「発達障害は一生治らない」と決めつけず、試行錯誤する仲間の交流サイトです。ご自由にご活用ください!

雑談のお部屋

なんでも雑談コーナーです。
発達障害に関係あってもなくても可。
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1,366 COMMENTS

智ママ

本日、息子の心臓の受診でした。
6歳・多発奇形・中度知的障害の息子の体重が、前回の2週間前の大学病院の小児科受診のときより、0.5キロ増えて、17.5キロになっていました。

成長曲線の下限を、出たり入ったり、と、サーフィンして6年の息子ですが、医師からは「一応身長が伸びているなら、成長ホルモンは投与しなくていいですよ」とされていて、他の一年生よりも一回り小さいながらも、歩いたり小走りしたりしてついていっています。

連休二日目に、まほろば県の県庁所在地で、春日大社の長い参道を、両親から手を繋いでもらって歩きながら、雄鹿にリュックサック越しに頭突されてしまい「痛い〜!もう帰る!」と泣き、近くの東大寺への参道で鹿が大量にいるのを見て「もう、鹿は見たくない〜!帰る!怖い!」とわぁわぁ泣きながら歩いていた息子でした。予測のつかない動きが嫌だったようです。
帰りに、市内を一周するバスに乗せて私鉄の駅まで行ったら、機嫌を直していました。

連休中は、それほど食べる量が増えているようではなかったのですが、食べる父親の姿につい、食欲が出たようです。

主人は、月曜日に受診が終わったあとで、ほたるいか県に帰っていきましたが、連休中に抱き上げてみると「重くなったなぁ」と言っていたので、やはり体重が増えていたのね。と思ったことでした。
この調子で、『食べようとしている間は知らんふり』作戦を続行しようと思います。

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智ママ

訂正します。
ほたるいかは全国第2位の漁獲高だそうなので、表記はしろえび県にします。
薬売りで有名なところです。

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智ママ

図書館に行って、『怒らない子育てー「子どもといること」がもっと楽しくなるー我が子へのイライラ、不安がスーッと消える!67のヒント』という武田双雲さんの本を一番上にして、息子に4冊持たせて受付に行かせました。
「智くんが、レジにもっていく!」と誇りをもって、4冊の本を受付に置いた息子。

受付のお姉さんが、本の表紙を見て、次に息子の顔を見て、笑いを噛み殺していました。
『ボク、この本の意味、わかってるの??』と言いたげにしておられました。
意図せずに笑いをとってしまった親子でした。

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たにし

我が子の通う学校のお手紙を見て、ちょっと感動。
ここまで言い切っていただき感謝です。
朝、真っ赤な顔をしながら登校する児童生徒を見て心配していました。
国の示す新しい生活様式には、マスク着用が示されています。
しかし我が国は全国各地で多彩な気候条件のある国。
それに大都会から過疎地域までいろいろ。
国が示すのは、北海道から沖縄まで包括した状況下での指針。
国が示した指針が絶対だと思ったら墓穴を掘るで。
あくまでも、自分の頭で考え決断しないと。
民・官ともに。
個人でも。

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智ママ

お盆に郷里に帰省するために、最寄り駅に切符を買いに行きました。

「プリウス?おじいちゃん?おばあちゃん?」と、最寄り地下鉄までの道を歩きながら大興奮の、6歳・多発奇形・中度知的障害の息子には、「お盆に帰るんだよ」と繰り返していう私の言葉が耳に入っていないようでした。

最寄り駅で切符を買って、「◯◯駅、いく!」

駅についてから、進学祝いの内祝のリクエストに答えて、お土産用のお菓子を大量買いしているのを見て、郷里へのお土産を大量買いしていると勘違いした息子は、鼻血が出そうなほど興奮していました。

それから駅の改札口を出て「違うよ。今日は帰らないよ。お盆になったら、帰ろうね。」と告げると、帰省するための列車に乗るあてが外れた息子は、立ったまま、大泣き。
先月から、ちょっとしたことでがっかりすると、すぐ泣くようになっているなあ。と思いながら、落ち着くまで、「8月12日になったら、3人で、じいちゃんのところに帰るよ」と穏やかに繰り返していたら、すぐに泣き止みました。

予測が外れて、自分の思い通りにならなかったとしても、5分以内に、気分の切り替えができていることに、感心したひとときでした。
(3歳の時点では、電車を見るのを早く切り上げる、とか、散歩のコースが自分の予測と外れている、などとなると、怒りと悲しみ・恐怖から、毎回10分は道端で泣き続けていた息子でした)
それから、父親の切符も◯◯駅で買って、内祝い用のお菓子を持って、空いた手で息子の手を繋いで、地下鉄に乗って、自宅に帰りました。

大好きな新幹線や特急には乗れなかったけれど、代わりに地下鉄に乗ったことで納得した息子は、帰宅時にも、乗りたい地下鉄の車両に乗り遅れたことで、少し泣きましたが、2分以内に泣き止む、俳優のような芸当を見せてくれました。

多少トラブルがあっても、発達している様子に、嬉しいやら呆れるやらでした。

気分の切り替えがうまくなってくれると、予定変更や、予測が外れているときに、すぐ立ち直って現実に向かうことができるので、本当に助かります。
これからも、様子を見ながら、着実に成長するよう促していこうと思います。

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金田 隆佳

おかげさまで、7月15日(水)に、第1回「柔道場で身体作り身体育て」が無事終了しました。

「参加者は多くても3人くらいじゃないかな」と予想していましたが、それをはるかに上回る、2歳10か月から中学2年生まで15名の子供たちが参加してくれました。

今回は、栗本さんの「進化の過程をたどり直す身体アプローチ」から、委ねる、寝返りを中心に20分ほど親子で運動を行い、残り30分は子供たちがやりたい遊びをしているのを見守っていました。

