「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

管理人よりメッセージ

管理人より日常の連絡事項と思いつき。
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3,201 COMMENTS

いぬこ

すごく同感です。
花風社本にせよ、藤川本にせよ、
どう取り込むかだと思ってます。

藤川理論は確かだと思うし、
自分も家族も身体の状態は良い。
けれど、この診断だからこのビタミンを
メガ量でと一様に、レシピどおり内服しっぱなしでは、行き詰まりがくると思います。

自身なら「今は」肉体的な動きやすさ、寝覚めで判断。休日は要らないとか。
今後生活スタイルで基準も変わるでしょう。

娘は勘に任せてます。
ビオチンとマルチビタミンは毎日摂りたくなるがB6や鉄は、その日や翌日の自分で決めてる様。時々、O指くるくる?(神田橋先生本より)もやりつつ。

鉄、ビオチン、ナイアシンは国内に無いので発注するけどB群は日本のもので充足。
メガ量のめないです…。時々喉をごっくん
できない時が(これも大事な私感覚)

お客様にも、サプリや婦人薬など薬によっては最初定量で、毎日自分の調子に興味を持ってください。調子が上がれば残減、自分の塩梅がわかるようになるのが一番とご案内します。

食事はやっぱり我が家流。
タンパク質が増え、自然に糖質が減った
のは見事なもんで、世の飲料や食品の激甘を知り、牛乳や卵の美味しさを改めて思い知ったのは藤川先生に感謝。
でも野菜はそれこそ我が家はメガ量。
家族が仕事を終えた1日の1番の楽しみは
夕飯。誰に何と言われても、我が家の食卓。

花風社の様々な動きも、最初は見よう見まねで本のまま期はあったけど、
あっという間に我が家の自慢、
「遊び好き」にマッチして。
1日何分体操化になるのは勿体ない。。

金魚だけでもあらゆる遊びに変わったけど、特に「洗濯金魚(勝手に命名)」
予洗い→洗濯→すすぎ…だんだん揺れて、
脱水の時はがっちょんがっちょん揺れ、
ホッと干して、風船で終わる…
(オリジナルすぎてなんだかわかんないでしょうが…笑)
これは今でも娘と爆笑して、スカッとして
ほんわかしてます。
うんうんと話を聞きながら、5本指を、足裏合わせ等で「今、目が開いたな」「ホッとしたな」の様子見はもはや日常になりました。

花風社の動きも、藤川理論も
規定どおり、レシピどおり
やりっぱなし、のませっぱなしで
体感を大事にやらないと
行き詰まると思います。
何より勿体ない。

動きは直だから、目の前ではっきりわかる。
メガビタは摂って、代謝して、身にのるまで時間がかかるから丁寧に見ていかないと
逆に難しいなぁ、ストレートの成長を
見逃さないかなぁと思うこともあり、
うちはビタ位が丁度いいです。

見て、感じて、行きつ戻りつ、広げつつ
今の自分は元気かな、楽かな
に興味を持って、自分から選択できる身体になるといいですよね。

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浅見淳子

おはようございます。

先日花風社クラスタの女子会で、「身体アプローチを体操だと思っている人がいる。あれだと治らない」という話が出ました。先日栗本さんと二人飲み会(といっても私はノンアルコール。抗生剤のんでいたので肝臓を休めていたのです)したときにその話したら「結局体感を大事にしているかどうか」という話が出ました。

体感を大事にしていない人でも栄養療法はやりやすいのですよね。ただし体感を大事にしない栄養療法はいつか行き詰まりがくると思います。過度な栄養療法をする人がいることを花風社クラスタのうち「わかっている人たち」は心配しています。花風社クラスタビギナーはまだ花風社が追求していることのなんたるかをわかっていないかもしれません。

私は当初より「高タンパク低糖質」は支持していますが、自分的にはビタミンメガ盛りはしていません。藤川先生は治す素晴らしいドクターですが最初に本を読んだときから「この食生活はまねしたくないなあ」というのが率直な感想です。メガ盛りは急性期でいいというのが私の判断です。自分の体調をみてライフスタイルに合わせそのとき足りないと思われるものをとっています。今は鉄はサプリでは取りません。食べ物と鉄卵で取っています。一時取っていたマグネシウムもアルコール摂取しない日は取っていません。マルチBは恒常的に取っていますが、今重点を置いているのCです。でもこれも数日で変わると思います。そしてつねに、「神田橋先生はつねに少量推奨である」というのが頭のどこかにあります。人によっては鹿児島でB6すすめられますがだいたい少量ですよね。またウコンも合わない人には絶対出さないし子どもに出されて親が興味本位でのんでも「合わないよ」という現象が起きるのは有名な話。身体はいらないものは出しますからね。

そして先日も薬のお部屋でちょっとコメントしましたが、漢方をほしいと思って鹿児島行っても合わない人には出ませんし。

この「援助はテーラーメイド」「羅針盤は体感」っていうのは花風社クラスタなら叩き込まれているかもしれません。だから藤川理論の強硬な実践者に違和感を感じるところがあるとすれば「子どもがいやがるものをのませる」でしょうかね。花風社のやりかたでは味をごまかしてのませることはまずしないですからね。「ここちよい」が羅針盤です。今作っている『知的障害は治りますか?』も徹頭徹尾「本人をここちよくして知的障害を治しましょう」という本ですし。

