「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

我が家の治った自慢

発達障害の診断がついたり、グレーゾーンと疑われたお子さんだけど

・こんな風に治ったよ
・こんなことしたら治ったよ

というエピソードをどんどんお寄せください!

1,085 COMMENTS

智ママ

3歳で重度知的・発達と判定された、いま7歳にして知的中度の息子。
9歳にして、自分より発達が進んでいるクラスメイトに対してのリスペクトが出るようになってきました。8歳小3男児の好きな『お◯あさんといっしょ』の人形劇ファン◯ーネのテーマソングを歌っていたり、もうブームは去っているはずの、番組の人形劇をわざわざ勉強のために見たがったりと、接客業の話題の仕事のネタ仕入れみたいなことを、週末にするようになりました。

そして、小2で入ってきた小1の発達中度のお子さんの発達を、その子が入学当初は、息子が発達で一番ビリでいたのですが、徐々に伸びてきたので、小3−小4で息子の発達が抜き去り、ビリから2番めの発達度合いまで昇格しました。
いま、抜き去ったその子は、息子から仮想的?ライバル視されて、授業や生活訓練では、何かと張り合っているようです。

うちの息子は、先天的に遺伝子異常があり、そのため形質発現がガタガタで、結果として18箇所の多発奇形に、知的も発達も非常に重いところからスタートしており、「遺伝子か染色体に絶対異常があるから、発達も知的も伸びないですよ!伸びた事例を、僕は見たことがありません!」と生後2ヶ月でNICU医師から宣告された息子でしたが、どうしてどうして、小2小3からでも伸びて、原因不明の発達中度男児を、ジリジリと抜いてしまったではありませんか。

発達は、遺伝子異常があっても、その子の伸び止まっている部分をうまくスポッと外してあげられれば、うまくいけば、それなりに伸びます。
それを身を以て、私達に教えてくれた息子でした。

今後の課題としては、自分より発達が劣っている、『ゆっくりさん』のクラスメイトに対しても、丁寧に接して、決して小馬鹿にしないということを、小学校の育成級で教師が観察しながら教えていくことになったそうです。

今年度の展開が楽しみです。

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ドミノ

下の子(中1)、発達外来卒業しました!!

赤ちゃん時代に発達の遅れ・低緊張で通い始め、時間はかかりましたが、中学校から通常級に移籍した事・放課後デイなどの支援も受けない事から卒業となりました。

彼は将来の夢があり、その為には支援無しでいける方が進学・就職で有利なのでうれしいです。

関わって下さった方々に感謝でいっぱいです。ありがとうございます!

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シア

ドミノさん

次男さん発達外来卒業おめでとうございます。
よかったよかった。

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ブルー

ドミノさん

下のお子様の、発達外来御卒業おめでとうございます。
長い道のりにおける
ドミノさんの多大なるご努力に敬意を表します。

そしてお子様の明るい未来を確信しております。

この度はおめでとうございました。

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智ママ

ドミノさん
発達外来、ご卒業おめでとうございます。
我が子もそれに向かって頑張りたいと思っています。
先達がいることはとても励みになります。

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智ママ

Twitterで『ストレッチを行う時には10秒伸ばすだけではダメで、最低でも30秒伸ばさないと、筋肉がしっかり伸びない』と先月末に知った私は「ものは試しだし!」と九州の実家にいた10日間の間、息子が母親が恋しくなってやってきた時に限り、大腰筋を伸ばすストレッチを各ポーズ10秒から30秒に伸ばして、療育整体と一緒に施していました。

昨日、新年度に立ってから初めての STだったのですが、「智くんが、また発達が伸びてきています!しかも、発音も、以前より確実に良くなっています!お母さん、いったい何をしたんですか??」とSTから驚かれました。

「え?ストレッチを10秒から30秒にして、ぶぶ漬け市に帰ってきてから3−4歳向けの音読ドリルを一日3−4ページさせていただけですが??そんなに伸びてます??」
「見てくださいよ、お母さん!智くん、以前は、目と口だけしか顔が描かれへんかったのに、今は鼻の穴や目の白目黒目までキレイに描けるようになってきているんです!これは進歩ですよ!!発音も、今までになくキレイになっています!」
とSTが大喜びしていました。知的にはまた、明らかにアップしているそうです。

