「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

雑談のお部屋

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2,972 COMMENTS

ヨヨ子

感染症の話を聞くたびに一番長く通っていた就労支援センターを思い出します。

そこはホームページに書いてある定員の倍近くの利用者が通っており(厳密にいうと毎日来る人は定員の約1.5倍、タイムカードの数が約2倍)、簡易ベットの前に職員が机を置いている、ホームページで見たよりも机が多い(おそらく途中から入れたのでしょう)、、、という人多過ぎ室内ギュウギュウなセンターでした。

しかもトイレが1つしかなくセンターが駅近くにあるので、トイレが長蛇の列な時は駅のトイレや駅の近くのコンビニのトイレ(つまり他県や他市から来た人が使ったトイレ)を利用しなければなりませんでした。

その上開所時間よりも30分以上前に着くと追い返されるので、「10時までに目的地に着くように訓練したって就労訓練にはならないだろう。9時にセンターにつくように家を出よう」と思い早めに来ることにしていた私は入れてもらえる時間まで駅前をウロウロ。

通っていたのが2020年2月末の今だったら不安だったろうなあと思います。

支援員の人達も、雪の降る日に半袖ハーフパンツでいらっしゃる男性利用者に対して何も言わない人達(ぶったまげて唖然としてるならまだ分かるけど、その利用者を見て顔を見合わせて笑顔と驚きを足して2で割ったような顔をしていた)でしたから。

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智ママ

毎年、スギ花粉が飛び始めると、一日中くしゃみが出て、鼻水が止まらず、目が取り外したいほど痒くなるレベルの花粉症に悩まされてきましたが、今年は少し目が痒いだけで、鼻水もくしゃみも出ないことに気づきました。

昨年と変わったことといえば、毎日マルチビタミン・マルチミネラルのサプリを、親もそれぞれ二日分ずつ一日に摂っていたこと、今年は朝、バタバタしている日が多くて、手や顔に日焼け止めを塗れなかった日がほとんど(保湿とメイクはしていました)だったことです。
そのまま片道15分の息子の送り迎えに出ていました。

調べてみると、ビタミンDが合成できているまたは摂取できていると、花粉症の症状は収まりやすいとか。
今、サプリメントからのビタミンD摂取量は10マイクログラムなので、秋から冬の間ずっと、日焼け止めを手や顔に塗れていなかったことが、かえって良かったようです。

抗アレルギー薬を飲まなくて済むので、身体がだいぶ楽になり、喜んでいます。

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XIA

PM2.5とか、花粉とか、ハウズダストやアレルギー物質は、「粒子」だそうです。
粒子は、水分とくっつくので、湿度が高いところでは飛散しませんね。
これを利用して、水があったり、滝があったりするところのそばでは、あまり粒子が飛びません。
肺にも悪い影響が少ないのではないでしょうか。
私も最近過失をしますが、簡単な方法では霧吹きで部屋に水をシュッシュッと撒くと、いいみたいです。
呼吸器系の弱い人は試してみてください。

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XIA

最近は、いろんな刺激を与えるといいと思っていて、身体に刺激を与えると、それが精神にも影響すると考えます。
最初、青竹ふみをしていて、足の裏が気持ちいいことに気づき、はだしになって床・地面の感触を確かめたりすることも効果があると実感しています。
だいいち、気持ちいいですからね。
気分も良くなるし、悪いことではないはずです。
手で砂を触ったり、土の感触を確かめたりするのもそうだし、公園に行ったら、せっかくなので速しのある所で深呼吸すると、なんだか花粉も寄せ付けない感じがします。

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桃花

お返事をくださった皆様

たくさんの方からお返事をいただき、ありがとうございました。
前回の文章は自分の混乱が表れてしまい、内容を反省していましたので、皆様から温かなお言葉をいただき、励まされました。
診断への受け止めについては、浅見さんがおっしゃられたように、「診断から降りる」ことが選択肢としてあるなら、それを選びたいと思います。そのためには、いくつもの段階を経ていくことになると思いますが、それを目標にすることで、少しずつ今できることも見えてくるのではないかと思います。
「自分がどうしたいのかがわからない」ということが、行動のぶれになっているのだと感じていますが、「診断から降りたい」ということは、ひとつわかっていることなので、まず、自分が動けるところから動いていきたいと思います。
今後も花風社の本や、このホームページを通じて、皆様と発達障害について考えていきたいと思っています。よろしくお願いします。

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智ママ

多発奇形の息子が通う療育園でも、年度末まではトイレットトレーニングがうまくいっている3歳児さん4歳児さんが、次の学年になって担任の先生が変わると、おもらしがまた始まる←『崩れる』、のが、毎年恒例らしいです。