身体のコンディションを整えに治療院にこられる親御さんたちから話を聞けば聞くほど、行政・ギョーカイが行っている、当地域の子供たちへの支援が酷いものだということが分かってきます。

そのなかにいる「治したい!」とお考えの方が、「実は、自分で親子で治す方法があるんですよ」に辿り着きやすいように、柔道場で身体作り身体育て教室は「小学生以下なら誰でも参加できます」と枠を広げ活動していきます。

夏休み明け9月からは、週一での開催を予定しています。

これからも栗本さん、花風社の知見をフル活用させていただき、子供たちの成長・発達をお手伝いしながら、地域のクソ支援をぶっ壊していきたいと思います。

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ヨヨ子

私が発達障害と診断される遥か前に何度か話を聞いてもらった大学のカウンセラーの話です。
臨床心理士だったのか臨床心理士になるべく大学院に通っていた人なのかは不明な上に、大昔のことなので多少うろ覚えなのですが、こんなようなことがありました。

私が「布団の中から出たくない出るのが辛い」とボヤいたら、次のカウンセリングの日に「この前布団から出たくないとか言ってたけど、それって、現実をシャットダウンしたいからなんじゃないかな?」と言われました。ドヤ顔で。

その時の私の気持ち→「そんなこと素人でも分かるがな。というか布団から出たくない出るのが辛いと言った直後にいうならまだしもどうしてその程度のことを言うのに何日もかかるんだよ。」
その日以来私が大学のカウンセリングルームを使うことはありませんでした。

さらに言うと、カウンセリングルームの待合室にある自由ノートにも「話聞いてもらったってなんの役にも立たないよ!」と書いている人が複数いたのを覚えています。

そうした経緯があったせいか、自分が発達障害だと診断された後、発達障害の世界で臨床心理士やカウンセラーが幅をきかせていることを知って仰天しました。

臨床心理士やカウンセラーといった立場の人間らは、私が知る限り20年前にはもう既に役立たず呼ばわりされていたのですから。
私自身も「この職業、いつか縮小するわ。マッサージ師やレントゲン技師も供給飽和とか言われてるけど、それらの仕事は患者からすれば一応何を自分にしてくれたのかが分かる。でも臨床心理士やカウンセラーは何もしてくれないのにお金や時間を取られた感が半端ないもん」と思っていたのですから。

オマケに彼ら彼女らがやってる事も、私が「カウンセラーいらねえ。少なくとも私にはいらねえ」と思っていた頃と変わってない。変わっていたのならまだしも、変わってない。

もしかしたら今現在発達障害界隈で幅をきかせている中高年臨床心理士らの一部は、発達障害ブーム以前に学生らに「い!ら!な!い!」と不要普及扱いされ大学や健常域の中学高校から流れてきた人達なのかもしれません。

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soyan

療育を辞める時の関係者とのやり取りです。ちょっと長いですが、書かせていただきます。
花風社クラスタさんから沢山勉強させてもらっていたので上手く交渉できました。

私:子の成長が感じられるので療育卒業したいです。

A先生:でもね、お子さん最近も教室でくるくる回ってましたよ。危ないので止めましたが。

私:ありがとうございます。聴覚を育ててるので、教室じゃなく場所をわきまえてやらせます。

A先生:辞めるのがちょっと急。こちらも年度ごとに先生の配置計画を立てているので、考慮してもらえると…療育は邪魔にはならないはずなので、この辺りまで通えない?

私:(そっちの都合…)いやこの日で終了したいです。ここに入るときに私「成長に目処がついたら終了してもいいですか?」と聞きました。その時A先生は「良いですよ」と言ってましたが。

A先生:分かりました…

B先生:療育と方向性が違うから辞める、と他の先生から聞いたけど、どんなところが違う?

私:我が家は最初から「普通級を目指してる」と伝えていた。でもこちらは支援級に適応させるような所に思えた。これからは毎日幼稚園の大人数の中で過ごさせたい。

B先生: 皆に対してそうではない。ただ先生がむやみに怒らない環境から慣らしていった方が良い子もいる。我々もお母さんと同じで将来自立することが目標だと思っている。どこが違う?

私:習い事で困っていた時、頑張らせないアドバイスばかりされました…うちの子頑張れますよ。これから頑張らなきゃいけない人に、なんでそのアドバイスになる?個人を見てないのかな?と思いました。そこが違う。

私:あとB先生は講演会で「発達障害は治らない」と言ってましたよね。私はこの二年間で段ボール数箱分の発達本や最近の海外の文献も読みました。講演会にも結構行きました。今は治って条件に当てはまらなくなる人も多くいることが分かりました。「治らない」と言われたらどん底に落ちる親もいると思うんですよね。

B先生:そこまで読まれたんですね。治らないは言葉のあやというか…云々、でも大学を出て素晴らしい企業に勤めたお子さんのことも知ってます。ちゃんと発達しますから。

私:…(言葉のあや?あとその話早くして)

B先生:今お子さんはまだ自分のやってることを客観視できていない。今は平気でも、分かるようになると、急に繊細になって傷つきやすくなる子を沢山見てきている…云々

私:私もそうでしたけど、何とかなってます。起きてもいない将来のことを今考えてもしょうがない。今後困ったら担任や相談できる人にすぐに相談しますし、ちゃんと親が見ていくから大丈夫です。

B先生:お母さんは強いから大丈夫ですね。安心しました。

という感じでした。

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智ママ

双方の話が、ちぐはぐに噛み合わない状態での交渉になったのですね。
療育機関から抜けるのは、想像していた以上に大変なようですね、教えていただいてありがとうございます。
たいへん、参考になります。

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soyan

智ママさん、コメントありがとうございます。
そうですね、最後まで噛み合わなかったです。振り切ってきた感じですね(笑)
いつも智君の成長エピソード、楽しみに読ませていただいています。