栄養療法は体感の弱い人でもできてしまうところがあるので、身体アプローチ→栄養療法と進んだ人は栄養療法をテーラーメイドできるのですが、その逆のベクトルで進んだ人、すなわち栄養療法→身体アプローチと進んだ人は身体アプローチを体操ととらえてしまいがちです。そしてそれだと治りませんよね。

ここ、とても大事なところなので覚えておいてくださいね。
そしてもう一度『脳みそラクラクセラピー』を読んで羅針盤を確かなものにしてください。

ではでは。

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373

身体アプローチは単なる体操でないことはもちろんですが、発達のヌケを埋めるだけのものでもありません。さらなる成長に向かい、身体能力の向上と無意識の育成、意識との連携向上によって、意識は意識本来の役割を果たせるようになります。環境要因に妨げられることなく、心身能力を発揮できるようになるためにも不可欠となります。
他者比較のスポーツではない、自分の体を育てるという本来の意味での「体育」の方法論となります。お子さんはもちろん、大人でも、社会からの要求水準が上がる時期、心身機能が落ちる時期などにも欠かせないアプローチとなります。

とはいえ、習慣的機械的にするのではなく、その時の体感にしたがって身体アプローチの方法、程度、時間などを調整することも重要となります。
半面、無意識主導で後づけでやって意識がよかったと感じるような状況も、無意識の成長によってはありますので、なかなか奥深い世界です。種火を残すようなイメージを持ちながら続けることが必須です。

ま、アタマで考えず、動いて感じる、感じて動く、それを続けていくとまた新たに動いて感じる感じて動く世界が開け続ける、どんな世界かは開けてみないとわからない、当然個別性もある、といった感じでしょうか。僕もまだまだまだまだです。

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アルパカ

373さんの、特に「アタマで考えず、動いて感じる、感じて動く、それを続けていくとまた新たに動いて感じる」というくだりがとても腑に落ちました。
私は元々すぐに頭で考えようとしてしまうし、かなり体感乏しい人間でした。ですが「動く」ということに関しては少しだけ得意でしたので、頭で考え選択肢を絞る→とにかく片っ端から試す→その都度身体がどう感じかのかを観察する、の繰り返しで、当社比ですが少しずつ体感も磨かれてきたのではと思っています。今では片っ端からやらなくとも自分の身体がヒントをくれるようになってきました。
どうしても体操と捉えてしまいがちな方は、「とにかく色々試してみる」というのが最初の突破口になるのかもしれませんね。

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金田 隆佳(かねた たかよし)

「合う」が分からない「体感」できない人は、実際に目の前で栗本さんの実践をみても、本を読んでもイメージができていないんです。

金魚体操を例にすると

1、まずみる(実際にでも本でも)
2、イメージする(動きや”ゆるめる”などからの雰囲気やリズムもイメージする)
3、真似る
4、「ゆるめる」というお手本通りになってるか確かめる
5、調整していく

の繰り返しで「できた!!」になるのですが、この「イメージ」を忘れて「形」だけを真似るので調整しても「形だけの調整」になってしまうんです。

だから「できない」し「治らない」ので運動になるんです。

身体アプローチが上手くいってる人は細かくイメージできている人です。

栗本さんの浅見さんの、言ってること本に書いてる動きを細かくイメージできているから「金魚体操」になるんです。

そういう人たちは、栄養療法もイメージできるから、栄養療法という形ではなく、栄養療法になるんです。

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ふうりん

子育てのゴールは親から離れても生きていけることじゃないでしょうか。この世に生まれてきてよかったと本人が思えない人生を送られるのは親としてやりきれません。でもどんな人生を送るか決めるのは本人で親の望む道ではないことを常に忘れないようにしようと思います。本人が主体性を持って決めていくためにはどうやら小さな心地よい体験の積み重ねが必要みたい。お仕着せではダメで本人が自然にする遊びにヒントがありました。身体アプローチはやらせるものではないのです。こんなのどう?と誘ってみて反応を読んだり感想を聞いたりする過程に親子でヌケが埋まったりコミニュケーション力をつけたり家族の歴史になっていくようなやり方がいいのかな。

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ねこ母

世の中、たくさんの流行りがあると思います。昔、部屋を片付けるときちょっとした隙間にもボックスなど置いて収納するような収納が流行ってたし、今は断捨離とかミニマリストなんて人もいる。そんな人たちを参考に片付けに取り掛かる人もいるかもしれない。それで片付かなくても、後で必要なもの捨てても「責任とれ」とかいう人いるのかなぁ。

片付けと違って、身体のことは自分やお子さん、家族の人生や命と直結していますよね。だからこそ「どうにかなることは、どうにかしたい」と思うし質が上がるならばあげたいと思うものだと思います。そういうことを10年前に医者に言われたから、とか最初に出会った療法がこれだから、とそこにしがみついて、一つの改善もなかったり、快方に向かっても停滞しててもそこに留まる意味がわからないですね。

必要な情報を得たり、整えたり、調律したりできなきゃ「体調」なんて、わかんないわけですものね。「身体アプローチ」って、自分自身や関わる人たちに対して「これは心地いいかなぁ」「ああ、しんどいかもなぁ」と心を寄せその心身を「いとしいなぁ」と思う心持ちの人でないと、ただの体操でしかないのかもしれませんね。

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たんぽぽ

金魚、縦揺れでも横揺れでも仰向けでもうつ伏せでもいいと栗本先生が花風社セミナーで言われていたときは密かに衝撃を受けていました。
固定されたメソッドとかないんだ!
揺れてる方も揺らしてる方も気持ち良ければいいんだ!!で、2人(または1人)でどれがベターか、探っていけばいいんだあ!と。(頭が固かった私、「間違いのないよう」やることにこだわり、「心地よく」やることはどこかに置いてきてしまっていたなと気づきました)