4歳から5歳になるときに、うちの息子もトイレットトレーニングはうまくいったけれど、どうなのだろう??おもらし生活に戻るのかしら?
と思っていたら、全く無事にトイレットトレーニングは成功し続けました。
身体的アプローチと栄養療法での進歩は、退行することがないようです。

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桃花

いろいろな疑問や思いがぐるぐると渦を巻いている感じなので、また少し気持ちを書かせていただきたいと思います。
先月、支援機関での就労準備期間が終了し、就職に向けて動いていこうとしていますが、自分の気持ち・状態が全く着いてきていません。まず、気持ちの面での問題が大きいです。診断を受けてから5年ほど経ちますが、未だに自分が「自閉スペクトラム」と診断されていることが受け入れがたく、人にその診断名を知られることにも抵抗があります。就労へ向けて、障害を明らかにするのか伏せておくのかについてもどちらが自分にとっていいのか、まったく判断がつきません。
昨日、障害者を対象とした合同面接会に参加しましたが、その面接の際、やはり障害名を言うことに対しての抵抗がありました。自分の不調について伝えられる・知っておいてもらえることは、働く上での安心感につながるとは思いますが、自分自身が「障害」ということを全く受け止められないでいる中で、他社に障害名を伝えるということは、とてもハードルが高いです。昨日の面接で、自分自身が様々な点で、全くの準備不足であることを痛感しました。
現在、どこか通える場所を見付けるために、地域活動センターの見学に行ったりもしていますが、やはり障害名を通して見られることへの苦しさが付いて回る感じです。こうしたつまずきの連続の中で感じることは、診断されたこと・障害名が付いたことは自分のメリットになっているのかという疑問です。「障害名が付くことで支援が受けられる」ということをよく言われます。診断名が付くことで本人の生きやすさにつながるのであれば、それは意味があると思います。でも、私の場合、診断されたことで、どんどん自分の辛さが増し、追い込まれていっています。病院は診断をするだけで放り出し、支援機関は「社会に適応」させようとして、私自身の在り方を否定してくるといった感じで、ますます行き場のない思いを抱えています。
なぜもっと診断するということに慎重な姿勢がないのだろうかと思います。診断されることが本人にどれほど大きな影響を及ぼすかということが全く配慮されていないように感じます。
そして、発達障害は意図的に作られている側面がないのだろうかという疑問が常にあります。私が診断に至ったのは、職場での人間関係にストレスを感じやすく、それが心身の不調につながってくることなどをハローワークの相談窓口で相談したことがきっかけでした。何度か相談に通う内に「発達障害」という言葉が出てきて、「なんだか自分がそういうレールに乗せられてしまいそうになっている」という感覚はありました。その後、受診の流れになり、診断を受けるに至りました。診断は非常にショックでしたが、その診断というのが短時間の問診と心理検査によってのみ出されたもので、医師も「医療は何もできないから支援機関の支援を受けた方がいい」という態度で、何重にも衝撃と不信感が重なった感じでした。
診断を受けた病院は常に混んでいて、診断書をもらいに来る人も多いようで、何だか診断書を書くことがビジネスになっているような感じを受けました。そんな光景からも、発達障害は意図的に作られている側面はないのだろうか、と感じてしまいます。
長くなりすみません。とりとめのない内容になってしまいました。

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浅見淳子

桃花さん

自分がしっくりこない診断からは降りてよいと思いますよ。
そして診断と関係なく、自分が世の中に出ていくのに足りないと思えるところを埋めていけばいいと思うのです。

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XIA

こんにちは。
私も、社長と同じように思います。
ただ一点。
もし、診断を信じないとしても、次に何か躓いたときに(大なり小なり躓きは誰でもあります。)この診断のことを思い出して、悶々とするかもしれません。
私が感じたところでは、「医師からの説明不足」も大きいだろうし、検査だって、かなり簡素なものだと言う実感がご自身でおありですよね。
だから、私としては白黒しっかりつけた方がいいと思います。
この際、時間の許す間に、検査とかをしっかり受けるのと同時に、自分には本当に当てはまるのか・当てはまっていないのかは、答えを出すに早いということもないと考えられます。

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XIA

それからもう一点。
セカンドオピニオンを受けられるなら、その際「私は自分の診断を疑っている。」と言う旨は先方に伝えた方がいいです。

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XIA

どちらにせよ、医療機関への不信が、診断名や医師の対応も含めて、これだけ膨らんでいたら、通ってもいいことはないと断言できる水準ではないでしょうか。
本当に、一旦場を変えた方がいいです。
まずは体勢を立て直すために、大きなところにかかっても、数か月待ちということはありますから、その間どこかに旅行に行かれたりしてみては?

