、『にんしんごっこ』がありました)、その後のスキンシップの喜び方は、新たに生まれ直したかのようで、非常に生き生きとした喜び方をしています。
夫は、『濃厚接触!』といいながらスリスリ抱き抱きしている、ちょっとブラックなジョークを飛ばす父親なので、息子は「うまれてきて、よかった」と言っています。

胎児期の課題を、自分で癒やして、乗り越えて、また進化している息子を見ていると、「人間って、回復力あるんだなあ」と感じられる最近です。

生まれ直しをした息子は、以前にもまして積極的になって、親に「外に、でかけましょうよ」と働きかけ、外出での経験を自身の中に貯めるようになったので、「これはいい兆候だな。」としばらく観察しています。

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ちょこ

ご無沙汰しております。
高校生の息子の治った自慢(?)です
先日、初めてのアルバイト面接へ行った息子。
アルバイト先探しやメールでの先方とのやり取り、履歴書購入&記入・面接…等など初めて経験する事が沢山ありました。
ある程度息子に丸投げし、私は聞かれたらアドバイスする程度でしたが、有難い事に採用の連絡を頂きました。
たまたま希望時間帯に欠員が出たから。
決めてはここだった様ですが、社会経験のない高校生が随分と簡単に受かったものだなぁ…と感じました。と同時に社会経験のない高校生だから受かったのかもな…とも感じました。
成人した大人だと、教える側も色々と気を遣いますし面接である程度の「癖の強さ」は分かります。ハッキリ言ってしまえば「採用されて当たり前」感が滲み出ています。特に当事者の方。「ありのまま」で全肯定されて育てられたのだろうな。
と言う事が丸わかりです(主観ですが私自身職場で多々目にしています)
息子には幼い頃から「社会のルール」を教えてきました。主張する部分と引く部分も都度教え、経験させてきました。
「まだ高校生」今のうちに沢山の成功と沢山の失敗を経験して貰いたいと思います。
まとまらない文章を、お読みいただきありがとうございました。

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シア

医療の人から見てうちの母もすこし発達障害の気があったと言います。
父も相貌失認がありますが我が家は私が小さいころはやはり家族もすれ違いがあり悲壮感もあったと思います。
とにかく家族全体に悲壮感があった。
歯医者も大昔は小児歯科とか障碍児が通うようなところを紹介されて通っていました。
私が気づくとギャン泣きしたりパニックを起こしたり飛び出したりするので黙って乗り物に乗せて目的を知らせなかったんだそうです。
そして歯科に着いてから格闘があった。
今でも私の同級で幼児グループ(児童発達支援事業所・療育園)の出身の人はそのような歯科でなければならない人もいる。
しかしうちは幸いにして今は自分で歯科を選んで通っています。
そして「明日歯医者なんだよね。」と言ったりすると母など「あ・そう。 ドローンに乗って行ったらいいんじゃないの? ブーンて。」と冗談を飛ばしています。
非常に明るく朗らかで大昔の悲壮感は想像できないくらいです。

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智ママ

実家の母が、毎晩、息子の添い寝をしながら、夜寝る前のお話をするのに飽きたので『ことばあそびうた』『ことばあそびうた また』(谷川俊太郎作の詩集)を、息子に読み聞かせてやっています。

『すりは する/なにを する/ するり する』というフレーズを覚えて、一階のリビングで、口ずさむようになっていた息子。
息子は弱視もあることから、目がよくなくて、平仮名もやっとポツリポツリ読めるレベルなのに、祖母の読み聞かせによって、耳から学問で、小3の健常児レベルの谷川俊太郎の詩をそらで一部言えるようになっていました。

たぶん、育成級では谷川俊太郎は読まさないと思います。

発達知的の、8歳児に、知らず知らずのうちに、英才教育をさせてしまっている母方祖母ですが、自分が楽しくないと続かないので、自分の好きな谷川俊太郎の詩集を読み聞かせしていたもようです。

どうやら息子は、国語の素養はありそうです。

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智ママ

8歳の息子が、突然、母親が「ただいま」言うと「おかえり」と返すようになりました。
(今までは「ただいま」と言うと、そのまま「ただいま」とオウム返しするだけでした)