腰回りと足の太い筋肉(お尻とか太もも裏・太もも前・脇腹や背筋も)を10秒でなく30秒✕最低4−8回はストレッチさせて伸ばしておくこと、ひらがなが読めるようになってきた子には、ひとつひとつ文字を指で押さえて確認しながらでもいいから、音読をさせること、手と口を使った食事を必ずさせること(うどんなんかは口周りの筋肉を使わないとうまく食べられないので、とても筋肉を鍛えるのにいい。牛乳パックを吸わせて飲ませるのもいい。日頃から食事やおやつで口周りを意識して使わせること)で、STが遠くて、順番待ちで簡単にかかれなくても、ご家庭で発音を鍛えることは可能です。
発達を促せば、発音は家庭での話す必要性(息子の場合は、行きたいところを口でキレイに発音して母親に伝えられないと、それまではお出かけしない。とか)があれば、必然的に同時進行でついてきました。

言葉が出ていると小学校入学の算定基準に引っかかれるので、とても有利になるため、なんとかして我が子の生活の質を上げたくて、発音や発語を促したいお母さんお父さんに、このことをお伝えしたくて、書いておきます。

言葉を習得させたい養育者の参考になれば、幸いです。

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智ママ

勉強を何故するのかわかっていなくて、勉強の進度は一般の通常級とは離れていく一方で、このままだと間違いなく支援学校にしか行けないレベルの勉強量の息子に、真剣に説明しました。

・支援学校に行くと、原則、中等部卒業で作業所に就職になり、暮らしにかかるお金が自分で賄えないので、施設に入ること。
・施設では、管理のために、自分の行きたい時に外出することが、原則、一切、できなくなること。
・今のニコニコペースのお勉強量だと、支援学校にしか行けないので、大人になったら、作業所と施設を往復するだけの生活になりうること。
・お勉強をいっぱいして、できることを増やして、中学校に行けたなら、高校は名前を書くだけでも入れるところにいって、一般の労働者として扱われることがあるかもしれなくて、それだと採算が取れれば、自宅から勤務して、時々外にいけること。

・どちらの生き方がいいか、いま、自分で選べること。
・お母さんの教える手間は一緒なので、息子が今、決めていいこと。

息子は、いま努力して、あちこちに出かけることができる人生を選択しました。

はっきり言って、今の時点では、寝たきりで、要生活介護の人が多数を占める、多発奇形業界ではいま一番か二番の良好な結果を出しているだけでも万々歳な息子に、一般の社会の割り振られ方を教えて、『それでも自分の道を切り拓くんだ!』という強い意志がないと、とうてい進めない進路を告げるのは、残酷なのかもしれません。

ですが、それは現実です。

勉強ができないだけでなく、一人で暮らせなくて手がかかる人は、面倒を見てくれる親のいなくなったあとは、行政の世話になり、自由度が下がります。

そのためのベルトコンベアーを、教育側も敷いていて、学業のふるわない、健常に近いお子さんを、わざわざ発達支援センターに行かせて心理検査を受けさせて発達の烙印をおさせてまでして、篩い分けて支援学校中等部に行かせていることが、普通に行われているぶぶ漬け市です。

その現実の条件の中で、自己の限界はあるけれど、どこまでやれるか。が、これからの課題になってきます。

息子は『ドリルをすれば、外に連れて行ってもらえる人生が待っている』と理解して、自分で苦手な算数のドリルを持ってきて、+1と+2の10問ずつのページを開いて、必死に計算を始めました。
「自分の人生が、いまの頑張りにかかっている!」と理解したからか、いつになく真剣になって解いていました。正答率は、漫然と解いていたときより、1.7倍に上がりました。

息子がどこまでいけるかはわかりませんが、当人はやる気があるようなので、少しずつ進めていこうと思います。

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智ママ

理解力の目安である認知が3−4歳レベルで、言語が5−6歳レベル、運動が3歳いくかいかないかレベルの息子に、小学校1年未満の5歳ドリルはなんとか解けるのですが、1年生に上がると、かなり理解するのに時間がかかり、足し算も暗算で行うには、+1しかできないところから初めてコツコツ積み上げていくしかありません。
一般の3歳に、ひらがな・カタカナが書けて、足し算ができたら天才の部類ですが、それを息子は9歳の身体でしています。人生経験は9年積んでいますが、お勉強の理解力が3−4歳レベルということなのだそうです。

遺伝子異常で、脳梁全欠損や脳室拡大などの器質的障害があり、知的障害も伴う多発奇形のある難病の場合、一番できがいいのは、まだ息子だけです。

息子がつつがなく普通の生活を遅れるようになるレベルで、手を打ってそこで終わりにするか、
まだ頑張らせて一般人の享受する自由と近い自由を手にする人生を得させるか、
迷いましたが、息子は『外出の自由がある人生を選ぶ』とのことでしたので、私も健康に気をつけて長生きできるようにして、まだ厳しくなる道を歩いていこうと思います。