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みる

桃花さん。

初めまして。
みるです。支援学校卒業後、アットマーク国際高校というサポート校(通信制高校)に通っており、この春に3年生へ進級する者です。
この度はどうぞよろしくお願いいたします。

支援機関を利用する事へのメリット・デメリット等は他の方の説明にお任せするとして、当方が養生をしていく上で、社会参加をする上で役に立った事をお知らせします。

実は当方が社会参加する上で役に立ったもの・場所はいくつかありますが、いずれも、発達障害や心の病気の支援と全く関係ない場所でした。

心の養生も、自分の場合ですけど、精神科的な治療、支援よりも、趣味を見つけたり趣味について語れる仲間をつくる方が役に立ちましたね。
趣味で繋がった人は、病気や障害と全く関係ない人ですが、今でも付き合いがある友人もいます。

あまり発達障害や心の病気にこだわらなくても、社会に居場所はあると思います。もちろん、そうしていくには今よりもっと治ろうという機運は捨てない事が大事だと浅見さんや治った先輩方から教わり、自分も先輩方のような大人を目指して修行中です。

この春から高校と並行しながら職業訓練校に通います。そこは発達障害・心の病とは関係のない学校ですが、自分が今目指している方向性と一致したため通う事に決めました。

桃花さんの質問とは少し違う方向性の答えとなってしまいましたが、桃花さんにとって素敵な選択肢が見つかります事を応援しております。

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みる

桃花さん

みるです。連続で失礼いたします。

自分も他の方々と同じ意見です。
支援機関の人は心配しすぎて、桃花さんのできない部分ばかり見ていますね。
自分もそういう人たちと付き合っていた経験がありましたが、何ひとつ、いい事はありませんでした。
そういう人達の言うことはアテにならない事の方が多いので、信じなくて大丈夫です。

浅見さんなどの社会の先輩方、Xiaさん・ブルーさん・味噌ぴさん・たらこさんなどお子さんや当事者の治った先輩方の方が働いていく上でずっと参考になると自分は思います。
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病気・障害の枠でなくても、働く場所はたくさんあると思います。

桃花さんなら大丈夫です。
失敗しても諦めずに何度でも挑戦すればきっと道は開けます。
応援してます。

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RIRINA

桃花さん

私も診断名に縛られなくて良いと思います。
医療と福祉を利用したくなければ利用しなくて良いのです。
大事なのは、今あなたがどうしたいか?
そして、将来どんな自分になっていたいか?
だと思います。
なりたい自分になるにはどうしたら良いか?という視点で情報収集して実践すれば、医療も福祉も必須ではないのです。

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ヨヨ子

桃花さん。はじめまして。
私も桃花さんと似たような境遇になったことがあります。
障害名が不利になると感じたら、障害名をオープンにしないといけない世界にいる必要はないと思います。
病は気からという言葉があるように、心に何かが引っかかっていると何かしようとしてもうまくいかないことが多いですし、今現在抱えているグルグルモヤモヤが精神を蝕んでしまうかもしれませんから。
私は就労移行支援センターに疑問を抱きながらも頑張って通っていました。しかし体が悲鳴を上げてしまいました。危うく再入院するところでした。体調不良ではありません。センターへの不信感やセンターの強いてレールから出るに出られなくなったからです。

また私は何人もの医師に診てもらったことがありますが、誰からも支援を受けた方がいいとは言われませんでしたよ。
それどころか就労移行支援が向かない人もいると言われたことすらあります。就労移行支援センターに通うと将棋でジワジワと追い詰められるようにだんだん具合が悪くなっていく人もいると言われたこともあります。
お医者さんも色々です。

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XIA

私の歩みがわかる資料が結構あります。
下の名前で「ひろあき」君と書いてありますが、いろんな字がありますし、苗字がわからないので、そのまま載せます。
「特性」(特徴)がわかりやすいです。
やっぱり、(療育)園の先生は、ちゃんとしている人はしていますね。

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XIA

一年後の記録です。
いろいろ遅れたところ、変わったところがあっても、(療育)園の人は、みんな一生懸命でしたね。
とにかく、「頑張ること」は結構まじめに教えられ、信じられていました時代だったと思いますね。