「おっ!郷里の『なめろう』をほぼ毎日食べていたから、頭がよくなったかな?」と言うと、得意気に「『なめろう』を食べたよ」と返しました。

小1の時点では半分以上オウム返ししていたのが、1年で、(小2開始の時点では)オウム返しが半分くらい混じった会話ができるようになっていて、2年で(小2の一年間で)、徐々にオウム返しの割合が減っていって、普通の会話ができるようになりました。

息子は視野と言語を司る部位が大きく欠けているので、「言語は、将来、話せるかどうかわからない、眼は動くけれど、きちんと見えているかどうかも、はなはだ怪しい」と生後2ヶ月で宣告されていたのですが、それでもマイペースで発達は進んで、人間らしい会話を手に入れることができるようになりました。

8歳でも、発達はまだまだ進むようです。
今後の展開が楽しみです。

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智ママ

一人だけの孫息子に、脳梁全欠損があって、脳室拡大もあり、その他、多発奇形として奇形がたくさんあっても、発達や知的があっても、筋肉が低緊張でも、一切、忖度はしない主義の私の一族は、『たまに遊びに来る孫世代が、息子だけ』ということもあって、揃いも揃って、息子への修行系の発達援助に、夢中になっています。

息子からすると、母方の大叔母にあたる私の父方叔母からは「さあ、公園に行こうか!」と叔母宅近くの公園を3件ハシゴして、ロープのジャングルジム・鉄のブランコ・金属でできているジャングルジムの遊び、または登り降りを、リハビリで通うOTも、真っ青になるレベルで、仕込まれながら遊んできて、昨夜は早く寝てしまいました。

そして今日は、ドン・キホーテに車でいった母方祖父から「荷物を運ばんか?」と牛乳六本と2リットルお茶を2本ずつのせて、たいそう重たくなったショッピングカートを押す係とされ、
会計が終わって、商品をショッピングバッグに詰めると、それをカートに載せて「智くん、車まで運んでくれんね」と、原則一人で(方向転換は祖父がしていましたが)一階の駐車場に停めた車まで運ばせていました。

忖度というより『息子くんを鍛えて、身体を強くしよう』と思ってそれぞれが息子にさせて施しているのですが、結果として、それらが集合して、実に強力な発達援助となってしまっております。

母方祖父は『発達障害の僕が飛び跳ねるわけ』をわざわざ図書館で借りてまで読んで、発達障害についてかなり勉強していたはずなのですが…
実家の父も母も…路線が、完全に発達援助になってます…。(笑)

「発達がダメなら、知的があるなら、運動させて、せめて、身体だけでも頑健にしてやろう(心臓はあるけれども)」と、変に熱い爺心を発揮して、バシバシに息子を鍛える方向に走った結果、息子は自宅にいるときよりも、じいさまとの遊びで疲れて、毎日、早く寝てしまうようになりました。

郷里にくると、母方祖父・祖母・大叔母・大叔母の夫、と、2倍のジジババが、それぞれに工夫をこらして、息子の発達を伸ばそうとして、それぞれ別々にはたらきかけるので、
息子は郷里を去る頃には、かなりさまざまな刺激を受けて、相当たくましくなって在住地へ帰っていきます。

忖度はしない主義の一族ですが…これは、ちょっと、凄いことになりそうな2022年の春休みです。

あと数日で、郷里での訓練の日々も終わります。
在住地に帰ったら、息子がどれだけ伸びるか、今から非常に楽しみにしています。

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智ママ

郷里に帰省して4日目になりました。

実家に帰って、しばらく接した息子の祖父母は、良くなっている孫息子の頭の回転に驚くやら、喜ぶやらで、
「この子は、前より、明らかに頭がようなっとる!」と大喜びでした。
実家では、私の弟のお下がりの列車の玩具を、息子が独り占めして遊ぶのが恒例ですが、今までは祖父にレールを組み立ててもらっていたものの、今回は、自力でレールを組めるようになっていて、列車の遊びのバージョンも増えていて、祖父母はその発達の進歩に、大喜びでした。

