「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

管理人よりメッセージ

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225 COMMENTS

浅見淳子

おはようございます。
昨日、尾瀬から戻りました。標高差1500の横浜は暑い!
尾瀬のコースは下り→平地→上り
で最後の上りがきつかったのですが15キロ歩いて筋肉痛等皆無。やはり普段からの90回スクワットが効いています!

夏休み、様々な身体アプローチにいそしんでいる皆さん。
昨日ツイッターの鍵アカの方でプールや海でお子さんがとくに泳ごうともせずただただ浮いているのも身体アプローチですよ、っていうお話をさせていただきました。
ここにもお越しくださる髙原さんもいいご意見をくださった。
スポーツと身体アプローチによる発達援助は違います。
スポーツでは弱視やアレルギーや喘息まで治らないでしょ。むしろ悪化させることもある。
読んでないでガーガー言っている人は仕方ないとしても、読んでいる皆さんくらい、「スポーツと身体アプローチは違う」とよく肝に銘じておきましょう。
あくまで子どもが自主的にする動きが元になるのが身体アプローチ。
そして快食快眠快便を実現していないとその動きが出ないし、薬が入ると子どもが自発的にやろうとする発達援助が妨げられますよね、っていうこと。
よく覚えておいてくださいね!

そして今は薬を入れる前にできることがたくさんある時代。
薬に助けられて、でも薬を脱して健康体を手に入れた藤家さんの貴重な手記。
安易に投薬を勧める人がいる。今では教師まで勧めるらしい。
でもその教師たちが将来仕送りしてくれるかっていうと、一円もしてくれません。
医者も教師も支援者も、将来お子さんがどうなっても一円も仕送りしてこない。
あくまで「治すか。治さないか」「そのために何をするか」という決定権はご家庭にある。
しかも個々のご家庭にある。
それを阻む「ぬけがけするな~」の田舎者メンタリティには屈しないでね。
「オペレーション置き去り」で行きましょう。
それと、薬がのんでいる人にとってどういうものか
夏休みの機会に、『断薬の決意』をぜひ読んでくださいね。

ではでは。

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シア

おはようございます!
最近は、黄色本をやり、かなりコンディションが整ってきたことを、実感しています。
スポーツも運動もいいですが、私は、自分なりに考えて、組み合わせることを覚えました。
「ハイ・ロー・ミックス」と言う考え方があります。
世界中、どこに行っても、うまく行っている人たちは、いろいろ試しているという証だと思います。

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シア

他にも、「チャネルミックス」と言う考方も。
押してダメなら引く。
自分なりに、創意工夫するのは、勝ち残ってきた人に見られる共通点のように思えます。
弛める、締める。 
「頑張る」ためには力を抜いたり入れたりできるのがいいみたいです。

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シア

バンスボールで、耳がまた治って来たんですけど、たぶん、正解だったのかな?

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浅見淳子

シアさん
耳が変→バランスボール?
って思いつけるのがもう、身体アプローチの成果なのではないかしら。
厳しい暑さの中、もともと弱いところのある人は気をつけなきゃいけない季節。
どうぞお大事にお仕事頑張ってください!

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あやみ

ツイッターで帰省についての話題があって、田舎の差別のことが浮かびました。
子どもの障害を理由にした開き直りは、私もダメだと考えてます。ただ、ものすごい田舎が実家だと複雑な事情もあるだろうと思いました。

地方でもそれなりに大きな都市部だと差別はあまりないと思います。もしかしたら私が鈍感なのかもしれませんが。

だけど平成の大合併で名前だけ「市」になった山間部や瀬戸内諸島部には、あからさまな差別が残っているようです。
ものすごい先入観で「障害」を拒絶、自分の身内に障害者がいるなんて認められない、そんな年配者も多いです。
それから、役所の公務員も親戚や知人、プライバシー保護なんてあったものではなくダダ漏れだから、助成制度の申請ができなくて、病院に行くのも躊躇すると聞きました。

ジジババは孫の障害が近所や親戚にバレないように必死、陰口や噂話ですぐに広がりますから。名前だけ「市」になった田舎にはそういう事も多いです。

障害者も都会の方が暮らしやすいですね。地方が廃れていくのは仕方ないことのように思います。

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浅見淳子

あやみさん、貴重な情報をありがとうございます。
今、北から帰る新幹線の中にいるのですが、観光客として短期訪れただけでも、地方の疲弊というか、鶏卵の衰退への悪循環はすごいと思いました。
でも都会が全ていい!とも思ってないのですが。
これはまた折に触れ考えていきたいし皆様からも意見が欲しいところです。
ありがとうございます。

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はづき

あやみさん

横から失礼いたします。平成の大合併@地縁で合併先決めた で合併先の借金も抱えた地域に実家があります。

>ものすごい先入観で「障害」を拒絶、自分の身内に障害者がいるなんて認められない、そんな年配者も多いです。

すごく分かりますね。同じ住宅団地で一学年下に、知的障害があり「支援校に通うべき」くらいの子がいましたが、地域と普通級に丸投げでした。
親が公務員だから、先生も何もできず…。