「ごめんね」「いいよ」みたいな定型文を覚えるのでなく、身体アプローチこそ自然な社会性が身につく方法だなと思います。四角四面のSSTの教室がありましたが、(SSTがみんなそうだとは思っていません。あしからず。)そこでどっぷり浸かると自閉度を高めてしまうような。ここではこういう言い方をする、って頭だけで覚えると、身体や気持ちは置いてけぼりで、余計ロボットぽくなるので。柔軟な思考は身体レベルから始めないと育たないかなと実感しています。

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浅見淳子

おはようございます。

もしかして治らない教徒の知識って、

・親や当事者は診断された時点から
・支援者は学んだ時点から

知見が一切アップデートされていないのかもしれません。それで未だに「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とか言っているのかしれません。
ところで生まれつきってどこから?(凡医にする質問第一号)。

5歳の時神田橋先生の本が出版され、ABA命! 神田橋処方トンデモ! とか言ってた親の子がすでに15歳。未だにABA命! とか言ってたらかなりいたいでしょう。

その点花風社クラスタは日々アップデートされていますね。yasuさんがWindowsやiOSと違ってつねにアップデートは能動的にしなければいけないとおっしゃっていましたが、本当にそのとおり。寝ている間に勝手にアップデートされているわけではありません。

そしてアップデートした人としない人の差を五年、十年見てきました。
確実にアップデートが報われること
アップデートしていない人のねじれた様子を見てますます「あれじゃあ社会に嫌われてあたりまえ。治らないと社会との共存は無理だろう」と思うようになりました。

何しろ「快食快眠快便」でさえ、十年前と今では意味が違うのです。

治らない教徒はまだ「快食快眠快便」の大切さに気づいていないかもしれない。
そこも気をつけず「エビデンスガー」をやっていて、だからこそ治らず、相変わらず「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とやっているかもしれない。

愛甲さんは2013年の『脳みそラクラクセラピー』の時点から快食快眠快便の大事さに触れていましたが

2019年の師走を迎えた今、花風社クラスタにおいては、快食快眠快便の意味は深度を増しましたね。新たな知見を得て。

これはこの後の五年十年も差がついて当たり前ですな。

ではでは。

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浅見淳子

おはようございます。

関東に住んでる人間にとって、海は日が沈むところではなく日が昇るところです。私の大好きな奄美の龍郷の海でもそう。私の大好きなプーケット島ではたいていのホテルから見えるのは夕日と海ですが。

昨日は東京湾に面したところで朝を迎えました。正面は房総です。見事な朝日でした。「養生のコツ」に太陽は拝むより背中に浴びた方がいいみたいなことを書いてあったような気がしたので背中に浴びてみたら確かに気持ちよかったですよ。

富士山もくっきり見えていい一日でした。

今日もお天気良いですね。
皆さんも良い一日を。

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浅見淳子

おはようございます。

昨日373さんからブログに書き込まれたコメントですが

https://naosouhattatushogai.com/all/blogasamijunko/635/#comment-3178

=====

民間のサービス提供者は「すべての人に我がサービスを!」なんてことは微塵も考えていません。また、自分の時間、労力は限られていますから、成果とのバランスを常に考えています。したがって、サービスをご利用いただくお客様は必然的に限定することとなります。それは差別でも贔屓でもありません。

最優先は、成果を求めて自分のサービスを主体的・積極的に買いたいとおっしゃって下さるお客様です。求める成果が異なる人、そもそも成果を求めていない人、消極的な人、買う気のない人、否定的な人などには、自分の時間、手間暇をかけることはありません。その時間があれば手を挙げて下さるお客様に少しでも自分の労力を使いたいからです。

例えば、自分の作った商品を欲しいと言う人がたくさんいるのに、欲しいと思っていない人、否定的な人をわざわざ説得して買っていただこうとはしませんよね。「うちの商品を買ってくれたら満足できるはずなのに」なんてことも思いません。その人の意思を否定することになりますから、傲慢ですし、無礼だと思うからです。その人がどのような商品を買うのかも知りたいとは思いませんし、知ろうとも思いません。自分の商品がまったく売れないのなら、別ですけどね。

こうした民間のサービスの基本的な考え方を理解できていない方が、医療、福祉、教育、心理サービスを利用しようとする人、専門家に少なくないという印象を持っています。

治したくない親御さんがいらっしゃるのなら、自分の提供するサービスとはご縁のない人、それ以上でもそれ以下でもない、もちろんどちらが正しい間違っているとかもない、ということとなります。

=====

本当に「その通り!」なんです。
私も何度も何度も書いていると思いますが。
373さんとは民間人同士気が合ってよかったんですよね~。

「検証されていないから信じられない」のなら「どうぞ信じなくて結構」なんですね。
検証はこっちの仕事じゃない。
少しでも治る方法があるのなら、しかも身体にもお財布にもさほど負担がかからないならやりたい、という人たちに情報を提供するのがこっちの仕事。
「信じられない」というのなら信じなくて結構だし、その人たちに本を買ってもらいたいという欲求もこっちにはないわけなので、だから「エビデンスガー」は「甘え」にしか見えないんです。客でもない、こっちが客になってほしいとも思っていないのに何を要求してくるんだろう? と。もっとも373さんによると要求とかいう高級なもんじゃなく「防衛機制・悪しき反射」だそうですが。