何より理解力が上がったので、無理に息子に合わせて、噛んで含めるような物言いを、うんと頭をひねって生み出さなくても、易しめに口頭で説明するだけで、理解できるようになっているので、世話をするのが楽になり、子守りにかかる労力が段違いに減りました。

そのぶん、息子を連れて外出してやらなくてはならなくなっているので、後期高齢者になったばかりの祖父母と、立派なおばさんになった母親が、交代で、息子を連れ出して、手を引いて散歩させています。

自然の豊かな、穏やかな気候の郷里での生活も4日目に入りましたが、今までのように『在住地こいしや、在住地こいしや』と涙にくれることなく、私の郷里での外出生活を楽しみながら、ふたたび新しい刺激を得て、あれこれと発達していっております。

昨日は路面電車に、一日乗車券で10回ほど乗り降りして、市のあちこちに移動して乗り倒したのですが、新しい場所を歩いたり、新車両に乗れたりして、息子は大喜びでした。

まだ市内観光は難しいですが、そのうちにまた知的に進んできたら、郷里での歴史の勉強をさせに連れ歩くこともできるようになるかと思います。

多発奇形でも、重度発達と重度知的がある遺伝子疾患でも、伸びるときには伸びますし、応対が良ければ、子どもは黙ってても伸びていく力があるようです。
私達はその補佐役をしているだけです。

想定外に息子が伸びているので、祖父母の楽しみは増えて、ますます「息子くんのためには、私らも長生きせんばいかんけん」と以前にも増して健康に気をつけるようになり、結果として、ワクチン接種2回のハンディをものともせずにピンピンしていました。
毎晩に近い、ウォーキングの後の晩酌がワクチン接種の副作用防止に大変よかったようです。

発達の子や発達当事者が伸びることは、家族だけでなく、親類縁者にも、良いことがたくさんもたらされます。
このよい輪が次々に伝わると良いな、と思って、早朝ですが書き込みしました。

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yasu

先日、終業式を迎えて小4が終わりました。
まぁコロナ禍でマスク警察と闘いながら、よく頑張ってくれました(笑)

個別指導計画や記録の申し送りといった、特別支援教育の匂いがするものは4年生で終了あるいは継続不要の手続きを終え、いわゆる支援とは100%縁が切れた状態です。今までの記録をチェックしていたら3年生頃に再度知能検査やC-ABCを実施予定のメモが出てきましたけど、学校での面談では話題にすらならなかったです。不得手よりも得意をとことん伸ばす方向は”採らなかった”のが奏功したように思っています。

4年生の初めの保護者会では学業ができる子とそうでない子の差が出てくると言われましたけど、クラスの状態見ていると確かにその通りでした。特に算数で差が出て少人数指導が必要な子が出てきます(これも特別支援教育の一つ)。

その他、スイミングスクールで小学校卒業する友達に手紙とプレゼントを用意したりと、成長が見られました。

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道化師9

こんにちは😃道化師9です。ご無沙汰しております。

私は…治った自慢ではないかもしれませんが…少しの進化を書きにきました。

10年前からエレクトーンを習っています。あっと言う間に時間は過ぎていきました。

レベルが上がって行くにつれ、新しいことを習っていくのですが、両足でベースを踏む、ということに挑戦中です。

実は6年くらい前に買った楽譜なのですが、本来エレクトーンは左足ベースが主流ですが、右足もベース、という曲に出会いました。

当時は身体が鈍く、両足をベースにやると、身体が後ろに倒れてしまい、椅子から落ちそうになっていました。

それから時間は経ち、エレクトーンを練習しまくったわけではなく、体幹を鍛えることを頑張っていました。

だいぶ体幹が鍛えられたのか、今では両足でベースを踏めることができます。

6月のコンクールに出場するので、楽しみが一つ増えています。

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浅見淳子

道化師9さん、ようこそ。

エレクトーンはそういう楽器なのですね。
『人間脳を育てる』を読むとわかりますが、左右同時にしか使えない状態から正中線が確立し左右が別々に使えるようになるのは発達です。
おめでとうございます。