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浅見淳子

智くんは外出が大好きだし、人と出会うのが大好きですものね。
なんとかして自由度の高い将来が待っているよう、お祈りいたします。

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智ママ

浅見社長
ありがとうございます。
新しい人との出会いを楽しみに外出して、児童館に立ち寄る子ですので、他の人との出会いがあるような刺激のある職種に就けると、この子は、人生が楽しく勉強できそうな気がします。ただ、親の私にはその職種が何なのか皆目わからず、そこに就けるようになるには何ができていればいいのか、見当がつきません。
良い出会いがあるといいのですが。当人は「お外にいく!」と断言して、毎回、外にでかけています。

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たにし

「発達障害治った自慢大会!」を読んでいた先生が、息子の支援級担任になったところですが、その先生、自称「発達オタク」だと言ってます。

発達に課題がある子が治っていくために、あれこれ情報を仕入れたり、策を練るのがワクワクするそうです。

良い先生に恵まれました。
息子、「持って」ます。

中学校に入学して2週間。
朝6時に起きて、朝ごはん爆食い(笑)して、7時20分に意気揚々と登校。
小学校時代から同じ生活リズムで元気にしています。

花風社メソッドのおかげ。
ありがとうございます。

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たにし

息子、3月から、一人で自転車で出かけるようになっています。
昨日も一人で3時間程外出して、約束の時間に帰って来ました。
楽しかったそうです。

ちなみに、我が家の2つある玄関の鍵の1つは内側から鍵で施錠するようになってます。
息子に逃走癖があった時の名残り。

あの頃、息子が家から出て行かないよう、妻と神経をすり減らしていました。

しかし今、逃走癖は消え去りました。

ありがたいことです。

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浅見淳子

素晴らしい趣味を見つけられましたね。
海も山も近い高松の町はサイクリングにピッタリです。
一人で三時間遊べるのはすごい進歩ですよね。

そしてジュニアはこれからますます体力ができてくるわけですから
100キロ200キロの移動も夢ではなく
交通機関としても役に立つわけですよね。

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たにし

浅見さん

「親子ライドも夢じゃないですね」のお言葉をいただき、息子に速攻買ったスポーツサイクル。

親子ライドもしますが、今や、単独ライドも楽しめるようになりました。
素晴らしい趣味との出会いをありがとうございます。

息子が自転車で走っている姿を見た妻のお友達によりますと、本当に楽しそうに走っているそうです。

爽快な気分を味わえ、安全のため周囲に気を配ることを覚え、そして何より体力がつきますね。

自転車最高。

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智ママ

孫息子が生まれたら、実家近くの公園で野球や、キャッチボールをするのが楽しみだった、実家の父が、9歳息子と、金属バット・グローブ2つ・ソフトボールを持って、グラウンドのある公園にでかけていきました。

息子は弱視で、口唇口蓋裂で作ってもらった上唇と鼻が、硬いボールが当たるとパーンと割れたり中に入れた軟骨が歪んだりしうるので、原則、硬いボール遊びは禁止です。

そこらはきっちり把握した、祖父である実家の父は、公園の壁にバットでボールを打ちつけてゴロにし、壁から跳ね返ってきたソフトボールを息子に追いかけさせて取らせる形で、長年の夢をかなえました。

息子からすると、グラウンドを転がる、祖父の壁打ちして跳ね返って転がってきた、ソフトボールを追いかけて取るだけなのですが、弱視で物が見えにくくても、幸いながら動体視力はそこそこ保たれているので、何とかボールを追いかけて、祖父に投げて返すことはできたようです。

「今日、ボールをとってきたんです!」と帰宅した息子が、得意げに、私に報告してくれました。

実家の父は、『孫息子が大きくなったら、一緒にキャッチボールをする』という念願の望みが、やっと叶えられて、ニコニコしてました。
素朴な幸せがかなって、よかったねぇ。となったことでした。

キャッチボールができるようになった多発奇形児は、たぶん息子が初めてです。

腕と足と目で追う、運動と判断力と動体視力が要るので、息子にはグラブを嵌めてのキャッチボールは、とても難しいはずなのですが、そこは祖父の機転を効かせた壁打ちのゴロで、何とかしたようです。