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XIA

こんばんは。
外に出られるように治ってきて、いろいろ楽しみが増えました。
散歩もそうです。
季節を感じますね。
空気も違うようです。
天体観測などに興味を持ち、簡単な星座(オリオン座)などを、外で観ることもできると知りました。
皆さんから刺激を受けて、調理をしたりもします。
なかなか奥が深いと思いますね。
今まで続けてきた、ドローンとか、切り絵とか、ロードバイクとか、カメラとか、(もちろん模型も)広い世間から刺激を得て、いろいろ気づきがあったりします。
発達障害なども、「治そう」と言う発想を取り入れると、今までの自分の認識に、いろいろ新しい考察も加わり、楽しいですね。

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みる

【愛の手帳や療育手帳を持つ人達といっしょに勉強して思った事(前篇)】

みるです。アットマーク国際高校品川学習センター2年生です。この度はいつもお世話になっております。
花風社さんに先日メッセージをお送りいたしました所、此方に書くように薦められましたので編纂して掲載させていただきます。

「知的障害は治りますか?」が届きまして早速少し読ませていただきました。
知的障害の支援級や支援学校に在籍し、実際に療育手帳を持っている子たち、先輩方と学んできました。その中には、高校や専門学校に進学をしたい人達も確かにいました。しかし、

「知的障害があるから無理」
と早々に諦める方向に持っていかれる事が本当に多かったですね。

そして、その中でも普通高校に進学した後輩が何人かいました。当時の支援級の先生が知的障害があっても普通高校に進学させたいという方針だったというのも大きかったですけど、療育手帳があっても普通高校に進学できた人達は、週5日授業に参加出来て、小学校高学年の勉強が理解出来て、挨拶が出来て、敬語が使える、そして支援級にいながら部活に参加していた子でした。

自分の住んでいる地域は支援級在籍であれば中学校の部活は参加する・しないは自由ですが、通常級の人は部活の加入は義務で、全員何かしらの部活動に所属しています。

支援級から普通高校に進学した人達は、運動部、文化部でも吹奏楽部や合唱部などといった上下関係があって集団行動が多い部活に所属していました。なのでどんな活動をしていたかもそうですけど、それ以上に、上意下達を守れて学年が下のうちは雑用と先輩方への気配りは率先して行い、リーダーシップを取れる事が重視されている印象を受けました。
実際に支援級に所属していた人達も、先輩方には気を配っていましたし、性格が明るい子は後輩の面倒を見ていました。

知的障害があるから、支援級や特別支援学校にいたことがあるから、一生働けないわけではない。
努力次第でどうにでもなる事は、支援級や支援学校在籍歴がある人、就労支援在籍歴がある人でも同じです。
自分も重度障害で支援学校卒ですが、まさか今になって普通高校に行けるようになれるとは思っていませんでした。10年前は一生精神病院と施設を往復する生活を送るものだと思っておりました。
藤家さんのような大人になりたいと藤家さんはじめ治った先輩方の背中を負い続け、今の自分があります。先輩方が治る道を築き上げてきたため今の自分があります。そしてこれからも先輩方のような大人を目指し頑張ってまいります。

この他にも花風社さんにお送りしたメッセージを通じていくつか思い出したことがあります。
続きにつきましてはまた来週こちらに書かせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。

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yoyoyo

新刊と一緒に送っていただいた自閉っ子通信vol.12の感想を。

治ったらいいな
治らないのかな
治りたい/治したいな
どうすれば治るのかな

を追求してきた浅見さんと著者の皆さんのこれまでの経緯がギュッと凝縮されていますね。
花風社さんの本を最近知った方、どんな出版社か気になっている方、何から読んだらよいか迷っている方にとって非常に参考になると思いました。

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浅見淳子

yoyoyoさん、ありがとうございます。
本当に、ただただ治ってほしいだけでやってきたのですよね。
今度の自閉っ子通信は15年の集大成だなあと思います。

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浅見淳子

おはようございます。

昨日愛甲さんからこのメールが送られてきました。
おそらくたかすぎさんの書き込み等をごらんになってのことだと思いますのでここに貼っておきます。
これは愛甲さんのお考えです。
浅見の考えではありません。
愛甲さんが直接書き込みなさらないので代理で貼らせていただきます。