今の時点の情報及び治ったエピソードで「やってみよう」という人だけやってみればいい。やりたくない人はやらなくていいし治らなくていいのです。でもなのに十年こっちを見続けているっていうのはどういうことか、自分の胸に手を置いて考えてみるといいと思いますけどね。

それでもここの治った自慢を見て、「検証してみよう」と思う研究者がいるのなら、かつてギョーカイがバイオマーカーを探すために献血をお願いしたように、お願いしてみればいいと思いますよ。そして治った人たちがそれに協力するかどうかは全くの自由。

ただ私は、今の発達ギョーカイを見ていて、研究者たちがこういう風に家庭で治っていく人たちには興味を持たないと思っています。

ところでもう一つ、この週末話題になったサイトが。

日本の歴史についてです。

https://locust0138.hatenablog.com/entry/2019/10/18/233617

とは言っても私のように文系で、それなりに歴史関係の本とかも読んできた人間にとっては中世から近代に及ぶまでの日本の人権意識はそれなりに頭に入っているわけです。とくに目新しい情報は私にとってはない。でも面白く書いてくれていると思いますけど。

そしてこういう歴史を踏まえているからこそ、今「治したくない親」というのがいるのも理解できるんです。ほんの数十年前まで飢饉の時には娘を女郎屋に売っていたんです。「この子を育てるの大変だから月10万円もらいたい」という親が出てきても不思議ではないし、実際に障害児一人にかかっているお金を思えば、親に10万円給付するだけで済むのなら安上がりだから、ギョーカイ潰して親にあげればいいと思う。パート出たりアフィリエイトで稼がなくてよくなりますよ。

そしてその歴史を踏まえて「発達障害者支援法使えないだろう」と見抜いた経緯を書いたのがこちら。
Kindleオリジナルの『発達障害者支援法は誰を救ったか?』です。

「発達障害者支援法は役に立たないのは当たり前」ということを日本の歴史から説明してあります。
今『発達障害バブルの真相』を読んでいる方が多いようですが、こっちも合わせて読むと面白いですよ。
ポチッとすれば540円で一秒後にスマホに入ってきますからね。

ではでは。

https://amazon.co.jp/dp/B07DL15BH1

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yasu

はい、研究者は身体アプローチのような手法には興味を持たないと思います。もう少し正確に言うと興味は持つかもしれないけれど、それを仕事として取り込むのは難しいだろうと思います。科学的なアプローチもお作法の一種なので、そのお作法の中で取り扱えないものには無力ですから。だから仕事として成り立たないし論文も書けない。これは治る治らないという結果とは全く関係ありません。

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浅見淳子

おはようございます。

障害児の子育ては大変だから月10万円ほしい

というご意見?が話題になっていましたが
それこそ私が常々言う「ギョーカイを潰す」の一環であります。

どっちみち、特別支援受けたり放課後デイ使っていたりしたらあっという間に10万円くらい使っている人も多い。公金を。
それで無駄な療育が行われているのが現状ならその分親に手当てして親が全部みたらどうでしょ、という。
実際ここの人たちの体験談だと一緒に遊ぶことによって親が治していますから。

実際ドイツの介護保険的なものは選べるようになっているそうです。
家で見るから全部くれ、というオプションもあり。

「10万くれ」という親に
ひど~いという意見もあるでしょうが
飢饉の時に子どもを女郎屋に売っていたのはつい最近まで。
親が子どもをマネタイズするのは割と歴史に根付いているのですよね。
子どもを寝かせず検査に連れていく親も、昔なら虐待ではなかったのでしょう。

だから治ってほしくないんだ。
金づるだから。
というご意見も。

そうだと思いますよ。
それは新刊にも書いてあります。
治したくない親の目当ての一つは金だと。

そしてそういう人たちは、治ることが知られると困るから(子どもが金づるではなくなるから)
治った治ったと喜ぶここの人たちは目障りでしょうね。
小銭より子どもの未来を見ているのが「治したい親」です。

だって治るもんね。
私たちは治った治ったと喜んでいればいいのです。
一般社会は治る人が好きですから。

保護者の中にも治す=やまゆり園みたいに
「治そう」を差別みたいにとらえる人もいます。

さすがにそこまでひねくれた人は少数派だとしても、治したくない当事者には石を投げれば当たりますね。

治したくない当事者が抱えているのは主として愛着の課題でしょうね。
「自分はこのままで社会に理解してほしい」っていうのは親との間のやり残し。
それを社会に求めているわけです。

成人の自閉症者とつきあいにくいのは、こういう自己治療の道具として人間を使うところ。
そういうところを見ると「本当に人と物の区別がつかない障害なんだなあ」と思います。
そして自閉症者に物扱いされるのは本当に不快なことなんですよね。
迷惑です。治ってほしいです。

ではでは。

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浅見淳子

おはようございます。

相変わらず雑談コーナー盛り上がっています。それを見ていて本当にどっとこむを作ってよかったな、と思いますね。
皆さんあったかい。でもおおよしよしではないですね。
本当に優しい人ってそうだと思います。

さて今日は印象深いブログを二つご紹介。

まずはなおちゅん先生のブログから。
なぜ今のような方針になられたか、一人称の体験が綴られています。

https://nao-chun.hatenablog.jp/entry/2019/11/28/202813

医学は進歩している。
その恩恵を私たちは享受しているでしょう。

そもそも新生児スクリーニングで発見する代謝異常もつい最近四種類から十六種類に増えたばかり。
そういう風に医学は今も進歩しているのですよね。

でも発達に関してだけは、それが信じられないんですよね。
だって「治すのは差別」って言っている人たちが医療にいるわけだから。
治った人を見ると「誤診」と脊髄反射する人たちが医療側にいるわけだから。
この先も発達医療の進歩は絶望的と考えるのが合理的ではないですかね。