「諦めなければ、手法が見つかって、伸びるんだな。」と、祖父からも教えられた郷里での夕方でした。

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智ママ

浅見社長
コメントありがとうございます。

プロ支援者の忖度ありの対応よりも、障害による配慮はあるけれど忖度はほとんどなしの母方祖父に親戚一同のかまわれかたで鍛えられて、母親とは全く別の次元の遊びをして郷里で過ごす息子は、ぶぶ漬け市に帰ってきて一週間ほどするとまた発達が伸びています。

アスレチックで遊び放題とか、ゴロの取り放題とか、私の発想にはあまりないそれぞれ独自の視点で息子の発達援助を展開するので、私が曝露で眠くて寝てしまっている間、息子は同じく曝露で口唇ヘルペスや蕁麻疹を出しながらも遊び倒して生活することを体験して、しばらくねかせておく期間を経て、また発達が伸びている。という現象が毎春起きています。

本日は郷里からぶぶ漬け市にスーツケースを引いて移動ですが、『今に集中して祖父や祖母や親戚と遊び倒す』体験は、小4になる息子には良いものとなると思います。

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智ママ

3年か4年前に1度か2度会ったきりの、母方祖母の弟(母親の私には母方叔父にあたります)の自宅に、ぶぶ漬け市からのお菓子と、近所のケーキ店の商品と、実弟からの栗のお菓子を持参して、祖父母と母親と息子の四人が車で訪れてきました。

「え!?これ、智くん?…ち、ちょっと待って!…大きく、なったねえ!」
と、応対にドアを開けて出てきたおば(叔父の妻)が、あまりに息子が普通にしているので、仰天して慌てふためいていました。

明らかに想定外の伸びを示していた息子に、唖然・呆然のおば。
「何をしたら、こんがん、伸びたと?(何をしたら、こんなに伸びたの?の郷里の九州弁です)」と、その秘密を聞きたくて必死でした。

叔父は、結婚が40代だったからか、設けた男の子二人が、ADHDとASDで、二人とも高校で判明したこともあり、非常に悄気げていました。
職種が整形外科医と看護師の夫婦だったこともあり、花風社にはとんと疎い、西洋医学バンザイ夫婦だったのですが、
息子が普通に「お邪魔します」と言って中に入り、勧められた椅子に座って「ジュースはいらないです。お水でいいです」「お菓子は、ご飯が近いから我慢します」と述べるのに舌を巻いて、「あの、智ママちゃんが生んだ、多発奇形児の、3歳でも『ん〜』しか言えなかった子が!こんなに伸びるなんて!」とドン・キ○ーテではありませんが、じつに驚嘆していました。

慌てて勤務終了後に帰宅した叔父も、息子の様子に、目を剥いて驚いていました。

私の母「智ママがねぇ〜、マグネシウムとかビタミンとか、してたのよ!」
とネタ振りをしたので、そのままPTで腰回りの筋肉を調整してストレッチで伸ばして、刺激が入りやすくして、風呂上りや寝る前に骨格矯正の真似事をしていること。藤川栄養療法のアレンジで高タンパクと3日分のビタミンB群を一日に入れて、にがりご飯を食べさせていたら、めちゃめちゃ伸びたこと。
だけ告げると、西洋医学バンザイ夫婦は、噂は聞いたこともないけれど、息子(智くん)がこれだけ伸びたなら、我が子3人のうちの発達の二人にもさせて、発達を促してみよう!ADHDとASDの私の従弟達にぜひ施して、発達を改善させよう!と、体中、耳にして私の話を聞き入っていました。

お礼に「…これ、飛行機のビジネスクラスで出てた奴なんだけど。よかったら、智ママちゃんのお父さん、もらって!」と、フランス産のそこそこの銘柄の赤ワインを、祖父にぽんと一本くれました。

ぶぶ漬け市のお菓子(○利)と栗のお菓子と、近所のケーキ店のケーキ、それに息子の伸びた情報と、そこそこの銘柄の赤ワイン一本の物々交換のよう?でしたが、「ご飯も近いから」と早めに車で退出してきました。

ワイン好きの実家の父は大喜び。
幼児教育のプロ(保育士)だった実家の母は、多発奇形児にも関わらず、発達が奇跡的に伸びて経過の良い孫息子に鼻高々で、
また四人で車に乗って、市の東端から自宅まで、40分ほど対向車を130台ほど数えながら、帰ってきました。

いま、スーパーの握り寿司でご飯を済ませて、ついでに叔父からいただいた、そこそこの銘柄の赤ワインを開けて、大人だけ乾杯して食べ終わったところです。

息子は、すっかり九州の握り寿司・海鮮巻きにハマってしまったので、食後に母方祖父と相撲をとって、楽しそうです。

息子が伸びたことで、叔父夫婦が息子の伸びた結果を目の当たりにして驚嘆し、
私から、息子が伸びた手法の一部を必死に聞き出していたので、西洋医学バンザイ!の家庭育ちの従弟二人(二人とも医療スタッフ職です)も、少しは改善するかも。と思い、ここに報告します。

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浅見淳子

2月にお預かりしていた桜咲く情報です!