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yasu

うちも通級は今年度で終わりにしたいという話をしました。

通級教室が始まる前に児童個人票が配られ、家庭での様子や指導の希望を記入するようになっているのですが、まずはそこに記入しておき、面談の際に話をしました。今年度で終わりという結論は家庭の方針で既に決まっていることとして、残された時間をいかに有効に使うかを考えてくださいとお願いして、そのままあっさりとOKということになりましたね。

通級は学校生活がきちんと送れるためのサポートだと思っているので、通常級の中でちゃんと生活できて勉強できることがゴールだと、この点だけ考えてほしいとも伝えました。将来どうこうとか家庭のこととかは通級教室の守備範囲外なので心配いただかなくて大丈夫だと話したら、不思議なことにホッとされていたようでしたね。

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智ママ

6歳・多発奇形・中度知的障害の息子が、夕ごはんを食べようとするとオエッとして、一口分だけ吐くようになり、徐々に吐く頻度が増えて、食べる量も減り、体重が少しずつ減ってきたため、#8000で相談して、大学病院の小児科に調べてもらいに行きました。

身体的には異常はなく、精神的なものだとされて、大学病院の中の発達部門の医師に回されました。
小児科の教授の、息子の症状が、精神的なものとされたときの、微妙な表情が印象的でした。

それから3時間待って、大学病院の発達医師の診察が始まりました。

症状の原因としては、これまでの心臓手術と口唇口蓋裂の手術のトラウマ・手術に向けての母親の頑張りが、息子にとっての無言のプレッシャーになっていて、その負担に耐えられなくなった息子が、食べたくないという形でサインを出した、というストーリーでした。

そのぶんには異論はありません。

「あるがまま、状態を観察しながら、ゆったりと見守っていきましょう。」
という、医師の言葉を聞いたとき、何かが、私の頭の中で、オーバーラップしました。
ここも、『あるがまま』なのか。
食べたいものを好きに食べさせ、したいことを好きにさせて、しばらく様子を見るように言われました。
親ができることは、あまりないそうです。

こりゃダメだ、これからの改善策と再発防止策は、自分で見つけなきゃ。
と思いながら、5分ほどの医師の説明と、新型コロナについての御高説をふんふんときいていた10分間でした。

3時間待って、『あるがまま教』のありがたいご説法を拝聴して、220円のお賽銭(受診料)を払って、医療の領収証をもらって帰ったような感じがした受診でした。
まだ、小児科での受診で、身体に原因があって症状が出ているわけではないことがわかったので、憮然とせずには済みました。

ブルーさんの仰るとおり、医学と発達分野は、本当に相性が悪いか、ニーズと対策がちぐはぐになっていることを気づかされた受診でもありました。

息子の症状は、帰宅した私が知らんふりをしてパソコンに向かっていると、「これ、食べていい?」と断ってから、ドーナツを封を切るくらいは、普通に食べるようになっていました。放ったらかされて、自分のペースが許されているとわかると、食欲が俄然湧いてきたようです。
じっと見ていると、挙動不審になり食がピタッと止まるので、「私はメデューサか?」と思いながら、あえて知らんふりをして、視界の端で観察していっています。

一方で、息子は母親のそばをいつまでも離れないので、赤ちゃんの頃には抱き上げると反っていたほどの接触過敏が、軽減して、ふれあいが平気になったことで、今まで過敏から味わうことが難しかった接触を味わいたいのだろうと思っています。

ひとまずトラウマ処理をしながら、かなり放置気味に様子を見つつ、食べさせたいものを出して、小1として、しなければいけないことは、させていこうと思います。
  

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ブルー

各位

昨日の私の記事に反応を頂きましてありがとうございました。

to yasuさん

>自分の手持ちの弾(ABAだったり薬だったり)の中だけで対応しようとする方多くて、頼んでもいないものを出してきて、これがアナタの欲しいものだとゴリゴリ押してくるのは割と普通にある

⇒そういう人達はまず手持ちの弾が少ないです。そして、なぜ少なくなるかといえば、複数分野を学んでいないからです。私が繰り返しこのサイトで述べている通りなんです。

だからミスマッチにも気がつきません。複数分野を学ばないため、自分の専門分野を相対化できないからです。

そしてバッチリ決まる弾もない・・・つまり完全個別化に至らないので、「ゴリゴリ押す」ことになりますね。完全個別化したソリューションや技が入ると、押すまでもなくズバリと決まります。

to 浅見さん

Twitterにて紹介をしていただきありがとうございました。

そう、心理系もです。当事者の身体を変えられない心理系の人は役に立ちません。社会の現実に疎い人や、病んでいる人もダメです。

本来心理系は発達障害と別のジャンルであると私は感じていますが、「自分は発達障害に詳しい」と考えている心理系も多くいるはずです。

また、アンチとまではいかなくても「花風社はクソ」と思っている人もTwitterでちらほら見かけます。

私の感覚だと、ほとんどの心理系は適切ではないパラダイムで当事者を解釈しています。だからクラスタの方が仰る「ひどい話」が起こるのです。

発達障害の人は心理学で扱ってはいけないということがもっと知れ渡るといいのですが。

to クラスタ各位

いろいろと反応を頂きありがとうございました。

「天ぷら屋で電卓を注文する」は、お互いに思い当たる節や実体験がいろいろとあるのではないかと思っております。

引用はしませんが、Twitterでも早速、親御さんの事例を見かけました。医療機関と話が噛み合わなくて辟易したご様子でした。

繰り返しますが「医療・福祉・心理は発達障害とは別の土俵である」ということを消費者が実感として分かるといいなと思っております。

ただ、供給側にとって発達障害は「新しいマーケット」ですから、そうそう簡単には手放さないでしょう。

しかしマーケットである以上ここにも市場原理が働きます。

往々にして専門職は市場原理を蛇蝎のごとく嫌います。アンチ考察で述べた通りです。そもそも彼らが専門資格を取るのは市場原理を避けるためです。

だから消費者が自由にソリューションを選択するという市場の当たり前の営みに関して軋轢が起きるというわけです。

それでも我々はコツコツと取り組んでいきたいですよね。
今後とも何卒よろしくお願い致します。

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浅見淳子

ブルーさんの記事が冴えています。

そして思った事。
そうか、心理も潰さないといけないか。
というわけで
「ダメダメ心理士エピソード」募集します。
このコメントのレスでどんどん書き込んでいってくださいね。