どうしても「治すのは差別」だという考えだとか、科学的なやり方にこだわりたいのなら、それはその人の「こだわり」として尊重すればいいです。こだわるのは自由。
私たちはそのこだわりにつきあう気はない、というだけの話。
個々の育ちは科学万能の分野ではないし、そもそも発達援助は非医療化すればいいと思っている。
そしてそこに手応えを感じている。
そもそも生まれてきた命の一生は消化試合ではないと考えている。だから思い切り資質を開花させてもらいたい。人の一生に限りがあり、中でも子どもの時代はすぐ終わる以上、医療の今時点の限界になど付き合っていられない。
それだけの話なんですね。

(でも「治すのは差別」とか「科学的」にこだわる人たちがなぜここを見続けているか。
自分の胸に手を置いてよく考えるといいですね。
そもそも嫌いなものを見続けるのは不健康ですし。)

さてもう一つはてらっこ塾大久保さんのブログ。
名も無い遊びが脳を育てる。

http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/11/blog-post_28.html

先日たかすぎさんへのコメントの中で、ドミノさんが「花風社クラスタは支援校否定ではない」と言ってくれました。
勝手にそう誤解する人はいるんだけど、あまりに馬鹿らしい誤解だからほっとく。
そもそも自分のところが支援校で、勝手に卑屈に取る人が騒いでいる。

私は特別支援教育が始まった頃の理念には賛同します。
でもその後の運用にはまったく感心できない。
理念通りだったら、みんな無理しない環境にいたらよかったから、たとえば知的障害がない子でも支援級に学ぶのはよいことだったかもしれない。
でも理念通りになっていませんよね。
むしろ始まった頃と今、同じ意見を特別支援教育に持っている方がよほど現実を見ていないと思いますが。

でもはっきり言って、当たり外れが多くよくまだやり方もわかっていない支援級より支援校の方が積み重ねてきたものは多いかもしれないのですよ。
おとといかな、栗本さんは支援校に指導に行ってきた。先生たちにも指導したし子どもたちにも指導した。子どもたちのあっという間の変化に先生たちも目を見張ったそうです。
支援校には歴史がある。
でもみるさんくらい機能が高い人が支援校に送られるのは、特別支援教育の悪しき影響だったと思っています。

支援校と同じように、療育にも花風社は全否定じゃありませんね。
ただ人間の世の中で生きていく子を育てる以上、犬の調教には感心しませんけど。
けれどもこれも卑屈な人がわざと誤解して騒ぎます。
どういう人が誤解するかというと、「親が何もかも背負いたくない」と思っている人たちですね。アウトソーシングに頼りたい人たちです。
頼りたければ頼ればいい。制度がそこにあるのだから。

ただ大久保さんの言っている「名も無い遊び」
療育機関に時間を取られて、この時間が減ってしまうのがもったいないですね。
本当に発達が起きるのは遊びの場ですから。

一般的には子どもをなるべく親から離す時間を増やすことが親支援だと言われてきた。
夏休みは大変。だからデイで連れ出す。
デイもお休みのお盆は本当に大変。
それがこれまでの障害児親のニーズでした。

けれども「治そう」に舵を切った花風社クラスタは違います。
夏休みは親子遊びのチャンス。
親も休めるお盆はとくにそう。
親子で遊ぶのが楽しい。夏が続けばいいのに。
でも永遠に続く夏はなく、親は仕事に、子どもは学校に戻る。
そのときに安定しているのは夏、遊びきったから。

つまり、療育をやたら推す人たちは親を過小評価しているとも言えます。
親の力を過小評価している。だからアウトソーシングを勧める、っていうことですね。

でも治してきた人たちは
「家庭でしか治せない」ことをよく知っているし
親が共働きしてようと、経済的に必ずしも余裕がなかろうと
家庭でこそ治すことが可能なことを知っているんですよね。

やはりここで読んでいただきたいのはこよりさんの『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』ですかね。
親子遊びで発達していく様子がよくわかります。

ではでは。

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みる

みるです。知的障害者の中学校支援級・支援学校を卒業した後、現在はアットマーク国際高校品川学習センターに通っております。この度はいつもお世話になっております。

現在、単位認定試験に向けて、課題を進めている最中(卒論みたいなもの)で、自宅にいることが多いですが、浅見さんが取り上げて頂いたのでこの場をお借りしてお礼を申し上げます。

自分も今までのやり取り等で誤解させてしまった部分がありましたが、浅見さんが仰る通り、自分も支援学校、支援級の存在は否定しておりません。
幸い、当時お世話になっていた中学時代の先生は修行系で、マナーにとても厳しい先生でしたけど、(当時は治る知識すらない時代の中)治そうとしたし、部分的だけど治った部分もあったので、当時の先生方については感謝しております。

支援学校の場合、常に医療の助けが必要なお子さんだと、入院しながら学習室で学ぶお子さん、自宅に先生が訪問して授業を行う所もありますが、それは必要な配慮だと思っています。
(でないと、そういう子達は学校に行けなくなってしまうので。)