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息子の高校入試があり、結果がでるまで落ち着かず申し込みが今日となってしまいました。
無事に希望高校へ合格いたしました。

我が家が花風社と出会ったのは息子が小4の頃でした。
それまでは特別支援のレールのど真ん中を歩きつつもその中で少しでもいい方向へと、
色々と情報アンテナを張り巡らせていました。
「人間脳」に出会い、灰谷さんの淡路島にまで行き、息子がよくなる為ならなんでもすると
色々とがんばってきたと思います。
(がんばりが間違っていた部分もありますが・・・)
将来は支援学校までは行かなくとも、支援学級のある公立高校があったので、その辺へ行けるといいな・・・。
もしくは定時制、単位制など選択肢はそのあたりでした。

小5のころ、栗本さんが大阪へ来られた際に見ていただき、本人に告知をしたのもこのあたりだった思います。
そこから色々と親子で話し合い、まずは薬をやめるために神田橋先生のところへ行きました。
神田橋先生から「そんなに心配しなくてもお父さんと同じようになるから大丈夫」と言っていただき、
とても安心したのを覚えています。

それから断薬し、薬がなくても支援なしで小学校生活を送れるようになりました。
中学校へ上がる際の教育委員会の判定が「支援級相当」だった為、中学校の1年目は支援級へ在籍。
ただ、籍だけを置いて授業は普通に受けました。
2年からは籍も通常学級へ移籍。

勉強面は残念ながら難しい面もありましたが、きちんと3年間中学校へ通うことができました。
勉強面が難しかったために、高校進学の選択肢はさほど広くはありませんでしたが、
通える距離と実力の範囲の数校の中で選び、本日私立高校普通科の合格通知をいただきました。

花風社に出会えてなければ、今の息子はなかったと思います。
本当にありがとうございます。

息子はいまだにちょっと不思議な子ではありますが(笑)、休みの日には1人でバスと電車を乗り継ぎ、
大阪まで行き、お昼を食べ、お茶をし、好きなお店を覗いたりして楽しむことができるようになっています。

とりあえず本日はお礼をお伝えしたくて・・・。

この先、また色々とあると思いますが、今後は療育整体で対応していこうと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

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たにし

息子が小学校を卒業しました。

とてもとても素敵な卒業式。
式では凛とした振る舞い、式後は満面の笑み。
最後は、最高の最高の笑顔で、小学校をあとにしました。
近しい方々には写真を提供させていただきましたが、ここにも載せたいくらいです(笑)

周りの人が好きで、周りの人に好かれる息子、この6年間、毎日楽しそうでした。

思えば6年前、多動、奇行、他傷、自傷、睡眠障害、逃走癖が治った状態で小学校入学。滑り込みでした。

それから、発達が更に加速。

そして6年間、大きなトラブルもなく、先生方、支援者の方々にも恵まれました。

直接的に支えてくださった方々、貴重な知見をくださった方々、また、納税という形で間接的に支えてくださった皆様方に、心から感謝申し上げますます。

浅見さんと出会い、花風社クラスタとなって早7年。

この7年間の間、提供してくださる一連の知見が進化し、進化のスピードが加速してきた印象があります。そしてシンプルに。
かつ、実効性有。
これは、後に続く世代の方々には朗報です。

さて、息子は4月から中学生。
まだまだ課題もありますし、思春期で身体や心の変化もあろうかと思います。

しかし、これからも家族で明るく元気に努力しながら進んでいくつもりです。皆様方、社会のお力もありがたくお借りしながら。

そして将来、息子には、お世話なった社会に恩返しできる大人になってほしいです。

皆様方、この度は、誠にありがとうございました。

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智ママ

たにしさん
息子さんのご卒業、おめでとうございます!
毎週日曜日の背中の映像を楽しみに見守っていましたが、とうとう中学生になられるんですね。
とても嬉しいです。

楽しくて重質した中学生生活が遅れますように。と祈っています。

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たにし

智ママさん

ありがとうございます。
早いもので、もう中学生です。
お互い良い春になりますように。

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智ママ

昨日、9歳息子の大学病院の眼科受診でした。

唯一使える左目の矯正視力が、0.2−0.3だったのが、0.3−0.4に上がっていました。
右目は黄斑部低形成なので視界の中心が欠けていて像を結べないため、周辺視野を使って見ているので、0,03−0,05と、ほぼ変化なしでした。