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ブルー

<今後の四冊のコンセプトに関して>

例えば、簿記検定を受けたい人がいるとします。簿記検定はお金の計算に関する試験ですから、試験会場に電卓を持ち込んで受験します。

その人は思いました。

「そうだ、簿記検定を受けるからには、電卓がいるな」

その人は文房具屋に行って、電卓を買いました。

またある人は、天ぷらが食べたくなりました。それもプロの職人が揚げたものです。早速、グルメ系you tuberの動画(!)であたりをつけたうえで、何件かの天ぷら屋のHPを見比べました。

そしてその人は、ある有名な天ぷら屋へ向かいました。

■必要なもののありかと、提供サービスが分かるなら問題は起きない

簿記検定を受けるには電卓が必要だと分かる。それは、自分にとって必要なものが何かを分かっている状態です。

そして文房具屋に向かいます。電卓が文房具屋で売られていることを分かっているからです。自分にとって必要なものはどこで手に入るかが分かっているということです。

あるいは、天ぷら屋にいけば天ぷらが食べられる。これは供給側が何を消費者に提供しているかが誰の目にも明らかということです。

だから、例えば電卓が欲しい人が、天ぷら屋にはいかないのです。

ところが、発達障害の場合、電卓が欲しいのに天ぷら屋に迷い込むような事態が発生します。

■提供サービスとニーズのミスマッチ

当事者にとって、

・医療
・福祉
・心理

そして、切り口は変わりますが

・公共系

は、ミスマッチ感・・・というか「隔靴掻痒な感じ」の強いものです。「外野な感じ」と言ってもいいでしょう。

私はかなり初期の段階、つまり自分の発達障害や就労も含めた人生をどうにかしようと思った時点で、これらの分野を見限らざるを得ませんでした。

これらは極めて限定的にしか役に立ちません。

経験的に言って、これらの分野に対して「発達障害を治してください」もしくは「私はもっと発達したいのですが」と頼むのは、天ぷら屋に入って電卓を注文するようなものです。

天ぷら屋は海老や野菜を注文されることには慣れていますが、電卓を注文されたことは多分ないはずです。

この場合、天ぷら屋に罪はありません。また、電卓を求める顧客にも罪はありません。単にミスマッチだということです。

さらに念のため述べておきますが、例えば西洋医学や心理学の理論体系そのものに罪はありません。(※個々の医療者や心理職、また業界の体質についてはここでは論じません)

これらはジャンルとして、パラダイムが当事者とはミスマッチだということです。

「天ぷら屋に入って電卓を注文する」というのはそういうことです。

■ひどいお話の原因

時折、医療や福祉、心理に関して、クラスタの方からいろいろと目を覆うような「ひどい」お話を伺います。

私にはそれが「天ぷら屋が電卓を揚げている」ように聴こえるのです。そもそもミスマッチなのに、無理やりソリューションまがいのものをひねり出すからそうなるのです。

そして「電卓の天ぷら」は、食べられないし、計算にも使えないし、何の役にも立たないのです。

■なぜこのような奇妙な事態が起こるか

当事者や凸凹キッズの親御さんにとって医療/心理/福祉といった分野は「天ぷら屋にいけば天ぷらが出てくる」というように、一発で提供サービスの実態が把握できるとは限りません。

また当事者や親御さんにとって、発達障害に何が必要かは、「簿記検定を受けるから電卓を買おう」というように、一発で把握できるものでもないからです。しかもそれは個々人で違います。

よって現状では、提供サービスの実態を把握したり、当事者に何が必要なのかはある程度の試行錯誤を要求されます。

■違うジャンルである

しかしカラダで試行錯誤していくと、医療/福祉/心理は発達障害の人にとって本質的に違うジャンルであることが実感として分かります。

現状の医療(西洋医学)や心理系は、身体を変えることによって当事者を発達させることがなかなかできません。結果としてキーポイントである神経系も発達させることがなかなかできません。

また福祉や公共系は、市場など就労における社会の現実にはどうしても疎くなります。

当事者にまず必要なのは以下の二つの現実を知る事です。

・全身のつながりに基づく、身体の現実(含・発達のヌケ)を知ること
 ⇒神経系を発達させるために必要

・資本主義や市場といった、社会の現実を知ること
 ⇒就労に必要

前述の医療/福祉/心理は、この身体と社会の現実を把握することからは話が遠くなります。

なお、この話はリクツとか「反医療ガー」ではなく、私の体験に基づく帰結です。

■外野か内野か?