=====

小学校低学年の時に特別支援学級や特別支援学校を回避して、10歳頃になって通常学級の諸々についていけなくなってからイヤイヤ特別支援教育に移行するお子さんに時々出会います。
彼らはその時にはすでに劣等感のかたまりになっていて、「自分は何もできない役立たずの人間だ」と勘違いしていることが多いです。
私の考えとしましては、個々に合った特別支援教育を受けることは、自己肯定感を育むことや愛着形成を促進すること、社会性を身につけることにつながり、未来への希望へとつながっていきやすいと感じています。
特別支援学校は複数担任制ですので、ひとりひとりのお子さんにしっかり向き合う人員的余裕があります。
最近の特別支援学校の教員には教員免許の他に特別支援教育の専門資格が必要とされていますし、安心してお子さんと親御さんが共に成長し合える力になってくれると思います。
特別支援学校を忌避するのは間違いです。
現在は、特別支援学校高等部の就職率が100%ということで入試倍率が高くなっていますし、大学に特別支援学校卒の学生さんが入学してくることも珍しくなくなりました。

日本のspecial educationは、インクルーシブ教育を理想としながらも、実際は分離教育です。
単一民族の国であって日本語を誰もが話せると想定されていることや「ふつう」「みんな等しく」といった価値観が、障害のある人たちを分離し特別扱いしてしまう主な要因になっているように感じます。
たとえばニュージーランドでは、マオリとのインクルーシブ教育が行われるようになったことで、通常学級でのspecial education
が実現したと聞いています。
本来は自宅近くの小中学校で障害の有無に関係なく誰もが教育を受けられるのが理想なわけですが、30~40人の児童に対し、教師が一人の体制ではspecial
needs に対応できないのも当然といえば当然です。
私はこれまで人間的にすぐれていて、教師や保護者との関係も良好で、力量のある教師何人かに出会ったことがあります。そのような方々が担任であれば、たとえ40人近い子どもがいたとしても、障害のあるお子さんが自己肯定感を育みながらクラスの中でしっかり成長していくことができています。

広島県教育委員会の平川理恵教育長が
子供たち一人一人の学習進度や能力・関心等に応じた学びを実現するため,「児童生徒の個別の状況に応じたカリキュラム」の研究を進めていますが、彼女のような人が教育長になっていくことで、日本の教育界は良い方向に変わっていくのではないかと期待しています。

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たかすぎ

浅見社長
お忙しい中、愛甲先生からのメールをご紹介くださり、ありがとうございます。
ただ、気になっていたのは、「特別支援学校高等部の就職率が100%」というのは、「高等」特別支援学校のことでしょうか。
一般の特別支援学校(知的)の場合、統計は古いですが、平成24年卒業生の内訳をみると、就職が28.4%と低く、66.7%が社会福祉施設入所・通所者となっていますし、一般社会では「高卒」とみなされないため、就職先も限られたものにならざるをえないため、非常に心苦しいところです。一生懸命育てた結果が「社会福祉施設」では、何のために育てたのか、と思うと、目も当てられません。https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/zenbun/h1_01_03_02.html
現実を見ろ、と言われれば、それまでかもしれませんが、まだ心のもやもやが取れません。
ご気分を害されたのであれば、申し訳ございません。
愛甲先生に御礼方よろしく伝えてくだされば幸いです。
ありがとうございました。

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たかすぎ

浅見社長
ありがとうございます。親として息子の一生を左右する重大な決断であり、さらに情報をかき集めながら慎重に心身を整えながら、検討しているところです。ありがとうございました。

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智ママ

『知的障害は治りますか?』を読んでいます。

ツイートで得られた情報が初めての栄養療法で、身体的アプローチであり、あとは本を傍らにおいての手探りでの実践でしたが、この本を読み進めていくうちに、知らず知らずのうちに、いつのまにか息子と一緒にいろいろな遊びをしていることに気づかされました。
遊んでいるときにいつも一緒にいるわけではありませんが、一人遊びの最中に、「◯◯してるの?」「面白いね」と、たまに、遊びの邪魔にならない程度に、共感的な声かけをしていたのがよかったようです。

1年ちょっとの栄養療法と、3年近くの長い身体的アプローチだけでここまで来た。と思っていましたが、知らない間に息子と関係を結びながら、二人遊びをしていたようです。自分の周囲を見回してみて、なぜ、うちの息子だけが著しい伸びを示すことができたのかは、まだ謎ですが、それでも「息子が、他の人の希望になるならそれでいいか」と思って、のんびりかまえています。

手探りでの必死になっての子育てをしていたときより、気持ちにゆとりをもって、周りが見えてくるぐらいのゆとりがあるときの子育てのほうが、息子の伸びが著しいので、この本を参考に、まだ実践できていない関わり方を試しながら、また実行していこうと思います。

愛甲先生の柔らかいけれど芯のある文体に、なぜか読んでいて自分もぽわわわん、としてしまった、不思議な本でした。

息子のことが載っているページに出会ったときは「うちの息子が、この本に載っていいのかなあ???」と思いましたが、浅見社長と愛甲先生からお話に上るだけのことなのなら、そうなのだろうか?と半分、自問自答してしまったことでした。