「うーん、伸びはごく僅かだけれど、あるね。このまま、順調に視力が良くなっていってほしいね!」と眼科の医師。
この年令で視力が良い方に変わるのは、たまに見る症例だそうです。
経過観察しながら、視力が良くなることを期待しつつ、待つことになりました。

お風呂上がりの腰回りのストレッチに、療育整体、ゆるいビタミンと鉄と魚油の補充、タンパク質は気がけて取るくらいの半年間でしたが、弱視の左目も良くなっていて、良かったです。
3歳の時点では、左目が矯正視力0.1、右目がほぼ見えていなくて測定不能だったので、今の左目の矯正視力0.3−0.4、右目の矯正視力0.03−0.05は、かなりの進歩です。全ての形質発現が遺伝子異常によってグチャグチャなので、視力が上がるのもゆっくりのようですが、それでも伸びているので、経過観察になりました。

9歳での視力の変化に大きくうなずきながら「君は、普通の子以上にきちんと挨拶できるし、礼儀もバッチリや!なのに、なんで網膜の撮影があかんねん!」と残念がる眼科医に、「この子の仕様ですので」と釈明していた母親でした。

今後の視力の変化が、楽しみです。

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浅見淳子

智ママさん

何が効いているかわかりませんが、やっていらっしゃる何かが効いていて視力が向上していていいですね。
先天性の弱視とは違いますが、私は老眼になりかけのときに高たんぱくブームのおかげで老眼が進行しなかった&視力がかなりよくなりました。
あと智くんは鉄道とか、興味持って熱心に見るものがありますね。
こよりさんちの例だと、そういう体験がとても必要ですね。
これからお花見とか日本人はするわけですが、そういう効果も古人は知っていたのかもしれませんね。

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智ママ

浅見社長
新たな分析をありがとうございます。

私としては、息子が歩く姿勢が良くなって、上体の左右のブレが小さくなり、腕を使ってバランスを取らなくてもすんなり歩ける体験が増えて長く続くと、
見たいものに集中して見られることが増え、外界を把握するのに余計なエネルギーを使わなくてもよくなり、心疾患児特有の弱視の目+健聴の耳での観察眼の鋭さも手伝って、社会知の獲得または教わった他者への観察(『空気を読む』ことができるようにまで、脳の情報処理速度が増した)ができるようになったので、
目を使って、見たいものをとことん見る体験が小学校でも増えて、ますます視力が上がったのかもしれない。と推測しております。

PTで、月に一度、そして自宅では気がけて、体幹の腰回りのストレッチと、体幹への軽い筋トレを、歩く姿勢の矯正のためにしています。
それが始まって、半年ぐらいで視力が上がってきました。
やはり弱視にも、息子の場合は先天的な遺伝子異常のトラブルだらけな発現をかいくぐって、生活する姿勢と歩く体制のよさは発達の進歩と連動して、大きく響いてくるようです。

『多発奇形児にはすることがなく、育てて観察してデータを取りながら、支援学校で生活支援指導を受けつつ、施設と生活介護施設の往復となる人生を、消化試合するしかない。』という多発奇形児の医学的セオリーを、あっさりひっくり返して、

「多発奇形児でも、やればそこそこは伸びますし、生活介護以上のA型作業所・障害者アートの芸術家工房・お菓子作りの工房も、余裕で狙えるようになりましたよ」と言い返せるだけのデータを息子が出してくれたので、
多発奇形児界隈の新米ママにとっては、息子は希望の星になっているようです。
そして、身体的アプローチや療育整体に手を出そうか、でも効果あるかなぁ…?とおそるおそる躊躇っているママさんには『多発奇形の器質的障害もある子がこれだけ伸びたんなら、うちもいけるかも!』と肩を押す形(黙ってただ有るだけで、本の販売促進?)になっています。