関連して、ある専門職アンチが「私の職務範囲には発達障害も入っているのです。広くいろいろなことが私の国家資格では扱えるのです」とTwitterでドヤ顔していた事があって、私はため息をついたことがあります。

「いや、貴殿は外野ですよ」

と、Twitterをやらない私は、心の中限定でつぶやきました。

専門職アンチはたいてい医療系か心理系か福祉系ですが、私の感覚ですと全員「外野」です。

しかし彼らは「自分のシマにお花のマークのクソ会社が入ってきた」「出ていけコノヤロー」と思ってモビングを始めるのです。

つまり自分達は発達障害という分野の「内野」にいると思っているのです。

これもまた、すれ違いの原因の一つとなっていました。

■今後の四冊に期待

そういう意味で今後の四冊に期待です。

・医療
・福祉
※心理(もお願いします)

を発達障害の人にとって不要にするというコンセプトは、私の体験的帰結と一致します。

医療/福祉/心理、及び公共系は、発達したい・治したい当事者にとっては、善悪以前に「そもそも当事者にとっては別のジャンル」だということをもう少し多くの人が実感なさると、状況も変わるように思います。

今日はこのへんで。それではまた。

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yasu

ブルーさん

あはは、確かに電卓の天麩羅は食べられないし計算もできませんね(^^;

昔、何を注文しても絶対にメニューにはありませんと言わないレストランというのをTVで紹介していたのを思い出しました。一休さんのトンチのような受け答えで対応していたように記憶していますが、専門家(もちろん全部ではありません)に対する私の感覚はこちらのイメージに近いです。自分の手持ちの弾(ABAだったり薬だったり)の中だけで対応しようとする方多くて、頼んでもいないものを出してきて、これがアナタの欲しいものだとゴリゴリ押してくるのは割と普通にあるように思います。

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智パパ

いささか不謹慎かもしれませんけれども
わたくしがまだ中学に上がるか上がらないかというころに話題になった
「政治家に徳目を求めるのは八百屋に魚をくれと言うに等しい」という
元法務大臣(故人)の科白を「電卓の天ぷら」でおもわず想起してしまいました

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ブルー

智パパさん

コメントありがとうございます。

誰に何を求めることができるのか、分かりにくいのが発達障害の分野だと経験的に感じております。

智君のことは陰ながら応援しております。
今後ともよろしくお願い致します。

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智ママ

6月最終週になっても痰が絡んだ咳が止まらなかった、6歳・多発奇形・知的障害中度の息子。
新型コロナに感染していないかどうかの確認のPCR検査も、入院も、手術も、一旦中止になり、風邪が治り次第、再度手続きをして仕切り直しになることになりました。
荷物も半分詰めて準備していた私はがっかりでしたが、息子は外出できるようになったので、生き生きと生活を楽しんでいます。

不思議といいますか、当然といいますか、PCR検査予定日までの2週間、医師から『学校以外に外出禁止』を言い渡されて遵守していたときよりも、割と外出に同行されることが多い今のほうが、風邪の治り具合が違います。
息子の場合、ある程度は、散歩などの形で外出させておいたほうが、咳が止まるのが早いようです・・・外部での感染の危険は、有り得る話ではあるのですが。
日頃適度に運動して、社会に触れて、歩いていたほうが、息子にとっては、1ヶ月続いた咳だけの風邪を治すには、よかったみたいです。

医学だけで行きているんじゃないから、医師の指示を守りきって、心理的に息が詰まる生活より、のんびり外出を楽しめるざっくばらんな生活のほうが、息子の健康維持にはいいようです。
いつも息子からうつされてしまう、私の風邪も、生真面目に室内籠りしているときより、わりと多めに息抜きに外出していたら、治りが早くなりました。

半分、皮肉な?医学の敗北?でした。

息子の風邪が治り次第、再び口蓋裂の手術の手配の仕切り直しです。
また頑張って、行ってきます。

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智ママ

申し訳ありません、訂正します。
行きている、ではなく、生きているの間違いでした。

心と体は繋がっていることを再認識した、風邪の治り具合の比較でした。

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ねこ母

言いつけ守って、室内にこもって、お子さん共々ストレス高まってしまったら、なんと暮らしがつまらないことでしょう。息が詰まって咳余計に出ちゃいそうです(笑)

細心の注意を払いながら、豊かに生活した方が治り早いと思います。

「医学だけで生きているんじゃない」

ほんとうにそう思います。

手術に向けての様々、ファイト!です٩( ‘ω’ )و

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智ママ

ねこ母さん
コメントと励ましをありがとうございます。

普段小学校と大学病院の通院だけで8割のスケジュールが埋まってしまうので、残りで外出して用事を済ませたり、買い物に付き合わせたりしています。

まず最初に放課後デイサービスが禁止になったので、自宅で過ごしていましたが、やはり6歳児にはしんどい外出禁止だったようです。

集団生活を訓練させるために選んだ放課後デイサービスでしたが、『多発奇形で、5歳の時点でDQ37』と知らせたら、とにかく息子に何もさせないようにあれこれ介助していたので(多発奇形は何もできないとラベリングして、思っていらっしゃったようです)、情報を知らせるのもそれぞれなんだな、と思った次第です。

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ちょこ

皆様こんにちは、ご無沙汰しております。コロナ禍からの休校も明け、分散登校→午前中登校を経て昨日より小学校も給食が始まりました。
1年生は初めての小学校給食。さらに初めての5時間授業です。
娘(支援級在籍)の学校再開からの1ヶ月ですが、まあ順調過ぎるほど順調。
先月半ばからは、ほぼ全交流し支援級はランドセル置き場状態です(笑)
交流級でも付き添いの先生に「ちょっと恥ずかしいから戻ってて」と告げ、毎日一人で参加している様子。
支援級は支援級。交流級は交流級。と、自在に使い分けをして日々楽しんでいます。
そんなこんなで全く崩れず生き生きと過ごす娘に対し、日々の支援級連絡帳。
先生からのコメントは「疲れているかもしれません」「凄く頑張っていました」「疲れていませんか?」
やたらめったら「疲れているかも」を繰り返し「頑張っていました!」と絶賛。
そりゃ疲れるでしょうよ、学校なんだから。頑張っていました!いや、頑張りましょうよ、学校なんだから。
と何度書いても1ヶ月この繰り返しです。
そこでふと、息子時代を思い出したのですが、息子は超感覚過敏と体温調節も出来ず3.11からのPTSD加えて人間が最大のストレス要因←
こんな状態で当時在籍6名の支援級(今は20人)へ通い、日々疲れ(というか疲れも気付かなかった為、毎週末は大抵高熱)果てていました。
なぜ娘が一切崩れないのか?感覚過敏がほぼ無いことや、身体的な不調が息子より少ないからかもしれません。
ですがそれよりも、娘は身体アプローチをして育ってきているからです。
金魚よりも足裏合わせ、恐怖麻痺反射の統合、その他呼吸器育て…
意識して行ってきました。
娘は、疲れると「抱っこでゆらゆらして」や「足ペッタンして(足裏合わせ)」と私に伝えてきます。自分に必要な物を知っています。
身体アプローチを行うか行わないか。
知っているか知らないか(息子時代は知りませんでした)
かなり違います。
花風社クラスタのお子様達は、しっかり身体アプローチから入っているので「崩れる」などとは無縁かもしれませんが、改めて「発達障害」より「身体」そのものに注目する事の大切さを確認しています。
追記
娘、喘息もほぼ出ていません。コロナ禍前に病院で処方して頂いた予防吸入薬が丸々残っています‪𐤔𐤔‬