>役所の公務員も親戚や知人、プライバシー保護なんてあったものではなくダダ漏れだから、助成制度の申請ができなくて、病院に行くのも躊躇すると聞きました。

うちの実家の方も退職して、国保切り替えで役所行って手続きしたら確実にバレてしまうので、パワハラやセクハラで酷い目に遭っても続けざるを得なかったです。

国の法律も守らないです。ある個人情報を漏えいされても、国家賠償請求があるから、開き直りです。

銀行も、投資などは周りにバレてしまう(出し抜き許さない、ってヤツ)ので、できなかったですね。名字で地元に先祖代々住んでいる人でないと分かってしまいます。

通勤用の車も、周りがうるさいから、親の車と同じディーラーで買うか、中古にしてくれと親に言われたくらいです。

どちらかと言えば都会でしょうか。
BtoB企業に勤務していても、差別されませんから。

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あやみ

はづきさん、こんばんは。

人の出入りがない地域よりは、地方でも転勤族の人たちがいる都市部の方がマシなのかな?と思ってます。

もう実家がない私は寂しい時もありますが、過疎地に実家がある友人知人から話を聞くと、家族や地域の絆としがらみは紙一重だなと思います。

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浅見淳子

こんにちは。
浅見@山の上。
15キロ歩いてたどりついたビールがスーパードライで生きづらいなうです。

ところでこんなの来たんだけど、ながしこと守谷こころとからだのなんとかクリニック院長永吉亮のアカウントどうなってる?
ブロックしたからわからないわ。

これから下山して帰ります。

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髙原浩

漱石が『私の個人主義』の中で、こんなことを言っています。

わがままな自由はけっして社会に存在し得ない
よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっている

発達に遅れがあろうがなかろうが、これが平均的な社会の現実だと思います。
だからこそ、将来的に権利を自由に行使し、享け楽しむために、己を制御できるような人格を育てる必要があるのです。彼らには、育つ権利がありますから。

僕の役割として、この8年間で百数十名の人たちが訓練し企業に就職する様をみてきました。その人たちが、発達の遅れ云々を理由に、所謂差別的な扱いを受けたという話を聞いたことはありません。ただし、明らかに人手不足で必要な配慮が得られなくなり、本人が健康状態を崩してしまったため、撤退した事例は少数あります。その場合は、離職支援と再就職の支援をしました。

涙ぐましい努力をしている企業が多いというのが事実です。逆に、僕らの立場から、本人の成長をスポイルしかねないような過剰配慮に対して改めていただくようにお願いするような例もあります。

今の世の中は、2~30年前とは、だいぶ違ってきていると思います。

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浅見淳子

髙原さん、貴重な現場報告ありがとうございます。支援者側一般社会側の歩み寄りを一顧だにせずやたら「差別されている!」と叫ぶ当事者保護者には妥協しない姿勢をあくまで貫きたいと思います。それが頑張っている支援者当事者保護者への応援であり、社会貢献だと思っています。

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たにし

差別していないと思います。
身近にいる方々は優しく接してくれていますし、差別的な言動を受けたことはありません。
それになんと言っても、身近にいない方々も含めて、社会のみなさんが納税という手段で支えてくれています。

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浅見淳子

たにしさん、おはようございます。
そうですよね。むしろ社会は発達障害の人を支援している。
支援している社会に文句を言い続ける姿が好感を持たれることはないでしょうね。

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ドミノ

今のところ差別された経験は無いです。
迷惑かけなければ嫌われません。
自閉だと伝えても「そうなんだね〜」くらいです。
嫌な思いをさせられる相手がいるなら離れれば良いんじゃないでしょうか?
社会には沢山の色々な人がいて自分の経験していない経験・人生を生きていて楽しいです。

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浅見淳子

ドミノさん、おはようございます。
そうですよね、いやな人からは離れればいいだけ。
価値観は人それぞれですからね~。

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こんぺいとう

息子のこれまでのことに対しての実感になります。
学校、習い事、友達付き合い等において、本人の力をきちんと評価してもらっています。
配慮はしていただいていると思いますが、それはどうすれば本人が力を発揮できるかという前向きなもので、決してできなくてもいいんだよ、というものではありません。
その中で本人も、もがきながらもどんどん伸びていて、社会は差別するものではない思っています。

むしろ療育に通ったり保育園時代に支援を受けていた頃の方が、レッテルを貼られて伸ばさない、伸びてもまだここが、今はこうでもこれから先はこんな事に困りますよ、‥等できない面に注目されてました。

社会の中で本来の力を発揮し、きちんと評価を受ける。能力を伸ばしていく。そのためには、発達の抜けを埋めたり感覚過敏を治したり、社会に出てやっていくためのコンディション作りをすることが重要だと思います。
やっぱり治るが勝ち!ですね。

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浅見淳子

こんぺいとうさん、おはようございます。
やはりそうですか。
一般社会の方が、医療・福祉よりずっとフェアですよね。
底辺医療従事者みたいに匿名でデマ振りまいて攻撃したりする一般人はいないしね。
なんでだろうと考えたときに、医療・福祉の人はどうしても親の層の中で一番卑屈に考える人の機嫌をとる傾向があるので、できるようになる子は面白くないのかなとも思います。
というかできるようになる子が面白くない一群の親たちがいて、その親たちの機嫌を取るためにできるようになった子を喜ばないでケチつけるのが医療・福祉の人たちのお仕事なのかもしれません。
ともかく治るが勝ち! ですね。