これからも販売促進キャンペーンは続きます。
よろしくお願いいたします。

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智ママ

昨日、CT検査入院して撮影を終えた息子が、昼の検査前には昼ごはんを食べられなかったこともあり、夕方から買ってきたお弁当とご飯を、ひたすら食べていました。

19:30-19:45に、私が大学病院に併設してあるコンビニに水を買いに行っている間、外来の心臓医師が病室に顔を出しにやってきてくれたらしく、2リットルのお茶をぶら下げて帰ってきた私に
「お母さん、〇〇先生(外来の小児科心臓医師)きた」
「え?『お母さんは、お茶を買いに行っています』って言ったの?」
「言った。言ったら帰った」
「…そりゃ、撮影終了の知的中度と一緒にいても、医師はすることないもんね…」
と、お留守番のことづけがちゃんとできたことがわかり、驚いたことでした。

報告を受けた夫はシロエビ県きときと市で「多発奇形が、きちんと留守番のことづけができるとは!うちの子も発達したなぁ!」と、手放しで大喜びでした。

本日朝に退院なので、朝から荷造りをしています。本日は帰宅したら、ゆっくり過ごそうと思います。

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わかくさ

息子の中学校の卒業式が終わりました。

3年前の小学校の卒業式では、卒業式後にみんなでが名残を惜しむ雰囲気が嫌でひたすら早く帰りたがっていましたが、この度は親しい友達の写真に一緒におさまったり、LINEを交換する様子も見られて成長を感じました。

春からは初めての電車通学が始まります。
当初は体力面や登校渋りのリスクを考え、家から近い高校のことばかり考えていましたが、課外活動に参加した様子を見て、少し遠くても本人が意欲的に勉強できそうな学校を第一志望にすることにし、無事に合格をいただきました。
これも治ったからこそ選べた道だと思うと感慨深いです。

どうしても親の認識の更新が追いつかずに、だんだん自分がただの過保護な親になりつつあるのもまた嬉しく、これからの3年間は子離れを目指す日々となりそうです。
引き続き、子どもの一番の応援団として、成長を見守っていこうと思っています。

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さくら咲く

わかくささん
息子さんの高校合格とご卒業おめでとうございます!
息子さんの小学校と中学校の卒業式の様子、高校選びの状況は我が家も同じようだったので、当時を思い出してしみじみとなりました。中学校は楽しく過ごせたようでよかったですね。
高校生活も楽しく謳歌できるようお祈りしています。

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わかくさ

ありがとうございます。
さくら咲くさんの息子さんも同じようだったのですね。
いろいろなことがありましたが、おかげさまで友達に恵まれ、付き合いの悪いキャラを確立していたようです(笑)
きっと高校でも彼らしく本領発揮してくれることと楽しみにしています。
先行く先輩の姿を励みにこれからも親子で頑張ります!

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うさこ

わかくささん
息子さんのご卒業と高校合格、おめでとうございます!!

治ることで選択肢が増え、息子さんは自分の希望を叶えることができたのですね。楽しい気持ちが積み重なって行くことで、大変なことも頑張ることができるようになり良い循環が続いていくと思います。(子どもが自立していくと、親はちょっと置いていかれたように感じてしまいますね。)
息子さんが楽しく充実した高校生活を送れますように!!

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わかくさ

ありがとうございます!とても嬉しいです。
コツコツ積み重ねてきた経験は前に進む力になるのだと実感した3年間でした。
置いていかれたように感じられることも幸せなことですよね。
中学校では学校生活で手一杯で部活動をする余力はありませんでしたが、高校は興味のあることに打ち込める環境があるので、きっとまた違った生活になるのではと楽しみにしています。

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智ママ

小3の息子が、各種アプローチと療育整体で発達が更に進んだからか、普通級との交流授業の数が、増えてきました。

その一環で、『小6を送り出す会』の出し物に、息子がダンスを披露して、台詞も述べる役となり、大学病院への歯科受診の前日に「お母さん、明日、10:45に登校できません?あす、息子さんの6年生の前での、発表があるんですよ」と担任教師から打診されて、「え?明日は大学病院の歯科の通院ですよ?9:00−9:30ですけど?会計が早く済めば、走って帰れば、時間に間に合うように行けるかもしれませんが」と、返事しながら、スーパーの駐輪場でショッピングバッグと一緒に青ざめた私でした。

とりあえず8:45の受診開始に間に合うように、朝ラッシュにもまれながら大学病院について、9:00に受診を終わらせて、既得権益の受診後のアイスも食べさせて、それから急いでバスと地下鉄を乗り継いで、小走りで駆けて、10:10に小学校へ息子を送り届けてきました。
男性教諭からは、拝まれそうなほどに感謝されました。

こんな感じで、今までは発達が重かったので、交流級に参加できなくて、育成級の教室で一人ぽつんとプリントを解いていた息子が、発達が進むにつれて、一般級との交流授業への参加が増えてきたので、突然の無茶振りも多々ありますが、何とかこなして、こなしきれないところは断って、息子が公立小学校の一般級で楽しく交流できた体験が増えてきています。