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成田あいる

このサイトをご覧の皆様、はじめまして。
私は発達障害の当事者ではありませんが、発達障害についてマスコミが偏った取り上げ方をするのに気になっていました。
新聞もテレビもネットも本でも発達障害について、患っている当事者のものや彼らに完全に偏ったものははいくらでも出てきます。
その一方で、その当人に振り回され、苦しめられている人たちの問題はいくらググっても見当たりません。
むしろ、5ちゃんやヤフコメの方が、彼らに悩まされ振り回されている人たちの声で満載だったりします(笑)

gooブログの「医師も逃げ出す迷惑アスペルガー」の記事を拝見して、「こういう記事を待っていた」と思い、コメントさせていただきました。
その後も同ブログの記事に、いくつかコメントさせていただきました。
今回、こちらに初めて書き込ませていただきます。

発達障害の当事者の中には、なかなか理解してもらえず、労ってもらえないせいか、「身体障害者の方がマシ」「身障者に生まれたかった」と言う人がいます。
それに至っては、何をか言わんやです。
今は、マスコミが「リカイガー」と言って、社会全体に彼らに対する理解を押し付けようとしています。
それがなければ、↓のように「パワハラ」と取られる時代です。

https://diamond.jp/articles/-/135973

一読すれば、「一体全体これがパワハラ?」と思ってしまいます。

発達障害の人についてよく言われる「決して悪気はない」「脳の障害」「一番苦しいのは本人」「マルチタスクが苦手」「機転が利かない」「突発的なことが苦手」・・・。。。
が、普通の方からすれば、「だからなに?」です。
ましてや、親でも兄弟でも親戚でもない、翻弄されるばかりの職場の人にとっては「知らんがな」です。

それでも大企業なら人事部や産業医が仲裁に入ったり、アドバイスしてくれます。
が、中小零細企業ならば経営者をキレさせれば切られてしまいます。
テレビで取り上げられるケースには、発達障害に理解ばかりですし、「社員の7割以上が発達障害者」と言う会社があります。
そういう企業は多くはありませんし、今後増える見込みもなければ、いつまでも続く保証はありません。
そしてそういうところに雇われることは、「そこでしか通用しない人間」でしかありません。
それならば、「そこでしか通用しない人間になるよりも、どこに行っても通用する人間を目指そう」しかないと思います。

このサイトや花風社関連で登場される方たちは何と言っても前向きですし、「治そう」と言う意欲が感じられます。
読む者をしてそれが伝わってきますし、応援したくなります。

花風社も色々言われていますが、理解している方はきちんと評価していると思いますし、何一つ間違ったことなど言っていないと思います。

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されんゆーか

はじめまして。私は発達障害の、とくに積極奇異型の当事者です。

まず、公共性の高いTVなどの報道でマスコミが偏った取り上げ方をするのは仕方ないことだと、私個人は思っています。
日本では1996年(平成8年)になってようやく「らい予防法」と「優生保護法」が廃止されました。
もちろん発達障害とは関係ありませんし、今の発達障害の当事者には関係ありません。有り難い事に積極奇異型の私でも島の施設に隔離される恐怖も不妊手術に怯える事もありません。
でも、この社会はずっと続くでしょうか?
何かのタガが外れて「医師も逃げ出す迷惑アスペルガー」が島の施設に隔離されたり不妊手術を受けたりする社会が再び来る可能性はゼロでしょうか?

隔離や不妊手術は内容が重すぎるのでもう少し温和なものに変えましょう。
「全国青い芝の会」が1977年(昭和52年)4月12日(火)に川崎バス闘争を起こしました。脳性まひ者60人が30台のバスに籠城し暴力を伴う過激な実力行使をしました。
しかし今ネットで川崎バス闘争を検索しても障害者に批判的な内容はまず出てきません。
平日に健常者が利用するバスに籠城し、窓ガラスを割り拡声器を出してアジ演説をした事件にもかかわらずです。
これは当事者の視点に完全に偏った取り上げ方に当たるでしょうか?
それとも昭和の世は今と違って障害者に対する風当たりが強かったから仕方の無いことで、今の世には必要ないものでしょうか?