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サーニン

差別は社会より個人だと思います。
優しくしてくれる人、いじめる人、口もきかず関わらない人。

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浅見淳子

おはようございます。
昨日の質問に答えてくださったちょこさん、ねこ母さん、yasuさん、ねてまてさん、はなこさん、アルパカさん、久保田さん、ターサンさん、シアさん、Keiさん、ありがとうございます。
世間では(とくに治らない教徒の間では)発達障害の人が社会に差別されているというのが大前提になっている。でもどうみてもこの社会で発達障害者は差別なんかされていないし、おそらく花風社クラスタの皆様は差別なんて感じていないだろうな、と思ったので質問させていただきました。
もちろん「差別されている」と感じるのならそれも自由に書き込んでいただいて結構ですけれども、どうも花風社クラスタの方たちと接していて差別の話なんか出たことないんですよね。つまり同じ発達障害の当事者・保護者・支援者でもギョーカイに洗脳されている人たちとは相当感覚の違う人たちがいるということが確認できましたね。

むしろ差別しているのは福祉・医療側だというご意見も。
アルパカさんの言うとおり、

=====

勝手に予後を推測するし(しかも当たっていない)少しでも出来ないところがあれば「ほら特性だ!」と騒ぐ。その後出来るようになってもスルー。正直、診断名がついたそばから差別の沼に引きずり込まれるようでした。

=====

勝手にレッテル貼りしてそれを一生撤回させない、という意味では医療が一番差別的。でもそれってねこ母さんのみてきた

=====

例えば私の住む地方では、発達障害でも仕事に就いた子、仕事の合間に親御さんのお店の手伝いもするような働き者の子に対して、「あの子は支援クラスだった」とか「あの子が作ったものはねぇ」というような人もいます。地方ならではの民度の低さだと思います。

=====

とあんまり変わらないのかもしれません。だってどっちも根底にあるものは同じ。「発達障害者といったんレッテル貼られたら成長しない」という偏見ですからね。そしていったんうまくいってもうまくいかなくなる日を虎視眈々と狙って待っている。「それみたことか」と言いたくていつまでも粘着する。考えてみたら医療・福祉が一番差別的です。

その一方で一般社会は差別しない。
だから一般社会に出た方がいい。
そういうことじゃないでしょうかね。
とくに「治らないんです!」と叫ぶ集団の中で「いや、私たちは治ると思うし治してきましたよ」と表明する花風社クラスタの方が一般社会では評価されるんじゃないですかね。
はっきりと「治らないと思っている人と治ると思っている人がいる」ことを社会に表明していきましょう。どっちを選ぶかは社会の自由。っていうかどっちを選ぶかは火を見るより明らかです。

味噌ぴさんの体験談に学びましょう。
味噌ぴさんのご長男は知的障害がある。でも高卒の資格を得て、しかも英検や漢検に挑戦して合格した。だから専門学校に入れた。
一方でLDで漢字が書けない人は専門学校に入れてもらえなかった。
知的障害がなくても漢字が書けない人より、知的障害があっても書けるように努力してきた人をまず学校が評価し、そしてそれがその後の就労の可否を分けた。

治らないと言い張って治そうとしない人より治してきた人を評価するのが社会です。
フェアですね。そこに差別はない。あるのは「やってきたことへの評価」だけ。
そして治るのに使った方法にエビデンスがあるかないかなんて雇う側には一ミリも関係ありません。治ってくれておいた方がありがたい。治るが勝ち!

ではでは。

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ふうりん

私も社会が発達障害の人を差別してると感じたことはありません。発達障害の有無よりも一緒にいたい人かどうかです。
プライバシーを守る意識の低い親や支援者に差別心があると思うことはあります。特性に配慮するという名目で基本的人権を無視するのはおかしい。さっさと離れるに限る。困りごとをなくす努力を差別といういちゃもんは社会が発達障害を受け入れないのは差別だとの前提だけど自分が受け入れられたいことのすり替えで不健康。不健康な状態を目指して育児はしません。

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浅見淳子

ふうりんさん、おはようございます。
社会が発達障害者を差別している、という前提に立てば治すなんて・・・になるんでしょうけど私たちはその前提を共有していませんね。治すのは不便だから。それだけ。そしてシアさんの言うとおり、受け入れられていない人がいるとしたらそれは障害があるからじゃないんですよね。本当の問題から目を背けるのに「差別されている」というのは思考停止に都合のいい決まり文句なのでしょう。そしてその思考停止を接待する底辺医療従事者がいるの図、っていうのがわかってきましたね。

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はづき

そうですね。
一緒にいたい人かどうか、はありますね。
未診断無自覚当事者だらけの職場@人手不足で働いていますが、
・同業者しか信じない(ギャングですか…)
・横に知識を広げる人を馬鹿にしたり、評価を下げる(ようとする)
・自己憐憫を強化してくれる人を優遇する
など