多分、多発奇形で生まれたのに、一般級との交流授業に、教師の付添つきではありますが、普通に参加できるのは、息子が初めて(1号の症例)だと思います。

通常はここまで発達はしなくて、行けて支援学校で、できて生活介護がほとんどの症例が多数を占めますが、「息子が新たな道を切り開くことで、あとに生まれてきたお子さんの指針に慣ればいいな。」と思って、諦めずにコツコツ育てています。

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まろん

私事ですが、社内の登用試験を通過しました。ささやかですがボーナスがもらえる立場になります。試験はwebテストとレポート提出、面接でした。11月後半から1月末までは通勤中や空き時間はずっとレポート作成やテスト勉強をしていました(約30年ぶりに方程式や分数の問題を解きました)。

なぜ、「我が家の治った自慢」にこんなことを書いているかというと、「息子の困りごとが多い状況なら、登用試験への挑戦は考えもしなかった」からです。

4月から小3・支援級在籍の息子。幼児期は会話はあまり成立せず、聴覚過敏・触覚過敏あり。ソワソワして人の話はあまり聞いておらず、保育園では常に加配の先生がそばにいる状況でした。知能検査は境界域の低い方で、ドクターからは「申請すれば知的障害で手帳を取得できるでしょう」と言われました(取得はしませんでしたが)。

卒園式頃からグッと落ち着き、お友達とやりとりする姿が見られるようになりました。小学校入学後は、「勝手にどんどん成長し発達する」感じでした。仲の良い友人もできて、クラスであった出来事を面白おかしく話してくれるようになりました。登下校も一人で問題なく、下校後習い事に行く日もあります。学童・デイ併用ですが、どちらも楽しんでいるようです。

学級での学習は、学年の半年遅れの進度です。家庭学習は学校の進度に関係なく進めているので、2年生の内容は終えました。理解も問題ないようです。1年生の頃は家庭学習をしていてもすぐ気がそれるので、集中させるのが大変でした。しかし、今はわからないところだけ聞いてきて、それ以外は自力で、しかも短時間で終えられるようになってきました。

交流級での学習を入学直後から強く希望しほぼOKも出ていたのですが、学校のコロナ対応でなかなか進まない状況でした。しかし短時間ながら交流級で活動する機会を増やしてくれているので、こちらは今後状況を見ながら進められればと思っています。

家では、夫の出張が続き、いわゆるワンオペ状態が長く続いています。「お母さん一人だとできないから!」と伝えたのもあってか、かなり手伝いをしてくれます。食器下げ、洗濯物をタンスにしまう、買い物を冷蔵庫にしまう、妹が手が届かないものを取ってあげる等。3つ下の妹とは仲良く遊んでいたり、ときどき派手にケンカしていたりします。

なんというか、「フツーの小学生」になったなって感じです。落ち着きがないとか、人の話を聞いていないとかはありますが。

最後に仕事の話に戻ります。うちの会社では今までに、昇格後に産育休取得、時短勤務となった人はいたけれど、時短勤務者で昇格した人は、私と、同時に試験を受けた人の2人が初めてだそうです。ちょっと前のお母さんたちは、「障害がある子どもがいるので働くのはあきらめた」という人もいたかもしれません。でも今は、子どもがいても働きたい人は働ける環境になってきています。子どもの困りごとが少なくなれば、親自身がしたいことをできる機会が増えると感じています。

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浅見淳子

うさこさんのおうちのお祝い事です。
メールでお知らせいただき、勝手に治った自慢する許可をいただいていたのに
のびのびになっておりました!
という間にうさこさんが雑談のお部屋に書き込んでくださったのですが
治った自慢に相当する快挙ですので
こちらにもリンクを貼らせていただきます。
うさこさんファミリー、おめでとうございます!

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/489/comment-page-64/#comment-9840

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うさこ

浅見様
お祝いありがとうございます。

途中で通信制高校に転学したことは、どうしても「負け」たように感じてしまっていましたが、通信の卒業式は先生方の温かい気持ちが感じられるとても良い卒業式だったので、胸を張って次のステージに向かうことができるように感じました。

私も教育に携わる身として、本当に生徒に寄り添った支援ができているかどうか、成長の後押しができているかどうか、常に振り返りながら気持ちを引き締めて取り組んでいかなければと感じたところでした。これからも、よろしくお願いいたします。

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