これからも知的障害が軽くなるように育てていこうと思います。
この本との出会いを、ありがとうございました。

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ヨヨ子

ベッセル・ヴァン・デア・コークという人が書いた「体はトラウマを記録する」(2016年発行・解説者は杉山登志郎先生)という本を借りました。

難しくてあんまり読めなかったのですが、「第3章脳の中を覗く-神経科学革命」によると、フラッシュバックが起きている人の脳ではブローカ野つまり言語を司る部分の活動が著しく低下するんだそうです。
子供時代トラウマをこさえた人だけでなく大人になってからトラウマをこさえて人でも。

ギョーカイでひどい目にあっている人ひどい目にあった人が、かなりの人数いるであろうにも関わらず、それがさほど表に出てこない理由もここにあるのかな、と思いました。
トラウマが処理しきれてないと何が起きたか説明できないのであればギョーカイの悪行を暴露することは出来ませんから。

私も閉鎖病棟や就労移行支援センターで起きた事を親やセカンドオピニオンドクター達や今の主治医に話せるようになったのはここ1、2年ことです。
何年も経ってやっとです。金魚体操と指良い子と焼酎風呂と泉の気功と円盤の気功と地球におんぶのおかげです。
でもまだ何が起きたのかを長い時間かけて紙に書いているとフラッシュバックに襲われて泣く羽目になります。

ギョーカイからのトラウマによって左脳が働かなくなった人たちが再び言語能力を取り戻した時が来る前にギョーカイ人は逃げた方がいいと思います。
こっちはこびりつき脳の持ち主なのだから、されたことは、全部覚えてる。

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たかすぎ

お世話になります。
今回は長文にて失礼いたします。
先般は、浅見社長をはじめ、多くの方から貴重なご意見やアドバイスをいただき、ありがとうございました。
また、「知的障害は治りますか」を早速拝読し、アンダーラインや付箋を付けたうえで、学校や施設に寄贈いたしました。
3月18日、息子が通う小学校で、入所施設の関係者を交えながら、就学相談を行いました。
冒頭に、プレゼンを用いながら、「⽀援学校では、「恒常的」に同世代の健常者から切り離されるため、集団を体験し、社会のルールを学ぶ機会が失われ、「障害者」の「独⾃の社会」(例︓がんばらなくてもいい、奇声・他害・⾃傷が許容される)に同化されてしまうことが不安で仕⽅ないのです。それが解決できない限りは、⽀援学校に子供を預けることができません。」と申し上げたうえで、「息子を社会で生きていける人間に育てたい。そのために、育成級で、普通学級のお子さんとも多少は交流がある中で、社会のルールに適合できるよう学べる環境下で、息子を鍛えておきたいし、指導していただきたい。⾃分としては、息子の伸びしろを伸ばすために脳みその余白を作るための身体アプローチ・栄養療法をアプローチとして⾃宅や外出先で⾏っているが、その結果、⾏動も落ち着いてくる様子が⾒られるので、できれば来年度も育成級で学習させていただきたい。そのために、アドバイスがいただきたい。⾃宅(帰宅・外出時)でも、これからも息子の⾏動が落ち着くためのアプローチを続けながら、学習指導も続けていく。」と述べさせていただきました。
 その結果、支援学校に行くか、育成級に残るかは、親の判断にゆだねる、という結論に至り、定期的に特別支援学校の関係者を交えて定例会を実施する方向になりました。
 育成級に残る際に、学校から以下のことを要求されています。
① 安全が担保できないため、宿泊を伴う校外学習は親が同伴するか、不参加となる。6年時の修学旅行は必然的に不参加となる。
② 知的級は4人だったのが8人に増加する。これまでのような身体アプローチは期待できず、かかわりの要求の強い息子にかかりきりにはなれない。家庭で平日に行えない育てなおしの作業は不可能。
③ てんかん(パナイトポーラス症候群)の持病があり、発作が起きた時に対応できない。
なお、①~③の課題については、特別支援学校では対応可能、とのことでした。
① 特別支援学校では宿泊を伴う校外学習を低学年から行っている。親の同伴は不要。
② 特別支援学校では1クラス3人となっており、身体アプローチのニーズにこたえることができる。
③ 発作が起こった際に、看護師が対応できる。
さらに、特別支援学校では、教科書すら支給されないのではないか、と問うたところ、教科書は支給され、それに基づいた授業は行われる、とのこと。
 そして、私なりに、特別支援学校に転校になった際のメリット・デメリットを考えてみました。