TVや新聞や出版社のような公共性の高いマスコミは数十年にも渡る歴史を有しています。マスコミにとって前世紀に起きた障害者差別は大昔の話ではないのでしょう。
これがマスコミが偏った取り上げ方をする大きな理由だと、私は思っています。

もちろん補助金を得ようとするのが目的の支援者は論外です。貴方様の職場で問題行動を起こす発達障害の当事者を必ず受け入れろ!というものではありません。
しかし、どのような発達障害の当事者であろうとも隔離や拘束は許されません。家から外出して地域社会で生活する権利があります。雇用されるされないは別として就職活動を行う機会は平等です。
つまり問題行動を起こす当事者が個人的に外を歩き就職活動を行う分には社会の理解が求められます。

そして今の制度は簡潔にいうと64歳以下の全ての障害者に2年以内の就労を求めています。
非現実的ですが人権と平等という近代国家としての基本理念と勤労と納税という国民の義務を考慮するとこうなってしまいます。
制度に問題はあります。支援者にも問題はあります。発達障害の当事者にも変化すべき事はあります。あるいは大企業にもっと発達障害者を雇用しろとの要請も必要かもしれません。
ですが中小零細企業にも程度の差こそあれ合理的配慮は求められます。

さらには生活を営むには労働者になる事が一般的です。
絶対ではありません。なにか別のよい方法が何処かで生まれているかもしれません。しかし現時点では発達障害者であっても雇用される事が一般的な解決策なのです。
負の所得税やベーシックインカムなど画期的な富の再分配が実現しない限り、今の制度は大枠として続く可能性は高いでしょう。
理由は簡単で、所得がなければ生計を立てるのは難題だからです。

「医師も逃げ出す迷惑アスペルガー」の記事は7年以上も前のものですよね。
あれから色々ありまして私の周りに限っては「社会は全て理解すべきだ」という支援者はいなくなりました。
しかし私の人権を侵害しようとする支援者はいません。
ありのまま受け入れる事が難しい私という障害者を、どのようにして受け入れるべきかを一緒に考えてくれています。
労働者にならずとも国民の義務を果たす方法や、月給がなくとも生計を立てる方法といった難題も一緒に考えてくれています。
でも答えはまだありません。

私は神奈川県から遠く離れた地方都市で生活しています。
花風社の事は昨年まで全く知りませんでした。
私は幸運にも地方特有の濃い地域コミュニティに生まれ、発達障害のような特性をもった親戚が大勢いました。
医者嫌いの親戚から昔ながらの民間療法も色々教えて貰ったので、成人して自力でPMS対処をしたら驚くほど改善しましたね。
貴方様には申し訳ないですが、私は自分が楽になりたいから民間療法を試しました。
社会のためではありません。定型発達の人達の為でもありません。親戚も妻子のためというよりは自分のための方が大きかったでしょう。
だって発達障害の症状って辛いんですよ。
それなのに改善のために努力するのも凄く大変なんです。先の見えない恐怖と戦いながら手探りで進むのは並大抵のことではありません。
会ったこともない人達の為にできることではないんです。
都会では地域コミュニティが薄くなり、親戚は減り、核家族化が進んでいると聞いています。
花風社の本を読むと親と本人ばかりが努力せざるを得ない現状に驚かされます。
母親の責任の重大さにも驚かされます。母親ばかりに任せてばかりで近所の大人は何をやっているんだと読んでいて歯がゆくなります。
近所の人や親戚に頼ることが困難な都会では、本来振り回されなくていい他人であるはずの職場の人達にもケアの役割が求められてしまうのでしょう。

貴方様の悩みの答えにはなっていない事は自覚しています。
発達障害とは関係のない前世紀の事例を持ち出し、マスコミに忖度を要求し、社会システムの非現実さを解説し、人権や平等や義務といった反論が難しい単語を持ち出し、都会という砂漠に責任を転嫁しました。
私は女性なので貴方様に共感する書き方を求められる事も理解しています。
ただ、労働者にならなければ生計を立てるのはとても難しいのです。これだけはどうしても伝えたいと思ったのです。

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こじはるファン

されんゆーかさん、はじめまして。30代の障害者枠の正社員で勤務している者です。
>花風社の本を読むと親と本人ばかりが努力せざるを得ない現状に驚かされます。
はい、それが現状です。それどころか、最近の20代の方を見ていると、
発達障害の理解は後退していくように感じられます。
自身、大卒以上の方ばかりがいる会社に勤務していますが、
最近の20代の方は、発達障害当事者大半が忌み嫌うであろう
マイルドヤンキーに近づいている感じさえあります。
(私は、マイルドヤンキー肯定派です。)
だからこそ、治すしかないのです。
それに、奨学金問題を考えたら、できることなら下手に大学に行くより、
高卒で就職したほうがいい可能性だってあります。
ですが、高卒で就職する場合は、部活動に入らないとほぼ絶望的です。(特に男性)
それだからこそ、できるなら、中学ぐらいまでに治したほうがいいのです。
(とはいっても、私は治りつつあるだけですが…。)
支援者は、(失礼ですが)障害が重く実家が金持ちの方が二次障害にならないようにしか
アドバイスをせず、障害が軽くても実家が金持ちでない当事者はいずれ働かないといけないので、そんな方の言うことに従っていたら墓穴を掘るだけです。療育センターの支援者のことを恨んでいますし、支援者びいきタイプの当事者を疎ましく思っています。
だからこそ、花風社を支持するわけですし、花風社の本に出会って体操を実践してから、耳からの情報整理能力が改善され、障害特性ではなくなりつつあります。また、姿勢も良くなっています。
それで、親と本人ばかりとか言っていますが、健常者の方だって努力されていますが…。
>母親の責任の重大さにも驚かされます。母親ばかりに任せてばかりで近所の大人は何をやっているんだと読んでいて歯がゆくなります。
近所の人にそんな余裕が今時ありますか?
>近所の人や親戚に頼ることが困難な都会では、本来振り回されなくていい他人であるはずの職場の人達にもケアの役割が求められてしまうのでしょう。
こんな意識ではクビになるだけですよ。職場の人達だって色々な事やらないといけないわけですから。

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Kei

わたしには幼児期に「アスペルガー症候群」と診断された息子(高校1年生)がいます。

わたしは子育ての責任は親にある。
と思っています。
勿論、周りの人達の助けがあって、それがその子にとって必要ならば受けることはありますが、これまでの経験上、他力本願にはデメリットしかありません。