本来であれば、療育手帳を取るのが難しいお子さんについては、支援学校に行くべきではないと思います。
卒業しても、調査票に成績が書けないので短大・大学には行けません。専門学校も同様で保育士など資格をとる上で高卒資格が必須なものを専攻する場合は調査票に高校の成績が書けないので行けません。
就職する場合も、コネがあれば別ですけど、支援学校卒と書いた時点で「リスクの高い人材」だと人事の人は見なします。なので雇う所なんて何処もありませんよ。
就労移行支援を経由すれば、障害者枠の就職も可能性として出てきますけど、企業側から見た発達障害の人の評価なんてたかが知れていますからね。
(時間守れなくて、コミュニケーションに問題あるとはじめから分かる人を取りたいと思いますか?っていう話です。自分だったら嫌です。勿論、治った人であればそうでない人もいることを付け加えておきます。)

まだまだ書きたいことがありますけど時間がないのでこの程度と致します。

お読みいただいた皆さん、有難う御座います。それでは失礼いたします。

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浅見淳子

こんにちは。

昨日は栗本さんと二人饗宴をしてきました(私は現在ノンアルコール期間)。
秋には全国を回った栗本さん。各地の様子などきき、来年に向けての展望を話し合ってきたのです。
その中で「親御さんをまずラクにしなければ」という話が出ました。

これは、ギョーカイも古くから取り組んできたと思います。
彼らがやったのは青いお札を配ることでした。
「親のせいではありません」
その副作用は大きかったですね。
なぜなら親のせいではない、を強調するあまりに「不可逆的な障害である」という思い込みを植え付け
それで新たな二次障害を生んでしまったからです。

それから親にラクになってもらうための様々な試みがありました。
診断に来る親子の親の方にも抗うつ剤を処方する先生もいました。
私、これをきいた当時は感心していました(黒歴史)。
美顔器やネイルなどを企画する事業所もありました。
これはつまり、福祉の外からの支援を試みたということでもあります。

でも2019年暮れの今、親御さんにはまず鉄タンパク+身体を弛めるアプローチ
という結論に至った今ここだと思います。
そんな話をして帰ってきたら、たかすぎさんから自己紹介コーナーと雑談コーナーに書き込みがありました。
一読して、廣木道心さんのアドバイスがほしいと思いました。
FBにリンクしたら廣木さんからアドバイスをいただいたので、レスとして貼っておきました。

実は「護道構え」そのものが親御さんにとってはいい身体アプローチになると思っています。
スワイショウや壁立ちなど、廣木さんが本の中で提案してくださっている方法は言うに及ばず。
護道は腕がしなやかになると思うので(そして腕と言語能力は関係している)
関東で護道女子部を立ち上げるのが私の夢ですが
「金魚なんてやってられねえよ」というマッチョな男性がいたとしたら、男性陣のコンディショニングとしても廣木さんの実践はお勧めです。もしよろしかったら試してみてください。

ではでは。

返信する
浅見淳子

おはようございます。

十年以上前、ギョーカイが精力的に当事者・保護者・きょうだいを含む家族の血液や臍帯を集めていたことをふと思い出し、知っている限りの学会できいた途中経過を書いたところ、yasuさんが論文を見つけてきてくれました。さすがお勉強上手です!

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbp/20/4/20_4_271/_pdf

ギョーカイは自閉症のバイオマーカーを見つけたかったのですね。
それはまだ道半ばのようですが、代謝や脳内炎症など、定型群との違いが見つかったらしく、今花風社クラスタ、しかもアルパカ世代が取り組んでいることはあまり間違っていないのではないかと思います。

私がバイオマーカーの研究をしていると知った当時は、私にしたところで「すべての自閉症は先天性である」と信じていたと思います。素朴に。

でも今は違います。
『NEURO』に書いたとおり、凡医に「生まれつきの障害で、治りません」と言われたらこうきいてやればいいと思っています。
「先生、生まれつきってどこからですか?」

実は凡医群、「生まれつき」の定義もはっきりさせず「生まれつきの~」と決まり文句で言っているに過ぎないからです。親がそれ以上望まないように納得させるための「生まれつきの~」です。

DSM-5の神経発達障害の定義が「生まれつき」ではないのはNEUROに書いたとおり。

そもそも炎症なら収まりませんかね。
普通炎症起こしていたらとめるのがまともな医療だと思いますが。

バイオマーカーの研究が進めば進むほど、実は自閉症って治せるものだってわかってきたら面白いですね。

ではでは。

返信する
yasu

浅見さん、解説ありがとうございます。

ちょっと検索してみたら、2009年に邦文論文が出ていました。論文著者の方か研究責任者かどうかはわかりませんが、アスペエルデの会の全面協力を受けているとあるので、この研究チームによるものでしょうね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbp/20/4/20_4_271/_pdf

英文論文が出ているかどうかまで調べていませんが、平成27年度(2015)の脳科学研究戦略推進プログラム(福井大学が主幹でしょうか)の報告書で早期診断法の確立の部分には、抹消血中の中性脂肪VLDL分画が役立つ可能性が示唆されたが、出生時の自閉症診断には使えないことがわかったと記されていますね。
https://www.amed.go.jp/content/files/jp/houkoku_h27/0104012-01/h27nouseika_007.pdf

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浅見淳子

おはようございます。

昨日は横浜で行われた花風社クラスタ女子会に行ってきました。以前から有志で集まっているのは
知っていて、一度出たいなあと思っていたのですが、昨日初参加でした。あとで簡単なレポがブログで上がると思います。

さて今日は個人的な記念日です。
なんの記念日かというと、七年前の今日のブログをリンクしておきますね。

https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/c80645b0ff8bc9ad2c648c41b53e4698

ではでは皆さん、楽しい一日を。

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浅見淳子

おはようございます。

さて、智君の快進撃は、もうたくさんありすぎて、治った自慢のお部屋や雑談のお部屋をたどっていただくといいと思うのですが(その他の皆さんの書き込みも有意義なものばかり)

改めて智君の障害をみてみましょう。
お母様によるとこういうこと。

=====

先天的心奇形、肺動脈狭窄、両側性口唇口蓋裂、脳梁全欠損、脳室拡大、虹彩一部欠損、網膜一部欠損、その他細々とした奇形があります。

=====

脳に穴が空いているとわかったのだから、当然ですが、脳内の写真も撮ったのですね。

ここで皆さんにおききしたい。
おたくのお子さんは知的障害があります、と言われた人の何割が、きちんとした器質的な検査を経てきましたか?
脳画像とか撮りましたか?