の方が多いですね。

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浅見淳子

はづきさん、おはようございます。
まんまギョーカイですね!
ずっと前、私が平岩先生とか言う人のリツを引用したら(別にディスってない)ながしが「平岩先生に喧嘩を売っている」と騒いだことがありました。あのときに「ああ医療界のヒエラルキーでは平岩先生という方が上でこのながしってのはその下でその自分たちのヒエラルキーをこっちにも押しつけようとしているからこいつはヒエラルキーに支配されしかもそれがどこにでも通じると思っている田舎もんにちがいない」と0.05秒くらいで判断して実名バレしたら結局それが当たっていたのですがそれとおんなじですね。
横に知識を広げないっていうのも、自分の上級職が、あるいは自分が習った教科書が「発達障害は治らない」と言っているからそれ以外はトンデモと決めつける底辺医療従事者そのものですね。神田橋先生や藤川先生はその範疇を超えているから私たちは当てにでいるわけですね。
そして自己憐憫する人を優遇! これがギョーカイ名物卑屈親へのおおよしよしですね。
やっぱりリアルでそういう集団存在するんですね。私はネット上でしか見ていないので勉強になりました。

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はづき

福祉関係の調理補助で働いていますが、やはり福祉に多いんでしょうね。調理師でも、街中にある飲食店の店長さんや、キッチン担当の方々はそんなこと全く無かったです。

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とり

一通り読ませていただきました。私は発達障がいの方とお仕事したり関わったりという機会はほとんど無いのですが、福祉・医療側が差別的というのは納得させられました。
というのも、昔、電車に白杖をついた人(身体機能の問題はあまり無さそうに見える方)がヘルパーさんらしき人と乗ってきた時に、私は思わず席を譲ろうとしたことがありました。その時にはもう資格とって働いていたためか、何だか変な使命感にかられたんです。
でも、そんな私をみて、ヘルパーさんらしき人は何となく苦笑いをしていたんです。
その時、“私はこの人を障がい者とみて親切を押し売りしようとしていたのではないか”とハッとさせられました。そのあとものすごく反省したのをよく覚えています。

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Kei

していないと思います。

個性的の域を超えた独特な人はどこにでもいます。
だけど、例えば企業ではキチンと仕事をこなしていれば評価されます。

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浅見淳子

こんばんは。
この前からおききしたいことがあったので週末の夜に質問しておきます。

花風社クラスタの皆様は、発達障害の当事者、保護者、支援者の方が多いと思いますが、

社会は発達障害者を差別していると思いますか?

できればツイッターやFBではなくここのコメント欄に書いてください。
よろしくお願いいたします。

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ちょこ

していないと思います。
むしろ逆。
「発達障害者(当事者・保護者)が社会を差別している。」
と思います。
「いちゃもんつけてる」
とも思います。そして年々その傾向が増してきているな。と感じています。

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ねこ母

していないと思います。

浅見さんに教えていただく都会などでは、がんばったらがんばった分仕事もある、できる。努力は報われる。その話を聞いていると、治そうともせず、働けるのに働きもしない発達障害者何文句言ってんだよ!と思います。

ただ、地方の民度の低さが差別と受け止められている部分があるのかな、とは思います。例えば私の住む地方では、発達障害でも仕事に就いた子、仕事の合間に親御さんのお店の手伝いもするような働き者の子に対して、「あの子は支援クラスだった」とか「あの子が作ったものはねぇ」というような人もいます。地方ならではの民度の低さだと思います。また、近頃教室の体験にいらっしゃった成人の方は、律儀さを逆手に取られ、仕事をどんどん押し付けられていたそうです。そういう民度低い卑怯な理不尽さが「差別」とすり替えられてしまうのかな、と思うことです。

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yasu

我が家の経験の範囲内で言うと、Noですね。差別は無いです。
差別されている!と言っている人も見たことないですね。ちなみに、地域は東京です。

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ねてまて

していない、と思います。

間違った配慮で、逆に差別にあう可能性があるかもしれない、と思っています。

例えば職場で。
困った人がいて、友人(教育関係)にその人の話をしたところ、発達障害だと思う、と助言された知人がいます。
これってどうなんだろう、と思います。
そして、治らない、と言われる。

個人ではなく、障害でみられてしまうのは、どちらにとってもよくないのでは?と思います。

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はなこ

していないと思います。

配慮してくれる事はあっても、差別はしていないと思います。でも、配慮が行き過ぎて、誤学習させてしまう事はあるかもしれません。

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アルパカ

社会が差別をしていると感じたことは今のところないです。
むしろ発達界隈の医療や福祉畑の人達は、支援をするという名目で差別をしているなぁと感じたことはしばしば。勝手に予後を推測するし(しかも当たっていない)少しでも出来ないところがあれば「ほら特性だ!」と騒ぐ。その後出来るようになってもスルー。正直、診断名がついたそばから差別の沼に引きずり込まれるようでした。
社会の方がむしろ寛容ですし、特に仕事であれば特性云々よりもやるべきことをやってくれさえすればそれで良しとされる場面は多いのではと思います。

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久保田広人

してないと思います。必要と思われる箇所に配慮しますがそれ以上でもそれ以下でもありません。誰でも失敗はします。長い目で見ればいいだけの話です。

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ターサン

社会は差別していないと感じます。
でもたまにキョーレツな支援者に出会うと、療育手帳取った方がいいとかお金の話ばかりする人もいたりして、当事者を治すことよりお金が大事なのかと思いました。もう、発達凸凹の子供達を自分の食い扶持にしか見えてないのが丸見えです。