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道化師9

ありがとうございます😊

改めて「人間脳を育てる」を開きました。

「発達はシャンパンタワー」のポストカードが出てきました。

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たんぽぽ

お久しぶりです。息子が4月から大学生になります。

コロナに入ったのがちょうど高1の終わり、海外でホームステイやボランティアを経験し、さらに行きたい国ができ、コンテストの表彰式でその行きたい国で駐在経験があった審査員の方に「知人を紹介するからぜひ行ってごらん」と声を掛けられ、ますます夢が膨らんでいたときでした。でも、あれよという間に休校、県を跨ぐ移動すら自粛推奨。息子はそこで「これはチャンスだ、休校期間を狙って塾が力を入れるに違いない。」と切り替え、塾も閉まらないうちにといくつか体験し、自分で合うところを探してきました。

そこから今に至るまで、「今日の予定は?」と聞くと「勉強。」と返ってくる毎日。(あんなにお出かけが大好きだったのに…そして勉強、全然しなかったのに…)
今までやってきたことをアピールして推薦も受ければ、と勧めてくれる声もありましたが、「勉強で勝負してみたいから。」と、家で過ごす毎日が続きました。

塾では、成績に合わせていろいろ大学を紹介してくれたようなのですが、大学・学部学科・何が学べるか・自分に合う大学の特徴をまとめた表を作り、「こういうことを考えているので、〇〇については相談に乗ってください。それ以外は大丈夫です」と説明(プレゼン?)。言っとかないとさ、煩わしいんだよね、と我が道を行っていました。

この期間、私は仕事で任されることが増え、夫は逆に家で過ごす時間が徐々に増え。息子達が小さい頃はほとんど家を空けていた夫が、YouTubeを見ながら料理をするようになり(香辛料に凝るので私よりあっという間に本格的になりました笑)、息子とじっくり話すようになり、学校の諸々(懇談会や面談等)を引き受けてくれるようになり。中高生のいい時期に、子育て分野のほとんどすべてが夫の担当となりました。
息子の進路についても、受験や入学手続きのスケジューリングについても、すべて夫が把握。これもこれももし受かったら、その後どう動きたいの?こっち落ちたらどうする?とか、表を見ながら二人で話していました(息子曰く、自分が表を作るのが好きなのはパパに似た、とのこと)。夫と息子達がいい時間を過ごせるようになったこと、これは、コロナがもたらした副産物でした。

基本、ご子息のやりたいようにやらせてください、親の人生と子の人生は別なんです、親のできることは口を挟まないことです、という自由な男子校だったので、先生が口を挟むわけがなく。高3になると、進路は本人の問題だからと、保護者面談すらなくなりました。息子はその自由さが心地よく、担任の先生を慕っていて、共通テストが終わって国立に出願する際、父親とその先生にあれこれ相談。先生の「思うようにやれ。やってみたいんだろう?悔いのないよう挑戦してこい。」というエールに背中を押され、出願校を決定。先生の大胆(無謀)な助言に驚きましたが、「挑戦」する彼を見て、ああこれは楽しかったんだろうなあと思いました。いろいろ合格も不合格もいただきました。すべて終わって、「あのときああすればよかったとかある?」と聞いたら、「ない。やるだけのことをやれてよかった。もういろんな人に感謝しかないよ。」と言っていました。

思えば、海外に行くことも受験も他のことも、息子はそのときどきで存分にやりきってきたのかなと思います。その中で、迷いも緊張も選択も、すべて自分で引き受ける楽しさを知ってきたのかなと思います。

卒業式、都知事賞をもらいました。「いい学校だったなあ」としみじみ一言。
実は発達障害なんです、と打ち明けることもあるかも?と思ったのは6年前の入学式のときだけでした。この6年間、すっかり忘れていました。

ここの、小さなお子さん方のパパさんママさんの書き込みを拝見して、うちもそうだった、電車も移動も大好きで、小さな体で一生懸命考えて、家族で遊ぶのが楽しみで、と思い出してもう涙が出てきます。

小さなお子さんから大人の方まで、幅広い方々が「自由に」集えるこの場があるおかげで、ときに振り返り、ときに心強くなり、勇気をいただいています。浅見様、ありがとうございます!