【メリット】
・身体アプローチや育てなおしが育成級ではもはや期待できない分、支援校では柔軟な対応が期待できる。(平日は家庭にいないため、家庭での対応は休日にしかできない)
・障害者のみの中ではあるが、集団の活動はある。(体育の授業を拒否している状況の中で、集団活動に参加しやすい。ただ、最近は自分から体育の授業に参加しているのが見られる)

【デメリット】
・健常者との交流が非常に限られており、健常者に交じっての集団活動には期待できない。したがって、健常者の中で社会性を鍛え、社会のルールを学ぶ機会が失われる。
・障碍者の独特の文化(がんばらなくていい、他害・奇声は当たり前)に同化される危険性がある。
・教科学習が後回しにされ、就業に必要な読み、書き、計算が身につかない。
・上記のことから、生涯にわたって社会に参加できず、施設内介護に置かれる可能性が高い(65%が「生活介護」というデータから判断)

以上のことから、私なりに以下のような方向性を導きました。

【方向性】
・息子の愛着(1対1の関係)の問題はいまだクリアされておらず、施設職員や学校教諭に執拗なかかわりを求める現状からすると、育成級に置くことは限界があると判断し、支援学校に転校させることはやむをえない。
・その代わり、息子に自発性が芽生え、自立するようになって普通校への転籍を希望した場合は、その意思を尊重し、普通校に転籍させること。
・教科書は必ず支給し、最低限、四則演算、読み書き、コミュニケーション学習を徹底させること。
・当方が提示する身体アプローチを毎日、実践すること。
・もともと通っていた普通校とは同じ敷地内にあり、知己もいることから、交流は引き続き行うこと。

以上のことを支援校に要求することを考えています。

それならば、今すぐに施設を退所し、家庭で引き取るべきだ、という意見が出るかもしれませんが、その点は非常につらい思いを抱えています。

・後妻との間に愛着関係が形成されていない。(後妻の側に抵抗感が強い)
・親は遠方(広島)かつ80代と高齢のため、息子は預けられない、と拒否。
・家庭で引き取るのに、レスパイト(一時預かり)のあてがあることを要求されている。しかしながら、住んでいる地域にはレスパイトを受け入れる施設の空きがない。(夫婦どちらか、もしくは両方が冠婚葬祭や疾病、育児疲労で息子に向き合えないことを憂慮)
・24時間オンコールの仕事に従事しており、時間の調整が利かない。時間の調整が利く仕事に転職するか、起業して、仕事を自分でコントロールできる状況にシフトするしかない。

 頭の中では、新潟を離れ(転勤族なので新潟には未練がない)、インクルーシブを謳う私立への転校もありますが、その辺も含めてアドバイスをいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

※最近、やっと体育の授業に自ら参加するようになりました。別途、「治った自慢」で紹介したいと思います。また、癲癇の発作について、3回目ということでパルブロ酸の服用を勧められましたが、押し問答の末、様子を見ることになりましたが、「薬の部屋」で改めて相談したいと思います。

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ふうりん

たかすぎさんはしっかり学校や入所施設ともしっかり話し合いができていると思いますが少し気になることがありまして、同化する危険云々を言ったとき相手の顔色変わりませんでしたか?他の生徒たちも誰かの大事な子どもであることを常に意識したもの言いをすることが息子さんのためにもなると思います。難しいですけど、必死さばかり伝わっても周りを緊張させてしまいます。親に甘え足りなかったのだからヌケをうめようとするのもわかると理解するのと同時に、親と離れて過ごしてるこの子はすごいと認める気持ちを持って本人に相談してみてはどうでしょう。先生がつきっきりでは困るんだけど協力できないかなどうしたらつきっきりでなくてもできるか一緒に作戦を立てようと親子共同で。嫌なら嫌でどう嫌なのかとか気持ちを知ったり動きの発達で言えばどの辺りのヌケなのか考えることもできますし、リラックスして取り組むといいと思います。

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たかすぎ

ふうりん様
ご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。
確かに、集中しているところを時間のタイミングで中断されるのを嫌がったり、集団で緊張するためか、その雰囲気を嫌がっているのはわかるのですが、「何が嫌か」をまだ表現できず、自発性が育っていないところがまだこちらとして困っています。
ヨガで習った「死人のポーズ」「ヨーガニードラ」に風船ワークを取り入れたものでリラックスを図っていますが、学校との侃々諤々とした激論の中で、へこむことが多く、リラックスどころか、トラウマが増していくような気がしてなりません。
ありがとうございました。