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シア

まず、ちょっと爆弾発言します。
何故、わざわざ当事者だとか、発達障害だとか、自閉症だからって、カミングアウトするんでしょうか。
それは、そういっておけば、コミュ障だからとか、変人だとか、そういうのを大目に見てもらえることを期待している。
私には、多くの自傷当事者を見てきたから、わかるんです。
これは、発達障害かそうではないかと言う次元の問題ではないですよ?
もし、コミュニケーションでまずっても、失敗しても、ああ、この人は発達障害だから、と「大目に見てもらえる」それを期待しているからこそ、わざわざマナスのイメージを相手に与えています。
これは、まず間違いない。
つまり、「差別された!」と言うのは、差別されたときに、発達障害のせいで差別された、という、言い訳をしたいに過ぎない。
だからこそ、差別された!と言いたがる人たちは、自分の過失を発達障害のせいにしている。
自分の落ち度を、発達障害に帰結している。
繰り返しますが、発達障害かどうかと言う次元ではない。
わざわざ、カミングアウトする人間には、そういう真の意図がある。
それを言いたかったのです。
「差別された!」は、差別されて当然のことをしておきながら、自分が発達障害だから、その特性を差別されたという論理のすり替え。
これだけ、理解していただければ私は結構。

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こより

発達障害で差別されたことがあるか、次男にも聞いてみました。発達障害だから、と言う差別は、何度かありますが、一般社会では受けたことがないです。

差別を受けたのは、主に「他の障害を持った当事者や当事者の親」からです。

ある支援学校の見学に行ったときですが、保護者から「発達障害の子は、ここに来ないで欲しい」と言われました。昔障害児のつどい、みたいな催しがあり、次男と行きましたが別に分けられていないのに障害名ごとに区分けができていました。主催者はそのつもりはないのでしょうが、変な空気でした。

「知能指数」「運動能力」「言葉があるか」などで自分の子どもや他の子どもを分類して、勝手に線を引く人は多いです。

出自や経済状況等で差別をするのは悪いと思っている人が、「うちの子はダウン症だから(自閉症の子どもとは違う)」「お宅のお子さんとは知的レベルが違うから(一緒にしないでほしい)」などの発言をしているのが不思議でした。

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浅見淳子

こよりさん、おはようございます。
「発達障害の子はここに来ないでほしい」って、思っていても言うのがすごいと思います。ということは、私たちが一般社会は別に差別していないよね~と思っているのに差別があると思い込んでいる人たちも、実は一般社会より他の障害の人に差別されていてそこを混同しているのかもしれませんね。一般社会は優しいですもんね。

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大久保 悠

時々、「社会が差別している」という言葉を耳にしますが、発信している人達も本当に差別されていると思っているのかな、と疑問に思うことがあります。

平成の30年間は、発達障害者の人達に関する法律ができ、予算も右肩上がりで増えていきました。
発達障害に対する認知も、理解も、一般の人達の中にも広がりを見せていると思います。
ですから、差別というよりも、社会は理解の方へと進んでいるはずです。
ジョブコーチをつけて、障害者枠を利用して、発達障害をもった人達を雇用しようとしている企業も増えてきています。

「差別だ」という人の中には、法律や予算など、さらに拡充を画策している人が便利な言葉として使っているような印象を受けることがあります。
「障害者」「差別」と言葉を並べれば、一般の人達、行政は否定しづらい。
でも、そう主張している人達の顔ぶれをみると、代弁者という名の支援者だったりする。
結局、「支援に予算を」=支援者の勢力拡大、地位向上が目的に見える。

そういった支援者の表向きの言葉を信じ、裏の意味まで想像できない人達が、「仕事がないのも」「自立した生活ができないのも」、社会が差別しているからだ、と理解し同調する。

あとは、親御さんの中にも、親族や地域の人達から「子育ての仕方が…」「しつけが…」「うちの家に、障害をもった人はいない」などという個人的な差別を受けた人がいて、その人達が一緒になって「差別だ」と言っている場合もあると思います。

「差別」という言葉を使って、勢力拡大を狙う支援者。
その言葉を、今の不遇な生活と結びつけている当事者。
差別的な眼差しを向けられた自分自身の過去とシンクロしてしまっている家族。

発達障害というだけで、機会や権利が奪われているのなら差別だといえますが、それは確実に減ってきていると思います。
むしろ、発達障害であるがゆえに、一般の人達が我慢し、逆差別だと思われるような事態も多々あるのではないでしょうか。

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浅見淳子

大久保さん

これだけ花風社クラスタの人たちが「差別はない」と言ってるのに「差別ガー」の一群がいる。
それはおっしゃる通り予算を増やしたいギョーカイと実は嫌われてるにすぎないのにそれを差別とすり替えてる人たちのつまんないマリアージュでしょう。
我々が置き去りにすべき人たちですな。
オペレーション置き去り、続行しましょう。

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大久保 悠

嫌われている人をきちんと嫌うのも大事な援助ですね。

嫌われるようなことをしているのに、支援者が「差別」という言葉を用いて、その場しのぎをする。
結果的に、嫌われる原因は直らず、本人は「差別だ」と他罰的になる。
周囲にいる人間は、ますます疎ましく思い、嫌う。
以降、無限ループ。

こういった人達の主張は、いつになっても受け入れられないと思いますし、個人的にも関わるのはごめんです。
私達は、治したい人、社会の中で自分の資質を開花させて生きていきたい人と共に!