実は器質的な診断って、ほとんどの人が受けていないんですよね。
「知的障害を伴う自閉症」とかそういう診断。
智君に比べるとわかると思いますが、相当大雑把です。
多くの人が実は行政都合の診断しか受けてない。
遅れがありそう→支援がいりそう→聞き取りと行動観察による診断→手帳

せいぜいこの程度でしょう。

そういう大雑把な診断で「一生○○できません」とか凡医に言われてなぜ信用できるのか、ということ。

こよりさんは「いんちき占い」って言ってますが。

そんな大雑把な診断、器質的な検査を経ていない診断をなぜ一生大事に抱え込もうとするのでしょうね。

それがとっても不思議なんですよね。

ではでは。
皆さんよい一日を。

あ、『支援者なくとも自閉っ子は育つ』
まだの人は読んでね。
支援者にいんちき占いされようと忖度せず治しているお母さんの貴重な記録ですよ。

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シア

こんにちは。
正義の医療と言うのも、あると思います。
正義の支援と言うのも、あると思います。
病気を治し、その人のスタートラインに立たせてあげるお手伝いをする。
そして、支援は、その人の得られなかった学びとか、不利を是正するような機能をして、その人のステップアップにつなげる。
私は、まだ治らない障害域にいたと思いますね。
でも、社長や花風社クラスタさんを見て、まだ治らない…けど、生きる!
そしてよくなって、治るを目指すことにしたのです。
そう考えると、現代の医療や支援で、社会に十分適応できる技術があるにもかかわらず、どんどん「ギョーカイ」に飲み込まれていく人たち。
一体何なのだろう?
そう思ってしまいます。

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りょう

うちは脳波の検査は3回しました。1番最初に行った小児神経学のクリニックです。初めてとった脳波で1箇所だけ気になる波形が出た、との事で計3回検査を受けました。
学会で発表するために発達障害児のデータを集めています、と後から聞きました。全て自費診療で、なぜ国民健康保険が適用されないのかと担当医に聞いたところ、厚生省に睨まれている、と言っていました。
全て後から言われたので当時は不信感が募り、こちらのクリニックには行かなくなりましたが、こちらの前院長先生はテレビや携帯電話は絶対に見せてはいけない、近づけるのも良くない、電磁波の影響は大きい、と提唱されてました。

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浅見淳子

りょうさん
お子さんの無事が一番です。そのための検査なら納得できますが、だったら保険でカバーされて当然だと思うのですが。
厚生労働省に怒られてしまうんだとしたら、お子さんのためではなく、データ集めのために親御さんに自費出させたということなのでしょうか。通報してもいいくらいの害医ですね。せめて医者が協力を仰いで同意の上で費用負担するのならわかりますが。
このギョーカイにも家族ともども血液出せと言って献血させ、キャンプに行くと血を採り、あげくの果てに研究結果を一つも出さない人たちがいます。そういう人たちに共存のための社会性など育てられないだろうなあ、と思って首を長くして結果を待っているんですけどね~。
またお越しくださいませ

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yasu

浅見さん
家族、本人からの検体提出も、1人1人の同意取得が当たり前(というか義務)ですよね。時期的にまだきちんとされていなかった時代なのかもしれませんけど今現在では許されないと思います。研究者が患者団体や親の会にそういうお願いをするのは構いませんけど、提供側にも利益が無いといけないんで、論文出すのはもちろんのこと、協力者には別づりを配るなり内容をまとめて解説するなりの努力はしていただきたいですよね。

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yasu

ちなみに、臨床治験でプラセボ群に割り付けられた患者さんには、治験が成功したら一定期間は実薬を無償提供するといったことをしますよ。

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浅見淳子

yasuさん
ご家族からも献血や臍帯の提供を受けていたので、同意は当然あったと思われます。でもお子さんの理解度は様々ですし、お子さんからみて「キャンプ行っていきなり血を採られた」だったら怖い思いをするしその後注射を拒否するようになったお子さんもいたそうですから彼らが大好きな標準医療の恩恵から遠ざけてしまったということですね。

この研究結果はうちに出版打診がありました。資料が揃ったら見ますという段階でしたが。その後私はご存じの通りおおっぴらにギョーカイに三行半をつきつけたのでもううちには持ってくるわけもなくよそから出るのだと思いつつ十年以上経つけどみてませんね。もしかしたら彼らにとってやばいことがわかったのかと思います。治るとか。

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yasu

浅見さん、コメントありがとうございます。
研究結果ですが、学術ジャーナル(できる限り英文)や学会発表が先行すると思うのですが、それすらされていないということでしょうか。公費を使って行われたものでしたらこれはまずいですね。