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ふうりん

 返信を頂きありがとうございます。困ったときは基底の部分のヌケをうめることを意識しつつ成長しようとしているサインと捉えてやってきました。ちょっと足りないけど頑張りを必要とするところで試行錯誤することで伸びるのだからやらせてくださいと皆さん学校と交渉されていると思います。特別支援学校を勧められたとき特性にあった支援ができると強調されなんか本人のせいにして丸め込もうとしてるなと感じたことがあり不安を言うとかえって不安を解消さえすれば親は受け入れるという方向にどんどん進むのがわかるのでつい口出ししましたが、たかすぎさんは本当に熱心にされていると思います。
 愛甲さんのコメントは愛着の基底のところを充実させることで就労につながっていくことをおっしゃりたかったのかな。親にしてみたらこんなに毎日あんたのことばっかり考えてきたのにまだ足らんかと思うこともありますがヌケがうまるのならばよしとします。大人になってもとらえどころのない不安に囚われているのは辛いだろうから。就労率はともかく、お子さんの母子一体化辺りの基礎がために重点をおくべきときで今特別支援学校に転校は間違ってないと読まれたのではないでしょうか。

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Kei

たかすぎ さん
Keiと申します。
我が子は医療的な介助の必要がない子で、たかすぎさん程、詳細の情報を知っているわけではないと思いますが、文科省のHPで
「学校における医療的ケアの必要な児童生徒等 への対応について」
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/0000147112.pdf
というのがあります。
一見、普通の小中学校では対応してもらえなさそうな事でも、文科省では意外と含めていたり…という事があるかも知れません。
詳細がわからないので、お門違いの内容だったらすみません。

知っている小学校の先生で、てんかん時に座薬を入れておられた先生がいらして、これは医療行為ではないかも知れませんが、要は文科省で認可していても、要は校長先生の采配や、許容範囲の違い(つまりはやる気次第)だろうと感じています。

最初から「〇〇君(さん)は~~に参加できない」と決めてかかる学校(環境下)か、「何とかして参加させてあげたい!」と思ってくれる大人たちがたくさんいる学校か?によって、子どもの学校生活は全く違うものになります。

これからも、かげながら応援しています。

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たかすぎ

Kei様
息子は年数回程度の発作時に吐き気を催し、短時間の意識消失がある以外は、特に医療行為を必要としていません。
校外学習は、親同伴を執拗に要求されており、恥をかかせて支援学校に転校するように心理的に圧力をかけているな、という雰囲気を感じています。建前上は「安全の確保」ですが。。
ちなみに病院からはパルブロ酸の服用を勧められましたが、神経への影響を懸念したのと、まだ前妻が生きているときに困り果ててリスパダールを飲ませて活力を失わせたことがまだトラウマとして残っており、過去の失敗の経験から投薬を断り、様子を見ることで決着しています。
お忙しいところ、ご丁寧なアドバイスをいただき、ありがとうございました。

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yasu

たかすぎさん、こんにちは。

安全性の確保は、集団生活を送る上ではまず第一に考えなければならないところかと思います。人数的な問題は予算や教員確保の問題がありますから、保護者側からはなんともし難い点ですが。。

教科学習の部分は、後から取り返せると考えて優先順位を下げるとすると、最優先は何になるでしょうか? その最優先事項を実施できるのは育成級なのか、支援学校なのかという考え方をしてみては如何でしょうか? 優先順位をつけると頭が整理されるかと思います。

今、お住まいのところを離れて他の学校へ移る可能性については、平行して検討しておいてよいと思います。こういうのは時間がかかるでしょうし、最終的に今のところにお世話になるにせよ、選択肢は複数持っている方が気持ちが安定しますよ。

応援しています(^_^)/

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たかすぎ

yasu 様

実をいうと、亡き前妻は支援学校では教科学習がなおざりにされ、読み書き計算が身につかない、として低学年で支援級、高学年で普通学級復帰をもくろんでいましたが、病に倒れて帰らぬ人となってしまいました。
現状、今の支援級でも、同じことの繰り返し、ほかの子は着実に成長しているのに、息子だけは愛着の抜けを埋めきれず、ペースが遅く、格差は広まる一方で限界を感じているところです。
あきらめて支援学校への転校を受け入れるか、武蔵野東学園のような、インクルーシブを謳う私立への転校を視野に入れるか、迷っています。私立は寄宿舎がない(探せばあるかもしれませんが)ので、並行してレスパイトも確保しなければならず、悩ましい状況です。私立のほうが役所の論理からフリーな分、きめ細やかさに期待できるのはわかっているのですが。。
ありがとうございました。

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