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浅見淳子

母と夫と出かけてきて帰ってきたらコメントが。
アルパカさん、どんぐりさん、ありがとうございます。

結局ツイッターで花風社クラスタが盛り上がっていたところに、頼んでもいないのに考えの違う人たちがケチつけにやってきて、本も読もうとしないで騒ぎ立てて、その中にはなぜか謎に威張っている医療従事者を名乗る人匿名の人たちがいて、あまりに威張るのできっと医療だの公務員だのがえらいと見なされている田舎出身なんだろうなあ、と思ったらそのとおりだったというオチですね。ついでに言えば医療界でも底辺層で本を出す希望はあんまりない人たち。匿名は訴訟よけではなく小物隠しだった。神田橋藤川クラスしかいらない私たちには最初からアウトオブ眼中なレベルの人たち。

今朝ふいに思い出したんですけど、かつてつきあいのあった大物出版翻訳家(故人)にこう言われたことがあります。彼は沖縄出身で交換留学みたいなので北大を出て、珍しい地方大学出身者だったんだけど、あるときこう言ったんです。「地方にいるときは出版社なんて抽象的な存在でしかなかった」。
そうなのかあ、と思いました。

それから彼は東京に出てきて一家をなし、出版界に入っていったわけですが。
メールもない時代だったから、あの頃は東京に出てくることが必須だったかもしれない。

まあともかく、田舎者で医療が威張っていいという誤解をしていて、しかも仕事の種類を知らなくて本を出したこともなければ今後その可能性も低そうだとなると、出版社なんてますます抽象的な存在で、私のやっていることも理解が及ばなかったんだろうな、と思います。

彼らがあくまで花風社の本を読まないでけなすのも色々言い訳していたけど、結局キャパがないんだということがわかりましたしね。だって学力ないんだから、自分の専門性をアップデートするだけで脳みそ使い果たしちゃうでしょ。体調もそんなによくないみたいだし。

そもそも私たちが求めている神田橋藤川クラスってどういうことかというと、治すことを目的に自分で道を切り開いてきたレベルの先生ですよね。えらい人の書いた教科書から一歩も離れられないような小物はいらない。あ、そういえば「立場上応援できないけど応援している」という謎のSTも現れたけど、「医療って生きづらそうだな」と思わされただけでしたね。

と、ここまではおとといの段階でわかったてたんですが、昨日大久保さんのブログを読んで思いついたこと。それは

ああ、この人たちがいる世界とはきっぱり離れないと発達障害の人は才能なんか発揮できないな。

ということ。

つまりもっと簡単に言えば

こういう地方出身者メンタリティの中では伸びる人も伸びない

ということです。
そういう意味で彼らが「治らない」というのは正しいかもしれない。
あのメンタリティの人々に囲まれていては治るものも治らない。

ヒエラルキーがあり、抜け駆けを許さず、という地方出身者固有のメンタリティもそうだけど
こういう田舎者たちが決定的に社会で活躍したい発達障害の人と相性が悪いのは

仕事の種類を知らない

っていうことですね。
逆に知らないから医療医療と威張る。
世の中にたくさんの種類の仕事があって、その中には自分たちよりずっと影響力のある仕事もあると実感していないから威張れるだけ。

私が「発達障害の人は変人枠でいいんじゃない」と言うとその「変人枠」さえ卑屈に取る人がいるけど、私自身変人枠です。仕事もそうだし、飛行機に乗って一人で奄美に海水浴に行く56歳女子なんてそんなに探してもいないと思いませんか。

でも私はそうやってふらっと出かけられる自由が大好きなんだけれどもね。
そして私は、20代の頃からそういう働き方を目指してきたんですよ。
なぜか?
そういうモデルが出版の世界にはいたからです。
「ああ、50代になったら時間自由になりたいな」とそこを目標にしつつ、24時間働けますか的な20代を過ごしたのです。
どっかの病院にコメディカルとして勤務していたら、そういう発想は夢にもしないかもしれないけれど、20代の私の前にはそういうオプションがきちんとあったしモデルもいたんです。

かつて横浜駅西口徒歩五分のマンションに暮らしていたときは、本当に多様な人がいました。
同性のカップル。
外国人。
ベルベットのスーツ着て出勤していく中年男性。
二部屋所有して一部屋は事務所にしている人。
今住んでいるところも多国籍だし同性のカップルもいます。

そして

みんな何やっているかわからないけど、誰一人食いっぱぐれていない。
物価の高い大都会で、地方ならアパート借りられそうな駐車場代まで払って暮らしている。
お互い干渉しないけど、災害のときには力を合わせる。

私はそういう中で暮らしてきたから、発達障害の人が「どっかにひっかかるだろう」という思いを持っている。
だって世の中には、私の全く知らない仕事、説明されても私には全く理解できない仕事もある。
そしてそれで暮らしていっている人たちがいる。
だから発達障害の人だって何か道を見つければ、何かやってくらしていけるだろう、と考えています。