(弟達も皆勤、コロナと無縁の日々です。)

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智ママ

いま、来週から郷里に帰るための荷造りと並行して、ちょこちょこと部屋の片付けをしていっています。

どうしても、移動の際には、出発に緊張してしまって、荷物があれこれと多くなってしまうので、(予め、ダンボール一箱は実家に送ったのですが)
「どうしようかな。乗り換えの時間は25分しかないし。荷物が重かったら、子連れで身動きが取れないし。」
と焦っていたら、母親の支度の様子を見ていた息子が、
「お母さん、このカート(スーツケース)に詰めなさい」
と言って、玄関の付近に置いてあったスーツケースを引っ張り出してきたので、非常に驚きました。親に命令形で提案したのにも驚きましたが。

昨年も春頃に帰省しましたが、そのときの息子は、親の準備が終わるまで自分はただ遊んでいるだけで、ぼーっとしながら待っているだけでした。
今年は状況を読んで、母親の役に立つことを考え出して、実行して助け舟を出す、ということをしてみせました。

『ええー!これじゃ、どっちが親でどっちが子どもか、わからないじゃない!』
と内心焦りましたが、「ありがとう!」といってスーツケースに物を詰めて、事なきを得ました。

単純に、『郷里への準備ができたら、お母さんと一緒に散歩に連れて行ってもらえるから、僕も手伝おう。そうしたら、出発が早くなる』と私の行動パターンの先の先を読んでの行動ですが、ドンピシャで助かりました。

息子は、明らかに1年でぐぐっと成長してきています。

これは、どっとこむ案件かな?と思い、ここに書き込みます。

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アルパカ

こちらではご無沙汰しています。アルパカです。治った自慢というよりは、定例報告です。
早いもので、息子が入学し一年が過ぎました。就学相談では普通級で大丈夫と言われていたものの、一応準備しとく派(笑)の私は、何かあった時にすぐに動けるよう仕事のボリュームを減らしたり、何やかんや備えていました。が、全て稀有に終わりました。
支援級のママからは、「先生に伝えることがあり過ぎてすぐに連絡帳が足りなくなる」と聞いていたため、連絡帳も数冊用意していましたが、結局数ページしか使わず。
授業は積極的に取り組み、休み時間はいつも友達と外で遊び、体調不良など困った時は先生にアピール。過剰な感染対策をものともせず、のびのび過ごせました。
また、得意な教科ではわからない友達にアドバイスしたり、苦手な縄跳びは上手な友達に教えてもらいながら上達し、切磋琢磨な集団生活でした。
学習面も特に問題なく、二年生の予習もサラッと終えたので、この春休みはめいっぱい身体を動かして遊ぼうと思います。
学校からは発達障害のはの字も出ず、そういえば私も口にすることなく、診断されたことさえすっかり忘れていた一年でした。
思い返すと、息子が重度知的、重度自閉と診断され5年経ちましたが(懐)、以前は思い出しては腹が立ったりしていましたが、今となっては思い出の一つ。あの奇妙な出来事から色々学んで次に活かすことも出来ましたし、助言どころか口を開けば悲観的な話しかしなかった凡医(ベテランでしたけど)にもある意味感謝です。あなたに出会えたお陰で「医師の言うことが絶対ではない」が確信に変わりましたよ笑。

今は幸せなことに、治るための手立てが色々あります。治ったという声もどんどん増えています。ただ一方で、気をつけないと手法にとらわれてしまう、依存してしまうということにもなりかねません。子育ての本質を見失ってしまう可能性もあります。色々な本も出ていますが、読んでアセスメントして実践することももちろん大切かもしれませんが、一番理想なのは「読んで答え合わせすること」。特にお子さんの場合は。「あの時子どもが夢中でやってたけど、こういう意味があったんだ」と気づきを得ること。
地道にコツコツやるけど、あくまでも肩の力を抜いて、そして親御さんの場合は、子どもの発達以外にも楽しみを見つけて(とても大事です)、一日一日を大切に紡いでいってほしいなと思います。