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浅見淳子

yasuさん

知ってること書いておきます。
途中経過らしき学会発表らしきものを聴いたのは2011年ですね。自閉症のバイオマーカーを発見し超早期診断超早期介入して自閉症の人がいなくなるかも、みたいな壮大な計画を数百人の前で発表し私もそこにおりました。浜松医大の先生で福島出身(これは震災後だったのでよく覚えています)。ご自身も自閉症児の父ということでした。そして研究者らしく自閉症の文化に親しみを感じているようでした。にもかかわらず「この世から自閉症がいなくなるかも」という研究をされているのが面白いなあと思いました。自閉症の子を慈しんで育て自分もその文化をかすっていることを自覚しながらやはり苦しみはこの世からなくしたいのだなあ、と。

かつて「自閉症スペクトラムと犯罪の相関関係」を国のお金で見つけた学者さんたちはその研究成果を自閉症協会のHP奥深くに沈め表からはリンクせずここほれわんわんしないと見えないようにしてましたから、今度もそういう裏技を使っているのかもしれません。ともかく「バイオマーカー→超早期発見→超早期診断→いなくする」みたいな話は私はあれ以降きいてません。まあどっちみち治りたい人は治る時代になったのでこっちが興味なくなったのもあります。

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yasu

りょうさん
これは、インフォームドコンセント違反ではないでしょうか。費用面でも後出しというか、医療機関側が予め説明する義務がありますね。レセプトはねられる(いわゆる健康保険組合から支払いを拒否される)のはきちんとした理由があるはずなので、もともと不要であったのではないでしょうかね。いずれにせよ既に関係が切れていてなによりです。

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ドミノ

こんにちは。
上の子は3時間の聞き取りと脳波検査(異常無し)のみ。
下の子は聞き取りと血液検査(染色体・異常無し)のみでした。

何故か頭部CTの経験者な私(当時十代後半)も異常無しでした。(笑)

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ロン(@VR38DETT__NISMO)

ご紹介いただき、ありがとうございます。

コレからは日本国民の一員として、国民としての義務を誠心誠意努めさせていただく所存です・・・
・・・って、コレじゃまるで昇進した相撲取りの口上ですね(笑)

何はともあれ、皆さま今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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金田 隆佳(かねた たかよし)

おめでとうございます!

こちらこそ、宜しくお願い致します

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浅見淳子

こんばんは。

本日も当「治そう! 発達障害どっとこむ」を盛り上げていただきありがとうございます。
朝のメッセージにドミノさん、まゆりさん、レスありがとうございます。
治すと殺すの違い。こんなカンタンなことがわからない人がいるのが驚きですね。

あと、やはりこのメッセージを受けたのか
ブルーさんから仕事のお部屋に興味深いお話が。よかったら浅見のレスも合わせてお読みください。

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/623/#comment-3044

治った自慢のお部屋では、智君の快進撃が続いていますが、これはまた改めて取り上げることとします。
とりあえず絶対読んでいただきたいのでリンクしておきますね。

https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/149/comment-page-8/#comment-3045

=====

さて今日は、FBでお祝い事を知りました。
アスペルガー医師のロンさん、日本国籍を取得されたそうです。
ぱちぱちぱち。
お祝いとありがとうを言いたいです。ロンさん日本を選んでくれてありがとう。
政治にも関心が深いロンさんですが
今後日本国民として、この国の行く末を考えながら清き一票も投じる権利を得たわけですね。

思えばロンさんの講演会をきいたとき「なるほどそうだ」と思ったのは
ロンさんは一日中ツイッターでなんかの悪口言ってるそのへんののんきなニート当事者にはなれないということ。
なぜなら外国籍だから。お医者さんの仕事をする、という条件でビザが下りている以上、失職すなわち国外追放です。

その点生まれながらに日本国籍を持っている人たちはのんきに不登校からのニートになっても追い出されることはなく、障害者年金だ~生活保護だ~とセイフティネットが使えるのです。
日本に生まれたことに感謝してほしいけど、そういう人に限ってなんか、むやみやたらと日本社会に対してルサンチマンを抱いているのが不思議なところです。

そして帰化に際しては当然賞罰を問われるから、ネットで好き放題ゲスの勘ぐりして全然関係ないやまゆり園の事件とかに「#花風社」とかハッシュタグ着けて訴えられたりして不当に他人を貶めて刑罰でも食らった経験とかがある人だったら、ロンさんの日本国籍取得は無理でした。
車の好きなロンさんですが、道交法すら必死に守ったということ。
その点この国に生まれただけで、たとえ刑事罰を食らおうとそれで国外追放にはされませんから、ただ前科がつくだけですから、ルサンチマン系の当事者たちは最初から日本人であることに感謝してほしいもんです。

そしてこういう厳しい措置は日本に限りません。先進国は出稼ぎ目当ての外国人が入り込みやすいですから非常にシビアです。我が家の周辺にはドイツに行く人多いですが、たとえ日本で高収入を得ていても収入証明書を独訳しユーロに換算し日本の貯金通帳を持っていき朝早く役所に並んでビザを下ろしてもらいます。たとえ大学教授でも「金のないやつは来るな」という居丈高な態度は当たり前。極端に物価の安い国に少なくとも数百万のキャッシュを持って行かない限り、歓迎してくれる国は自国以外にそう多くありません。

ロンさんは少なくともこれまで品行方正で、労働と納税の義務を果たしたから帰化が可能でした。
「彼」だったら無理でしたね。きちんと有罪判決食らっていますからね。
それが世の中の仕組みです。

ではでは皆さん、楽しい夜を。

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