でもそのために必要なのは何か?
最低限の身体機能。そしてなるべくなら健康な方がいいですね。
そういうことです。

ところがギョーカイの大半はそういう世界を知らないんじゃないかなあ。
医療が、公務員が、唯一の成功モデルみたいな地方に育ち、同じ大学の同じ教育学部を出た人たちが教員採用試験を争い

みたいな環境では、「あなたはこの程度」みたいなラベリングが行き交うのではないかなあ。
それで発達障害の人の未来も消化試合にしてしまうのではないかなあ、とか思いました。

あと「治りたいけど、うちなんかが治りたいと言ったらもっと軽い人にどう思われるか」とかいう心配する人もいるそうです。
なんか見張り合いすごいんだな~と思います。
もっと個人主義になればラクになるのにな。
そしてこれだけ親が周囲の顔色を伺っていては、治るものも治らないでしょうね。
花風社クラスタはその点個人主義でいいですね。

ではでは。

返信する
どんぐり

今朝、デイリー新潮のこの記事を読み地方の一部はかなり大変だと思いました。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01040558/?all=1&page=1

でもこの記事で夫の転勤で九州に住んでいた頃、初対面の方から「高校どこ?」と聞かれて面食らったことを思い出しました。

私が住んでいたエリアは大学の進学率が低く、通っていた高校のレベルでその人を図るそうで転勤族にしてみたらホントバカバカしい話。

ネットがあればと浅見社長が仰ってますが、アメリカとかだとトレーラーハウスみたいなので国内をまわって仕事が終わったら友だちに会うために移動して帰る人もいるとか。
例)フリーランスの看護師とか。
https://mobile.twitter.com/hashtag/タイニーハウス

まあ日本国内ではここまで自由にはいきませんが、もしどうしても暮らしづらければ別の土地に行こうかとか考えられたらそれだけでも深呼吸できますね。

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浅見淳子

おはようございます。

横浜は今のところ快晴です。昨日の夜は大雨降りましたが。
台風の通り道の皆様、お気を付けください(含自分)。

本日はメッセージおやすみのつもりだったのですが
昨日の大久保さん@てらっこ塾のブログを受けて、大事なことだから書いておこうかなと思いました。

http://terakkojyuku.blogspot.com/2019/07/blog-post_26.html

アンチが読んでいたら確実に炎上ネタですが、ここは花風社クラスタの場所。遠慮なく書きます。といってもこの話題は花風社クラスタの一部の方も一瞬不快にさせるかもしれません。できれば最後まで読んでくださいね。長いけど。

ある人が先日私に「浅見さんが嫌っているギョーカイって要するに地方出身者メンタリティですよね」と指摘してくれました。そうなのか~と再確認。えらい人の言うことが絶対で、抜け駆けは許されなくて見張り合っている。それが共通しているということらしいです。そして何十年も前の決まり文句から一歩も抜けられない。「生まれつきだから一生治りません」とか。そしてその決まり文句を共有しない人を責める。医療に携わっているだけでやたら威張る。

そのいずれもが神奈川と東京の文化圏しか知らずに育った私には無縁だったものです。そして在京の大学に進み、出版界に入ると、そこには様々な地方から集まったにせよ在京の大学を出た人しかいませんでした。そして一都三県に日本人の三分の一がいることを思うと、おそらく相当数「一都三県のローカル感覚」でしか動いてこなかった。それが発達障害を始める前までの私です。

発達障害の仕事をやるようになって地方の文化と接し、公務員がえらいことを知ったときにはびっくり仰天しました。教育界とかかわるようになり、だいたい教師たちがその県の名前のついた大学の教育学部を出ている人であることにも驚愕しました。あまりに一律的。ちなみに、出版界では逆に県の名前のついた公立大学の出身者に出会ったことはありませんでした。早慶上智にICUが多かったですね。翻訳出版周辺は。逆に愛知の人に「上智大学」とか言っても知らなくて、「南山大学の姉妹校」とか言うと通じたりする。

これは違う文化だな、と思いました。そして地方の人たちは、ある種のヒエラルキー構造を前提としていて、それを全く理解していない自分に気づきました。公務員が富裕層、もそうです。私の育った文化圏ではどっちかというと公務員は地味な暮らしをしている人たち。それだけ都会には公務員より給与のいい大企業があるということなんですね、今考えてみると。そして医者がえらい、もびっくり仰天。どうしてえらいかというと、要するに頭のいい子の成功モデルに乏しいかららしい。これは都会で育った人間には考えもつかないことです。頭がいいのなら医者を目指してもいいし他の職業を目指してもいい。他の職業をめざして医者より稼ぐ人なんていくらでもいる。それが常識とされている中で育った私にとって「医者だからえらい」は考えもつかないことでした。医者がえらいとしたら治すからです。人々を癒やすからです。それをしようともせず匿名でケチつけてくる医者はきっと医者はえらいえらいと褒め称えられている地方出身者なんだろうなあ、と思ったら実名が転がり込んでくるたびそれを確認している次第です。繰り返しましょう。私たちに必要な医療は神田橋藤川クラスだけ。それ以下の医療従事者のおせっかいは無用です。