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智ママ

さつまいもごはんを作ったら「おかあさん、僕が、ついでくれるよ」と言って、自分でお茶碗を片手にしゃもじを持って、さつまいもごはんを自力でついでいました。どうやら、小学校の給食の時間に、一年生の担任教諭がごはんを4人分の器についでいるのを見て、その様子が『かっこいい』と思っていたようです。

日本語はやや間違っていましたが、実に得意げに持ってきて、机において食べていました。

また一つ、手が離れたことがわかった、終業式の日の夕方でした。

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智ママ

毎日、小学校校舎にたどり着くまでに階段を下って、校舎にたどり着いたら、2階に移動した育成教室まで、階段を登らないといけない息子に、『手すりを使わずに、階段の上り下りをさせる訓練』を施しています。
(発達検査で、息子は遺伝子異常により小脳が小さく生まれつき、筋の緊張もやや低めなことも手伝って、運動機能が劣っているため、運動分野で、いつも点数が極端に低く出て、他の発達の進歩で出た数字を下に強く引っ張る形になって、もったいないのです)

「はい、手をオートファジーにして。手すりに掴まらない!」
「お母さんが後ろからついてて倒れないように見張っててあげるから、行きなさい」
「大丈夫、手すりなしで行こう!」
と様々に声かけをしながら、遅刻しそうな状況でも、よたよたとバランスをとりながら階段を上る訓練を息子にしつつ登校していたら、階段を登りきったところで、
1年生のお母さん方と、1年生担任が失笑をこらえながら出迎えてくれました。

「いや〜、すごい厳しい指導でしたね。僕も見習わなきゃなあ。」
「生活科の時間に、お母さんの真似をして、僕の指導の声が1階までの階段に、響き渡ることになると思いますよ(笑)」
としっかり茶化されました。
「お恥ずかしいです。」
「『息子は生まれつき小脳が小さいから』と言って、何もさせずにいても、自然にバランスは取れるようにはならないので、今からバランスを取る訓練にならないかなあ?と思って、あえてキツイとは思いますが、厳しく、階段登りをさせています。」
とクソ真面目な女子大生みたいに真面目に答えたら、どちらかというと『あるがまま』系の関西人の1年生ママさんたちが、私の真面目な厳しさにドン引きしながら、時間が来たこともあって、去っていかれました。

「いや、肢体に関しては、ストレッチと組み合わせることで、毎日訓練をしていったほうが、確実に伸びますよ。(1年生担任は、肢体を訓練すると、発達も伸びることをご存知で、支援学校での指導を何年も経験している)」
「せっかく教室が、2階にあるのですから、どんどん訓練していかれたらいいとおもいますよ。僕も、授業で開いた時間に、肢体の訓練をさせようと思っていますから。」
と、思いがけなく、温かい指導教官みたいな言葉が返ってきました。
「お風呂上がりか、夜寝る前に、ストレッチをして体幹の筋肉をほぐしておくと、訓練の成果が全く違います。これからも、どんどん続けていってくださいね」
と評価されたので、「ありがとうございます」と返答してきました。

息子には要求が高すぎる、かなりキツい修行の道を歩かせているのは、母親として自覚しています。
しかし、何もしないで手をこまねいていても、息子の遺伝子異常と多発奇形からくる障害は、ひとりでに良くなってきてはくれません。発達の伸びも頭打ちになります。

問題は、先送りするごとに大きくなっていきます。

それでは困るので、素人が考えついてアレコレしているため、プロから見ると笑止千万なことをしているのは、否めませんが。

母親としての気持ちと、下手っぴではありますが訓練指導側の気持ちはわかっていただけて、ついでに発達アップに繋がるための肢体訓練の細かいアドバイスもしていただけて、ホッとして自宅に帰った、火曜日の朝でした。

私だけで独り占めするにはもったいない、いい情報ですので、ここに書き込みます。

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