本当に必要な助けは与えられるものではなくて自分で探して見つけられるものだと思うからです。

育児には時間も労力も必要ですが、それは子どもが発達障害(神経発達症)かどうかは関係ありません。

誰もがそうやって育てられてきました。

発達に凸凹がある子どもを育てるのは、そうじゃない子育てよりも多少の時間と労力が必要だったとしても、それに見合う以上の感動や喜びをたくさん経験できます。

親は子どもの幸せを願っていて、我が子の身体の大変さが無くなって自立した大人になってくれたら嬉しいですし、別に見返りを期待してはいません。

親とはそういうものではないかな?
と思います。

周りの人達に助けてもらう事は誰にでもありますが、周りに依存しないと生きられないのとは違うかな?とも思います。

自分の人生は自分で切り拓いて行くものて、例え親であっても子どもの人生の肩代わりなどできません。

周りが理解してくれない。
誰も自分を助けてくれない。
と言うよりもそれに負けずに頑張れる人になった方が確実で現実的です。

頑張っている人を応援したい。
と思うのは世の常です。

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座波

労働者になることはとても大事なことです。
労働現場で支援職をしている身として実感していることでもありますが、社会のためなんて大風呂敷を広げる必要はなく、なによりご自身のためです。ご家族も安心なさると思います。

自閉症、発達障害の診断が出たことで働けない、働く必要はないとお考えの方もいらっしゃいますが、それでも働きたいという方にまず取り組んでいただきたいことが身体アプローチとなります。
身体アプローチの当面の目的は、働くための準備です。つまり、診断につながる特徴、特性のある方は働けないのではなく、働く準備が整っていないということになります。
そして、働くための準備ができてくると次に働くための努力・工夫の段階となります。仕事で結果を出す、高い評価を得るためです。これは定型発達と言われる方にも必要なこととなります。どんな仕事に取り組んでもすべてできてしまう人なんていないからです。
身体アプローチはこの段階においても有効な対策の1つとなります。準備が整った後にも続けることで心身のパフォーマンスが上がり続けるからです。準備やそれ以前の段階で想定するストレスをストレスと感じえないレベルになっている自分に気づくことが多々あるのですが、それは取り組んだ人にしかわからないこととなります。

こうした取り組みに二の足を踏んだり、知的な反論が出る方も少なくないと思いますが、それでも働けるようになりたい気持ちがどこかにある方は、まずは弛めるところから始めてみることをおススメします。準備の段階につながりやすくなることが期待されます。

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されんゆーか

こじはるファン様、Kei様、座波様
ご返信いただき、まことにありがとうございます。

まさに仰る通りで自分が楽になりたい為に行動するのが一番であり、労働者になるのは大切ですよね。
そうなってしまうと、やはりTVや新聞や出版社のような公共性の高いマスコミが当事者に偏った視点で報道するのは仕方がないのかなと思えてしまいます。

>新聞もテレビもネットも本でも発達障害について、患っている当事者のものや彼らに完全に偏ったものははいくらでも出てきます。
>その一方で、その当人に振り回され、苦しめられている人たちの問題はいくらググっても見当たりません。

と書かれている当事者ではない方の悩みは解決の糸口が見えません。
たまたまこの方の職場にいる問題行動を起こす当事者が、ある日なにかが起きて運良く身体アプローチに目覚めてくれる可能性はあまりないでしょう。

私も本心ではTVや新聞のようなマスコミも迷惑な発達障害者を紹介できないだろうか?と思っています。
もちろん人権侵害や差別煽動にならないようにするのが必須です。
労働者になる事は目指すのは大切なので、ある程度は企業に理解を求める内容になってしまうでしょう。
それでスタジオのコメンテーターが「現場の努力に任せるのではなく、国がもっと動く必要があります」と口当たりの良いこと言って終わりになる気がします。

今ふとTVや新聞で身体アプローチを紹介してくれたらよいのかな?と思いましたが、医者や支援者業界団体がなにを言い出すかわからない怖ろしさがありますね。
上手く紹介しても問題行動を起こす当事者が身体アプローチに取り組んでくれるかどうかは本人次第になってしまいます。
やはり今現在、当事者に振り回されてマスコミの報道に違和感を覚えている方の悩みの解決には至らないのがもどかしいです。

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智ママ

最近、智パパがこんなことをラインと電話のやり取りで言っていました。

「民間の会社は、クレームがついたらすぐに改善がなされる。改善がなされない会社は、進歩がないから、すぐに潰れる。」
「なのに、僕らは住民税を支払っているのに、交通行政や学校のあり方について意見を申し立てても、たいてい無視される。いつまで経っても旧態依然のままだ。利権もあるんだろう。」

「意見を全部汲み上げろとは言わない。ただ、改善が見られずに『とりあえずやってます』のためのアンケートだったり、形だけの意見交換会だったりするのは、税金の無駄遣いだと思う。そして、現実に即していないのは、害悪にしかならないことが多い。」
「僕らはもっと意見を挙げて、改善がなされるまで、合理的に行政に働きかけないと、次の世代にいいものを残せないんじゃないかな?」

「う~~~ん、役所や学校や教育委員会に、合理的な案を打ち出して、働きかけてみるしか、ないんじゃないかなぁ・・・あと、申し立てる機関にもよると思うなあ。」
と、答えましたが、ことに教育については、将来の人材育成に直結しているので、旧態依然で変化がなく、かつ非効率な『あるがまま』は、絶対にやめたほうがいいと思いました。

本日、二人クラスの育成級の、多動でやりたい放題のお子さんがお休みで、担任の先生がすごくホッとしていました。
現場は、無理な忍耐を強いられる『あるがまま』に、必要以上に疲弊していっているようです。

先生の情熱も、多動のお子さんの知的レベルも、無駄遣いされて、非常にもったいないです。
なんとかならないかなぁ。と思ったことでした。

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智ママ

今の支援級は、『ダメな支援者を支援するための、支援級』にされているような気がしました。
これは、教師も、生徒も、双方ともに、もったいないですね。

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