と、ここまでしか読まなければ単なる地方disかもしれません。でもここで、大久保さんのブログを読み直してほしいのです。

私の中で、「地方の自立」と「障害者の自立」はリンクしています。だからせめて西日本のトップである大阪くらい自立すれば、ということで関東人にもかかわらず熱心に大阪都構想を応援してきました。公務員が特権階級とみなされ世襲されている。東京の人間に言ったら笑います。それを大都市であるにもかかわらずやっているとしたら大阪は情けなすぎる。それだけ産業が育っていない証拠。ならば育てればよい。

そして大阪ですらこれですから、その他の地域にとって、国・自治体からの給付が出る障害者ビジネスは手堅いのです。障害者は増えた方がいい。それが地方の現実です。治さない医療、伸ばさない療育、アリバイ的特別支援教育で障害者に自立を教えず、飼い殺しの成人支援に送り込む。雇用の少ない地域、産業の少ない地域にはそれが大きな福祉産業側のメリットになっているのです。だからこそ大久保さんの見たように、立派な箱物ができあがるのですね。障害者に依存しなければ糊口をしのげない人が多いのが地方の現実。

私は地方もそういう現実から抜け出して、それぞれ自分の足で立つ社会が理想だと思います。でもそれが今のところかなわないのなら、せめて地方にいる皆さんは、そういう構造に自分が置かれていると自覚してほしいのです。自覚していたら、そこに身を任せるのも一択。そしてそこから抜け出したいのなら、抜け出す方法も模索するでしょうから。そしてそれを、花風社は提供していきたいと思っているのです。私も今は、九州にも、いや沖縄にも、北海道にも仲間がいます。私は発達の仕事を始めるまで、首都圏しか知らず、旅行は海外に行っていました。でも今はプライベートでも日本列島を北から南まで旅しています。最初は仕事で読んでいただいた北や南。でも自分のお財布を開いても行きたいくらい大好きになったのです。

だから日本中の人にめんどりになってほしくないのですね。
こんなに世界は広いのだから。

けれどもこれから産業構造も変わり、ギョーカイも安穏としていられないはずです。少し給付体制が変われば、がらっと崩れるのが給付ビジネスなのです。

一方でウェブが地方格差をなくしていくかもしれません。実際にここに集う人たちは全世界どこからでも日本語が読めれば治るための情報を得ることができます。

シアさんが模型を作って売る。みるさんがこねプロを手がける。それはウェブがあるから可能で、そして作業所に何年通っても得られない実体験なのです。自分でお金のやりとりをしている。

私はこういう仕事もありだと思う。
そしてみんなできることをやりながら、なんとかみんなに自力で食べていってもらいたい。
そのためにはベーシックインカムも必要だと思う。

財源?

ギョーカイ潰そうよ。
ギョーカイにムダに行って箱物や支援なんかしていない穀潰し系支援者の人件費になっている金を障害者本人に給付しよう。
そして失業した支援者たちはやはりベーシックインカムもらいながらもっと本当に役に立つ仕事をすればよい。他人の人生を脆弱にすることで食べるのはやめて。

飼い殺ししかしない就労支援に一日8000円給付するのなら通っている人に配った方がよくないですか? その方が障害のある人が自由に使えますよね、お金。

それが私の「ギョーカイを潰す」という思想です。

詳しくは
『発達障害、治るが勝ち!』を読んでくださいね。
kindle版もありますよ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07F2MJ8K2

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秋田のコンディショニング講座もよろしく!

9/8(日)の秋田県大館市の講座は以下より!!東北では今年最後の浅見さん&栗本さんのコンディショニング講座!特に北東北の皆さん、この機会を逃すと次、浅見さん&栗本さんの講座を聞ける機会はなかなかないはず。今がチャンスですよ!!
https://naosouhattatushogai.com/all/conference-room/322/comment-page-3/#comment-1029

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ではでは。

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アルパカ

まさに地方在住なので地方出身者メンタリティについては未だ生活の中で実感することが少なくないです。かく言う私もかつては地方出身者メンタリティそのものでした。それが社会に出てたまたま入った会社が比較的大きな組織で、そこで首都圏の文化に触れる機会があり、また仕事上自分が住むエリアを俯瞰して分析する機会があり、やっと脱することが出来たなぁと思います。当時は必死にもがいていた記憶しかありませんが、今となってはそんな機会を与えてくれた会社や仕事に感謝しています。
地方にずっと在住し、そのまま進学し、地場産業などに従事していたらなかなか気づくことは難しいでしょう。だからこそ人一倍アンテナを張る必要があるし、慣習にとらわれず主体的に行動できるかが個々人の人生を左右するのだろうと思います。
そして我が街にも贅沢に土地を使った立派な()療育施設があります。この地域で診断されたもしくはグレーゾーンのお子さん達はもれなくその療育施設に送り込まれるのですが、我が家は敢えて地方ならではの自然を活かしたどろんこ園のお世話になりました。おかげで我が子の感覚過敏や偏食、こだわりなどは激減し、その後花風社の身体アプローチに出会い、いまや激減どころかゼロになったという事実があります。

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